第二十九話 真実の告白6
内心微かに躊躇いを感じていると、陽向から二の腕を引かれた。
「兄貴駄目だ。今日の所は帰るぞ。方法は何となくわかった。妖怪関連の事件じゃその手の話もゴロゴロ転がってるしな。だから別の方法を追々考えるってことで、じゃあな」
「え、ちょっと陽向!? まだ何も聞いてないだろ」
後ろにぐいぐい引っ張られてよろけながらも付いて行くしかなかったけど、陽向とは反対の腕を千尋さんが掴んで引っ張ってくる。
「太陽様! わたくしに力を返して頂けるのですよね?」
必死な様子に僕は陽向を逆に引っ張って足を止めさせた。
「ああ、うん」
「兄貴! こんなエロ狐の言葉を聞くなよ! 後悔するぞ?」
「エロ……? 陽向、心配してくれるのはわかるけど、千尋さんは僕に危害を加えるような妖怪じゃないだろ。それはお前もわかったはずだ」
「そういうことを危惧してるんじゃねえよ俺はっ」
「ならどういうことだよ? ホント心配性だな陽向は~。まあ大丈夫だって」
弟はじっと僕を見据えたけど、はあと大きな溜息をついて手を離したかと思えば僕の胸を指で突いてきた。そうしながら口を尖らせる。
「言っとくけど今の兄貴じゃあ、泣くぞ?」
「あはは泣くって、小さい子じゃあるまいし、心配するなって。少しくらい痛くても我慢できるって」
こんなに親身になって気に掛けてくれる弟を持てて幸せだと嬉しくなって微笑むと、陽向は一頻り照れたみたいだけど、やっぱりどこかもどかしそうにする。
「ならそいつから方法を聞いてみるといい。その上で実行を決断するなら最高にムカつくけど止めない。それで元通りで縁が切れるし、据え膳食わぬはって言うしな」
「据え膳……?」
弟の口から出た予期せぬ単語に戸惑い急上昇ながらも僕は千尋さんへと向き直った。
何とな~く微妙な気分だったけど。
「それで千尋さん、返す方法っていうのは?」
少しずつ頬に不自然な強張りを増す僕とは反対に、千尋さんは柔らかく笑みを深めた。
「はい、わたくしと沢山口付けを交わして頂き、同衾もして頂ければよろしいのです」
口付け……?
同衾……?
ピシリと音を立てて全身が凍り付くのを感じた。
ハードル高っ……!
ガスなんかを例に取れば、炎は青い方が温度が高い。
青色の――群青色の炎を纏う九条千尋という女の子は、だから一層情熱的なのかもしれない。
そんな千尋さんの提示内容に、僕の脳みそはしばらく操業を停止していた。
案の定こうなったと言わんばかりに左右に首を振る陽向から、目の前に手をひらひら翳されてようやく現実世界を認識する。
「………………………………………はい?」
とは言え、第一声はとても効率の悪い疑問の声だった。
え、ええとーハハハハ耳カスでも溜まってたか~?
聞き間違いも甚だしいったらないだろ~。
僕の思考が回り出したのを察してか、千尋さんが喜々として話の続きを始めた。
「そういう営みの中で太陽様から戻して頂くのが一番負担がなく、尚且つ手っ取り早いのです」
「………………………………………ええと?」
僕はまた止まりそうになる思考を頑張って動かした。
どうしようちょっとある意味下ネタに聞こえるよ。
「先の口付けの際に試してみましたら、見事に一尾分を取り戻せましたし。おそらくは接触部位によるのだと思います」
「接触部位………………な、にを言って」
「ですから今夜にでも、わたくしをあなたのものにして下されば完全に戻るかと」
うふふふ、と妖艶に微笑む千尋さんがぐにゃりと霞む。
湯上がり以上に頭が熱いから、まさかの時間差上せ?
陽向に支えられて何とかへたり込まずに済んだけど、依然頭の中は思考がぐるぐるだ。
「大丈夫か兄貴? おいこらビッチ狐、純情な兄貴を言葉で弄ぶな」
「な……っ!? ビッチなどではありませんわ! 太陽様のために後生大事に操を取っておりますもの。初めては全て太陽様にもらって頂くつもりです。……それに今の言いようですと、言葉ではなければ太陽様を弄んでも宜しいのですね。勿論弄ぶなんて言い方をしましたけれど本気でお体の隅々まで堪能させて頂きます。うふふふ」
「そう言う意味で言ったんじゃねえよ! この脳天風穴女!」
折角通常モードに復活しかけていた僕だったけど、退行し、ついに石になった。
「おい兄貴? しっかりしろ兄貴! 傷は浅い!!」
「は、ははは大胆……」
要は千尋さんと事に及んでイチャイチャしまくれって意味だろ?
彼女いない歴が年齢のこの僕にそれをしろと?
ピンクな隣室を思い出して頭痛がしてきた。
まさか、千尋さんはこれを想定して用意をさせていた……?
「ふふっそのように緊張なさらないで下さい。慣れるまでは練習の口付けからでも構いません」
いやいや練習も何も僕にとったら全部崖っぷちの本番だよ。
憔悴すらしてきた僕の口は、懇願するように動いていた。
「……べ、別の方法でお願いします」
「んもう初な方。まあですが急ぎませんからご安心を。今すぐ同衾は無理でも、交際を続けていき最終的にわたくしたちが結婚してしまえば万事解決ですし、もしもの婚前交渉にも抵抗はございません」
「けけけ結婚!? こここ婚前交渉!?」
「わたくし散々食べさせられて昔は大好きでした油揚げは今では苦手ですけれど、太陽様ならいくら頂いても末長く美味しくいけますわ!」
「…………」
「馬鹿か? んな情報も意気込みも要らねえだろ。しかも油揚げ嫌いとかあんたお狐として終わってんな。もしかして小豆飯も嫌いとか言う口か?」
「そちらは好物です。いくらわたくしたち狐族の力になる食べ物でも、苦手な物は苦手なのです。というか、部外者は口を挟まないで下さいません?」
フンと鼻を鳴らした千尋さんは、ごくごく自然に僕の背にするりと腕を回すと懐にしな垂れかかってきた。弟の存在は完全無視だ。
「わっちょっと!?」
ふわりといい香りがするし、柔らかいし、モフモフの耳がめちゃ傍にあるし、浴衣一枚でそれを味わえば、何だか変な気分になりそうだよ!
「離れろドエロ狐」
陽向がもう何度目なのかまたもいきり立ち千尋さんを剥がそうとしたけど、彼女は僕に抱き付いているのを良いことに完全スルーで見上げてきた。
「太陽様はその……わたくしが、お気に召しませんか?」
う、たぶん再会初日を意識してはいないだろうけど、悩殺ものの上目遣いとその台詞は何か反則だって……。
「いや、そういうわけじゃないけど、男女の深い関係でってのは唐突に過ぎるって言うか、そういうのはもっとこう時間を掛けてお互いを知って気持ちを通じ合わせてするものだと思うし」
「ではある程度の時間が必要なだけで、わたくしをお気に召すということですね!」
「へ? あー……ええとー、大きく言えば?」
「それでは晴れてわたくしたちは正式に恋人同士ですね!」
「はい!?」
「もしもそう言う気持ちになられた時は、太陽様の衝動の赴くままに色々とすっ飛ばして頂いて全然構いません」
「ええ!?」
「不束者ですがどうぞ末永くよろしくお願い致します」
「あのちょっと千尋さん!?」
ちょっと鼻息の荒い千尋さんの狐耳と尻尾が忙しなく動いている。
思考のどこかではやっぱりこのもふもふ最高とか思いつつ、僕はこの上なく気が動転していた。
「ああくそ何やってんだよ兄貴! 言質を取られてんじゃねえ! 妖怪共は言霊を使う奴が多いから、問いかけに迂闊に返事をしちまって命を取られるケースもあるんだぞ!」
「そ、そうなのか?」
「んもうっ、今のどこに生命の危険があったのですか?」
もしもそれしか方法がなければ将来的には決断を迫られるのは確実で、だけど物事には順序がある。
そこは勿論僕にだって。
「じゃあさ、さすがに本当の恋人は飛躍し過ぎだから、イチャイチャは手繋ぎまでのお試しの恋人から始めるってのはどう?」
「はあ!? 何言ってるんだよ兄貴、ここはバッサリ切れよな!」
「そのお試し期間中に本当に僕が恋人でいいのかもう一度よく考えてみてほしい。そういうのって女の子にとってとても大事だと思うし。その件と並行して力を戻す他の方法も探ってみよう。それじゃあ駄目か?」
陽向は唖然としちゃったけど、千尋さんは驚いたのか意外そうにパチパチと瞬いた。
雑誌モデルの瞳の中に星型のライトを映し込むみたいに、彼女の瞳の中にも何かキラキラとした光が沢山散っていて、思わず目を惹かれてしまうそんな瞳で僕をうっとりとして見つめてきた。
でも今何か変なこと言ったっけ?
「うふふ太陽様は慎重な方なのですね。今一度など考えるまでもないのですけれど、いいですよ、お試し交際でも何でもお付き合い致します!」
腕をより深く回されぎゅ~っと抱きしめられて、これは果たして手繋ぎとどっちが上のイチャイチャなのかってやや混乱する思考で考えて、やっぱ手繋ぎの方がレベルは下だろうなんて結論が出る。
それプラス彼女の柔らかい胸が押し付けられて、まさかこの子はブラジャーをしてないのかって今更ながらに思い至ると耳から蒸気が出そうだった。
早く躱わさないとって思うのに、陽向と違って女の子の上手い躱わし方なんて知らない僕はもうどうしようもなく真っ赤になるほかない。
「ちっ千尋さんこれは手繋ぎ以上だから駄目だって! 頼むから離れて!」
何度かそう訴えたけど、難聴系お嬢様には都合よく聞こえなかったのか、きれいさっぱり流され続けた。
陽向も千尋さんを引き離しにかかってくれたけど、超強力な吸盤でも付いているのか彼女は剥がれない。
「人の恋路を邪魔するなら馬鬼の所に飛ばして差し上げますよ。どうぞどうぞあれの蹄にぺしゃんこに踏み潰されるのがよろしいのです!」
「兄貴に釣り合いたいなら、あんたみたいな淫乱狐は出家でもして煩悩を体ごと滅してから出直せよ」
陽向と千尋さんの攻防を間近にし、どんどん強くなる彼女の締めつけにも耐える。
嗚呼……僕の方の煩悩こそ一刻も早く滅却したい。
「や、八巻さん、あのその、助け……」
調子よくも助けを求めつつ、彼女は千尋さんの想いをバッサリ切れない僕にさぞかし腹を立てているかと思いきや、全然そんな素振りはなかった。
僕の必死の声に眼鏡をきらりとさせると、次のように堂々のたまう。
「男女交際に反対は反対ですが、千尋様がお力を取り戻す方法がそれしかないのならば、戻るまでは目を瞑りましょう。まあ頑張って下さい、色々と」
「そそそんな、えっ、ちょっと八巻さん!?」
嘘だろおい、一番千尋さんを説得できそうな相手から見放された……。
「お願いですからせめて今くらいはお情けをーーーーッッ!!」
静かな山中の妖怪屋敷の一角で、泣き言染みた僕の絶叫が上がった。
その後、陽向と千尋さんは僕を挟んで大岡裁きを見習えと言わんばかりの取り合いになり、とうとう見かねた八巻さんが大蛇姿になったおかげでようやく我に返ってくれた。
そんな二人は、浴衣だったがために際どい半裸にされていたある意味憐れを誘う僕の惨状を認識してさすがに口元を手で覆ったっけ、ハハ。
「――何か悪い!」
「――何かごめんなさい!」
と鼻血を流しながら二人共凄い勢いで謝ってきた。
反省はしてくれたようでまあ良かったけど、揃って鼻血ってどうなんだ……。
僕はボロボロにされた雑巾の気分でさめざめと内心泣きつつ、とりあえず他の方法で試すという方向で何とか八巻さんに話を付けてもらえた。幸いにも。
――実は私これでも人間界のスイーツには目がないといいますか……。
――わかりました! 高級ウコッケイの卵カステラとプリンなんてどうですか!?
――ひとまずそれで手を打ちましょう。
なんてやり取りが裏にはあったけどな。
管狐数匹に手伝ってもらって着崩れた浴衣を直しながら、向こうで陽向と並んで別の管狐たちから鼻血の手当てをされている千尋さんの横顔をぼんやり眺めた。
彼女のことは大事だ。
でも想像力の乏しい僕には、あんな綺麗な女の子が自分の恋人になるなんて正直微塵も想像できない。
好きだけど、その感情のベクトルの先がよくわからない。
それでも、一日でも一秒でも早く彼女のためにこの身の中の狐火を返したい。
無難なその方法を探す努力は惜しまない。
でももしもこの先、恋人同士のスキンシップ以外の方法が見つからなければ、その時は本当に……。
――ドクン、と心臓が一際強く、痺れるような鼓動を刻んだ。
頬が、いや全身が少し熱くなった気がする。
もしかしたら僕の中の狐火が早く戻せと訴えてきたのかもしれない。
ともかく、少なくとも残り七尾分の狐火を返すまで、僕の日常には九条千尋という妖怪の女の子の存在が濃厚に入り込むことになった。




