第4話 包丁は真実の愛を切り裂けるか
「……世界を虚無的に見ているつもりでも、手が触れ合うのを肉の塊が触れただけなんて斜に構えて言ってみても、実際に手を握られたら、恥ずかしくなるだろ ? 」
ガシャン!ガシャン!ガシャン!ガシャン!
テーブルに置かれた食器が乱暴な四重奏を奏で、ハッとしたエムが慌てて手を放した。
その奏者である女給は、もはや呪力が込められた血走った瞳でエムを見ていた。
そして舌打ちとともに震える背中で去っていく。
その演技派女給の背中を愉快げに見送る十影。
エムは何か嫌な予感がして、そっと自分の前に置かれたお茶とカツサンドを男の前のものと取り替えた。
改めてエムが目の前の大好物であるカツサンドを見やると、そいつは薄目のパンがより強調する肉厚のカツの断面で彼女を誘惑する。
たまらずに手にとってかぶりつく。
甘めのソースが肉汁と混ざり合って、柔らかな肉の味は深く濃いものに仕立て上げられていた。
エムはあっという間に一つ目を食べ終え、お茶を一口すすった。
先ほどのお茶とは違い、熱くてすっきりとした味がする。
お茶によって口を整えたエムは、目の前でカツサンドをほおばった瞬間、目を白黒させてお茶を口に流し込んで、すぐにそれを噴き出す十影を一瞥して、二つ目のカツサンドを今度はゆっくりと味わった。
「ふぅ。こんなにおいしいカツサンドがあるのに気づかなかったなんて……。まだまだこの街の店を探索する必要があるようですね」
満たされた顔のエム。
「そ、そうか、良かったな……。俺のは辛くて、食べれたもんじゃなかったけど……。辛子の量を間違えたのかな ? お茶も苦みだけを抽出したような代物だったし……」
首をかしげる十影。
そして遠目には血走りすぎて白目が真っ赤になったように見える瞳で、エムを呪い殺さんばかりに睨む女給。
そんな異様なカフェに怒号が響いた。
「ウェンディ ! 姿をくらましたと思ったらこんなところにいたのか !! 探したんだぞ !! 」
若く、体格が良く、派手な服で、一目で反社会的存在と分かる男だ。
「……もうあたしには関わらないで !! あんたを養うのはもうイヤ !! 」
女給が金切り声を上げて、頭を両手でかきむしる。
「何を言ってるんだ !? 俺たちは恋人同士じゃないか !! 支え合うのは当然だろうが !! 」
男は嫌らしい笑顔で両手を広げてじりじりと女給に近づいていく。
「ふざけないで !! 支えてるのはあたしだけじゃない !! 」
そんな恋人達のよくあるやり取り。
十影は、わざわざ椅子の正面を言い争う男女の方へ向けて座りなおした。
「今日は運がいい。第二幕まで開演されるとはな」
「……止めなくていいんですか?」
お茶をすすりながら、興味なさげにエムが言う。
「必要ない。あの二人にとっては剣術の約束組手みたいなもので、ほぼ手順が決まってるやりとりだ。しばらくしたら男が女に平手打ちをかまして、抱き合って仲直り。それで終幕だ」。
十影は腕を組んでじっくりと観劇の体勢をとった。
「……だいたいあたしにはもう別に好きな人がいるんだよ !! 」
「なんだと !? ……ひょっとしてこの店にいるのか !? 」。
ピクリ、と店の男性客全員が反応する。
「これは予想外だ。今から共演者を一人加えた台本のない即興劇が始まるぞ ! 」
ごくりとお茶を一口飲み、十影はエムに向き直った。
「……客の中で誰がウェンディちゃんの相手に選ばれると思う ? 俺はあの冒険者風の男だと予想するが」
今日一日、モンスタ―との修羅場をくぐりぬけてきたような容貌の男が、ようやく帰ってきた街で男女の修羅場にまきこまれるというのが十影の予測だった。
「……私は、あなただと思いますね」
エムは男の背後に視線をやりながら答える。
「それはありえないな。俺はこの場では単なる観客にすぎない。女の子連れの男がこんな修羅場の共演者に抜擢されることはないだろうよ」
まるでわかってないな、とでもいう風に、十影は大げさに肩をすくめてみせた。
そしてその手が何か柔らかいものに包まれる。
「お願い !! その女を捨てて、あたしと一緒に逃げて !! 」
男の手を柔らかく、しかし力を込めて包んだのは、水仕事で少しだけ荒れた女給の手だった。
「な、なんだと……」。
ただただ、十影は呆然とする。
「……どうやら観客参加型の舞台だったみたいですね。では私はお先に失礼します。ごちそうさまでした」
立ち上がり、くるりを踵を返してエムは歩きだす。
彼女の背中の方から怒号とヒステリックな叫び、何かが倒れ、食器が砕ける音がした。
翌日の朝、教会へ向かってふらふらと歩く十影の姿があった。
朝の礼拝を終えた人々を目当てとした屋台が教会前の円形の大きな広場に並び、教会内に焚かれた香の匂いとは別の意味で人々を魅了していた。
十影はその屋台の内の一つで、ホットドッグを買うと、広場のベンチに腰かけて、それにかじりつく。
「……昨日はよくも見捨てて帰ってくれたな…… ! 」
そして彼の隣に座った白いローブの少女に挨拶も無く、文句を言う。
「お二人の邪魔をしては悪いかと思ったので。……それにあんなチンピラの一人から逃げるくらい、転移者であるあなたの能力ならば容易いものでしょうに」
睨みつける男の視線に、エムは無表情で、しれっと返した。
「……一人ならな。どういうわけかあの時店にいた男性客どもが結託して俺に襲い掛かってきやがったんだ。……恐るべきウェンディちゃんの魅力だ」。
「……あの冒険者と魔法使いと、後は警備兵でしたか。なかなかバランスのとれたパーティーですね。そして彼らは、彼らの閉じられた世界のお姫様を奪おうとする男に立ち向かったわけですね」
「……特にあの魔法使いの男がやばかった。4種類の魔法を織り交ぜて攻撃してきたせいで、あの店は火事で燃えて、土砂まみれになり、水浸しで、風でテーブルと椅子は全て吹き飛んじまった」
「……店にとっては悪魔のような男ですね。それであなたはどうやって切り抜けたんですか ? 」
エムが興味なさそうに質問してから、手にしたホットドッグを小さな口で齧った。
「……奇跡が起きたんだ。どこからか光が飛んできて、客どもを蹴散らしたんだ…… ! 恐らく、あまりに愚かな自らの世界の住人を恥じたこの世界の神が奇跡を起こしたんだろうな……」
そう言って、十影は白を基調とした巨大な教会を見上げた。
この街の中心に位置し、いくつもの尖塔が天に向かって伸びている様は、荘厳を超えて畏怖すら感じるほどのものであった。
「……それから、倒れてるチンピラにとどめを刺そうとしたら、『真実の愛』に気づいたウェンディちゃんが間に割って入るもんだから、攻撃するわけにもいかなくなってな。それで感激したチンピラとウェンディちゃんが泣きながら抱き合うわけだ」
「それがラストシーンですか。なかなか感動的ですね。特にチンピラの引き立て役となったあなたの憐れさがね」
感情のこもってない声でエムが言う。
「いや、そこからもう一人登場するんだ。店の主人が」。
「あなたに店の損害賠償でも求めたんですか?」。
「……包丁を構えて突撃してきた。店を破壊しつくした連中じゃなくて、ウェンディちゃんにな。どうもウェンディちゃんは店主にいろいろなことをして取り入って、店で雇ってもらうばかりか、店主の家にも住まわせてもらっていたらしいんだ」
「便宜をはかってもらうための性的なサービスを店長が本気にしたというわけですか」。
小さな子ども達もたくさんいる広場に配慮して、曖昧な表現を使う十影の配慮をいとも簡単にエムはぶち壊す。
「……とにかくその後始末で大変だったんだ。死なない程度に回復薬を振りかけてやって、騒動がおさまってから到着した警備兵たちから逃げて……」。
昨日の疲れまでも思い出したのか、十影はぐったりとした表情になった。
「……朝飯も食べたし、今日は働く気分じゃないから帰る……」
そんな気ままな男の帰宅は許されなかった。
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