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パタンと絵本を閉じる音が、やけに大きく響いた気がした。
「私は、ただ幸せに暮らしたかっただけなの」
机を挟んで対面の椅子に座る女性が、ポツリポツリと涙ながらの言葉を紡ぐ。
「昔のように、3人で仲良く暮らしたかっただけなのよ」
そう言い終わると、彼女はもう耐えられないとでもいうように嗚咽を溢した。
チョコレートブラウンの髪の隙間から見えた琥珀色の瞳が、涙に濡れ、蜂蜜が蕩けた様な形容しがたい美しさを覗かせる。
「それは無理だよ」
大して音量を出して言ったわけではないのに、彼女へ向けた否定の言葉が大きく聞こえた。
彼女が「どうして?」と小首を傾げる。
「だって、『私』が女だったから」
「私が女の子だったから……、無理だったの?」
「うん」
ポロポロと涙を溢す彼女の様子を、僕は気に留めることなく続ける。
「『私』が男だったなら、『私』たちは今も楽しく過ごせていたかもしれないね。けど、『私』は女だった。男たちが、気心の知れた仲の良い『私』をそういう目で見てしまったとしても、それは仕方のないことだったんだよ。それに、その感情の相手が『私』でなかったとしても、男たちは将来好きな人ができてしまっていたかもしれない。それなのに、『私』がいつまでも男たちと一緒にいるだなんて、相手に対して失礼だと思わない? どうしたって、男女が変わらずに『ずっと一緒』なんて無理な話だったんだよ」
話の最中、だんだんと俯き始め、最後には完全に下を向いて泣いていた彼女は、たった一言「そう……」と呟くと、決意を固める為か人工的ではない美しい桃色の唇を噛み締め僕の目を捉えた。
「お願いがあるの」
一切逸らされることのない瞳に、僕は「なに?」と問いかける。
「彼らが、幸せになった姿を見守りたい。もし、幸せじゃなかったら、彼らが幸せになれるよう、手助けがしたいの」
彼女の必死の想いに、僕は特に深く考えることなく「いいよ」と返す。
「でも、基本は様子を見守ることしかできないだろう。手助けができたとしても、本当に些細なことしか無理だと思うけど、それでもいい?」
僕の言葉に、彼女は「十分よ」と出会ってから初めての笑顔を見せた。
「さあ」と差し出された彼女の手をとる時、ふと己の背後を振り返った。
まだ真新しい木製の扉が1つ、半分開いた状態でポツンとそこにあるのが目に入る。
その扉の向こう、開かれた隙間からは高い所から後ろ向きに落ちたのだろう。仰向けに倒れ、頭から大量の血を流した僕の姿がそこにあった。
あの様子では、もう助からないだろうことは一目瞭然である。
「バイバイ、そっちの僕」
その言葉に反応したのか、扉はパタンと音をたてて閉まり、静かにその姿を消した。
目を彼女の方へ戻すと、彼女の後ろに少し古ぼけた、しかしそれが木の深い味を感じさせるアンティーク調の扉が現れた。
視線を、一度机に向ける。僕がそうしたわけではないのに、いつの間にか絵本の最後のページが開かれていた。そのページは、他と異なり何枚もの紙を重ね貼り付けた分厚い1つの塊となっていて、紙の中央には1つの鍵が埋め込まれていた。
それ取り出すと、反対の手で彼女の陶磁器のように白く滑らかな手をそっと握る。彼女は、僕の手がしっかりと繋がっているのを見て、「よろしくお願いします」という言葉の後に光る泡となって消えた。
「任されました」
もう、ここには僕以外には誰もいないのだと知りつつも小さく返事を返す。
「さて、行こうか」
僕は鍵を穴へ差し込むと、戸惑うことなく扉の向こうへと足を1歩踏み出した。
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