77.悪因は善因を駆逐する
いつからだろうか、俺は『悪夢』をよく見る様になった。
サイカに刺されたあの瞬間の夢だったり、周りの仲間達が次々と消えてしまう夢だったり、時には暗闇を彷徨う夢だったりもする。幸せな夢はほとんど無く、いつも俺は失望の渦に吸い込まれてしまう。
そんな数ある悪夢の中では、今回見た夢は初めてだった。
場所は病院。
そう、俺が二年前に目覚め、人間で無くなった事を告げられ、しばらく入院する事になったあの大学病院。
飯村彩乃も同じ病院に入院していて、時同じくして目を覚ましたという知らせは受けていた。
でも彩乃の状態があまり良くないと聞いた事と、俺も自身の変化にショックを受けていたので、しばらく顔を合わせる事は無かった。
数日が経ち、退院の前日だったあの日、俺は偶然にも病院の中庭で看護師に介助され車椅子に座っている彩乃を見つけてしまったんだ。
それは俺と同じ水色の患者衣を着て、心ここにあらずといった様子で遠くを見ている彩乃だった。
「綺麗な空ですね。今日は良い星が見れますよ」
車椅子を押している看護師がそんな風に彩乃に話しかけていた。
そして彩乃が返した言葉は……
「ああー、うッうう……あうー……」
言葉では無い言葉。
あとで知った事として、彩乃は異次元の世界から帰還し、約三ヶ月ぶりに目覚めた。が、栄養不足で痩せ細った身体だけでなく、脳に大きな障害が残ってしまったらしい。
この世の喜怒哀楽を全て忘れてしまったみたいな、廃人の様な姿。同じ病院にいたのにそれを知らなかった俺は、最初に彩乃の姿を見た時、頭の中が白く溶け落ちるような衝撃があった。
俺の事以上に、現実とは思いたくなかった。
どうしてそうなってしまっているのかは分からない。でも俺なら、俺が話し掛ければ、思い出話の一つや二つでもしてあげれば、何とかできるかもしれないと思ったんだ。
だから俺は会う事にした。病院の中庭で、車椅子に座る彼女に、会う事にした。
でも、それが間違いだったんだ。
俺の顔を見た彩乃は、まるで幽霊でも見たかの様に顔を真っ青にして、ガクガクと唇を震わせて叫んだ。
「あ……うッ……あうああッ! あッ! おあえええええ!」
車椅子から転げ落ちてしまうほど、彩乃に仰天され泣き叫ばれてしまった。
必死になって看護師へ助けを乞いながらも、俺の事を指差して何かを伝えようとしてる彩乃。そんな彼女に対して、俺はどうしたら良いのか分からず、それ以上近付く事も出来ず、ただ呆然と立ち尽くしてしまった。同時に、俺が本当に人間では無くなってしまった事を実感する瞬間でもあった。
酷く怯える彩乃に駆け寄ってきた、彼女の両親がいた。その様子を遠くで眺めている彼女の弟がいた。
そしてその状況を見て、彩乃の父親が言った言葉はこうだった。
「何処かに行ってくれ。彩乃に近づくな」
俺は何も言い返せなかった。
異世界でどんな体験をしたのか、狭間でのアレはいったい何だったのか、聞きたいことはたくさんあるのに、なぜ、どうしてこうなった。
いったい彩乃は俺に何を見たと言うんだ。
(そこに存在するという事は、それだけで何かを得て、何かを失っている。自分はどうなっても構わないと、それだけの覚悟で狭間に踏み入れたのだろう)
うるさい黙れ。
(さあ目覚めの時だ)
✳︎
目覚めの寸前、俺の感覚は『暑い』だった。
人肌温度に暖められた温かい布団のはずが、なぜかそれ以上に暑く感じる。暖房の設定温度でも間違えたかと思う程、息苦しい暑さに見舞われていた。
そして左腕に柔らかい感触、右腕にも柔らかい感触、左脚にも違和感がある。
前にも似た様な事があったが、今回はそれとは比べ物にならないくらい異常な重たさが俺の身体を縛っている。
瞼を開けると、そこには見慣れた部屋の天井。ここまではいつも通り。
仰向けに寝たまま、俺は顔と目を動かして自分の身体に起きている『異常』を目視で確認した。
まずは左腕を見ると、そこには増田千枝の頭があった。淡いピンク色の寝間着姿で、俺の左腕をしっかり抱いて眠っている。
次に見た右腕にはワタアメの頭があって、バグになる前の姿で、布の無い肌を密着させてきている。ほとんど抱き着かれてる状態だ。
左脚、脹脛の異常に関しては、布団のせいでよく見えないが、もう嫌な予感しかしない。
「うわっ!」
思わず声を上げながら上半身を起こし、千枝とワタアメの手を振り解く。
そして足を見ると、そこにはベッドの隅で器用に俺の脹脛を枕にして眠ってるTシャツ姿の明月朱里がいた。
ごめん、どうしてこうなったのか……ちょっと俺も説明ができない。
昨日はワールドオブアドベンチャーで遊んで、園田さんや笹野さんの手料理をつまみにお酒を飲んだのは覚えてる。凄い盛り上がったし、ワタアメに煽てられていつもより飲んだと思う。
まさか酔った勢いで?
いくら酒が入ったからって、そんな失態をするなんて今までなかった。でも……うん、覚えてない。
そんな事を考えながら、俺は部屋にいるもう一人の人影に気付いた。
部屋の窓際に、スーツ姿のミーティアが立っていて、軽蔑の眼差しを俺に向けて来ていた。
時刻は朝の十時。なぜミーティアがここにいるのかも分からない。
何も言って来ないので、まだ眠ってる三人の女性に囲まれながらも、とりあえずミーティアに挨拶する。
「おはよう」
そしてミーティアの返事はこうだった。
「見損なったわ琢磨。サイカや千枝だけでなく、ワタアメや妹にまで手を出す愚か者だったとは」
「待て待て。これは何かの間違いだ。そう、俺が寝てる間に、こいつらが勝手に来ただけで!」
「そんな姿でよく言えたものね」
「えっ?」
自身の体に目をやれば、服を着ていない自分がそこにいた。
「なっ! いや、違うんだミーティア。俺もよく覚えてなくて、その……」
慌てる俺の横で、ワタアメがむくりと起き上がり、欠伸をした。
「ふわあああ〜」
改めて見ても、いつもの黒紫のスライムみたいな見た目ではなく、元の姿で一糸纏わぬ姿のワタアメ。半分寝てる様な目で、呑気に髪の毛繕いを始めた。
それを見た俺は毛布をワタアメに押し付けながら言う。
「待て待て待て待て。さすがに突っ込みが追いつかない! 状況を整理させてくれ」
そう言う俺の横で、今度は千枝が目を覚ます。
「たっくんおはよー」
「あ、うん、おはよう。じゃなくて! なんで俺のベッドにいるんだ!」
千枝が答える。
「そこに大きなベッドとたっくんがいたから」
「いや、違うよね。千枝は自分のベッドあるよね」
ワタアメが続く。
「わっちはいつも一緒に寝とるじゃろうが。忘れたのかえ?」
「いや、まずその姿は何だ。いつ元に戻ったんだ」
「いつって……琢磨が気持ち良くなってる時じゃ」
「誤解を生む様な発言はやめろ!」
すると、ワタアメの身体が光り、みるみる小さくなっていく。そして、僅か三秒程で小さくて丸いワタアメの姿に戻ってしまった。
「まだ完全復活……と言うわけにはいかんか」
と、ワタアメは残念そうに言った。
「はあ……とにかく、説明してくれワタアメ」
「琢磨の近くにいると、エネルギーがチャージできてると言ったろう。わっちにも感覚的な事だから上手く言えんのじゃが……そういう事じゃな」
「どういう事だよ!」
俺の記憶が無い間、いったい何があったのか、彼女たちは真面目に教えてくれるつもりは無いらしい。何やら口裏を事前に合わせていたかの様に、ワタアメと千枝は何処か楽しそうである。
そしてこんなに騒がしくしてるのに、まだ俺の足の上で寝てる朱里。
「お前はいい加減起きろ!」
俺はそう言って枕にされてる足を抜くと、ぎりぎりの場所で器用に寝ていた朱里はベッドから落ちた。
「ふぎゃっ!」
と、朱里の間抜けな声が響く。
改めてミーティアの顔を見たけど、変わらず氷の様な冷めた眼差しで見下して来ている。それには俺も苦笑い。
その後、ミーティアの口から放たれた言葉をしばらく俺は忘れないだろう。
「最低」
目覚めて早々の波乱で、すっかり先ほどまで見ていた夢の事など忘れてしまった。嫌な夢を見たというのは覚えてるけど、ぼんやりとした記憶になってしまっている。
ミーティアはケークンと一緒に、待機任務の終わった早朝に俺の家まで来たらしい。
朱里は床で二度寝を始め、千枝は洗面所へ顔を洗いに、俺はワタアメを抱えてリビングに足を運ぶ。
リビングのソファでケークンが寝ていて、キッチンには朝食を作ってる笹野栄子の姿があった。
「おはようございます」
と、笹野さん。
「おはようございます。他のみんなは?」
「みんな仕事に出掛けましたよ。良いんですか、明月さんは出勤しなくて」
「ブレイバーが休暇の時は、俺もなるべく一緒に休暇って決まってるから。笹野さんこそ、今日は平日なのに」
「ふふ。私は貴重な有休消化なので」
「なるほど」
そう言いながら俺は、ソファで豪快な姿勢で眠ってるケークンを横目にダイニングのテーブルに座った。
リビングに設置してあるテレビは昨日のスポーツニュースが流れていて、メジャーリーグの開幕戦で日本人選手が大活躍した事が放映されている。
そして笹野さんは目玉焼きとベーコン焼きの調理を始めたらしく、芳ばしい香りと、パチパチと拍手みたいな油の音が聞こえてきた。
フライパンを扱いながら笹野さんが聞いてくる。
「千枝ちゃんも起きましたよね? ミーティアさんやワタアメさんも食べますか?」
「私は紅茶で」
と言うミーティアはいつの間にか俺の隣に座っていた。
「わっちはシーチキンで良い」
と、ワタアメ。
「シーチキンですね。そのままってのも味気ないので、玉ねぎとめんつゆ和えにしてみますね」
「めんつゆ?」
ワタアメがそう言って俺に顔を向けてきた。いや、俺も食べたことないぞ。
でも、笹野さんは料理は高枝さんお墨付きだから大丈夫だろう。
「たぶん美味しいはず」
「そうか」
少し安心した様子のワタアメだった。
そんな平和なやり取りがダイニングで行われてる中、洗面所で顔を洗い、歯ブラシで歯を磨いていた千枝。
近くに置いてあったスマートフォンが震えたので、千枝はそれを手に取り、届いたメッセージを確認する。
【できたよー】
そんな知り合いからのメッセージと一緒に、添付されて送られてきたのはサイカのイラストだった。
朝からビッグプレゼントを貰った千枝は、目をまん丸にして頬が火照り胸が弾んだ。その後、歯ブラシを口に加えたまま、急ぎ足で洗面所を出て、ダイニングへと向かう。
「たっくんたっくん」
朝食を食べ始めた俺の所まで、千枝が上機嫌そうにやって来て、スマートフォンの画面を見せてきた。
アニメ調で描かれたサイカのイラストは、桜を背景に美しい。とても素人が描いた物とは思えない素晴らしいイラストが、千枝のスマートフォンに映されていた。
「へぇ、誰かに描いて貰ったの?」
「そう! マーベルちゃんが描いてくれたの!」
「マーベルちゃんって……まさか……」
「あれ、知ってるの?」
マーベルと言えば、サイカがお世話になってたブレイバーの名前である。強力な魔法使いで、夢世界の名前は……
「ファンタジースターやってたりする人?」
「えっ!? そうだけど、なになに、なんで分かったの?」
「やっぱり……千枝、とりあえず歯磨き終わらせてこい」
「あ、うん」
千枝は洗面所へと戻って行った。
すると俺の隣でお上品に紅茶を飲んでるミーティアが言う。
「私達のかつての仲間だけど、召喚しようなんて考えない事ね」
「なんで?」
「これ以上、貴方の周りに女が増えたら、サイカも千枝も悲しむからよ。浮気者」
そう言うミーティアはまだ機嫌が悪そうだ。
次にシーチキンの玉ねぎとめんつゆ和えを、尻尾でスプーンを扱い美味しそうに食べてるワタアメが言った。
「男は甲斐性じゃ。器の広さと動じぬ心が女を引き寄せる」
「それが俺にあるって?」
「さあ、どうじゃろうな。ミーティアだって、愛しのシッコク様は、そういう類の男じゃろう?」
それを言われたミーティアの紅茶を飲む手が止まり、顔に恥じらいの色が溢れる。
「シッコク様と琢磨を一緒にしないで。全然違うわ」
「そうかえ? 一度手合せしてすぐに解ったが……シッコクも良い男じゃった。わっちの好みでありんす」
「なっ!? ふざけないで!」
と、ミーティアはティーカップをひっくり返す。
ダイニングテーブルに茶色い液体が広がって、濡れ落ち葉のような香りが漂った。
千枝の朝食を持って来ていた笹野さんが、布巾を持ってきて広がる液体を拭き始める。
「ご、ごめんなさい」
ミーティアはそう言って、肩をすぼめて謝った。
「大丈夫ですよミーティアさん。ワタアメさんも、そうやって人の気持ちに触れて遊ぶのはやめなさい」
「はて、何の事じゃろうか」
と、とぼけるワタアメ。
「そうやって仲間を困らせるなら、シーチキンも琢磨も没収です」
「すまん。本当にすまん」
そんな会話を聞いた俺は、
「俺とシーチキンを一緒にするなよ」
と、ツッコミを入れるのは必然なのかもしれない。
笹野さんが紅茶を拭き終わった頃、食事を終えたワタアメが言った。
「琢磨、こんな事いったいいつまで続けるつもりじゃ。たった四人のブレイバーで、こんな空虚の国を護る必要が何処にある」
「……俺が育ち、サイカが生まれた国だ。お前にとっても生まれ故郷なのに、なんでそんな言い方をするんだよ」
「わっちを生んだのはワールドオブアドベンチャーであり、わっちを作ったのは葵じゃ。他の誰でもありんせん。だからこそ許せんのじゃ」
「人間を信じてないのか?」
「信用も信頼もしておらん。愛してはいるがの」
ワタアメはいつもこんな調子だ。
異世界であった戦いの日々と、狭間実験で狭間を彷徨い、葵を失い、そして葵となってゲーム世界を過ごし、その後現実世界で長く路頭に迷っていたワタアメ。そんな彼女が口にするその言葉は、何処か重みがあった。愛してはいるけど信頼していない。こんなに虚しい言葉が存在しているなんて、俺は知らなかった。
やがて歯磨きを終えた千枝が戻って来て、ケークンも目覚め、笹野さんを含めて賑やかな朝食が始まる。
昨晩の宴会とはメンバーも変わり、ミーティアやケークンと言った強気な女性ブレイバー達が我が家の食卓に座っている。ちなみに朱里はまだ俺のベッドで寝ている。こんな事が最近増えたのは、俺にとって良い変化なのだと思う。
朝食を食べ終わる頃、笹野さんが言いだした。
「せっかく休みなんですから、ゲームばっかりやってるんじゃなくて、気晴らしに何処かに出かけたらどうですか?」
ケークンがご飯粒を口元に付けたまま反応する。
「良いねー! スポワン行こうスポワン!」
スポワンというのは、入場料だけで色々なスポーツやアミューズメントが時間内で好きなだけ遊べるという施設の事だ。
「スポワン? お前はすぐ道具を破壊するからダメだ」
と、俺が反対しておく。
「そんな事言うなよ。手加減するからさー。いいだろ琢磨ー。なあ、ミッティは何処か行きたい所ないのかよ」
突然、ケークンはミーティアに話を振った。
「えっ? そうね……自由が丘のコスメマーケットという所に行ってみたいわ」
その申し出に笹野さんが、
「良いですね! 綺麗になりたいという気持ちは女の魂です! 是非行きましょう!」
と、珍しく熱くなっている。
こうなった女性達は、俺が何を言っても止める事はできないだろう。
そしてブレイバーの二人が外出するという事は、俺も一緒に行かないといけない訳で、俺が一緒に行くという事は、当然、千枝やワタアメもセットとなる。
俺は女子たちの買い物に付き合わされる憂鬱さに、ため息を吐きつつも千枝に話を振る。
「千枝は何処か行きたい所はある?」
「WOAのグッズショップ! シノビセブンのフィギュア買いたい!」
と、千枝は目を輝かせた。
「シノビセブンのって……もうコンプリートしたんじゃなかったのか?」
「アマっちゃんのがまだなの。生産数少なくて……だめ?」
「分かったよ。行こう」
「やった!」
ワールドオブアドベンチャーのグッズショップは東京都内だけでも八店舗ある。何処に行くにしろ、手ごろな所にあるだろう。
そんな事を考えながらも、俺は出掛ける準備の事でみんなに言った。
「ケークンとミーティアは、クローゼットに園田さんが用意してくれた私服があるからそれ着て。ケークンは帽子を絶対に外すなよ。その角がバレたら大騒ぎだ。それとワタアメはリュックサックに入って出てこない様にして、ぬいぐるみの振りをしてくれ。今のご時世、ブレイバーだとバレたら大変な事になるから、気を付けてね。それと、寝坊助の朱里は置いてく。以上」
それぞれが返事をして、動き出す。
せっかくなので、この三月という季節のそれぞれのファッションに触れていこうと思う。
千枝は相変わらず派手な色のパーカーに、大きなヘッドフォンを首に掛けるスタイル。いつもの感じで逆に安心できる。
ミーティアは黒ライダースジャケットに白マキシスカート。うん、よく似合ってる。
ケークンは紺テーラードジャケットにデニムパンツ、そして角の部分に穴が開いた茶キャスケットを被った。WOAでは亜人族なので、一本角が出てしまってるが、まあ肌から出ている所が見えてなければ何とかなるだろう。
笹野さんは黒チェスターコートに白ストールと黒デニムで、大人っぽい感じが出てる。
ワタアメは俺が背負うリュックサックの中に隠れて貰い、上手く作った隙間から外の様子を眺めて貰う事にした。
そうやってそれぞれが準備を終わらせ、いざ笹野さんの自家用車に乗って平日でも賑わっている東京の街へと繰り出していく。ちなみに、俺が運転手である。
まあ、予想していた通り、女性陣主体のお出かけと言うのは可愛い物や綺麗な物を求めて歩き回り、甘い物を見かけると食い付き、そして歩き疲れたら適当なところで座って休む事になる。と、いうのは根拠の無い俺の持論だったが、その通りになってしまった気がする。
千枝は当初買う予定していた物が売っておらず、WOAのグッズショップを三店舗もハシゴさせられた。そして目当てのフィギュアだけでなく、WOAのゲームマスターフィギュアや、サイカの缶バッチやらアクリルスダンドなどを買い漁った。
その後行ったスポワンで、ケークンはしっかり道具を壊さないという約束を守り、ローラースケートやらバスケやビリヤードを楽しんでいたけど、熱の入ってしまったブレイバーの二人が、あまりにも人間離れした動きを見せ始めたので慌てて退散。
遅い昼食で海鮮丼を楽しんだ後、自由が丘にあるコスメマーケットへと移動。そこでミーティアは化粧の素晴らしさに感動していたし、ネイルアートなんかも体験。笹野さんが可愛い可愛いと褒めるから、いつもは硬い表情のミーティアも、乙女な喜びを顔に出していた。
最後は温泉テーマパーク施設で、ゆったりと温泉を楽しんだ。ここでは千枝がぬいぐるみの振りをするワタアメを抱きかかえて、内部を色々連れ回してくれた。ちなみに俺だけは話し相手もいない男湯で、ゆったりとした寂しい時間を過ごした。
すっかり日も暮れた帰り道。車内ではワタアメをまるでクッションみたいにして抱いて遊ぶ女性陣。ワタアメもワタアメでまんざらでも無いらしく、されるがままになっていた。
そんな中、助手席に座る千枝が、いつの間にか持っていた紙袋からドーナツとホットコーヒーを取り出して、運転手の俺に渡してきた。
「たっくん、今日は運転してくれてありがとね。コーヒーここ置いとくね」
「うん、ありがとう」
コーヒーカップをドリンクホルダーに置いた千枝は、ドーナツを片手に俺の口元まで差し出してきた。
「なに?」
と、俺が聞く。
「たっくんドーナツ好きでしょ。はい、あーん」
千枝にはその手の話はした事がなかったと思っていたけど、なぜかドーナツが好きだという事を把握されていた。
とりあえず、俺が食べるまで手を引く気は無い様なので、口を開けてそれを一口食べた。
「にしし」
と、してやったりと嬉しそうに笑う千枝。
夜の首都高を運転する俺の口の中に、柔らかく弾力のある生地としゃりっとしたグレーズが層になった食感が面白く、程よい甘さがいっぱいに広がって、グレーズがしっかりと生地に馴染んでいる様で美味しかった。
千枝が面白がってもう一回ドーナツを口元に持ってくるので、俺はもう一口。そんなやり取りを、後部座席からニヤニヤと見守っている三人の目線には気づけなかった。
家に帰宅すると、顔を真っ赤にして待っている朱里の姿があった。
朝から晩まで放置された朱里はご立腹だったが、温泉テーマパークで買った高級プリンを土産として渡すと、あっと言う間に機嫌を直して自分の部屋へと戻って行った。プリンの影響力、想像以上だ。
そして笹野さんが晩御飯を作ってくれてる間、俺と千枝はリビングのソファで肩を寄せ合い、『恋語り』と言う恋愛漫画を一緒に読む。
ミーティアとケークンは、インデグラルテレビに映されているお笑い番組を見ながら、面白いか面白く無いかを談義していた。
キッチンから漂う料理の匂いと、楽しい話し声、そんなゆったりとした時間が流れる。
これは……幸せな時間と言うのかもしれない。
バグとの戦いを忘れさせてくれる、そんな時間。
✳︎
【恋語り】
ハルト、ナツメ、アキラ、フユキは、いつも一緒にいる仲良し高校生男子四人組。それぞれが恋愛で苦い失敗経験を持っていて、「もう彼女なんていらねぇ!」と誓い合っていた。でも、そこに現れた謎に満ちた他校の女子生徒であるシキと出会い、女子に絶望していたハルトが一目惚れした事から、それぞれの恋が走り出す仲良し男子四人の初恋ストーリー。
まるで同じ高校生とは思えないほど、大人びた雰囲気のあるシキ。彼女はなぜかハルト達が通っている高校の付近で度々目撃されていて、何をしているのかと四人が調査を開始する。
シキは夢でこの学校の光景をよく見るので、何かあるのではないかと見に来ていたという事だった。そこに男子高校生四人組との出会いが重なり、彼女はますますこの学校に惹かれる事となった。
しばらくして、シキが四人の高校に転校してきた事で、四人の恋の駆け引きが始まる。
物語の流れとしては、一人の女子を四人の男子が取り合うといったストーリーだが、段々と昔の想い人や幼馴染といった、男の心を揺らす女子達が登場してくることで、かなり複雑な恋愛模様となっていった。
さて、こんな話の何処にサイカが介入したのかと言うと、物語の中盤、隣のクラスの女子としてサイカが出てきたのだ。
その登場の仕方のインパクトは強く、ハルトとアキラがシキの事で殴り合いの喧嘩をしている時に、サイカが突然乱入してきて二人とも蹴り飛ばし仲裁した。
そんな制服姿のサイカである。
こうして突然現れて、その後の話で幾度となく現れては、イザコザを解決に導く女子ポジションとなっていくのだが……サイカ自身が問題の種となってしまう話があった。
それはシキに思い切って告白したハルトが、冷たく振られてしまった時、それを遠くで見ていたサイカが慰めるという話で、それを切っ掛けにしてハルトとサイカの仲は急接近。
シキとサイカ、どっちが好きなのかと悩むハルト。
それをよく思わなかったシキが、サイカと喧嘩をしたりと、結構ドロドロな人間関係が展開されていった。
その後の話で、ついに決心を固めたハルトが、サイカに告白する。
「私には誰かを好きになる資格がない」
と、サイカ。
ハルトが答える。
「人を好きになる事に資格なんて必要ないよ。俺はキミの誰かになる事はできるかな」
そう言って、ハルトは用意していた赤いマフラーをサイカの首に巻いた。
涙目になる制服姿にマフラーを巻いた可愛い女子高生。
そんなサイカが長い無言の後に放った言葉は……ダメだ。
これ以上は読みたく無い。
✳︎
読んでる途中でパタンと漫画本を閉じる俺。
「ああ! 良いところだったのにぃー!」
と、隣で千枝が頬を膨らませた。
「いや、ちょっと、なんて言うか……これ以上は読むのが辛い。元々はどんな話だったのか知らないけどさ、このハルトって男、シキが好きだったんじゃないのか。なんでサイカに行く」
そう言って、漫画をテーブルに置く俺を見て、千枝はクスッと笑った。
「なんか娘を想うお父さんみたい」
「その気持ちが分かった気がするよ」
今日のところは、この漫画の続きを読むのは止めにしようと思った。
「ご飯できましたよー」
と、笹野さんの声によって、全員がダイニングへと足を運ぶ。
みんなで出かけただけだというのに、今日という一日は、色濃く俺の記憶に刻まれたと想う。
でも、この幸福の時間こそが、この後起きる『悪夢』の前触れでしかなかった。悪夢というものとは少し違うのかもしれないけど、悪夢であって欲しいと願いたい出来事があったんだ。
まず、テレビニュースの速報で『北海道に巨大バグ出現』の報道がされた。
テレビ画面では、東京タワーくらいの高さはありそうな巨大なバグが札幌の町を歩いている様子を背景にして、眼鏡を掛けた男性レポーターが状況説明を始めた。
『えー、こちら、まだ積雪の残る北海道札幌市からの中継です! 再び怪物が現れました! 自衛隊の攻撃が全く通用していません! 私は悪夢でも見てるのでしょうか……まるでゴジラです! とてつもなく大きな怪物が、時より口から光線を放ち、街を焼きながらゆっくりと進んでいます! えー、先日、中国で出現したバグとも酷似しておりますが、少し形が違うようです。まるで二年前の巨大怪物事件が再来したかの様な……あっ! また光線を放ちました! 爆発しています! ビルが次々と崩れてます! 火災も発生しており、札幌の一部地域が焼け野原になろうとしています! 大変な事になってきました! えー、住民の避難が完了しているかどうかの情報はまだ入ってきておりませんが……』
テレビに映されているバグは、サイカの記憶にあるディランの町に現れた巨大バグとよく似ている。
そんな事を考えつつも、俺は晩御飯を食べるのを中断してイヤホンマイクを片耳に掛けてBCUへ連絡をとる。
「明月です。園田さん、今どう言う状況?」
『はい。一時間前、札幌の厚別区で巨大バグが発生、中央区に向かって侵攻中です』
「クロードとジーエイチセブンは?」
『現在、オスプレイで現場に急行中。そろそろ到着予定時刻です』
「分かった。一応、こっちもテレビ中継で確認してるけど、この通話は繋げたまま状況を説明してほしい」
『分かりました。状況次第では、ミーティアとケークンにも向かってもらいますので、二台目のオスプレイも出発準備を進めておきます』
「了解」
そこまで会話した俺は、振り返ってミーティアとケークンの顔を見る。
「二人とも見ての通り、巨大バグが出現した。いつでも出発できる様に準備しておいて」
俺の言葉を聞いて、二人の女性ブレイバーは真剣な眼差しで力強く頷いてくれた。
その横で、テレビからレポーターの白熱した声が聞こえる。
『あれは! 見て下さい! BCUです! BCUのオスプレイが到着しました! えー、周囲を旋回して様子を窺っている様です! 合わせて自衛隊の戦車とヘリが攻撃を中断しました! ブレイバーが出てくるのでしょうか!』
北海道での騒動ももちろん驚くべき事だし、今後のブレイバーの在り方について、改めて日本国民が考えさせられる事態になった。
でも、俺たちがこの事件に気を取られているせいで、東京都北区北部北端部に位置する赤羽で起きた事件に気付けなかったんだ。いや、正直に言えば、北海道にバグが出現していなくても、楽しい時間を過ごして気が抜けていた俺たちが察知できたかどうかも怪しいところである。
深夜の赤羽公園に呼び出された増田雄也は、スマートフォンで場所と時間を確認しながら人気の無い公園内まで足を運んでいた。
その相手は、そもそも連絡すら取るつもりも無かったのに、急に知らない電話番号から電話をかけてきて、妹の事を呼び出しの餌にしてきたのだ。
雄也は無視するべきかどうか散々悩んだ末、結局はこんな夜の公園にやってきて相手を探してしまっている。先ほどからこの場所は不気味なほど人がいないのに、何処からか視線を感じる。
そんな背筋が凍る様な思いを我慢して公衆トイレの前を通り過ぎ、少し広い通路を抜けたところで、緑に囲まれ水の出ていない噴水に座っている男を発見した。
上下黒の闇に溶け込んでしまいそうな服装に白い長髪、耳だけでなく鼻や口にもピアスを付けている事から、どうしようもなくイカれた野郎である事は、外灯の僅かな光りでもすぐに分かる。
しかし、雄也にとって彼がそんな姿になっている事を意外と感じていた。
「随分と……印象が変わったじゃないか。逢坂吾妻」
と、雄也が話しかける。
この吾妻という男は、前はもっと見てくれの良い好青年といった印象だった。が、この容姿を見る限りでは、何があったのか、どうにも悪い変化をしてしまっていると雄也は感じた。
そんな変わり果てたパンクスタイルをした吾妻はねっとりとした声で、話し掛けてきた。
「やぁ、増田雄也くん。キミは相変わらずオタク臭い格好をしているね。ニュースは見たかい? 今、北海道が大変な事になってるよ」
吾妻は、会って早々に雄也のチェック柄のポロシャツにジーパン、黒縁眼鏡、ボサボサな頭、一昔前の日本ならオタクファッションと呼ばれる服装を直球で突いてきた。
しかし、雄也はそんな事は気にしない。
「お前と雑談をするつもりは無い。今更何の用だ。千枝に二度と近づくなと言っただろ。それは赤羽にも来るなという意味だったんだが、そんな事も分からなかったのか?」
「ククッ。ククククッ」
吾妻は含み笑いをした後に続けて言ってきた。
「思い出したら笑えてきた。千枝か……あいつは俺の人生を台無しにしてくれたね」
「台無しにしたのはどっちだ。千枝の気持ちを弄んだお前が言う言葉か」
「見ろよこの姿を」
と、吾妻は立ち上がり両手を広げ、高台から雄也を見下ろしながら続けて言う。
「千枝が余計な事を言ったせいで、俺は会社を辞める事になった。地位も名誉も奪われた。惨めだろ。この上なく惨めだ。人間失格の烙印を押された男の末路がこの姿さ」
「知った事か。訴えられなかっただけ感謝しろ」
「感謝……感謝ね! ククッ、ああ感謝しているよ。お陰で今の自分がある。力を手に入れる事ができたのさ」
「クスリでもやってるのか? でも、残念だったな。もう千枝はウチにはいない。ここに来ても千枝に会う事はできないぞ」
すると、吾妻は笑った。酷く耳障りな声で、高々と笑って、そして言ってくる。
「ハハハハハッ! 勘違いしてもらっちゃ困るなぁ。俺が用があるのは、千枝じゃない。キミだよ……アマツカミくん」
「なぜそれを……どういう事だ」
この吾妻は千枝が前に付き合っていた男であり、千枝にとっての会社の若い上司であった存在。しかし、この男から『アマツカミ』という名前が出てくるのは衝撃的であった。
なんせこの吾妻は、ワールドオブアドベンチャーを雄也が遊んでいる事を知らないはずだし、ゲームとは無縁の人間だと思っていたからだ。
「始めてしまっても良いんだよねー海藤さん」
と、吾妻は俺の背後に目をやったので、雄也は慌てて振り返った。
そこには六十代くらいの男と思われる男性、海藤武則が立っていた。
「な、何だ!」
と、冷や汗と戸惑いの表情を浮かべる雄也。
雄也はこの時、何かの罠に掛けられてしまった事を察した。
千枝の事で話したい事があると言われ、よく考えずにこの公園まで会いに来てしまった事を雄也は悔いる。
そんな雄也を見て、暗闇から出てきた海藤は言った。
「かくていよいよ衰えぬるその果てに、天の大いなる災い起こりて、世の人十が五まで亡び異国の軍さへ攻めくるべし」
「なんなんだ! くそッ!」
そう言って、雄也は走って逃げようとした。
しかし、周囲に無数の赤い瞳があり、バグの群れに包囲されているのが視界に入った。そして、右目に眼帯を付け全身黒い軽装装備に身を包んだ男が前に立ちはだかったので、足が止まってしまった。
「おっと、ここから先には行かせる訳にはいかねぇな」
と、大きな剣を肩に乗せながら言う男は、かつてワールドオブアドベンチャーでシャークという名で活動していた。ここにいるという事は、ブレイバーである。
シャークやバグだけでなく、他にも人影が複数見える。誰がどんな見た目かなどを気にしている余裕も無く、そして活路も無い。自身を包囲する黒い集団を前に、武器も何も無い丸腰の雄也は悪夢でも見てるのかと目を疑いたくなる絶望の光景と感じていた。
焦る雄也を見ながら、海藤はまだ何かを言っている。
「此の時、神の如き大君、世に出て荒ぶり、人民悔い改めてこれに従い、世の中、再び正しきに帰らなん。其の間、世の人狂い苦しむこと永久に及ぶべし」
横で淡々と訳の分からない事をぶつぶつ呟く海藤を気にしていられない程、雄也は恐怖する。頭の中に闇が広がり、その中に吸い込まれてしまったかの様に、足が震えて、膝が今にもガクッと抜けてしまいそうな感覚。
冷や汗でシャツが濡れていく。
吾妻が雄也に向かってゆっくりと歩き出した。
「そのおっさんが言ってる事は気にしなくていい。頭がどうかしちまってるのさ。それよりもだ。アマツカミくん、何も分からないままでは悔しいと思うから、心優しい俺から少し状況を教えておいてあげよう。俺たちはこの世界に残存してる死に損ないのブレイバーを駆逐しなくちゃならない。駆逐……という意味は分かるよね」
「ブレイバーを?」
「テレビやネットでも散々騒がれているからね。今更、知らないなんて言わせないよ。邪魔なんだよねぇ。BCUも、琢磨とかいう男も」
近付いてくる吾妻を前に、一矢報いるつもりで雄也は殴り掛かる。人を殴った事なんて一度もないけど、こんな状況でただ怯えるだけなんて格好悪いと思ったからだ。
しかし、待っていたのはサッと避けた吾妻のカウンターパンチだった。
顔面を殴られ、割れたメガネがポトリと地面に落ちる。
そこからは吾妻の一方的な殴る蹴るの暴行が行われ、雄也は為す術なくボコボコにされた。
やがて吾妻は倒れようとする雄也の髪の毛を左手で掴み、無理矢理持ち上げる。
「引きこもりゲーマーが、俺に勝てる訳ないだろ」
そう言って、目を赤く光らせた吾妻は左手を見せる。
その左手は赤く輝き、驚いた表情を浮かべる雄也の胸に容赦なく突っ込んできた。
手を挿入された雄也は激しい痛みを感じ、苦しみの叫びを上げる。
「ぐああああッ! な、に……を……」
「まあ見てなよ。今から面白いモノを見せてやるからさ」
空から降り注ぐ光の柱と共に、吾妻は儀式めいた言葉を口にした。
「我は支配者……ブレイバー接続……ログイン……」
その光景を、近くにあるマンションの屋上から見ている茶色のロングコートにハット帽子を被った男の姿があったけど……彼についての説明はまた今度話す事になるだろう。
【解説】
◆スポワン
バスケットボール、ゴルフ、野球、サッカー、テニス、卓球、ローラースケート、ビリヤード、ダーツと言った様々な遊びを提供してくれる施設。他にもアーケードゲームやカラオケと言ったアミューズメントアトラクションも備えていて、多くのカップルや学生を中心に賑わっている。
暇潰しをするにはもってこいの場所だけど、一人で行くには敷居が高い。
◆ネイルアート
手足の爪に施す化粧や装飾のこと。 さまざまなネイルアート用品が市販されており、プロに限らず、自身の爪を飾る創作作業を楽しむために、ネイルアートを行う人も少なくない。
◆グレーズ・ドーナツ
グレーズとは、シュガーコーティングのこと。コーティングされた甘いドーナツ。
◆増田雄也
増田千枝の兄であり、ワールドオブアドベンチャー内ではシノビセブンのリーダー的存在であるアマツカミの夢主。ロボットアニメとゲームが大好きで、肥満体型のオタクファッションが特徴的。
妹の事を何よりも大事に思っており、琢磨と千枝が付き合う事になってからしばらくはショックで寝込んでいた。




