79.戦を見て矢を矧ぐ
バイクを走らせる事がこんなに清々しいなんて、バイクに乗るまで俺は知らなかった。
夏は暑い、冬は寒い、雨が降れば濡れるし滑るし前が見えない。駐車する時も場所で悩む事があるし、もし事故にあった時は大きな怪我をする可能性も高い。
こんな悪い事ばかりが思いついてしまうバイクだったけど、実際に乗って走ってみると、意外にも楽しい。風や自然を直接感じる爽快感、匂い、駆け抜けるダイナミックな景色、その全てがここにある。
俺は可愛いぬいぐるみを背負った西洋鎧の女性を後ろに乗せて、真夜中の東京をバイクで疾走する。首都高に緑と赤の残光を残しながら、走行中の車両を追い抜いて行った。
ヘルメットの視界サポートによって、まるで仮想現実の世界を走っている様な気分にさせられるけど、シールドの向こうは現実だってのは分かっている。
首都高速五号池袋線を走り抜けている最中、ヘルメットの中に園田さんの声が響いた。
『続報です。未確認飛行物体は、足立区に到達した所で速度を落とし、そのまま航空管制用レーダーから消えました。どうやら地上に降りた様です。SNSでの目撃情報も多数確認』
「だからそれはサイカだ。足立区か……」
すると、ミーティアが言った。
「琢磨、どうするの」
「どうするったって、行先は変わらないだろ」
俺はバイクの速度を上げる。
俺が首都高でバイクを走らせている時、住宅地を歩く二人の夫婦がいた。
立川健太と立川明莉は左手の薬指に結婚指輪を輝かせ、健太が買い物袋を両手に抱えてアパートに向かっている。
二人は一年前に婚約して、俺は結婚式にも招待された。
シノビセブンのハンゾウとミケが結婚するという事で、ワールドオブアドベンチャー尽くしな結婚式だった。初めてシノビセブンのメンバー全員がリアルに集う場でもあったし、スペースゲームズ社も全面協力したワールドオブアドベンチャーウエディングは、とにかくうっとりしてしまうほど素敵なものだった。
声優によるナレーション、スクリーンでオリジナルのオープニング映像、会場に流れる音楽はゲームの物が使用されていて、新郎は剣と盾を持って入場。新婦はオリジナルドレスに大きな杖。プロジェクションマッピングで周囲にゼネティアの教会が映されたと思えば、ゲーム内のハンゾウとミケがホログラムで表示されて、新郎新婦の動きに合わせて動く。
こんな事も可能なのかと、俺は俺の知らない世界に呆気にとられた。後日、調べてみれば、ワールドオブアドベンチャーウエディングというのは、過去にいくつも事例がある様だったけど、でも俺にとっては初めて見る挙式だった。
そんな幸せの最高潮を迎えた二人は、その後子供を授かり、立川明莉は妊娠五ヶ月。大きくなってきたお腹を触りながら歩く明莉が、胎動を感じた。
「あ、動いた。ねえ動いたわよ今」
そう言う明莉は、ツンツンしていた頃が嘘だったかの様な微笑みを浮かべている。
横を歩く健太も釣られて笑顔になりながら口を開いた。
「もうすぐ家も出来上がるし、その子の為にも、良い所に住まないとな」
「そうね。新居、楽しみにしてる。そう言えば私が休み貰ってからしばらく経つけど、シノビセブンは上手くやってるの?」
「んー、俺も副業って形だからなぁ。サイカは行方不明、ブランはアメリカ、頭領とオリガミとカゲロウが頑張ってくれてるみたいだけどな」
「オリガミも最近幸せそうだし、そろそろシノビセブンが全員揃う事も無くなっちゃうのかな」
「全員揃ったのは俺たちの結婚式が最後……だもんな」
「そうね。そんな前の話じゃないのに、なんか懐かしく感じる」
何処か遠い目でそう言う明莉。
「琢磨が行方不明のサイカを取り戻したら、俺らの家でまたオフ会やろうぜ」
「あー、いいねそれ。でもこの子が産まれてからにしたいな。みんなに私たちの赤ちゃん見せたい」
「いいなーそれ。そういや、知ってるか? エンキドは凄いレアキャラ扱いで、戦ってる姿を見たら運気が上がるなんて言われてるんだぜ?」
「ふふ、なにそれ変なの」
「あの金色のサイカスーツ、見るからに縁起良さそうだもんな」
「あー確かに」
「だろ」
ここまで和やかな会話をしながら歩みを進める二人だったが、急に健太が真顔になって言ってきた。
「明莉」
「ん、なに?」
立ち止まる二人。
「……北海道が今、大変な事になってるだろ」
「ええ、そうね」
「琢磨にBCUに誘われてから、色々考えてたんだけどよ。やっぱ俺、BCUに行くわ。今の仕事やめて、日本の為に働く道を選ぶ。良いだろ?」
「あんたの中では、もう決めた事なんでしょ。だったら、私はそれを応援するだけ」
「ありがとな」
「手続きは?」
「退職届は明日出す」
「そう」
「悪いな。こんな事に付き合わせちまって」
「私はね、健やかなるときも病めるときも、富めるときも貧しいときも、貴方を夫として愛し、敬い、いつくしむことを誓ったの。日本の為に働こうってのに、こんなことなんて、バカな事言ってんじゃないよ」
「……ありがとな」
「お互い様」
明莉はそう言って、健太が持っているレジ袋の取っ手を片方持った。
そして歩き出す。二人が住んでいる賃貸のアパートは、すぐ目の前だった。
パチパチパチと、夜空に響く一つの拍手。
思わず二人は音がする方を見上げた。
目の前の建物、二人が住むアパートの屋上に人影があった。どうやらそれが拍手の主だ。
二人はその人物を見て驚く。大きな剣と眼帯が特徴的な男が剣を片手に持って立っていたからだ。シャークである。
シャークは楽しそうな笑みを見せ、しばらく拍手を続け注目を集めた所で口を開く。
「美しいねえ。愛し愛され、人間の境地ってやつだな。本当に美しい」
「誰だ!」
と、健太が自分の後ろに明莉を隠す様にしながら問いを投げる。
「いいねぇ、その動揺。初々しくて涙が出そうだ」
シャークは笑い、そしてアパートの屋上から飛び降りる。
三階建てのアパートで、普通の人間であれば真っ直ぐ飛び降りたら無事では済まない高さの筈だが、シャークは軽々と着地してしまった。アスファルト道路に亀裂でも入ったのではないかと思える鈍い音、街灯に照らされて怪しく光る剣。
健太は言った。
「コスプレイヤー……って訳ではなさそうだな」
「コスプレイヤー? なんだそりゃあ。俺様はシャーク。ブレイバーだ。お前たちに用があってここで待っていたって訳だ。オーケー?」
そう言いながら着地して屈んだ姿勢からゆっくりと立ち上がったシャークは、片手で肩に担いでいた大きな剣を動かし、その矛先を二人に向けた。
健太は焦った。いきなり現れた眼帯の男が、剣を向けてきたのだから、冷や汗が出てしまうのも無理は無い。なので彼の頭に浮かんだのは、まずは後ろにいる明莉を守る事だった。
「明莉、逃げるぞ!」
「え、ええ」
健太は持っていたレジ袋を地面に置いて、明莉の手を取って逃走を試みようとした。
それを見てシャークは不満そうな顔を浮かべる。
「んだよ。女を先に逃がして、男は立ちはだかるとかしねえのか? 逃げれると思ってんのかよ」
余裕な表情で再び剣を肩に担ぐシャークだったが、彼に背を向けて逃げようとした二人の視界には、覆面マスクを被った人間達が映り込んでいた。彼らの手には金属バットやゴルフクラブと言った凶器がある。
そう、健太と明莉はいつの間にか怪しい者達に挟まれる事となっていたのだ。
「何なんだお前たちは! 俺達にいったい何の用だ!」
と、健太が怒鳴る。
シャークが答えた。
「シノビセブンのメンバー……いや、ワールドオブアドベンチャーをやっていたのが運の尽きだったって事さ。手荒な真似はするなと言われてっからな。怪我したくなけりゃ大人しく一緒に来い」
健太は相手の人数を数えてみたが、七人いる。このシャークと言う男を含めれば八人だ。
次に腕に捕まって震えている明莉の顔と、彼女のお腹を見る。どう足掻いても無事に逃げれる状況ではないし、明莉に無理をさせる訳にはいかないと健太は判断した。
「明莉は妊娠してる。俺だけでいいだろ」
と、健太。
「ああ? 何言ってやがる。用があるのは両方だ」
「おまッ――!」
強い口調で叫ぼうとした健太の喉に、シャークが持つ剣の刃が突き付けられた。
数ミリでも動けばその刃が首の皮膚に触れてしまいそうなほどの距離に、思わず健太の口が止まる。
「何度も言わせんな。無駄口を叩くな。両方だ。二言はねぇ」
「くっ」
だけど健太はそこで諦める様な男ではなかった。
勇敢にもシャークを蹴り飛ばし、そして周囲を取り囲んでいる凶器を持った覆面の者たちに殴り掛かる。
「うおりゃあああ! 逃げろ明莉ぃ!」
「健太!」
相手はなるべく傷を付けない様にと命令を受けている為か、あまり反撃はしてこない。なので健太は殴り掛かり、覆面の者たちに攻撃をして撹乱を試みた。
その隙に逃げようとする明莉だったが、シャークに腕を捕まれ引き寄せられてしまう。そのままシャークの筋肉質な腕に首を締められ、身動きが取れなくなってしまった。
そしてシャークは言う。
「おっと、やめときな。てめぇの妻と子供が大事なら、ここは俺たちに従った方がいい」
妻を人質にされて、健太の動きが止まった。
そこへ健太に殴られた覆面が、お返しと言わんばかりに金属バットで健太の頭部を一発殴って来た事で、健太の意識はそこで途切れてしまう。
「健太ぁー!」
と、明莉の叫びが夜の闇に虚しく響く。
シャーク達が二人を襲っている時、別の場所でも動きがあった。
五人の覆面の者達が家に押し入り、中にいた一人暮らしの男性を縄で縛って身動きを取れなくしてから外に担ぎ出していた。男達は一軒家の窓ガラスを割って侵入、抵抗する男を暴力で抑え、そしてそのまま拉致するという行為に及んでいたのだ。
「んーッ! んーッ!」
部屋着のジャージ姿のまま縄で巻かれてガムテープで口を塞がれている男は、血眼で必死に何かを叫ぼうと暴れているが身動きが取れないでいた。
そんな彼を外に停まっていた黒いバンの荷室に詰め込もうとする男達。
「早くしろ! 警察が来たら面倒だ!」
二人掛かりで縛られた男を荷室へ乱暴に放り投げ、そして周囲の見張りをしていた者達が荷室に乗り込もうとする。
その時、覆面の男の一人が、仲間の背後に立っている女に気が付いた。
狐面に赤マフラー、外灯の光で艶めかしい白肌。サイカである。
「誰だッ!」
一人がそう言って金属バットを構えたので、荷室に乗り込もうとしていた他の三人も振り向いて武器を構えた。
バンの運転席に座っていた一人が、
「おい、何やってんだ!」
と、窓から顔を出した時、そこには一人の女に向かって武器を構えてる四人の姿。
サイカはそれぞれの覆面達に目を配った後に言った。
「何を……している」
その問いに、誰も答える事は無い。それどころか木刀を持っていた男が、腰に日本刀を携えたサイカの異様な雰囲気に駆り立てられて殴り掛かっていた。
「おいやめろ!」
と、一人が言葉で止めようとしたのは既に遅い。
木刀を握ったままの腕が宙を舞い、地面に落ちた。
「えっ?」
と、斬られた男は一瞬過ぎて何が何だか分からないと言った様子で、肘を綺麗に斬られてしまった自分の腕を見ていた。
そこに痛みは無く、勢いよく吹き出す血。その光景に平衡感覚を失い、くるりと一回転してその場に倒れた。
「あああああああッ! 腕がッ! 俺の腕がああああああッ!」
アスファルトの道路の上で血だらけになりながら悶え苦しむ仲間の姿を見て、彼らが恐怖を感じるのはすぐだった。
それはサイカが刀身を剥き出しにした日本刀を、いつの間にか片手に持っていて、その斬る瞬間を誰も見ていなかったという事実に対する強い畏怖。
「この女、ブレイバーか!」
「もうBCUが嗅ぎ付けて来たのか! どうする、こんなの予定に無いぞ!」
狼狽える彼らを前に、サイカは再度問う。
「お前たちはその男をどうするつもりだ。答えろ」
そう言うサイカは、刀を構えているという訳でもないのに、下手な事をすれば今みたいに一瞬で斬られてしまいそうな殺気があった。
だからと言って、素直に答える訳にもいかない覆面達は迷う。彼らにとって、どうしようと死が待っているのだ。
そこで一人が思いついた最善策は、バンのバックドアを閉め、
「行けっ!」
と、運転手に逃げる様に指示を出す事だった。
待機していた運転手はアクセルを踏み、車を発進させた。
走り去る車を前にしても、サイカは至って落ち着いた様子で立ち尽くしている。追うつもりは無いらしい。全く動じないサイカは、彼らにとっては不気味とも感じ取れた。
先ほど腕を斬られた者は、まだ地面で苦しんでいる。
「血を! 血を止めてくれぇ!」
必死に切り口を手で抑えて助けを求めて来てはいるが、三人はそれどころじゃない。
まずは目の前にいる刀を持つ女をどうにかしないと、負傷者を救助するなんて出来る状況では無いのだ。
「あ、相手は女一人だ。一斉に行くぞ」
「ああ!」
そう言って、三人はそれぞれの武器をしっかり握って、そして息を合わせて前へと踏み込む。同時であれば、如何なる身体能力を持っていようと、避けるなんて事は出来ないはずだった。
サイカは呟く様に言った。
「馬鹿な事を」
サイカの声が彼らの耳に届く頃、日本刀コガラスマルの刃が三人を斬っていた。
それは彼らが攻撃を仕掛ける以前の問題であり、サイカが三人の視界から外れて背後に立っている事すらも認識させる間もない出来事。
三人の血飛沫が周囲に赤い雨を振らし、そのまま力無く倒れる様をサイカは背中越しに横目で確認した。
その後、サイカは車を追って走り出す。
バンの運転手は焦っていた。
しかしブレイバーが車を追いかけてくるなんて出来るはずが無いとも思っていて、速度規制を超えて道路を走行していても、赤信号はしっかりと守って止まる。
「一体何がどうなってんだ」
と、運転手の男は暑苦しい覆面マスクを外して助手席へ投げ捨てる。
荷室からは縛られた男がジタバタとしていて、
「んーッ! んーッ!」
と、ガムテープで塞がれた口で騒いでいた。
「うるせぇぞ!」
と、男は苛立ちを言葉にする。
深夜の住宅地は、他の走行車は見当たらず、歩行者もいないのが薄気味悪い。
早く合流地点に到着して、拉致した男を引き渡せば安全になれるという焦燥感が、信号の赤点灯の時間を長く長く感じさせた。
「大丈夫、大丈夫だ。なんてこたない。あと数キロ走らせて、男を渡して終了だ。大丈夫、あいつらも無事だ」
貧乏ゆすりをしながら、ぶつぶつと自分に言い聞かせる運転手。
やっと信号機が青に変わった。ので、アクセルを踏もうと足を動かす。
しかし、車のライトが照らす道路の真ん中に狐面の女が降り立った事で、アクセルが踏まれる事はなかった。
「な、な……」
車を発進させたあの場所から、少なくとも二キロ以上は走らせてきたのに、もう追いつかれてしまったのだ。
狐面と赤マフラーの女は、日本刀を片手に持って、こちらをじっと見てきている。男は全身に汗が流れるような不気味さを感じ、心拍と呼吸数が更に上昇。顎がカタカタと震え、上手く言葉が喋れなかった。
運転手の男は人を殺した事はない。
ましてや意図的に人を轢くなんてした事は無い男なのだが、それでも、この目の前に立っている刃物を持った女がブレイバーだというのなら、人間ではないのなら、話は別である。と、男は考えた。
「なんなんだよおおおおおおおおおお!」
そう叫びながら、アクセルを思いきり踏み込む。
バンが急速発進して、サイカに向かって突撃する。人を轢き殺すという瞬間に、男は思わず目を瞑っていた。
車が人に衝突した際に発生する音は……聞こえなかった。
その代わり、バンの上に何か物が落ちるような音がして、交差点を走り抜けた時、運転席の天井を刀が突き破ってきた。そう、サイカは避けるだけでなく、バンの上に飛び乗ったのだ。
「ひ、ひええええ」
ほんの数センチの位置に刃物が出てきた為、顔を真っ青にする運転手の男。
彼に向かってサイカは言った。
「車を止めろ」
男が恐怖に負けてブレーキを踏み、道路脇に車を停止させた。
サイカはバンが止まった事を確認して、突き刺していた刀を引き抜く。
その時だった。
炎の玉が何処からともなく飛んできたので、サイカは反射的にそれを刀で斬って消し飛ばす。が、その裏に隠れていた鬼のお面で顔を隠した何者かが、サイカを蹴り飛ばした。
赤い忍び装束に、鬼の仮面。アマツカミである。
アマツカミの蹴りで、民家の外壁に叩きつけられるサイカ。
そしてアマツカミはバンの上に乗って、運転手の男に言った。
「動け!」
「あんたは!?」
「味方だ。早くしろ」
「わ、わかった!」
と、男はアクセルを踏み、車を発進させる。
すぐに次の交差点が、赤信号で待っていた為、男は思わず速度を緩めた。
「止まるな!」
アマツカミが強い口調でそう言ってきたので、男は再びアクセルを踏んで、堂々と信号無視を行う事となった。
そんなバンの上では、アマツカミが姿勢を低くして構えて戦闘態勢。
彼の目には、サイカが民家の屋根を飛び移りながら追いかけてきているのが見えている。
サイカが放ってきた数本の苦無を小太刀で素早く弾き返し、飛び掛かって来たサイカに対して印を結び《忍法火炎玉》で火の玉を当てようとする、
しかしサイカは火の玉を斬り飛ばし、炎を掻い潜ってバンの屋根に着地。そのまま、狭い屋根の上で二人の斬り合いになった。
刃物と刃物が衝突して光り、火花を散らしている中、アマツカミは言った。
「その面、その武器……サイカか。見違えた」
そのアマツカミの問いかけに、答える事無く攻撃の手を休めないサイカ。
車が交差点で曲がった瞬間、アマツカミはその遠心力を利用しながら放った回し蹴りでサイカを捉え、再び車の外へと飛ばした。
道路に落下したサイカは受け身を取って着地。
そして走って追いかけていては埒が明かないと判断したサイカは、すぐにプロジェクトサイカスーツに装備を変更。翼を広げ、空を飛んだ。
低空飛行で追いかけてくるサイカを見て、車の上に立っているアマツカミも同じく赤いプロジェクトサイカスーツに装備を変更。空を飛び、サイカを迎え撃った。
黒のサイカスーツと赤のサイカスーツ、ノリムネ改とノリムネ改が激しくぶつかり合う空中戦へと移行。
閑静な住宅地の夜空で、二つの赤い線が激しく交じ合う。
その中で、再びアマツカミは言葉を投げた。
「あの時、オリガミを斬れなかったお前に、この俺が斬れるか」
アマツカミが夢世界スキルで振り撒く火の玉はサイカを襲うが、空中でそれを全て斬って魅せるサイカ。
そして数々の戦いで完璧にプロジェクトサイカスーツの扱いを上達させたサイカは、空中戦闘機動で上下左右に細かく動きながらも火の玉を斬り、一つ残らず消滅させていく。
その後、翼を大きく広げアマツカミに突進したサイカは、彼のノリムネ改を弾き、そして突きで刺した。
仲間を斬る事ができないと思っていたアマツカミにとっては、それが意外だった。思わぬ攻撃を受けてしまった事で狼狽える間も無く、サイカはそのままアスファルトの道路にアマツカミを突き落す。
道路に亀裂が入り、割れたアスファルトの破片が飛び散った。
アマツカミはプロジェクトサイカスーツを半壊してしまう程の衝撃を受け、道路にも串刺しにされるといった状況になった。
勝負有りと判断したサイカは刀を抜いて、再び空へ浮上。周りを見渡して先ほど走り去ったバンの行方を捜した。
しかしアマツカミは、大量の出血をしながらも立ち上がってきたので、サイカの目線はそちらに戻る。
「エルドラドで眠りの英雄になってから、こちら側でいったい何をしていたのかは知らぬが……腕を上げたな」
そう言われても、サイカは一言も喋ろうとはしなかった。
「だんまりか。では俺も本気で行かせてもらうぞ」
アマツカミは変化する。
全身の皮膚を黒に染め、プロジェクトサイカスーツを取り込みながらも、全身をバグ化させていく。
その姿はまるで鬼の顔を持つ狂戦士といった容姿で、全身から黒と赤が混じったオーラを発生させる。
手にはノリムネ改を細く長くした様な刀に、刀身に炎を纏って激しく燃えている。鋭く赤い目が、闇の中で眩しい程に光っていて、背中にはプロジェクトサイカウィングをそのまま利用した様な翼が残っていた。
この状態の彼に名を付けるとしたら、火の鬼神アマツカミバグ。
アマツカミバグは瞬間移動にも見える速度で、音よりも速く空を飛び、サイカに斬り掛かった。
アマツカミバグが刀を振るう度に発生する火炎の業火は、近くの廃工場の上に立っている逢坂吾妻からも見えていた。
二人のブレイバーが空中で戦っている光と、夜空に交差した絵を描く赤い線を見て、吾妻は心底愉快だった。この異常は、彼にとって幸福だった。
「良いねぇアマツカミ。想像以上だ。それに、あのブレイバー、おっさんが言ってた創作の神サイカか……へぇ」
吾妻は建物の屋上から飛び降りる。
下にはバンが五台集結していて、シャークの姿と、先ほど到着したバンの運転手がいた。運転手の男は酷く怯えており、顔を真っ青にしながら吾妻に懇願してきた。
「あ、吾妻さん! 無事に対象を連れて来ました! だから、その……」
「無事? あんなものを連れて来て、こんな大騒ぎを起こしておいて、無事だって? 面白いねぇキミは」
「待ってくれ! あのブレイバーが来たのは俺達のせいじゃない! 俺達は何もしていない!」
「運は天に在りって言うからねぇ。これもまたキミという存在が起こした出来事に過ぎないんだよ」
そう言いながら吾妻は左手を輝かせ、そして武器を召喚した。手に持ったのは、一本の剣。長く鋭く、銀色の細身の剣。
それを怯えて腰を抜かしている男へ見せつける様にして、吾妻は続けて言った。
「ほら、面白いだろう。俺ってさー、こういう手品も出来るようになったんだ」
「や、やめてくれ! 頼む! 命だけはッ!」
必死に命乞いをする男だったが、吾妻は容赦も躊躇も無く、あっさりと男を斬り殺してしまった。
それをバンの上に座って眺めていたシャークが、
「かっ! 良いねぇ! あんた最高だ」
と、嬉しそうに笑っている。
吾妻は斬った男が死んだ事を確認して、剣を消滅させるとシャークに向けて言った。
「直にBCUや警察が来るだろうから、さっさと撤収しよう」
「はいよ」
と、シャークは他のバンの運転手達に合図を出すと、四台のバンが次々と走り出した。
そして吾妻は運転手を失って動いていないバンのバックドアを開け、荷室へと乗り込む。
中には縄で縛られ、ガムテープで口を塞がれた男が鼻息を荒くして倒れていた。吾妻は彼に近づいて、にっこりと微笑み語りかける。
「やあ、こんばんは、カゲロウ君。初めまして」
吾妻にカゲロウと呼ばれた男は、もう喋る気力も失せてしまっているのか、汗だくになりながら吾妻の顔を睨んでくるのみである。
「怖かったよね。でもこうやって俺に選ばれた事は凄い事だ。キミはその幸運を誇っていい」
そう言って吾妻は男の髪の毛を掴み、
「さあ俺の目をよく見な。これからキミの飼い主になる男の目だ」
と、両目を赤く光らせた。
その頃、東京都北区にある赤羽公園までやって来た俺たち。
「この辺りか……」
と、俺はバイクを道路脇に一旦停めた。
ミーティアが公園内の様子を見回る中、ヘルメットを片手に抱えた俺は頭にワタアメを乗せたままBCU本部と通話する。
勿論、相手は園田真琴だ。
『やはり何か変です』
「それは分かってる。何か情報は?」
『怪しい者達が誰かを連れ去っているといった通報が複数警察に寄せられており、どれも揉めている様子だったとの事です。又、足立区で殺人事件が発生、何かから逃げる暴走車や、空で何かが戦っているという通報が入っている模様です。現在、警察が現場に急行中。最悪の事態に備え、陸上自衛隊も緊急出動準備に入っています』
「北海道が大変な事になってるっていうのに、いったい何なんだ」
『分かりません。目的は不明ですが、組織的な動きである事は間違いありません』
見回りを終えたミーティアが足早に俺の元まで戻ってきたが、首を横に振るのを見て、何も無かった事が理解できる。
その時だった。
東の方角、足立区がある方向に光の柱が発生した。
まるで宇宙から何かが降臨したかの様な、真っ白な柱が降り注いでいる。それは俺達の場所からもよく見える規模で、しばらく見惚れてしまった。
嫌な予感がすると共に、何かに共鳴するかの様に、俺の右手がガタガタと震えた気がした。
まさか……こんな事が有り得るのか……サイカはあそこにいるのか?
「琢磨!」
と、ミーティアの声で我に返る俺がいた。
見れば、ヘルメットを被って準備をしているミーティアの姿があった。
そしてワタアメもそんなミーティアに再び尻尾で絡み付きながら言ってくる。
「何をボーっとしておる。行くんじゃろ」
「あ、ああ。そうだな」
俺はヘルメットを被り、バイクの電源を入れ、ライトを点灯する。
ミーティアも後ろに飛び乗ったのを確認した後、アクセルを回してバイクを発進させた。
バイクを走らせながらも俺は、
「ケークン」
と、別行動しているケークンへ連絡する。
『一足先に向かってるよ。あの光の付近で、ブレイバーが戦ってるみたいだ』
そう言いながら疾走するケークンの目には、遥か遠くの空で激しくぶつかっている赤い線が見えていた。
ケークンの報告を聞いて、俺はバイクの速度を速める。
光の柱は、ほんの三十秒ほどで消えてしまった。
しばらくして、バイクが橋に入り、俺の視界にも空中で戦う二人のブレイバーが見えた時、拉致被害者を乗せたまま吾妻が運転するバンとすれ違った事に気付かなかったのは大きな過ちだったのかもしれない。
光の柱が現れた時、サイカの目線はそちらに向いていた。
それを見逃さなかったアマツカミバグは、すぐにサイカの真横に回り込み、燃える刀を振るう。
「何処を見ている」
と、アマツカミバグ。
防御は間に合わず、サイカは強烈な一撃で廃工場の屋根へと叩き付けられ、穴を開けて内部に落下した。鉄筋をいくつか圧し折り、プロジェクトサイカスーツが壊れ、中で埃が積もった機械やベルトコンベアを破壊した後にサイカの体はやっと止まった。
舞い上がる埃と、散らばる機械の部品、そして天井に空いた穴からアマツカミバグがゆっくりと降下してくる。
サイカは立ちあがり、壊れたプロジェクトサイカスーツを自己修復させ、刀を構えた。
その姿を見ながら、アマツカミバグは言った。
「ほう、スーツをそこまで速く回復したのは見事。だが……バグの力を使わず、この俺に勝てると思っているのか」
アマツカミバグはサイカの反応を待つ事なく、手に持った刀を振って、火炎の刃を飛ばす。
それを避けながら、サイカはハンドレールガンを手に召喚して、その弾丸を連続して発射。アマツカミバグが弾を避けた事で、天井に大穴がいくつも空いた。
更にアマツカミバグが放った炎が物に引火して、建物内で火災も発生。瞬く間に燃え広がり、一面が火の海へと変わるが、二人は気にせず戦闘を再開した。
剣と炎と銃弾が入り交じり、建物を支える鉄筋をいくつも破壊させ、建物の崩壊が始まった。それでも、二人は攻撃の手を緩めない。
落下する屋根を避けつつ、サイカとアマツカミバグの戦闘は再び屋外へと移行した時だった。
何処からともなく飛んできた巨大な手裏剣がサイカに直撃した事で、サイカは飛ばされ、態勢を整えたところをアマツカミバグの刀が襲う。
不意打ちからの、炎の刀による斬撃でサイカはまたもスーツを破損して、地面に落とされた。
サイカが見上げると、緑色ボディのプロジェクトサイカスーツがアマツカミバグの横にいた。
カゲロウである。
「なになに、楽しい事してんじゃん」
と、カゲロウがアマツカミバグに話しかける。
「カゲロウか」
「あのスーツの色、まさかとは思うけど、サイカ?」
「そうだ」
「へぇ。こっち側に呼ばれたと思ったらいきなりこれか。とりあえず助太刀するよ。いいよね」
「好きにしろ」
「頑張っちゃうよ」
夢世界スキル《大車輪》で投げた巨大手裏剣を自在に操り、繰り返しサイカを攻撃する。
サイカはそれを必死に回避するが、アマツカミバグが放つ炎の玉も合わせて攻撃してくる為に間に合わない。なので、次々と被弾してしまうサイカ。
再びサイカのスーツが壊れ、ボロボロな姿へと変わっていく。
そこへカゲロウが操る巨大手裏剣が変形して、緑の光を輝かせながら回転の勢いが増した。それをサイカはノリムネ改で受け止めるが、その勢いに負けて炎上する建物の瓦礫の山へと押し込まれた。
巨大手裏剣がカゲロウの手元に戻る中、サイカは倒れたまま右手でハンドレールガンを発射。
アマツカミバグはその弾を避けながら突進して、刀でサイカの右腕を斬り落とした後、彼女の胸に突き刺す。焼き入れ中の刀身の様な熱さが、サイカの傷口を焼く。
「あああああっ!」
と、サイカの悲痛な叫び。
「ようやく声を出したな」
そう言うアマツカミバグは、サイカの発声を待ち望んでいた様だった。そしてアマツカミバグは続けて言う。
「なぜ夢世界スキルを使わない。空蝉、一閃、分身の術……得意な技が沢山あるだろう。俺を舐めているのか」
アマツカミバグがそんな問いを投げた時、彼の背後に突然ケークンが現れた。
「舐めてるのはどっちだよ!」
そう言って夢世界スキル《残影》による瞬間移動で、アマツカミバグの背後を取ったケークン。彼女の蹴りがアマツカミバグを吹き飛ばし、別の建物へと衝突させた。
舞い降りたケークンは、コンクリートの瓦礫に燃える刀で突き刺されたまま右腕の無いサイカを見て話しかける。
「よー、派手にやられてんじゃん。孤高の忍びちゃん」
サイカはまだ意識があり、助けてくれたケークンの事を確実に見てはいるが、フェイスパーツのせいで表情は分からない。驚いているのか、喜んでいるのか、分からない。
それでもケークンは、こんなボロボロになるまで戦った彼女を救えた事で、満足そうな笑みを浮かべていた。
上空でその様子を見ていたカゲロウが、
「なんだ、仲間がいたのか。でも、まとめて消しちゃえば関係無いよねッ!」
と、手に持っていた巨大手裏剣を再び投げる。
ケークンは地面を蹴り、空中でその手裏剣を避けながら側面を蹴って軌道を逸らし更に上昇、カゲロウへと距離を詰める。
「そのかっこいいスーツはお飾りか?」
「なにッ!?」
一瞬で近づいて来たケークンに驚き、防御態勢を取ろうとしたカゲロウ。だが間に合わず、ケークンの夢世界スキル《百式連弾》で猛烈な拳の雨をカゲロウは浴びた。
そしてケークンはそのままカゲロウの頭を持ち、地面へと落下して頭から叩き付ける。
「くはっ!」
凄まじい衝撃にカゲロウのスーツは壊れ、頭部のパーツが割れた。
まだまだ動けるケークンは、更に拳の追撃をしようとしたが、カゲロウの顔が見えた事でその手が止まってしまう。
「お前……」
躊躇した刹那、アマツカミバグがケークンの背後に回ってきて、
「お返しだ」
と、彼女に蹴りを入れる。
蹴り飛ばされたケークンは電信柱を二本折って、建物の壁に衝突して止まった。
強烈な攻撃でケークンは頭を打ってしまった為、脳震とうを起こして動けない状態となってしまう。
「くっそ……」
と、悔しそうな表情を浮かべ、頭から血を流すケークン。
アマツカミバグがカゲロウを起こした時、何十台にも及ぶ警察のパトカーが、サイレンと共に廃工場の敷地内へ突入してくるのが見えた。
時を同じくして、ようやく俺たちもバイクで到着。
そんな光景を見て、アマツカミバグは言った。
「潮時だな。引くぞカゲロウ」
「あ、ああ」
アマツカミとカゲロウは空を飛び、その場から逃げ去っていった。
胸にアマツカミバグの燃える刀が刺さったまま倒れているサイカは、自力でその刀を抜こうと左手で刀の刀身を掴む。
しっかりとコンクリートに刺さってしまっているのと猛烈な熱さによって、サイカは思わず手を離してしまった。
なのでサイカは、刀を抜く事を諦めて物思いに空を見上げる。
周囲で燃え盛る火の音、サイレンの音、警察達の足音。先ほどの戦いを振り返っているのか、それともこれからの事について考えているのか。サイカは火災の中心で、何かを考えていた。
やがてアマツカミバグの刀が煙の様に消滅した為、サイカはゆっくりと動き出して起き上がる。
立ち上がって周りを見渡すと、拳銃を構えた警察の特殊部隊がサイカを包囲して、盾を構えて銃口を向けていた。
そう、彼らにとってこの悲惨な火災現場は、なぜ起きたのかを理解するには情報が足りないのだ。
飛び去った二人のブレイバーを除いては、崩壊した建物の中心に立つ怪しげなパワードスーツの女こそが重要参考人であり、容疑者でもある。
「動くな! 大人しく投降しろ!」
と、警察の大声がサイカの耳に入る。
激しく損傷したスーツのまま、燃える瓦礫の真ん中で立ち尽くすサイカ。やはり表情が見えないので、何を考えているかは分からない。
一触即発と言った雰囲気に、集まった警察達も息を飲み、サイカが降参の意思を見せるまで張り詰めた緊張状態となった。
そこへ遅れて到着した俺たちは、バイクを停めて飛び降りる。
「サイカ!」
と、ヘルメットを外しながら叫ぶ俺よりも先に、ヘルメットを投げ捨てたミーティアが駆け出していた。
ワタアメはミーティアの体から離れ、僕の腕の中へと移動。
そしてミーティアは警察官達を飛び越え、炎など気にせずに中へと飛び込む。
「サイカ! サイカ!」
何度も彼女の名を呼びながら走るミーティアは、呆然と立っているスーツ姿のサイカに抱きついた。
右腕の無いサイカを、ミーティアはぎゅっと抱き締め、そして何度も話しかける。
「無事だったのね。会いたかった。会えて良かった。サイカ……」
そう言うミーティアは嬉し涙を流していて、なんとなく俺はサイカの元へ駆け寄りたい気持ちにブレーキが掛かってしまった。
何とか動ける様になったケークンが、俺の元まで歩いてきたが、特に言葉を掛けては来なかった。
ミーティアはしばらくサイカを抱きしめたあと、身体を離し、問いを投げる。
「ねぇサイカ。私たちの所に来ない? もう一人で戦わなくていいの。仲間がここにいるのよ。分かる?」
だけど、サイカの答えはこうだった。
「……すまない。私には貴女が……誰か分からない」
「え?」
その言葉に、ミーティアは目を丸くして驚いて、言葉がすぐに出てこなかった。
サイカはミーティアを覚えていない。ミーティアに関する記憶を……消されてしまったのだ。
サイカの衝撃的な言葉を前にしても、ミーティアはぐっと叫びたい気持ちを堪えていた。
そしてサイカはミーティアの手を振りほどき、
「すまない」
と、もう一度謝った後、夢世界スキル《ハイディング》で姿を消してしまった。
ショックでその場に力無く座り込むミーティア。
やがて消防車も到着して消化活動が始まり、集まった多くの警察官達も付近の見回りを済ませた後に撤収を始めた。
そんな中、よほどサイカの言葉に衝撃を受けたのか、失意のミーティアはまるで人形にでもなってしまったかの様に、いつまでもいつまでも地面に座り込んでいた。
俺とケークンは警察の事情聴取と実況見分に付き合った後、園田さんから連続して発生していた事件の数々が収まった事を聞いて、帰路に入る事にした。
ケークンは、
「ちょっと寄りたい所が出来た」
と、先に何処かへ行ってしまう。
そして俺は、力の無いミーティアを無理やり起き上がらせて、ヘルメットを被せ、バイクの後ろに乗せる。
ワタアメもミーティアの背中にくっ付いて、ミーティアが俺の腰に手を回した事を確認してから、バイクを発進させた。
気付けば、時刻は深夜二時を回っていた。ミーティアの心が夜空を濁し、それはやがて雨となって俺たちに降り注ぐ。車も少なく快適な東京の道路は土砂降りの雨に濡れたのもあり、帰りは法定速度をきっちりと守って、ゆっくりとしたスピードでバイクを走らせた。
あれから何も言わないミーティアだったけど、彼女の寂しさが、彼女の虚しさが、俺の腰を抱いている腕に伝わってきた気がした。とりあえず、今回の事件について考察するのはまた今度にしよう。
バイクを走らせる事がこんなに清々しいなんて、バイクに乗るまで俺は知らなかった。
夏は暑い、冬は寒い、雨が降れば濡れるし滑るし前が見えない。駐車する時も場所で悩む事があるし、もし事故にあった時は大きな怪我をする可能性も高い。
こんな悪い事ばかりが思いついてしまうバイクだったけど、実際に乗って走ってみると、意外にも楽しい。風や自然を直接感じる爽快感、匂い、駆け抜けるダイナミックな景色、その全てがここにある。
俺は悲しみを背負う西洋鎧の女性を後ろに乗せて、真夜中の東京をバイクで疾走する。首都高に緑と赤の残光を残しながら、安全運転で走る。そこに会話は無かった。
ヘルメットの視界サポートによって、まるで仮想現実の世界を走っている様な気分にさせられるけど、シールドの向こうは現実だってのは分かっている。
雨に打たれながら、
「……ごめんなさい」
と小さな声で呟くミーティアの声は、俺のヘルメットの中でしっかりと響いていた。
彼女が何に対して謝っているのか、俺には分からなかった。
でも、それをあえて聞こうとも思えなかった。
サイカのあの様子だと、きっと俺の事も忘れてしまっているのだろう。こうやって俺たちの前からいつも姿を消してしまうのは、彼女の中でまだ迷いがあるからなのだと、俺は都合良く考える事にした。
この衝撃的で不可解な事件が起きてから数日後、福岡やアメリカからの来訪者があるけど……その話はまた次回になる。まずはミーティアが元気を取り戻すまで、静かに見守っていてあげようと思う。
【解説】
◆琢磨のバイク
BCUが琢磨の為に用意したバイクは、緑のボディに白くて太いタイヤ、まるでSF映画に出てきそうなフォルムを実現した物。日本の大手自動車メーカーが開発した大型の試作オートバイで、二〇三四年のドイツバイクショーで発表されたばかりの電動バイクである。
事故防止の機能も多数組み込まれていて、インターネットに接続して情報を常に更新しているコンピューターバイクでもある為、プログラムSAIKAも搭載している。スマートグラスの技術を使ったフルフェイスヘルメットとバイク本体が連動していて、周囲の物を仮想現実の様に浮かび上がらせる事で運転手を視覚的にサポートしてくれる。
お値段は一億円を超えるとか何とか。
◆立川健太と立川明莉
二人はシノビセブンであるハンゾウとミケの夢主であり、二年前にあったオフ会を切っ掛けに付き合う事になって、一年前に婚約して夫婦となった。二人の挙式には、スペースゲームズ社が全面協力してくれ、シノビセブンメンバーが全員揃い、思い出深いイベントとなった。
今では子供も授かり、新居に引っ越すと言う計画も順調。幸せな生活を送っていたのだが……
◆拉致されたジャージ姿の男
謎の組織に拉致される事となった男は、シノビセブンのカゲロウの夢主である。
サイカは彼を救おうと戦ったが、アマツカミによって阻止されてしまった。




