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あやかし狐姫は初恋を所望中  作者: まるめぐ
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第二十八話 真実の告白5

「おいこらあんたが兄貴の命の恩人なのは感謝するけどな、だからって矢鱈目っ鱈兄貴に触ってんじゃねえよこのあざと狐!」


 彼女への感謝の念を胸に和んでいると、陽向が繋がれた僕と千尋さんの手元にチョップを叩き込んできたせいで手を放してしまった。


「陽向、乱暴は感心しないな」


 声と目で窘めれば弟は不服そうに顔をしかめ、僕じゃなく千尋さんを睥睨(へいげい)した。


「おい、金輪際兄貴に触んな。色々と減るだろ」

「は? 僕が減るって何だよ。減らないよ」

「――減る」

「――減ります」


 この二人は僕に隠れてコントの練習でもしてたのかってくらいホント息ピッタリだよな。

 感心と呆れ半々でいると、ムッとして手を擦っていた千尋さんが意味あり気な目でこっちを見てきた。


「ですがわたくしが減らす分には全然構いませんわ! 太陽様がわたくしだけのものになるのなら、あざとさだって利用してやりますとも。誉め言葉をどうも!」

「けっ、マジで厄介な狐女だな! とっとと退散しろ!」

「あなたこそさっさと退散なさればよろしいのです。ここはわたくしの屋敷ですし」

「んだとっ」


 陽向は元より千尋さんも明らかに気が立っているとは、尻尾の毛が少し逆立ったのでわかった。川原でみたいにまた一触即発の雰囲気になりつつある。まあ一触即発って言ってもあの時は僕と八巻さんの到着前に既に何度か攻防があったんだろうけど。


「千尋様」


 二人をどう宥めようかと思案していると、天の助けか静観していた八巻さんが千尋さんの傍に跪いて頭を垂れた。


「それまで健康体でしたあなた様が急激にごっそり力を失われたのは何故なのか、今までずっと疑問でした。ですがやっと私にもお体の不調の原因とその事情が把握できました」

「――やっ、八巻っ」


 その台詞を聞くや何故か急に千尋さんが慌てたように声を荒げ、気まずそうにした。

 最早喧嘩するような雰囲気じゃない。


「……八巻さん、今のはどういう意味ですか?」


 僕は僕で聞き流せない内容に思考がすっと冷えていく。


「もしかして僕に妖怪の力を使ったせいで、千尋さんは病弱に?」

「八巻、それ以上は言わずとも良いのです。太陽様には関係のないわたくしの内々の事情です」


 関係なくないだろうに、ああ、本当に下手な突き放し方だな。

 思わず微苦笑が漏れる。

 十中八九、いやそれ以上に僕がその話題の中心にいるって言っているようなものだ。


「些細なことでも僕は僕に関わる真実をきちんと把握したい。病弱になった原因は僕なんだな、千尋さん……?」


 妖怪知識に通じている陽向は知っているのか急に傍観者に徹し何も言わない。

 僕から引かない構えを察したのか、千尋さんは困り切ったような面持ちになった。


「婉曲に言っても誤魔化しても意味がありませんし、ハッキリ言いますとその通りです。太陽様に力の大半を使い一尾となったために、わたくしは体調を崩したのです。過度なダイエットをして体重を短期間で無理やり落とすと良くないのと一緒です」

「そうだったのか……」

「あやかし界は弱肉強食です。故にお力が弱まった千尋様は他のあやかしたちの格好の標的になりますから、身を隠すため、そして静養のために山奥のこの旦那様の結界に護られた屋敷に籠らなければならなかったのです」


 すかさず補足を入れたのは再び控えるようにしていた八巻さんだ。


「つまり、僕のせいで千尋さんは不自由な生活を強いられたのか」

「はい。去年など冬を越せるかどうかも正直心配なくらいに衰弱もしましたし、いつ儚くなっていてもおかしくありませんでした」

「八巻ッ、そこまではバラす必要のないことでしょう! 太陽様も自分のせいみたいに仰らないで下さい!」


 そうは言われても無理だ。

 だって、死んでいたかもしれないって……?

 足の裏に確かに感じているはずの畳が急に無くなってどこかに落ちながら、腹に冷たい恐怖や慄きがスッと透過したみたいだった。


「太陽様、そこまで深刻ではありません! 八巻の言い方が大袈裟なのです。それにわたくしが太陽様を失いたくなくてしたことですし、力は時が少しずつ回復させてもくれるのです!」

「でも、君は五年経っても体が弱いままだ」

「そ、れは……っ、わ、わたくしの体質的に自己治癒が遅いからです!」

「苦しい言い訳にしか聞こえないよ。僕は君の嘘なんて要らない。君の本当の言葉しか欲しくない。千尋さん、いや、ちーちゃん」


 彼女はどうしようもないように両手をぎゅっと握りしめ、僕の顔を見ていたくないとでも言うようにプイッとそっぽを向いてしまった。


「そ、そんな風に乞われては……何だかズルいです」


 狐耳をパタンと閉じるように下げて、自らの尻尾を後ろから引っ張って抱き寄せて頬さえ染めている。

 そんないじらしいような姿、ズルいのはちーちゃんの方だと思う。

 僕は気持ちを口に出す代わりに腕を伸ばして彼女の頭にそっと手を置いた。

 ぴょこんと狐耳が立って、少し遅れておずおずと千尋さんの瑠璃の瞳が僕を向く。


「ズルくだってなるさ。素直なちーちゃんでいてくれるなら」


 彼女は揺れる瞳に観念染みた色を浮かべた。


「……ふふっ、昔から太陽様には敵いませんね。わかりました素直になります」


 千尋さんは二つの狐火のうちの一つを指差しする。


「わたくしにも妖力の自己回復は確かにできますけれど、それは相応に尻尾があってこそでして、今までは少々難しかったという点は否定しません。しかし本日、太陽様から一尾分の力を返して頂きましたので、この屋敷を出て生活しても支障のないレベルまで体力は回復致しました。寝込む心配もございません。ですから嘘でも強がりでもなく、もう御心配には及びません」


 確かに、言葉を裏付けるように千尋さんの具合は良さそうだった。

 今度の言葉は信じられる。安心した僕は不貞腐れたように休めの姿勢で立っている弟へと目を向けた。


「陽向、聞いてただろ。千尋さんは自らを犠牲にしてまで僕を救ってくれたんだ。これ以上責めないでやってくれ」


 陽向は呆れたのか怒ったのか、自身の感情を持て余すように髪を掻き上げたものの、感情的になるのを何とか堪えた様だった。

 千尋さんの破格の献身と尽力を知って、尚且つ彼女がまごうことなき僕の命の恩人でもあるという事実を前にして、今までのように露骨な敵意を浴びせるのは躊躇われたのかもしれない。眼差しからは幾分鋭さが抜けていた。


「死ななかったのは兄貴の運の良さが大きいけどな」

「でもそれだって、千尋さんが僕を生かしてくれなかったら試すことすらできなかったはずだ」

「ああハイハイわかったよ! その通りだよ。非常に不本意ではあるけど、狐女には感謝してるっつの。でもな元々こいつが兄貴に近付かなかったら兄貴が迷惑を被ることもなかったんだぜ」

「……」

「何だよ兄貴、急に黙って」

「あ、いや実は狐守旅館で最初に声を掛けたのは、僕の方なんだ。僕がちーちゃんと仲良くしたかったから半ば無理やり友達になってもらったんだし」

「はあああ!? 何やってんだよ!」


 さすがに僕の方から妖怪にちょっかいを掛けたとは思ってもなかったんだろう。

 陽向は憤ったような声を出し、何か僕に文句を言おうとでもしたのか口を開けたり閉じたりしていたけど、結局は言葉を咽元で止め感情の折り合いを付けるように荒い吐息を落とした。


「兄貴はホントマイペース!」


 最後にそんな台詞をぶつけてきたから思わず笑っちゃったよ。

 この件で少しは陽向の妖怪全般に対する敵意が薄れればいいと思う。まあすぐには無理だとしても、いつかは。


 畳の和室にふよふよと群青色の狐火が浮かぶ。


 そんな幽玄な様をどこか不思議な感覚で見つめながら、僕は千尋さんに訊ねた。


「あのさ、健康になったのは心から良かったけど、僕はいつどうやって千尋さんに力を返したんだ? もしかして君に触れてれば少しずつでも戻っていくとか?」


 すると千尋さんは小難しい顔をして首を否定に振った。


「いいえ、太陽様のお傍に寄ったり抱き付くだけでは、気分や体の調子はすごく良くはなりますけれど、力自体は戻らないようでした。力を注いだ時はすんなりできたのですが、おかしなものですね。もしかすると太陽様の生命維持のために力が深く浸透したと言いますか、入り込んだからかもしれません」

「ああ、なるほど。それで初めて太陽殿が屋敷に来られた際は、調子が良かったのですね」

「ええ。太陽様がお傍にいるのといないのとでは、雲泥の差でした」

「実際に一つ分の狐火を戻せたんなら、君に全部の力を戻すことも可能なんだよな?」

「はい、可能です。狐火を抜いてもお命に差し障る心配はございませんのでご安心下さい」


 そんな点まで思い至らなかったけど、それを踏まえて僕の心が晴れやかな歓喜に満ちる。


「――僕は狐火を全て君に返したい。改めて訊くけど、どうすればいいんだ?」


 命を助けてもらった恩はきっと一生かけても足りない。

 でもその前にきっちり返せるものは返しておきたい。


「昔約束した通り、僕は君の友人として僕のできる限りで君を護りたい。だからまずは僕の中の君の力をきちんと返すことからしたいと思う」

「太陽様……」

「今まで苦しい思いをさせてごめんな」


 大体、弟から何度も言われたからって、命の恩人を忘れていたなんて僕は薄情過ぎる男だよ。

 それはそれとして、暗示のことは彼女には黙っておくつもりだ。

 だってこれ以上陽向を悪く思ってほしくない。


「返す方法を教えてくれないか?」

「え、ええと……それは……」


 千尋さんが伏し目がちに視線を左右に彷徨わせる。


「あ、実はすごく難しいとか? まさか今日みたいに死にかけないと無理だったり? そういえば狐火が僕の表面に出てきた時、学校での一度目はとても苦しかったんだよな。僕を護るために無理やり出てきた感じだったのかも。だけどさっきの二回目は苦痛を感じなかったんだよ。何でだろう?」


 条件だったり制限がなければ表出に一貫性はなく、苦痛を感じたりそうでなかったりするのかもしれない。


「おそらくは、力の主のわたくしとの距離に関係するのだと思います。学校でも炎が現れたのですよね。きっとその時は世界の境界すら挟んだ遠くにわたくしがいたからです。先の水中ではその……わ、わたくしが触れておりましたし」


 変に恥じらわれるとこっちも照れる。


「唯一わかっている確実な方法も決して難しくはないのですけれど……ですがその……」


 そっと顔を上げた目の前の千尋さんは、何故か頬を赤らめて僕に流し目を送ってくる。

 怪訝に思ったけど、一歩彼女の方に踏み出し宣誓でもするように胸に手を当てる。


「難しくないなら今すぐにでも返すよ。できる……?」

「……っ、で、できます! それは猛烈に可能です。こちらの準備は万端ですし。けれどけれど太陽様はそれでよろしいのですか?」

「どうして? 僕に否やはないけど」

「本当の本当に?」

「ああ」

「男に二言はないのですよ?」

「へ? う、うん……?」


 何だか雲行きが怪しく思えるのは気のせい?

 ぎこちなくも頷いてしまったものの、どこか獲物を見つめる獣のように目を爛々とさせた千尋さんの様子に腰が引けそうになる。

 その一方で、自分が何かの罠に掛かった草食動物になった心地がした。

 たとえば兎とかの……ってまあ罠に掛かった経験はないけどな。


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