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あやかし狐姫は初恋を所望中  作者: まるめぐ
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第一話 身代わり依頼

 群青、群青、群青、群青色の揺らぎ揺らめき。


 僕はその陽炎(かげろう)の中にたゆたうように身を投げ出している。

 炎のように熱いかと思うのに、体は冷たく鉛のように重く沈んでいく。

 だってここは水の中。息が続かず弛緩する手足。

 薄らと開けた視界に映るのは、映る……のは、やっぱり綺麗過ぎて怖いくらいの群青色と、そして……――女の子。





「あなたの双子の弟――陽向(ひなた)殿の代わりに我が主をフッて頂きたいのです」


 それは唐突な申し出で、僕は戸惑いも露わに目の前のオシャレ黒ぶち眼鏡の女性を見つめた。

 二十代と思しきパンツスーツの似合う美人だ。

 黒髪を後ろ一つにキュッとお団子にまとめ、細い柳眉も表情も凛々しく引き締まっていてカッコ良かった。

 美化委員会で遅くなった帰り道のバス通り、空はもう橙色を追いやってほとんど群青色だ。

 こういう時間帯は昔からあの世とこの世が繋がるとか異界への扉が云々とか、逢魔(おうま)が時なんて呼ばれている頃合いだ。

 偶然にも僕と彼女の他に人影はなく、やや逆光の中、微かに空に残った橙色に頬の輪郭と産毛を染めて、相手は再度ゆっくり紅唇(こうしん)を開く。

 薄ら怪談っぽい雰囲気を意識したせいか、彼女の眼鏡の奥で爛々と輝く双眸が、しっとりして見える舌先が、どこかホラー漫画の中の蛇女を彷彿とさせた。


「主の名は九条(くじょう)千尋(ちひろ)様。人間年齢で言うと十五歳の女性でもあります」

「九条、千尋?」


 僕には思い当たらない名前だから、やっぱり弟の知り合いなんだろう。

 十五歳なら僕たちと同級か一つ下、高一か中三だ。

 ……っていうか人間年齢って言い方。

 涼しくなる夕方とはいえ季節は夏真っ盛り。

 周囲は半袖なのに長袖のパンツスーツをきっちり着込んでいる眼前の女性は、汗一つすら掻いてない。

 人前での仕事中は極力汗を抑えるという明確な意志がなせる業だろうか。

 それにしたって常人にここまで涼しげな顔は出来ないと思う。


「こちらを不用意に出歩けない千尋様ですので、出向いてはっきりフッて頂けないかと陽向(ひなた)殿に伺ったところ、ご自分には関係ないと断固拒否されましたので、こちらも苦肉の策として……って聞いておられます?」


 一筋の後れ毛もなく後ろ一つに髪をひっつめた女性は、青白い額の下の細い眉を寄せた。けれど不健康そうには見えないのが不思議だった。

 何だか、本当に蛇女みたいだな。


「え? あ、はい聞いてます聞いてます。暑くないのかなと思いまして」

「私は雑魚とは違い周辺温度に上手く対応できておりますので暑さは感じません」

「あ、そうですか……」


 雑魚はともかく、意訳すれば暑さには滅法強いって意味?


「ですから、陽向(ひなた)殿と容姿が瓜二つのあなたに、代役を頼みに来たというわけです」

「そ、そうですか」


 とは返したものの、僕は(いぶか)しんだ。


「あの、身代わりまで立てなくても、陽向の返事を持ち帰ればいいんじゃ……?」

「残念ながら色恋沙汰は、本人からの言葉でなければならないのてす」

「え、じゃあ僕じゃやっぱり駄目なんじゃ……?」

「まあ遺伝子同じですし、大丈夫でしょう」

「いい加減!」

「千尋様と陽向殿は以前ご家族でお越し頂いた狐守(きつねもり)旅館でお会いしたそうです。因みに千尋様のご実家でもあります。あなたのご両親様とうちの旦那様方とは以来暑中見舞いや年賀状のやり取りもされているご様子ですよ。お中元やお歳暮などもやり取りをしておられますね」

「……へえ、そうなんですかー」


 親の交友関係は連絡が頻繁な相手以外はよくわからない。

 そして今はそこどうでもいい。

 狐守(きつねもり)旅館は僕も一緒に五年前の夏休みに泊まった所だけど、これと言った楽しい思い出もなかったから尚更どうでもいい。


 僕だけ高熱を出してずっと寝込んでたんだ。


 ちゃんと医者にも診てもらったけど、無理に連れ帰るよりここで安静にさせておいた方が良いだろうって医者の判断と旅館の厚意もあって、当初の二泊三日の予定から一週間程の延泊になったけれど、ずっとイ草の香りに満ちた畳の和室で寝込んでいた僕にはその時の記憶はあまりない。

 きっと陽向はその間にそこのお嬢様千尋さんと仲良くなったんだろう。


「さ、善は急げですし、ご同行をお願い致します」

「えっちょっ」


 抵抗する間もなく女性の白い手が伸びてきて僕の手を掴んだ。

 想像以上にひんやりとした体温に身を竦めそうになったのと同時に、足元がぐらりと揺らいだ気がして咄嗟に目を瞑ってしまう。

 うわ、眩暈(めまい)

 掴まれた冷たい手の感触だけが自分が今正常に感じ取れる感覚だった。

 放さないように指先を握ると相手の少し笑うような吐息が聞こえた。

 耐えるように身を固くして、三半規管が落ち着くのを待つ。


 十秒か一分か、果たしてどのくらい経っただろうか。


 頬を撫でる涼風と鼻先を擽る深い緑の匂いに疑問が湧き、そろりと瞼を持ち上げた。


「…………え?」


 さっきまでいた通学路のバス通り一切が消えていた。

 いや、消えたというより全く違う場所にいると言った方が正しい。

 おそらくはどこかの森の中。

 一体僕の身に何が起きたのか皆目わからない。


「……夢?」


 呆然と立ち尽くし目に映る木々を眺めていると、


「人間として当然至極の反応ですが、正気に戻って下さい。ご説明は追々致しますので」


 ハッとして振り返れば先程の眼鏡の女性の姿があった。

 追々じゃなく今説明してほしいと思いつつ、彼女の背後に目をやって今度は仰天する。


 今度は何と、こんな鬱蒼とした山奥にあるのが不釣り合いな純和風の大きな豪邸があった。


 いやむしろ山奥だから悠々自適にこの規模なのかもしれない。

 立派な両開きの木製の門扉は、復元されたお城とかでしか見た事のない重厚さで、高く敷地を囲む漆喰の白塀は、どこまであるのか遠くの曲がり角が生い茂る緑の中に埋没している。


 一体全体どこのセレブのお宅なのか。

 何だか嫌な予感がしてきた。


 まさか……。


「も、もしかして例のフる相手ってこのすんごい家に住んでるんですか?」

「察しがいいですね」


 マジかー……正直緊張しかなくて今すぐ帰りたい。


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