96.彼も一時此も一時
オリガミは物静かで、ほとんど会話もせず、口を開かないブレイバーだった。
何を考えてるのか分からず、ただ大人しく、少し離れたところを歩いて流されるがままに付いてくる。
運転する俺と、助手席に座る千枝が話に華を咲かせているのを、後部座席からチラチラと気にしているオリガミがいた。
隣に座るサイカはそれに気づき、声を掛ける。
「気になる?」
「否定」
と、少し恥ずかしそうに目線を外の流れる景色に向けるオリガミ。
「今のオリガミは、琢磨をどう思ってるの?」
「混乱。よく分からない」
「そう。私も……いきなり色んな事があって、自分のこと、よく分からなくなってる。ちょっと、ブレイバーとして歳を取りすぎたのかも」
「笑止」
そんな会話をする二人に気付いて、ワタアメがぴょんぴょんと車の中を移動して寄ってきた。
「さてさて、オリガミよ。お主の中にあるレクスの種も、念の為取り除いておくとしようかの」
人型になりながら、オリガミとサイカの間に割って入ったワタアメのいやらしい目付きを見て、嫌な予感がするオリガミ。
「拒否! 断る!」
と、逃げようとするが、そこは逃げ場の無い車内だった。
後部座席が騒がしい。
二〇三五年五月。
まずは俺が行方不明になった事に対する、政府の温度感や動きを様子見する為、俺たちは国外に出る様な事はせず、国内の宿を転々とした。東北地方を巡り、そして関東を通らず中部地方へと行く。
そうやって約一ヶ月の月日が流れたが、特に誰かに尾行されるといった様子も無かった。
ブレイバー達の様子はどうかと言うと、日本旅行は彼女達も楽しんでくれている様だった。
戦いの無い平穏な日々と、行く先々で変わる景色は刺激となっていて、各地の名産品を食しては笑顔になり、温泉に入って身体を温めたり、暇な時は誰もいない広場で戦闘訓練をして運動する。
そうやって旅をしてると、それぞれの性格も垣間見えた。
サイカはこの中で一番年長者に近い知識を持っていて、物知りな一面が多い。それでいて気が利いて面倒見も良い子なんだけど、燃費が悪く、食い意地が凄まじい。
ワタアメは目を離すとすぐ何処かに冒険しに行って、放っておくといつの間にか戻ってきてる。行動が賢い猫みたいだ。
アヤノは元々が人間だった事もあり、地元民との交流や宿の手配などを積極的に行ってくれている。帽子で額から生えてる角を隠すのが大変そうだ。
朱里の面倒臭がり屋は相変わらずで、景色などにも興味を示さず、ほとんど車から出ないで酒ばかり飲んでる。最近は梅酒にハマっている様だ。
千枝は基本的にずっと俺の隣にいて、いつも幸せそうな顔で手を繋いでくる。でも基本的に何もしないのは、朱里と同じで引きこもり気質だからなのかもしれない。
そして、オリガミは口数少なく、いつも少し離れた所から俺の事を見つめてくる。その視線がいつも気になる。
そんなそれぞれ違う色を持ちながらも、分からない事は教え合って、困った時は助け合う。そんな生活が続いていた。
車中泊する事や、キャンプして過ごす夜もあったけど、夜は誰が俺の隣で寝るかという小さな争いがあって油断ならない。と思っていたら、いつの間にか寝る場所は当番制になっていた。
そんなほのぼのとした旅を続けている最中、偶然にも俺の実家近くまで来たので、立ち寄る事にした。
表札に『明月』と書かれた長屋では、定年退職をして老後の生活を送る俺の両親が住んでいる。
立地には恵まれ、家の中からは田舎の壮大な景色が眺める事が出来て、飼い猫が二匹。庭には自家栽培の小さな畑と、鯉が泳ぐ池がある。
実を言うと、俺が帰省するのはもう五年振りくらいになる。
二年前、俺が千葉の大学病院で世話になった時に、顔を合わせたものの、両親と会うのもそれ以来だ。
それだけほとんど顔を見せなかった俺が、珍しく帰ってきた事に、親は喜んでくれている様だった。でもなぜか女性を五人と、よく動くぬいぐるみを抱えてやってきた事には、凄く驚いてる様子だった。
でも話を聞く限り、特に誰かが俺を探してここまで来たといった話も無く、少し安心した。
「今夜はご馳走を作らないとね」
と、張り切って近所のスーパーに出かけていく母に、サイカとアヤノが付き添って出かけて行った。
俺がずっと顔を見せず連絡しなかった事の小言を父に言われてる中、ワタアメと千枝は猫と戯れていて、オリガミは朱里の長いうんちく話を顔色一つ変えずに聞いていた。
その日の夕食は、和室の長い座卓に並べられた料理の数々に心踊らされる。
春キャベツたっぷりの肉団子鍋、アスパラの肉巻き、かぶの生姜焼き、ジャーマンポテト、鯵のなめろう、そしてサラダ。それが人数分も用意されたのだから、ヨダレも出てしまう。
それから、料理はほとんどサイカの胃袋に入ってしまうし、朱里は父と日本酒を飲み比べを始めてしまうし、ワタアメも何処かに散歩に行っちゃうし、俺の実家だというのにみんな自由奔放だった。
アヤノと千枝だけは何処かソワソワした様子で、食器の片付けや皿洗いを率先して手伝っている。
お腹いっぱいで満足そうに畳の上で横になるサイカを横目に、そろそろ風呂にでも入ろうかと思っていた時だった。
オリガミが棚の上にある写真立てを手に取って見ていた。それは、高校生時代の俺が、野球のユニフォームでピッチャーマウンドに立っている写真。横には中学の入学式で撮った写真も飾られてる。
「琢磨……?」
と、今とは全然違う姿の俺に首を傾げるオリガミ。
日焼けしていて、坊主頭で、筋肉質で、そんな俺の写真に皆の注目が集まる。
するとそれに気付いた母がクスッと笑いながら説明した。
「タクはねぇ、昔、野球児だったのよ。ピッチャーやってて、小さい頃は……この辺では結構有名だったんだけどねぇ」
急に恥ずかしい事を説明されたので、俺が付け加えた。
「もう昔の話だよ。みんな野球なんて分からないから、説明しても無駄だって」
すると、サイカがむくっと起き上がって、
「野球! 知ってるぞ琢磨! ワンダフルベースボールだ!」
と、自慢気に言ってきた。
「それは野球ゲーム。そう言えば、コラボしたっけ」
「そうだ! ホームラン打った!」
「だから、それはゲームの中の話。現実でホームランなんてちょっとかじった位じゃ無理だからな」
「そうなのか?」
「まぁ……サイカなら、なんかできちゃいそうだけど」
「あ、キャッチボールしたい!」
突然、思い出したかの様にそう言ってきたサイカ。そう言えば、そんな約束もした覚えがあった。
俺は窓の外を見て、もう日が暮れてしまってる事を確認した後に言う。
「明日な」
元々、明月という名前で養子に登録された朱里は、父とは面識があった。
なので朱里と父は酒を飲み交わし、主に俺の愚痴を言って盛り上がってる声が聞こえる中、俺は久しぶりに我が家の浴室へと足を運ぶ。
頭と身体を洗って、湯船に浸かって、見慣れたはずの天井をボーッと眺めた。
こうしてると、何だか学生時代に戻った様な懐かしい空気に包まれて、今までの戦いが全部夢だったんじゃないかと思えてくる。
それと同時に、申し訳ないとも思う。
俺は本来であれば二十八で死んでいるはずで、ここにこうして存在できてるのは、管理者の力があってこそ。歳も取らなくなってしまって、先日の戦いで吾妻をこの手で斬り捨ててしまった俺はもう、真っ当な人間とは呼べない。俺の手には、吾妻を斬った時の感触が、まだ残ってる気がする。
勉強して、部活で汗を流して、恋愛して、時には父に怒られて、母に慰められて、そんな当たり前が、今は遠く儚い。
(何を言う。記憶がそこにあるのなら、それは記憶であり、人間と変わらないだろう)
勝手に出てくるな。
(我には、どうしてそんなに後悔の念を抱いているのか理解できない。生物として存在してるのに、何の不満がある。命の有り難みが分かってないな)
理解してるつもりさ。感謝もしてる。
(どうだか)
でも、俺はいつまでこの世界に居ていいのか、少し不安にもなる。永遠の命なんて聞こえは良いけど、生きる目的が無くなったら、俺はどうしたらいい。
(その時は、共にこの世界の終わりを見届けようじゃないか)
終わりって……そんな気の遠くなる様な事、考えたくもない。
(始まりもあれば終わりもある。大丈夫、ブレイバーがいる限り、まだキミの戦いは終わっていない。退屈はしないはずだよ)
その時、脱衣所の方で物音がしたと思ったら、サイカが遠慮無く浴室の扉を開けて中を覗いて来た。
「琢磨、風呂に入ってるのか?」
「うわっ!? サイカか。なんだよ急に」
「私も入ろう」
と、急に服を脱ぎ始めるサイカ。
「ちょ、ちょっと待ってくださいサイカさん!?」
思わず敬語でサイカの手を止める俺。
「なぜだ?」
と、何も気にしてない様子のサイカ。
今度は脱衣所の扉が勢い良く開かれ、顔を真っ赤にしたアヤノが入ってきた。
「ダメです! それはルール違反です!」
そう言って、アヤノはサイカの手を強引に引っ張って出て行ってしまった。
「ふぅ……」
急な来訪者に驚かされた。
これじゃ、おちおち風呂に入ってもいられない。
しかし、問題はこの後だ。
こっちの世界のブレイバーや俺は、特に睡眠を取らなくても害は無いが、一応は眠ることも出来る。
なので、人間として睡眠を取らないといけない千枝に合わせて、ブレイバーも人間らしく就寝時間は作ろうと俺が提案して、そういう旅のルールとなった。
とは言っても、何が起きるかも分からないので、当番制でブレイバー二人が外の見張りをやるルールもある。今日はサイカとワタアメの番だった。
そして今夜は広い和室に敷かれた人数分の敷布団で過ごす事になるのだが、俺だけは懐かしき自室で過ごすと決めている。
この就寝ルールの中に、紆余曲折あって俺と一緒に夜を過ごすという権利も日替わり当番制になっていた。
自室の扉を開けると、そこにはベッドの上で正座して待っているオリガミの姿があった。
「今日はオリガミか」
と、俺。
「不満?」
「あ、いや、そういう訳じゃないよ」
俺はオリガミの隣に座りながら、続けて言った。
「なんて言うか、オリガミはあんまりこういう事に積極的じゃないから、嫌なんじゃないかなって思ってさ」
「……否定。嫌じゃない」
「ならいいんだけどさ」
「…………」
オリガミはそのまま何も言わず、チラチラと俺の方を見るだけで何かする訳でもない。
いつもこんな感じになるから、オリガミと二人になると、少し気まずいと感じる。
でも、いつまでもこのままという訳にもいかないから、今日は少し踏み込んでみようと思った。
俺は立ち上がって、学生時代にお世話になった勉強机の引き出しを開けると、そこから学生時代の卒業アルバムを取り出しす。
まずは小学校の卒業アルバムをオリガミに渡してみた。彼女は首を傾げながらも、手にとってそれを開く。
俺はもう一度オリガミの横に座って、厚紙のページを捲るのを手伝ってあげた。
「人間の……子供?」
と、オリガミ。
「そう。ほら、ここに写ってるのが俺」
「驚愕。これが……琢磨?」
「そうだよ。この横に写ってるののが、好きだった女の子」
「恋?」
「そう、でも……好きだって自覚するのは中学の時で、お互いに奥手だったから、結局思いは伝えられなかったんだけどね」
運動会で泥だらけになって遊んでる俺の写真を見つけたオリガミは、それを指差した。
「琢磨」
「そう、それも俺」
「子供。可愛い」
「そう言ってくれると嬉しいよ」
オリガミはしばらく子供時代の俺の写真を堪能した後、次は中学校のアルバムを一緒に見る。
野球部の試合でピッチャーをやってる俺の写真を見て、また指差した。
「野球」
「そうだね。その試合は、凄く調子が良くて、覚えてる」
俺の知られざる一面を見て、オリガミは楽しそうにしてくれてる。
すぐに高校のアルバムに移って、成長する俺の外見に感動してくれてる様だった。
こうやって人間の成長を写真で見るなんて、異世界の文明を考えれば無かった事で、物珍しいのだろう。
俺が昔話に花を咲かせ、一緒に高校の卒業アルバムを見てる時、オリガミは思い詰めた様に黙ってしまった事に俺は気付いた。
「どうした?」
「……琢磨」
「ん?」
「後悔。私はサイカやアヤノに酷い事をした」
「異世界での話?」
と聞くと、オリガミは頷いた。
「もう終わった話だよ。それに、サイカもアヤノも気にしてないって言ってたろ」
「感謝。でも、自分を許せない。私は……琢磨の隣にいる資格無し」
オリガミはずっとそれを気にしていたのだ。
レクスに操られていたとはいえ、相棒だったブランを裏切り、クロギツネとして暗躍していた日々は、彼女の記憶にしっかり残ってる。
だから、ここでこんな平穏な日々を俺達と送ってる事に、後ろめたさを感じているのだろう。
俺は、オリガミに聞いてみる。
「昔の事はもういいよ。今はどう? みんなと一緒にいるの嫌?」
オリガミは首を横に振る。
「なら、それで良いんじゃないかな。俺はもっと、オリガミは元気になって貰いたいって思ってるよ。せっかくこっち側の世界に来たんだから、いっぱい色んな景色見て、色んなことを感じて欲しい」
「……理解。やはり琢磨はサイカの夢主」
と、オリガミは俺に寄り添って来て、頭を肩に乗せてきた。
「当たり前の事を言ってるだけさ」
「琢磨、好き」
「へ?」
「みんな琢磨が好き。私も好き」
「いや、それは……」
「駄目?」
「駄目ではない! 駄目ではないけど……」
表情変えずに、豪速球のストレートを投げてきたオリガミ。どうしたものか。
オリガミはこんな不器用なブレイバーだけど、根本的には千枝に似ているのかもしれない。そりゃそうか。だってゲーム内では、あんなに俺が操るサイカを追っ掛けてたキャラ張本人なのだから。
ついにはアルバムなんてそっちのけで俺に抱きついて、何故か匂いを嗅いでくるオリガミ。
これは……千枝と思って接すれば良いのだろうか。
「一緒に寝る?」
と、オリガミ。
そう言えば、俺の部屋はフローリングだし、ベッドが一つしか無い。
「あ、いや、えーっと……俺は床で」
「疑問。床は冷たくて硬い。寝るのはここしかない」
「そうなんだけどさ。だってほら……ね?」
「訂正。私が琢磨と寝たい」
そんな風に、純粋無垢な気持ちを俺に伝えてくるオリガミ。もうこれ絶対許してもらえないパターンだ。
とにかく気を逸らす為に、俺は一つの提案をする。
「そうだ。トランプでもしようか」
「とらんぷ?」
「こっちでの遊びの一つだよ。えっと……何処だったかな……」
そんな俺とオリガミのやり取りを、窓の外からこっそり覗き込んでるサイカとワタアメには気付かなかったし、扉の向こうで聞き耳を立ててるアヤノと千枝にも気付かなかった。
翌日。
結局、夜中までトランプで遊んだ後も、オリガミが芋虫みたいにくっ付いて離れてくれなかったのもあり、暑くて俺は一睡もできなかった。一方で、オリガミは安心した様に熟睡していた。
寝不足によって体力や集中力が落ちる事なんて無い訳だけど、それでも俺にとって人間だった頃の習慣だから、眠れなかったのは少しだけ残念にも思う。
そしてまだ日の出直後で千枝も寝ている早朝、何やら庭で音がすると思って見てみれば、人型のワタアメがアヤノの稽古をしていた。
先生をやってるワタアメは、結構容赦が無くて、アヤノの隙を見つけては殴る蹴るで地面に転がす。
普通の人なら心が折れてしまいそうなくらいコテンパンにされてるのに、アヤノは挫けず、大蛇戦で活躍の場が無かった悔しさもバネにして、真剣に取り組んでいる。
そんなアヤノも最初の頃と比べれば、かなり動きが様になってきていた。
ワタアメの素手による攻撃をアヤノが読み、回避した後、アヤノの鋭い短剣がワタアメの頬を掠る。それはワタアメが一瞬でも判断が遅ければ、当たっていた攻撃だった。
思わずワタアメもアヤノの手を取って、背負い投げ。地面に叩きつけて、その腕に絡み身動きを取れなくしてから言った。
「今のは良い動きじゃった」
すると、その様子を見ている俺とオリガミの存在に気付いたワタアメが、アヤノを解放しながら、新しい訓練方法を思い付く。
ニヤッと笑ったワタアメは、屋根の上に向かって名を呼んだ。
「サイカはおるか!」
呼ばれて、我が家の屋根の上に立っていたサイカが顔を出す。
「なんだ」
「新しい訓練を思いついた。付き合え。オリガミもじゃ」
急に名を呼ばれたオリガミが、ビクッと身体を震わせ、俺の顔を見てきた。
なので、俺が彼女に代わってワタアメへ質問してみる。
「何をするんだ」
「新しい訓練と言ったろう。この辺にもっと広い場所は無いかえ?」
「……近くに丁度良い空き地はあるけど」
「なら、そこに移動しよう」
千枝も目覚め、まだ眠ってる朱里だけ残して全員が近くの空き地に集合した。
学校のグラウンドほどはある草木に囲まれた広間の真ん中で、アヤノの前に立つのはサイカとオリガミ。
アヤノ、サイカ、オリガミの三名が変装の普段着ではなく、馴染み深いワールドオブアドベンチャーでの戦闘スタイルになっているところは久しぶりに見たかもしれない。赤色の忍び装束と、黄色の忍び装束が並んでいるのは懐かしくもある。
少し離れたところで、事の行く末を見守る俺と千枝の前で、妙に張り切ってる小さいワタアメがルールの説明を始めた。
「良いか三人とも。サイカとオリガミは普通に戦っても良いが、手加減して寸止めする様に。アヤノは二人を敵のブレイバーだと思って本気で掛かれ。アヤノがどちらかに傷の一つでも付けられれば、アヤノの勝ちじゃ」
またワタアメは、とんでもない事を閃いた様だった。
当然、この二人に勝てるはずがないと恐怖するアヤノ。
「ええええ!?」
と、アヤノがあたふたする。
しかし、そんな事は無視して、ワタアメはさっさと話を進めた。
「それじゃあ、わっちがこの石を上に投げるから、それが地面に落ちたら戦闘開始じゃ」
ルール説明をしながら、ワタアメはその辺に転がっていた大きめな石ころを尻尾で巻き取って、真上に高々と垂直に投げる。
その石の行く末を見ながら、サイカは狐面を顔に被せつつ隣のオリガミに言った。
「オリガミ、よろしく頼む」
「不明。あの子では相手にならない」
と、オリガミも狐面を被る。
「それでも、戦わなくちゃいけない時だってある」
そんな風に言うサイカは、ワタアメの意図が読めているのかもしれない。
アヤノも覚悟を決めて短剣を構えた。その手に持つのはキラキラと輝くクリスタルダガー。
五十メートルほど離れた距離で対面するサイカとオリガミは、特に武器を構える様子は無かった。
やがて石が地面にポトリと音を立てて落ちた。
それと同時、最初に動いたのはオリガミ。飛躍して、空中から夢世界スキル《百華手裏剣》を容赦無く放つ。
アヤノに襲い来るのは百個の手裏剣。
「わっ!? 待って! ちょっと待ってぇ!」
と、走って逃げ回るアヤノ。
地面に手裏剣が次々と刺さる中、アヤノは夢世界スキル《ハイディング》で自身の体を透明化して隠れた。
それを見て、次に動いたのはサイカだった。
サイカが腰に差してあるキクイチモンジの柄に手を掛けたと思えば、姿が消える。
それは夢世界スキルで透明化したと言う訳ではなく、音速でアヤノに詰め寄り、五十メートル先の透明化して見えないはずのアヤノの首に寸止めを決めてた。
寸止めは一度ではなく、まるで弄んでいるかの様に、サイカは四方八方から寸止めを決めて、アヤノを挑発していく。実戦であれば、僅か数秒の間に十回は斬られてる。
サイカに透明化が通用しないと悟ったアヤノは、《ハイディング》を解き、サイカが刀を振る一瞬の隙を読んで反撃に出る。が、いつの間にかアヤノの目の前に置かれたオリガミの刀を目にして動きが止まってしまった。
気が付けば、首の前にはオリガミの刀、後ろにはサイカの刀、二本の刃に首を挟まれてアヤノは身動きが取れなくなっていた。
サイカとオリガミは、ブレイバーとして初めて組むとは思えないほど見事なコンビネーションを見せた。
神経を研ぎ澄ましているアヤノは、そんな状況でも何処かに抜ける方法が無いか目で探るが、隙は何処にもなく、諦めの表情へと切り替わる。
「えーっと……ここからどうすれば……」
と、アヤノが苦笑いしながら両手を挙げた。
それを降参と受け止めたサイカとオリガミは、刀を引いて納刀した。
アヤノの完敗で勝てる見込みなんて何処にもない状況だったが、俺の隣で見ていた千枝はオリガミがサイカと共闘してる光景に目を輝かせていた。
ワタアメは言った。
「アヤノは今の何が悪かったのか考えろ。仕切り直して、もう一度じゃ」
と、また尻尾で石ころを持つワタアメ。
「ええええええええっ!?」
まさかまだやるとは思ってなかったアヤノは、泣きそうになりながら元の位置に戻り、サイカとオリガミも呆れた様子を見せながらも最初の位置へ戻る。
その際、サイカとオリガミが拳を合わせて讃え合ってる後ろ姿が、印象的だった。
朝の厳しい稽古が終わり、家に戻ると既に朝食が用意されていた。
焼鮭と沢庵と温かい味噌汁。サイカだけ昨晩の食べっぷりが考慮されて、焼鮭三枚とご飯特盛りだったが、運動して腹を空かせたサイカはペロリと平らげてしまった。ついでに疲れ果てて食べる気力の無いアヤノの分まで、サイカは食べてしまっていた。
サイカの胃袋はブラックホールなのかもしれない。
朝食も終わり、アヤノがせっせと片付けの手伝いをしてる中、俺は自室から野球のグローブと硬式ボールを持ち出して、サイカを誘って外出。オリガミと千枝も見学したいという事で付いてきた。
家から車で二十分ほどの距離に、日本海が一望できる浜辺があり、俺はそこでサイカとキャッチボールをする事にした。
車の中では、オリガミの希望もあって携帯ゲーム機でワールドオブアドベンチャーにログインして遊んでいる千枝。オリガミはそんな千枝に膝枕をして貰いながら、眠りに入っていた。
オリガミに膝枕をしながら、ゲームでオリガミを使ってソロ狩りをしてる千枝の姿は、何とも奇妙で、何とも微笑ましかった。
結局、夢中になって車から出てこない千枝とオリガミは放っておいて、潮風漂う浜辺で俺とサイカは二人きり。左手にグローブをはめて、キャッチボールをする。
最初は慣れない様子のサイカは取り零しも多かったけど、すぐに感覚を掴んで、俺が投げたボールをしっかりとキャッチする様になってきた。
投げ返してくるサイカは、手加減を知らないのではと思うほど、速い球を放り投げてくるので、俺のグローブがパシーンパシーンと良い音を立てる。
そうやって、俺とサイカは今まで会えなかった日々の想いをボールに込めて、投げて、取って、投げて、取ってを繰り返した。
ほとんど会話は無いキャッチボールだったけど、ふと、サイカが言葉を発した。
「前に、創作世界に私が迷い込んだ時」
「うん」
「高校野球の物語があったのを思い出した」
「へぇ、そこで何をしたの?」
「私が後輩のマネージャーって立場で、グラウンド整備したり、ボール拭いたり、お守り作ったりして」
「ほんとにマネージャーだね」
「その時、たぶん主役の男子が、肩を壊して投げれなくなってた」
「よく聞く話だ」
「もしかして琢磨も、それで野球を辞めてしまったのか?」
サイカにそう聞かれ、俺は高校時代の事を思い出し、ボールを投げる手が止まる。
学生時代の俺は、野球一筋だった。
中学野球まではそこそこ良い成績を残して、エースピッチャーなんて周りに言われてたけど、高校野球で初めて硬式野球となってからは、全然だった。
野球の名門校にスポーツ推薦で入学してしまったばかりに、周りとのレベルの違いを思い知らされ、自分レベルの選手なんて世の中にゴロゴロといる事を実感した。
怪我をしたとか、トラウマを植え付けられたとか、そんな大層な理由がある訳でも無く、俺は……一人で勝手に挫折しただけだった。
だから俺はサイカに答える。
「上を目指す事を、諦めただけだよ」
と。
するとサイカは言った。
「ちょっと、本気で投げてくれないか」
「え?」
「琢磨の本気の球を、見てみたい」
サイカが望むので、俺は応える事にする。
肩も温まってきたし、試合でマウンドに立ってるつもりで、大きく振りかぶって、足を上げ、そして思いっきり踏み込んで投げた。
どのくらいの球速だったかは分からないけど、一番気持ち良いボールを投げられたと思う。
サイカは俺が投げた全力投球を、噛み締める様に、しっかりとグローブに収めて捕球した。
浜辺に響く波の音にも負けない乾いた音が、響き渡る。
「良い球だ」
と、サイカは微笑み、続けて言った。
「お返し」
そう言ってサイカが投げた全力投球は、まるで弾丸の様な球で、俺が投げた球よりも速かった。
焦りながらも俺はそれをグローブでキャッチしたが、グローブポケットの中でいつまでも回転している物凄い回転力で、グローブが壊れてしまうのではないかと思った。
「お前は野球漫画の主人公かよ」
と、俺が笑うと、サイカも釣られて笑った。
いつの間にか、俺とサイカのキャッチボールを見学している老人がいて、声を掛けてきた。
「誰かと思えば、琢磨くんじゃないか?」
名を呼ばれて見てみれば、昔お世話になった事のある親戚のおじさんがそこに立っていた。大分老けてどちらかと言えばお爺さんだけど、間違いない。
「明石の叔父さん!」
「おーおー、久しぶりじゃないか。随分と大きくなって」
「いや、こちらこそ、あんまりこっちに顔出さなくて申し訳ないです」
「いいのいいの。こっちは何も無いから仕方無いよ。それにそれは琢磨くんが、東京でも上手くやってるって証拠だろうさ。えーっと、その子は……もしかして彼女かい? 偉い別嬪さんだねぇ。もしかしてご両親に挨拶しに? とうとう琢磨くんも結婚かぁ! 歳も取ったもんだ」
明石叔父さんはそう言いながら、サイカを見て手を振ったので、サイカはぺこりとお辞儀をした。
俺はキャッチボールを中断して、叔父さんに近付きながら説明する。
「今は旅行中で、立ち寄りました」
「そう言えば公務員になったって聞いたよ。国の為に戦ってるって。偉いじゃないか」
辞めたばかりなんて言えない。
「褒めすぎですよ。それで、今日はどうしてこんな所に?」
「散歩だよ散歩。ウチがこの近くでね。そしたら珍しく野球してる人がいるもんだから、気になってね」
「そうだったんですね」
「あ、そうだ。明日、地元商店街の草野球があるんだけど、せっかくだから出てみないかい? 琢磨くんがまた野球やってる姿が見れたら、喜ぶ人もきっといる。彼女さんだってあんな良い球投げるんだから、経験者なんだろう?」
「え、いや……それはちょっと……」
俺が断ろうとしたその時、サイカがさささっと前に出てきて、キラキラした瞳で明石叔父さんの前に立ち、俺の了承も無しに一言。
「やらさせてくれ!」
こうして、俺たちは地元の草野球に出場する事となった。
【解説】
◆就寝時間のルール
本来、琢磨も含め周りにいるブレイバー達は睡眠を必要としておらず、例え二十四時間以上活動しても問題は無い。
だが、琢磨は少しでも人間らしく、昼間に活動して夜に眠ると言う習慣を大事にする様に言い聞かせている。
その際に起きる誰が琢磨の隣で眠るかと言う女の争いは、アヤノが日替わり当番制を提案した事で解決された。他にも琢磨も知らない彼女達のルールがある様だ。
◆オリガミの後悔
サイカの中の人、琢磨に好意を寄せながらも、異世界で自分がしてしまった事に後ろめたさを感じているオリガミ。
今回のやり取りで少しは打ち解けてくれた様だが、彼女の後悔はいつまでも残り続けるのかもしれない。
◆アヤノvsサイカ&オリガミ
ワタアメが突然思い付いた戦闘訓練方法だったが、歴戦の戦士相手に素人のアヤノが敵う訳もなく、アヤノは全敗で終わった。
この訓練は、どちらかと言えばサイカとオリガミを組ませる事が目的だった。
◆サイカの野球経験
まだサイカがバーチャルアイドルとして活躍していた時代。他ゲームとのコラボ企画で、ワンダフルベースボールと言う野球ゲームに参加して試合をした事があった。
又、本人は野球の創作世界に入った事もあるらしい。
だがそれも、サイカにとってはずっと昔の思い出である。
◆琢磨の学生時代
学生時代は野球一筋だった琢磨は、高校野球のレベルに付いていけなかった為、高校卒業を機に野球を辞めてしまった。
そんな琢磨が、ゲーマーとして目覚めたのは大学生になってからである。ワールドオブアドベンチャーを始める前は、格闘ゲームが好きだった。




