83.痛む心に塩を塗る
この日の出来事は、俺はきっと一生忘れる事がないだろう。
一人の狂った男と、組織の陰謀が、俺たちの培った環境と人間関係を叩き割ったのだから――――
爆発、また爆発。五階建ての立体駐車場が今にも崩壊してしまうのではないかと思える程、至る所で爆発が起き炎と煙が吹き荒れている。
集まった十台に及ぶ消防車と、数十名の消防隊員達は消火活動を始めてしまって良いものかどうか、判断に悩む。その理由は、中から聞こえる戦闘音だ。金属と金属が激突する音、コンクリートが砕ける音、時より放たれる光線。
中で想像も絶する戦闘が行われているのは確かである。
ジーエイチセブンが建物外に吹き飛ばされて四階の位置から落下、駐車されていたパトカーの上に墜落した。パトカーは潰れ、肌が焼け装備がボロボロになったジーエイチセブンは埋まる。
「こりゃ無理だ」
と、呟くジーエイチセブンの口からは煙が出て、もう立てそうになかった。
ジーエイチセブンが落下した方とは逆方向、病院側の地上駐車場では、俺がアヤノの召喚に成功していた。
俺の目の前に立つアヤノは、褐色肌で額には二本の角、長い銀髪。ワールドオブアドベンチャーで見たアヤノそのものである。今までのブレイバーアヤノと違うのは、瞳の色がオッドアイではなく、ゲームキャラクターのアヤノと同じ眼の色に戻っている事くらい。
「せん……ぱい?」
いきなりの事でアヤノは驚いてしまってる様だけど、俺の事を見るその目には光が宿っていて、何より、俺のことを先輩と呼んでくれる懐かしい響き。
飯村彩乃が戻ってきた!
そして、アヤノのすぐ横でワタアメに優しく抱擁されている飯村彩乃が、現れた銀髪少女アヤノに向かって両手を伸ばした。
「うい……うい……あうい」
それはまるで、赤ちゃんが母親を求めるような、そんな仕草だった。
「おわっ! って、私!? えっ? なにこれ?」
戸惑うアヤノを余所に、俺は言う。
「アヤノ。話は後だ。ここから逃げよう」
「え? あ、うん。わかった!」
ワタアメも頷いて、彩乃を抱き上げる。
俺はアヤノの手を取って、走り出そうとしたその時、立体駐車場から誰かが飛ばされてきて、俺達の後ろで転がった。ミーティアだ。思わず足を止めて振り向いてしまった。
「ミーティア!」
と、俺が彼女の名を呼ぶ。
鎧が砕け、全身が傷と火傷だらけで、血反吐を吐きながらも立ち上がろうとするミーティア。その目は、まだ逃げてなかったのかと、そんな事を訴える睨みだった。
すぐに立体駐車場の屋上から飛ぶ大きな影があった。完全にバグ化したシャークバグだ。
シャークバグは、片手に大きな黒剣を持ったまま、ミーティアを踏みつける様に着地。
道路にのめり込むミーティアの背中を、片足で抑え込みながら、シャークバグはこちらを見る。いや、その目線は真っ直ぐアヤノを見ていた。
「会いたかったぜぇアヤノォ!」
嬉しそうにそう言うシャークバグだったが、その禍々しい見た目のせいでアヤノはすぐにそれが誰か判断する事はできなかった。
「バグ!?」
「おっと、これは失敬」
と、シャークバグはバグ化を解除してシャークの姿へ戻る。
その眼帯と髭面の男、手に持っている大剣、アヤノは誰か思い出した様だ。
「貴方は……確か……」
「シャークだ。ゴブリン村で戦ったろ。待ってたぜ。俺はお前と戦う事が希望だった!」
「あっ! シャークさん! え? でもここって……現実じゃ……」
あまりにも奇想天外な状況に理解が追いついていないアヤノだが、シャークは歩いてこちらに近付いて来る。
「さぁ俺と戦え! 今度こそ俺があの時のリベンジマッチをしてやろうってんだ! いいだろう!」
怯えて俺に縋り付いてくるアヤノ。
走れば逃げれるのか。このミーティアやジーエイチセブンも圧倒してしまう様なブレイバーから、走って逃げる事なんてできるのか。
俺はアヤノを庇う様に抱き寄せ、シャークを睨みつける事しかできない。
するとワタアメが、
「制限時間がもう僅かじゃが、わっちが行こう」
と、横抱きしている彩乃を地面に降ろそうとする。
しかし、次の叫び声でワタアメの手は止まった。
「待ちなさい!」
シャークの背後からだった。
「ああ?」
シャークが振り返ると、そこには先ほどまでシャークに踏まれていたミーティアが立ち上がり仁王立ちしている。
手には二本の剣。倒れてもおかしくないほど傷だらけで、片目も瞼がしっかり上がっておらず、鎧も割れ服も破けあられもない姿になりながらも、彼女はそこに立っていた。
「私はまだ……負けてないッ!」
ミーティアは真面目な性格である。そして負けず嫌いで正義感が強く、腕を骨折してようが戦に赴く。
そんな彼女が嫌いな事、それは「女だから」と下に見られる事だ。彼女が慕うシッコクと言う男は、憧れるほどの強さがある以上にそれをしない堅実な男だった。
『やっぱり女はダメだな。二刀流でどんなに速かろうが、軽い、柔らかい。そんなんじゃ一生俺には勝てねぇよ』
そんなシャークの言葉は、ミーティアの逆鱗に触れている。
不屈の精神による気迫。今まで感じた事も無いほど、空気の流れすら変えてしまっているのではないかと思える気迫が、ミーティアから伝わってくる。ただそこに立って、シャークを睨んでいるだけなのに、闘志が伝わってくる。
シャークもそれを感じていた。もう立てるはずないと思っていたのか、少し驚きの表情を浮かべた後、シャークは笑う。
「かっ! まだ立てんのか! やめとけよ。何度やっても無駄だぜ」
「貴方が馬鹿にした女の意地が、貴方を圧倒する!」
「威勢だけは認めてやるよ。だが所詮お前は三下だ」
「そう言って逃げるのね。臆病者!」
「ああ? あんまりうるせぇと、消すぞ。調子乗んなクソアマ。いいぜ! ご要望通り、第二ラウンドと行こうじゃねぇか!」
俺は知っている。BCU所属ブレイバーの中でも、ミーティアは努力し、人知れず鍛錬を重ねていた事を知っている。
きっと異世界で精鋭ブレイバー隊の副隊長だった頃からそうだったのだろう。いついかなる時、強敵が現れても戦える様にと、彼女は独自に戦闘技術を磨いていた。ケークンに何やら教えてもらっている姿も見た事がある。
雨の中、ずぶ濡れになりながらも、睨み合うシャークとミーティア。
いつどちらが動くのか分からない緊迫した雰囲気に、俺はこれから起きる戦闘の行く末を思い、動く事も目を逸らす事もできそうにない。
最初に行動したのはミーティア。夢世界スキル《ソードクイッケン》を発動して、全身を眩い金色に染めた。
それを見たシャークは呆れ顔で言う。
「おいおい、そりゃさっきも見たぜ。速さだけで何の――――」
「ソードクイッケン・オーバードライブ!」
ミーティアの輝きが増す。同時に気迫も増した様に思える。
「ダブルクイッケン!」
と、ミーティアが消えた。
ここからは速度とかそういう次元を遥かに超えた戦い。ビデオでスローモーション再生してやっと把握できるような、目に見えないミーティアの連続斬撃。
シャークに瞬間的に詰め寄ったミーティアは、両手にそれぞれ持つ赤の剣と青の剣で、斬り付けた。秒間で八回は斬っている様な速度を前に、シャークは反射的に全身をバグ化させていた。
バグ化により硬化した皮膜を盾に、シャークも大剣で反撃。
「言っただろ! 速さだけでパワーが無ければ同じこと!」
と、シャークバグが叫び剣を振るうもミーティアはそれを剣でいなす。
「まだまだァ! トリプルクイッケン!」
ミーティアの速度が更に増す。
夢世界スキルの重ね掛け。当然、ゲームのルールを守っていたらそんな事は不可能な所業。これは、数々の敗北を経験したブレイバーミーティアが、その悔しさをバネに編み出した奥義。オリジナル固有スキル。ブレイバースキルと言った方が良いだろうか。
シャークバグの防御が間に合わず、その頑丈な身体を削る攻撃の数々。これは堪らないと悟ったシャークバグは、夢世界スキル《インペリアルソード》を発動して片手で持っていた大剣を両手で持ち構える。周辺の霊魂の様な光がシャークの身体に纏い、凄まじい威圧感を放った。
この攻撃は周囲にいる者の行動を鈍らせ、防御不可の絶対必中攻撃を出す。強烈な薙ぎ払いが、ミーティアを襲った。
「クアドラプルッ!」
そう叫ぶミーティアは、もはやそこに存在しないとも言えるスピードに至っていた。ゲームのシステムであれば、必ず当たるスキルをも超越した速度。正に神速。異次元の領域。
「こいつ! 見えねぇ! なんだその攻撃はァーッ!」
焦るシャークバグに、刃の嵐が吹き荒れる。見えない存在からの一方的な攻撃。迸る赤と青の剣の輝き。
防御も避ける事もままならない状況に、シャークバグの体は着実に削られる。全身が斬り刻まれ、片腕が斬り落とされ、シャークバグ自慢の大剣も弾かれ宙を舞う。
「クイン……ティブルッ!」
と、更に速度を上げたミーティア。
もはやミーティアの剣筋はおろか、彼女が何処に立っているのかも分からない程のスピード。雨水が勝手に弾け飛ぶ様は、まるでシャークバグの周りだけカマイタチが取り巻いているかの如く。
見えない刃がシャークバグを斬り刻む。上から、下から、右から、左から、後ろから、正面から、岩の様に硬いシャークバグの黒い皮膚を着実に削る。
当然、あまりにも無茶な重ね掛けの影響で、ミーティアの身体は限界が来ていた。
全身の筋肉が悲鳴をあげ、口や鼻、目からも血が吹き出しながら、それでもミーティアは目の前のシャークバグを倒す為に最後の一撃を行う。それは縦回転斬りからの、鋭い突き技だった。
コア部分を的確に狙った突きだったが、シャークバグはそれを見切って、残っていた片腕の手の平で受け止める。
ミーティアは手に刺さった青の剣を手放し、残りの赤の剣で今度はがら空きの首を狙う。が、そこまでだった。
重ね掛けをしていた《ソードクイッケン》の効果が突然切れ、ミーティアの動きがピタッと止まってしまったのだ。ミーティアの意識は飛んで目に光が無く、膝から崩れ落ちる様に倒れてしまう。
限界を超えて気力だけで振るっていたミーティアの連撃は、精神の糸がプツリと切れたかの様に終わった。
猛烈な勢いで斬り刻まれ、ボロボロな姿になったシャークバグは、今の猛攻が心底楽しかったのか、余裕の無い冷や汗混じりの笑みを浮かべている。
「前言撤回。お前は強い。気に入ったぜ。バグの力も無しに、そこまでやれんなら上等だ。俺は今、この場に生きて立ってる事に喜びを感じちまってるんだからよ。いいもん見させて貰ったぜ」
と、シャークバグは右手に刺さった青の剣を口で抜き、倒れているミーティアの前に転がした。
特に動かなくなったミーティアに危害を加えるつもりはなくなったらしく、シャークバグは再び俺たちの方向を見て、こう言った。
「……しらけちまったな。サイカも来てねぇし、今回はこの辺にしておいてやる。次はもっと強くなれよ正義のブレイバー。これは吾妻の考えじゃねえ。俺個人の願望だ」
そう言うシャークバグは、傷を再生しながら、形態を大きく変化させた。
あっと言う間に大きな黒い影になったと思えば、大きな翼と尻尾が出てきて、ドラゴンの様な姿へと変貌。隠していた第二形態と言うやつなのかもしれない。
そして、俺はこのドラゴンバグに何処か見覚えがあった。懐かしいと感じてしまったこの感覚は、俺の記憶とサイカの記憶から呼び起こされたものである。
ゲームのキャラクターだったサイカに、魂が宿ったあの瞬間、あの場所にいたドラゴンバグと似ているのだ。
大きく真っ黒なドラゴンバグはアヤノを見つめ、
「期待してるぜ。アヤノ」
と、翼を羽ばたかせて空を飛び、その場から颯爽と去って行った。
勢いのありすぎる出来事の連発で、俺も呆けてしまっていたが、警察や消防隊員が突入してきた騒ぎで我に返る。
何とかこの場の危機は去った。
救急車に乗せられるジーエイチセブンやミーティア。
警察から事情聴取をされる俺やアヤノ。ワタアメは探られるのが嫌だからと、飯村彩乃をその場に残して人知れず現場を離れ、隠れてしまった。
そして、血相変えて俺の元に駆け寄ってきた飯村義孝が話しかけてきた。
「明月くん」
「飯村警部……」
義孝は看護師に介護されている飯村彩乃と、俺の横に立つアヤノを順に見て無事を確認していると、思わずアヤノが言葉を出した。
「おと……」
彼女はお父さんと呼ぼうとしたのだと思う。でも、途中で口を止めた。その目線は、近くにあったガラス窓に映る自分の姿に向いている。
そんなアヤノを前に、義孝は何か察した様に薄っすらと笑い、口を開く。
「明月くん。まずはお礼を言わせてくれ。彩乃を助けてくれてありがとう」
「あ、いや、そんな。彩乃さんには会わないという約束、破ってしまってすみません。こんな事になってしまったのも、全て俺の責任です」
「さっきの光。ブレイバーを召喚……させる時の儀式か何かだね?」
「はい」
「では、その女性は、彩乃のブレイバーになるのか?」
俺はアヤノを見ると、アヤノはコクリと頷いた。
「そうなります。この子は、彩乃さんがゲームで扱っていた分身。そして今は、ブレイバーとしてここにいます。少し事情があって、呼び出しました」
「そうか……そうか……」
と、近くにあったベンチに座り込み頭を抱える義孝。
そこへ看護師が彩乃を車椅子に座らせて近づいて来ると、彩乃はアヤノに向かって手を伸ばす。
「ああう……ああう……」
彩乃はアヤノに対して、何か感じることがあるのか、一生懸命にアヤノを触ろうとしていた。
すると、アヤノはそんな彩乃の手を握り、何かを考えた後、意を決した様に義孝に近づき、優しく声を掛ける。
「大丈夫。彩乃は元気です。いつかきっと、近いうち、ちゃんと帰ってくると……思います。私にはわかるんです。だから……彩乃のことは心配しないで、無理はしないで、彩乃のお父さん」
「ああ。ありがとう」
その言葉に少し涙ぐむ義孝だったが、しばらく堪えた後、改めて別の話題を俺に振ってきた。
「明月くん。あの眼帯の男、俺に息子も預かってると言っていた」
「えっ!?」
「確かに、ここ数日顔を見ていない。母さんに確認したら、家にも帰ってきてないようだ。最悪の事態かもしれない」
「まさか、息子さんもワールドオブアドベンチャーをプレイされてるんですか?」
「……詳しくは知らないが、彩乃と同じゲームをやっているのは知っている。なあ教えてくれ明月くん。ブレイバーとはいったい何なんだ。ゲームのキャラクター。たったそれだけで、こんな事になってしまうのか」
「すみません。この事は、正直、おとぎ話みたいな……突拍子もない事情なんです。確かに元々はゲームが原因で、人間が足を踏み入れてはいけない領域から起きている陰謀です。今、それを何とかしようと戦っていて……」
「俺は……どうしたらいいと思う。娘は変わり果て、息子も奪われたのだとしたら……どうしたらいい」
そんな会話を聞いていたアヤノは、今度は強めな口調でこう言った。
「おと……彩乃のお父さん! 警察なんだから、国の平和を守る立派なお仕事なんだから、そんな弱音は吐かないで。息子さんもきっと無事だから。悪い奴を絶対捕まえてよ。お父さんがそんな弱気になってたら、彩乃も悲しむから! ねっ!」
義孝は少し驚いた様な表情を見せ、
「はは……そうだね。なんか不思議な気分だ。まるで娘に叱られてる様で」
と、口にした。
「と、とにかく。私も彩乃のブレイバーとして立派に戦うから」
「えっ!?」
と、俺は耳を疑う。
突然、アヤノがブレイバーとして戦うと言い出した。
でもアヤノは俺に強い眼差しで、もう決めた事だと言いたげに主張してくる。先ほどのシャークとミーティアの戦いを見て、何か感じることがあったとでも言うのだろうか。
俺はとりあえず、彼女の意志を尊重して、話に乗ってあげる事にした。
「この子は、この見た目ですし、世間の目もありますのでブレイバーとしてBCUの管理下に置かせて頂こうと思いますが、良いでしょうか。もしかしたら、今後起きる戦いに参加する事も否めません」
「極力、丁重に扱ってやってほしい。この子は……他人と思えなくてな」
「分かってます。彩乃さんについては、まだ俺が苦手みたいですし、引き続き病院にいた方がいいと思いますが、念のため警護は付けてください。今回、厄介な敵が相手にいます。今回の件も、そいつの策略でした」
「敵?」
「詳細はあとでBCUから警察に共有します。簡単に言えば、バグやブレイバーを操って悪巧みをしている存在が発覚しました。逢坂吾妻、そして海藤武則と言う男です。今回、彩乃さんを誘拐しようとしたブレイバーも仲間です。彼らはBCUに対して、宣戦布告をしてきました。反社会的で、攻撃的な連中です」
「そうか。では私もうかうか休んでられないな。警察として、その容疑者の行方を突き止めよう」
「はい。よろしくお願いします」
俺は義孝に向かって頭を下げた。そしてアヤノも遅れて頭を下げる。
そこへ警察官の一人が駆け寄ってきて、
「明月さん、よろしいですか」
と、呼ばれたので、俺とアヤノは警察官と一緒にその場から離れる。
「明月くん」
義孝に呼ばれ、俺とアヤノは足を止める。
「はい」
「その子を、よろしく頼む」
この人はこのブレイバーアヤノの正体を、薄々勘付いてるのだろうか。
俺は一言、
「はい」
と、返事をした。
立体駐車場で発生した火災は、消防士の消火活動と雨の恵もあり、着々と鎮火している。
そんな光景が一望できる病院の屋上に、小さいワタアメがいた。他に誰もいないはずのその場所で、雨によって若干歪みが生じている透明の人物に向かって話を振る。
「なにをそんなに意固地になっておる。もう分かってるんじゃろ。なぜ本当の事を話してやらない」
「…………」
「一番効率の悪い方法を選びおって。わっちはな、お主にわっちと同じ道を歩んで欲しくない」
「…………」
「あいつはわっちに言ったぞ。もっと歩きやすい道を探せ……とな。今、お主がやってる事は、歩きやすい道かえ? 本当に何も話してやらん事が、正しい道なのかえ? よく考えてみるといい」
「…………」
透明な何者かは、そのまま何も言わずにその場を立ち去って行った。
「行ったか……」
と、小さいワタアメはしばらく雨に打たれながらも、しばし消防隊の消火活動を見守る。
警察の事情聴取を受けている時の事だ。
あまりにも長い質疑応答に、アヤノが空いていたベンチの上で横になり始めた頃、俺のイヤホンマイクから園田真琴の声が聞こえた。
『聞こえますか。こちら、BCU本部』
「ちょっと失礼」
と、警察官に一言断った後、その場を少し離れつつ応答する。
「はい、明月です」
『繋がった。まずはそちらの状況を伝えてください』
「Aチーム、敵ブレイバーと交戦した後、要救助者を保護。ただしミーティアとジーエイチセブンは、重症で一旦病院に運ばれた」
『承知しました』
「Bチームは?」
『……それが……』
「ん? 何かあったのか?」
真琴の声が暗い。
俺は嫌な予感がした。
『Bチーム、マンションに到着後。明月さんの自宅に入ったところで……部屋が爆発、炎上しました』
「え?」
今、爆発炎上って……まさか。
『まだ詳細は不明ですが、状況から、爆発物が仕掛けてあった様です。部屋の中に入った明月朱里、ケークン、両名は爆発に巻き込まれ……部屋の外で待機していたクロードと自衛隊員二名は何者かの奇襲を受け……いずれも意識不明の重体で病院に搬送されました。自衛隊員二名は死亡を確認。又、マンションの住人及び従業員にも被害が……』
「待って……待ってくれ……待ってくれ! 千枝は……千枝はどうしたんだよ!」
『……すみません。現在、現地で消防隊員が捜索中です。見つかっておりません』
「そんな……さっき電話したんだ! 家のリビングにいるって! 待ってるって! 絶対に出ないって! そう言ってたんだ! 千枝は! そう言ってたんだよ!」
『落ち着いてください明月さん。病院で起きたブレイバー同士の紛争と、高層マンションで起きた爆発事件。どちらも今、SNSを中心に大きな騒ぎになってます。テレビでも報道されていて――』
「そんなの知った事か! 今すぐ! 今すぐ探してくれ!」
『分かってます。とにかく、すぐに本部まで帰還をお願いします。私達はブレイバー四名を負傷させてしまい、戦力が大きく欠けている状況です。こんな時だからこそ冷静に。よろしくお願いします』
「そうだけど……そうだけどさ……わかった。すぐ戻る」
芸能人も多く住んでいる様な、三十五階建ての高級マンション。受付のコンシェルジュもいて、関係者以外立ち入り禁止で、他の何処よりも安全な住居なんだろ。
俺の部屋に爆弾が仕掛けられてた? いったいいつ、どうやって。
千葉の病院からBCU本部まで戻るオスプレイの中は、静かだった。
自衛隊員二人、小さいワタアメ、そしてアヤノ、俺、五人を乗せている。行く時はここにいたミーティアとジーエイチセブンの姿は無い。
Bチームで起きた出来事を知った事で、俺たちAチームの辛うじての勝利を喜ぶ気持ちなんて湧くはずがない。どうやら、ここにいる全員が同じ気持ちなんだと思う。
アヤノもその空気の重たさを悟って、空気を読んでいるのか、話しかけてくるような事は無かった。ただずっと、ワタアメと一緒に俺の傍に寄り添うアヤノがそこにいた。雨に濡れて冷えた体に、アヤノの体温はとても暖かく感じた。
そんな時、俺のスマートフォンが震える。
手に取って画面を見てみると、【増田千枝】の文字がそこにあった。先ほど何度か電話しても出なかったのにいきなり折り返しが掛かってきたのだから、俺は迷う事なく電話に出る。
「千枝! 無事なのか! 今何処にいる!」
思わず大声で問いを投げるも、思わぬ音声が受話口から聞こえる事となる。
『やあ、琢磨』
男の声。聞き覚えのある声。
「逢坂吾妻……」
『俺が用意したエンターテイメントは楽しんでくれたかな。二チームに分けて同時に行動する。確かに良い案だったけど、やっぱりそれは強欲だよね。キミは千枝に電話して、それで安心してしまっていた。マンションは大丈夫と。羨ましいくらい良いマンションだからね。そこに甘えが生じちゃうのも分からなくもない。愚策とは言わないさ』
「どうやったんだ……何をした! 千枝はどうした!」
『怒鳴るなよ。良い大人だろ。マナー良く会話しよう』
「ふざけやがって」
『本当はさ、ブレイバーのコアごと吹っ飛ばして消滅させる予定だったんだけど、爆弾の火力が足りなかったみたいだ。ブレイバーって思ったよりも頑丈だよね。中途半端な結果になってしまったのは、俺としても反省点。でも、千枝は回収させて貰った。前みたいに可愛がってあげるから、安心しなよ』
「吾妻ッ! 千枝に何かしてみろ! お前を殺す!」
『おー怖い怖い。キミからまさかそんな脅迫をされるとは予想外だ。ククッ。よっぽど千枝が大事なんだね』
この時、俺の頭は真っ白だった。怒りと、憎しみと、哀しみと、後悔と、色んな感情がぐるぐると駆けまわって、入り混じって、思考回路をショートさせていたんだと思う。
それと同時に、俺はあのマンションで過ごした二年間の日々の思い出と、千枝の笑顔を脳裏に浮かばせてしまっていた。
人の一生から見れば、ほんの僅かな時間なのかもしれない。でも、朱里や千枝、BCUのブレイバー達、笹野さん、高枝さん、本当に多くの人と紡いだ時間が一人の男によって踏みにじられたんだ。
怒るに決まってるだろう。我を忘れるに決まってるだろう。
だけどもっと冷静になれ俺。BCUに喧嘩を売って、千枝を連れ去りましたで終わりにするはずがない。
まずは聞き出すんだ。深呼吸をしろ。
「……何が目的だ吾妻。まだ何か企んでいるんだろう」
『勿論。次のステージは……囚われの夢主を救え、と言うのはどうかな?』
「人を誘拐しておいて、ゲーム感覚か! 人をなんだと思ってる!」
『ククッ。人ってさぁ……脆弱な生き物だよねぇ。琢磨も平社員やってたなら感じた事くらいあるだろう。運と周りの人間に流されてばかりな、無力で、ちっぽけな、自分自身をさ。イライラするだろう。虚しくなるだろう。夢? 努力? 友情? そんなものは飾りだよ。結局は、集団に自由を剥奪された惨めな生き物さ』
「狂ってる」
『狂ってる? 面白い事を言うねキミは。じゃあ俺を狂わせたのは誰? 表では順風満帆な社会人。裏では彼女を使ってストレス発散。後は普通だったこの俺を闇に追いやり、社会のどん底に突き落としたのは誰? キミか? 違うだろう』
「当然の結果だ。どんな奴だろうが、私利私欲の為に同じ人間を傷つけるのは罪だ」
『企業の社長と、路上で座り込んでるホームレスが、同じ人間とでも言うのかい? 努力して掴み取ってきた奴と、努力せず落としてきた奴に、同じ価値がある訳ないだろう。貴族と奴隷ぐらいの違いがあるよね』
「それは……」
言葉巧みな吾妻の台詞に、俺は言い返す言葉が見つからなかった。
なぜこの様な奇行に彼が走ったのか、何となく理解できてしまった自分がいた。そう、彼は恨んでいるのだ。人間社会の縮図を呪っているのだ。
俺だって、こんな事に巻き込まれる前は、決して成功者と言える様な立場ではなかった。それだけの努力をしてきたという訳でも、運や才能に恵まれた事も無い。
もし、サイカ達ブレイバーに関わっていなければ、バグとの戦いに身を投じていなければ、そこら辺を歩いている無力な民間人でしかなかっただろう。
吾妻も一緒なんだ。
そんな風に思ってしまった。
『話が逸れてしまった。一週間後の夜、日本の禁足区域で人質を釣り餌にして待ってるよ。あー、それと、アドバイス。ブレイバー以外の人間を連れてくるなよ。余計な犠牲が増えるだけだからさ』
「ちょっと待て!」
『それじゃ』
そう一方的に告げて、吾妻は電話を切ってしまった。
ふとオスプレイの機内で周りを見れば、電話でのただならぬやり取りを聞いていた皆が、心配そうにこちらに顔を向けてきていた。
「先輩。なんか……大変な事になってるみたいですね」
と、アヤノ。
「ああ、うん。ちょっと色んな事が狂わされてて……なんて言うか……余裕ない」
「先輩……」
頭を抱える俺に、そっと寄り添う褐色肌で銀髪の少女。
ワタアメはそんな俺の足元で、何やら考え事をしている様だった。
やがてBCU本部屋上に、Aチームを載せたオスプレイが帰還する。
そこには既にBチームのオスプレイが停まっており、出迎えの人たちが何人か見えた。園田真琴、栗部蒼羽、クロエに加え、福岡で出会った久々原彩花と、サイカがアメリカで大暴れした時に一緒に映っていたアメリカ人の姿もある。
いつの間にか雨も止み、雲の隙間から晴れ間が見えていた。
ただ現れたバグを倒せば良いという、単純で平坦な戦いは終わった。
俺たちは悪によって叩かれ、戦いは次の段階へ進む。狂ってしまった人間と、敵と味方に別れたブレイバーと、行方の分からない夢主を巻き込んだ、極限の戦いへ。
マンションの防犯カメラで確認できたのは、いつも通りに明月宅へと訪問するスペースゲームズ社の笹野栄子と、その知人として紹介された若い男。
マンション出入り口の防犯カメラは、コンシェルジュが二人を通すところが映っていた。その後、エレベーターのカメラと、通路のカメラが、二人が九階まで上がり、増田千枝が出迎え、部屋へと入っていく様子を鮮明に映している。
そして事件はその後起きていた。
時間としては俺が千枝に電話をした直後、覆面の男たち六名ほどがマンションに襲来。コンシェルジュをナイフで脅し、暴力を振るった後、二人を見張りに残して四名が九階へ。
あろう事か笹野さんが玄関の扉を開けて、大きなバッグと凶器を持った危ない男たちを部屋へ招き入れ……手足を縛られ気絶している千枝が男たちによって運び出されていた。
一緒に逃げる笹野さん。部屋に入る時はあったバッグは男たちの手から消えていて、どうやらあれが爆弾だったのかもしれない。
謎の若い男は、エレベーターに乗り込む直前に笹野さんに何かを言った後、その場に残り身を潜めたところも映されている。
こうして、時既に遅いタイミングでBチームが現場に到着。真琴が報告してきた内容へと繋がってくる。
調べると、犯行に協力したと見られる笹野さんは一ヶ月前にスペースゲームズ社を退職していたそうだ。当然の様に連絡は取れず、音信不通。
一ヶ月前……となると、先日、笹野さんが朝ごはんを作ってくれて、ブレイバー達と一緒に外へ遊びに出かけた時にはもう、スペースゲームズ社を退職していたという事になる。そんな事、彼女は一言も言っていなかった。
今回あったブレイバーによる病院襲撃と、マンションでの爆発誘拐騒動は、警察と日本政府は同一テロリストグループによる犯行と断定。
インターネット上で流れる様々な噂を他所に、二日後の朝には逢坂吾妻と、その協力者と見られる笹野栄子をテロリストメンバーとして、殺人、共謀、激発物破裂、略取誘拐などの罪で顔写真と共に一斉に報道された。各メディアでも大きく取り上げられ、日本で組織的なテロ事件が起きたのは約三十年振りだった為、世界中が注目する事となる。
又、テロリストグループは異次元暴力主義組織『大蛇』と名付けられ、日本警察はテロ事件翌日に捜査本部を設立。迅速な調査で発覚した『行方不明者リスト』の中には、シノビセブンのメンバーだけでなく、ジーエイチセブンの夢主である藤守徹と、ミーティアの夢主、ケークンの夢主までもが含まれていて、事の重大さは深刻化していった。
【解説】
◆ミーティアの奥義
異世界で多くの戦いを経験している彼女が、兼ねてより特訓を重ねて来たブレイバースキル《ソードククイッケン・オーバードライブ》は、自己強化のスキルを重ね掛けするというブレイバーの常識を覆した技である。
この技を実戦で初めて使用して、シャークを驚かせる事に成功した。しかし、限界を超える事の代償は肉体への負担となり、筋細胞や神経は破壊され、骨が砕け、人間であれば死に至る技である。
サイカが分身の術の制限時間を伸ばしていた様に、彼らブレイバーにはまだ強さの可能性を秘めていると言えよう。
◆シャークバグ
特殊なブレイバーであるシャークは、バグ化を自由に行う事ができる上に、三段階のバグ化が行える。
一段階目は皮膚と筋肉をバグ化させる事による自己強化。二段階目は半獣半人、インド神話のナーガを思わせるバグ。三段階目は翼が生えた巨大なドラゴンを模したバグ。
二段階目でミーティアやジーエイチセブンが苦戦したとなると、彼の強さはまだ上があるのかもしれない。
◆アヤノの決意
ブレイバーとして召喚されたアヤノはこの時、ただならぬ状況と飯村彩乃の姿を見て、ブレイバーアヤノとして戦う事を決意した。
◆ワタアメが語りかけた透明人物
元々、五感の鋭いワタアメは、透明化している者を見抜く力がある。そんな彼女は病院での騒動の際、遅れてやってきていたもう一人の存在に気づいていた。
◆異次元暴力主義組織『大蛇』
ブレイバーやバグに関して、今まで大々的な動きを見せてこなかった日本警察も、今回のテロ事件を切っ掛けに動いた。捜査本部が設置され、首謀者と思われる逢坂吾妻を容疑者として追いかける。
吾妻は一言も組織名などを語った事はなかったが、捜査や報道の為に名称が付けられた。後に、これらの事件は『大蛇事件』として日本の歴史に刻まれる事となる。




