第八話 バケモノ道
陽向とは高校も一緒だ。
僕と違いもっと上を狙えた頭脳明晰の弟は、何故か僕と同じ高校を希望した。
中二の妹は時々「ひな兄は救いようのないブラコン。でもあたしもブラコン~!」ってよく言っているけど、そうかなあ? 単に家から徒歩で通える近い場所を選んだだけでは?
実際家から学校までは徒歩五分と掛からない。
登校途中、八巻さんと出会ったバス通りに差し掛かった途端、何故か僕に最近好みの芸能人を質問していた陽向が注意深く辺りに目を走らせた。
因みに僕は国民的女優の一人が可愛いなと思う。
そう答えたら「純日本的黒髪ロングじゃないんだな、よし」と何故かホッとしていた。
陽向は特にないそうだ。女性は皆可愛いし好きだとか。
兄としてはその博愛精神に懸念を感じるよ。
「具体的にはどこだ、兄貴?」
「具体的? ああ、ぷりぷりの唇とか?」
「は?」
陽向は意味がわからないという顔付きになった。
「え? だから好きな芸能人の好きな所でしょ? 具体的にって言うから」
そんな顔をされれば、フェチまでは行かなくともより私的な好みを答えてしまった僕は何となくバツが悪くなった。
陽向は合点が行ったのか「ああ」と納得の頷きを咽の奥で上げると、逆に申し訳なさそうにする。
「いや、兄貴の萌えは俺も理解できるけど、芸能人の話じゃなくて、兄貴が昨日妖怪年増と会ったのってここら辺だよな? で、詳しい位置を特定したくてさ」
妖怪年増?
話からして、もしかして八巻さんのことだろうか?
ほ、本人には絶対に聞かせられない言葉だ。
「は、はは何だそっか。確かに八巻さんと会ったのはこの辺りだけど、どうしてわかったの?」
立ち止まった僕たちを同じ高校の生徒や見知らぬ通行人が追い越しすれ違う。
「妖怪の気配が漏れ出てるからな。おそらくバケモノ道に通じる穴があるんだと思う」
「え、何それ。バケモノ道? ケモノ道じゃなく?」
何となく指しているものはわかる気がするけど、僕は生憎専門知識がないから弟の言う全てを的確に理解できるわけじゃない。
「突然声を掛けられたのは、そこのバス停のほんの近くだったかな」
「なるほど。……出入口確定のためにバス停に印でも付けてあるのかもな。今は妖怪の得意な時間じゃないから閉じてるけど、今日は夕方にこの道を通るなよ?」
「何で? もう何回も通ってる道だし遠回りになるじゃん。それに八巻さんに会うには好都合じゃないか」
「そいつはともかく、他の妖怪に喰われてもいいのか?」
「他の妖怪に、喰われるううう!?」
思わず素っ頓狂な声を上げてしまった僕は怪訝な周囲からの視線を受けて慌てて口を噤んだ。
「一度通じたバケモノ道はあらゆる妖怪が利用できるから、時間が経って自然と消滅するまで油断はできない。開かれたバケモノ道は期間限定で敷かれた公道のようなものなんだよ。妖怪たちはそこから各陣地や自分の結界内に更に繋げて行き来もできるってわけ」
「へ、へえそんな原理なんだ」
てっきりここから直接あの屋敷付近に渡ったのかと思ったけど、ワンクッションあったのか。
「で、一度妖怪世界に入った人間はしばらく他の妖怪にも目を付けられやすいんだよ。兄貴は九条家の持ち屋敷に居たんだろ? だからかそいつらの気配がぷんぷんする」
「えっ臭ってる? 家でお風呂きちんと入ったはずだけど……ってまさか今朝の寝汗のせい!?」
思わず自分の腕を嗅いでいると、陽向は「気配と臭いは別物だって」と苦笑を交えつつ怖いことを言った。
「妖怪の気配を纏った人間は妖怪から見ると目立つらしいから、人間を食べる手合いにとったらどうぞ捕食してくれって旗持って宣伝してるようなものなんだ」
「なっ!?」
「だからくれぐれもしばらくは遠回りして帰れよ。俺がいる時は別にいいけど」
絶句する僕に弟は怖がらせ過ぎたとでも思ったのか、宥めるように背を叩いてきた。
「こういう場所に近付かないようにしてれば、別に危険はないって」
「そうなんだ? でも、八巻さんと会えないと話が進まないし」
「いやアレはこっちの世界に一度出さえすれば、自由にそこらの道歩いてくるだろ」
「あーそっか」
「来ないならそれで全然いいし」
「こらこら、僕の英断に水を挿さないでよ」
「英断……ね」
「あ? ちょっと今鼻で嗤っただろ!」
「違う。兄貴はやっぱり俺がいないと駄目だなーと思って」
「ああ? それって頼りないって意味?」
「いい人過ぎるって意味。だから俺が風除けにならないとって。ま、頼りなくはないけど護りがいはあるよな」
「何だよそのお姫様扱い。いい人過ぎるって台詞も誉め言葉じゃないだろ」
ムッとする僕に対して、弟は素の表情だ。
これは、陽向に悪気はなくすべき指摘をしただけって感じか。
僕のための弟なりの諫言だ。
はあもう、ムカついた僕が心の狭い奴みたいじゃないか。
「兄貴、遅刻しないうちに行くか」
「そうだな。……取り乱して悪かったよ」
「何だそれ取り乱してたのか? てっきり俺の言葉に感動してたのかと。ははっ兄貴も大概読めないよな」
「え……」
本気か冗談か、うーん、軽口だろう。
陽向は気を悪くした風もなく平素の砕けた態度を崩さない。
そんな弟を見ていたら、不穏な話に感じていた緊張も解けていた。
ひとまず会話が一区切りしたところで、僕たちの横を通り過ぎようとしていた女子の一団がこちらに気付き「おはよう園田君」と近付いてきた。同じ学校の制服だし陽向の知り合いだとは思うけど、僕を見てもいる。
僕も園田君であるし無視して角が立つのもあれなので当たり障りのないよう挨拶を返す。
「おは…」
「はよはよ~!」
途中で遮るような形で陽向が僕の前に立った。
わざわざ僕を背中に追いやって女子たちに愛想良く笑いかける。
「んじゃ兄貴、俺この子たちと行くから今言ったことくれぐれも忘れるなよ?」
「へ? ああ、わかった、よ……」
僕の返事を待たず、陽向は女子たちを連れて楽しげな笑みを浮かべながら先に歩いて行ってしまった。
「あの中の誰かが彼女……じゃないよなあ。確か別の子だったはず。女の子と登校するのも飽きたんじゃなかったのかな。……いつか背中から刺されないと良いけど」
陽向は僕を心配してくれるけど、僕は僕で弟に心配の種がある。
嘆息する僕は助言?に従って帰り道のルートを思案しつつ歩き始める。
例のバス停横を通り過ぎたあたりだった。
――ゴボリ、ゴボリ……。
どこからか、いや背後から微かな水の音が聞こえた気がして、思わず振り返る。
けれどそこには人の列ができている朝のバス停があるだけだ。
「……気のせい、かな?」
首を傾げ、陽向の話で多少神経質になっているのかもしれないなんて自分に苦笑して、再び歩き出した。
ゴボリ、ゴボリ、ゴボリ……ゴボゴボ……。
――見ぃつけた。
それは隙間から漏れ出るようにもう一度微かな水音を立てた。