81.鎮守の沼にも蛇は棲む
人の中に入るというのは、どんな感覚なのだろうか。
俺の場合、もう既にサイカが中に入っている様なものだから、恐れる必要は無いのかもしれない。
でも二年という空白は、謎に包まれた彼女を知る事に対して恐怖を感じる。ブレイバーリンク・アパレイタスの席に座る俺の手と足は、感覚が変だった。
アパレイタスはSF映画から持ってきたかの様な、大きな卵みたいな形をした操縦席型の大型筐体。肝心の席は……まるで俺の為にオーダーメイドされたみたいに、足を伸ばしてもピッタリだ。
ただスイッチやらジョイスティックみたいな入力機器に囲まれ、これからロボット対戦のシミュレーションゲームをやると言われても納得ができそう。
「覚悟はできたんだな?」
と、栗部蒼羽が覗き込んできた。
「覚悟なんて出来て無い。どうしたらいい。スイッチがいっぱいあってよく分からない」
「昔流行ったガンダムのゲーム覚えてるか? なんて言ったっけ、実際に操縦して戦うやつ」
「戦場の絆?」
「そうそう、あれみたいなもんだよ。ブレイバーは魂の入ったモビルスーツ」
「あれはもっとスイッチが少なくて、プレイヤーに優しい。これは……なんて言うか、旅客機の操縦席みたいだ。座った事は無いけど」
「旅客機? それを言うならゾイドのコクピットだろ。男のロマンが詰まってる」
そんな冗談を言い合って笑いあう事が出来たのは、蒼羽が気を使ってくれたからに違いない。
俺が笑顔を見せた事に安心した蒼羽は説明を始める。
「基本的な接続作業は外部操作。各種操作盤は、ブレイバーの動きと装備変更のサポートが可能になってる。ハッチが降りて閉鎖空間になったら、ミスタータクマはサイカの事だけ考えろ。集中力が大事だ。ゼータガンダムみたいにブレイバーの視界を全方位サポートできるし、こっちの声もブレイバーに届くし、逆にブレイバーの声もこっちに届く。慣れれば何て事ない」
「そんなものなのか」
「だけどブレイバーにとっては、最初はかなり気持ち悪い感覚らしい。ブランも嫌がっていた。まあサイカなら受け入れてくれるよ。少なくとも、俺がアメリカで見たサイカはそういうサイカに見えた」
「……分かった」
俺が覚悟を決めたその時、施設内でエマージェンシーを知らせる電子音と共に女性オペレーターの声が流れた事で、ガラッと空気が変わった。
『警備班より報告。本施設周辺、東京都江東区で不自然な霧が発生。偵察班及び偵察ドローン通信途絶。ブレイバー出撃準備。繰り返します。ブレイバー出撃準備。矢井田司令と明月戦術部長は第一司令室までお願いします』
途端に周囲が慌ただしくなる。
この部屋には窓が無く、外の状況は確認できない。だからブレイバーリンクの試みは中断する事となり、その場にいた全員が廊下に出て大きな窓の前へと移動した。
窓の向こうには、数メートル先が全く見えない程、真っ白な世界が広がっていた。
まるでBCU本部の建物が、雲の中に迷い込んでしまったかの様な濃い霧がそこにあった。
「なんだよこれ。何も見えない」
と、俺が言う横で園田真琴が口を開く。
「異常気象でしょうか。こんな濃い霧……見た事ありません」
すると、今度は蒼羽が言った。
「……感じる。ブランが戦ってる」
「なんて?」
と、俺。
「霧の中で何かが起きてる! 俺には分かるんだよ! ブランとリンクする! ミスクロエ、サポートを頼む!」
そう言い、走り出した蒼羽とクロエはそのままブレイバーリンクルームへと移動し、さっきまで俺が座っていたアパレイタスに飛び込む様に座った。クロエが筐体側面にあるパネルで操作を始め、アパレイタスが起動。
「霧と言ったら、ミストって映画を思い出す」
と、蒼羽が言うので、クロエが応えた。
「よく覚えてますね。サイカの介入前は、軍が実験で異次元への扉を開いてしまった事で発生した悲劇だったと記憶してます」
「今日は珍しく乗ってくれるんだねミスクロエ」
「貴方の扱いに慣れただけですよミスターアオバ」
そこへ俺も追いかけてやってきて、
「何やってるんだ蒼羽!」
と、呼びかける。
ハッチが閉まるアパレイタスの中で、蒼羽はスイッチ操作をしながら答えた。
「日本版アパレイタスは、今から俺がテストするよ。ミスタータクマは自分にしか出来ない事を成せ」
続いてアパレイタスの入力作業を行っているクロエも俺に向かって言った。
「ブレイバーのご加護があらん事を」
俺はクロエと目が合い、頷いて、俺の後ろに付いて来ていたブレイバー四人に指示を出す。
「みんな、頼む」
BCU本部、第一司令室。
そこで俺たちはアメリカから提供された新たな技術を目の当たりにした。
巨大スクリーンに映し出された五つの映像は、施設の屋上から外に出たミーティア、クロード、ケークン、ジーエイチセブンと戦闘中のブラン。その五人の視界と音声が配信されていて、横に表示されているマップにはそれぞれの現在地が映されている。
これはアパレイタスの技術を応用して、ブレイバーの状況把握に特化したスマートグラスを用いないシステムらしい。司令室の声もブレイバー達にしっかり届くし、彼らの声も司令室に流れる仕組みとなっている。
そんな最新鋭の技術、初稼働となった今回の彼らブレイバーの視界は真っ白に染まっていた。一寸先も見えない濃い霧、それが豊洲の町並みを隠してしまっている。
これが自然発生したとは言い難い。
「みんな、聞こえる?」
と、まずは俺が第一声を上げる。
ブレイバー達の返答が返ってくる中、ブランの視界だけは霧の中で誰かと戦闘中である。
すると、蒼羽の声が聞こえた。
『こちら蒼羽。どうやら相手はブレイバーの様だ。しかも……いや、この事は後回しだな。かなりの手練れだ。至急応援を頼む!』
相手がブレイバーであるという発言に、司令室にいた一同が騒然とした。
「そんな……」
と、俺は俺以外の要因によって、この世界にブレイバーが来てしまっているという衝撃に心が襲われる。
ブランが戦ってる相手はいったい誰なのか。
その答えは、すぐそこにある。
ミケはまるで幽霊の様にふらふらと、ふわふわと、霧の中を自在に移動して、ブランの死角へと回り込んでくる。
しかしブランはそれに反応して、ミケの攻撃を防ぐ。そして反撃の剣を振るうも、ミケの身体は霧へと溶ける。それはまるで水蒸気が幻覚を見せているかの様だった。
(ブラン! 相手はブレイバーなのか?)
と、蒼羽。
「見ればわかるだろ」
(この霧、ワールドオブアドベンチャーの霧隠れなんて事はないよな)
「……相手はミケだ」
(はっ? どういう事だよ)
そうブランが言い掛けた所で、女の声と斬撃が彼を襲う。
「なんどすか。独り言をブツブツ言うてる余裕があんたにあるん?」
ミケの刀が、ブランの目前を通り過ぎる。
すぐさまブランは姿勢を低くして刀を構えた。これは、ブランが得意とする剣技。ワールドオブアドベンチャーで彼は、サイカよりも近接戦闘に秀でたキャラクターだ。そんなブランが発動した夢世界スキルは《背水の陣》による自己強化と、《鳳凰烈風斬》と言う攻撃スキル。
「霧の中に隠れる臆病者め。ならばこの俺が、霧ごと叩き斬ってやる!」
(斬るったって、全然見ないぞ!)
「視界など関係の無いこと! 蒼羽、サポートを頼んだぞ!」
そう言って構えながら目を瞑るブラン。
するとミケが笑った。
「鳳凰烈風斬。そないな技を使うたところで、なんも変わりまへんよ」
「その傲慢さが、お前の敗因になるッ!」
静寂と寒気がブランを包み、時間も空気も凝結したようだ。だが違う。霧の中から迫る人影が、確かにそこに存在している。
(ブラン! 後ろだ!)
蒼羽の言葉に反応したブランが振り向き、そして霧の中へ斬り掛かる。
その刃は、霧を裂き、その先にいたミケを捉えた。ミケが防御のために構えた刀すらも断ち切って、ミケの本体を斬った。
「なにっ!」
と、焦るミケ。
ブランの初撃が当たった瞬間、夢世界スキル《鳳凰烈風斬》の連撃が始まる。
斬る、斬る、斬る、斬る、斬る。ミケを斬り刻む。その圧倒的な剣圧が、周囲の霧を吹き飛ばし、ミケの姿が露わになった。しかし、それはミケは夢世界スキル《空蝉》による幻術で免れており、ブランの上空からミケの刃が降り注ぐ。
(ブラン!)
「幻術はお前だけの技ではないさ!」
ブランの身体が消え、ミケの刀が空を斬る。
「くっ! 小癪な真似を!」
「その言葉、そっくりそのまま返させてもらう」
そう言うブランの姿は何処にもなく、剣による風圧で霧の晴れた周囲の中心に立つミケを見えない糸が絡み取る。そうやってミケは捕らえられ、身動きが取れなくなった。
これはブランの夢世界スキル《忍法束縛陣》。相手を拘束し、手足の自由を奪う。ゲームであれば、僅か三秒程の行動封じであり、その隙にブランが斬るという得意の連続技だ。が、今回ブランはそうはしなかった。
(ミケ……ミケなのか?)
糸により動けなくなったミケの背後にブランが夢世界スキル《ハイディング》によるステルス状態で近づき、ミケの首に刀を突きつけながら問いを投げた。
「ミケ。お前がここにいるという事は、他のシノビセブンもこちら側に来ているな?」
「……さて、なんのことかわかりまへんな」
「手引きをしたのはレクスか?」
「根本を辿れば、そうかもしれへんし、そうやないかもしれへん。真実はいつも闇の中」
捕らわれているというのに、余裕そうな笑みを浮かべるミケ。だからこそ、ブランは考えた。何かを隠しているのではないかと考えた。
それは何か。と、考えるブランが思い出すのは、冬の国オーアニルのランティアナ遺跡で行ったシノビセブンとの戦い。そこで対峙したミケ……いや、レクスに唆されて暴走したシノビセブンの皆は……普通では無い力を使った。それこそブランが圧倒的な力の差で敗北する事となった原因で、ミケが笑っている要因である。
ミケの白い忍び装束が黒く変色したのが見えた瞬間、彼女の背中から鋭い棘が飛び出してブランの胸部を貫いた。その勢いに押されながらもブランは刀でそれを斬り、難を逃れる。
しかし、その間にもミケはバグ化を果たし、背中から蜘蛛のような八本の脚、全身が刺々しい真っ黒で高身長なバグへと変貌していた。頭部の部分に狐のお面だけが残されているのが、奇妙な容姿とも言えよう。そして拘束していた紐は切れ、ミケが解き放たれる形となった。
(これがブレイバーのバグ化か!)
「来るぞ! 蒼羽、スーツを!」
(了解!)
ブランが銀色のプロジェクトサイカスーツを身に纏い変身するも、ミケが嘲笑った。
「ふふふふ。そないに焦って、おもろいなぁ」
「まだその力を使うか! 俺たちの誓いはどうした! 思い出せ! 何を目指していたのかを! そんな力に溺れる為に、俺たちは戦ってきた訳じゃないだろう!」
と、ブランがノリムネMkⅡを構える。
「まだそないな事を言うてるん。勘違いしてはあかんえ。誓いから逸れたんは……人の道具に成り下がったあんたいうことをねッ!」
ミケバグの全身から四方に細く長い棘が飛び出し、周囲を隙間なく建物ごと突き刺す範囲攻撃。そこにブランの逃げ場は無く、彼はノリムネで応戦する――――
そんなミケバグとブランの戦闘音が微かに聞こえる霧の中、コンビニエンスストアに駆け込んだのは久々原彩花と外国人の男。コンビニの店員が何事かと心配そうに見ている事も気にせず、外から見えない様に棚の影に隠れていた。さすがに室内まで霧は入ってきていないが、ガラスの向こうは真っ白で何も見えない。
ここまで手を引っ張って一緒に逃げてくれた外国人を横に、久々原彩花はカップ麺の棚に目を奪われていた。
「これ福岡だと売っとらんカップ麺やけ。美味かろうか」
「おいあんた。何してるんだこんな時に」
と、外国人の男は呑気な彩花に声を掛ける。が、言葉が通じていない様だ。
男は咄嗟に翻訳機となるイヤホンを取り出して、彩花に手渡した。彩花はそれを片耳に装着する。
「今も昔も、英語は共通言語だぞ。なんで通じない」
「え? あ、ごめんなさい。えっと、貴方は?」
「俺はサム。あんた、なぜブレイバーに襲われていたんだ」
「うちにもよう分からんけん。何がなんだか……」
「そうか……とにかく今はこの状況をどうやり過ごすかだな。くそっ、武器さえあれば」
まるで日本観光にでも来たかのようなラフの服装でそう言うサムは、武器などは持っておらず丸腰である。彩花も逃げる際にキャリーバッグを置いてきてしまった為、同じく丸腰となっていた。
コンビニの店員が突然の不審者に戸惑っている様だが、二人はそんな事は一切気にしていない。まずはコンビニの棚に隠れながら、外の様子を伺うサム。
「あのぅ……お客様?」
と、男性店員が恐る恐る話しかけてきたので、彩花が返事をした。
「ごめんなさい。今、不審者に追われとって……あの、警察呼べませんか?」
「そ、そうなんですか!? ちょちょっと待ってくださいね!」
そう言って、慌てて店のバックヤードに駆けて行く店員は特に疑う様子もなく、良い人そうで良かったと彩花はホッとしていた。
すると、そのやり取りを見ていたサムが言う。
「店に銃の一つくらい無いのかよ」
「ここを何処と思っとるとね。日本ったい!」
「武器を持たない作らない。そんな国で超人的な奴らが紛争を起こしたとなっちゃ、俺たち普通の人間はどう戦ったらいい。どうやって逃げたらいい。今、俺たち人類は、ブレイバーやバグによって浸食されているんだよお譲ちゃん……っと、名前は?」
「彩花。久々原彩花」
「……サイカ? 本当に?」
「嘘やなかとね」
「ぷっ。はっはっは。こりゃすげーや」
緊迫したムードなはずなのに、いきなり笑い出してしまったサムはきっと、二人のサイカという人物に関わってしまった自身の境遇を前にして、神様に拍手したのかもしれない。
そこへ更に奇跡のような偶然が二人に訪れる。コンビニの自動ドアが開き、一人の女が入ってきたのだ。狐の面に赤マフラー、それはサムがよく知っているし、彩花も見たことのあるブレイバーだった。
しかしコンビニの店員にとっては不審人物である為、彼は思わず防犯用のカラーボールをブレイバーに向けて投げてしまい、狐面の半分と、肩や髪が蛍光色に染まった。
狐面の女は、ボールを投げた男に目を向けて、無害である事を確認した後、
「サム。何が起きてる。説明してくれ」
と、声を発した。
そんな事が起きているコンビニの外、深い霧の中では、プロジェクトサイカスーツで飛び回るブランと、自在に地面や壁を這いずり回るミケバグの激闘がまだ続いていた。霧と同化したかの様な、幻の蜘蛛であるミケバグは、空飛ぶブランを惑わせながらも大きく跳ね、的確に彼の身体に攻撃を仕掛けてくる。
ミケバグが放った糸がブランの右足に絡まった。
「しまった!」
そこからブランはぶんぶんと振り回され、空中制御を失い、路駐されていた車へと激突。そこから電信柱、アスファルトの道路、民家の屋根、これでもかと言うくらい、ミケバグの容赦ない叩き付けが繰り返された。
(ブラン! 意識を保て! リンクが切れる!)
そう叫ぶ蒼羽の声がブランに届いた――――
ビー、ビー、ビー。そんな接続エラーを知らせるビープ音が、アパレイタスの媒体から鳴り響いていた。中に座っている蒼羽が見る周囲は真っ赤に染まり、エラーメッセージだけが虚しく点滅している。
クロエの声が聞こえた。
「ブランとの接続が……切れました」
「ファック!」
怒りを露わにする蒼羽は、操縦席の側面を叩き、そして乱暴にハッチを蹴った。
その頃、BCU本部施設の屋上に集まった四人のブレイバーは、濃い霧に包まれて完全に行き場を見失っていた。
いくらブレイバーである彼らでも、どっちの方角で戦闘が行われているのかが判断できないのだ。
「何も見えねぇじゃねえか。どうすんだよこれ」
と、クロードが言うと、横でミーティアが司令部へ指示を仰ぐ。
「琢磨。私達はどうしたらいいの」
『そこから東。五百メートルくらい離れたところにあるコンビニ付近で味方のブレイバーが戦闘中だった』
「東? 東ってどっちなの?」
『今、ケークンが向いてる方向』
そう言われて、ミーティアがケークンを確認すると、険しい表情で見えない霧の先を見つめる彼女の姿がそこにあった。いつもは戦闘前となると熱くなるケークンが、冷静な眼差しで立ち尽くしていた。
「どうした?」
と、ジーエイチセブンがケークンに問いかける。
「ううん、なんでもない。琢磨、あたしが先行する。敵が何処にいるか分からないんだ。戦況が分かるまでみんなはここで待機してなよ」
一瞬、ケークンがとてもそれらしい戦術を立案してくれたと思った。でも違う。そうじゃない。戦術部長として、俺が意見を述べた。
『一人は危険だケークン。たった今、ブレイバーが一人やられた。相手の実力が分からないのに単独行動するのは承諾できない』
「じゃあこの霧が晴れるまで、ここで仲良く待ってろってか?」
『そうは言ってない。ここは市街戦が得意なクロードと一緒にペアで動いて欲しい。ジーさんとミーティアはこの場で待機。敵の襲撃に備えて欲しい。いいね?』
「……了解」
俺の提案を理解したところで、早速行動に移ろうとする四人。しかし、屋上で周囲を警戒していた自衛隊員三人の内一人が、何か気配を察知した。
「何かいるぞ!」
と、ライフルを構えたので、他の隊員も臨戦態勢に入る。
遅れてブレイバーの四人も武器を手に持って、集結しながら周囲の警戒に入った。
動きがあったのはそれからすぐの事。まずは無数の影が次々と建物の屋上へと飛び乗って来て、彼らをあっと言う間に包囲して行った。霧のせいでそれが何かまでは判断できない。大小様々な形をしたその影は、人間で無い事は確かである。つまり――
「バグ!?」
と、最初に口を開いたのはミーティアだった。
ざっと数えただけでも、十体はいる。
バグがBCU本部に直接攻め込んで来たとでもいうのだろうか。そうだと考えるのであれば、マザーバグの様な『バグの司令塔』となる存在がいるはずだ。いるのか、こっち側の世界にそんな奴が。
パチン。
人が親指と中指で破裂音を鳴らすフィンガースナップと呼ばれる音が、その場に鳴り響いた。
その瞬間、突風が吹き荒れ、突如として竜巻が発生したかの様に辺りの霧が巻き上がって行く。ブレイバー達の髪の毛も乱れ、体重が軽くなったかと錯覚しそうな程、下から上に持ち上げる風の力が発生。
何かと思えば、数秒後には風の渦が霧を除外して、周囲が霧による大きな壁に囲まれた。その光景は幻想的であり、BCU本部の施設周辺だけに晴れ間が見え、太陽の光が降り注いだ。雲の中にすっぽり空いた穴の中に立ってるかの様な、そんな錯覚に陥りそうな環境になっている。
そんな中、屋上の手すり付近に座る人影に一同の目に入った。
そこには銀髪で黒い服、両目を赤く光らせた男、逢坂吾妻がそこに座っている。
まるで玉座でふてぶてしく座る王様の様に、手すりを支える縁石の上に座っている。最初からそこにずっといたと言わんばかりに、怪しい笑みを浮かべてそこにいた。
「誰だ!」
と、自衛隊員の四人が銃口を吾妻に向け、ブレイバー達もそれぞれの武器を構える。
視界が鮮明になってから改めて周りに目をやると、やはりバグによって包囲されていた。この広い屋上で、白昼堂々とバグの群れが出現したのだ。
恐らく先ほど指を鳴らした張本人と思われる吾妻が、この状況に関係しているのかどうか、それをするには判断材料が足りない。
そんな吾妻は、この状況を心底楽しんでるかの様にニヤニヤとしながら、
「やぁBCUの諸君。ご機嫌よう」
と、挨拶してきた。
勿論、この場にいる者で吾妻の事を知っている人は誰もいない。だからこそこの男の存在は不気味で、その態度は不審感しか得られていない。
次に口を開いたのはクロードだった。
「そこで何してる」
「挨拶」
「挨拶? これをやったのはお前か」
「そうだよ。楽しんでくれているかい」
あっさりと、本当にあっさりと、この異常現象を引き起こしたのは自分だと認めた吾妻。
「ふざけやがって!」
クロードがそう言って、吾妻に向かってライフルの銃口を向けた。
「待て!」
と、駆け足で司令室から屋上まで駆けてきた俺が叫んだ事で、クロードは引き金を引かずに済んだ。
俺はバグの影が見えた時、霧が晴れたあの瞬間、吾妻の姿を確認するなり嫌な予感がして走り出していた。第一司令室を飛び出し、廊下を全力疾走、階段を駆け上がり、屋上へと出る自動ドアが開かれた時が正にクロードが銃を撃とうとしている時だった。
間に合って良かったと思いたい。
俺の姿を確認したクロードが質問してきた。
「琢磨、こいつが何者かはしらないが、やばい臭いがするぞ。バグを操ってるんだ。このまま野放しにできねぇだろ!」
「情報が足りないんだ。今の情勢で、ブレイバーが一般人に危害を加えちゃダメだ」
「一般人? こいつが一般人だって言うのかよ」
クロードが言う事も解る。でも、銃を向けられても態度を一切変えないこの男は、それ以上に得体の知れない何かが感じ取れる。
吾妻は俺の姿を見て、声を掛けてきた。
「これはこれは、明月琢磨。初めまして」
「どうして俺の名を?」
「俺たちの間では有名人だからね。サイカの中の人だった異物。だった。そう、過去形なんだけどね」
「俺はお前を知らない」
「おーっと、この期に及んで何を言う。何でも知ってる琢磨くん。まあいい、その設定に乗ってあげるとしようか」
吾妻は立ち上がり、俺に向かって自己紹介をしてきた。
「俺は逢坂吾妻。実際、こうやって顔を合わせるのは初めまして。でも琢磨には昔、大変お世話になったんだけどねぇ。キミが俺から千枝の心を奪った。お前は俺の人生を狂わせた。そういう関係なんだよ俺たちは」
その言葉で俺は理解する。この吾妻は俺の彼女である増田千枝の元彼氏。千枝に暴力を振るっていた悪の根源であるという事を理解した。
俺が次の言葉を出す前に、前に乗り出したのはミーティアだった。
「貴方が千枝を傷付けた前の男ね!」
と、ミーティアが今にも斬り掛かりそうだったので、再び俺が止める。
「ミーティア!」
ミーティアの前に出ようとする動きが止まった。それを確認した俺は、続けて吾妻に問いを投げる。
「吾妻。過去の因縁は分かった。でもいったいお前が何なのか、俺には分からない。このバグは……どう説明してくれるんだ」
「俺たちはこの世の異物。この世界にとってイレギュラーな存在。だったら兄弟みたいなものじゃないか。バグが大人しいからってそう驚く事でもないだろう」
吾妻は両手を広げて自信満々とそんな事を言っているところで、俺が片耳に装着しているイヤホンから声が聞こえた。
ブレイバー達の視界映像から調査に入っていた園田真琴からの通信である。
『逢坂吾妻。何年か前まで外資系企業に勤めていましたが、暴行及び傷害事件で逮捕された後、会社から解雇されています。その後は住所不定無職で、今に至るまで足取りは不明』
傷害事件……ね。あの時の千枝の叫び、思い出したくもない。千枝とはゲームで知り合った仲ではあったけど、ちょっとした相談から警察が動くような大事になり、緊迫した時期が有ったのだ。
でもあの事がなければ、きっと千枝の元気な姿なんて拝めなかったとも思うから、俺は自分がした事に後悔なんてしてない。
俺は吾妻に言う。
「千枝の元カレだからといって、部外者のお前が、国の施設へ不法侵入している事に変わりは無い。用が無いなら俺の前から消えてくれ。襲ってくるなら対処させて貰う」
「だから、挨拶しに来ただけって言ってるだろう。琢磨にブレイバーとその仲間達がいるように、俺にも仲間がいる。志を共にする仲間が」
「志だって?」
「ククッ。琢磨が正義のヒーローを気取ってる間に、俺の準備は整ったという話さ。紹介しよう。俺のブレイバーを!」
吾妻がそう言い放った時、上空を飛ぶ影が四つ見えた。一同が空を見上げると、そこには機械の翼で旋回する人型の物体がある。
一つは赤、一つは青、一つは緑、一つは白。空を飛ぶ彼らが身に纏っているのは、プロジェクトサイカスーツである事が遠目でもよく分かった。そう、あれは色とりどりのプロジェクトサイカスーツ。サイカが身に付けていた物よりも改良され、少し形が変わっているが、紛れも無くワールドオブアドベンチャーのエンジニア達が開発した装備だ。
「サイカと戦ってた奴もいる!」
と、ケークンが教えてくれた。
サイカが彼らと戦っていた。それはつまり、サイカの敵である存在になる。
しかし、あれは――――
白のスーツが、手に持っていた何かを空から放り投げて落として来た。
それは、原形も無いほどボロボロになった銀色のサイカスーツを身に付けたブランだった。力無く落下してきたブランは気絶している様で、俺と吾妻の間に落ちた。重力で床に叩き付けられると同時、空から彼の武器であるノリムネMkⅡが落ちて来て、ブランの背中から突き刺さり、正に串刺しという惨い光景を見せつけられた。
鳥の様に自由に飛び回り、旋回を繰り返した後、四色のブレイバーはゆっくりと降下してきた。太陽の光が後光となり、宛ら天使が天空から舞い降りてきたかの如き神々しさ。
ブレイバー達や自衛隊員は警戒しながら、俺を守る様に密集してくれた。
そうやって吾妻の横に四人のブレイバーが着地して、間近で目視確認した事によって、疑心が確信へと変わってしまう。そう、やはりこの四人、見た目も色も、身に付けてる装備ですら、シノビセブンのメンバー四人だ。
赤はアマツカミ、緑はカゲロウ、青はハンゾウ、白はミケ。目の前で気を失って串刺しにされているのは、銀色で蒼羽の相方であるブラン。シノビセブンのメンバーがこの場に五人もいると言う事になる。
「ククッ。さすがに驚くよね。ゲームの仲間がこっち側にいるんだからさ」
と、吾妻はまるでレアな玩具を自慢するかの様に笑った。
なので俺は吾妻に言う。
「これは……何の冗談だ」
「冗談? ハハッ。これが冗談に見えるのかい。アマツカミ、カゲロウ、ハンゾウ、ミケ。彼らは皆、バグに加担するブレイバーだという事、知らないなんて事は無いよね」
確かにサイカの記憶では、彼らはアヤノとの一件でサイカと対峙している。
「でも、それは向こうでの話であって――」
「だから言っただろう。俺たち二人はイレギュラー。俺はキミと同じ能力を持っているのさ。同じ穴の狢ってやつだ」
「嘘だッ! そんな事ある訳が無い! だって俺は――」
「自分だけが特別な存在だと、喜んでいたなら悪いけどね。残念ながら、神はそれを許さない。世界のバランスは保たれる。正義があるなら悪もある。味方がいるなら敵もいる。世の中、そうやって回ってる。全て上手く行ってると思うのは表面上の幻想であり、勘違いに過ぎない」
こんな事が、本当にあるのか。周囲はバグに囲まれ、目の前には四人の見知ったブレイバーと、俺と同じ能力を持つと自称する男がいるのだ。
俺が判断に迷っていると、ジーエイチセブンが言った。
「戦術部長。敵に攻められているという状況に変わりないなら、今こそ決断するべき時だろう。戦うか、逃げるか」
ジーエイチセブンの言う通りではある。でも、こちらの四人のブレイバーであれば、バグは何とかなったとしても、このプロジェクトサイカスーツを着た相手のブレイバーはどうだ。空を自由に飛べるのは、今見せつけられた。アメリカ軍特殊部隊に所属しているブランが負ける程の実力もある。どう考えたって、勝ち目が無い。
それが分かっているのか、吾妻は勝ち誇った態度を見せてきている。
「これが、俺の用意した四天王になる。四天王……ロールプレイングゲームのボスみたいだよね。勿論、ブレイバーはこれで全員じゃない。これからキミ達と戦争しようってんだから、戦力はもっと必要だよね」
その言葉を聞いていて、俺の脳裏に一つの疑問点が浮かび上がった。
「……俺と同じ能力が使って、ブレイバーをこっち側に召喚したと言うのなら、彼らの夢主はどうした。夢主無しではブレイバーの召喚はできないはずだ」
「野暮な事を聞くなよ。もう分かってるだろ」
「まさか……お前ッ! 彼らの夢主に何かしたな!」
「大丈夫。無期限で身柄を預からせて貰ってるだけだからさ」
「そんな事が許される訳ないだろう! それこそ犯罪だぞ!」
「もはや法律や秩序に縛られる存在ではないと、俺は自負している」
この吾妻という男、完全に狂っている。
まだ確たる証拠はないが、ブレイバーを召喚する為にそんな事をしているのだとしたら、ジーエイチセブンが言っていたように、無理にでも戦って威厳を見せる必要があるのかもしれない。
そんな事を俺が考えていると、吾妻は隣に立つミケに向かって言った。
「ターゲットはどうした? 俺はこんなブレイバーを連れて来いなんて命令した覚えはないよ」
「かんにんな。邪魔が入って逃げら――ッ」
次の瞬間、表情が豹変した吾妻にミケは腹部を蹴飛ばされて地面を転がる。
ブレイバーに対して強烈な蹴りを浴びせたその行動は、あまりにも早く、人間業ではない様に見えた。が、それよりも、今言っていた言葉が気になる。
「ターゲット?」
と、俺が吾妻に問う。
「ん、ああ……」
さっきまで何かに怒っていた吾妻の表情がコロっと変わり、微笑しながら続けた。
「せっかくこうやって挨拶しに来たんだから、明月琢磨くんに面白いゲームを提供しようと思ってね。ちょっとその準備に不手際があっただけさ。気にしないでくれ」
「ゲームだって?」
「モニターに向かってピコピコするゲームじゃない。リスクのあるリアルなゲームだ」
それは嫌な予感しかしない台詞だった。
「そんな事に付き合う訳がないだろう。馬鹿を言うな」
「さて、そんな事を言ってられるのも今のうちだよ。俺の仲間達が今、二つの場所に向かっている」
と、吾妻はスマートフォンを二台取り出し、俺に見えるように画面を向けてきた。
そこには、見慣れた病院と、住み慣れたマンションが映っている。
俺が一時期入院した事があり、その前もよく通っていた千葉にある大学病院。そして俺が千枝や朱里と居住している高級マンション。
思いがけない写真を前に驚きを隠せない俺を見て、吾妻は嬉しそうに言ってきた。
「飯村彩乃。そして、増田千枝。このエンターテイメントを盛り上げる為に、この二人を天秤に掛けようじゃないか」
「吾妻ッ!」
「もうブレイバーの別働隊が到着しているけど、今から走ればどちらかには間に合うかもしれないけどさ。もし警察を呼んで対処させたら、ブレイバーの悪事が明るみに出る。世論が黙っちゃいないよね。いいのかなぁ」
この男はそこまで分かってて、この状況を作り上げたのか。
ここからの距離としては、圧倒的に彩乃さんがいる病院の方が遠い。豊洲のマンションであれば、バイクで二十分の距離。でももしこの周りを囲っている霧がこのままなのだとしたら、フルスピードを出す訳にもいかないから、もっと時間が掛かる。どうしたらいい。
俺がこの悪魔の選択をどうするべきか頭の中で考えていると、我慢の限界がきたミーティアが叫んだ。
「琢磨! 私はどうなってもいい! こいつを斬らせて! こいつはバグと同じ! ここに存在しちゃいけない奴よ!」
クロードも続いた。
「俺も撃つぜ! もう黙って見てられねぇ!」
「クロ、サポートして。私が前に出る!」
俺は二人の前に移動して、その進行を止めた。
「俺がやるから、お前たちは病院とマンションに向かってくれ」
「琢磨! 退いて!」
と、ミーティア。
「ミーティア、これは俺とあいつの問題だ。護るべき者を間違えないでくれ」
もし吾妻が言ってる事が本当なのだとしたら、二人に危害の可能性があるなら、俺は本気でこいつを止める。この際、ブレイバーに対する世論だとか気にしてる場合じゃない。
だから俺は強めの口調で、吾妻に言う。
「その二人に何をしようとしてるのかは、あえて聞かないでおこう。だけど二人とも俺の大事な人だ。俺が、俺たちが、どちらも守る」
「おーかっこいいねぇ! でも、二兎追う者は一兎をも得ずって言うからねぇ! できるものなら見せてみろよ。琢磨の力と絆って奴をさぁ!」
先ほどまで大人しくしていたバグ達が臨戦態勢に入り、シノビセブンの四人もそれぞれ武器を構えた。アマツカミは燃える小太刀。カゲロウは巨大手裏剣。ハンゾウとミケはプロジェクトサイカランチャー。
俺たちの後方で自動ドアが再び開き、他の自衛隊員や蒼羽、そしてワタアメまでも増援として駆け付けて来てくれた事で、戦力としては五分。少しの物音で、武力衝突が起きる。そんな空気の中で、吾妻は続けて言った。
「さぁ、これから始まるのはブレイバーとブレイバーの何でも有りなバトルアクションゲームだ。俺と琢磨、どちらがブレイバーのマスターとして相応しいか、勝負と行こうじゃないか! なあ!」
「ふざけやがって! 逃げられると思うなよ!」
と、俺が叫ぶ。
「ククッ。何もせずに帰るつもりだったけど、やめだやめ。今この場で衝突するのも悪くないなぁ――ッ!」
そう言いながら、吾妻が自らの手に銃を召喚した時だった。
吾妻の背後に新たな『影』が現れた。そして音も無く、静かに、吾妻の胸を刀が貫いた。貫かれた吾妻は口から一筋の血が流れる事となる。
吾妻の心臓部を的確に貫いたその刀は、コガラスマル。彼の背後にいるコガラスマルの持ち主は、赤マフラーに狐面の女ブレイバー。透明化した状態から、ゆっくりと姿を露わにした。
サイカだ。なぜか身体の一部に蛍光塗料が付着してる姿ではあるが、福岡で見た彼女その人である。
「言いたい事は済んだか。オーサカアズマ」
と、サイカがボソッと呟くと、刺した刀を引き抜いた。
恐らくコアを貫かれたであろう吾妻は、そのままバランスを失った人型人形の様に、足から崩れ落ち倒れる。
思いもよらぬ展開に、俺も状況を理解するのに時間が掛かった。他のブレイバーも、この場にいる誰もが、今いったい何が起きたのかと、唖然としてしまい、静寂の時間がしばし訪れる。
最初に動いたのは、吾妻側のブレイバー達。アマツカミ、ハンゾウ、カゲロウ、ミケは一斉に身体の向きを変え、サイカを囲む。
次に動いたのはバグ。吾妻を失った事で制御が効かなくなったのか、突然こちら側に襲いかかってきた。
「撃てッ!」
と、一人の自衛隊員がバグに向かって発砲したことで、他の自衛隊員達も一斉射撃を開始。
ミーティア達も戦闘を開始していて、霧の壁に囲まれたBCU本部施設、その広い屋上が、瞬く間に戦場と化す。
そして四人のシノビに包囲されながらも、刀を構えているサイカ。どうして彼らが戦わないといけないのか、こんな残酷な『敵』があっていいのか。そう思いながらも、俺は大声で彼女の名を呼んだ。俺が決めた名前を呼んだ。
「サイカッ!」
二年という空白は、謎に包まれた彼女を知る事に対して恐怖を感じる。サイカの名を呼ぶ俺の手と足は、感覚が変だった。
【解説】
◆霧
微少な水滴が空気中に浮遊して、煙のようにかかる現象。日本の気象庁は、視程一キロ未満のものを『霧』と呼び、それ以上のものを『靄』と呼ぶ。
通常は大気中に発生した温度差からなる自然現象だが、今回発生した広範囲の霧はミケの《忍法霧隠れ》によって強制的に発生した。
◆ブレイバーブランとブレイバーミケ
夢世界ではシノビセブンとして仲間同士であり、異世界でも昔は仲間だった二人。
とある出来事が切っ掛けで、異論を唱えたブランとシノビセブンが対立。冬の国オーアニルで死闘を繰り広げ、二人は戦った過去がある。
そんな二人が現実世界で再会して、再び衝突する事となった。
◆防犯用カラーボール
サイカがコンビニ店員に投げられたカラーボールは防犯装備の一つであり、金融機関、店舗等の防犯に用いられている。
カラーボールの中には色素と特殊塗料の液体が封入されており、内容物が一度付着すれば、除去するのは極めて難しいとされる。




