98.子に過ぎたる宝なし
実家を飛び出し、上京して一人暮らしを始めた頃はその解放感に心躍らされたのを今でも覚えてる。飯食え風呂入れ勉強しろと、うるさく言ってくる人がいなくなって、家族に気を使う事も無くなったからだ。
しばらくすると、毎日当たり前の様に親がやってくれていた家事や洗濯、そして料理の有り難みが身に染みて来たのも覚えてる。
久々に実家で過ごす安心感で、一週間も居座ってしまったのは、自由と引き換えに毎日コンビニ弁当や外食で過ごす日々を送っていた反動でもあった。
懐かしい匂い、懐かしい景色、懐かしい母親の手料理。違うのは、騒がしくて放って置けないブレイバー達の存在のみ。
ある日の夜、俺が自室に行くと、明月朱里が缶ビールを片手に俺の机に座ってスマートフォンを操作していた。
「今日はお前か……」
「超絶美少女で天才のわしに何か不満でもあるのか?」
「事実だとしても、自惚れるなよ」
「うっさい」
そう言いながら、俺は本棚から適当な漫画本を手に取って、ベッドに寝そべった。
俺の勉強机で、酒臭い女がスマホで何やら入力している後ろ姿を見て、俺は問う。
「何してるんだ?」
「知人と連絡」
「知人? お前が?」
「もうこっちに来て何年経つと思ってる。知人や友人の一人や二人くらいいる」
朱里は缶ビールをぐびぐびと飲んで、続けて言ってきた。
「それより琢磨、いつまでここにいるつもりだ?」
「いつまでって言われても……」
「追手も来ておらんし、別に永住するのも悪くは無い。だけどな、いつまでもこの平穏が続くなんて思うなよ」
「そんな事……思っちゃいないさ」
そう、本来存在してはいけないはずのブレイバーがいる限り、この世界が真の平和になったと言えない。異物は消えなければ、いつまでも現実世界の毒なのだ。
だからと言って、はいそうですかって消える訳にもいかないだろう。俺の中で、何か良からぬ事が起きる予感が拭えないでいる。それはサイカも同じだと言っていた。
「サイカがこの世界を繰り返す存在となった理由を考えた事はあるか?」
と、唐突に朱里が聞いてきた。
「理由? 現実世界の戦争を防いで、俺に会う為……じゃないのか?」
「それはサイカの理由」
「言ってる意味がよくわからないな」
すると、朱里はスマホを机に置いて、座っていた椅子を回転させながら俺の方を向いてきた。
俺がプレゼントした白衣の下に、怠惰という文字がプリントされたティーシャツ。片手に持ってる缶ビールさえ無ければ、本当に子供みたいな体格だ。
そんな朱里は素足で胡座をかきながら、説明した。
「サイカは本来、次元渡りや世界の繰り返しなどという能力を持っていたかという話だ」
「それは管理者に与えられた力じゃないのか?」
「ならば琢磨も同じ事ができるということになる」
できるのか?
(我の力を持ってしても不可能。いや、我々管理者と呼ばれる存在の、いかなる権限を持ってしても、幾多に介入し、改変を行うなど、本来あってはならない事だね)
じゃあサイカは何なんだ?
ん、ちょっと待て、今、我々って言ったか?
(我はあくまで一部の次元を任されていた存在に過ぎないよ)
頭が痛くなってきた。
「じゃあ何か、もっと大きな存在によって、今のサイカがいるって事?」
「そう考えておくべきだな。サイカはもしかしたら、もっと重要な事を隠してる可能性がある」
「この期に及んで、サイカが俺に隠し事をしてるって?」
「あくまで可能性の話だ。管理者でも予測不能なサイカという不確定要素を前に、証拠がある訳でもない」
手に持った漫画本をそっちのけで考え込む俺に、朱里はさり気なく歩み寄って来て、俺の横に寝そべりながら続けて行った。
「レクスとの戦いで見せた、あの神にも等しい姿。果たして、バーチャルの存在を超越してしまったサイカは、ブレイバーは疎か、琢磨が創造したサイカかどうかも怪しい。同時に、わしらの戦いの真実に最も近しい存在なのかもしれん……」
そんな事を肌と肌が触れ合う距離で、ねっとりとした口調で語る朱里は、酒臭かった。
「臭いから離れろ」
と、俺が朱里を見ると、彼女は既に眠りに入っていた。
その夜は、サイカの事を考えて悶々としてしまい、眠る事なんて出来なかった。
翌日。
まだ千枝や朱里が寝てる早朝。近所の空き地で、一週間続いていたアヤノの朝稽古が行われていた。
俺とワタアメに見守られる中、サイカとオリガミによる猛攻がアヤノを襲う。
一週間戦い続けたアヤノは、相手二人の行動パターンを覚えて来てる様で、避けるのが上手くなっていた。
手加減してくれてるとはいえ、あのサイカの攻撃を寸前で見極めて、オリガミの不意打ちを予測して回避している。
それでも攻撃の手数の多さに反撃する隙が無く、アヤノは避けるのに精一杯だった。
オリガミの手裏剣を短剣で弾いて、背後からのサイカの攻撃を避けながら蹴り返す。サイカの腹部に当たった様に見えたが、夢世界スキル《空蝉》により幻影回避されてしまった。
今度はオリガミの刀が迫り、アヤノはそれを短剣で受け止める。
その反応速度にオリガミが少し驚いた表情を見せたと思えば、彼女の後ろからサイカが飛び出して来た。
アヤノは風の様に身を翻してサイカの背後に回り込むが、サイカも超反応で切り返し、薙ぎ払いをしてきた。
アヤノも負けじと体を反らして避けながら、短剣を振るう。
輝くクリスタルタガーの鋒は、サイカの腕を掠った。が、オリガミに背中を取られ、アヤノは地面に押し倒され、身動きが取れない様に取り押さえられてしまった。
それでも対抗しようとするアヤノの顔の横の地面に、刀を刺して威嚇するオリガミ。
「……ギブアップです」
と、アヤノは降参の意思を口にした。
オリガミはアヤノを解放する。
またもアヤノの負け……と思われたが、よく見てみると、サイカの腕に浅い斬り傷がしっかりと付いていた。
「アヤノの勝ちじゃな」
ワタアメにそう言われて、途端に嬉しそうな笑顔を見せるアヤノ。
「やった! やったぁ! やりましたよ先輩!」
かなり集中していた反動で、まだ身体の震えが止まらない中、喜びを全身で表現して俺の方にピースサインを向けてくるアヤノは、ここ最近で一番の笑顔を見せてくれた。
サイカは傷口を手で触って、指に付いた自身の血の色を確認した。それは赤では無く紫色で、サイカは眉をひそめた。
オリガミがそれに気付き、
「サイカ?」
と、声を掛ける。
「いや、なんでもない。私の不覚だった」
そう返事をする頃には、サイカの傷口は塞がっていた。
この日の朝、俺のスマホに電話が掛かって来た。
表示された名前は下村レイ。BCUからコンタクトがあるのは一ヶ月振りになる。俺は朝食を食べている皆を他所に、自室に戻って電話に出る。
「もしもし」
『どうも。久しぶりだね』
「挨拶はいいよ。何かあった? 連絡役は園田さんじゃなかったのか?」
『その様子だと、まだ追手も無いようだね。調査部長は少し厄介な事件調査で忙しくて、私が代理だ』
「厄介な事件?」
『そうだね。まずはそこから説明しよう』
そう言って、下村レイは淡々と今起きている事の説明を始めた。
『まず、大蛇との戦い以降、ブレイバーの目撃情報があったという話は覚えてる?』
「覚えてるよ。でもあれは――」
『ブレイバーだった』
「は?」
『しかも一人とか二人とか、生半可な数じゃ無い。首都圏を中心に、複数のブレイバー出現が起きてる』
「ちょっと待ってくれ! 吾妻が召喚したブレイバーがまだいたって事か?」
『いや、そうとは言い切れない状況でね。目撃現場に証拠も無く、君や吾妻がやっていた召喚とはまた別の形で、ブレイバーが現界している可能性が高い』
「他にも召喚能力を持った奴がいるとでも?」
『それぐらい分かりやすければいいんだけどね。今回の場合、どうやら召喚しているのは複数人。一部の人間が、とあるアプリゲームの遊びでブレイバーを使っていると推測するに至っている』
「ゲーム?」
『詳細はまだ分かっていないけど、ゲームの名前はプロジェクトゼノビア。オーグメンテッドリアリティ技術を応用した最新の対戦型ゲーム……との噂で、ブレイバー同士を戦わせて他のプレイヤーと対戦する内容らしい』
「そんなゲーム聞いた事がない」
『だろうね。一部の選ばれた者にしか、それはダウンロードできないらしい』
「そのゲームの開発元は? 運営会社はあるのか?」
『それが分かれば苦労していない。私のゼニガタマルもネット上の情報を掻き集めてるところでね。アプリ提供元は存在しないと言っているし、そのゲームを利用していたと思われる人物は尽く精神を病んで廃人になっていて、確かな証言も得られてない。噂だけ独り歩きで、本当にそんなゲームが存在しているのかどうかも怪しいね。つまり、調査部が苦戦しているのはソレになる』
「そんな事って……」
有り得るのか?
(切っ掛けさえあれば、あるいは……)
冗談だろ。まだブレイバーの戦争をしようってのか。
『とにかくこれ以上の事は分かっていないよ。この事は……何か証拠を掴んだら連絡する』
「頼んだ。ミーティア達は元気にしてる?」
『変わりない。むしろバグ出現が無くなって、出動する様な事件も無くて、退屈しているね』
「良かった」
『……それと、本題はここから』
「まだ何かあるのか?」
『こっちは良い知らせ。えっと、前に頼まれていたカレーのレシピを手に入れたから送るよ』
「え……それって……」
『増田雄也くんのレシピ。欲しがってたよね』
本題がソレってどうなんだと思いながらも、俺はカレーレシピの情報を受け取った。
『あともう一つ。ブレイバークロードからの伝言』
「ん?」
『サイカの胸を見ろ……との事だ』
「はぁ?」
『意味までは聞いていない。確かに伝えたからな。それじゃ』
それだけ言い残し、下村レイとの通話は終わった。クロードの意味不明な伝言は、気にしないで置いた方がいいのだろうか。
とにかく俺はすぐに『プロジェクトゼノビア』というゲームを、スマホでインターネット検索して探した。
公式サイトがある訳でも無く、広告や宣伝も無し。アプリ提供サイトで検索してもヒットしなかった。
でも、SNS上では確かに出てくる。まとめサイトも作られてる程ではあった。
【プロジェクトゼノビアってゲーム知ってる?】
【知らん】
【キャットプロジェクトなら知ってる】
【なんか命を賭けた対戦ゲームらしいよ】
【はいはい嘘乙】
【ソースはよ】
【今検索してみたけどそんなゲームねーからw】
【そのゲームやってるって言ってた奴、頭おかしくなって入院しちゃってさ】
【なにそれやばwww】
【それただのゲーム廃人になったってだけちゃうん?】
【ゲーム障害ってやつじゃね】
【中毒以外でそんな事は有り得ないのは科学的に証明されてまーすはい論破ーw】
【だよなーでもそんな奴には見えなかった】
【人は見かけによらずって言うだろ】
そんなやり取りが、インターネット上であった形跡が確認できた。
やはり気になるのはゲーム名に含まれる『ゼノビア』という名前。異世界に存在していたという伝説のブレイバーの名が出ている以上、気にするなと言う方が無理になる。
でもあれだけ世間を騒がせたブレイバーが関わっているのであれば、こんなに情報が少ないなんて事は有り得るのだろうか。情報操作されてると考えるべきか、それとももっと別の何かがあるのか。
プロジェクトゼノビア……ふざけた名前付けやがって、いったい何なんだ。今更になって、もっとレクスや吾妻から情報を聞き出そうとしなかった自分に後悔した。
その後、俺はブレイバー達がいる和室へと戻り、サイカとオリガミに頼んで千枝を連れて散歩に出かけて貰った。
これから始まるのは、サプライズカレー大作戦。
母とアヤノを連れて近所のスーパーへ足りない材料を買いに行く。
レシピによれば、牛肉、男爵じゃがいも、人参、玉ねぎ、林檎、異なるメーカーで中辛と辛口のカレールーを二種と、ブイヨンベースト、隠し味のブラック珈琲。家に人参と玉ねぎはあるとの事だったけど、サイカの事も考えて余分に購入する事とした。アヤノが福神漬けを買おうと言ってきたのも、ナイス判断だったかもしれない。
帰りに大鍋も購入して家に戻り、台所で早速調理に取り掛かる。
調理の主役は俺とアヤノで、レシピ通りに作っていく。
まず具材は超細切れにする具材と、大きく一口サイズに切る具材の二種類に分け、林檎はすりおろす。
次に鍋でバターを溶かし大きさが二種類ある牛肉、じゃがいも、人参、玉ねぎをそれぞれ同時に炒める。
炒めてる段階で、良い匂いがしてきた。
大きく切った具材に火が通って来たのを確認したら、水を入れ、沸騰させて、灰汁を取る。それからブイヨンペーストとすりおろし林檎、そしてブラック珈琲を入れて煮込む。
一旦火を止めて、二種類のルーを入れて塊にならない様にお玉と箸で溶かし、また弱火を付けて煮込み始める。
レシピによれば、ここから弱火でひたすら辛抱強く煮込む事と書いてあった。それこそ、超細切れの具材が溶けて見えなくなるくらい迄、約九十分、定期的に混ぜる事を忘れない様にとの事。
九十分!?
とにかく、アヤノと交代しながら鍋の様子を見る事にした。
ぐつぐつと煮込むカレーを眺めながら、俺は千枝がこれを美味しいと言ってくれるかどうか、期待と不安に胸を膨らませずにはいられない。
そう言えば、誰かの為に料理を作るなんて、俺は経験した事が無かった。
料理の経験があるアヤノの手助けが無ければ、具材を切るのにも苦戦していたかもしれない。それと几帳面な人が書いたレシピには、分量まで詳細に記載してあったのは助かった。
レシピはノートに手書きされたものを撮ったデジタル画像で、それを俺達はスマホで見ているだけだけど、このレシピの作成者が、妹の事を思ってこれを書いたのだとしたら……感慨深いものがある。
煮込んでる最中、アヤノと入れ違うように母親が台所に入って来た。
「あら、良い感じじゃない」
そう言う母は、優しく微笑みながらスプーンで少量カレーを取って口に運ぶ。
「んー、コクがあって美味し」
「母さん、何勝手に食べてんの」
「いいじゃない。あんたが彼女の為に料理作る姿を、拝める時が来るなんてね。長生きして良かったわ」
「からかわないでくれよ」
「あら、ホントの事よ」
そう言いながら、母が買っておいた福神漬けを袋から小皿に移し、ふとその手を止めながら聞いてきた。
「仕事、辞めたんだってね」
「……うん」
「彼女達、ブレイバーさんなんでしょ?」
「知ってたの?」
「分かるわよ。新聞もニュースもちゃんと見てるし、しばらく一緒に住んでれば、嫌でも分かるわ。何か訳有りなのよね?」
「……ごめん」
「そんな事だろうと思った」
少し安心した様子で、福神漬けを入れた小皿をサランラップで包み、調理で使い終わった器具を徐に洗い出す母は、続けて言った。
「何があったのか詳しくは聞かないけど、いくらでも居て良いからね」
「え?」
「当たり前でしょう。子を守るのが、親の役目。お父さんは口うるさい人だけど、こうやって頼ってくれて、内心嬉しがってるのよ。最近は食欲も元気も無かったのに、あんたの顔見てから急に元気になっちゃって、今日なんか数年振りに釣りに行ってるんだから」
そう言われた俺は、急に今までの苦しみが胸に込み上げて来た。
両親に期待されてた野球を勝手に辞めて、東京の大学を選んで上京して、ゲームばっかりやって、何となく就職して……仕事してゲームしての繰り返し。
親孝行なんて何一つできてないのに、俺は……二年前、死んでしまった。化け物になって、人ならざる力を手に入れて、そして人間一人を斬り殺した。
ごめん母さん。ごめん、本当にごめん。
俺がこの家を再出発できないのは、きっともう、ここに帰ってくる事は、無いと思ったからなんだ。
俺の生まれ育った、人間として一番大事なこの場所には、もう帰れそうに無いと、思ってるから。
気付けば俺の目から、一筋の涙が溢れ出ていた。
洗い物が終わった母は、俺の背中を見て言った。
「そんは心配しないで。タクがこうやって元気な姿見せてくれただけで、満足だから。何か事情があるなら、まずはそれを片付けてらっしゃい。そしたらまた、みんなでご飯食べに来なさいな。いつだってここで、待ってるから」
そう言い残し、母さんはそっと台所を出て行った。
台所で一人になった俺は、しばらく涙を流して感傷に浸っていた。
静かな台所で、カレーを煮込むコトコトと言う音だけが、何処か気持ち良い音に感じる。
すると今度は、台所の外からそっと中を覗いていたアヤノは、俺の背中に歩み寄って、そっと身を寄せてくる。
アヤノの温かい体温が、俺の背中にゆっくりと伝わる中で、彼女は言った。
「大丈夫ですよ先輩。きっと大丈夫です。きっとみんな、全部上手くいきますよ。私には分かるんです」
そう言って、励ましの言葉を掛けてくれた。
アヤノだって家族どころか、自分の本当の体からも離れてしまっていて、人間と呼べる存在じゃない苦しみがあると言うのに。
「アヤノ……絶対、俺が元の体に戻してやるからな」
「……そんなに焦らなくていいですよ。私、結構この体気に入ってるんです。ちょっと角があるのは不便ですけど、それでも、少しでも先輩と同じ存在になれてるから……私も、立派な化け物です」
俺は涙を裾で拭って、
「このカレー、みんなに全部食べて貰おう」
と言った。
カレーを煮込み始めて、約二時間ほどが経った頃。
サイカとオリガミが、千枝と一緒に帰ってきた。無事に外での時間稼ぎを遂行してきてくれた。
「も、もう歩けない……」
そう言って和室の畳の上で寝転がる千枝と、やたらと買い物袋を沢山抱えたサイカとオリガミ。
聞けば、隣町まで行って、そこにあるショッピングモールで買い物をしてきたとの事だった。
千枝だけでなく、サイカとオリガミもそれぞれ好きな物を買ったようで、満足そうなのは良かった。まあ、どうやらほとんど洋服みたいだけど。
三人が買い物でどんな会話をしたのか、気になると言えば気になる。
時刻はお昼時を少し過ぎていて、家の中にはカレーの匂いが充満している事に気付いた千枝。
「なに、お昼カレーなの?」
と、目をキラキラさせる。
同時に、サイカの腹の虫も大きく鳴った。
「俺の手作りカレーだ」
と、自慢気に言う俺。
「えー、たっくんが料理ぃ? 不味そう」
「あ、千枝お前、俺を信用してないな」
「だってぇ……」
そんな会話をしている間にも、母がさっさとカレーライスを皿に盛り付けていて、それをアヤノがトレーで運んでいた。
良い匂いに誘われて、散歩に出ていたワタアメもひょっこり戻ってきており、朱里もいつの間にか席に着いていた。
やがて人数分のカレーライスが机に並べられて、全員にスプーンが渡される。
ブレイバー達の間に座った母も、ニコニコした笑顔でカレーライスを前にしていた。
「それじゃあ、琢磨の初めて作ったカレー、みんなで頂きましょうか」
と、母。
「「「「「「「「いただきます」」」」」」」」
みんなで、いただきますを言ってから料理を食べるのは、今ではすっかり恒例になっていて、みんなに馴染んでくれていた。
皆がスプーンでカレーライスを盛って、口に運ぶ。
俺もアヤノも、みんながどんな反応をしてくれるのかと、少し気にしながらも、口にカレーライスを入れた。
秘密のレシピで作ったカレーは、まるで一晩寝かせたかの様な、トロトロで濃厚な味わいだった。辛さと苦さと甘さが絶妙に混じり合って、口に広がる。
「美味しい」
と、母が第一声を上げてくれた。
続けてみんなも美味しい美味しいと、どんどん食べてくれる。
俺は、誰かに美味しいと言って料理を食べて貰える事が、こんなに嬉しい事だったなんて知らなかった。いただきますと、ご馳走様だけじゃなくて、美味しいの一言がこんなにも幸福を感じさせてくれている。きっと一緒に作ったアヤノもそう思ってるのだろう。
ただ、このカレーを最も食べて欲しかった千枝だけは、最初の一口を食べて、そのまま何も言わずに固まってしまっていた。
俺は隣に座る千枝に思わず話し掛ける。
「千枝?」
千枝はスプーンを持つ手をテーブルに置いて、その手を震わせていた。
「こんなの……ずるいよ……」
千枝は気付いてしまった。
このカレーは、兄の増田雄也がよく作ってくれた特製カレーの味である事に気付いてしまった。
「お兄ちゃんの味がする……なんで……こんなの美味しいに決まってるじゃん……」
そう言って、もう一口、もう一口とカレーライスを口に運ぶ千枝。
千枝は涙ぐみながら、必死に泣くのを堪えて震えながら、兄のカレーライスを食べる。
みんな千枝の反応を見て少し微笑み、それぞれ食べるのを再開した。
頭領、見てるか。
美味いカレーライス、妹に食べて貰ってるよ。
最高のレシピを、ありがとう。
サイカは次々とおかわりを要求してきて、普段はあまり食べない千枝も珍しく二杯も食べてくれ、先にご飯が無くなって、カレーが入った鍋も底を尽きた。最後は千枝と朱里が大好きなプリンを食す。
そんな食後、買い物に出かけていたサイカ、オリガミ、千枝から俺にサプライズプレゼントを渡される。
サイカからは腕時計、オリガミからは財布、そして千枝からはペアリングだった。
代金は渡していた俺のクレジットカードで支払われているなんて野暮な突っ込みはしない事にして、俺は三人の気持ちに感謝の言葉を述べる。
「ありがとう」
と。
その日の夜は、風呂上がりの千枝が俺の部屋に来た。なぜかオリガミとサイカも一緒にいる。
黄色いパジャマ姿で、携帯ゲーム機を二台持ち込んできたので、二人でワールドオブアドベンチャーで遊ぶ事にした。
俺が椅子に座り、ベッドの上で千枝は眠るオリガミに膝枕をしながら、俺たちはゲームで遊ぶ。
一方で、WOAにログインしてもサイカは眠たくなるなんて事は無く、机の上に座って俺のゲーム画面を覗き込んできていた。サイカが自分自身がゲームに映っている姿を見て、何処か楽しそうにしている。
色んなゴタゴタはあったけど、ゲームは通常通りのサービスを続けていて、いつも通りにプレイできた。
BCUに所属していた時は、忙しくてあまりプレイする時間を設けられていなかった事もあり、頻繁に遊んでいたオリガミのレベルは百三十一、サイカのレベルは百二十七と、レベルは抜かれていた。
アマツカミが残した誰もいないシノビセブンアジトで、少しだけ感傷に浸った後、サイカとオリガミでパーティを組んで、冒険の準備をして、オリガミが持っていたマッピング情報を頼りにダンジョンを探してフィールドマップを駆け巡る。
すぐにダンジョンを見つけて、俺たちは攻略を開始した。
俺の部屋に響く、ゲーム音と、コントローラーを操作するカチャカチャ音がとても懐かしく、この時間はとても有意義な時間に感じられた。
「オリガミ前に出過ぎだ!」
と、俺が千枝に言う。
「このぐらい平気だから! 任せて!」
そう言う千枝は得意の手裏剣技でバッタバッタと敵を倒していた。
一方で、サイカは俺のゲーム画面を見ながら、
「本当に懐かしい。私もそこに入れたら良かったのにな」
と微笑んでいた。
ゲーム画面の向こうにいるサイカと、俺の後ろにいるサイカは、昔は同一だった。いつからか、それが違えてしまっている。
じゃあサイカはどっちが本物なんだ? 意思無きゲームキャラと、触れ合える忍び少女。どちらもサイカであるという認識で良いのだろうか。
そんな途方も無い考えに、よく陥る事がある。
俺はサイカに聞いてみる。
「あの頃に戻りたい?」
するとサイカは、俺に肩を寄せてきて、
「……今がいい。琢磨に触る事ができる今が、私は最高に幸せだ」
と、嬉しい事を言ってくれた。
そこにハッと反応したのが千枝。
「たっくん、ここ座って!」
と、膝枕していて動けない千枝は、自分の横に座る様に言ってきた。
「はいよ」
俺は椅子から立ち上がって、千枝の横に移動する。するとサイカも付いて来て、俺の後ろに座った。
一人用のベッドの上に、男が一人と女が三人という非常に暑苦しい状態になってはいるが、構わずゲームを続ける事にした。
この夜は結局、千枝がウトウトして寝落ちしてしまうまで一緒にゲームをした。
ゲームを起動したまま眠ってしまった千枝と、そのせいでずっと眠ってるオリガミは見ていて微笑ましかったので、そのまま俺のベッドに二人を寝かせ、俺はゲームからログアウトして、サイカと一緒に家の庭に出た。
時刻は深夜二時を回っていて、屋根の上で小さいワタアメを抱えたアヤノが空一面に広がる星空を眺めていた。
俺とサイカも屋根の上に登って、気持ち良い夜風に吹かれながら、一緒に星を眺める事にする。
星座の知識も無いし、どれが何の星かなんて分からないけど、キラキラと輝く数千数万の星々は……とても綺麗だった。
宇宙規模で考えれば、俺たちの戦いなんて、とてもちっぽけな戦いでしかないのかもしれないと、そんな風にも思える夜景。
「ウチから見える星ってこんなに綺麗だったんだ」
と、俺は呟いた。
すると、小さいワタアメが俺に問う。
「行くのか?」
と。
「ああ、今日の朝には出発しよう」
それを聞いたサイカが、
「もういいのか?」
と、聞いてきた。
「大丈夫」
その日の朝、俺たちは俺の両親に見送られながら車に乗り込んだ。
その際、母が握ってくれた大量のおにぎりや水筒、そして菓子パンなどの非常食を貰い、出発する。
「頑張るんだよ」
と、母が笑顔で言った。
ブレイバー達も車の中から手を振って別れを惜しむ中、俺は車を発進させた。
そんなつもりもないけど、きっと俺はここに戻ってくる事は無いと、そんな予感がしてる。
一週間、ここで生活させて貰って、その一日一日が騒がしくも充実していたと思う。だからもう、この場所に思い残す事は何も無い。
さよなら母さん。さよなら父さん。
俺は……俺の新しい家族と一緒に、遠い所へ行ってくるよ。長く険しい旅路になると思う。
ここまで育ててくれて、ありがとう。
こんな親不孝者を、愛してくれて……ありがとう。
どうかお元気で。
【解説】
◆サイカの存在
バグの力を超越して、次元を駆け創作の福の神などと言われ、現実世界を繰り返し、そしてバグの王レクスまでも倒した彼女は、もう普通のブレイバーではないと朱里は言う。疑うべきだと。
◆プロジェクトゼノビア
琢磨達の知らぬ所で、謎のゲームが行われていて、度重なるブレイバー目撃情報はそれが原因だと言う情報があった。しかしその証拠が無く、BCUの調査は難航している様だ。
この名称に含まれているゼノビアとは、異世界でエルドラド王国の英雄とされていて、マザーバグとなったブレイバーの名前と一致している。
◆ オーグメンテッドリアリティ技術
目の前に見える現実の世界の上に、映像情報を重ね合わせて表示する技術のこと。AR技術、拡張現実、強化現実などと呼称される。
◆カレーライス
今回、雄也が死に際の遺言とした『千枝に美味しいカレーを食べさせる』と言う約束を、琢磨は叶えた。初めて作ったカレーの味と、美味しいと言って貰えた思い出は、琢磨の記憶に深く残る事だろう。




