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あやかし狐姫は初恋を所望中  作者: まるめぐ
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第二十五話 真実の告白2

 八巻さんは明確な反対はせず、千尋さんの気持ちを尊重して道を繋げてくれた。

 道順としては、一旦妖怪世界の公道たるバケモノ道に出て、そこから屋敷へと更に私道を繋げるような感じらしい。


「血も流れましたし、もっと他のあやかしに人間の気配を嗅ぎ付けられる前に、早い所戻りますよ。先にバケモノ道に入って屋敷までの道を繋げておきますね」


 八巻さんは忠臣の鑑よろしく先にバケモノ道へと入っていった。

 落ち着いてバケモノ道への入口を見たのは実は初めてだ。これまでは急ぎ通るって感じだったし、通る度に目を瞑っていたからなあ。

 そんな異界への入口には厚みはなく、真横から見ても何もないようにしか見えない。正面から見ると空中にでっかい水溜りが浮かんでいるようで、向こうの川原の景色が波紋越しに見ているように揺らいでいる。

 内心酷く感心と言うか感激に近しいものを抱きつつ、妖怪と人間の世界の境界を前に、僕は我知らず唾を呑み込んでいた。

 自分の足でその中へと踏み込むのは新鮮さと僅かな慄きを感じる。


「わたくしも付いていますので安心なさって下さい」


 千尋さんは緊張する僕の手を何の躊躇(ためら)いもなく取った。

 屈託を感じてぎこちなく接するわけでもなく、至って不自然な硬さはなかったから、ついつい僕も「あ、ああうん」と従ってしまった。


「おい勝手に連れてこうとするな!」


 こっちはこっちで僕の決定に譲歩してくれたのか、陽向は行かせまいとはしなかったけど、もう片方の手を負けじと握ってくる。


「何故あなたまで? 招待した覚えはありません」

「兄貴を一人で妖怪屋敷に行かせられるかよ。何かされるの確定だろ」

「な、何ですって……!」

「こら陽向失礼だろ。折角善意から言ってくれたのに。だけど千尋さん、頼むよ。出来れば弟の手当てもしてやりたいんだ」


 何故か勝ち誇った顔をする陽向を睨んだ千尋さんは、けれど不承不承ながらも頷いてくれた。


「わかりました。ひなた様に免じましょう。ですがひなた様、その代わりし~っかりわたくしの手を握っていて下さいね。何なら抱き付いて下さっても構いませんわ」

「何がその代わりだ。馬鹿言ってんじゃねえこの欲求不満狐!」

「何ですって迷惑ブラコン!」

「ちょっと二人共……」


 またもや口喧嘩を始める二人に辟易していると、八巻さんが顔だけを覗かせて「いつまでもたもたしているのですか」と眼鏡の奥の冷めた眼差しで窘めてくれた。

 そんなこんなで三人仲良しこよしの手繋ぎで道を移動して、あの大きな和風屋敷に到着したわけだけど、僕たち兄弟は温泉旅館であるようなタオルと着替え一式を持たせられ、早々に屋敷の温泉に放り込まれた。

 広い脱衣所では千尋さんの命を受けたスレンダーな管狐(くだぎつね)たちがわらわら入って来て、あっと言う間に僕たちの服を引っぺがして洗濯に回したからってのもあって、温泉一択だった。 

 我が強い世話好きのおばちゃんたちを思わせる彼らの勢いには、さすがの陽向も呆気に取られ途中までされるがままだったけど、我に返ると「自分でやるっての!」と威嚇しながらも服を脱いでいたっけ。

 それと管狐たちはついでのように手際よく僕の額と陽向の腕に防水仕様の絆創膏(ばんそうこう)を貼ってくれた。もちろん陽向の方は大きいのを。


 二人それぞれ体を洗って沈んだ乳白色の湯船。


 温泉特有と言ってもいいその白く濁った湯に浸かると、緊張や疲労で凝り固まっていた全身が解れてくようだった。


「はあ~やっぱり温泉はいい~」


 どこか張っていた気持ちもだいぶ柔らかくなった。


「そうだな~、疲れが取れるなこの湯。何かの薬効成分でも入ってるのか?」


 何故か僕から離れた所で湯船に浸かっていた陽向が、気持ち良さそうに両腕を伸ばしている。

 良かった。たっぷりのお湯に浸かって少しは疲れが取れたのかもな。

 千尋さんの心遣いに感謝し、微笑ましく弟を眺めていると、


「――この濁り湯は、疲労回復効果は抜群ですよ」

「「――っ!?」」


 突如八巻さんの声がした。

 ギョッとして振り返れば、浴場に現れたってのにきっちりスーツ。え、暑くないの?


「び、びっくりした。どうしたんですか?」


 一瞬タオル一枚巻いただけかもなんて思ってしまった手前ちょっと残念でもあり、大部分はホッとしていた僕が手で動悸のしていた胸を押さえていると、足元だけは素足の彼女は手術前の外科医のように両手の指を立てわきわきと曲げ伸ばしした。

 え、何故に?


「お背中をお流ししましょう」

「いやいやいやいや何か怖いので大丈夫です!」

「怖い……とは?」


 つい声に出してたーっ!

 だって背後に立たれたら無表情な彼女からキュッと首を絞められそうで……。河童の胸倉を掴んでいた光景がまだ頭から離れない。

 それでなくても八巻さん程の美人に背中を洗われるなんてハードル高いって。

 色んな観点から言って冗談じゃない。


「いえいえいえいえ、ほら、おっ、弟がいますから! 昔はよく体洗いっこしましたし! な、陽向! 久々に背中流し合おうな!」


 だってなあ、これじゃおちおち湯船から上がれないって!

 一刻も早く八巻さんにこの場を立ち去って欲しい気持ちを胸に弟に振れば、弟は何だか凄く衝撃を受けたような顔をして真っ赤になっていた。


「あ、兄貴と……洗いっこ……?」

「えっと陽向? 大丈夫か? おいまさか上せたのか?」


 心配になって寄っていくと、更に動転したような表情になって両手をこっちに向けてきた。


「だ、大丈夫! ホントマジ普通! だから兄貴こっち来るなって!」

「いやもうその様子が普通じゃないから。全くもう無理するなよ」


 止めるのを無視してすぐ傍まで行けば、本当に大丈夫じゃなさそうに苦しそうな呼吸を繰り返した。


「ちょっとお前それヤバいんじゃないのか?」

「ヤバい……ああ、マジでヤバい……お湯も滴る、良い兄貴……」


 終いには何か変な創作ことわざを口にぶくぶくと湯の中に沈んだ。

 濁った湯の表面に辛うじてたゆたうように弟の金髪の毛先が揺れている。……何かイソギンチャクみたいだな。


「ふざけてるのか? どうせ覗き込もうとした所でザバーッて出て来てウッソーとか言うんだろ?」

「……」

「動きませんね」

「おい陽向、もういいって」

「…………」

「まだ、動きませんね」


 一緒に弟を覗き込む八巻さんともう少しだけ待ったものの反応はなく、僕の顔から血の気が引いた。


「は? え!? ちょっと陽向!? マジなのか!? そうなのかおい! しっかりしろ陽向あああーーーーっっ!」

「なるほど。毛先から滴る水滴がしっとりした肩に落ちて流れ落ち、意外と締まった胸板は湯気の効果で瑞々しく、温かさで自然と上気した面は恥じらいさえ見え隠れするようで、まさに神々しさの塊……と。そのように千尋様にご報告しておきましょう」

「いきなり何のことですかッ! 介抱するの手伝って下さいよ!」


 八巻さんは汗すら掻いていないのに眼鏡だけは真っ白に曇らせて、その奥の眼差しが全然見えない。

 そこをいちいち突っ込んでいる暇もなく、慌てて引き上げた陽向は完全にダウンしていた。息はしていたから良かったけど。

 この場は仕方がないと羞恥心を押し殺し湯船から上がろうとすれば、八巻さんは「少々お待ちを」と言い置いて一度浴場を出て行くと、すぐに戻ってきて大きめのタオルを差し出してくれた。


「あ、どうも……」

「千尋様に恨まれたくはないですからね」


 苦笑と共に有難く受け取った僕は素早く腰にそれを巻くと、弟の分はなかったから手元にあった小さなタオルで申し訳程度に局部を隠してやって、八巻さんに手伝ってもらって脱衣所まで運び出した。

 彼女には一旦脱衣所を出てもらって弟に浴衣を着せ、僕も着て、脱衣所に置かれていた団扇(うちわ)(あお)いでやっていると、管狐たちが再び現れて介抱を代わってくれた。八巻さんが手配してくれたらしい。

 寝かせておく部屋まで用意してくれたとかで、最後には陽向は管狐たちに担がれていった。


「はあ……人様の家に来て上せて倒れるとか、本当にすみません」


 用意されていたスリッパを突っ掛け板張りの廊下に出て弟を見送ってから、傍らに佇む八巻さんを振り返って頭を下げると、彼女は相変わらずスーツ姿のままで頬を上気すらさせずにいる。

 さすがは蛇の妖怪と言っていいんだろうか。

 でも蛇は変温動物だからちょっとくらい頬を赤らめたっていいような気もする。

 そんな八巻さんを一度は見てみた……いやいや不埒な思考はよそう。

 ごはんになるのは嫌だ。


「お気になさらず。少々刺激が強かったのでしょう」

「まさか妖怪に効く成分が入った温泉で、人間には効能が強めに出るとか……?」

「いいえ、人間界の濁り湯と何ら変わらない温泉です」

「あ、そうなんですか」


 じゃあ何の刺激だ?

 いまいちよくわからないまま首を傾げていると、


「こちらです」


 八巻さんが先導するように廊下を歩き出した。

 陽向が連れて行かれたのとは真逆の方向だ。


「千尋様がお待ちです」


 どこに行くのかと訊ねる前に答えを告げられてしまった。

 薄々はそうじゃないかと思っていたから驚きはしなかった。

 説明と謝罪をする機会を与えられてかえって良かった。

 誠意を持って相対そうと、僕はぎゅっと拳を握り締めた。


「こちらのお部屋です」


 そうして案内された先、八巻さんからそう言われて開けられた(ふすま)の奥は、何故か全体的にピンク色だった。


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