第5話 瞳の勇者は覆いかぶさる
最初は疲労によって足が重たいのかと思った。
しかし、すぐにおかしいことに十影は気づく。
両足が全く動かないのだ。
「あれ ? おかしいな……」
そう言うと、彼はコテンと転び、背中を広場の石畳へとつける。
両足は少し、上がっていた。
「……広場のみんなに腹筋運動でも披露する気ですか ? あなたの世界ではどうか知りませんが、そんなことで、おひねりや投げ銭をもらえるほど、この世界は甘くなありませんよ……。せいぜい逆に私の腹筋が鍛えられるくらいですね。あなたの無様な姿を笑いすぎて、お腹がよじれるでしょうから」
エムがニコリともせずに、無表情で言い放った。
「ち、ちが……」
言い終えることなく、十影は動き始めた。
まるで目に見えない誰かが全力で彼の足を引っ張っているかのように。
そしてその速度は徐々に上がっていく。
「イダダダダダダダ !!!!!!!!!!!! 」。
背中を石畳に削られながら、すさまじい速度で教会の方へ引きずられていく男。
「うぉ ! なんだあいつは !? 」
「見たことあるぞ ! 数日前から広場で活動してる大道芸人だ !! 」
「どういう仕組みだ !! パントマイムにしてはすごすぎるぞ !! 」
人の海が割れていく。
そこにできあがった道を十影は無残に背中を擦りながら進む。
そしてバタン ! と教会の重厚な両開きの扉が自動で開き、彼はその中に飲み込まれていった。
「聖女」リアは教会の尖塔の階段を下りていた。
濃い青色で、くるぶしまでを覆うトゥニカとウィンプルをかぶった頭。
イメージ通りの修道服を纏う、つり上がった気の強そうな瞳が印象的な女性だ。
尖塔の内部は空洞ではなく、階層が造られており各階に小さな部屋が拵えられている。
「……明日でようやく終わる。地獄だった……」
誰に言うでもなく、溜息まじりに呟く彼女の耳に階下から不審な音が聞こえてきた。
「……なんだ ? ……ヒィッ ! 」
豪気な彼女にしては珍しく小さな悲鳴がこぼれる。
ずるずると仰向けに寝ている男が階段を引きずられて上ってくるのだ。
引きずる者は誰もいないのに。
「お、おいトカゲ ! お前、一体何やってるんだ !? 」
そのもっともな問いに男は答えることができなかった。
どこかで頭でもぶつけたのか、すでに意識がなかったからだ。
そしてゆっくりとリアの横を通り過ぎて、上に向かう。
勇者のいる階上へ。
今、教会で最も光の届かない場所へ。
あまりのことに惚けていたリアは我に返って階段を上り始める。
過去に多くの勇者が起こした「不祥事」のことを思い出しながら。
「クソ ! 眺めてるだけで満足しているようだったから、手荒なことはしないだろうと思ってたんだが……。こんなことが起こらないために『特別慰問官』の制度があるのに…… ! 」
十影が目を開けた時、すぐに自分は目を開けたつもりでしかないのではないか、という疑念にとらわれた。
開ける前と変わらずに闇しかなかったからだ。
「……目が覚めた ? 」。
寝かされている彼のすぐ脇から声がした。
本当にすぐ側で、息がかかったのがわかるくらいだった。
「……その声はアレナか……。また会えて嬉しいよ」
闇に向かって十影は語り掛ける。
「……本当 ? 私が教会にいるの知ってて、一度も会いに来なかったくせに……」
すねたような声がした。
「……勇者様に会うためには相応の手続きが必要でな。十五枚目の申請書類で、挫折した……」
闇の中でも「瞳の勇者」アレナには数センチ先の顔が鮮明に見えていた。
そして彼の抱く感情さえも、その強化された瞳は映しだす。
「……また私のことを子ども扱いしてるね。これでももうすぐ18歳になるのに…… ! 」
ふっと、十影の体に何か柔らかなものが覆いかぶさってきた。
「…… !? 」
「フフ、あの夜みたいにピンク色の感情が見えるよ ? 子どもに欲情するなんて悪い人だね」
(……勢いでこんなことしちゃった……。トカゲも恥ずかしがってるけど……私もすごく恥ずかしい…… ! )
暗闇の中、ただただ恥ずかしがる二人は、とても健全で、とても不安定だった。
一週間ほど前、十影がこの世界に転移した地点は、モンスターも多く出没する街道で、運よく勇者一行に出会わなければ、その時まだ地球の神々によって餞別代りに授けられた能力を使いこなせなかった彼はあっけなくモンスターの餌となっていたことだろう。
隙間なく全身を鎧で固めて、瞳すら見えない少女。
そんな少女に、地球では新任教師であった十影は生徒に接するように普通に対応したし、そのボディラインがよくわかるジャストサイズの鎧の中を想像して、少しだけ邪な思いを抱いた瞬間もあった。
もちろん、地球と同じように、すぐにそれを振り払ったが。
そんな十影の感情を「瞳の勇者」の固有スキル「読心」で見たアレナは新鮮な思いだった。
彼女がいつも見るのは、そんな普通のものとは違っていたから。
そしてたまたま彼の黒髪・黒目の容姿が恐ろしいほど彼女の好みに合致していたこともあって、一般的に「気難しい」と言われる「瞳の勇者」の一人でありながら実際はチョロかった彼女は、彼に多大な興味を持つようになる。
暗闇の中、二人はしばらくそのままだった。
けれど、少しだけ落ち着いたアレナは思う。
自分がこんなにも大胆な行動をとれるのは、今が闇の中だからだ。
もし光の下では何もできないどころか、闇を求めて逃げてしまうだろう。
この人に今の自分の姿を見られることを恐れて。
そう思うと、なんだか自分が闇の中でしか生きられない化け物になったような気がした。
アレナは、アレナの瞳達は十影の二つの瞳をみつめた。
自分が闇の中でしか生きられないなら、生きるためには……光を消すしかない。
そう……。
「アレナ ? 」
「……長い時間寝ていたから、喉が渇いたでしょ ? 今、お茶を用意するね」
すっと、男の上から柔らかな重みが消えた。
閲覧ありがとうございました !
評価、感想等、創作の励みとなりますので、よろしければお願いいたします ! <(_ _)>