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あやかし狐姫は初恋を所望中  作者: まるめぐ
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第十一話 記憶の欠片

「ひなた様……?」


 大きな屋敷の中、九条千尋はハッと目を開けた。

 広い殺風景な畳の和室には一組の布団が敷かれ、そこが千尋の寝床だ。

 この五年、半ば万年床と呼んで差し支えのないくらい彼女はよく寝込んでいる。

 今日も一体自分はどれくらい眠っていたのか、いつもの如く疲労感だけがあり時間の感覚はなかった。

 廊下の方へと目を向ければ、薄い光が透かし模様の入った白い障子紙を透過しているので、薄暮か暁のどちらかの頃だろう。


「何でしょうこれ、この胸騒ぎ。ひなた様に何か……?」


 ドクドクドクと心臓が不快な程に胸を打つ。

 今すぐにでも陽向の安否を確かめたい衝動に駆られて、千尋は横になっていた布団から身を起こした。

 くらりと眩暈(めまい)がするものの、きつく両目を瞑って耐え忍ぶ。

 少しするとそれも落ち着いた。

 八巻は今この屋敷にはいない。

 陽向の護衛中だからだ。

 有能な彼女は信頼できる腕を持つので不安がる必要はない。

 ……ないのだが、何故だか無性に気持ちがざわざわした。

 ずっと繋がっていた細い糸が突然ふつりと途切れたような、そんな感覚だった。


「ひなた様に何事もなければいいのですけれど」


 心配になればおちおち寝ている気分でもなくなって、千尋は就寝時の白い単衣(ひとえ)から着替えておこうかとゆっくりと慎重に体に力を入れるのだった。


 八巻がいないので着付けのために下位の狐のあやかしである管狐(くだぎつね)たちを呼び手伝ってもらう。

 彼らは人の形を取れないが、二足歩行の出来る狐たちではある。

 古くから九条家が庇護し、同時に九条家に仕えてもくれている力弱き者たちだ。

 普段は屋敷の奥で雑事をこなしてくれている。

 陽向が来た日にも実は座敷の奥で色々と支度をしてくれていたのだが、胃袋を掴む美味なる料理もくっ付けた清潔な布団も綺麗に掃除した湯殿もその後の照明を駆使した雰囲気の演出も、結局は必要が無くなって「お役に立てず……」としょんぼりしていたのを、千尋はちょっと申し訳なく思っていた。

 その点も含め、いつか管狐たち(彼ら)の仕事ぶりを自分と共に是非とも陽向には体感してもらいたいと強く望む千尋だった。


 そうして無理を押して着替えを終えた頃、屋敷を囲む見えない結界が波紋のように震え、訪なう者の存在を知らせてくれた。

 その相手は幻術に惑わされず千尋の住まう屋敷に辿り着いた。

 これは極めて由々しき事態だった。

 相手が何者であれ、確実に強者と言える。

 緊張を走らせる千尋と管狐たちの予想通り程なく門扉が叩かれるのだが、それは無遠慮にも人の家の玄関を延々としつこくドンドンガンガンと泥の付いた靴裏で蹴り続けるような、非常に迷惑な客人でもあったのを、この時の千尋はまだ知らない。





 もう駄目だと思った。

 でも諦めて死ぬなんて受け入れられない。

 このままじゃ大きな心残りができる。


 ――僕は千尋さんと向き合わないといけない。


 それにこのままじゃ陽向にも悪い影響しか出ない。

 妖怪が心底嫌いだと言った陽向がもっともっと徹底的に彼らを憎むかもしれない。

 彼を好きだと言って憚らない可憐な妖怪の少女がそれを知ったらきっと傷付く。

 それは何か、悲しい……。

 僕は妖怪には無知だけど、陽向にはもっと広い心で妖怪たちを見てほしいって思うんだ。


 薄れていく意識の中、ざあざあと水の音が聞こえる。


 くぐもった水音じゃなくもっとはっきりと、まるで記憶の中を覗き見るような音が。


 ああきっと、僕の精神は死の狭間の苦痛を和らげるため、夢を見て――……。





「――すごく綺麗な沢」


 そこは緑に囲まれた小規模の滝。

 小規模って言っても大人の背丈以上はある。

 水は豊かだ。

 落下し地を打ち付ける水が長い年月をかけ育んだ滝壺。

 そこから流れ出る澄んだ綺麗な水が目の前で川を形成している。


 大自然の水と岩場が織りなす芸術が僕の目の前には広がっていた。


「連れて来てくれてありがとう! わあっ魚も沢山泳いでる。ここなら捕れるよ。魚を持って帰ったらきっと皆も驚くだろうな」


 はしゃぐ僕に目の前の誰かはころころと嬉しそうに笑った。

 でも顔がわからない。

 見えているはずなのに見えない。

 修正が掛かったようにわからない。


 着物を着た子って以外は何にも……。


 僕はそこで意気揚々と川に入って魚を捕まえるのに夢中になった。その子はそんな僕に協力してくれて、二人で魚を追いかけた。魚を捕るというよりいつしか水遊びの色が濃くなったのは、そもそも素人が素手で魚を捕まえようなんて無謀に過ぎたからだ。

 一匹の成果もないまま時間だけが経ち、最初は浅かった太陽が真上をやや下った辺りでようやく昼時を過ぎていたんだと気付いた。


「お腹も減ったしそろそろ戻ろうか」


 僕はやや離れた所で着物の裾をまくって膝下を流れに浸すその子に声を掛けようとした。

 夏の日射しの下でもう僕の半袖シャツに膝丈ズボンは半分乾いている。

 そんな僕の衣服は、けれど再び多量の水を吸う羽目になった。

 滝壺に近い川瀬に立っていた僕の背中を何者かが引っ張ったんだ。


「あ……?」


 何の用意もないまま背面から水中に沈まされ、息が詰まった。

 水面を目一杯掌で叩くと痛いのと一緒で、もろに背中を打った痛みに顔をしかめる。当然呼吸は出来ないし、驚きと苦しさでもうパニックだった。

 一体誰が僕を引っ張っているのか見当もつかない。泳ぎの得意な大魚にでも咥えられているんだろうか。

 懸命に手足をバタつかせて抵抗を試みるも効果はない。

 水深が深くなっていくから滝壺の方に寄って行っているに違いなかった。

 僕の背中の服をがっちりと掴んでいるモノ。


 辛うじて肩越しに垣間見たそれは――……。





 ――突如、ぐっと胃の腑を強烈な力で圧迫され、僕は気付けば吐いていた。


 多量の水を。


 口の中に残る水が逆流して気管に入るのをこれ以上は避けようと、仰向けに横たわっていた僕は苦しさから意識せずも体を横に向けて激しく噎せる。

 まだ窒息するんじゃないのかって生存本能が恐恐となるのは仕方がない。鼻の奥がツンと痛いし涙も鼻水も涎さえもゴチャ混ぜだ。

 どうやらいつの間にか陸地にいたらしく、滲む視界には無数の石ころが見えた。体が痛いと思っていたらまんま川原の石の上だった。

 周囲の色味からたぶん夕刻だろう。

 でもどうして?

 僕は滝壺に……じゃない、あれは夢だ。随分と鮮明ではあったけど。


 学校で得体の知れない妖怪に追い駆けられてそのまま捕まって……その後は記憶がない。


 三途の川じゃなさそうな現実の川原にいるから死んだわけではなさそうだ。

 いやそれともまさにここがリアル三途の川だったり……?

 自分の笑えない冗談に脱力したせいかしばらく続けて咳き込んで、陸上大会でゴールした直後みたいにすごく疲れた心地の僕は、まだ軽く咳き込みながらもゆるゆると視線を上げ、更には僅かに首も巡らした。


 頭上に影が差す。

 逆光になって細部はよく見えないけど、そのシルエットはどこかで見た覚えがあるものだった。しかもそこそこ最近。


 ――大蛇。


 見上げる大きさの黒い影は明らかにそれだった。

 僕の折角落ち着いた咽の奥がヒク付いた。


「……や……八巻、さん……?」


 心当たりとしては彼女しかいない。

 けど、彼女以外の大蛇だったら僕の今生アウト~。

 掠れ、ちょっといやかなりビクついた声で訊ねると、その大蛇の像は揺らぎ一瞬にしてしゅるりと縮んで黒髪眼鏡美人へと変貌を遂げた。

 八巻さんだった。良かった~……。


「ふう、棺桶に片足を突っ込んでいたようでしたから、少々荒療治をさせて頂きました。圧迫の際に肋骨がいってしまっていたら申し訳ありません。飲んだ水を吐かせるために少々無理を掛けましたので」

「あ、そうなんですか」


 そう言えば胃やその周辺がプロ級のパンチでも食らったように鈍く痛むのに気付いた。でも幸い骨や内臓がどうにかなっていたりするような痛みじゃなさそうで密かに安堵する。

 (おとこ)らしくギリリと拳を握り締める八巻さん。

 蛇だからてっきり締めつけたのかと思ったけど、殴打か。


「何しろ蛇のまま上から圧迫をしましたから」


 …………。


「……お、おかげで助かりました」


 何だか僕「がはっ」て血でも吐きそうだよ。

 あの重量級大蛇が乗っかったの? 僕の上に?

 内蔵破裂とかしないで生きてて良かったあああっ!

 震撼した僕は心の中で魂の底からそう叫んでいた。

 ハッそうだ、その前に溺死の危険もあったんだよ僕には!

 僕は我に返ると半身を起こし辺りを見回した。


「水からも八巻さんが助けてくれたんですよね?」


 蘇生してくれたってことはそうなんだろうけど、一応確認する。


「ええ、そうです。遅れてしまって申し訳ありません。自分のではない未熟で質の悪いバケモノ道を通るのに些か躊躇したせいです。まあ何とかそちらと同じ時間と場所に出てホッとしましたが、正直賭けでした」

「い、いや謝らないで下さいよ。僕の警戒不足です。ところで僕を襲った奴ってどこに……」


 賭けとか何とかちょっとドキッとしたけど、まあ結果オーライだよな。

 僕はびしょ濡れのまま立ち上がって、額に貼りつく邪魔な髪の毛を掻き上げながら首を回す。


 で、目が合った。


 傍の川の中から上半身だけを覗かせているあるモノと。


 唖然とした。


「え、あの、何かいますけど……」

「ええ、いますね」


 僕の指摘に八巻さんは冷静沈着そのもので軽く頷いてみせる。


「あれがあなたを引き摺り込んだ張本人です」


 張本人です……本人です……んです……です……。

 耳の奥でエコーが掛かった。

 その間は、無。

 間。

 沈黙。

 目が点。


「ほえええええっ!? じゃあ僕はアレに殺されそうになったんですか!? 本当にアレに!?」

「ええ、はい」


 そんな、まさか……。


 アレ、とは――河童(かっぱ)だ。


 河童(かっぱ)

 日本古来の妖怪の一種で、頭に水を張った皿を乗っけていて、キュウリ好きで、全体的に緑っぽくて泳ぎが得意だと言われている。今は可愛らしいグッズになっていたりもするメジャーな妖怪だ。


「本当に河童っていたんだ」


 妖狐や大蛇がいた時点でそれは可能性として十分だったけど。

 一説によれば人や馬を水底に引き摺り込んで殺すという恐ろしい妖怪でもある、河童。

 けどあそこにいるのさ、何か、何かっ……ぬいぐるみみたいに可愛くて純真そうなすっっっごくつぶらな瞳してますけどおっ!?

 でもあいつが僕を殺そうとしたんだよな。


 人は見た目によらないって言うけど、妖怪もそうなんだろうか。


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