責任
自分を変えられるのは自分だけだ。
時に他者が影響を与えることがあったとしても、それを受け入れるかどうかは自分次第なのだ。
だから、他者を変えようとすることは傲慢であるし、他者を変えられなかったからと言って気に病む必要はない。
それは誰の問題なのかを考える必要がある。
自分に責任の無いことを考えても意味はない。
その問題を解決する術を持つのは本人だけなのだから。
自分が富と名声を持ち、嫉妬心から他者に恨まれているとする。
どんなに恨まれようと、正当な手段で得られたそれらを所有する自分に問題はない。
この場合、問題を持つのは他者である。
他者の課題を解決することはできない。
それは本人の問題なのだから。
ただ、相談にのることはできるし、助けを求められれば手を差し伸べることもできる。
野菜嫌いの奴に無理やり野菜を食べさせることは傲慢である。
が、本人が野菜を何とかして食べたいと言うのなら、その方法を共に考え、例えば野菜ジュースを作ってあげることはできる。
ただ、最終的にそれを口にするか否かは本人次第である。
問題を持っているのは自分なのであって、相手は何も悪くない。
君は何も悪くないけれど、私は君が嫌いだ。
誰が何と言おうと、今の気持ちは変わらない。
自分を変えられるのは自分だけだ。
でも、自分が変わりたいと思っても、それには長い時間がかかることだってある。
もし、私のことを助けたいと思う人がいるのなら。
今は、その時じゃない。
でも、あなたの存在は、きっと私の未来に何らかの影響を与えるだろう。
その時まで待ってくれなんて言わない。
でも、そう考えてくれている人がいるのなら、ありがとう。