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あやかし狐姫は初恋を所望中  作者: まるめぐ
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第二十四話 真実の告白1

 河童の姿が見えなくなって幾ばくか。

 何故か怖いくらい静かな陽向と千尋さんにさすがの僕でも不審を覚えた頃、ようやく二人は起動スイッチでも押されたように動き出した。


「……あのエロ河童め、家に来てみろ、即刻滅してやる。それにはまず兄貴をいつでも見れるよう風呂場に隠しカメラを置くしかないよな。でもいいのかそれは? いやいいだろ兄貴のためだ兄貴のため。俺のためじゃない断じて断じて断じて」

「……ああどうするべきでしょうどうするべきなのでしょう、ひなた様の頬が(けが)されてしまいました。かくなる上は汚い部分を削いで新たにくっ付けてああでもそれでは痛い思いをさせてしまいますし、ででではわたくしがとことん上書きをしてしまくるほかありませんね。嘗めて吸ってそのままひなた様を奪うのもありですわよね、ねねねね?」


 不気味にブツブツと超早口で喋りながらこっちに一歩一歩近付いて来る二人に何となく後ずさっていると、二人の後ろで究極に氷の眼差しをした八巻さんが両手を振り上げたかと思えば、二人へ同時に脳天チョップをお見舞いした。


「や、八巻さん!?」


 ぎょっとする僕の足元で二人が(うずくま)ってプルプルと震えた。


「だ、大丈夫二人共?」


 でも明らかに様子がおかしかったからよかった。

 八巻さんグッジョブ!

 ついつい親指を立ててみせると、八巻さんも時々ノリが良いお人のようで同じように返してくれた。


「ああくそ、油断してたらこのエロ狐菌が移って変な思考になってたみたいだ」

「わたくしこそブラコン臭を吸い込んでしまったせいで思考が暴走してしまいました」

「はあ? 元凶はそっちだろ」

「ふん、わたくしは被害者です」


 今度はぎゃいのぎゃいのと鼻面を突き合わせた猛犬同士みたいに言い合いを始める二人へと、僕は仲裁に入れずおろおろとするしかない。

 八巻さん、もう一度グッジョブおねしゃす!

 ……で、希望叶って再びコントよろしくそれぞれの頭を押さえている二人は、涼しい顔をして手首の具合を確かめている八巻さんへと、涙目で少し恨めしそうな眼差しを送った。


「あのー八巻さん、弟の手当てもしたいので、そろそろ一度家に帰りたいんですが」


 僕の中では最早現場監督たる八巻さんにお伺いを立てれば、何故か呆れ目になったものの「そうですね、そうしましょう」と彼女は快く応じてくれた。


「あなたの額もきちんと消毒が必要ですしね」

「あはは僕のは大したことないですしご心配なく」

「全く、あなたはもう少しご自身を大切になさった方が宜しいですよ」

「心配ありがとうございます。別に雑に扱ってるつもりはないですよ」

「……そうですか。まあいいです。それでは道を繋げますよ」


 やっと帰れるって安堵した矢先、陽向が気色ばんだ。


「はあ!? 何で妖怪に頼るんだよ。俺がちゃんと一緒に連れ帰ってやるってのに」

「落ち着いて話が出来る状態じゃなかっただろ。疲れもあるだろうし」

「それは……ッ」


 自覚があったのか、面白くなさそうに陽向は文句を呑み込んだ。


「兄貴、帰る前に一つ訊いときたいんだけど、水中で何があったんだ? 狐火が膨れ上がったのはわかったけど、俺からは遠くて詳しく見えなかったんだよ。妖怪魚の撃退くらいは弱っててもできただろうが、狐女がこんな短時間で元気になってるってどういうことだ?」

「あ、やっぱりそうなんだ? 千尋さん顔色良いなって思ってたんだよ」

「……本当に何もなかったのか?」

「えっ」


 何もなかったわけじゃない。

 けどそれを口にするのは(はばか)られた。

 千尋さんの気持ちを考慮すれば、弟とは言え不用意に暴露できない。


「――わたくしたちがそれはもう濃厚に接吻(せっぷん)したからです」


 そんな気遣いは無用だったみたいだ。


 接吻したからです……接吻したから……接吻した……接吻……接吻接吻――……。


 頭の中で何度と台詞が繰り返し、少なくとも一度「接吻」がゲシュタルト崩壊した。


「キスしただあ!? 本当なのかよ兄貴!」

「え、あ、ああまあ……」

「まさか口にか?」

「当然でしょうに! ひなた様との愛の力っ、それによってあやかしとしての生命力が(みなぎ)ったのです。わたくしの力の一部を返してもらったからというのもありますけれど」


 力の一部……?


「どさくさ紛れの河童より最悪だなこの淫乱狐!」

「いやでもあれは人工呼吸みたいなものだったから! 落ち着けよ陽向!」

「これが落ち着いていられるかってんだよ! やっぱ災いの芽は早々に排除すべきだった」


 青筋を立てて千尋さんの方へと踏み出し、(すこぶ)る不穏な気配を纏わせる陽向に反応して、八巻さんが千尋さんの前に出る。


「退けよ蛇女。今はあんたに用はない」

「私は千尋様の護衛でもありますので要求には従えませんね」

「じゃああんたもここで一緒に片付けてやる」

「それで結構ですよ。できるなら」

「ハッ、上等」


 険呑な視線を交わし合う二人を中心にピリリと場の空気が張り詰める。


「駄目だ陽向」

「八巻退がりなさい」


 僕は慌てて弟を引き留め、千尋さんの方も八巻さんを止めてくれた。


「止めるな兄貴。手え放せよ」

「だーかーらっ駄目だって! 僕は彼女のおかげで助かったんだ。それに彼女のキスは同じなんだよ。五年前狐守旅館でお前がしたことと!」


 ここでその話題を持ち出されるとは思ってもいなかったのか、陽向は息を詰まらせた。


「陽向だって僕のためだった。違うか? 僕が死に掛けるような怖い思いをしたのを忘れて平穏に過ごせるようにって」

「……妖怪なんかと関わるのは良くないから、単に忘れてほしかっただけだ」

「まーたまた~最近はホント素直じゃないんだから~。お兄ちゃんは全てお見通しだぞ」


 確かに少しは陽向の独善はあったかもしれない。でも大部分は僕を想ってだ。

 肩を抱き寄せてにんまりしてやれば、可愛い可愛い我が弟くんはプイとそっぽを向いた。その頬は少しだけ赤い。

 そんな僕たちの向かいでは、


「出過ぎた真似を致しました」


 なんて頭を下げていた八巻さんが、ふと何かを考え込むような難しい顔をした。

 八巻さん……?

 陽向を宥めつつ僕はキョトンとしてしまう。


「千尋様、先程の発言の彼から力を返してもらったとは……それは一体どういう意味でしょう? それに、あなた様の想い人は園田陽向殿では?」


 八巻さんはきっとたぶん重要な問いかけをしているんだろうけど、事情を知る八巻さんがどうしてその問いをするのかがわからない。


「ええ、そうです。わたくしの好きな殿方はそこのひなた様です」


 千尋さんは僕たちを……いや僕を真っ直ぐうっとりした目で見つめてくる。

 そういえばまだ誤解を解いてなかった。

 だけど、僕が何かを言う前に千尋さんの方から疑問が呈された。


「ところで、ひなた様がその男をひなたと呼んでいるのはどうしてなのですか?」


 ついにこの時が来た。

 しかも向こうから核心に触れてきた。千尋さんもこの矛盾には気付いていたんだな。まあ「ひなた様」のはずの僕が、(はばか)りなく自分じゃない相手を「陽向」って呼んでたし、おかしいと思わない方がおかしいか。

 緊張に頬を硬くした僕は八巻さんと視線を交わし合い、頷き合った。頷いてくれたことからして八巻さんも正直に事情を話すべきだって思ったんだろう。

 機会を見計らって遅かれ早かれ話すつもりだったんだし、この場には本物の陽向がいるからちょうどいい。

 ここで真実を言おう。

 僕は改めて千尋さんの真正面に立って顎を少し引いての深呼吸。


「それは、――僕が園田陽向じゃないからだ」

「え? それはどういう……?」


 千尋さんは驚いたように綺麗な瑠璃色の目を真ん丸にした。


「言葉通りの意味だよ。僕は君を弟の陽向本人に代わってフるために、陽向のフリをしていたんだ」


 言葉もなく千尋さんは瞠目を続けている。

 きっと必死で衝撃的な僕の発言内容を理解しようと努めているんだろう。

 ここで八巻さんが僕の横に来て身を乗り出すようにする。


「千尋様、これは全て私の責任です。あなた様に人間への未練を断ち切って頂きたかった私が彼に話を持ちかけたのです」

「ちょっと待てよ。それを言うなら話を持って来られた時点で断った俺にだって責任はある。だから蛇女は兄貴の所に行ったんだし、兄貴は何も悪くねえよ。恨むなら俺だけにしとけ」


 陽向まで八巻さんとは反対隣りに来て僕の無実を訴えた。


「違う。二人がどう言おうと、決断して実行したのは紛れもないこの僕自身だ。責めるなら僕を責めてくれ。僕は君が陽向を想う気持ちを軽んじて踏み付けたも同然だ。軽はずみに最低なことをしてホントごめん」


 僕は真剣に訴え頭を下げるとその姿勢を保った。千尋さんは何も言わない。

 僕は(ひざまず)いて赦しを乞うべきなんだろう。

 いや、赦しを乞うなんて、彼女のきっと一番大事な心を弄ぶような真似をして、赦されるなんて思う僕は愚か者の極みだな。

 もしも陽向が八巻さんの頼みを受けて自分で断っていたなら、僕が彼女と知り合う機会もなかったし存在さえ知らないままだっただろう。

 けどこの先は顔さえ見たくないと、もう完全に一瞥もくれたくない程に嫌われるかもしれない。

 そう思えば、この状況がやるせなくてそれを招いた自分の軽率さが情けなくて罵りたくて、唇を引き結んだ。

 でも僕たちは本来なら接点を持つことすらなかったんだから、そうなってもゲームで言う正規のルートに戻るようなものだ。ただそれだけだ。

 ……心は別として。


「兄貴が気に病む必要はないって。狐女には俺が話つけとくし、だから今日はもう帰ろうぜ」

「でも、僕が責任を持ってきちんと説明しないと、失礼を重ねるだけだ……」

「兄貴、つべこべ言わなくていいから帰るぞ」


 陽向から半ば強制的に顔を上げさせられた僕は、途方に暮れたようなどうしようもないような顔でもしていたんだろう、陽向が強く腕を引いた。

 急激に落ち込んだ自身の気分を抱えるのに手一杯で、抗う気力もなく爪先を突っ掛けるように足を動かした。

 けれど、最後にせめてもう一度謝罪をと思えば、急くようにして千尋さんへと顔を向けていた。


「ごめんな千尋さん! 騙して本当にごめ…」

「――お帰りになるならその前に、一度屋敷にいらっしゃいませんか?」

「……はい?」


 千尋さんはわざわざ僕の言葉を遮ってそんな提案をくれた。

 一瞬、僕も陽向も八巻さんまでもが一様な意外感を孕ませた。


「濡れたままは良くありませんし、ご家族だって驚かれると思いますし、手当ても必要です。屋敷には実は温泉もございますし、夏とは言え濡れて風邪を引く時は引きますので油断は禁物です。お風邪を召されないよう一度温まっていって下さい。その間服も乾かせます」

「はあ? あんた何ふざけたこと言って…」

「――わかった」

「おい兄貴!」


 突っ撥ねようとする陽向を制し、どこか神妙な気分で千尋さんを見つめた。


「お言葉に甘えさせてもらおう、かな」


 だって悲しむでも怒るでもない彼女の凪いだ綺麗な眼差しに、彼女の方にもある種の覚悟のようなものが見てとれて、とても断るという選択肢は浮かばなかったから。


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