68.狭間作戦
サイカがバグに奪われてから一週間ほど経った頃。
ビルの一室で、前代未聞の追跡劇が繰り広げられていた。
集まったのは『ホワイトハッカー』と呼ばれる、IT技術のスペシャリスト達。彼らが追うのは奪われたサイカである。
新種コンピュータウイルスが、ネット世界の救世主とされるサイカのアカウントをハッキング。ゲームアカウントの内部、サーバーに保存されていた彼女を丸ごと奪い去るという事件が起きた。
知的生命体である新種ウイルスは、ホワイトハッカーが厳重にセキュリティウォールを構築したネットワークステーションに穴を開け、そこにいたプレイヤーキャラを破壊した後、サイカをまんまと強奪したとされる。
スペースゲームズ社のビルでサイカ強奪事件の緊急会議が開かれると、内閣サイバーセキュリティ特別対策本部の矢井田淳一や、アメリカ中央情報局のアコル・ウィルソンを始めとする、そうそうたる顔ぶれが揃う事となった。
当然、その瞬間を目撃する事となった明月琢磨と笹野栄子。そしてシノビセブンの者達も召集され、高枝左之助と共に肩を並べて席に座っている。
ホワイトハッカーチームのリーダー、下村レイは日本出身でアメリカ合衆国の物理学者。女性のコンピュータセキュリティ専門家として、様々なハッキング事件の犯人逮捕に貢献した実績の持ち主。
レイは高身長で、キャミソールにジーンズを着こなし、床に着きそうなほど長いダークブロンドヘア。
そんな彼女はマイクを持ち、プロジェクターで図を映しながら気怠そうに説明を始めた。
「あー、こほん。これはサイカを奪ったウイルスの痕跡を、私の開発したゼニガタマルが追跡した結果になる」
「ぜにがたまる?」
と、呆気に取られる琢磨。
他の者達も謎のネーミングセンスに耳を疑っている様子だが、レイは何も気にする素振りもなく淡々と説明を続けた。
「ウイルスはサイカを持ったままダークウェブと呼ばれる深層ネットワーク領域にまで潜り、そこでブラックハッカーにサイカを受け渡している。あれだけ膨大な2つの情報。間違いようがない」
ダークウェブという言葉で、周囲が騒ついた。
しかし、琢磨はよく分かっておらず、隣に座る左之助に小声で質問する。
「あの、ダークウェブって?」
「普通の方法ではアクセスのできない隔離されたネットワークの一部で、闇取引が行われているとされる所だ」
レイは話を続ける。
「サイカを受け取ったハッカーは、スウェーデンやウクライナにあるサーバーを経由してカモフラージュをしてはいる。が、残念ながら私とゼニガタマルに掛かればお茶の子さいさい」
痺れを切らした淳一が、
「御託はいい。それで、そのハッカーは、犯行声明のあったハッカー集団、アヴァロンとかいう組織の者であろう?」
と言い放った。
「彼らは自然発生的にアヴァロンを自称しているに過ぎず、定義が困難な集団。嘘と噂に塗り固められた奴らだ。まあ、そうだね。アヴァロンのメンバーを自称してる者が、サイカを受け取ったというのは……間違いないだろう」
「特定はもう出来ているのだな」
「容疑者候補は複数ある。その中でも有力なのは……バストラだろうな」
その名を聞き、事情を知っている一部の者たちが騒ついた。
琢磨は相変わらず何のことか分からなかったので、左之助に問う。
「あの、バストラって?」
「君はもう少し勉強が必要だな。数多くのコンピューター犯罪に関わり、国際指名手配されているブラックハッカーの通り名で、アヴァロンの実質リーダーとも言われている」
「どうしてそんな奴がサイカを……」
「それよりも、バグと繋がりがある方を脅威と見るべきだな」
レイは説明の締めに入る。
「正直に言えば、私はサイカやサマエルなどというコンピューターウイルスに全く興味が無い。私情を持ち込んで申し訳ないけど、バストラと私は因縁があってね。奴を捕まえる事が出来るのであれば、私の持てる知識を全て使ってでも追い詰める。以上だ。追跡作業があるので、私はこれで失礼するよ」
そう言い残し、レイはマイクを置いてさっさと会議室の出口に向かって歩く。その時、会議室の出入り口付近に座っていた朱里とレイは互いに目が合い、互いに何か感じる事があった様だが、レイは颯爽と去って行った。
代わりにアメリカ中央情報局のアコルが前に出て、マイクを持つ。
アコルはビジネススーツを着た男性で、オールバックの金髪に整った顔の男性だ。
「バストラ。彼は巧みに世界中を逃げ回り、我々も所在を掴むのに苦労した男です」
するとスクリーンの映像が、若い男性のプロフィール画面へと切り替わった。
アコルは説明を続ける。
「本名はエイドリアン・ジェフ・ウォーカー。既に所在地は掴めていて、現在はアメリカ合衆国テネシー州メンフィスにいます。連邦捜査局は泳がせていたところでしたが、今回のサイカ強奪事件に伴い、逮捕に向けて動いてくれる事になりました。我々としても、今サイカを失う訳にはいかないというのが総意であり、日本に協力する事を約束します」
あまりにも規模が大きすぎる話を前に、琢磨はどれだけ自分が無力で小さな存在なのかを実感する事となる。
そう思いただ呆然と成り行きを見る事しか出来ていない琢磨の横、左之助とは反対側に座っていた千枝が琢磨の裾を掴む。
「なんか、凄い事になっちゃってるけど……サイカ、大丈夫だよね?」
まるで琢磨の気持ちを代弁してくれたような台詞だった。
琢磨は千枝の震える小さな手を掴み、彼女の目を見ながら黙って頷いた。
✳︎
声が聞こえる。
「―――んねえなぁ。本当に連れてきちまうとはなぁ。あんた最高だ!」
「私からのささやかな贈り物さ。これで信じて貰えたかい」
「信じる信じる。きひひひひひひひ。あんたはウイルスなんかじゃねぇ! あんたは王だ! きひ、うひひひ」
気味の悪い声が聞こえる。変な笑い方だ。
レクスに捕まって……長い事、暗闇の中に閉じ込められた。
私は自分が目を瞑っているのか、それとも光が一切無い場所で目を開けているのか、全く分からない感覚に陥っていた。
とにかく、声が聞こえたという事は、きっと何か進展があったはずだ。
そう思って、瞼を動かしてみる。
眩しい光。床が光っている。目の前には……ガラス?
手足が何かに拘束されていて動けない。首も固定されている。
巨大な瓶の中を思わせる筒の中で、床一面がLEDのライトで光っている様だ。
ガラスの向こうでは、何処かの室内の様だが、何もかもが巨大に見え、まるで自分が小人にでもなってしまったかの様なスケール感。そして薄暗い。
そこでは巨人が椅子に座って、何やら楽しそうに誰かと話しているのが見えた。
話してる相手は……光る画面に映る……黒い化け物。あれは、レクスだ。
「おや、もうお目覚めの様だ」
レクスがそう言うと、巨人は椅子をくるりと回転させて私を見てきた。
「うひょー! エレクトロン・ニンジャガールが起きた!」
気色悪い喋り方をする巨人は、顔や手に包帯を巻いていて、黒いパーカーのフードを被り、青い目を輝かせている。
「誰だお前は」
「喋った! すげぇ! すげぇよ! ほんとに生きてるみてぇだ!」
大袈裟に喜ぶ男。なんなんだこいつは。
「きひっ。なあレクス! 本当に俺の好きにしちまっていいんだな?」
「ああ、いいとも。もうサイカの所有権はキミの物だ」
「うひょー! いいねいいねぇ! やあ、エレクトロン・ニンジャガール」
包帯男は顔を近づけてきた。
よく見れば、肌に火傷の痕があるようで、とても醜い顔を包帯で隠している様だ。包帯の隙間から見える口から長い舌を出して、今にもサイカが入っている筒を舐めてきそうな勢いで、彼は話を続ける。
「おりょ? 反応が無いな。もしもーし。ハロー」
「誰だ」
私は再度問う。
「やっと喋ったぁ。はじめましてぇ。俺はバストラ。今日からあんたの新しいマスターになる男だ。よろしくぅ」
「マスター? ふざけるな。私をここから出せ!」
「ぶぶぅ! ダメー! 口の効き方がなってないなぁ。困った子だなぁ。あー困った」
バストラと名乗る男は、回転椅子の上でくるくると回転しながら茶化した様子を大袈裟に表現してきた。
ふざけた奴である事は私でも分かる。
「出せ! ここから出せ!」
私は懸命に動こうとするが、やはり厳重に拘束されていて身動きが取れなかった。
少し不思議なのは、いつも琢磨達と交流している感覚と違う事だ。カメラ越しの映像と言うよりは、まるで私がこの世界に存在しているかのような、生々しさがある。
このガラスの瓶の様な筒もよく分からない。
床からライトアップされていて、黒い天井は何か電気信号の様な線が走っている。
まるで小さな水槽か何かに閉じ込められているかの様でもある。
何とか動かせる顔と眼球で、自身の身体を見てみると、至る所に何かチューブの様な物が繋がれている。
これは何だ? 私はいったい何をされているんだ?
「私に何をするつもりなんだ!」
そう質問すると、バストラは笑った。椅子から転げ落ちるのではないかと思うくらい、大袈裟に笑ってきた。
笑い終わると、目をギラギラさせて、また顔を近づけてくる。
「エレクトロン・ニンジャガール。自分がどれだけの可能性を持っているか、理解していないのかい。少しはオーメンとしての自覚を持たないとねぇ」
「なに?」
「きひひ。今、この世界はテクノロジーで管理され、テクノロジーに支配され、テクノロジーに生かされている。だから俺はクラッカーになって世直しをしようとした。でもなぁ。人間には限界があって、俺は俺の非力さにガッカリしていたのさ。そんな時に現れた。世界が注目する新種のコンピューターウイルス、サマエル……いや、異次元生物!」
「私の事を言っているのか?」
今の言葉で私は理解した。このガラスの向こうは琢磨達のいる世界である事を。
「俺はレクスと出会い、あんたという存在を知った。あんたらはオーメンだ! 凄いじゃないかぁ! テクノロジーの中で生きている知的生命体! ワオ! 何それ! 映画かよ!」
「……お前は狂ってる」
「狂ってるのは俺とあんた、どっちかな? ん? 正解はどっちも! ざんねーん! 俺と、俺の作ったアヴァロンが、あんたというオーメンをどれだけ欲していたことか。嬉しすぎて涙が出そうだぁ」
こんなふざけた人間、今までに見た事が無い。
バストラはこの状況を完全に楽しんでいて、まるで新しい玩具でも見つけたかの様な無邪気な態度を私に向けて来ている。
私の事を喋る人形か何かだと思っているに違いない。
「付き合いきれない。早くここから出してくれ」
「ノンノンノン! それはできない相談だぁ。なぜかって? だって今からあんたは……俺の駒になってもらうんだからねぇ! きひひひひひ!」
「誰がなるか! いい加減にしろ!」
強い嫌悪感で、私はバストラを睨んだ。
これほど憎たらしく人を見るなんて初めてだ。
だが、この男は何も感じていない様子で、何か薄っぺらい機械を手に持って、その画面を私に見せてきた。
「はい! これは何か分かるかな?」
未知の機械で、よく分からない。ゲームマスターが時折操っているコンソールと似た様な表示がされているのが見える。
だが、私はもうこれ以上、こいつのふざけた質問に答えるつもりもなかった。
「あらら。怒らせちゃったかぁ。これはね……レクスがソースコードを提供してくれたおかげで完成した。そうこれは俺の傑作品! ここをこうやって、こうすると……」
バストラは機械の画面を私に向けながら、指で何やら操作をした。
「―――ッ!!!!!」
激しい電気が身体に繋がったチューブから流されてきた。
それはほんの一瞬だったが、何かの情報が私の脳内を高速で走り抜けていったのが分かる。痛みは無かったが、不快な感覚だけが確かに残っている。
「なに……をした……今、何をした!」
私は怒りの声を上げる。
「きひひひひ。これはね……あんたを改造する装置さぁ。気持ち良かったろ?」
「改造……?」
「んー、リファクタリング……いやぁ違うかぁ。もう少し良い言い回しがあるはずだな。アルゴリズム……データリライト……デリート……オーバーライト……うーん……ああ、ブレインウォッシュ! そう! マインドコントロール!」
嫌な予感しかしない言葉ばかりだ。
「馬鹿な事を! ここから出せ!」
「おやおやおやおや。信じていない。こんな状況になっていてもまだ信じようとしていない。クレイジーだねぇエレクトロン・ニンジャガール」
男が手元の端末で何やら操作を始めると、私の胸元から青い妖精パーラーフェアリーが飛び出してきた。
パーラーフェアリーはその小さな身体で、サイカを助けようと拘束具を必死に外そうとした。
「馬鹿! 今は出てくるな!」
サイカがパーラーフェアリーを言葉で止めようとしたが、時既に遅く、バストラは興味津々と言ったギラついた目を向けて来ていた。
「なんじゃこりゃ。モスキート? フライ? いや、違うなぁ。そうだ! バタフライ!」
そう言いながら、楽しそうにバストラは端末の画面を凝視した後に続けた。
「ゲームのAI……名前は……パーラーフェアリー。なんだ脇役かよ。きひひひ。はぁ、つまらねぇなぁ……はい、デリートォ」
バストラはニヤニヤと笑みを浮かべながら、舌で上唇を舐め、そして何かを実行しようとした。
私はこの時、この男がこれから何をするのか、何となく分かってしまった。だから叫んだ。
「やめろおおおおおおおおお!!!!」
バストラが指で画面を押す。
一瞬、パーラーフェアリーの身体にノイズが走ったと思えば、サイカの目の前でプツンと消滅してしまった。
「ひゃー! これぞオーメン! 最高だ! 快感過ぎる! きひひひひひひ」
「お前! お前えええええええええ!!」
私はもがいた。
手足が千切れるんじゃないかと思うくらい激しく、私はこの目の前の顔に飛び掛かるつもりで。
「いいねぇ! その憎悪の目! 最高だぁ! でもなぁ、まだまだこれから。次はあんたの番だエレクトロン・ニンジャガール」
「ここから出せ! 出せ! 出せええええ!」
「あー、ちょっとうるさいなピューバティガール。俺は興奮状態の奴が一番苦手だ。うーん……そうだ。感情コントロールを試してみよう」
バストラの操作で再び私に電流が走る。
痛みは無い。でも、先ほどまでこの男を殺してやりたいと思っていた感情が、燃え盛っていた心の炎が、水でも掛けられたかの様に収まった。
「あっ……なんだ……これ……」
「きひひ。たまんねぇなぁ。どうだい気分は」
「……不思議な感覚だ」
「脆い生物だよあんたは。所詮、エレクトロン・ニンジャガールは電子の塊。電気信号で動く半生物。あんたらの構造は人間より単純であり、テクノロジーを操る俺の手で如何様にもできちまうのさぁ」
この男、憎たらしい言葉遣いで、不愉快な事を言っているのにどうしてか何も感じない。
バストラは更に端末を操作する。
「ここを、こうすると……」
それに反応して、私にまた不可解な感情が湧きあがってきた。
「ああああ……そんな……こんなこと……」
それは幸福感。
今こうして拘束され、ガラスの中に閉じ込められ、如何わしい事をされている事が嬉しい。
「きひひ。気分はどうだいエレクトロン・ニンジャガール」
「温かい。とても……温かい。私はいったい何をされているんだ。お前は何をしようとしてるんだ」
「エレクトロン・ニンジャガール。あんたは俺の兵器となり手足となるのさぁ」
バストラはまだ操作を加えている。
「お前の兵器か。それも悪くないかもしれないな」
「きひ、うひひひひ。最高だ! これで俺はテクノロジーを制する核弾頭を手に入れたんだ! 手始めにペンタゴンにでも攻撃しちまうかぁ」
両手を上げて喜びを表現しているバストラ。
私はこいつの兵器として、頑張る事に何の疑いも感じられない。でも、その前に……
「なあ、バストラ。お前がマスターと認める。だけど、琢磨に会わせてほしいんだ」
「……あーん? タクマぁ?」
バストラの表情が嫌悪になったのが分かる。
「あ、ああ。私の大事な人なんだ。私の……好きな……」
「大事な人ねぇ……なぁレクスさんよぉ」
と、急に後ろのモニターに映っているレクスへ話しかけるバストラ。
「なんだ」
「エレクトロン・ニンジャガールが、大事な人がいるとか何とかって言ってっけど。なぁに言ってんだ?」
「ああ、元の持ち主の事さ。今はもう……関係無い」
「きひひ。んじゃあ、消しちゃってもいいってことだぁ」
消す? 消すってどう言う事だろうか。
バストラは再び、手に持った端末の操作を始めた。
「メモリーの中身は……これかぁ。うげ、なんだよこれぇ。ゲロ吐きそう」
「消すとは何だ?」
と、私は問う。
「エレクトロン・ニンジャガール。あんたは不要なメモリーが多くて面倒なんだよ」
「そうなのか……」
「例えばこれ」
私の腰に下げてあったキクイチモンジが、浮かび上がって、私の目の前に移動してきた。
「これは私のカタナだ」
「なんて読むんだ? きくいちもんじ? 大事な友人からの贈り物? ハッ、反吐が出る」
「これはミーティアがくれたんだ。私の大事な……」
「いらねぇ」
「あっ……」
キクイチモンジが砕けて消滅した。
そして私に電流が走って、頭の中にあった思い出の一部が抜け落ちた感覚が訪れる。ミーティアの顔が……ボヤけて……霞んで……消えて行く。
「ああ……」
「さてここで検証。エレクトロン・ニンジャガール。あんた、ミーティアって覚えてるか?」
「……ミーティア? なんだそれは。人の名前か?」
「きひひひひひひ! 良いねぇ良いねぇ! エクセレント! この調子でどんどん消していこう! メモリクリア最高!」
分からなかった。
突然、ミーティアなどという知らない名を出して、私の反応を見て、バストラは喜んでくれた。
バストラが喜ぶと、なんだか私も嬉しくなってしまう。
何か変だ……でも、違和感が無い。
「次は、エム……デリート。そしてクロード……デリート。マーベル、ルビー、デリートデリート! ひゃー! めんどくせぇ! 多すぎだぁ!」
私の脳に電流が流れ、私の記憶がどんどん抜け落ちて行くのが分かる。
ぼろぼろ、ぼろぼろと、崩れ落ちて行く。
みんなの顔が、みんなの名前が、蒸発して行く。
「あっ……あっ……あああっ……」
そう、私はずっと1人だったんだ。
ブレイバーとしてずっと1人でバグと戦って……何も救えず、何も守ろうとせず、ただ戦うだけの存在。私はそういう兵器。
心が掃除されて、スッキリしていく。
でも、私が1人でやってこれたのは、私が生まれる事ができたのは、琢磨がいたから。
「見ぃつけたぁ。これだな、タクマのメモリー」
「琢磨……琢磨に会いたいんだ。私は琢磨に……」
「きひひ。タクマともお別れだぁ。エレクトロン・ニンジャガール」
「お別れ……?」
バストラは、再び端末で何か操作をした。
そして私に電流が流れてくる。琢磨との思い出が……落ちて行く。
ダメだ。
これを落としてはダメだ。
「ダメだ。ダメだダメだダメだダメだダメだダメだダメだダメだダメだダメだ!」
琢磨の顔が消えて行く。
「琢磨はダメだ! 琢磨は! 琢磨の事は! 琢磨! 琢磨! たくまぁ!」
私は必死に彼の名を呼んだ。
これが消えたら、私が私で無くなってしまうと、私の本能がそう叫んでいる。
「ワオ! すげぇ! 耐えてる! すげぇなタクマって奴はぁ! ……だけど、残念。サヨナラだぁ」
バストラは大笑いしている。
けらけらと腹を抱えて、楽しそうに私を見ている。
今、私がとても大事な誰かを忘れてしまった事を、この男は笑っているのだ。
誰かの名前も思い出せなくなってしまった私を、こいつは……
幸せ?
違う。
この男が味方?
違う。
この男は、クズだ!
この男は、敵だ!
許せない! 私から全てを奪うこいつを許してはいけない!
そんな考えが芽生えた途端、私の中で、どす黒い何かがうごめいた。
「……殺す」
私は思った事を呟く。
「あーん? なんか言ったかぁエレクトロン・ニンジャガール」
私は自分に言い聞かせる様にして、黒い何かに従って、口を開いた。
「殺す……殺す。殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺スこロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロロロロロロロロ、ロr――――」
―――私の視界が赤に染まり、拘束具から解き放たれた感覚があった。
部屋全体に激しいノイズが走る。
バストラが慌てて端末を操作しようとするが、溢れた情報により操作不能に陥っており、やがて端末が火花を散らした。
「おい、おいおいおいおいおいおい! ワット! なんだよこれ! ふざけんな! レクス! おいレクス!」
バストラが振り返ると、レクスは「くくくくく」と笑っていた。
「……あんたこうなる事を知ってたな!」
「自分で言っていたではないか、支配されていると。籠の中の鳥であると。そして私は王。良い余興だったよバストラくん」
「これが……真のオーメン……」
薄暗い部屋で膨大する闇と、割れるガラスの檻を見て、バストラは生き延びる事を諦めた。
✳︎
アメリカ合衆国バージニア州アーリントン郡。
ここにあるペンタゴンと呼ばれる五角形の世界最大級の敷地面積を持つビルで、最新鋭の設備が整ったサマエル対策室が設立。総勢100名に及ぶ対策チームが、人類にとって未曾有の危機に立ち向かうべく日夜戦っていた。
彼らは兼ねてより『ブレイバーと自称する匿名人物からの情報提供』や『明月朱里の研究成果』を解析。更には今回各所で起きたキャシーバグ出現において、『キャシーバグがあえて残したと思われる痕跡』が狭間への侵攻ルートを開拓することに繋がった。
サイカ強奪事件の裏で、サイカのコピーであるプログラムサイカを送り込む『狭間作戦』が実行されている。
一度目はキャシーバグが東京に出現したと言われる日にプログラムサイカ100体を導入し、狭間の全貌を映像に捉える事に成功。その際、キャシーバグと交戦中の超巨大なバグと対峙し、そしてプログラムサイカは全滅。その結果を受けて、対策チームは遭遇した巨大バグがサマエルの本体であると仮定するに至った。
二度目はその3日後、オリジナルのサイカが強奪されたという知らせが入った日の事。1000体のプログラムサイカと、試作段階であるプログラムアマテラスを導入。かなり健闘したが、最終的には敗北して全滅した。
そして今日。世間は第二次ネットワークショックの話題で持ちきりで、クリスマスイヴとされるこの日に三度目となる狭間作戦が開始されようとしていた。
そしてこの狭間作戦の秘密兵器として待機していた日本人男性が1人、休憩室で椅子に座ってコーヒーを飲んでいる。そこへ金髪ロングで白肌の女性がやって来て、彼に話しかけた。
「ミスターアオバ。出番ですよ」
「はいよ」
男の名は栗部蒼羽。
仕事の都合でイリノイ州シカゴに滞在していた彼は、とある出来事を切っ掛けにネットワークワルプルギス社やアメリカ連邦捜査局に目を付けられた後、紆余曲折あってこの狭間作戦の為に召集された重要人物である。
狭間作戦室に蒼羽がやって来ると、約30名のチームメンバーが最新鋭のパソコンに向かい、プログラムサイカの最終調整に入っていた。
その中でも戦闘機の操縦席を思わせる巨大な装置が一際目立っていて、蒼羽は迷う事なくその席へ近付き腰を下ろす。両手両足がすっぽりと収まりながらも伸ばす事ができるその席は、ちょっとした快適空間にも思えた。
「いいねぇこういうの。エントリープラグっぽいじゃん。目標をセンターに入れてスイッチっと」
蒼羽はそんな独り言を漏らしながら、シミュレーション通りに周囲にあるスイッチやタッチパネルを操作する。
そこへ先ほどの金髪アメリカ人女性がやって来た。
「ミスターアオバ。これは遊びじゃありませんよ。もう少し緊張感を持ちなさい」
「はいはい、わかってるよ。そうだ。オリジナルサイカが強奪されたって聞いたけどそっちは大丈夫なのか?」
「あちらはあちらで対処しています。ただ、もしかしたら狭間に連れて行かれている可能性もあるとのことですので、見かけた場合は第一優先でお願いします」
「はいよ。んで、試作兵器は何処まで使っていいわけ?」
「全部です。今回は出し惜しみ無しでいきましょう」
「了解。今日も可愛いね、ミスクロエ」
蒼羽が口説き文句を言ったが、クロエはそれを無視して席の横にあるパネルを操作。
「制限時間は30分。それ以上はリンクが切れる恐れがありますので、一度帰還するように。ブレイバーブランは貴方よりも約束を守る人なので、大丈夫だと思うけど」
クロエの操作で、蒼羽が座る席が変形を始め、ゆっくりとハッチが閉まっていく。
閉まりかけのハッチの前で顔を出したクロエは、蒼羽に向かって一言。
「ブレイバーのご加護があらんことを」
✳︎
(待たせたな。ブラン)
ネットワーク輸送船の中で、銀色のプロジェクトサイカスーツに身を包んだブランが立っていた。
彼は片手に身の丈よりも大きいプロジェクトサイカランチャーを持ち、レッドアイを光らせて反応する。
「蒼羽。俺はこの時を待っていた。蒼羽と出会い、そしてクロギツネの連中に負けてから今まで、俺はこの日の為に生きてきた。シノビセブンをこんな戦いに巻き込んでしまった連鎖を、この俺が終わらせる」
(なんだよブラン。今日は珍しく熱いじゃねえか。ま、さっさとこんなの終わらせて、またみんなと遊ばないとな)
「そうだな。また皆で、ワールドオブアドベンチャーの首都対抗戦に出よう」
(ははっ。懐かしい名前だ)
そんな会話をしている中、ブランを1人乗せた輸送船と、プログラムサイカ達を乗せた数千の輸送船群がネットワーク世界の大海原を移動していた。
クロエから通信が入る。
『まもなくイントルージョンポイントに入ります。衝撃に備えてください』
ガタンと輸送船が揺れて、激しいノイズが入る。
『……コリジョンインバリッド。ラインクリア。ふう……ミスターアオバ、そしてブレイバーブラン、気分はどうですか』
(平気平気)
「俺の中に蒼羽を感じる。いつも通りだ。問題無い」
『狭間でのブレイバーリンク使用は初の試みです。今は同調を保てていますが……何か異常があれば、即時撤退をして下さい』
そしてブランらを乗せた輸送船が狭間に到達した。
『作戦区域に入りました。サマエルを映像で確認。あれだけのダメージを与えたのに……もう回復しているなんて……』
映像越しで巨大な世界樹を彷彿とさせるサマエルを見て驚いているクロエに、ブランが話しかけた。
「前にも言ったと思うが、バグやブレイバーという存在は、原状回復能力がある。いくらダメージを与えても、間を空けてしまっては意味がない」
『ええ。でも、まさかここまでとは……』
(心配するなよミスクロエ。俺とブランが来たからには、今回で倒してやる)
『ええ。期待してます』
クロエはしばらく間を置いたあと、出撃のシーケンスに入った。
『プログラムサイカセットアップ。固体識別番号登録完了。ピング反応確認。拒絶反応微弱。操作系統良好。ステータスオールチェック……完了。ハッチ開放。プログラムサイカ出撃開始』
狭間に浮かぶ輸送船群のハッチが一斉に開かれ、プログラムサイカ達が次々と降下を開始。その数は1万体。少し遅れて、ブランが乗る輸送船のハッチも開いた。
『ブレイバーリンク感度良好。同調問題無し。ブレイバーブラン、出撃して下さい』
(行くぜブラン!)
「おう!」
ブランも降下を開始。
背中の翼を広げてブースターから火を吹かせ、最初からフルスロットルで移動を開始した。
全長500メートルあろうかという、もはや巨大な壁にも思えるサマエル。その身体から、無数の手が伸び、更には大小様々なバグが湧き出る様に現れる。
すぐにプログラムサイカ群とバグ群が衝突し、大規模な空中戦が始まった。
ブランはサマエルの正面まで移動すると、空中で手に持ったプロジェクトサイカランチャーのチャージを開始。
(挨拶してやれ!)
「こんにちは!」
と、ブランのランチャーから高出力の特大ビームが発射された。
そのビームは、事前に察知していたプログラムサイカ達が左右に分かれて避け、数十体のバグは巻き込まれて破壊され、そしてサマエルの身体を下から縦一直線に頭部に向かっていく。
継続的に放たれるそのビームは、じりじりとサマエルに傷跡を残しながら上昇。
やがてランチャーの出力が終わった。が、サマエルは健在しており、戦況を一変させたとは言い難い状況だった。
(デカすぎだろ)
「接近戦をする」
ブランはプロジェクトサイカランチャーを手放し、片手に巨大な大剣であるノリムネMkⅡを召還。そして再びフルスロットルで前進を開始した。
行く手を阻むバグの群れをノリムネの餌食としながら、軽快な動きで戦うプログラムサイカの間を抜けていく。
(ブラン! 下だ!)
下から飛び掛ってきた図体の大きいバグを、ブランは素早い反応で斬って返り討ちにする。
「すぐ近くにいる様に見えるが、全然近付いている気がしない」
と、ブラン。
(アレを使おう)
「アレだな。了解した」
ブランは一旦前進を止め、剣を構えた。
(ミスクロエ! イザナギシステムよろしく!)
『オーケー。イザナギシステム起動開始。トランスファープロセス省略。コードネーム……アマテラス、スサノオ、ツクヨミ。セットアップ!』
ブランの身体が眩い光を放ち、そしてブランが分裂したかの様に、3体の戦士が召還された。
日本の三貴神の名が付けられたこの銀色サイボーグ戦士は、最新鋭のAI技術とプロジェクトサイカ装備が装着された次世代プログラムサイカである。サイカが基となっている為、それぞれ女性の様なフォルムをしているが、他のプログラムサイカやスーツを着たブランと比べて明らかに重装備である。
その中のアマテラスは、前回の狭間作戦で初導入され、サマエルを相手に大健闘した実績もある。
(これぞ人類の英知の結晶ってやつだ! 行こう! ブラン! アマテラス! スサノオ! ツクヨミ!)
ブランを先頭に、4体の戦士が高速移動を開始。
それぞれ翼とブースターを器用に操り、アマテラスは両手に持ったランチャー、スサノオは盾と剣、ツクヨミは長い日本刀で、互いに互いをカバーしながら戦い進む。
レベル5と思われるバグが当たり前のように現れてくるが、それをいとも容易く消滅させていく様は、この狭間で敵無しと思わせた。
そしてついに、サマエル本体表面に到着。そこは巨大なサマエルの足元にあたる。
『モムツキル……モムツキル……ンモオアリ……』
意味不明な事をボソボソと呟いているのは、このサマエルであろうか。
「こいつもバグなら、何処かにコアがあるはずだ!」
と、ブランが叫ぶ。
各自散開して、サマエルの表面に攻撃を加えながら螺旋階段を昇るかの如く、周辺を探りつつ上昇。
巨大なドレスの様な形をしているサマエルだが、周囲を旋回して上昇して、人間で言う胸部に当たるところまで差し掛かったところで心臓部と思しき箇所に辿り着いた。
バグの群れの追撃をアマテラス達が対処を行っている中、ブランがその前で止まり注目する。
そこにはコアと言うよりは、人間の心臓の様な、柔らかそうな巨大な袋が剥き出しになっていて脈を打っていた。更にその中心に、上半身が剥き出しになっている褐色肌で銀髪の少女の姿がある。
「ヒト!? いや、ブレイバーか」
(こいつがサマエルの本体か)
「クロギツネが探していた媒界か……」
(やっちまおう)
「……ああ、そうだな」
ブランは剣を構え、その矛先をその少女に向ける。
『待ってください!』
と、クロエからの通信が入った。
(なんだよ。こいつのコアを貫けば終わりだろ)
『照合完了。彼女は日本政府から報告のあったミスアヤノ。バグに魂を抜き取られ、強制的にブレイバーにさせられたとされる女性です』
(つまりどう言う事だ?)
『現在、彼女の身体は病院のベッドで眠ったまま意識が戻っていないとのこと。ここで無下に処分する訳には行きません。まずは救出を試みて』
(この状況で何言ってんだ!)
『ミスターアオバ。これは命令です』
(ちっ)
ブランはゆっくりとアヤノに向かって近付き、彼女に手が届きそうなところまでやって来る。近くで見ると、意識が無く眠っていた。なのでブランは優しく彼女の名を呼ぶ。
「……アヤノ。アヤノ」
声に反応して、アヤノはゆっくりとその瞼を開けた。
「貴方は?」
「俺はブラン。助けに来た」
「私……どうなってるの? ここは何処?」
「話は後だ。そこから引っ張り出す。痛いかもしれないが、我慢してくれ」
ブランはアヤノの肩を掴み、サマエルの心臓部分から引っ張りあげる。
大量の真っ黒な液体と共に彼女の裸体が抜き取られ、そしてアヤノの腰のあたりまで抜けた所でブランは背中のブースターで加速して一気に抜き出した。
救出されたアヤノは、まだ記憶の混乱がある様で、ブランの両腕に抱きかかえられながら何も言葉を発しようとはしなかった。
『オオオオオオオオオオオオオオオオオッッッ!!!!』
と、サマエルから悲痛の叫びが狭間に響く。
そして再びクロエから通信が入る。
『偶発的ではありますが、まずは要人の救助を最優先。ここから離脱しましょう。輸送船まで退避を』
「了解」
アヤノを抱き抱えたブランは翼を大きく広げ、サマエルに背中を向け高速で撤退を開始。スサノオとツクヨミもそれを追いかけ、援護に回った。
『撤退はしますが、タダでは帰りません』
そんな事をクロエが言った矢先、アマテラスは後退間際に両手のランチャーを構え、アヤノが抜き取られ穴の開いた心臓部に向けて高出力のビームを発射した。
サマエルはその直撃を受け、その心臓部が中から破裂。周囲に黒い液体が飛び散り、胸を抉られたサマエルは悶え苦しんでいる様だった。叫び声が超音波の様に、長く広く響いた。
この一連のサマエルの反応はまるで動物。
ブランは何とか無事に最前線を抜け、乗ってきた輸送船群が浮いている所まで戻ってきた。
(それで、その娘は何なんだ?)
「冥魂と呼び、他界の魂と混合したまま召喚される数億人に1人のブレイバー。その目印は右目が赤、左目が青」
(よくわからねぇな。なぜサマエルに吸収されていたんだ?)
「……俺が知っているのは、冥魂は世界と世界を繋ぐ媒界になると言う事だけだ。レクスはバグの父親……サマエルがそれを欲していると言っていた」
(つまりその娘が、こっちにバグが現れた元凶って事か)
「その言い方はやめろ……ん?」
その時だった。
最初に異変に気付いたのはブラン。
輸送船群が浮かんでいる空間の真ん中で、亀裂の様な物が出来ており、辺り一帯がどんよりとした不気味な雰囲気に包まれている。
そして慌てた様子でクロエの通信が入った。
『―――緊急事態発生! 新手のバグが発生! 狭間の外から侵入して来ます! 気を付けてください!』
空間に現れた亀裂からまず出てきたのは黒い手。
まるで中から抉じ開けるかの様に、両手で亀裂を広げて飛び出してきた。
ブランが搭乗する予定だった輸送船の上に着地したソレは、全身を黒い甲冑で包んだ髪の長い女武士にも見える。体格はブランよりも一回り大きく、武器は無し。
そして、禍々しいオーラが漂っている。
(裏ボスの登場ってか)
「あれは……」
謎のバグの真っ赤に光る目と、ブランの目が合った頃、再びクロエからの通信が入った。
『このコード……そんな……まさか……』
(バグなら倒すまでだ! 行くぞブラン!)
『待って下さい!』
(今度は何だよ!)
『照合結果。あれは……オリジナルサイカです!』
(はぁ!? アレの何処が! 俺の知ってるサイカはあんなじゃない!)
『間違いありません! 最優先保護対象です!』
(次から次へと! いったいどうなってんだよ!)
ブランを護る為にスサノオ、ツクヨミ、そして追いついてきたアマテラスが前に出る。
何も言わずにその様子を眺めていた、サイカバグは自身の身体にプロジェクトサイカスーツの一部を召喚。装甲を身に纏い、そして背中に機械の翼が生えた。手にもノリムネ改が現れた。
「バグがプロジェクトサイカスーツを着た!?」
(ちょいちょい! あんなのを捕獲しろって? 冗談だろ)
「来るぞっ!」
サイカバグは輸送船を蹴り、翼を広げてブラン達に向かって飛び掛かって来た。
✳︎
大切な人を失った時、こんなにも思考が停止してしまうなんて知らなかった。
僕にとって祖母の死がそれに値するのかもしれないけど、小さい頃の話だったし、あまり覚えていない。だから経験なんてほとんど無いに等しく、今回、彼女を目の前で影に連れ去られた時は頭が真っ白になった。
これは経験した事があるとか、慣れるとか、そういう問題じゃないのかもしれない。
そして僕は、自分よりももっと技術や才能のある人たちが、僕以上に頑張っている姿を見る度に思ってしまう。自分という人間が如何に無力で、何もできないのかを。その度に胸が痛む。
だってそうじゃないか。奪われた者を探すのに、自分では何もできないなんて、ただ祈る事しか出来ないなんて、虚しいじゃないか。
スペースゲームズ社のビルで会議が行われ、ホワイトハッカーの下村レイや、アメリカ中央情報局のアコル・ウィルソンを始めとする関係各所の話を聞いた。それから数日後、サイカを持っているとされたバストラと呼ばれるブラックハッカーは、自宅で遺体となって発見されたらしい。それはもう見るも無残な姿だったそうだ。
でも、アメリカなんていうあまりに遠い場所で、ハッカーだとかダークウェブだとか、ここ一連の流れは僕に付いていけない話だったし、結局のところほとんど頭の中で冷凍されてしまった様な感覚だ。
サイカが強奪された際の事情聴取をいろんな人からされて、そして数日ぶりに自宅に帰ってきた。サイカについての続報が入るまで自宅待機を言い渡され、それから数日が過ぎた。もう何日経ったのか、何回眠ったのか、よく覚えていない。
ただ苦しい時間だけが流れ、ニュースでは東京に出た怪獣がああだとかこうだとか議論が流れている。怪獣騒動で家族や恋人を亡くした者が新聞やニュースで取り上げられ、一部のオカルト信者がデモ活動なんかも起こしているらしい。
サイカを探しにアメリカにでも行ってやろうと、パスポートの申請もしてみたが受領までは一週間近く掛かることに失望した。周りからも「危険だ」と「連邦捜査局に任せておけ」と止められてしまった。
どうして僕はいつもこうなんだ……
そう言えば、警察の園田真琴さんがこんな事を言っていた。
『あの時ああしてれば助かったんじゃないか、こうしてれば助かったんじゃないか、こんな未来もあったんじゃないかって、そんな風に思う事があります』
今ならその気持ちが、痛い程よく分かる。
木枯らしが吹きつける寒い冬。自宅のベランダから見える景色は、キャシーバグの爪痕だけが残り、人々はもう普段通りの日常に戻ってしまっている。今日はクリスマスイヴという事もあって、賑やかな方だ。
人類の生活を護り、アイドルとして支えにもなっていた彼女が行方不明になってる事など、1人の女性が一連の事件に巻き込まれて病院で眠っている事など……街を歩く彼らは何も知らない。
何も……知らない。
もしこのまま、彼女達がいなくなってしまうという最悪な事態となった場合、どうなってしまうのだろうかと想像する。きっと僕の記憶も色あせて、薄れ、そして何事も無かったかの様に消えて行く未来しか見えない。
人間というのは、そういう生き物なんだ。
それで本当に良いのか?
何か出来る事は無いのか?
もし何も無いというのであれば、こんな時間がずっと続くのであれば、いっその事、このベランダから飛び降りてしまえば楽になれるのかもしれない。そんな事を考えていた時、後ろから声を掛けられた。
「琢磨さん」
千枝の声が聞こえ、彼女は静かに近づいて来て、そして服の裾を掴んできた。
「だ、だめ……だからね。変なこと考えちゃ、だめだからね」
「千枝ちゃん……」
千枝の顔を見てみると、涙をボロボロと流していた。それは感情が何処かへ消えてしまった僕の代わりに泣いてくれてるかの様だった。
「あたしにとってサイカは琢磨さんで、琢磨さんはサイカ。だから、琢磨さんが元気じゃないと……琢磨さんが大丈夫だって信じてないと、本当にダメなんじゃないかって……あたしまで不安になっちゃうから……」
「そうだね……ごめん。心配掛けて」
「サイカはシノビセブンのヒーローで。それ以上にあたしのヒーローなの。根拠はそれだけだけど……あたしも何もできないけど……必ず戻って来てくれるって……信じてるから」
「……ありがとう」
泣いている小さなフードを被った女の子を前に、どうしたら良いのか分からなかった僕はとりあえず頭を撫でてあげることにした。
そこへ今度は朱里がタブレット端末を片手にやって来る。
「お取込み中のところ悪いが……朗報を持ってきたぞ」
朱里がやって来た事で千枝は「あわわわわ」と慌てて、顔を真っ赤にしながら琢磨から離れた。
そして僕は問う。
「もしかして……サイカのこと?」
「もしかしなくても、それ以外の事でわしが朗報なんて言葉を使うわけなかろう。アメリカのペンタゴンから、緊急の知らせが入った。狭間で、サイカと彩乃、両名を発見したとのことだ。生中継の映像もある」
タブレット端末に映像が映っていたので、僕は朱里から奪い取るようにそれを取り、画面に釘付けとなった。
そこにはサイボーグ達が狭間で戦う映像が映されていた。ノイズが多く、途切れ途切れな映像ではあるが、感じからして誰かの視界である事は分かる。
謎のサイボーグが激しく戦っている相手は……黒いプロジェクトサイカスーツを着た、髪の長い真っ黒なバグ。
「サイカ!」
もしかしたらこのスーツがサイカの物であると咄嗟に判断したのかもしれないけど、それよりも先に、直感でこれがサイカだと判断できてしまった。
全然見た事も無い姿をしているけど、これは間違いなくサイカだ。そう思った。
なぜ朱里がこの様な知らせをペンタゴンから受ける立場にあるのか、なぜ彼らは戦っているのか、このサイボーグ達は誰なのか、全く状況が理解できない。でも、サイカがピンチなのだというのも分かる。それに、この映像の視界となっている何かに、抱き抱えられてるアヤノの姿を見えた。
いったい何が起きてるのか、急展開過ぎて頭の理解が追いつかない。
そして、必死にサイカの名を呼びながら画面を見る僕に向かって、朱里は至って冷静にこう言った。
「行くか? 狭間に」
「え?」
まるで狭間に行く手段があるかの様に、朱里が言ってきたので僕は呆気に取られ、そして聞き間違いじゃないかと思った。
でも、朱里に覗き見禁止と言われていた研究室に案内され、僕はそこで『希望』を見た。
部屋の真ん中には大きな魔方陣。
その中心に置かれた部屋の扉と同じくらい大きな石は、手作り感のある歪な長方形。
床に直接描かれた魔法陣は既に発動しているようで、赤く光り、正方形の石も赤く輝いていた。
「これは……?」
と、僕が驚いてる横で、ぴったり付いて来た千枝も開いた口が塞がらないといった様子だ。
朱里が片腕を石の中に入れて、それが何処かに繋がっているのを見せつけながら、
「狭間作戦にも制限時間があるらしくてな。詳しく説明している時間は無い。これは狭間に繋がっている。この先、帰って来れる保証は無い。そこで、琢磨が今ここで決断するべきは、行くか行かないか……だ」
と、言い放ってきた。
僕は心臓の鼓動が早くなった気がした。正直言って頭の中が痺れて、目の前の現実が受け入れられない。
気付けば全身が震えていて、大量の冷や汗で服が濡れている。そんな僕が手に持ったままのタブレット端末では、激しい戦いが映されていて、先ほどよりもノイズが激しくなっている。
「琢磨さん!」
と、千枝に呼ばれて振り向けば、真剣な眼差しを僕に向けて来ていた。
先ほどまで泣いていたのが嘘みたいに、千枝はその態度で、未知に怯える気持ちに喝を入れてくれた気がした。それだけ強い眼差しを、彼女は僕に向けてくれた。
「さぁどうするんだ」
と、朱里。
どうするかなんて決まっている。
「行くよ。僕は行く」
僕は覚悟を決めて、力強くそう答えた。
それを聞いた朱里は安堵の笑みを浮かべる。
「なら、今すぐ行って来い。帰りの切符は現地調達でな」
そして僕は震えの止まらない脚を前に動かし、赤く輝く石に向かって歩みを進める。
今から僕は未知の世界へ会いに行く。
僕が彼女達を救ってみせる。
「ヒロインを助けに行く王子様。やっと、物語の主人公らしくなってきたじゃないか」
と、こんな場面でも余裕そうな朱里を横目に、僕は……
魔法陣の横に置かれていた謎の部品に躓いてしまい……
「わっ!? っと、っと、わあーーーーーっ!!!」
何とか態勢を立て直そうとしたが間に合わず、転倒して不思議な石の中に飛び込んでしまった。
ここぞって場面で間抜けな姿を見せてしまった事で、見送ってくれた朱里や千枝が驚いた後、少し笑いが生まれた事など、僕は知らない。




