84.板子一枚下は地獄
アメリカに『エリアΔⅤ』と呼ばれる場所がある。アメリカ空軍によって管理されているネバダ州南部の一地区。正式名称は、ブライド・ネオ空軍基地。
アメリカ軍機密の航空機のテストを古くから行っていたとされ、特にステルス機の試験飛行を行っていると考えられている場所。また、UFOの目撃情報や、宇宙人の研究を進めていると疑われていたが、アメリカ政府はこれを否定している。
一九九七年。
アメリカのとあるラジオ番組に、エリアΔⅤの元職員を名乗る男から電話が入り、男は泣きながら語り始め、ラジオパーソナリティーとの会話が記録されている。
『繋がってる?』
『繋がってますよ』
『……あまり時間がないんだ』
『どちらからの電話ですか?』
『エリアΔⅤ。元エリアΔⅤスタッフ。エリアΔⅤから逃げてきた……ど、どこから話せばいいのかわからない……すぐに彼等は僕の居場所を特定する』
『だからあまり時間がないと? 落ち着いて、手短に話してください』
『我々人類が宇宙人だと思っている存在っていうのは……実は……次元外生命体で、彼等はかなり昔から人類とコンタクトしていて……それから……ええと……秘密結社フラミナティは……米軍の軍備に深く関与していて、このエリアΔⅤもその一環で……ああ、災害が迫っている……みんな違うんだ。危機はこの世界だけの問題じゃない。軍は、政府は、それを知っている……止める気なんてない。今なら、この世界にはまだ避難できる場所はあるけど……だけど、彼等は災害をおこして大量抹殺を計画している。コントロールできる人口にまで減らそうとしている……みんな死ぬ……』
ここで通話は途切れてしまった。
当時、エリアΔⅤの話題がブームになっていた時期で、流行りに乗っかった悪戯か被害妄想。又は、ラジオが仕組んだ台本であるとも言われていた。しかし、バグやブレイバーといった存在が世界中で明るみになってきた今では、この時の話は今起きてる事を予言していたのではないかと、一部で話題になっている。
三二九・大蛇事件発生の翌日、二◯三五年、三月三十日。
記録室で防犯カメラの映像の分析を進め、マンション襲撃時に笹野栄子が連れてきていた若い男は、ブレイバーである事が明らかになった。
爆発の騒ぎに乗じて、男は槍を召喚しながら突進。自衛隊員二人をあっと言う間に刺したと思えば、アサルトライフルで反撃に出るクロードを刺し、そして通路の壁窓に叩きつけ、割れた窓からクロードが落ちていく様子が映されていた。
男は私服姿から夢世界の服装へと換装して、割れた窓から外を覗き見た後、自らも飛び降りてその場を去っていった。その見た目に、俺は何処か見覚えがあるけど思い出せない。
すると、昨日から俺の傍を片時も離れようとしないアヤノは、この時の映像を見てこう言った。
「この人、弟の武流が使っていたキャラに似てる……」
その言葉に、俺も千枝が電話で言っていた事を思い出す事となった。
『今、笹野さんとタケルさんって人が来てるから、一人じゃないよ』
タケル……そう、千枝はタケルと言っていた。
つまり、この槍でクロード達を奇襲した男は、飯村武流から召喚されたブレイバーである可能性が高い。むしろ状況的に、それしかないのかもしれない。
更にこのタケルというブレイバーは、少なからずサイカとも関わりがあったブレイバーだ。
記憶によれば、恐らく、異世界でサイカとエムが捜索した相手。目の前でバグ化したブレイバーに刺され、消滅していった男ブレイバーだ。それがなぜ、どうして、こんな事をしているのか。
この日、俺たちはBCUの主要メンバーらと共に、豊洲の総合病院に足を運んだ。
新棟に用意された『特殊治療養護室』は、関係者以外立ち入り禁止の極秘エリアに設けられた。そこはブレイバーを匿い、自然治療させる場所である。その共同部屋に並べられたベッドには、ミーティア、クロード、ケークン、ジーエイチセブン、ブラン、明月朱里、合計六名の大怪我をしたブレイバー達が揃って寝ていた。
ブレイバーは原状回復能力がある。全身打撲だろうが火傷しようが骨折しようが、コアさえ無事であれば数日で回復する。なので、生命維持装置が繋がれる事はなく、包帯やギブス処置のみである。
そんな彼らは、部屋の壁掛けテレビに映されている『バグやブレイバーの正体に迫る討論番組』を見ていた。世界規模であるが故に、アメリカにあるエリアΔⅤが根本的な原因であるという話題で盛り上がっている。様々な分野の専門家が集い、ブレイバーについてある事ない事勝手に話してる番組を、当の本人達が観ているという可笑しな光景。彼らはどんな事を思って観ているのだろうか。
でも思いの外、ブレイバー達は互いに談笑したりしていて、見た目はさて置き元気そうである。
まず病院で起きたシャークバグ戦で倒れたジーエイチセブン。全身大火傷でミイラみたいな包帯男になりながらも、まずアヤノがいる事に驚いていた。
「アヤノ、どうしてお前さんがここに……」
だけど包帯で顔が見えない為、アヤノの反応は幽霊でも見たかの様な怖がり方だった。
「だ、誰ですか!」
と、アヤノ。
「俺だよ俺。ジーエイチセブンだ。久しぶり」
「あっ! ジーエイチセブンさん!」
「冬の国オーアニルでの事。すまんな。守ってやれなくて。これだけは謝りたかった」
「あ、いや……あの時は、私の方こそ、足手まといでごめんなさい」
「……琢磨に会えたんだな。良かったじゃないか」
「はい……」
と、アヤノは俺の手を、ぎゅっと握りしめてきた。
次にシャーク戦で大活躍をしたミーティアも、同じく全身を包帯とギブスで固められ、顔だけが見えてる状態だった。無理をしたせいで、今は手足が動かないらしく、身動き一つ取れないといった状態。
俺はミーティアに言った。
「ミーティア、無茶なことはしないでくれ。キミはいつもそうやって、向こうで大きな戦いがあった時も、根性でどうにかしようとするのは悪い癖だ」
「サイカみたいな事言わないで。怪我をしてようが、正気を失おうが、指の一本動かなくなるまで戦い続けなければならない。それがブレイバーの責務。私の信条よ。でもこの結果は……不甲斐ないわ。私は他のブレイバーより再生が遅いから、動ける様になるにはもう少し時間が掛かりそう」
ブレイバーの再生能力には個人差がある。治りが早い者もいれば、遅い者もいる。
それでも、人間と比べれば圧倒的な速さである事に変わりはなく、こんな手足が全く動かせない様な状況でも、数日もすれば完治してしまう。
「とにかく、今はゆっくり休んでくれ、ミーティア」
「そんな事言ってられないわ。今がどうゆう時か――」
「休んでくれ」
「わ、わかったわよ。善処する」
これぐらい強く言ってあげないと、ミーティアはまた無理をしてしまう。
次にブラン。黒い忍び装束に身を包み、顔を忍びの覆面で隠す男ブレイバー。俺が話しかける前に、夢主である栗部蒼羽が駆け寄っていた。
「ブラン! 何やってんだよ! 消されてたかもしれないんだぞ!」
「ああ、すまない蒼羽。俺はまたミケに負けてしまった。これで二度目だ……冷静さに欠けていた」
「良いんだ。お前が無事ならそれで良い」
「あの子とサムは無事か?」
ブランがそう言うと、一緒に来ていた久々原彩花とサムが前に出て、無事である事を見せた。
サムが、
「ほら、何か言えよ」
と、肘で彩花に合図する。
「あ、えっと、なんて言うか、危なかったところば助けてくれてありがとうございました」
「無事で良かった。俺とサムがBCU本部に向かっているところで、あの霧に巻き込まれて……あれは本当に偶然だったんだ。キミを助けられたのは、奇跡と言っても良い」
「そうやったと。ばってん、来てくれとらんかったら、どうなった事か……本当にありがとうございます。これ、しけとーけど……」
と、彩花は持っていた紙袋をブランに手渡す。
「これは……?」
「東京んチョコレートブラウニーっていうんよ、蒼羽さんが好いとーとって聞いたけん買うてきたと。今はこれぐらいしかお礼できんばってん、何かしてほしか事あれば、なんでも言うてください」
「チョコレート……あっはっは。粋な事をしてくれる。ありがたく貰っておこう。だが、キミは狙われていた身だ。あまり外を出歩かないほうが良い」
「は、はい!」
申し訳なさそうにペコペコとする彩花を見て、蒼羽はフォローを入れた。
「言ってくれるなよブラン。この子だって何かお礼がしたくて一生懸命だったんだ」
「それは分かってる。このチョコレートを食べれば、あと十年は戦える」
「チョコレートにはエンドルフィンが含まれてるからな」
「はっはっは!」
なんて言うか、この二人の会話は何処かズレてる気がしなくもない。でも、ブレイバーと夢主、羨ましいくらい仲睦まじい光景であるとも思えた。
次に、爆発に巻き込まれたケークンと朱里。この二人も、酷い火傷を負った為、包帯で全身が覆われている。
ケークンは笑顔を見せながら、
「いやぁ、死んだと思った。まさか、こんな事になるなんてなぁ」
と、言っていると、横のベッドにいる朱里が言った。
「だから、よせと言ったろう。わしは嫌な予感がしたんだ」
「めんごめんごー。琢磨の家にそんな物が仕掛けられてるとは思わなくてさー」
「お陰でわしまで死ぬかと思ったわ! わしが人間だったら死んどるぞ!」
「まぁ無事で何よりってことで!」
「ドアホ!」
そんな会話を二人でしているので、俺は朱里に聞いてみた。
「朱里、あの部屋でいったい何があったんだ」
「してやられた。家に千枝の姿はなく、もぬけの殻だった。わしらにとっては見慣れた部屋、そんなリビングテーブルの上に大きな黒い箱が置いてあってな。動かしたら即座に爆発するトリック爆弾ってやつだ。それをケークンが何も考えずに持ち上げた」
「トリック爆弾……」
「爆発した瞬間にわしの意識は飛んで、その後の事はよく覚えてない。ケークンの両腕は吹き飛んだ」
見ると、ケークンの腕はまだ再生中の様で、ほっそりとした小さな腕が二本。まだ動かす事はできず、垂れ下がっていた。顔も酷い有様だった為、両眼も含めて包帯で見えないようにされている。
「わりぃ。正直、頭にもダメージ受けて、まだ記憶があやふやなんだけどさ。あたしの不注意らしい。戦わずして負けるとはね……」
と、ケークン。
俺は改めて二人に言う。
「まずは二人とも無事で良かった。ゆっくり休んでくれ」
すると、槍で刺されてマンションの九階から突き落とされ、全身打撲と骨折による怪我を治療中のクロードが話に入ってきた。
「ゆっくり休めって? そんな事言ってられる状況かよ琢磨。テレビじゃ大騒ぎだ。それに、笹野ちゃんが敵の協力者ってどういう事だよ」
そう言うクロードが、この中では一番元気そうである。
「俺だってよく分かってない。笹野さんにも何か事情があるのかもしれない」
と、俺は答えた。
今度は、園田真琴が発言する。
「それについてですが、警察の調べによると、二年前、東京に巨大バグが出現した頃を機に、スペースゲーム社管理部に勤めていた笹野栄子の勤務態度に変化があったそうです」
「変化?」
「ええ、ほぼ皆勤していた彼女ですが……欠勤が増え、休みがちで少し様子が変だったという話が同僚より出ています。警察としては、ゲームユーザーの個人情報を流出させたのも彼女ではないかと調べを進めています」
「個人情報流出って……」
「よく考えてみてください。今回、テログループ大蛇によって誘拐された人たちの共通点があるんです。それは……現在分かっている行方不明者の二十一名が全員、ワールドオブアドベンチャーの関東在住プレイヤーということです。例外は一人もいませんでした。彼らの住所、どうやって調べたと思いますか。インターネットでのコミュニティサービス利用には、身分証の登録を義務付けられた昨今、プレイヤーの個人情報をゲーム会社が握っています。なのでこれは……長い期間をかけて、ゆっくりと練られていた犯行作戦であると考えられます」
「笹野さんがそんな事に手を貸すなんて、信じられない」
すると、朱里が話に入ってきた。
「琢磨、笹野栄子はわしらの家に来ている時、時より怪しい動きを見せていた。先日あった光の柱発生時も、琢磨たちが出発した後、誰かに電話していたし、何か企んでいたのは確かだ」
「なんでそれを俺に報告してくれなかったんだよ」
「言うべきか、言わないべきか、悩んでしまった。彼女には家事洗濯でお世話になっていたし、そんな悪い事をする奴だとは、わしも思いたくなかったんだ。すまんな」
「それは……そうだけど……」
俺は俯く朱里の手元に、焦げてボロボロになった白衣がある事に気付いた。いつも朱里が愛用していた大きな男性用白衣だが、今回の爆発被害で、無残にも焼け焦げて穴が空いてしまっている。
そんな俺の目線に気付いた朱里が、聞いてもいないのに語り始めた。
「あー、これか? これはな、わしが向こうの世界で世話になった師匠の白衣だ。こうなってしまっては、もう着る事もできんな……残念だ」
朱里が何気なくいつも着ていた白衣に、そんな秘密があるなんて知らなかった。そして、こんな悲しげな表情を見せる朱里を見るのも、初めてだ。
見惚れてる俺の足元にいた小さいワタアメが、言葉を発する。
「琢磨。あの事、言わんでええのかえ?」
あの事……と言われて、俺は彼らブレイバーに重要な報告があるのを思い出した。それは報道でも流されていない事。今回の大蛇事件に巻き込まれたと思われる行方不明者の話だ。
俺は、それぞれ報告するべきブレイバーに目を配りながら話をする。
「ミーティア、ケークン、ジーエイチセブン。最後に夢主とあった日を覚えてる?」
それぞれがコクリと頷いた。
「その最後に会った日については、たぶん警察から色々聞かれると思う」
「どういう事だ?」
と、ジーエイチセブン。
「今回、大蛇によって狙われたのはワールドオブアドベンチャーの夢主。行方が分からなくなってる夢主のリストがあって……その中に……キミ達三人の夢主の名前があったんだ。勿論、俺も連絡を試みた。でも、ダメだった」
三人は驚きの表情を浮かべた後、最初に動こうとしたのはミーティアだった。
居ても立ってもいられなかったのだろう、ミーティアはその動かない手足で必死にもがいて、身体を起こそうとした。
「ダメ! それはダメよ! 絶対ダメ!」
と、ミーティア。
まだ動いてはいけない身体の為、真琴が駆け寄ってミーティアを動けないように抑え込む。彼らにとって、夢主は命も同然。敵に命を握られてしまった様なものだ。
するとミーティアは必死にこう続けた。
「私の夢主は二歳になる赤ちゃんがいるの! ナミちゃんっていう可愛い女の子が! だからゲームなんてやってる場合じゃないのに、私の為に、ゲームは続けるって言ってくれた優しい人なの!」
その叫びは、俺の心に刺さった。俺はミーティアを召喚する時、彼女の夢主にたった一度だけ会った事がある。ゲーム内では長い付き合いがあるだけに、少々複雑な思いだったけど、まるでゲーム世界の彼そのものみたいに、明るくて元気で、優しい男だった。召喚にも快く承諾してくれた。
テロリストの計画を未然に防ぐ事ができなかった自分に腹が立った。俺は下唇を噛み、泣き叫びたい気持ちをぐっと堪えた後にもう一つ報告を加える。
「千枝も……奴らに誘拐された」
増田千枝が誘拐された。
その事も初めて聞いた彼らブレイバーは、呆然として固まってしまい、病室に静寂が走る。
「な、なんで……なんでッ!」
と、ミーティアの声が震え、起き上がろうとする力が抜けた。
クロードは拳でベッドを叩き、ケークンは申し訳なさそうに顔を俯かせ、ジーエイチセブンは悔しそうな表情を浮かべる。
俺は続けて言う。
「一週間後、俺たちは再び戦う。それが吾妻の考えたシナリオだ」
「結局、あいつの思い通りになってるだけじゃねーか」
と、クロード。
「いや、一つだけ、あいつの思い通りになっていない事がある」
俺はそう言ってワタアメやアヤノ、そして彩花へと目を向ける。
誘拐に失敗した事も含め、この三名はきっと吾妻にとって想定外のはず。
そんな想定外の一人であるワタアメも意見を述べる。
「わっちは、一番のダークホースは間違いなくブレイバーサイカじゃと思うがな。あいつの協力を確約できるかどうか、それが運命を左右すると言っても過言ではありんせん」
それを聞き、今度はクロエが説明する。
「サイカとのコンタクトについては、二つ方法があります。一つは、ブレイバーリンクによる強制コンタクト。もう一つは、ここにいるサムが鍵です」
「俺か!?」
と、サム。
「この中の誰よりも最近のサイカと行動を共にしていたというのは、立派なステータスです。聞けば、先の襲撃時も、逃げ込んだコンビニでサイカと会話したそうじゃないですか。偶然会ったなんて言わせませんよ」
「オーケーオーケー。俺はまだ日本のBCUについてはよく分かってない。琢磨もだ。信頼できるかどうか、判断させてくれよ」
サムはそう言ってはぐらかした。
アメリカのニューメキシコ州であったブラッディメイカー社研究施設襲撃事件以来、サイカと行動を共にして、数日間だけ一緒に生活をしていたサム。彼にだけサイカと連絡を取る手段があるとでも言うのだろうか。もしそうであれば、強制コンタクトなんて強引な手段ではなく、しっかりと顔と顔を合わせた話し合いをしたいと……俺は思う。
近状を伝え、次の戦いに向けての決意をそろぞれ固めたところで、病院を後にした。
三二九・大蛇事件発生から二日後、二◯三五年、三月三十一日。
家を失った俺は、BCU本部施設内、書類で散らかった執務室で寝泊まりをしていた。まだBCUブレイバー達が全員完治していないという事で、退院に至っていないこの日、思わぬ訪問があった。
報道陣も多く集まるBCU本部施設の正面出入り口の前で、女性が泣きながら中に入ろうとして、見張りの自衛隊員がそれを手で制止させいている。
「奥さん、落ち着いてください」
と、自衛隊員の男性。
「通してください! 夫がここで働いてるんです! 通してください!」
「八崎二尉は殉職されました。ここにはいません!」
「三日前まで元気だったんですよ! 家族旅行に行こうって言ってくれてたんですよ!」
どうやら、先日のBチームでブレイバー達と行動を共にしていて、マンションでのブレイバータケルの襲撃を受け死亡した自衛隊員の家族の様だった。
陸上自衛隊所属の八崎龍斗、准陸尉。本日殉職が認められ、二階級特進で二等陸尉となった。
女性の叫びは、施設の中にまで聞こえていた。俺、アヤノ、小さいワタアメは、その様子を三階廊下の窓から覗き見る。
報道陣は好機と思ったのか、女性の叫びに便乗して、責任者の登場を求めていた。
俺が立案した作戦に従った事で、結果として事件に巻き込まれてしまう形となった。もし俺が、あの場に出て何か言うとしても、きっと何も言葉が見つからないだろう。
ここはアニメやゲームの世界じゃない。ここ現実で関わる人物は全て、NPCではない。それぞれの人生があって、それぞれに物語があって、それぞれに大切な物があるのだと、実感させられた。
やがてBCUの責任者として、矢井田司令が表に姿を出した。
カメラのシャッター音が響き、マイクが向けられる中、矢井田司令は深く頭を下げた後、ゆっくりと前に歩み寄って騒いでいた女性の前で立ち止まる。
「奥さん。八崎二尉は、人命を守る任務でテロリストの攻撃を受け、正当防衛でした。彼が持っていたライフルのマガジンは空で、常人離れした怪物を相手に三十発。最後まで諦める事なく、勇敢に一歩も引かず、撃ち続けました。最後まで立派に……戦いました。なのでどうか、彼の勇気を、無かった事にしてはいけません。日本の平和を守ろうとした彼の行動を、無かった事にしてはいけません」
その言葉を聞いた女性は、地面に泣き崩れながらも、
「還してください! リュウちゃんを還してください! 還してよォ!」
と、叫んだ。
「こんな事になってしまい、これ以上申す言葉も思いつきません。ゆっくりでいいので、悲観せず前を向いて、彼の分まで生きてあげてください。よろしくお願いします」
矢井田司令の心の込もった言葉と、女性の泣き声が響き、その空気の重さに報道陣も思わず黙ってしまっていた。
そして矢井田司令の指示で、BCUの女性職員が泣き崩れる女性に駆け寄って宥めつつ、彼女の送迎に移る。報道陣もすぐに騒ぎ出し、「責任の所在」「作戦の不備」「BCUの解体」「司令の辞任」などのキーワードを含めた質問が次々と投げられる。が、矢井田司令は記者の質問に一切答える事なく、無言のまま施設内へと戻って行った。
その一部始終を見終わった俺は、近くのソファに座り、電子タバコを口に加える。
煙を吸って、吐いて、吸って、吐いて。自分の居た堪れない気持ちを、どうにか抑え込む。
すると、アヤノがちょこんと俺の横に座って言った。
「先輩。煙草……吸う様になったんですね」
「うん」
「たぶんそれ、お父さんと同じ煙草です」
「飯村警部に薦められたからね」
「警察が煙草を薦めるって……と言うか、まさかお父さんと知り合いになってたなんて……本当に、二年も経ってしまったんですね……なんか……たった二年だけど、浦島太郎になった気分です」
「アヤノさんは」
「あっ! 呼び捨てにしてください! 病院でさり気なく呼び捨てで呼んでくれたじゃないですか」
「あ、うん。まだ聞いてなかったけど、アヤノは……今まで何処にいたの?」
「えっとですね……」
聞けば、やはりと言うか何と言うか、うろ覚えながらも無の空間を彷徨っていたとの事だった。
サマエルや管理者がいた狭間は消失したけど、また『別の狭間』が宇宙の様に存在していて、何も無い空間があるらしい。人は何も無い場所に長くいると発狂してしまうと言うけど、そうでもなかったらしく、色んな世界が見えたので退屈はしなかったとの事だった。
「世界が見えた?」
「はい。本当に色んな世界があったんです。なんかフワフワした視点で傍観する事しかできなくて……正直ほとんど覚えてないんですけど、ほんとに沢山の世界を……物語を……見た……気がします。上手く言えないんですけど……先輩、今どうしてるかな、何してるかな、会えるかなって考えてたら、急に目の前が真っ白になって、今に至ります」
俺はアヤノの頭の上に乗ってる小さいワタアメに話を振った。
「どう思う?」
「どう思うも何も。狭間とは本来そういう場所じゃ。神の宇宙……とでも言うべきか。サマエルはその中でも創造の吹き溜まりに出来てしまった悪性の腫瘍みたいなものじゃった。管理者が手に負えない大きな腫瘍。それを抑えていたのがゼノビア。抑える過程で産まれてしまったのが、レクス、キャシー、サイカ、そしてわっちじゃ。もっとも、レクスとサイカはその中でも特異中の特異でありんす」
「やっぱり、サイカ達がマザーバグ……いや、ゼノビアバグを倒してしまった事が全ての原因なのか?」
「ふむ。前にも言ったと思うが、ゼノビアは限界が来ておった。遅かれ早かれ、同じ事になっていた……というのがわっちの見解じゃな」
「悪性の腫瘍が消失したのに、なんでバグの被害がこっちまで拡大してるんだ」
「それは、彩乃の特殊な冥魂を取り込んだサマエルが、一時的に繋げてしまったんじゃよ。救出された事で閉じられたはずじゃが、レクスが侵入して内側から無理やりこじ開けてしまった。その術を会得してしまったと言うべきか」
そこまで聞いていたアヤノが俯きながら言う。
「やっぱり……私のせい……なんですね」
「切っ掛けはそうじゃな。が、一概にそれだけが要因とも考えにくい。今、こうなってしまっている事の原因はキャシーの行動にもありんす」
俺もサイカの記憶を得ている事で、なんとなく覚えている。
キャシーという銀髪の女が、向こうの世界で大暴れして、こっちの現実世界でも大暴れして、大きな傷跡を残した事。
「そうだ。キャシーバグは世界に異変があった時……いや、あの時、世界の時間が一瞬止まった事があった。あれはいったい何だったんだ」
と、俺。
「わっちはキャシーではないから、あくまで予想なんじゃが……本来あってはならない世界の繋がりが太くなった事で発生する『次元の修正』を、キャシーは暴れる事でキャンセルしたのではないか……と思っとるよ」
「次元の修正……?」
「例えば……そうじゃな……物書きが何かを間違えた時に、その文字を消して書き直そうとするじゃろ。もしくは捨ててしまうか。それに近い。キャシーは強引にそれを消されない様に、暴れ回って修正不可能にした」
「キャシーは破壊することが救済みたいな事を言ってたけど……そういう事だったのか」
「今この世界に生きるサイカは、もうその事には気付いている」
「創作の神サイカ……もうサイカは、俺の知ってるサイカではないって事だよな」
「さぁの。それについては、わっちも分からん。いつか本人の口から聞いてみるといい。新たな特異の存在である琢磨なら、受け入れられるじゃろう」
そう言って、ワタアメは急に人型ブレイバーの姿に変身。俺の腕にスリスリと頬を擦り付け、主人に甘える猫のような仕草を見せた後、アヤノに向かって言った。
「そりよりもじゃ。アヤノ、お主臭うぞ」
「えっ!?」
と、自分の体臭を確認するアヤノ。
「そうじゃない。何というか……レクスの残り香と言うべきか……『種』じゃな。身に覚えがあろう?」
「あっ!」
何かを思い出した様子のアヤノを見て、ワタアメは気だるそうに立ち上がり、大きな欠伸をした後、
「ほれ、こっちに来い」
と、アヤノの手を取って、近くにあった女子トイレへと入って行った。
俺は思わず聞き耳を立てる。
聞こえてきたのはアヤノの声だった。
「ちょ、どこ触って……あんっ……んっ! そこは! やっ……んんっ! やめ……あっ……だめっ! ああッ!!」
いやいや、何やってんだよ。
聞いてて恥ずかしくなる喘ぎ声が、女子トイレの中から聞こえる。
しばらくして、静かになったと思ったら、二人が出てきた。
アヤノは頬を赤らめ、恥ずかしそうに乱れた服を整えている。ワタアメは何やら満足気な様子で、手に黒い何かを持っていた。
ワタアメは、手に持っていた黒い物を投げ捨て、俺の前に落とす。
「これは?」
人間の心臓にも似た形をしていて、真っ黒で、ぶよぶよとした何か。俺は思わずワタアメに聞いてしまっていた。
「レクスの種じゃな」
「レクスの種?」
「ブレイバーを洗脳する寄生物。これがアヤノに入っていた事、二人とも身に覚えがあるんじゃないのかえ?」
確かにある。アヤノが変になってしまったのは、これが原因だったのか。
俺は床に落ちてるソレを、恐る恐る手に取ると、ワタアメは加えて説明した。
「役目を終えて停止しておったが、いつ動き出すやもしれんのでな、取り除いた」
「こんな恐ろしい物があったのか……これで人間も洗脳できるのか?」
「コアに寄生するから、ブレイバーのみに有効じゃ」
「じゃあシノビセブンのみんなや、タケルもこれで……」
「さて、どうじゃろうな。どちらにせよ、その種を使った洗脳はレクスが得意とする常套手段じゃ。気色悪い。この種の犠牲になったブレイバーも多かろう」
そう言いながら、俺の隣に座ったワタアメは、良い事したんだから褒めろと言わんばかりに、人型のまま俺に擦り寄って来た。
その反対側からも、アヤノが恥ずかしそうに、でも何処か落ち込んだ様子で俺の腕を掴み、そして口を開いた。
「ソレを入れられた時、バグが信頼できる家族みたいに感じて……聞こえてくる天の声に従うのが当たり前みたいに思えて……それがおかしい事だとは思えなくて……ごめんなさい。たくさんたくさん、心配掛けて、迷惑掛けて、ごめんなさい」
俺は応える。
「良いんだよ。こうやって無事なら、今はそれで良いさ。俺こそ、こんなに時間掛かっちゃって、ごめん」
と、俺は二人の女性の頭を撫でた。
そこでアヤノは気になっていた事を口にする。
「あの、増田千枝さんって――」
「アヤノ。今は聞かんでやってくれ」
と、ワタアメが止めたけど、俺は何が聞きたいのかを察して答える事にした。
「俺の彼女だよ。千枝と俺は付き合ってる」
「そう……ですか……」
少し残念そうに俯くアヤノ。
右手には猫娘、左手には褐色肌の少女、よく考えたらこの状況を見た奴は羨ましいと思うかもしれない。でもそうじゃないんだ。今はそんな事を考えてる場合じゃ……無いんだ。
サムが久々原彩花と共に廊下を歩いて来て、ソファに座る俺たちを発見すると、お取込み中と勘違いして咄嗟に身を隠していた事は何も言わないでおこう。
すると、何処からともなく施設管理AIであるゼニガタマルの機械音声が聞こえてきた。
『異性交遊は通路ではなく、部屋の中でお静かにお願いします』
やかましい!
解説
◆エリアΔⅤ
アメリカ軍が管理する極秘エリアのこと。大統領でさえその全てを把握できていないと言われているほどヤバイ区域。纏わる都市伝説は数知れず、その多くが、地球外生命体との関わりを示唆している。
◆秘密結社フラミナティ
陰謀説として、裏で世界各国の政治を操っていると噂される政治的イデオロギー組織。多くの著名人や世界的大企業のトップが所属しているとされ、全貌は一切明かされていない。
歴史上のフラミナティは、十八世紀後半に一時期存在した組織であることは間違いないが、ある時を境に闇に隠れ、表舞台から姿を消した。なので今も存在していると言う陰謀説は、都市伝説として広く認知されている。
◆タケル
飯村彩乃の弟、武流は本作の序章や一章で少しだけ登場していたのを覚えているだろうか。
その武流がワールドオブアドベンチャーで使用していたキャラクター『タケル』も又、ブレイバーとして序章に登場していた。彼がこの現実世界で悪事に手を貸す理由は、後々語られる事になるだろう。
◆キャシーの英断
次元の修正が発生した際、それが起きると事前に予知していたキャシーはその邪魔をして停止させていた。それが結果として、『今』に繋がっている。次元の修正が始まった時どうなったのか、キャシーは何をしたのか、それについては本作の二章終盤を読み返してみてほしい。
◆サマエルとゼノビア
狭間の創造の吹き溜まりで産まれたサマエルは、膨脹して大きくなり、管理者でも手におえない存在となっていた。
しかし、ゼノビアがマザーバグとしてサマエルとの意思疎通を行っていた事で、それもある程度抑える事ができていたと言う。ただしマザーバグにもサマエルの悪意が徐々に感染していて、マザーバグの暴走が始まってしまった。それがサイカ達が本作の序章で倒したマザーバグである。




