67.無間
サイカ、気分はどう?
「……キャシー。私はどうなったんだ」
今、貴女の魂は私の一部になった。
「なぜそんなことをするんだ」
どうしてかしらね。
貴女が見た事が無い世界を、貴女に見せてあげようかと思ったのよ。
「見せる? 真っ暗で何も見えない」
それは貴女が見ようとしていないから。
見ようと思わなければ、目の前の事だって見えないものよ。
「……見えた……ん? なんだこの街は?」
ここは東京。
「東京って確か……」
貴女達ブレイバーの夢主がいる世界の一部。
今、サイカが見ているのは私の視界よ。
「待ってくれ。なぜここが東京だと知っている?」
ふふ。私も東京にいた事があるのよ。
もうブレイバーの実験施設であった事や、狭間の事は聞いてるわね?
私は永遠に近い次元を彷徨い、そしてこの地球で生を得た事があるの。何度もね。
その度に時代が違って、その度に様々な人間と出会った。
その度に幸せだった時もあれば、不幸せだった時もある。
「信じられない」
見てご覧なさい。
こんな巨大な建物や機械に囲まれた、こんなちっぽけな人間達が、ブレイバーを創り出したのよ。
見てご覧なさい。
ブレイバーの苦労など、ブレイバーの命など、間抜け面した彼らは微塵も考えていない。無知な人間を。
「何をするつもりだ」
破壊する。
「なぜ破壊する」
それが唯一の救済だからよ。さあ始めるわ。
「やめろ! 彼らだって人間なんだろ! これの何処が救済なんだ!」
傷痕と言うのは、それだけで存在の証拠となる。
忘れぬ記憶は繋ぎとなる。
「やめろ! やめろと言ってるのが聞こえないのか!」
もう止められないわ。
「みんな逃げてくれ!」
無駄よ。
「酷い……キャシー! こんな事を私に見せて何になるっていうんだ!」
貴女がこれから経験する事に比べたら、生温いわよ。
ああ、面白い奴を見つけたわ。
「あれは……シュレンダー博士と……オリガミの……」
せっかくだから、挨拶でもしておきましょうか。
「ダメだ! 2人ともそこから逃げてくれ!」
『それ以上は不要じゃ、キャシー』
―――ッ!!!!
「なんだ!? 今の声……何処かで……」
ほんと、いつもいつも突然現れて邪魔をしてくれるわね……
「視界が暗く……キャシー、いったい何が起きたんだ」
まあいいわ。次に行きましょう。
付き合って貰うわよサイカ。
「次?」
✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎
サイカ。貴女は狭間や別世界の存在が、単なる並行世界か何かと思っているかもしれないけど、そうではないわ。
「……ここは……エルドラドの王都?」
貴女は守りたいものがあると言ったけど、何を守りたいのかしら?
人間? ブレイバー? 夢世界? それとも……貴女の夢主?
「みんな……シッコク! もう戦わないでくれ! そんなボロボロな身体で! もうやめてくれ!」
創造されたブレイバーが、この世界に兵器として君臨した時から全ての次元が狂ってる。
私達がいくら足掻いても、バグは止まらないわよ。
「ミーティア! 私なんかいい! ルビーを連れてそこから逃げてくれ! ミーティア! ああ……」
さあ、見てご覧なさい。
生命がどんなに儚い存在か。その脆さと弱さを実感しなさい。
「……もう……やめてくれ……もうやめてくれキャシー……なんでこんな……こんな事!」
あら、泣いてるの?
「当たり前だ」
そう。さて、この世界もここまでの様ね。
「あれは……ケリドウェン? どうしてここに……それにミラジスタのみんなも……エンキドまで!」
ちっぽけな儚い存在であっても、集まればこんな大きな存在となる。
面白い。面白いわ。
「みんな……」
さあ、次に行くわよ。
「…………」
✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎
さて、そこで私とサイカを見てる貴方。
貴方よ。貴方以外に誰がいると言うの?
私が気付いていないとでも思っているのかしら。
こんな状況になっても傍観を続けているなんて、良い身分よね。
まあいいわ。
私はこの後、ブレイバー達の夢世界を回り、破壊の限りを尽くし暴れまわったわ。
何処に行っても邪魔が入ったのは、嬉しい誤算。
そして夢世界でのシノビセブンの登場が、サイカにとっても衝撃だった様ね。
「あれは……私か?」
シノビセブンの一員として現れたのは、紛れもないサイカ本人よ。驚いたかしら?
今から貴女は、自身に倒されると言う不思議な体験をする事になるわね。
いったいどうなってるのかって?
それは自分という存在が、1つしかないと思い込んでいるから起きる疑問よ。
もう一度、世界の有り様について考えてみる事を勧めるわ。
サイカ。急に静かになってしまったけど、どうしたの?
「私は……私たちは……いったい何なんだ。何を相手に戦っているんだ」
敵は……神。
何度も言うけど、狭間で肥大化したヤツを倒さなければ、私達の様な存在はいつか滅びる運命。
だから貴女には期待しているのよ。
ワタアメはそうではなかったようだけどね。
「……私は……」
……ジッ、ジジッ、ジジジジジジ……
さて、本命の登場ね。
「本命? これだけ暴れまわって、まだ何かあるって言うのか!?」
これだけ暴れまわったから、呼び出されるの。
✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎
「ここは……?」
どうやらここが今の狭間の様ね。
「ここが? 前に来た時とは全然違うじゃないか! それに、こいつも……」
サイカ。貴女はここまでよ。
「え?」
レクスが来る前に、貴女を切り離す。
ここからは私の戦いよ。
「キャシー、まさかこの為に……あの大きなヤツの中にアヤノがいるんだろう!? なら私も!」
言ったでしょう。
今の貴女では力不足。
あとは任せたわよ……管理者。
「おっと、なんだ気付いていたのかい?」
「お前は……」
「やあ、また会ったねサイカ。待っていたよ」
サイカ。これから貴女には更なる試練が訪れるわ。
まずは私を倒す事で、因果律を保ちなさい。
それと、貴方にも迷惑を掛けたわね。
突然の事で驚いたでしょうけど、これはこれで必要な事だったの。
でもここまでよ。
御機嫌よう。さようなら。
✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎
複数のネットワークで同時出現したバグは猛威を振るっていた。
現実世界でもシステムトラブルが相次ぎ、ネットゲームの世界においても前回同様に逃げ遅れたプレイヤーキャラが取り残され、襲われるといった事態が起きていた。
今回現れたバグは、サイカの証言が基となり『キャシーバグ』と名付けられる事となる。
プロジェクトサイカの軍勢がキャシーバグに苦戦を強いられる中、プロジェクトサイカスーツを装着したサイカ率いるチームが出撃の準備を整えていた。
明月琢磨がサイカに話し掛ける。
(準備はいい?)
「ああ」
(……向こうで何かあった?)
少し強張った様子を見せるサイカを気に掛ける琢磨。
「色々あったけど、まずは、キャシーバグを倒すのが先」
(……そうだね)
ネットワークを移動する輸送船。揺れる鉄箱の中にいるサイカの後ろには、アマツカミ、オリガミ、カゲロウ、ハンゾウ、ミケ、そしてエンキドも並んでいる。それぞれの目の前の床にはハッチが設けられており、出撃の合図が出ればここが開くと言う仕組みだ。
イグディノムバグ以来とも言えるネットワークショックと、それに対抗する実戦投入を前に、緊張したオリガミが言った。
「うう、お腹痛くなってきた。今回も大丈夫だよね? みんないるんだし、絶対倒せるよね?」
するとアマツカミが答えた。
「無駄口を叩くな」
「えー、だってぇ……」
今度はミケが声を上げる。
「オリガミ。江東区に化け物出たって騒ぎになってるけど、そっちは大丈夫だったの?」
「あ、うん、なんとか」
(千枝ちゃんも怖い目にあったんだってね。無事で良かったよ)
「い、いえ! このくらい全然平気でしゅ!」
突然、琢磨に話しかけられた事で慌てたオリガミが言葉を噛んだ事で、周囲が少し和やかなムードとなった。
今度はハンゾウ。
「こうやって全員で一緒に戦うってのも久しぶりだな。前回の首都対抗戦以来か」
ミケが続く。
「ブランは別行動してるって聞いたけど、なにやってんのよあいつ」
「さあな。ウイルスの大元を叩く作戦とやらがあるらしいが……エンキドさんは何か知らないか」
と、カゲロウ。
「ふむ……俺もそれは初耳だ。そもそも、そのブランという奴を一度も見た事ないしな」
そうやってそれぞれが会話を進める中、ゲームマスター19号からの通信が入った。
『ラグナレクオンラインの世界に到着しました。計5つあるサーバーの内、4つのキャシーバグを撃退しましたが、共通サーバーのキャシーバグに対してプログラムサイカが全滅。取り残され、サーバーに閉じ込められたプレイヤーは、キャラクターを放棄させ、リアルユーザーの避難誘導が完了したところです』
19号が説明をしている最中、床のハッチがゆっくりと開き、ワールドオブアドベンチャーのリアルな世界とはまた違った3Dの世界が見える。
(いよいよだ。気を付けてサイカ。みんなも)
琢磨による激励の言葉に全員が頷いた。
『コネクションセット。ラインクリア。スピードオーケー。コリジョンインバリッド。システムチェック……オールグリーン! プロジェクトサイカチーム、出撃して下さい!』
全員、一斉に開いたハッチから飛び降り、落下を開始。
キャラクターグラフィックが2Dに変換されながら、彼らはプロジェクトサイカウィングを広げ、背中のブースターを吹かせていく。そして七色の戦士達が散開した。
地上で光線を撒き散らせているキャシーバグを目視で捉えると、アマツカミとミケが新装備であるプロジェクトサイカライフルを両手に持ち、それを発射。
そのビームが直撃する頃には、オリガミの《百華手裏剣》とカゲロウの《大車輪》が炸裂しており、巨大な手裏剣と無数の小さな手裏剣がキャシーバグを襲っていた。
そしてハンゾウがノリムネ改の強烈な斬撃を浴びせ、続いてサイカとエンキドが見事な連携でキャシーバグを斬り刻む。
サイカは知っている。
このキャシーバグの中に、サイカがいる事を。
サイカは見た事がある。
プロジェクトサイカチームの登場により、成す術なく倒されるキャシーバグの未来を。
連携攻撃の数々に、怯むキャシーバグは刃物となっている手を振り回し、口から適当に光線を振り撒いてきた。
「おっと危ねぇ!」
と、ハンゾウが光線を回避。
そして金色ボディを輝かせたエンキドが、持ち前の多彩な武器の切り替えでキャシーバグの刃を捌いて魅せ、何度か曲芸をした後に巨大な新装備ノリムネMkⅡをキャシーバグの顔に突き刺す。
「今だ! サイカ!」
エンキドがそう叫ぶと、キャシーバグの胸元まで潜り込んでいたサイカがノリムネ改のブースターを発動させながら、《一閃》で大きく斬った。
コアごと胴体を両断されたキャシーバグは、そのまま静かに消滅。
「すごっ……」
と、エンキドやサイカの卓越した動きに思わず声が出てしまったのはオリガミ。
消滅して行くキャシーバグを見ながら、エンキドがサイカの横まで移動して声を掛ける。
「前よりも腕を上げたな」
「…………」
物思いに消え行くバグを見つめ、言葉を発しないサイカ。
「……どうした?」
「いや、なんでもない。戻ろう」
サイカがそう言って、先に輸送船の方へ飛んで行ってしまったので、他のメンバーもそれに続いた。
プロジェクトサイカチームが輸送船で運ばれ、再び次のネットゲームの世界へと移動する。彼らが訪れるゲームは、サイカにとっても所縁あるタイトルの数々だった。
バトルグラウンド2。
ファンタジースター。
ハンターストーリー。
ワンダフルベースボール2032。
アーマーギルティⅤ。
パスチャーライフ。
ディノザオリアーオンライン。
プリンセステニス。
ゾルダートエックス。
そしてネバーレジェンド。
行く先々で、キャシーバグを倒し次のゲームへと移動する。
段々と全員がプロジェクトサイカスーツや、新しい装備の扱いにも慣れていった。
そんな彼らを乗せた輸送船が最後にやって来たのは……
『次はワールドオブアドベンチャーです』
19号の説明に、騒然となる一同。
『50個あるサーバー全てにキャシーバグが出現。ゲームマスターチームとプログラムサイカによってほとんどのバグが処理されましたが……1つだけ……』
「サクア島が苦戦している」
とサイカ。
『え? ええ。そうです。バルブ社が運営している九州エリア、サクア島のゲームマスターチームが苦戦しており、我々に応援要請が来ています』
「と言うのは表向きの理由。実際はPR目的で、全世界生中継がされてる。カメラも沢山あるはずだ」
『ちょ……え? サイカさん、どうしてそれを?』
「……なんとなく」
『なんとなくって……とにかく、次でとりあえずは最後の予定です。気を引き締めてください』
俯くサイカを見て、琢磨が再び声を掛ける。
(どうしたの? 何かあった?)
「……なんでもない。私は大丈夫」
(サイカ。隠し事は無しにしてくれ)
「琢磨……」
サイカは徐に可動式のフェイスパーツを開けて素顔を出し、琢磨の顔が映るウインドウをしばし見つめた。
彼の真剣な眼差しに、少し塞ぎ込んでいたサイカの心が打たれ、さわやかな風に吹かれているような感じがした。本気でサイカを心配してくれている事が、ネットワークの電気信号を通しても尚伝わってくる。
「……あとで話す」
(やっぱり何かあったのか……)
「ごめん」
(謝らなくていいよ。今は、目の前の敵に集中しよう)
「ああ。そうだな……」
――敵……敵か……本当に彼女は敵なのだろうか。
『ポイントに到着。コネクションセット。ラインクリア。スピードオーケー。コリジョンインバリッド。システムチェック……オールグリーン! プロジェクトサイカチーム、出撃準備! カウント、3、2、1……ハッチ開放! どうぞ!』
再びハッチが開放され、プロジェクトサイカチームの面々が飛び降りていく。
「行ってくる」
と、サイカがフェイスパーツを閉じた。
(応援してる)
サイカはフェイスパーツの後ろで人知れず寂しい唇に暖かな笑いの影を浮かべ、そして他のメンバーを追う様に飛び降りた。
そこは、慣れ親しんだワールドオブアドベンチャーの世界でありながらサイカの知らない世界。
サクア島と呼ばれる場所で、海の都とも呼ばれる首都アジェスがある。アジェスは島から沖合いに向かって大きくはみ出て広がっており、空から見ると変わった形をした島だ。
そんな広大な海に囲まれた島の海岸沿い、首都アジェスのすぐ横に位置する海にキャシーバグが出現していた。
下半身が海に浸かっている状態で、光線を放ち破壊活動を続けている。
数十名のゲームマスターが包囲して戦闘を続けている所は、サイカが言っていた通り多くのカメラが撮影をしていて世界中の動画配信サイトで生中継されているのは異様な光景だった。
そこへ突如として空に現れた謎の輸送船。
そこから七色カラーのサイボーグ忍者達が現れ、翼を広げて空を高速で駆ける。
映画のワンシーンを見てる様な錯覚に陥っている動画サイトの視聴者達。彼らが入力した大量のコメントが、邪魔にならない程度でグラフィカルに空に浮かびあがり、サイカ達の視界からも確認できた。
【うお! ここでシノビセブンの登場かよ!】【キターーーーー!】【サイカちゃーん!】【なんだ台本かよ】【きたきたきたきた】【これで勝つる!!!】【かっけぇ】【サイカどれ?】【うおおおおおお!!】【エンキド様もいるとか胸熱】【いっけええええええ!】【ゲームマスターの小物感w】【いえーい!】【やっちゃえ!】【もはや忍者じゃない】【ニンジャナンデー!?】【惚れた】【かっこよすぎやろ】【オリガミちゃんみってるー?】【あれ、いつから俺たち映画見てたっけ】【もう分かんねぇなこれ】【サイカ! サイカ! サイカ!】【シノビセブンって何?】【なんか新装備持ってるね】【うひょー!】【勝ったな】【勝ち確キタコレ】【頼むから忍んでくれ】【敵がかわいそw】
等と、多種多様なコメントが表示され、外国語のコメントも垣間見える。
「うっわなにこれ。すごいコメント」
と、オリガミ。
「決め台詞でも考えておけばよかったな」
と、カゲロウ。
プロジェクトサイカチームはあっと言う間にキャシーバグへと詰め寄ると、海の上でゲームマスターの支援を受けながら戦闘を開始。
もはやキャシーバグは案山子同然と言った状況に陥り、数による一方的な攻撃でキャシーバグを痛めつける。
キャシーバグが放つ光線が虚しく空へ消えていくと、エンキドの乱舞とオリガミの手裏剣が容赦なく披露される。そこへハンゾウが腕を斬り落とし、アマツカミとミケが放った光線がキャシーバグの身体を貫く。
「サイカ! やれ!」
と、エンキドが叫ぶ。
サイカはスキル《分身の術》を使用して4人に分裂。4人のサイカがキャシーバグを囲み、それぞれが空中で抜刀の構え。
1人目のサイカが《一閃》を放ち、続いて2人目も《一閃》、更に3人目も《一閃》、4人目も《一閃》と言う《一閃》の連続発動が行われた。
ノリムネ改の驚異的な破壊力もあって、キャシーバグは成す術なく崩れ落ち、コアも四等分されていた。
そしてキャシーバグは消滅。
1人に戻ったサイカは、消え行くキャシーバグをじっと見届けている中、周囲では歓喜の声が上がっていた。
喜ぶゲームマスターに釣られる様に、プロジェクトサイカチームも互いの健闘を称え合っていて、オリガミとミケは抱き合っていた。カゲロウとハンゾウはカメラに向かって手を振って、エンキドは決めポーズでファンサービス。アマツカミはそんな彼らの様子を見て、呆れたという風に肩をすぼめる。
【うおおおおお!】【サイカやべぇ】【さすがっす】【知ってた】【ですよねw】【映画化決定!!】【戦隊物なら敵復活フラグ】【呆気無さすぎな】【サイカ1人で良かったんじゃ…】【何気にエンキド様の攻撃も凄かった】【ウイルス雑魚すぎひん?】【ゲームマスター何もやってねぇw】【フィギュア完売待った無し】【シノビセブンのアクションゲーム販売はよ】【ウイルスざっこw】【サイカの分身卑怯すぎ】
キャシーバグが消えたあとの景色は、美しい海が残っていた。
光り輝くエメラルド色の海。海は遠浅なので潮の干満によってエメラルドグリーンの色も刻一刻と変わり、太陽光の反射が眩しく、まるで天国のような絶景。
サイカはそんな美しい海に、勝利の余韻など忘れて見惚れてしまっていた。心が洗われる気分になっていた。
(おつかれ)
琢磨の声が聞こえ、目の前に浮かんだウインドウに彼の顔が映される。
彼もまた、とても穏やかな表情だった。
「終わった」
(うん)
「少し疲れた」
(ゆっくり休みなよ)
「……琢磨と一緒がいい」
(分かった)
「……ずっと一緒にいてくれる?」
(ああ)
今の琢磨ならどんな我侭を言っても聞き入れて貰えるんじゃないかと、サイカは思った。
「……琢磨」
(ん?)
「この景色、琢磨と一緒に見に来たい」
(サクア島の? 今見てるじゃないか)
「ううん。ゲームマスターに転送して貰うでもなく、空を飛ぶでもなく、ゼネティアから出発して、自分の足で琢磨と一緒に、この場所に来てみたい。ダメか?」
(……長い旅になるよ?)
「それがいい」
(分かった。あとでシノビセブンのみんなに話してみよう)
「あと、ミーティアも」
(分かった)
「ありがとう」
すると、いつの間にか上空で集合していたプロジェクトサイカチームのメンバー達がいて、
「サイカーーーーー!!!」
と、オリガミが手を振って呼んでいるのが見えた。
(帰ろう。ネットステーションに)
「そうだな」
サイカは飛び上がり、サクア島のゲームマスター達の声援を受けながら、仲間達と共に空で待機している輸送船へと戻っていった。
✳︎
ワールドオブアドベンチャーのサクア島で倒されたキャシーバグは、インターネットワーク上で最後のバグだった。
第二次ネットワークショックは、前回ほどの被害には至らず、プロジェクトサイカの働きを大きく世に示す結果となる。完全撃退まで掛かった時間は、僅か3時間だったと言う。
そして東京に現れたキャシーバグは日本に大きな爪痕を残し、一般人の撮影や街の定点カメラ、警察によるドローン撮影によってその存在は明るみとなった。
テレビやネットニュースでは、宇宙からの侵略者説やゴジラが出現した説、アメリカが秘密裏に開発していた兵器の実験が行われた説など、様々な憶測が世間を賑わす事となる。
また、日本生まれであるプロジェクトサイカチームの活躍も、テレビニュースで世界的に取り上げられ、AIの侵略を防ぐ英雄達として名を轟かせた。
そんな中、日本の国防省はアメリカ中央情報局と連携して秘密裏に別作戦を展開していることは、琢磨とサイカは知る由も無かった。
✳︎
「キミは最初に始めたゲームの名前を覚えているかい?」
危機が去り、交通網が回復した真夜中の首都高を走るタクシーの中。
後部座席で、窓の外に流れる東京の夜景を眺めている琢磨に向かって、隣に座る高枝左之助がそんな事を質問してきた。
「ゲームですか……そうですね、あれは確かスマホのパズルゲームでした」
「そうか、キミぐらいの年齢だと、もうその世代なんだな」
「高枝さんは何ですか?」
僕が質問すると、左之助は少し笑った様に見えた。
「モンハンだ。ピーエスピーの」
「ピーエスピーって確か、携帯ゲーム機……でしたっけ」
「そうだな。当時は高校1年生だった。学校帰りに男友達の家に集まって、いつもワイワイ楽しんでたよ」
「そんな時代から通信プレイが盛んだったんですね」
「当時はスマホもまだ発展途上で、ソーシャルゲームなんて言われるゲームもまだ流行って無かった時代だったさ」
「たぶん僕はまだ小学1年生ですね」
「それを言われると、私は少しショックだよ」
「すみません」
そこからしばらくの沈黙が訪れ、流れる首都高からの東京の夜景を2人はそれぞれ窓越しに眺めた。綺麗に並んだ道路脇の外灯、通り過ぎる走行車のヘッドライトとテールライト。時刻は0時を過ぎた真夜中ではあるが、静まり返った東京の灯はとても綺麗だと感じた。
琢磨は何か話を続けた方が良いのではないかと、隣の男に掛ける言葉を考え始めた頃、左之助はまたゲームの話を始めた。
「私も少し考えた事がある」
「なにをですか?」
「もし自分がゲームを止めた時、使っていたキャラクターはどうなってしまうんだろうってね。3Dモデルにプログラムで動くだけのゲームのデータでしか無い訳だから、どうなるなんて事は無いのは分かっている。それでももし、異次元で生きていたら、私が遊ばなくなった事を悲しんでいないだろうか……なんて、非現実的な考えだ」
「高枝さんがそんな事を? 意外ですね。でも、僕はサイカと出会っているので、その気持ちも今なら分かります」
「ははっ。本当にキミはサイカに選ばれるべくして選ばれたんだな」
「そう……なんですかね」
「私も若い頃は本当に色んなゲームで遊んだが、そのゲームのキャラクター達を知らず知らずに見捨ててしまっていた。その罪が、バグという存在を生んだのだとしたら、その尻拭いはブレイバーばかりにさせる訳にもいかない」
「ですね」
再びしばしの沈黙。
しばらくして琢磨は口を開いた。
「ログアウトブレイバーズって知ってますか?」
「ギルドの名前か?」
「行方不明のワタアメさんが作ったギルドの名前です。サイカが言うには、何か目的があってそういう組織を異世界でもゲーム世界でも作っていたみたいで。なぜそんな組織を作ったのかは知る術が無い状況なんですけど、でもいつか、再びワタアメさんに会う事が出来たなら聞いてみようと、思ってます」
「ワタアメか……私も聞きたい事は山ほどあるさ」
「ですよね。飯村さんが向こうに連れ去られたままだし、僕達の戦いはまだ終わってないと思います」
「そうだな。まだまだこれからだ」
その時、左之助はスマホの画面を見て何かを考えてる様だった。何処か悲しそうな表情で、着信履歴を眺めている。
「どうしたんですか?」
「いや……なんでもない」
と、左之助はスマホ端末をポケットにしまった。
真夜中の首都高、2人を後部座席に乗せたタクシーは目的地に向かって走り続ける。
琢磨が帰宅すると、明月朱里は腹が減ったと喚き、増田千枝は泣きながら抱きついて来た。
スマホの電波が回復すると、色んな人から電話が掛かってきて、「大丈夫か」「無事か」と心配している声を聞かせてくれた。
それの対応で、琢磨は気を休める暇もないほどすることが山済みであり、ゆっくり風呂に浸かる事もままならない。
一連の騒動のせいで品数の少ないコンビニから朱里の為に弁当を買って来て、千枝が食べ散らかしたお菓子の山を片付けて、部屋の掃除を一通り済ませてから顔を洗い、琢磨はパソコンルームへと足を運ぶ。
オリガミでログインしたままのパソコンの横で、先ほどまで朱里が使っていたパソコンデスクへ座り、ワールドオブアドベンチャーを起動。
IDとパスワードを入力して、サイカでログインした。
朱里や千枝も気になったのか、遅れてパソコンルームへと入って来る。
✳︎
サイカはキャシーバグとの戦いが終わって一度ログアウトしたが、異世界で目覚める事は無かった。
次に気がついた時は、ネットワークステーションの中で、ドーム型のガラスの向こうは無限に広がる宇宙。
既にエンキドを除くプロジェクトサイカチームの仲間達やゲームマスター19号がそこにいて、プロジェクトスーツ姿ではないいつもの装備で、サイカのログインを暖かく迎えてくれた。
サイカも忍び装束に着替えており、開幕一番にオリガミが抱きついて来るのは慣れた行為である。
「サイカーーーー!!」
「オリガミ」
と、サイカはオリガミをやさしく迎え入れ、しばらくその温もりに心癒される。
そんな2人を見ながら、アマツカミが19号に疑問を投げる。
「今回のウイルス騒動、何かおかしくなかったか?」
話を振られた事を切っ掛けに、19号も考えていた事を述べる。
「ええ。現実世界に出現した……というのも不可解ですが、今回ネットワーク上に出現したバグは全て同一でした。今まで姿形は様々でしたので、今回のケースは初めてです」
それを聞いていたミケが口を挟んだ。
「何となくなんだけど、あのキャシーバグだっけ? 殺意みたいなのが無かった様に感じたわ。上手く言えないんだけど……手応えが無かったと言うか、どうぞ殺してくださいって感じにも見えた」
次にハンゾウ。
「別にどうだっていいんじゃねーの。勝てたんだから、みんなで喜んで終わりでさ」
「ほんと、あんたは楽観的ね」
と、呆れるミケ。
全員がキャシーバグと何度も対峙したことで、そこにある違和感を感じていた。
それは琢磨も同じであり、琢磨はサイカに改めて問いを投げる。
(サイカ、ログインして早々で悪いけど、話してくれないか? 何か知ってるんだよね?)
皆の視線がサイカに集中したので、サイカは頷き、オリガミを「ごめん」と小さく謝りながら引き離すと、真剣な眼差しで言葉を発した。
「信じられないかもしれないけど……話すよ。何が起きたのか。そして、キャシーの事も」
サイカは説明した。
異世界で始まったバグとの大きな戦争の事や、狭間で何かが起きて次元の危機が起きた事、キャシーがそれを救う為にあえて暴れていた事。
そして、キャシーバグの中で一連の出来事を全て見ていたという奇妙な体験も含め、赤裸々に語るサイカだった。
一同にとってはそのサイカの話は衝撃だった。
ネットワークショックとは別に、知らないところで別の危機が起きていた事になる。
「なにそれ……訳分かんない……」
と、オリガミ。
唖然とする彼らだったが、一連の話を聞いていた朱里が琢磨の横から発言した。
(やはり、アレはそういう事だったんだな)
サイカは申し訳なさそうに、目を伏せる。
「すまない。私はキャシーを止める事ができなかった。半分は私の責任でもある」
すると19号が見解を口にした。
「もしかして、政府が秘密裏に行っている狭間作戦とキャシーの行動に何か関係があるのかもしれませんね……」
「狭間作戦?」
と、サイカが食い付く。
「ええ。詳細は不明ですが、国防省がプログラムサイカを使って、大規模な反抗作戦をしていると……」
琢磨が反応した。
(なぜ僕達に内緒なんですか?)
「課長が言うには管轄違いとの事で……私にもサッパリなんです。サイカさん、キャシーバグと同化していた時に、何か見ませんでしたか?」
「いや、私は何も……最後に狭間に行ったとき、すぐそこから管理者の手で追い出されてしまったんだ」
「そうですか……」
サイカの話から始まり、歯切れの悪い事情が浮き彫りとなってしまった。
それにより空気が重たくなってしまったので、オリガミがフォローに入る。
「でもさでもさ! 別にお偉いさん達が何をしてても良いじゃん! こうしてあたし達が無事なんだから!」
「それもそうだな。今夜はパァーっと、WOAでボス狩りにでも行こうぜ!」
とハンゾウも便乗する。
「あんたねぇ。今からボス狩りなんて行ったら朝になっちゃうわよ」
とミケが不満を漏らす。
彼らのやり取りで、笑いが零れ、周囲が和やかなムードとなったのが感じられた。
「よぉーしっ! 今日はオールナイトしよー! 19号さんもぜひプライベートアカウントで来てくださいよ! ほら、サイカも!」
オリガミがワクワクを抑えても抑えても微笑がこみ上げてくると言った様子で、元気な顔をサイカに向けて手を差し伸べてくる。
「琢磨も付き合ってくれるか?」
と、サイカ。
(マジか……ちょっと栄養ドリンク買ってくる)
「もう! サイカは琢磨さんばっかり!」
と、オリガミがわざとらしく頬を膨らませて拗ねる。
その横でアマツカミが提案した。
「琢磨もあのメイゲツってキャラで参加すればいいんじゃないか?」
(あ、なるほど。いいねそれ)
みんなでこれから仲良くWOAで遊ぶという流れが、重苦しい空気を一変させ、賑やかな雰囲気を発生させる。
サイカにとってはとても久しぶりで、懐かしい感覚でもあった。
――またしばらく、いつもの日常に戻れる。琢磨と一緒に過ごせる。サクア島に行くって話は少し後回しにしてもいいかな。
そんな事を考えた矢先だった。
ネットステーションが真っ赤に染まった。
それは先ほどまで宇宙を映していたガラス張りのドームに、危険を知らせる『DANGER』の文字が、赤背景と共に羅列された事による赤色によるものだった。
「なんだ!?」
と、咄嗟にサイカが身構える。
繰り返し鳴り響く不気味なアラーム音。
ゲームマスター19号がすぐにコンソールを操作して、状況を解析する。
「なになになになに!」
と、慌てるオリガミ。
19号はコンソールウインドウに表示された文字列を見て、驚愕した。
「ウイルス検知!?」
19号が放った言葉に、その場にいる全員が武器を手に持った。
(ウイルスって……どう言う事ですか! キャシーバグは全部倒したはずじゃ!)
琢磨も焦った様子で、19号に聞く。
「私にも分かりません! このネットステーションは一番セキュリティが堅い場所なのに……これは……キャシーバグとは別のウイルス反応……既にネットステーションに侵入してきてる! 気をつけて!」
「どうなってんだよ!」
とハンゾウが、怒った様子で周囲を警戒する。
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ。
激しいノイズと共にネットステーション全体が揺れたと思えば、ネットステーションの床がガラスの様に砕け散り、その中からゆっくりと大きな影が浮かび上がってくる。
幽霊の様に実体の無いバグが堂々と現れた。
「お前は……!」
まず最初に恐怖を覚えたのはサイカだった。
「こんな所にいたのか。随分と探したよ。サイカ」
何に例える事も難しいその存在は、レクスだった。
抜刀の構えを取るサイカの手が激しく震える。これは武者震いではなく、かつての仲間が殺された光景が脳裏を過ぎった事による恐怖による震えだ。
まるで恐怖そのものが塊となっているかの様に、サイカは見えた。
響くアラーム音と、重力が増したとも思える重たいプレッシャーを振り撒いている。
「言葉を喋った! なんか変だよ! こいつ今までのバグと何か違う!」
とオリガミが叫んだ。
「でも俺たちが易々と逃げる訳にも行かないだろ! やるぞ!」
と、カゲロウ。
サイカ以外の全員がプロジェクトサイカスーツに換装して、レクスを迎え撃つ為に武器を構えていく。
19号も戦うつもりの様で、武器を手に取っていた。
だが、サイカだけは恐怖で動けず、強い不安の念が拭えずにいた。
「ダメだ! こいつと戦っちゃダメだ!」
必死に大声を出すサイカだったが、皆引き下がるつもりは無く、声は届いていない。
レクスはそんなプロジェクトサイカチームの様子を見て笑っていた。
「ああ、何と素晴らしい! 王であるこの私に挑んでくれるか兄弟達よ! 大事な物を守りたいと思うその気持ちが如何ほどのモノか! 私に見せてくれるか兄弟達よ!」
「何を訳の分からないことを!」
と、19号がプロジェクトサイカライフルを両手に持ってそれを放つ。
続いてオリガミが《百華手裏剣》を放ち、他のメンバー達もノリムネ改を手に持ち一斉に飛び掛った。
レクスの身体はそこに何もないかの様に攻撃がすり抜けてしまい、それに反応するようにレクスは肥大化。
そして鞭にも見える触手を無数に生やしたレクスは、その1本1本を刃に変えて振り回す。
「やめろおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!」
叫ぶサイカが、瞬きをする暇も無く……
無残にも全員砕けていった。
6人のキャラクターが、ガラスの塊だったかの如く、一瞬で砕けて四散した。
そしてレクスはゆっくりとサイカに近づきながら言った。
「愛情。友情。勇気。心地良い響きだ。希望の唄はいつだって目を眩ませる。ああ、なんて無慈悲なんだ。哀しみの旋律が聴こえる。オーメン、オーメン」
たった1人取り残されたサイカは、声に出せない恐怖に震え、身体が石像にでもなってしまったかの様に動かなかった。
「あ……ああああ……」
(琢磨! ログアウトだ! すぐにログアウトしろ!)
と、朱里の叫びが聞こえる。
(サイカ逃げてえええええ!)
と、千枝の叫びが聞こえる。
(だめだ。操作が出来ない! くそっ! サイカ! 逃げろ!)
琢磨が青ざめた顔で焦っている。
しかし、迫る恐怖を前にサイカは動けなかった。
「さあ、私と共においで。サイカ」
「やめ……て……」
レクスはその身体で、サイカを包む。
サイカは闇に呑まれ、そのままレクスは黒い球体とも言える塊になり、入って来た穴から悠々と出て行ってしまった。
(サイカアアアアアアアアアアアアアア!!!!!)
琢磨の叫びはサイカに届く事は無く。
ただ虚しくアラーム音が響くだけの、誰もいなくなったネットステーションがそこにあるのみだった。
✳︎
先ほどまでサイカが映されていたパソコンは電源が落ちてしまった。
笹野栄子からの電話が琢磨のスマホを振動させる中、琢磨はすぐにパソコンを起動させ、ワールドオブアドベンチャーを起動する。
IDとパスワードを入力する琢磨の手は動揺で激しく震えていて、隣から呼びかけてきている朱里や千枝の声は届いていない。
琢磨の思考は定まらず、今自分が何をしているのかも理解できていない。
パスワードを何回か入力ミスで間違えた後、ログインに成功。
ワールドオブアドベンチャーのタイトル画面を通り過ぎ、キャラクターの選択画面まで遷移した。
しかし、そこにサイカというキャラクターの姿は無かった。
「っ……嘘だろ……なんでっ……サイカ……なんだよこれ! ……っ!」
琢磨は苛立ちでキーボードを叩き、そのあと混乱する頭を両手で抱え、泣き崩れた。
彼は自分の人生で、これほどまでに涙を流した事がないのではないかと思えるほど、滝のように目から雫が零れ落ちていく。むせび泣くその涙の粒1つ1つが、サイカへの想いなのだ。
千枝もそのディスプレイ画面を見て青ざめており、
「……こんなのダメだよ……いや……いやいや、いやああああ!」
と泣き叫ぶに至っている。
今、このパソコンルームで冷静なのは朱里だけであり、彼女は2人を慰めるでもなく、琢磨のスマホを取って電話に出た。
相手はゲームマスター19号の中の人、笹野栄子。栄子も大分慌てた様子で状況確認をしてきたが、朱里は落ち着いてゆっくりと報告した。
「もしもし……ああ、わしらは無事だが……残念な知らせがある。サイカが……奪われた」




