75.ギルドマスターの復活
世界五分前仮説を知っているだろうか。
文字通り『この世界は五分前に始まったのかもしれない』と、昔の哲学者が提唱した仮説だ。
それによれば、今の現実と認識している世界が、実は五分前に非現実から創られた世界であり、自分が現実だと思っている光景も、自分が経験してきた全ての記憶も、周りにいる人間も、まるでゲームの世界の様に創造されたと言う。この仮説では五分前とされているけど、十分前だろうが一時間前だろうが、同じことが言える。
有り得ないと思うかもしれない。
でも記憶や記録が全て偽りの可能性を考えたら『五分前に出来たのではなく、過去というものが確かに存在する』なんて誰にも証明する事ができない。そう、それこそがこの仮説の肝となる部分で、根源的な問いへと繋がっていくのだ。人類が生活しているこの世界は、すべてシミュレーテッドリアリティやバーチャルリアリティであるとする仮説にも似ている。そう言えば、これを題材とした映画もあったな。
だから、埼玉で『地球外生命体の追放と撲滅を求めるデモ行進』が行われ、片や東京では『ブレイバーの保護を求めるデモ行進』があったり、政治家達が駅前で『ブレイバーの存在について賛否両論の意見を街頭演説している』など、それもこれも五分前に創造されたのかもしれない。
俺がこうしてたまの休みに、自宅でワタアメとゲームをしているのも、もしかしたら五分前に始まった世界なのかもしれない。
俺の自宅は二年前のあの時から変わっていない。
高級マンションの九階の角部屋、リビングで高枝左之助がダイニングで珈琲を飲んでいる中、リビングのソファで胡坐をかいて座る俺の足の上にワタアメがいる。
コントローラーが繋がった家庭用ゲーム機が薄型テレビに映し出しているのは、家庭用ゲーム機版のワールドオブアドベンチャー。
俺が操作しているのは……白髪に猫耳、尻尾も生えた獣人族。ゲームのワタアメである。
パソコン室には増田千枝もいて、そこからオリガミとしてログインする事で二人揃って遊んでいる最中だ。
出現した『妖精の森』の最深部を目指して、モンスターを倒しながら突き進んでいると、ワタアメが物申してきた。
「違う違う。そっちじゃないぞ琢磨」
「え? でもさっきこっちから来たよね」
「何処見とったんじゃお前は。さっき石版があったじゃろ」
「そんなのあったか?」
まさかワールドオブアドベンチャーで、ワタアメを使って遊ぶ時が来ようとは夢にも思わなかった。
だってそうだろう。自分のアカウントでも、自分がクリエイトしたキャラクターでも無いのにだ。今、手が無くて操作ができないワタアメに代わって、俺がワタアメを操作している。幸いと言うか何と言うか、とりあえずゲームキャラクターとのリンクは切れたままの様で、俺の脹脛に乗っかってる黒紫色の生き物がアレコレと指示を出してくる。
なぜこんな事になってるかと言うと、ワタアメがどうしてもワールドオブアドベンチャーを久しぶりに見たいと、そう言って聞かないので、運営会社のスペースゲームズ社にお願いして特別許可を貰ったのだ。
ワタアメというキャラクターを使用する条件は、スペースゲームズ社の管轄であるジパネール地方内でプレイする事と、ゲームプロデューサーに昇格した高枝さんの監視の下で遊ぶという事になった。
これほどやり難いゲーム環境は無い。もっと伸び伸びと遊ばせて欲しいところだけど……このワタアメという存在は、それを叶えてくれる状況でも無いのだろう。そんな事情を知ってか知らずか、ワタアメはやたらと気合が入っていて、指示が細かい。
まあ、これはこれで面白い……か?
そんな俺達の昼下がり。
✳︎
ワールドオブアドベンチャー。
通称WOAと呼ばれ、MMORPGとしてサービス開始され今年で十二周年を迎えていた。ネットワークショック後のバーチャルアイドルサイカやシノビセブンの活躍もあって、人気も知名度も更に高まり、MMORPGのユーザー数世界一位の座を今でも維持しているゲームである。
創作の福の神であるサイカが生まれ育ったというブランド力と、バグの登場による非日常が味わえるかもしれないという期待と、数々の情報戦略や創作作品によってこのゲームは絶大な人気を誇っている。
今となっては、サイカが守ったゲームと言っても過言では無いのかもしれない。
そして、二年という月日はゲーム事情を大きく変えている。
例えばレベル。二年前まではレベル百三十は伝説級プレイヤーとされ、この関東在住のプレイヤーが多くいるジパネール地方では、サイカのレベル百二十六でも超上級プレイヤーとされていた。が、今となってはその基準も上がっていて、レベル百三十前後がそこら辺にいる。最大レベルが未だに判明していないのがこのゲームの大きな特徴ではあるけど、最近では海外でレベル百四十に到達したプレイヤーが出たと噂されている程度だ。
ワタアメは当然ながら、二年前とレベルは変わっていなくて、レベル百十九。対して、今でもシノビセブンとしてワールドオブアドベンチャーの看板を務めるオリガミは、レベル百三十になっている。
時の流れというのは怖いものである。
海のように広大な妖精の森は、時折神秘的な空気が漂う。それは人間が足を踏み入れない自然の領域と言う設定と、森の形は気候や生態系に依存するため、実に多種多様な姿を見せてくれる素敵なダンジョンである。
そんな森の中で、大きなブナの木の下にある石版の上に座っている猫がいた。いや、獣人族のワタアメなんだけどね。
初めて試みるダンジョンで、謎解き要素を前に……ワタアメは休んでいた。
先ほどから何もせずに、通り過ぎる他のパーティーを楽しそうに眺めているのは、決してサボってるという訳では無く、この石版の謎解きをする権利がこちらにある事を主張している。
この『妖精の森』というダンジョンは、各所に巨大な石版が設置されていて、出現するモンスターが稀に落とす宝石を五つの穴にはめ込む事でイベントが発生する仕組みだ。
それで石版を先に発見してしまった為、ワタアメが場所取りをして、オリガミがモンスターの乱獲狩りに出ている状況である。
ワタアメが久しぶりにログインした事で、強力な仲間もこちらに向かっている所だが、まだ到着には時間が掛かる。
どれくらい時間が経っただろうか、三十分、いや一時間……とにかく欠伸が出てしまうほど石版の上に座っていたワタアメに、ようやく周囲のモンスター狩りから戻ってきたオリガミが駆け寄ってきた。
「おまたー!」
と、これほど愉快なことはないといった様子で走ってくるオリガミ。
「遅い! どんだけ雑魚を狩れば気が済むの?」
「めんごめんご。ほら見てこれ!」
オリガミは自慢気に見せて来たのは、武器アイテムの『精霊狩人の弓』だった。
この精霊の森で手に入るレア武器の一つで、希少価値は高め。弓使いであるワタアメは、そのステータスを食い入る様に見て品定めをする事になる。
「精霊狩人の弓……私がいた頃には無かった武器ね。アビリティ効果は……風属性と妖精族に特攻効果……精錬値でクリティカル率上昇……攻撃力は若干心許無いけど……うん、いいね」
と、ワタアメ。
「そっか。確かこの弓が実装されたのは……結構最近だったね。結構高値で売れるんだよ。相場いくらだったかな」
「よし買った!」
「ええっ!? 値段聞く前にそんなの決めていいの?」
「ふふん、資産はいっぱいあるからね」
取引成立である。
割引はあったものの、ワールドオブアドベンチャーの中ではかなり高額な値段でユーザートレードが行われた。ダンジョン内でレアアイテムを前に、目的も忘れて取引を始めるなんて、ネトゲらしいと言えばネトゲらしい。
✳︎
「なあ、ワタアメ」
と、俺はキーボードを必死に尻尾で入力しているワタアメに言葉を掛ける。
「なんじゃ」
「ゲーム内でのその喋り方、懐かしいは懐かしいけど、どうなんだ?」
本当のワタアメは花魁言葉みたいな喋り方をしているが、ゲームの中では普通の言葉遣いな印象がある。正体が判明した今となっては、それを続ける意味が何なのか、気になった次第だ。
ワタアメはしばらくキーボードを打つ手を止め、しばらく黙って考えた後に語り出した。
「ゲームでのわっちもワタアメ。サイカが琢磨である様に、わっちという存在も葵なんじゃ。少しでも葵であって欲しい。そんな儚げな願いじゃな。だからこそ、一号に管理者権限を貰っても、それを私利私欲の為には使わなかったし、使おうとは思わなかった。今持ってる装備もお金も、レベルでさえも、全て実力で得てきてるのは、それを成し遂げる為じゃ」
「よく分からないな」
「別に理解してもらわんでも結構。わっちはわっちで守りたい世界がある。わっちはわっちで忘れたくない想いがある。そこに他人の理解など、求めてなどおらん。サイカやアヤノがいなければ、わっちは……もっと平穏に過ごせていたかもしれん」
聞けば、ワタアメが管理者権限を使ったのは、サイカやアヤノに魔石フォビドンという『保険』を入手させた時と、二人を監視する為の移動手段として使った時だけとの事だった。これでもワタアメはワタアメなりに二人をバグの魔の手から護ろうと尽力してくれていた……という事になる。
俺とワタアメがそんな会話をしていると、後ろでゲームの様子を見ていた高枝さんが別の話題を振ってきた。
「ちなみに今トレードした『妖精狩人の弓』は、最近実装された訳ではない。三年前から既に実装されてはいたが、超低確率のボスドロップ品で、誰も入手した事が無かっただけだよ明月くん」
さすがと言うか何と言うか、高枝さんはスペースゲームズ社で元管理部門の役職者だっただけに、細かい情報まで覚えている。
「じゃあ妖精の森にテコ入れがあった時に追加されたんですね」
と、俺が聞くと、高枝さんは微笑した。
「それ以上は企業秘密だ。もう明月くんはうちの社員じゃないからね」
さすが、秘密主義MMORPGである。
✳︎
取引が終わり、ワタアメは座っていた大きな石版から飛び降りる。
「さてさて、それでオリガミちゃん。宝石はどれくらい集まったのかな?」
「へへーん。見よ!」
オリガミがアイテムメニューを操作すると、七色の宝石の山が地面に落ちた。木漏れ日に反射してキラキラと輝くその綺麗な石は、その数ざっと百個はある。
「ちょっとやり過ぎ」
と、ワタアメが呆れる。
「とりあえずいっぱい集めとけば困らないかなと思って!」
「石版に空いてる穴は五個、宝石は七色、こんなに集める必要は―――」
「細かい事は気にしない気にしない。ささ、はめてくよー!」
「ちょっと待って。はめるって言ったって、組み合わせが分からないじゃん。琢磨、何か分かる?」
(えっと、攻略サイトによると……うーん、色を揃えたら特定のアイテムが出現するのは判明してるけど、ボス部屋に行くのはランダムって書かれてるね)
「ランダムって、そんなの有りなわけ?」
(それがワールドオブアドベンチャーだよ)
ワタアメは屈みつつ、床に置かれた赤、橙、黄、緑、青、茶、紫のそれぞれの宝石を凝視して、顎に手を当てながら考え込む。
ランダムとは言え、何かしらルールが設けられている可能性が高い。だから何かヒントは隠されていないかと、すぐ横にある大きな石版へも目を配った。
丸と星形、木が四本、目が三つ、そして古代語の様な訳の分からない文字がいくつか並んでいて、何よりも中央に女性の様な形をした不思議な模様がある。大きな星形の先端にそれぞれ穴があって、そこに宝石を入れ込めば良いのだろうけど……
「さて、どうしたものか……」
ワタアメがそうやって悩んでいると、近付いて来るプレイヤーの足音が聞こえたので、思考を中断してそちらを向く。オリガミも同様に気付いた様で、そっちに目を向けた。
歩いて来たのは四人。タンカー用の重装備をしたレベル百二十八の聖騎士ジーエイチセブン、レベル百十五の商人シロ、レベル百三十一の侍エオナ、そしてレベル百二十九の魔法剣士リリムである。
四人を見るなりワタアメは立ち上がり、
「遅い!」
と、指摘した。
するとジーエイチセブンが言った。
「お前なぁ。二年ぶりにログインしたと思ったら、こっちは片道二時間も掛かるダンジョンへ急に呼び出されたんだ。これでも大急ぎで準備して来たんだぞ」
そう、今回ワタアメの提案で、彼女がギルドマスターを務めるギルド、ログアウトブレイバーズのメンバーに収集をかけた。その結果、この妖精の森に遅れて駆けつけて来た四人である。
二年前までは無所属であったリリムまでも、メンバーとなっていたなんて知らなかった。
それぞれがまずは挨拶を交わす中で、ジーエイチセブンはその場にいるワタアメとオリガミの姿を見て、
「シノビセブンのオリガミ……こりゃまた不思議な組み合わせだな」
と、言ってきた。
まあ確かに事情を知らない人にとっては、全く面識の無い二人がパーティーを組んで遊んでいる事になる。
片や突然行方不明になっていたギルドマスター、片やシノビセブンとして世界に名を轟かせている超有名人クノイチであるオリガミ。
「これで全員?」
と、ワタアメがあえて問う。
「ギルドメンバーの一覧を見たなら分かるだろ。ご覧の有様。二年もマスターが不在なギルドだからな」
ログアウトブレイバーズギルドのメンバーはこれで全員らしい。
ワタアメがいなくなる前は、確か二十名近くのメンバーが所属しているギルドだったはずだ。それがワタアメを含めても五人。随分と小さなギルドになってしまったものである。いや、むしろ普通であれば自然消滅的にバラバラとなっていてもおかしくないのに、まだメンバーが残っていたという方が凄い事かもしれない。
それもこれも、ギルドマスターのワタアメと、副マスターであるジーエイチセブンの人徳があってこそなんだと俺は思う。
ジーエイチセブンはワタアメに質問を投げた。
「それで、今まで何処行ってたんだ。それぐらい聞く権利は俺にだってあるだろう」
ジーエイチセブンやエオナはブレイバー召喚に協力して貰う過程で、ブレイバーについての知識はある程度はある状況。しかし彼ら四人はブレイバーではなく、今この場ではそれぞれが夢主に操作されたキャラクター。つまり、ワタアメが今こうして復活した理由も、オリガミとなぜ一緒にいるのかも、ワタアメの操作をしているのが別の人間であるという事も知らない。
なのでワタアメはどう説明するべきか悩み、返答に困った。
(俺に任せて)
と、俺は発言権を一時的にワタアメから奪う。
「いやぁ、それがさぁ。家が火事に合っちゃって、もう大変だったんよ」
ある意味、嘘は吐いていないはずだ。
ギルドメンバーの四人がどよめいたのを確認しながら、ワタアメは説明を続ける。
「それでまぁ、色々とゲームが出来るまで落ち着くのに時間が掛かっちゃってね……なんか、心配掛けてごめんね」
そう言うワタアメにエオナが言った。
「別に良かばい。こうやって戻ってきて元気な姿ば見してくれたんやけん。それで良か」
ジーエイチセブンも続く。
「事情は察したよ。こうして残っている四人は、ギルマスの帰りを二年も待ち続けた変わり者になる。でもな、衰退してしまったこのギルドをどうするつもりか、ギルマスであるお前が決める必要があると俺は思う。組織とはそういうものだ。とりあえず、まずはダンジョン攻略が最優先。話しはゼネティアに帰ってからゆっくりとしよう。っと、その前に……」
と、ジーエイチセブンはワタアメにトレード申請を出す。
「なに?」
ワタアメがメニューを操作して、トレード画面に目をやると、そこには弓が置かれていた。それについてジーエイチセブンが説明する。
「ここに来る道中でたまたまドロップした品だ。お前にやる」
驚く事にそれは『精霊狩人の弓』だった。
「うげっ」
と、苦い表情を浮かべるワタアメ。
「どうした、不満か?」
「いやぁ、間が悪いと言うか何というかでね。でも貰っとく! ありがとう!」
「いらなければユーザーショップで出品しろ。良い金になるぞ」
たった今、オリガミから買い取ったばかりだという事は、あえて説明しないでおくワタアメだった。
そこへシロが口を挟む。
「ジーさん、あの事、言わなくていいの?」
「ああ、そうだった」
再会の話で和やかな雰囲気だったが、ジーエイチセブンが真剣な眼差しで続けて言った。
「ギルマス、このダンジョンを何処まで攻略するつもりだ」
「勿論、ボスを倒すつもりだけど?」
「だったら急いだ方がいい。さっき入口で『安奇』が集結しているのを見た」
ジーエイチセブンが言った安奇と言うのは、ジパネール地方首都ゼネティアでも名高い最大手ギルド『安全奇岩』の事だ。
ギルドメンバーは百人超えで、首都対抗戦でも攻撃組。幾度となく他サーバーの砦を陥落させ、高難易度ダンジョンも攻略してきているギルドになる。そんな組織が妖精の森に集結して来ているという事は……
「奴らの目的はボス攻略で間違いないだろう」
と、ジーエイチセブンが断言した。
するとオリガミが口を開く。
「だったら尚更、この石版を何とかしなくちゃだね! とにかく適当に宝石入れてみよー!」
オリガミが宝石を手に取って、悪い意味で適当に宝石を使おうとした為、今度はリリムが前に出てきた。
「待って」
そう言ってリリムが石版の前に立って、その模様を細かなところまで観察するように見る。
「何か分かるの?」
と、ワタアメ。
「動画で何度か見た程度だけど、妖精の森の石版は全部で三十種類。妖精の森の何処かにランダムで出現する。今までの成功例を見た限りでは……確か……ねえ、来る途中に見かけた光ってる岩があったの覚えてる?」
リリムの問いに対して、シロが最初に反応した。
「あ! 緑色に光ってた!」
次にオリガミが思い出す。
「あたしも見た! 茶色と赤のやつ!」
それを聞いたワタアメは、
「ただのオブジェクトじゃないの?」
と、意見を口にした。
するとリリムがパーティーを組む事を提案してきたので、ワタアメとオリガミのパーティーに四人が加わって六人となった。そしてメニューを手早く操作して、パーティー全員の目前に共有マップが表示される。
「みんなが見た光る岩の色と大体の位置をこのマップに描いて」
リリムに言われた通り、覚えている者が各自登録した。
マップに色が載せられていき、三色の位置が明らかとなり、リリムがそれを星形の線で繋げていく。
「これは……」
と、ジーエイチセブンも気付いた様だ。
そう、ダンジョンの各所に設置された光る岩が謎解きのヒントとなっていて、今回の模様はそれを星形に結ぶというものだ。
「これをこの目のマークの数だけ時計回りに回転させて……こう」
リリムの推理で三色の宝石を入れる穴が決まった。
でも、ここで問題となるのが残る二箇所の色である。誰も見ていないから、当然そこの色が解る訳もなく、二つの謎だけが残る事となった。
「凄い凄い! じゃああとは、走ってこことこっちのエリアにある光る岩の色を見てくればいいんだね!」
ジーエイチセブンが、
「行けるか?」
と、オリガミに聞く。
「オリガミちゃんに任せて! ちょちょいと見てくる!」
そう言い残して、オリガミはまるで漫画の様にもの凄い速度で走り出し、すぐに見えなくなった。
オリガミは広い妖精の森の中を駆け、走りながら手裏剣を投げてオーガヘッド、オーク、人食い草と言ったモンスターを倒し進む。
途中で他のパーティーがモンスターと戦闘をしているところに遭遇したが、それを飛び越え、木と木の間を風の如く軽快な動きで通り抜けた。ちょっとした枝や岩も、ひょいひょいと避ける様は、熟練された動きだ。
そしてオリガミから報告が入る。
『見つけた。青!』
報告を受けながら、ワタアメがリリムの指示通りに宝石を穴に入れ込んで行く。
青、緑、赤、茶……あと一つ。石版の前に立つ一同は息を呑む。
オリガミが次の岩を探して走る最中、中ボスであるウッドエンペラーを見かけた。
「勿体無いけどっ!」
と、煙幕でウッドエンペラーの視界を遮り、無視して通り抜ける。
しばらくして、五つ目の光る岩を発見したオリガミは面食らう事となった。
『えっ……なにこれ』
「どうした?」
と、ジーエイチセブン。
『白……白く光ってる! おかしいよ。そんな色の宝石なんて無かった!』
今、ワタアメ達の足元に転がっている七色の宝石には、確かに白と言う色は無い。
「白って……そんなはずない。間違えてるんじゃないの?」
と、ワタアメ。
『でも真っ白に光ってる! 間違い無いよ!』
そしてリリムは考える。
「白……レアドロップとして白色の宝石が……そんなの動画で一度も……ハズレの石版って事か……」
するとジーエイチセブンが閃いた。
「そうか、この星型の並びは五行思想だ! つまり白は金! 金は黄色!」
「ごぎょうしそう?」
と、リリムも分かっていない様子。
ジーエイチセブンが前に出て、余った穴に黄色の宝石を入れる。
石板に嵌め込まれた五つの宝石がそれぞれ光を放ち、そしてキラキラと輝き、石板が神々しい金色に染まる。それを見たワタアメが、すぐにオリガミへ指示を出す。
「オリガミちゃんすぐ戻って」
『分かった!』
五行思想とは、現代の自然哲学における思想の一つで、万物は火、水、木、金、土の五種類の元素からなるという説の事である。五種類の元素は互いに影響を与え合い、その生滅盛衰によって天地万物が変化し、循環するという考えだ。
この状況でそれを思い出すなんて、俺には無理だ。
✳︎
研究室から出てきた明月朱里が冷蔵庫を開けて中を確認したと思えば、急に燃え上がるような怒りを声にしてきた。
「誰だぁー! わしのプリンを食った奴は!」
そう言う朱里は最初に読書をしている高枝さんを見たが、彼は首を横に振ったので疑いが晴れる。見た目が知的に見える高枝さんは、人の家で勝手にプリンを食べるなど想像もできない事だ。
続いて、リビングでゲームをしている俺とワタアメの所までやって来た朱里。
「まさかとは思うが、琢磨ではないよな?」
俺はテレビ画面から目を離さず、
「俺が、お前のプリンを勝手に食べる様な奴に見えるか?」
と返した。
次に俺に抱かれているワタアメに目線を向ける朱里だったので、オリガミはキーボードを打ち込む尻尾を止める。
「知らん。わっちが好きなのはシーチキンじゃ。丸い缶に入ったな」
今、俺の住居にいるのは五人。
残った容疑者がパソコン室にいる事を知っている朱里は叫んだ。
「増田千枝ええええええええええええ!!!!!」
全身怒りの塊で、顔を真っ赤にして耐え切れず爆発したように叫ぶ朱里は、そのままパソコン室へダッシュ。
朱里に構ってられる状況ではないのだけれど、ワールドオブアドベンチャーに微塵も興味が無い朱里にとっては妖精の森だとか、石板の謎解きなんて事は全く関係無い。
パソコン室に押し入った朱里は、そこで千枝が座るデスクの上に置かれたプリンの空き容器を発見する。しかもそれが三つも積み重なっていたのだから、朱里の怒りは頂点に達したのは言うまでもない。
「みみみみ三つも食いおったんか! わしの命の源を! 三つも!」
顔を赤くして憤怒する朱里の前で、千枝は平然とコントローラーでオリガミを操作しながら言い返す。
「一個百円なんだし、また買えばいいじゃん」
「この悪魔! じゃあ今すぐ買ってこい! わしは今プリンが食べたいんだ!」
「これ終わったらね」
「うぐぐ、この天才であるわしを馬鹿にしよって! ゲームばっかりやってないで、ちょっとは外に出たらどうだ!」
「無理!」
言う事を聞こうとしない千枝だったが、今では長い付き合いになる朱里は彼女の弱点を突く事にした。
「……良いのか? その三つの内、一つは琢磨のプリンだぞ?」
「え?」
「琢磨が千枝と一緒に食べたいと言って買ったプリンを、お前は勝手に食べたんだ」
「た、たっくんは別にそれぐらいで怒ったりしないから」
「あいつの事だから怒りはしないだろうが、それでもお前に対する評価は少なからず下がってしまうのは間違い無い」
「えっ……と……」
胸にこみ上げる不安にあえぐ千枝を見て、朱里はニヤリと笑った。
「幸いにも、琢磨はまだプリンを食べられた事に気付いていない。だから琢磨がゲームしている今、さっとコンビニに行って、ささっとプリンを買ってくれば、無かった事にできるぞ」
その言葉を聞いて、千枝のコントローラーを操作する手が止まった。
ほんと、朱里は俺以上に千枝の扱いに慣れている。
✳︎
『ごめん! ちょっとだけAFKする!』
そんな連絡がオリガミから来たのは、それからすぐの事だった。
クノイチであるオリガミは、隠密スキル《ハイディング》を使用する事で、最大で三十分間はダンジョンの中で放置できるという利点がある。オリガミはそれを利用して、そそくさと離席してしまった。
「ちょっ、え? なんで今!?」
ワタアメがそう問いかけるも、まだ石版の前まで戻って来てすらいないオリガミからの返事は無かった。
石版が光り輝いて真っ黒なワープゲートが現れ、今から良い所だと言うのに、主戦力の一人が急にいなくなってしまったのだ。
(大方、朱里に何か言われたんだろう。たぶんすぐ戻ってくるから、気にせず行こう)
と、俺がワタアメに言った。
そしてジーエイチセブンがこれからの行動について示唆する。
「ふむ。いつまで開いているかも分からないゲートを開いてしまった以上、とりあえず中に入るしか無いな。パーティーメンバーであれば、後から入って来れるだろう」
ジーエイチセブンがそう言った時、妖精の森上空を二体のアンドロイドが高速で通り過ぎるのが見えた。石版の前にいた五人一同は、皆揃って空を見上げて、茂った木の葉の間からその姿を見送る。
バグがネットワークサービスの中に現れるというのは、もはや日常茶飯事となっていて、こうやってプログラムサイカがネットゲーム内を飛んでいるのも今では珍しくない。プレイヤーにとっては、一種のイベントとして受け入れられる様になっていた。
シロが呟く様に言った。
「ほんと、なんでこんな状況で、俺たちはゲームしてるんだろうね」
するとワタアメが言った。
「これは私達に与えられた呪いだよ」
意味深で訳の分からないワタアメの言葉だったが、ある程度事情を把握している彼らは特に何を言うでも無かった。
プログラムサイカが何処かへ飛び去って行くと言う状況に気が逸れてしまっていたが、
「さ、行こっか」
と、ワタアメが言ったので、パーティーメンバーは頷いて同意を示した。
だが、出現したワープホールに入ろうと歩みを進み始めた時、後方から声を掛けられその足が止まる。
「ちょっと待った!」
全員が振り返ると、そこには暗黒騎士の男プレイヤーと、その後ろには数えるのも面倒なほど大勢のプレイヤーが立っている。皆、色とりどりのレア装備で身を固めてる。
先頭に立っていて声を掛けてきた全身を黒い鎧で揃えた暗黒騎士、名前はトコロテン。レベルは百三十三で、所属ギルドとして安全奇岩のギルドフラッグが名前の横に表示されている。
「こん」
と、シロが挨拶するも、トコロテンはそれを無視して話を始めた。
「キミたち凄いね。そのワープホールが出ていると言う事は、石版の謎を解いたのか」
一見明るそうな雰囲気でいて、腹に何か隠してそうな話の持ち掛け方をしてきたトコロテンに対し、不審感を抱いたワタアメが要件を聞く。
「なんですか?」
「おっと、誰かと思えば、ログブレのギルマスじゃないか。てっきり引退したのかと思ってたよ」
「貴方こそ、前はもっと腰の低い奴だったと思うけど。大手ギルドで育って、随分と出世したみたいね」
「まあまあ、そう怖い顔しないでくれよ。折り入ってキミたちに頼みたい事があって来たんだ」
俺もワタアメも、トコロテンが何を言い出すのかは大体予想が付いた。
「大方、このワープホールを使う権利を譲ってほしいって言いたいんでしょ?」
と、ワタアメが先に言った。
「その通りだ。話が早くて助かるよ。どうかな? ここのボス、ドリュアスはうちが前々から狙っててね。譲ってくれるなら十Mくらいの金を出すよ」
「へぇ。でも、ドリュアスのドロップ品を考えたら、百Mくらいは出してくれないと割に合わないね」
ワタアメが強気にそんな事を言うので、トコロテンは不愉快に感じたに違いない。
「さすがにそれは……じゃあ三十Mでどう? ちょっとうちのギルマスに相談して見るよ」
「ダメ。六十M」
「おいおい、弱小ギルドが足元見てんじゃねえよ」
「足元を見てるのはそっちでしょう。そんな大人数で私達を囲んで、威圧してるつもり?」
その言葉を聞いた安全奇岩のメンバー達が一斉に武器を持とうとした為、
「待て待て。PKはダメだ」
と、トコロテンはわざと聞こえる様に言葉を発して静止させたのは、これも演技の一つ。
そしてトコロテンは言う。
「魔法職もいないこの少数パーティーで、ドリュアスに勝てる訳がないだろう? 無駄にデスペナを受ける前に、俺たちに譲った方が賢明だ」
「話しにならないわね。もし挑戦したいなら、自分達で石版の謎を解いて挑戦すればいいじゃない。もっとも、私達がもし勝ったら、無駄骨になる訳だけど」
(その辺にしておけ。もういいだろう)
ワタアメもレベルや装備で格上のプレイヤーに対して、負けじと煽る煽る。魔法職がいないと言われて、内心怒っていた魔法剣士リリムの事は触れないでおこう。
これが首都対抗戦でゼネティアの砦一つの防衛を任せられていたほどの実力とでも言うべきか、むしろこれはワタアメの夢主の葵がそうなのではなく、ワタアメの本質そのものでないかと思える。
そんなやり取りを見て、何だか嬉しそうな表情を見せたジーエイチセブンが言った。
「行こう。ボスは俺たちが頂く」
「そうね。それじゃ、トコロテンさん。謎解き頑張って」
悔しそうにしているトコロテンを置いて、ワタアメ達は石版のワープホールへと足を踏み入れた。
本当に中に入るかどうかを最終確認するポップアップメッセージが出てきたので、やはりこの先でボスモンスターのドリュアスが待ち構えているのは確定である。
ログアウトブレイバーズのギルドマスター、ワタアメは復帰早々に挑戦する。
ジーエイチセブンや、エオナ、シロ、リリムといったかつての仲間達と、離席中のオリガミという新しい仲間と共に、妖精の森で最強のボスモンスターと戦う。
✳︎
その頃、コンビニへと一人で足を運んでいた千枝は、冷蔵のデザートコーナーで悩んでいた。
「カスタードプリン……いや、普通のプリン……焼きプリンも捨てがたい……たっくんどれが好きなのかなぁ。ちょっと聞いてみようかな。いやいや、聞いたらバレちゃうし」
大きなヘッドホンを首に掛け、オレンジ色パーカーのフードを被って、そんな独り言を呟く痛い子になっているが、本人はそんな事も気にせず悶々としている。
でも、何も知らずに欲望のままプリンを食べてしまった千枝も、そのプリンを俺が食べる予定だったと嘘を吐いた朱里の言葉も、全て五分前に作られた物語なのだろうか。
ゲーム内でワタアメ達が強大なボスモンスターと戦う未来も、果たして存在していない未来なのだろうか。
その答えは、神のみぞ知る世界だ。知ったこっちゃない。
だったら記憶を頼りに未来を信じ、今だけを考えようじゃないか。
サイカが神のみぞ知る世界で何を経験したかなんて分からないけど、でも何をしていようと、その考えだけは一緒だろう。悪者相手に暴れ回って、創作の世界を行き来して、そうやって何かに抗ってるという事は、そういう事なんだと俺は思う。
【解説】
◆ゲームプロデューサー
ゲーム制作を統括的に企画する職種。 予算やスケジュールの組み立てを行う他、制作に携わるスタッフの選定や、販売促進の計画などを行う。
◆ワールドオブアドベンチャーの変化
二年前(二章の頃)と比べて平均レベルの基準が十ほど上がっている。
新機能、イベント、ダンジョン、アイテムなどの追加要素も当然増えているが、この場では割愛。
◆妖精の森
ヨリック大陸ジパネール地方に出現した広大な森林ダンジョン。
木漏れ日により神秘的な雰囲気があるこのダンジョンは、オーガヘッド、オーク、人食い草、ウッドエンペラーと言ったモンスターが生息していて、それらがドロップする七色の宝石と穴の空いた石板による謎解き要素がプレイヤーを楽しまてくれる。判明しているこのダンジョンの主で、ボスモンスターの名はドリュアス。
◆AFK
アウェイフロムキーボードの略で、主にネットワーク上のコミュニティにおいて、途中退席の意味を持つ。
◆お金の単位であるKやMについて
一K:一千
一M:百万




