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あやかし狐姫は初恋を所望中  作者: まるめぐ
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第十六話 ブラコン弟の苦悩

 自分と兄は、気付けばいつの頃からか普通の人には見えなかったり気付かなかったりするような「何か」を認識できていた。


 声が聞こえることもしばしばだった。


 何か、なんて勿体ぶったが言うまでもなく妖怪とか幽霊とかそう言った類のものだ。

 今じゃもう鼻で嗤って歯牙にもかけないが、自分は昔からそう色々と強かったわけじゃない。

 外に出れば常に得体の知れない視線を感じ、子供ながらに居心地が悪かった。

 ほんの幼い頃は、両親は「変なのがいて怖い」と訴え大泣きする自分をあやすのに忙しかったようだが、不思議と「そんなものはいない」とは一度も聞いた覚えはない。

 明確に両親に訊ねはしなかったが、もしかしたらそういう妖怪だの幽霊だのが見えるのは家系なのかもしれないと時々ふと考えた。


 それはともかくとして、昔から自分と違って兄はそういう何かを見ても平然として、しかも笑みさえ向けていた。

 ……何か強かった。

 傍から見れば何もない場所に話しかけさえしていた。

 ……本当に脱帽するくらいメンタルが強かった。


 どこかふわふわとしていて呑気に過ぎる性格故なのか、或いは単に警戒心の欠如なのか、それとも生来そちら側と相性がいいのかはよくわからない。


 だからなのか、同じ双子なのに兄は昔からそういう変なものによく魅入られていた。


 幼児期や小学校低学年までは、我が兄ながら天使のように可愛らしい少年だとずっと思ってきたし、だから兄が目を付けられるのは当然で、苦々しい反面そんな妖怪たちはお目が高い奴らだと心のどこかでは誇らしくも思っていた。

 ただ、見ているだけならまだ許せたのに、人間同様、妖怪でも幽霊でも気になる相手には近付きたいと思うのか、向こうからちょっかいを掛けてくるようになってくると、さすがに見過ごせなくなった。

 友達とで公園で遊んでいても、知らない間に得体の知れない存在が入り込んで一緒に遊んでいたり、悪い時には兄をどこかに連れて行こうとした。

 物心がついてそういう存在の危険さを理解すればするほど、自分は気の休まる時がなくなった。

 家族として妹のことも普通に可愛いが、そんな妹からでさえ出来た眼差しで「頑張れブラコン」と激励されるくらいに自分は兄が一番だった。

 大好きな兄を他の誰にも取られたくなかったし、泣き虫だった自分の頭をよく優しく撫でてくれた兄の一番は自分じゃなければ嫌だった。

 母親よりも父親よりも、唯一自分が心から安らげるその手を失うかもしれないと思えば、心底恐ろしかった。


 自分と同じ顔をした、自分じゃない自分の愛しい半身。


 ――園田太陽(たいよう)


 それが我が自慢の兄の名だ。


 万物を等しく明るく照らす源と同じ名だ。


 名前負けなんて全然していない。

 しかしどうすればその兄から妖怪なんてものを遠ざけられるのか小さい頃はわからなくて、塩を撒くくらいしか思いつかなかった。

 しかもそれは一時的な措置にしかならず、数日もすればまた兄の周辺をうろちょろする始末で、無力な自分に失望と苛立ちしか感じなかった。

 妖怪関連の本を読んだところで実際に遭遇して使えるような有用な知識は何ら得られず、焦りと万が一への仄かな恐怖に悶々とした日々を送っていた。

 あいつらさえいなければ……と焦げ付くような熱さで兄の平穏を望んだ。

 そんな折、幸運にも遠い親戚筋に(はら)い屋なんて変わった職業の人間がいると聞き、一も二もなく両親に懇願して会わせてもらった。


 それが家族で狐守旅館に行くことになる夏の、一年とちょっと前の話だ。


 以来その人を師と仰ぎ、定期的に教えを乞い知識を深め、その甲斐あって兄の周辺から妖怪たちを遠ざけるのに成功した。


 幸い兄を狙うのは決まって下位や低級のモノたち、つまりは雑魚で、故に未熟な自分でも撃退が可能だった。


 不思議と上位の妖怪たちは兄には興味を示さなかったようだ。


 魂が綺麗な人間を妖怪は位の上下にかかわらず好むと言うが、小さな瑕疵(かし)一つないような玉のように綺麗過ぎると、かえって寄り付かないと師匠から聞いたことがある。


 師匠が言うには、五百年か千年かに一人そんな清廉な魂の持ち主が現れるらしい。


 兄がまさにその稀なる持ち主だとは師匠の言だ。


 そうは言われても自分にはまだ魂云々の見極めはできないので、話を聞いた時はひたすら修練あるのみだと発奮したものだった。


 加えて、その手の魂の持ち主には近付いた妖怪の方が気付かずも魅了されてしまうらしい。そうしてその相手のために働くのだという。

 だから警戒心も強くて鼻も利く上位の妖怪は、逆に魅了されるのを恐れ近寄ってはこないのだ。君子危うきにはというやつだ。

 だから兄の元には上位のモノは姿を見せず、下位のモノばかりが集まったのだろう。

 だがまあ強い妖怪の方から避けてくれるなら好都合。下位の連中は自分が対処すれば万全と、愚かにも思ってしまった。

 自分は彼らのほんの一部を知っただけで、あたかも全部を知った気になって油断していたのだ。驕っていたと言い換えてもいい。

 だからきっと、狐守旅館であんなことが起こったのだ。

 それはずっと嫌いだった妖怪を憎むには十分で、しかし、それでも、まだマシだった。


 気を緩めていたあの頃の自分への憎悪よりは。


 当時は、殺したい程自分が赦せないと打ちひしがれた。


 でもそうしてしまえば兄を護る人間がいなくなり、妖怪たちの思う壺。

 自分を大切に思ってくれている兄だってとても悲しむだろうから、死んだりなんかしない。

 だから代わりに全力を尽くすと決めた。


 もっと鍛えて強くなって彼らに詳しくなって、そして兄を害する者は何であれ許容しない、と。


 兄の表面しか見ていない人間の女たちも同様に排除対象だ。

 勝手な恋心を抱く狐女も。

 そもそも五年前、狐女が兄と行動を共にしなければ、兄が変な妖怪の目を引き狙われる必然も起きなかったに違いない。

 百歩譲って五年前を不問に付しても、折角落ち着いていた五年という沈黙を破って再び兄に近付いたせいで、また同じことが起きたのは猛烈に腹立たしかったが。狐女に悪意がないだけに厄介極まって忌々しい。


 しかし狐女よりももっと赦せない妖怪は、やはりかつて兄を水に引き込んだ下手人だ。


 狐女が言うには今回の下手人もかつてと同じ奴らしい。何て偶然だと笑いそうにさえなった。

 五年前は他にすべきことがあって、そいつの正体を狐女に問い質せなかったし、自らで突き止めて成敗する時間もなく断念した。

 だからずっと決めていた。

 もしもいつかそいつに会ったら決して容赦しないと。


 そして今日やっと、念願だった正体を拝めた。


「――いい加減にしろ。邪魔するな狐女。半日粘ってようやくこいつを水から引き摺り出せたんだ」


 ザァザァと絶え間のない水音が上がっている。

 すぐ傍に滝があるのだからそこは文句を言っても仕方ないが、五月蠅いと感じてしまい神経を逆撫でするのだ。

 普段なら滝一つにそんな子供の癇癪(かんしゃく)のような苛立ちなんて感じなかった。


 しかし現在、この場の水に関する事象全てが忌々しかった。


 狐女の後に付いて、妖怪世界の川原に出たまではいい。


 そこから兄の行方を知るだろう元凶を探し、狐女がようやく滝に近い水中にそいつの姿を見つけた。


 正体はメジャーな妖怪の河童だった。


 五年前からこっち、水辺で人に悪さをする妖怪は……と考えてずっとそれだとほぼ確信はしていたが、実際まさにその通りだった。


 兄の消息を吐かせようと焦るあまり、さして深くない浅瀬で足を取られて派手に転び、水底の尖った岩でうっかり右腕を裂いてしまったのは痛恨の失態だ。


 痛みよりも苦々しさや羞恥の方が勝った。

 どうにか河童を水中から川原に追い詰めて、再び川に戻れないよう見張る意味で浅瀬に立つそんな自分へと、浅瀬に足首までを浸し、向かいで対峙するように立つ狐女が訴えかけてくる。


「もういいでしょう! 言い聞かせて済ませるだけで十分です。これ以上乾いたら本当に死んでしまいます。人間があやかしを手に掛けるなど、同胞からの報復を考えないのですか? あなたはひなた様のご兄弟ですし、ひなた様にまでとばっちりが行く可能性もある以上、看過できませんわ!」

「だったら同じ妖怪としてあんたが手を下せってんだよ」

「そこまでする必要はありません。わたくしからも脅しなり何なりかけましたし」


 狐女は河童に時折り手で掬った水を放ってやりながらそんな言葉を吐く。


「あんた、仮に兄貴の死体が目の前にあったとして、同じ台詞(こと)が吐けるか?」

「それは……ッ! ですがひなた様は八巻が助けてご無事のはずです。この者がそう言っていましたし、仮定の話は無意味でしょう」

「俺にはその妖怪の言葉はわからないし、あんたがそいつと組んで俺に嘘をついてる可能性もある」

「なっ……!」

「それこそ、あんたは正直だったとしてもその河童が嘘をついていたらどうする? 無事な兄貴の姿を見るまでは、真実だとここの誰も証明できないだろ」

「いいえご無事です!」


 狐女は確信的に瑠璃の瞳を見開いてハッキリと言い切った。


「どうしてそう言い切れる?」

「それはだってわたくしの…………」

「何だよ?」


 何か言えない事情があるのか言い淀み、ややあって首を左右に振る。


「いいえ、ともかく反省しているようですし、もう二度とひなた様には害を与えないと約束もさせました」

「この期の及んで笑えるくらい生温いこと言うんだな。所詮は好きだ何だと言っておいて、あんたも人間の扱いなんてそんなもんか。二度も兄貴を襲った奴を見逃すのか?」

「ですから、今度こそ反省させればそれでいいと言っているだけです!」

「はっ、それが甘いってんだよ」


 互いに一ミリの譲歩も成せず、イライラだけが募っていく。

 もうこうなったら九尾狐だろうと実力行使に出るしかないかと、決断をしようとしたそんな時だ。


「――陽向!」


 兄の声が耳朶を叩いた。


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