第二十一話 悶着
「いっ、生きてたのかお前!」
そいつは河童のくせにケロリとして辺りを見回した。
で、ホントお約束って感じだけど、喜びの声を上げた僕に気付いてこっちを向く。
つぶらな瞳がじっとこっちを見て……。
「ああああこんな時に何ほんわっちゃってるんだ僕は!」
「ほんわ? 何言ってるんだ兄貴?」
「ひなた様、あのような者のどこに魅力が?」
心底怪訝にする弟と何やら不穏なオーラを放つ千尋さん。八巻さんはしれっとしてるけど内心は呆れてると思う。
「こうなるのでしたら河童風情など放置しておけば良かったですっ」
ぷりぷりしてる千尋さんのこれはもしかしてヤキモチ?
僕が……陽向だと思っている相手が河童にときめいたと思ったのかも。
こうしてみると彼女も可愛い普通の女の子なんだよな。愛が暴走車みたいだなんて感じて悪かったかな。
僕が本当は陽向の双子の兄だって早く正直に告げないといけないのは承知だけど、今はまだ状況が落ち着いてないから無理だ。
そこは申し訳ないけど、後できちんと謝罪の時間を作るつもりではいる。
「でも河童が生きてたのにはビックリだよ」
「もしかしたら丸呑みされているのかもしれないと思いまして、胃の腑の外側を燃やしてみたのです」
「え」
燃やしてみたのです……燃やしてみたのです……燃やしてみた……燃やして……燃やし…………。
千尋さんからさらりと告げられた台詞が脳内でリフレイン。
いやいやいやさもそんな気軽にりんごの皮を剥きました的な言いようってどうなんだ?
だってあんなに大きかった妖怪魚が瞬時に昇天しちゃったよ?
かと言って今まで一体何人の人間を喰ってきたのかもわからない凶悪な妖怪魚にこっちも手を合わせる気分でもないけどさ。
それに何より僕もあの浄化とか鎮魂効果もありそうな炎に触れてたけど、全然熱くなかったから、まさか普通に何かを燃やせるとは思わなかった。
同じ狐火でも意思で自在に効果を変化させられるのかもしれない。
「うふふ、これでひなた様が悲しまれる必要はございません」
「ああうん、だよなー。ありがとう。ハハハハハ……」
もう笑うしかないよなこれ。
千尋さんって、何か……強い。
ぺたぺたとした足取りで川原の石の上に出てきた河童は、石焼き芋に使えそうな程に熱せらた周辺の石に足を下ろして、ジュッと音を立てた。
あー、火傷したなあれは。
けれども痛くないのか、そのまま何事もなかったかのように歩いて熱くない川原の石の上で立ち止まった。
まあ何にせよ、生きてて良かった。
お灸を据えられたようだし、千尋さんは妖怪の契約云々って言ってたし、これでこの先僕を狙わないでくれれば本当に何も言うことはない。
河童はさっきからずっと嬉しそうに目をキラキラさせて僕を見ている。
ど、どうしよう癒される……っ。
でも傍まで近付いて来ないのは、八巻さんが冷淡な目で睨みを利かせているからというよりは、威嚇するように口から群青色の息を吐き出す千尋さんと、明らかにメンチを切っている陽向が原因だと思う。
……僕でもちょっと怖気付くタッグだよ今のこの二人。
「血の契約をするまでは逃げられないとわかっていますね? 契約しなければ、お前はそこの男に殺されるでしょう。それでも良いというのなら、わたくしは止めはしませんけれど」
陽向への約束を実行しようと一歩千尋さんが踏み出せば、河童は悔しそうに地団駄を踏むけど、やっぱり近付いては来ない。自分の現状を理解しているのか逃げようともしなかった。
「全く、わたくしのひなた様に近付こうなど一兆年早いですわ」
陽向はそこまで慕われているらしい、宇宙誕生より前ときた。
すると河童が抗議するように声を上げ出した。
「ゲッゲッゲッ!」
「――の鬼太郎とか続けちゃいそうになるだろそれえええ! こらこらこらそりゃお宅妖怪だけど、その鳴き声反則だあああーっ! しかも可愛い見た目に反し過ぎてて癒し効果も半減だし」
「あんなのに癒しなんて求めるなよ」
思わず話の腰を折るようなツッコミを入れてしまえば、呆れたような陽向が僕の額に自分の額を付けた。千尋さんが「あっズルいです!」とか何とか叫んだ。
「陽向?」
「兄貴の癒しなら、気心知れた弟の俺で十分だろ」
「アハハ陽向がヤキモチなんて可愛いな。あ、いやごめんこの歳で可愛いなんてアレだよな。でも僕としては弟や妹はいつまでも可愛い存在だしぃ……」
慌てて取り繕ったけど、可愛いなんて言われたのに陽向は不満を浮かべるでもなく、反対に上機嫌に頬を緩めた。何だろう、最近じゃ見ないような無邪気な表情だけど。まあ気を悪くしなくて良かった。
「……あの河童、赦すまじ」
満足そうな陽向が額を離すと今度はすぐ傍から怨嗟の声が聞こえてきた。
見れば千尋さんが全身にメラメラと群青の炎を纏わせている。
「ち、千尋さん何で怒ってるの?」
「千尋様のこれもまた、ヤキモチです」
八巻さんの説明を肯定するように「ええ」と低い声で頷いた千尋さんが目を据わらせた。
「ですから、あの者にはすぐにでも魚の後を追って頂きましょう。契約などと生温いことを言っていた自分を燃やし尽くしたいです」
「えっ、いやっ、ちょっ、待って待って待って千尋さんっ、折角助けたのに無駄にする気!? あの河童のために手を汚さなくてもっ」
「必要悪です」
「いやいやいやいやどこら辺が!?」
彼女がまた群青の炎弾を飛ばす前にと、僕は急いで河童との直線上に割り込んだ。
泡を食って止めに掛かった僕へと千尋さんは怨じるような視線を送ってくる。
「ひなた様にはお可愛いらしく見えるのですよね、そこの河童が。可愛いだなどと、わたくしだって数えるほどしか言われたためしがありませんですのに……赦すまじ、赦すまじですわ!」
「心狭ッあいやええとその、き、君とは再会したばかりだろ。交わした会話だって少ないし、だからだよ。千尋さんだって方向性は違うだけでこの上なく可愛いから! 美少女過ぎて眼福だし、恐れ多いくらいに可愛いから! もふもふも癒されるしさ! だからそんなに拗ねないで、な?」
背筋に来る殺気のようなものが放出されて、僕は本能的に言い募っていた。
すると直後、スッとその不穏な空気が掻き消えた。
「……本当、ですか?」
千尋さんは殺気を引っ込め、綺麗な双眸に控えめというか不安の色を織り交ぜた。
「兄貴の言葉を疑うのか? 兄貴は基本世辞は言わねえよ」
陽向が不愉快そうにそう言えば、千尋さんは躊躇いがちに僕に体を寄せてきた。
もしかして体調が悪くなって支えを欲しているのかもと腕を添えれば、彼女はやや伏せた長いまつげを小さく震わせ、恍惚とした表情で僕を見上げてくる。どこまでも澄んで底の見えない湖みたいな瞳から目が離せなくなる。しかも上目遣いだし。
妖怪だろうと美少女のそれは、何かもう色々と試されるよな~ハハハ。
「このまま一生一時も放さないで下さいね?」
千尋さんは背伸びするようにしてわざわざ耳元で囁いた。
「え、えっと」
答えに窮した。僕はだって……。
と、急に彼女からしな垂れかかられて一瞬頭が真っ白になる。
「ち、千尋さん!? あのその皆もいるし、その、こういうのは……」
内心猛烈にドギマギする僕が本気で狼狽の極致に達しようという時、陽向が間に立って僕と千尋さんを引っぺがした。
「ハイハイここまでなー。隙を見せればすぐにこうだ。あんた西洋のサキュバス並みにエロ狐だよな。兄貴には俺がいるし、汚い欲塗れの狐女なんぞとはどうあったって釣り合わねえよ」
「ちょっ陽向、エロ狐だなんて失礼が過ぎるぞ。お兄ちゃんはお前をそんな酷い子に育てた覚えはな…」
「――痛ッ」
「千尋様っ」
弟を叱る僕の耳に千尋さんの小さな悲鳴が聞こえた。案じる八巻さんの声も。
えっ何?
視線を向ければ、彼女に当たったんだろう小石が他の川原の石に跳ね返ってどこかへと転がっていったのが見えた。
「投石?」
疑問声で呟く僕は飛んできただろう方向に首を巡らせる。
「河童が?」
当分は悪さをしないだろう……と思いきや、今度はターゲットを彼女に変えたのか?
え、でも能力の差は歴然なんじゃないの?
それなのに攻撃するとか自殺行為だろ。
「だ、大丈夫?」
「あ、はい。こんなもの怪我にも入りません」
気遣えば、余裕を見せ微笑む千尋さんは手の甲を摩っているから、きっとそこに当たったんだろう。河童はつぶらな瞳を三角にして尚も両手に川辺の石を握っている。何だか「口惜しや~」とか言いそうな顔付きだ。
そしてまた千尋さんに向けて投擲した。幸い外れたけど、次の石はもっと大きかった。命中すれば小さいながらも怪我を負うだろうと予想が付くくらいには。
剛腕投手かよって勢いで振り切られた緑の腕。指先から離れる石。
僕は咄嗟に千尋さんの前に出ていた。
「――いてッ!」
「ひなた様!」
勢いを殺そうと当たる瞬間一歩引いて顔を背けたけど、見事に額に当たった石ころは僕の皮膚を浅く裂いたようだった。触れた指先に血が付いた。
「やめろ!」
キッと睨み据え傷に構わず怒鳴れば、河童が怯んだ。
更には僕の額に滲む血に目を瞠ると放心したように手から石を落とし、何と全身が緑色から真っ青になった。
えええ?
河童ってそういう生体なの!?
カメレオンだよそれじゃ!!
しかも両目をめっちゃうるうるさせてるし。
まるで僕を傷付けてごめんなさいの態度だ。
ああそっか、やっぱり水中で河童は僕を庇ってくれたんだな。
「兄貴血が……!」
角度的に見えていなかった千尋さんが陽向の言葉に反応した。
「お怪我を!? ――お前っ赦さないわ!」
千尋さんは憤怒も露わに河童に直進しつつ掌を向ける。
このままだと確実に妖怪魚の二の舞だとハッとして慌てて追いかけた。
「待って千尋さん! 駄目だ!」
「いくらひなた様でもこれは聞けません!」
「僕は大丈夫だから! 河童も反省してるし!」
「嫌ですっ! 消し炭にしてやるっ!」
手を掴んで止めたけど、彼女はそれを無理に振り解こうとした。
「放して下さい!」
「駄目だ!」
「どうして止めるのですっ放してっ!」
「落ち着いてよ千尋さん、頼むから……!」
「よくもよくもよくもよくもひなた様をーーーーッ!」
「落ち着いてってば千尋さん、千尋さんっ、千尋――――ちーちゃん!」
引き寄せてこれ以上は向こうに行けないように、両腕で抱きしめた。




