第二十六話 真実の告白3
「――何ここ!?」
と短く鋭く叫んだっきり僕は絶句してしまった。
そこでは管狐たちがわたわたと何かの準備の最中だったみたいだけど、僕たちに気付いて一斉にこっちを向くや、彼らの方こそギョッとして固まってしまった。
部屋の中央には見るからにふかふかの布団が一組だけ敷かれ、しかもその布団は尋常じゃなく手触りの良さそうな光沢を有していた。
シルクのカバーなのかもしれない。
しかも照明がピンクでやたらとムーディーだ。
「ああすみません部屋を間違えました。さてと、行きましょう」
「はあ……」
八巻さんが何事もなかった澄まし顔でスッと襖を閉じ、再び僕を先導する。
ええと、何だったんだ今の部屋は……。
問い掛けてはいけない気がする。
「こちらです」
そして程なくというかホントすぐ八巻さんが示したのは隣室だった。
隣りって……。
いや何も余計なことは考えるな。
今はこれから顔を合わせる千尋さんに、謝罪して誤解を解くことだけに心を砕け園田太陽。
胸中でしかと言い聞かせスリッパを脱いで八巻さんの後に続く。間取りはピンクかった隣室と同じなのか、三十畳はあるだろう広い畳の和室だった。
何となく畳の縁を踏まないよう気を付けて進む先、部屋の奥には、千尋さんが静かな面持ちで座布団の上に端座している。
彼女の方も着替えたのか、着物は別の物になっていた。
「少々トラブルがあり予定よりは遅れましたが、お連れ致しました」
八巻さんが一度こうべを垂れて畏まった。
「トラブル……?」
千尋さんが僕を心配そうに見つめてくる。
「ああいえ、彼には何事もございません。もう片方が上せたようです。大事はなさそうでしたので、少し休ませております」
「あら、姿がないと思ったら、そうだったのですか。……なら安心です」
一人上機嫌に頷いた千尋さんは妙に艶のある目で僕を見てきた。
な、何か背筋がぞくりとしたけど安心って陽向が無事そうでって意味だよな……?
戸惑い思わず立ち止まってしまった僕へと、八巻さんが目顔で奥へと促してくる。
彼女への更なる一歩を踏み出す前に、僕は息を深く吸って気持ちを整えた。
正直言えば、これから誠心誠意謝ろうってのに服装が温泉卓球の似合う浴衣なのはカッコが付かない。それに髪もまだ乾かしてないうちに出てきちゃったから、タオルを肩に掛けたままでもあるし。
まあでもこればかりはしょうがないか。
一応浴衣が乱れていないかなんて気にして襟元に手をやってちょっと整えた。
内心の緊張を極力表に出さないように努めながら、程良い距離まで近づいて徐に腰を落として正座した。もちろん千尋さんの正面に。
「八巻、お座布団を」
「あ、ごめん今はいらない」
じかに畳の上の方が気も引き締まるってものだ。僕が座布団を使わないから八巻さんも変に気を遣ったのか、座布団一枚ほどの間隔を開けて僕の横に正座する。背筋を綺麗に伸ばした様は凛としてカッコ良く、僕も倣って居住まいを正した。
さて、何から話せばいい?
謝罪? 温泉への感謝? それとも前置き的な何かから?
「温泉は如何でしたか?」
やや思案に視線を下げどう切り出すべきか決めあぐねていると、千尋さんの方から話しかけてきた。慌てて顔を上げると、彼女は傍から見ればたぶん温まってほっこりしている湯上がり姿の僕をじっと見つめ、狐耳をピコピコ動かし何かにうずうずしているように尻尾を右に左に揺らしている。ふさふさモフモフがゆ~らゆら。……可愛いなおい。
ああうん、わかってる。こんな時なのに馬鹿だろ僕は。
「とても良いお湯だったよ。温泉だけじゃなく浴衣とかまで貸してくれてどうもありがとう。あと制服の洗濯も」
だけどこんな風に気が弛んだおかげもあって、罪悪感に圧し掛かられて重くなっていた唇が思った程ぎこちなくならずに開けた。
「千尋さん、川原でも言ったけど僕は園田陽向じゃない。僕の本当の名前は、園田太陽って言うんだ。弟のフリをして偽って本当にごめんな!」
頭を下げ両手を畳についた。
俗に言う土下座だ。
「陽向には彼女がいるし、代わりに僕が君をフる役を引き受けたんだけど、最低なことをしたと思ってる。だから関係ない陽向は責めないでやってほしい。責任は僕一人にある」
近過ぎてピントの合わない畳の目を見つめひたすら訴える僕に、千尋さんは無言だった。
こんな野郎に責めの言葉を浴びせるだけ時間の無駄と思っているのかもしれない。
「千尋様、私が提案を持ちかけたのです。太陽殿は悪くありません」
自業自得だけど胸中に苦いものが広がる僕の耳に八巻さんのそんな言葉が入った。横目でチラリと窺えば、何と一緒に頭を下げてくれている。
「違う。引き受けて実行に移した僕が一番悪い。だから八巻さんのこともどうか怒らないでほしい」
「いいえ。私が悪いのです。これまでも千尋様に何度も申しましたが、私は心から人間との交際は反対なのです。ですので失恋するように仕向けました。そういうことなので今回の件は太陽殿に落ち度はございません」
「八巻さん……っ」
八巻さんは僕を害したいと言う程の人間への嫌悪はないんだろうけど、かと言ってそこまで好意もないのかもしれない。
なのに律儀にこうやって庇ってくれている。
両手は突いたままに上体を起こし、向かいの千尋さんをひたと見据えた。
「千尋さん、どうか本当に八巻さんのことも責めないでほしい」
言ってもう一度頭を下げる。
おそらくは訴える僕をじっと見つめたまま、千尋さんはまだ何も言わない。
失望、幻滅、憤り、悔しさ、そんなような感情が彼女の胸には去来しているんだろうか。
「本当にごめん」
「申し訳ございませんでした」
八巻さんももう一度頭を下げたみたいだ。
未だ千尋さんからは何の反応もない。
そのまましばらく室内は静けさに満ち、僕たちは顔を上げないままでいた。
僕はどれだけ詰られても構わないから、せめて陽向と八巻さんへの言質は欲しい。
あとしばらく、室内の沈黙は続いた。
厳しいかもしれないと薄ら諦念が浮かんだ時、前方から、はあ、と大きな溜息が聞こえてきた。
「……事情は理解致しました。全く、口を開けば二人共自分が自分が……と。正直妬けます。どちらも早く顔を上げて下さい。――もういいですから」
もういい。
突き放した言葉と、淡々とした口ぶり。
きっと侮蔑に染まる酷く冷めた目で僕を見ているんだろうと覚悟して上げた視界にはけれど、千尋さんのどこか困ったような面差しが入った。
予想外の表情に当惑し、彼女の次の言葉を待つしかできない。
「わたくしは誰を責めるつもりもありません。そもそも責めるいわれがありませんもの。元々わたくしの初恋はあなた――太陽様なのですから」
「…………はい~?」
「千尋様、一体それはどういう事情なのでしょうか?」
八巻さんも同様の疑問を感じたようで、広すぎて音が容易に拡散する和室内に怪訝な空気が広がった。
「それにしても、ひなた様は、本当は太陽という大層素敵なお名前だったのですね」
「あ、ああうん、ありがとう」
「こうして真のお名前を知ってみれば、名は体を表すと言いますように、確かにひなたよりも太陽という名の方がぴったりです」
感激するようにそう言った千尋さんは気付けば傍まで来ていて、キラキラした目で僕の両手を握り締めた。
「ええとその、お、怒ってないんだ?」
「どうしてです?」
「だって僕は君を騙してたんだし」
「騙していた、ですか。ですがわたくしの好きな方はあなたですので、全部が全部で騙されたわけではありません」
「えーとさ、僕が気に病まないよう気を遣って嘘を言わなくてもいいって。顔は同じでもやっぱり僕は陽向じゃないんだし」
「何故嘘をつく必要が?」
千尋さんは本心からキョトンとして問い返しているようだった。僕は大きくなる怪訝さに眉を寄せる。
「……本当に僕なのか?」
「はい。むしろ八巻が間違った方を連れて来なくて良かったのですよ」
どういうことだ?
「僕は千尋さんと会ったことないはずだけど?」
僕が知っている妖怪の女の子はちーちゃんだけだし。
百歩譲ってどこかで会っていたとしても、だったらどうして千尋さんは僕の事を「太陽」じゃなく「陽向」って呼んでたんだ?
「太陽様は本当に罪作りな方です」
「そう言われてもな……」
そういえば、僕は僕でちーちゃんに本当の名前を言いそびれたままだった。
寝込んでからは実在する子だって忘れていたし、結局一度も会えなかったから仕方がない。
きっとちーちゃんは僕の名前を勘違いしたままだろう。
今頃どうしてるかな。
「お名前はともかく、わたくしが太陽様を間違えるなど有り得ません」
「いや有り得ないって、凄い自信。でも僕たちホントにいつ会ったっけ? やっぱ陽向と顔が一緒だから勘違いしてるだけじゃないの? 君の口からだって最初から陽向って名しか出て来なかったし」
半信半疑の顔をしていると、手を離した千尋さんが半眼になって拗ねたようにぷうと頬を膨らませた。
「んもう、まだおわかりになりませんか? わたくしは太陽様をずっとずっとひなたという名だと思っていたのです」
「え、何で?」
「五年前、狐守旅館で初めてお会いした時に太陽様がそう名乗られたからです! お忘れですか?」
「え? 僕が? それに狐守旅館って君と陽向が出会った場所なんだろうけど、僕とも会ったっけ? いつ?」
この期に及んで気付かないのかと言わんばかりの怒り具合で、千尋さんは恨めしげに僕を睨む。
「でも、五年前のあの旅館での話なら、やっぱり僕は君には会ってないよ。ちーちゃんって子に会って、その時になら陽向って名乗ったけど」
「ふうん……ちーちゃん、ですか」
千尋さんがスッと両目を細めた。
「ところで、太陽様は以前この群青色の狐火をその例のちーちゃんから見せられた経験がおありですよね?」
唐突に、彼女の横にボッと音を立てて狐火が出現する。しかも二つ。
群青色のそれは確かに見覚えがあった。
「あ、うん確かにある。そうだよちーちゃんも群青色の狐火だったんだ。でもどうして千尋さんがそんな話を知ってるんだ? そう言えば二人って随分と共通点が多いけど、もしかして狐の妖怪同士知り合いだったり……?」
その可能性は大いにある。
ただ僕は自分の記憶と一連の現実から、引っ掛かりを覚えていた。
「まだわからないのですか?」
堪忍の限界とばかりに千尋さんが最高潮にぷりぷりした。
僕の直感が、一瞬でも頭に浮かんだ可能性をさっさと受け入れろと訴えたけど、この期に及んで僕はアホだった。
「え、えっと……何を……?」
刹那、くわっと目を見開いた千尋さんが自身の胸に手を当て僕へと目一杯身を乗り出した。
「――わたくしが、そのちーちゃんだってことをです!!」




