80.眼光紙背に徹す
特撮映画の監督もビックリな怪獣騒ぎが起きた時、現実を生きる人々は何を感じるのか。
正直、多くの人々の暮らしに大きな変化は無かった。
死者は二千人、重軽傷者は六千人、警察に届出があった行方不明者は五百人。
これは、北海道札幌市で起きた巨大バグ事件から一週間程が経過してから発覚した大凡の人的被害である。
まるで大地震でもあったかの様な悲惨な出来事があり、テレビやインターネットを開けば札幌の被害状況を伝える映像ばかりが目立つ。
でも、札幌以外の遠い地に住む人々にとっては、映像の中の世界。現実味はそこになく、所詮は他人事なのだ。あるいは……感覚が麻痺してしまってるのかもしれない。これが現実だと、受け入れたくないのかもしれない。
新宿事件に続き、札幌の被害状況に世界の注目が集まる中、震災に等しい大事件が起きてしまった事で、内閣総理大臣は声明を発表した。
『今、札幌では甚大な被害が広域で生じ続けています。引き続き全力で救命救助、避難誘導に当たっていき、先手先手で被災者支援を行います。又、此度のバグ騒動は戦後世界を形づくってきたものが大きく揺れ動きました。今後はこれまで以上に、他国との連携を強め、バグに対し断固たる姿勢を見せ、この様な悲劇を繰り返さない為にも、体制強化を進めて参ります』
現実世界側のバグ発生については、様々な説が世に出回っている。
予言者が示す世界の終わり。宇宙からの侵略。国防省から漏れた生物兵器。あるいはファンタジーに対する憧れが、意思を持って存在しだしたとか、日を追う毎に奇妙な説が増えている。終末論を説く宗教やカルト集団にとって、この混乱は好都合でもあるらしく、世界の終わりを説くビジネスがブームになりかけている。
サイカ達が戦っていた中世ファンタジー世界とは少し形が違うけど、いよいよこちら側の人類も試される時が来ているのかもしれない。
アメリカの大統領も同時期に声明を発表し、異次元侵略に対する国際平和連盟の設立を表明。日本、フランス、ロシア、中国を始めとする諸国が次々と参加する意思を見せた。
いや、大事になりすぎて俺もBCUの戦術作戦部長として何をするべきか、よく分からない。
だから今、BCU本部にある俺の執務室で、俺の目の前に積まれた書類の山に悪戦苦闘中である。
この書類のほとんどは、ブレイバーの夢主を選別する為に集められたプロフィールの数々だ。
日本人だけでなく、国際平和連盟に参加した国々の夢主候補全員。彼らが使用しているキャラクターの詳細まで記載されていて、これは全て多種多様なオンラインゲームのベテランプレイヤー達だ。よくもまあ、こんなに集めたものである。しかも全部英語で書かれていて読むのも一苦労なのが、数千という数の書類が減らない理由だ。
この中から選んで、更にブレイバーの召喚をしろというのだから、重労働過ぎて溜め息しか出ない。が、さっきから何処か、この書類には違和感がある。上手くは言えないけど、何か変だ。
気のせいか?
「はぁ。ペーパーレス社会にこんな大量の紙って……平成の時代に巻き戻りしたみたいだ」
と、俺がぼやく。
すると、隣で尻尾を使って書類を適当に取って読んでいるワタアメが反応した。
「ネットワークが不安定な今、紙は電子より強しじゃろ」
「変な格言を作るなよ。見てないで、少しは手伝ってくれ」
「なあ琢磨、この紙の山は夢世界……いや、ゲーム毎にまとめられているのか?」
「確かに、さっきから同じゲームばかりだから……そうかもな」
「そうか」
そう言って、ワタアメは次の書類、次の書類と目を通しては、それを投げ捨てていく。
さっきから書類が床に散乱しているのは、概ねワタアメのせいである。この散らかった部屋の執務室で、溜め息を吐くのも何度目になるだろうか。
俺はオーセンティックファイターエボリューションという格闘ゲームの有名プレイヤーの書類を手に取ると、そこにはユウアールというキャラクターを得意としている日本人が載せられていた。このゲームは俺がワールドオブアドベンチャーを遊び始める前に、ゲームセンターでよく遊んでいたゲームだ。だから少し興味が惹かれる。
そんな書類に目を通し、世間を騒がせているニュースの数々を思い出しながら俺は独り言。
「バグを倒す為にブレイバーを召喚する。結局、こっちでも向こうと同じ道を歩もうって事か……なんの為のBCUだったんだ。これじゃまるで――」
「バグと戦うにはブレイバーが必要不可欠じゃ。呪われているとは良く言ったもの」
「朱里が発明したバグ用の武器は、ブレイバーに頼らない為の物なんだ」
「それも間に合っていないのだろう。それがサッポロとやらの悲劇に繋がってしまった……違うかえ?」
「そうだけど……そうだけどさ!」
苛立ちを見せる俺に、ワタアメはぴょんと近づいて来て言った。
「じゃが、今気にするべきはそこではない。先日の騒動、サイカは外国からひとっ飛びで日本に帰って来て、いったい何をした。あいつはいったいあの夜、何と……戦っておったかという問題じゃ」
あの光の柱が出現した夜、結局、明確な情報は得られていない。
複数発見された運び屋の斬殺死体と、戦闘の痕跡。目撃情報から推測できるのは、サイカとブレイバーが空中戦をしていたという事。更に、唯一現場に間に合ったケークンは、「相手は二人。一人はバグで、もう一人はプロジェクトサイカスーツと同じ姿をしていた」と言っていた。「それはシノビセブンのメンバーによく似ていた」と。ケークンはシノビセブンのメンバーをゲーム内で見た事がある。だけど、そんな事が本当に有り得るのだろうか。
「シノビセブンのみんなは、あの後も活動を続けてる。そんなはずない」
日本の警察は、バグ騒動のせいで増加した犯罪の対応に追われ、あの夜に起きた出来事を調べるのに手が回っていない。自衛隊は札幌の救命活動に駆り立てられ、今、日本はかつてないほど治安が不安定になっている。海外と比べれば、日本は可愛い方だけどね。
だからまずは単独での作戦行動が許されている俺たちBCUが、何とかしないといけない。
「確認はしたのかえ?」
「一緒に活動してる千枝が証人だ。きっとケークンの見間違いだろう」
「じゃあ誰が空を飛んでいたと言うんじゃ」
「それは……分からない。何処かのパワードスーツ部隊かもしれない」
「ブレイバーとやり合う人間がいるとでも?」
「もうその話はいいだろう。情報が無い以上、いくら話しても無駄だ」
と、俺が両手に持っていた紙を机に叩き付けると、ワタアメは黙ってしまった。
俺の執務室の壁には埋め込まれたスクリーンが有り、そこにはオリガミのプレイ画面が映されている。
これはリアルタイムな映像で、俺の自宅で千枝がゲームをプレイしている配信そのものだ。勿論、本人に許可は貰っているし、千枝の応援と監視の意味も込められた映像である。
✳︎
オリガミはネバーレジェンドの常連となっていた。
通称ネバレジェと呼ばれているそのゲームは、ジャンルとしてはマルチプレイヤーオンラインバトルアリーナ、MOBAと呼ばれる平均同時接続数三百万人を超える対戦ゲーム。オリガミはこのゲームの才能があるらしく、活躍を見込まれて、イベント出演のオファーが度々来ていた。
今日はネバーレジェンドの元プロプレイヤーだったエンキドとコンビを組み、プロレベルのプレイヤーと激しい戦闘を行っている。
二人はスペースゲームズ社が開発した新型のプロジェクトサイカスーツ弐式を身に付け、金色のエンキドと黄色のオリガミが2人で大暴れしていた。
エンキドが接近戦を仕掛け、オリガミが遠距離から手裏剣の雨を降らせる。
そうやって立ち塞がるプレイヤーを倒し、自動砲台の塔を破壊し、相手の拠点へと侵入した所で敵プレイヤーであるルビーが待っていた。赤頭巾にハートの眼帯を付けたルビーが大鎌を振り回し、エンキドが多種多様な剣を持ち替えて激突を繰り返す。実況も大盛り上がりだ。
『集団戦で崩れたところで、エンキドが起死回生のトリプルキル! そして立ちはだかったのはジャングラー・ルビー! さあこれで勝負が決まるか! 速すぎて理解が追いつかない! 互いに体力はまだある! トリプルキルを取ったばかりのエンキド! いったい何をやっているんだ! そのまま四キルを取るつもりか! だがルビーも負けない! ルビーオールイン!』
熟練のトッププレイヤー同士の斬り合いに水を差したのは、ルビーの背後から現れたナポンだった。
『おおっと! ここでナポンがやってきた事で形勢が逆転! これはさすがにエンキドも厳しいか! 体力が一気に減らされている! 勝負は見えたか! エンキドが必死の抵抗! エンキドまだ倒れない! 硬い! 止まらない!』
ナポンが薙刀を持って加勢して、二対一の状況に陥るが、エンキドは負けじと奮闘。しかし、二人の攻撃によってエンキドのHPはじりじりと削られて行った。
そこへ現れたのは、大量のミニオン兵士を引き連れたオリガミ。
『ここでオリガミがミニオンを引き連れてエンキドの援護に入ります! オリガミ、フラッシュインからのアルティメットスキル! 大量の手裏剣が舞い踊る! 本拠地を守るタワーはもう無いぞ!』
オリガミは無数の手裏剣を投げ、ルビーとナポンがそれを回避した隙を狙ってエンキドが前に突撃。ミニオン兵士達も合わせて前進したのを確認しながら、エンキドは目の前に見えるクリスタルに向かって跳躍。
『ゲームを決定付ける様なオリガミの加勢から、エンキドフラッシュアウト! ルビー追いかけフラッシュイン! ルビーのデスサイズスロー! 当たらない! 間に合わない! エンキド! 体力は残り僅か! それでも行くか! 行くのか! エンキドォ!』
空中で両手持ちの巨大な大剣に武器を切り替え、勢い良く本拠地を斬って砕いた。
『行ったぁーッ! エンキドの特大な一撃が、本拠地を叩き割ったぁーッ!』
画面に表示されるVICTORYの文字は、エンキドとオリガミの勝利を表していた。それに合わせて二人はハイタッチをした後、背中合わせて決めポーズによるファンサービスでその場を締めた。
最初は悔しそうな表情を見せるルビーとナポンだったが、すぐに諦めと称賛の笑みを向けてくれた。
ネバーレジェンドの白熱した試合が行われた後、ネットエレベーターに乗り込んだオリガミとエンキド。
「ナイスキャリーだったね。おつかれさま。これがランク戦ならエンキドは間違いなくキャラBANだよ」
と、オリガミ。
「そうか? 今のはオリガミがMVPだろ」
そんな会話をしながらも二人は弐式スーツから、ワールドオブアドベンチャーの装備へと切り替える。スーツと同じ金色鎧の上から黒のフードを被り、骸骨面で顔を隠すエンキド。
怪しい姿に変わったエンキドを見て、オリガミが聞く。
「ねえ、なんでいつもそんな格好してるの?」
「これが俺のロールプレイ」
「ふーん。あ、そう言えばエンちゃん、WOAだと何で黒の剣士って呼ばれてるの? そんなキンピカなのに」
「ん? あー、そんな事か。昔、首都対抗戦に参加した時、俺はマリエラの砦防衛線で百人斬りをした」
「百人!? 嘘でしょ?」
「嘘じゃない。俺は強者を求めて首都対抗戦に参加し……砦に攻め込んでくるプレイヤーを全て倒した。その時、俺はまだこの鎧じゃなくてな。黒の軽装装備で、その姿が……その、なんだ、昔あったアニメの主人公に似ていたとか何とかで、そう呼ばれる様になったって訳だ」
「へぇ。プレイヤースキルは神がかってると思ってたけど……エンちゃん、そんな凄い人だったんだ。サイカとやりあったってのも頷けちゃうね」
「昔の話さ。最初は周りから黒の剣士なんて呼ばれるのが恥ずかしくて、装備を変えた。それがこの姿って訳だ」
「別に顔まで隠さなくても良くない?」
「これは……ゲーム内でサダハルから貰った誕生日プレゼントだから。好きで付けてる」
「誕生日プレゼントに骸骨の仮面って……じゃあさ、今度、サダハルさんとの馴れ初め教えてよ」
「まあ、いいけど」
やがてエレベーターはネットステーションに到着して、扉が開いた。
そこには別の仕事を終えたカゲロウ、ハンゾウ、ミケの三人がプロジェクトサイカスーツ・弐式を身に付けたまま待機していた。オリガミとエンキドがエレベーターから降りたので、全員の注目が集まる。
「オリガミ、おかえり」
と、ミケ。
「ただいまー! ミケー!」
そう言ってオリガミがミケに抱き着くと、ミケもそれに応えた。
「今日も元気ね」
「今日も絶好調だよ! 十戦九勝!」
「凄いじゃない」
「でも一回だけ負けちゃった。やっぱりみんなと一緒じゃないと息が合わないよ」
「そう」
その会話を聞いていたエンキドが、
「俺では役不足だったか?」
と、口にしたのでオリガミが慌ててフォローを入れる。
「違う違う! そういう訳じゃなくて!」
「俺は本来シノビセブンじゃないし、連携においてはお前達には勝てないさ」
「もうエンちゃん! 違うから! それ以上言ったら怒るからね!」
「……悪い。俺はWOAに戻るよ」
と、再びエレベーターに乗り込むエンキド。
「あたしも行く!」
そう言って一緒にエレベーターへ乗り込もうとするオリガミだったが、その入口で振り返り、他の三人に目線を配った。
「みんなは?」
しかしカゲロウもハンゾウもミケも、無言で立ち尽くしていた。
オリガミはそんな彼らに少しだけ引っ掛かりを感じたので、思わずもう一度ミケに話しかけていた。
「ねえミケ」
「なに」
「なんでここにいるの? 赤ちゃんは……順調?」
すぐに返答は無かった。
ミケはしばらく黙った後、
「私は大丈夫」
と言った。
オリガミは別の所に立っているハンゾウに目をやると、ハンゾウも答えた。
「何も問題は無い」
「……なら、いいんだけど」
夫婦となった二人がそう言っているのだから問題は無いのだろうと判断したオリガミは、エレベーターに乗り込む。
エンキドの操作で扉が閉まり、二人を乗せたエレベーターは下って行く。行先はワールドオブアドベンチャー。出口はゼネティアの居住エリアにあるシノビセブンアジトへと繋がっている。
再び二人きりとなった下りのエレベーターの中で、エンキドが聞いてきた。
「サイカは元気か?」
「どっちのサイカ?」
「どっちも」
「たっくんは元気。でもサイカは……よくわかんない」
「こっち側に来てるって聞いたが?」
そう言われ、少し俯くオリガミ。
「そうみたいなんだけど……そうじゃないみたい」
「事情は複雑って事か。相変わらず、そっちは大変そうだな」
「うん……」
「ブレイバーと言ったか。俺のキャラも、もしかしたら生きているのかもしれないんだよな」
「うーん……エンちゃんが存在しているかどうかは、まだ情報が足りないみたい」
「オリガミは?」
「あたしは……」
バツが悪そうな暗い表情になったオリガミを見たエンキドは、
「そう都合良くはいかないな。ごめん、部外者が野暮な事を聞いた」
と、背中を向けた。
ネットエレベーターは電子世界を行き来する目的だけでなく、移動先となるゲーム仕様にキャラクターをコンバートする役割も持っている。この箱の中にいる約十分間の時間の内に、処理は全て完了する。
そうやってコンバート処理が終わると、エレベーターは止まり、扉が開く。
そこはシノビセブンのアジトの和室、和楽器音楽によるBGMが迎えてくれた。
二人が畳に足を踏み入れると、胡坐をかいて座っている鬼の仮面、アマツカミの姿が目に入った。
「アマっちゃん、こんな所にいたんだ」
と、オリガミ。
「オリガミか」
「最近、バグの退治依頼が来ないけど、何か聞いてない?」
「……何も」
アマツカミに元気が無いと感じたオリガミは、自分の定位置に座りながらも彼が好きな話題を出す事にした。
「そう言えば今期のイモガミアニメ、観たの? 面白かった?」
「……ああ、観た。面白かった」
「どうしたの? なんか元気ないね。いつもならもっと語るのに」
「問題無い」
オリガミはここでも少し違和感を感じた。だが、オリガミは気にしない事にする。
「とりあえず休憩。ちょっとジュース取ってくる」
と、オリガミは動かなくなった。
アマツカミは固まった忍びの少女を、じっと見つめる。不気味な鬼の仮面が、離席したオリガミにどんよりとした視線を送る。
やがて鬼の忍びはゆっくりと動き、オリガミに近づきながら彼女の顔に向かって手を伸ばす。その手が、その指が、あと少しでオリガミの肌に触れそうになった時、エンキドが声をあげた。
「アマツカミ」
と、エンキドに名を呼ばれた事で、動きが止まるアマツカミ。
「なんだ」
「最近、日本も平和とは言えなくなってきた。一人暮らしなら、用心した方が良い」
「問題無い」
「その問題無いって言葉、シノビセブンの流行りなのか?」
その質問にアマツカミは何も答えず、再び自分の定位置に戻って座った。
エンキドは立ったまま壁にもたれ掛かり、腕を組みながらアマツカミをじっと観察する。骸骨の仮面と、鬼の仮面が遠い距離感で見つめ合う奇妙な構図となった。
そうやってエンキドは、アマツカミが何を言い出すのかと待っていたのだが、どうやら先ほどの質問は流されてしまった様だ。
次に何て言葉を掛けるべきかとエンキドが悩み、その間の息づまるようなヒヤリとした沈黙があった。
しばらくしてオリガミが動き出し、何事も無かったかの様に話を始めた。
「ただいま。スムージー美味しい」
「スムージー?」
と、エンキド。
「知らないの? 昔流行った健康ジュース」
「聞いた事無い。コンビニで売ってるのか?」
「コンビニだとあんまり見ないかな」
「じゃあ何処で売ってるんだ」
「ネットで売ってるよ」
「そこまでして飲みたい物か?」
「男の子には分からないかもね」
オリガミは再びアマツカミを見た。
「アマっちゃんが教えてくれたんだよ。スムージー」
「そうだな」
と、素っ気ないアマツカミ。
すると、エンキドは言った。
「今度買ってみるよ。話は変わるけど、ちょっと気になる事があるんだが……」
「ん、なに?」
「最近、お前たちのイン率が良いのが気になっている。ほぼずっとログインしたままだが、何か会社からの指示でもあったのか? 俺の所には何も連絡が来てない」
「まあ、あたしはちょっとたっくんに外出禁止って言われちゃって、部屋に引き籠ってるだけだけど。他のみんなは……確かにそうかも。でも、暇ができたってだけじゃないの?」
「暇ができた……ね。分かった。今は考えないでおこう」
と、エンキドが言ったところで、彼にメッセージが届いた。
それは相方のサダハルから送られてきたメッセージで、エンキドはメッセージウィンドウを開いて一読する。
「俺はそろそろ行くわ。またよろしくな」
「えー! ちょっと待ってよー!」
オリガミが引き留めようとしたが、エンキドは歩き出してシノビセブンのアジトを出て行ってしまった。
✳︎
オリガミのやり取りはモニターで全て見えていた。
俺はいつの間にか三人称視点でオリガミを追いかける映像に釘付けとなっていて、書類の選別という仕事は一切進んでいなかった。ワタアメも俺の膝の上に移動していて、一緒にモニターを見ている。
「わっちはシノビセブンの事はよく知らぬが……サイカとして何か感じる事はあるかえ?」
と、ワタアメ。
「どうだろう。これだけじゃ何とも言えない」
そう言いながら、俺はスマートフォンを取り出し、増田雄也に電話を掛ける。
プルルルルル。プルルルルル。
長く続く呼び出し音。どれだけ待っても、雄也が電話に出る事は無かった。
目の前の映像には、オリガミの前にアマツカミがいる。でもその中の人である雄也は出ない。
「出ない」
俺は電話を切り、机の上にスマホを置く。
そこへ、執務室の自動ドアが開き、ミーティアが中に入ってきた。
「琢磨、仕事の調子はどう?」
「見ての通り」
俺がそう言うと、ミーティアは全然減っていない山を見て、呆れ顔で事情を察してくれたようだ。
「第一司令室で真琴さんが呼んでる。すぐに来て」
と、ミーティア。
ミーティアに呼ばれ、俺たちはBCU本部にある第一司令室に行って、園田真琴と合流。
その後別室へと案内されたと思えば、そこには見た事も無い謎の装置が業者によって設置されている現場だった。白くて丸みのある席で、スイッチやモニターが沢山有り、何処かパイロット席の様な物だ。
「園田さんこれは?」
と、俺が隣にいる園田さんに聞いてみる。
「分かりません。アメリカから送られてきました。ペンタゴンから資料データも頂いているのですが……」
そう言って、園田さんがタブレットを取り出して資料に目を通すが、英語がびっしり書かれている。
「えっと……ブレイバーに関係する装置みたいですが――」
すると、部屋の入口から男の声が聞こえ、話に割って入ってきた。
「BYM101S。ブレイバーリンク・アパレイタス。アメリカが開発したブレイバーとそのマスターを繋げる装置さ」
一同が振り返って入口を見ると、そこに立っていたのはカジュアルな服装でサングラスを頭に掛けた栗部蒼羽だった。その横には軍服を着たアメリカ人女性の姿もある。確か彼女の名前は……クロエ。
「蒼羽!」
久しぶりの再会に思わず彼の名を呼んでしまった俺に、蒼羽は笑顔を向けた。
「ハイ、ミスターサイカ」
蒼羽は近付いてきて、ハグで挨拶をしてきた。
「琢磨で良いよ。どうしてここに」
「ああ、その装置の説明と、ミスタータクマに会いに来た。新宿と北海道の件はニュースで見た。何て言ったらいいか」
「ありがとう。ブランは?」
「ジャパンツーリズム」
「観光? ブレイバーが? 危険すぎる」
「あいつなら大丈夫。付添もいるから、心配しないでいい」
そんな会話をする俺と栗部の横で、クロエが話を始めた。
「そのアパレイタスは、アメリカ国防省が開発したブレイバーリンクを行う物です。ミスターアオバとブランが試験運用を重ね、改良を施した完成形になります」
「ブレイバーリンクとは何でしょうか?」
と、園田さん。
「その名の通り、ブレイバーの意識と夢主の意識を同化させ、ブレイバーとシンクロを可能とします」
俺が反応する。
「ブレイバーをコントロールって、そんな事ができるのか?」
問いを投げると、今度は遅れて入ってきた白衣姿の明月朱里が語り出した。
「それはわしが発明した。天才的なわしの知識をアメリカに提供してな。琢磨は初めてサイカと出会った時、ゲームコントローラーによる操作でサイカに動きの命令を出さなかったか?」
「コントローラーで? 確かに……そんな事もあった様な……」
初めてサイカからモニター越しに話しかけられたあの時、画面に表示されたサイカは、確かにコントローラーのボタンを押した通りに動いた。少し反応は鈍かったが、右、左、ジャンプ、刀を抜く、斬る、ワールドオブアドベンチャーでの一通りの操作にサイカは反応していた。
「ブレイバーは電気信号を受け付ける。それをヒントにして、電子制御ができるのではないかという考えに至った。本当に上手くいくかどうか分からないその実験に、アメリカは協力してくれたんだ」
「だから向こうと頻繁にやり取りをしていたのか」
「今に始まった話じゃない。皮肉な事に、サイカに悪戯をしたブラックハッカー・バストラが残した研究結果も役に立ってな。動作も安定したから、とりあえずは一台、こっちに送って貰った」
「でもこんなの、何に使うんだよ。ブレイバーは単独でも充分に行動できる」
「二つの生命体が融合する事で得られるのは、第二人格との共存、五感の強化、そして……第六感。それらを実現する。だけどブレイバーがそれを受け入れるかどうかは別問題だがな」
朱里がそこまで言うと、俺の後ろでアパレイタスに手を着いた蒼羽が言った。
「動作は俺が保証する。だからミスタータクマ。これを使ってリンクして欲しい」
「誰と?」
「お前のブレイバーに」
「サイカ!? いや、ちょっと待って、そんな事出来る訳が――」
「出来る。何度もブランとリンクした俺が保証するって言ったろ。そして、アメリカ政府はそれを望んでる。アメリカ軍の作戦に散々介入したサイカの真意を知る必要がある……ってな」
すると朱里が、
「なんだ、わしの発明が信用できんとは言わせんぞ」
と、俺の肩に手を乗せてきた。
秘密裏にこんなとんでもない装置を開発していたなんて、俺は知らなかった。
ブレイバーリンク……果たして俺がこの席に座って、電源を起動したら、その先にサイカは本当にいるのだろうか。
何て言葉を出そうかと悩んでしまう俺だったが、更に矢井田司令が中に入ってきた事で場の空気が変わった。
BCUの隊員から敬礼をされながら、矢井田司令は俺に険しい目付きを向けてくる。
「話は聞かせて貰った。やるんだ明月くん。今、世界で何が起きてるのか、その鍵がそこにある」
「矢井田司令……でも俺は……」
「俺は……なんだね? やらないという選択肢がキミにあると?」
そうだ。俺がサイカとコンタクトする事に、何を躊躇う必要がある。
例えサイカの意思があろうとなかろうと、例えサイカが俺の事を覚えて無かろうと。俺はもう一度……もう一人の俺を……報われなかった彼女を……もう一度、掴まないといけないんだ。
クロードやジーエイチセブン、ケークンに下村レイまでも部屋に入って来て、BCUの主要メンバーが勢揃いになった。
そんな中で、矢井田司令の足元を見て判断に迷う俺にミーティアが声を掛ける。
「琢磨……」
たった一言、俺の名前を呼んだだけだったけど、その言葉にはサイカに拒絶されたミーティアの想いがある。無理はしないでいい。ミーティアだけは、そんな事を言ってくれてる様な、優しい表情がそこにあった。
いつの間にかミーティアの肩に乗ってるワタアメは、特に何も言ってこなかった。
沈黙。
みんなが俺の答えを待つ沈黙が……そこにあった。
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新しい装置でBCU本部が騒がしくなっている中、また別の所でも動きがあった。
久々原彩花は、福岡から東京まで三時間も掛からず到着してしまった事に驚きながらも、地下鉄を乗り継いで何とかBCU本部がある東京都江東区まで足を運んでいた。
「おかしかね。こらへんのはずだけど……」
福岡の土産と着替えを詰め込んだキャリーバッグをガラガラと引き摺って、BCUへの招待状とそれに書かれていた住所を頼りに移動している。
しかし、ルートを表示してくれていたスマートフォンは、GPSの調子が悪く、現在地を示すアイコンはなぜか千葉県にいる。だから見知らぬ土地ではすぐ方向音痴になってしまう彩花は、ずっと迷っていた。
霧が濃くなり、人の気配も無くなり、何か異様な空気に包まれてしまっている事よりも、道に迷ってしまっているという不安の方が強かった。
「あれ……?」
彩花が不自然な濃い霧に気付いた時、前方から接近してくる女性の声が聞こえた。
「無明の闇に……まろびてたもれ。クグハラサイカはんどすなぁ。おいでやす」
「だ、誰?」
白い霧に浮かぶ影と、女性の声。
「あんたには何の恨みもあらしまへん。やけど、無情にならな変えられへん事もあるんどす。大人しゅう付いて来てくれるならそれで良し。そうでなければ少し痛い思いをしますえ」
女は刀を抜き、ゆっくりとこちらに向かって歩いて来るのが分かる。狐の面と、白色の忍び装束が微かに見えた。
不審者の只ならぬその気配に圧倒され、彩花は思わず逆方向に走り出す。足手まといとなるキャリーバッグは途中で放置して、必死に逃げた。
「あらあら、話もしいひんで逃げようなんて、可愛い可愛い」
相手の足音は聞こえない。でも、すぐ後ろをぴったりと付いて来ている気配がある。
住宅地の道路、交差点を右に曲がっても、左に曲がっても、どんなに走っても霧が晴れる事なく、まるで幽霊みたいに目線が付き纏って来ている。
「何と! 何なんよこれ! 誰かぁーッ!」
助けを呼ぶ彩花。
しかし、他に誰の気配も無い。まるで霧が人を消し去ってしまい、孤独の森を走らされてるみたいに、誰もいなかった。
「遊んやったいけど、あんまり時間を掛けるとうちも怒られてまうの」
ふっと、風が彩花を通り過ぎ、そして目の前に刀を持った女が立ち塞がった。
彩花は転びそうになりながらも身体の向きを変えて、逆方向に走ろうとする。が、またも狐面の女がふらりと回り込んできて、目の前にいた。
相手は人間じゃ無い。
そう悟った彩花はそこで逃げる事を諦めたその時、新たな影が空から降ってきて、刀で女に斬り掛かっていた。
灰色の忍び装束に、覆面で口元を隠した男が突然現れて、その男が放った刃を狐面の女は刀で受け止めていた。濃い霧でよく見えないけど、鉄と鉄が衝突した際に発生する音と光はハッキリと見えた。
「そこまでだ」
と、男の声。
「ブランはん。こら意外どすなぁ。オーアニルの地で沈んだ負け犬が、こないな所におるとは」
「あの時は世話になったなミケ! 貴様こそ、こんな所で何をしている!」
「忍びは忍びらしゅう。闇夜に紛れ、人の子を狙うは定め」
「レクスがこちら側に来ているな! その陰謀、今度こそ俺が止めてみせる!」
そんな会話をしながら、二人の影の斬り合いが始まった。
彩花の周りであちらこちらで、刀と刀がぶつかる音が響き、彩花は何が何だか分からず恐怖で動けずにいた。
そこへ急に現れた三人目の影が、彩花の腕を掴んできた。
「こっちだ!」
と、男に腕を引っ張られ、彩花は再び走り出す。
彩花の腕を引っ張って一緒に走ってくれているのは外国人で、背の高い若い青年。
ミケやブランが霧の中で戦っている中、その戦闘から出来る限り離れる様に彩花と青年は全力で走って逃げる。
アクション映画の監督もビックリな騒ぎに巻き込まれた彩花は、福岡から東京にやって来た初日にブレイバーから襲われ、謎の外国人に助けられると言う事態にまでなった。
福岡での一件以来、非現実に足を踏み入れる事を決意した彩花。そんな彼女は東京でも新たな非現実に遭遇し、彼女の現実が更に崩壊していく。
コンクリートジャングルに発生した深い霧の中、二人の人間が逃げ惑う。
【解説】
◆異次元侵略に対する国際平和連盟の設立
北海道での大規模なバグ被害が起因となり、世界中の国々が力を合わせてバグに対抗する意志を示した。そしてアメリカは、ブレイバーをバグと戦う道具として世界的に大量召喚する計画を立てている。
◆ネバーレジェンド(MOBA)のゲーム用語
集団戦:五対五で戦うチーム戦ではあるが、広いマップであえて複数人が衝突する事を集団戦と呼ぶ。
ジャングラー:チームの中でも数々の役割分担がある中で、戦況を見守りながらマップを自由に動き回ってゲームコントロールが出来る重要な役割。森の中から突然現れて味方を支援する事からジャングラーと呼ばれる。
フラッシュ:このゲームにおいて、全てのプレイヤーが共通して使う事が出来る瞬間移動スキル。一瞬で場所を移動できる事から、攻撃・回避・逃走で多用される。しかしクールダウンが長い為、いつ使うかが腕の見せ所でもある。逃げに使う場合はフラッシュアウト、攻めに使う場合はフラッシュインと表現される。
オールイン:全てのスキルを打ち込み、最大火力を出すこと。
ミニオン兵士:敵の拠点に向かってひたすら突撃する兵士をミニオンと呼ぶ。ミニオンは定期的に両チームの拠点から召喚され、一定のルートを通り近くにいる敵を攻撃しながら進んでいく特性がある。このゲームにおいて、このミニオンの扱い方が大きくゲームを左右するのだ。
アルティメットスキル:そのキャラが持つ必殺技。又は奥義的な何か。
キャリー:試合において大活躍してチームを勝利へ運ぶ事。必然的に装備もレベルも強くなる為、警戒されて相手から狙われやすくなる。MOBAゲームにおいて、俺TUEEE状態のキャリーしてるプレイヤーに任せっきりだと、集団戦でコロッと負けてしまう事もある。
◆シノビセブン
ワールドオブアドベンチャーの首都ゼネティアを拠点とする忍び集団グループで、アマツカミを筆頭に、オリガミ、ハンゾウ、ミケ、カゲロウ、サイカ、ブランの七名が所属している。しかしギルドシステムは利用しておらず、決してギルドではない。
この七人が揃うと首都対抗戦で無敵な強さを誇っていた為、ゲーム内では有名なグループだった。現在ではサイカとブランは姿を見せず、いなくなってしまったサイカの代わりにシノビセブンがバーチャルアイドル活動とネットワーク世界のバグ退治を兼任で継続している。
しかしそれは過去の栄光となりつつあり、全てはゲーム内でのお話し。全員揃う事が無くなってしまった彼らに、大きな闇と亀裂が入ろうとしている。
◆スムージー
凍らせた果物、又は野菜等を使ったシャーベット状の飲み物。ジュースよりダイエットに適しオシャレで健康的な飲み物との印象を与えられている。
ちなみに読者の皆様がいる現実世界では、しっかりコンビニで売られているのでご安心を。
◆琢磨と蒼羽
サイカとブランでもある二人は、ワールドオブアドベンチャーではシノビセブンの仲間として付き合いがある。
アメリカ政府からのブレイバー召喚を依頼され、琢磨がアメリカまで行った際に蒼羽と初対面した。今回はそれから約一年振りの再会となった。
◆ブレイバーリンク・アパレイタス(BYM101S)
明月朱里とアメリカ国防省が、極秘裏に開発を進めていたブレイバーとのリンク装置。元々は電脳世界のブレイバーと同調する物だったが、今は亡きブラックハッカーのバストラが残したデータを基に、現実世界側にいるブレイバーとの同調も可能とした完成形が出来上がった。
アメリカで活躍していた栗部蒼羽とそのブレイバーブランは、兼ねてよりこの装置の実験も担当しており、作中では語られない様々な苦労が詰まった装置である。




