右も左も分からない
とある神社の境内にラクガキがされるという事件が起こった。石畳の参道の真ん中辺りに黒い墨汁で大きく“×”の文字。
墨汁なので雨で洗い流される。それ以外に被害もない。だから他愛もない悪戯と世間では扱われていたのだが、これに政治団体を自称する謎の組織から犯行声明が出たことで事態は一変した。つまり、これは“ささやかなテロ”だったのだ。それで一応は警察が動くことになったのだった。
――警察署の会議室。
年配の、通称“山さん”と呼ばれる刑事が腕組みをしている。こう呟いた。
「神社を狙ったという事は、恐らくは左翼の一派だろう。連中の一部は、日本の伝統を敵視しているからな」
それに若手の刑事がこう返す。
「いえ、山さん。どうも、そうとも限らないようです」
「と言うと?」
「匿名でネットに投稿された内容を信じるのなら、これは“抗議”なのだそうですよ。自然保護に積極的ではない、今の神社の姿勢に抗議しているのだとか」
それに山さんは首を傾げた。
「ならば、やはり左翼なのではないか? 奴らは自然保護をしたがるだろう?」
「いえいえいえ」と、それに若手の刑事。
「神道は自然崇拝を特徴としています。実際、日本の歴史において人間社会を自然の一部に組み込むという役割を担ってきました。要するに、“自然を保護しろ”というのは“日本の伝統を重視しろ”と言うのと同じなのです」
「ほう、ならば違うかもなぁ」とそれに山さん。また若手の刑事は言う。
「山さん。今入った新しい情報によると、この団体は今の政権の政策手法に反対しているそうです」
「何?」と、それに山さん。
「ならば、やはり左翼なのではないか。あいつらは今の政権を批判しているからな」
ところが若手はそれにも疑問の声を上げるのだった。
「いや、どうなのでしょう? 僕は“手法”という表現が気にかかりました」
「何故だ?」
「実は日本という国の政治は、社会主義的だとよく批判されているのです。官僚が規制によって、民間企業が何をやるのかコントロールしようとする。そして、政権がそれを暗黙のうちに認めてしまっている。もちろん、そんな状況に反対している政治家もいるのですが」
「なるほど…… 右翼は社会主義を敵視しているからなぁ。もしかしたら、今回の犯行グループは右翼かもしれないのか……」
山さんは再び腕を組み、難しそうな顔を浮かべる。そこでまた若手が「新しい情報が入りました」と言った。
「この犯行グループは、中国と日本が仲良くなることに賛成しているそうです」
「なんだと?」と、それに山さん。
「ならば、やはり左翼ではないか? あいつらは共産主義の中国に友好的だからな」
ところが、それにも若手は「そうとも限りません」と疑問の声。
「例のカジノの汚職事件を見ても分かりますが、最近の現政権は、急速に中国に接近しようとしています。アメリカへ対抗する手段なのか何なのかは分かりませんが」
「ちょっと待て」とそこまでを聞いて、山さんは言った。
「今の政権は右翼に支持されているはずだよな? それなのに、手法が左翼的で、左翼に好まれる中国と仲良くしようとしているのか?」
「そうなりますね。
因みに、右翼は日本の伝統を重視していると言われていますが、本来の日本の伝統を考えるのなら、積極的に取り組まなくてならないはずの自然保護を今の政権は軽視しています。人口減少を放置し続けて来たのも変ですね。普通、右翼は自国民の人口減少を問題視するものですから」
それを受けて、山さんは考え込んだ。
確かに表面上は、日本の右翼の思想は左翼的に思える。しかし、それは利害関係の一致やパワーゲームの関係で、本来は手を組まないような相手と結果的に手を組むようになってしまったからではないか?
つまり、態度は左翼的でも、その精神は、右翼のままなのだ。
そこでまた若手が言った。
「新しい情報が入りました。
この団体は、経済のMMT理論を支持しているそうです」
それを聞いて山さんは言う。
「なに? ならば、やはり左翼ではないか? アメリカでは、その理論を活用して、左翼側の政治家が自然保護や医療などを行おうとしていると言うではないか」
がしかし、それにも若手は首を傾げるのだった。
「いえ、どうでしょう? 日本の場合、このMMT理論を支持しているのは、右翼側の政治家の方が多いといいます。左翼側の政治家もいるにはいますが」
「そうかぁぁぁ」と、それに山さん。
「まったく、分からんな」
「はい、そうですね」と、それに若手。
「この犯行グループは、一体、左翼なのでしょうか? 右翼なのでしょうか?」
ところがそれに「いや、違う」と山さんは返すのだった。
「この国のイデオロギーが分からん。一体、右なのか左なのか?」