66.タ?隍ホスェ、?
ハロウィンの季節が過ぎると霜冷えのする寒い風が吹き募り、夜の街に色取り取りのイルミネーションが輝きを増した。クリスマスや忘年会などの行事も盛んになり、多くの人々が冷たいコンクリートの上を厚着で慌しくも静かに歩いている。
もうすぐ2032年が終わる。そんな季節。
だぼだぼのTシャツにパンツ一丁の姿で白衣を羽織った明月朱里は、暖房の効いた研究室で買い占めた新型CPUイボルブを分解。半導体を包んでいた青い物質を半田ごてで溶かし、液体となったソレを解析していた。
更に液体を型に入れて冷凍で硬め、小さな段ボールにすっぽり入りそうなボックスサイズにした物を机に置く。
そして朱里は大きな画用紙を広げ、赤ペンで魔法陣を描き込む。
油性マジックがキュッキュッと音を奏で、朱里の周囲にシンナーの匂いが漂った。
やがて魔法陣が完成すると、ペンを蓋せずに机の上で転がす。
魔法陣。
こちら側の世界ではオカルトなどと呼ばれ、神秘的で非現実的な絵。
朱里が向こう側の世界で全く同じ魔法陣を描いた時と比べると、このマジックペンで描いた魔法陣は何も起きない。ただの絵であり文字である。
しかし朱里はここからもうひと手間を加えるのだった。
机の上に置いてあったカッターナイフを持ち、カタカタと刃を出して右手の親指を軽く切る。当然ながら赤い血が滲むように出てきたが、それを画用紙に描かれた魔法陣に擦り付けた。
すると、油性マジックで着色されていた魔法陣が輝きを放ち発動する。
それを確認した後、今度は手作りホープストーンに親指を付けながら、それを魔法陣の上に置く。
輝きを放つ魔法陣の上で、ホープストーンも光を放ちながら宙に浮いた。ので、朱里は感動のあまり思わず鳥肌が立ち身震いする。
すぐさま明月琢磨に買って貰ったスマートフォンを白衣のポケットから取り出し、慣れた手つきでカメラを起動。
カシャ、カシャ、とホープストーンが宙に浮いている光景を写真に収めた。
――やはりこれは『あってはいけない物』か。この世界の人類はどうやってこんな物を手に入れたんだ。そして、こんな決定的な瞬間を撮影して誰かに見せても、この時代では合成やら編集やらと疑われて誰も信じないのだろうな。
そんな風に思いながらも、朱里はついつい自身の科学者としての高揚で鼓動が早くなり、全身が熱くなっていた。
スマホを近くのソファに放り投げ、そして右手の人差し指をホープストーンの中にゆっくりと挿入する。ピリッとした静電気と、そこから生き物の生暖かい体内に指を突っ込んだ様な感覚。
それは朱里にとって快感であった。
指をホープストーンの中で動かしたり、出し入れをしながら、左手が自然と自身の股の方に向かってしまう。
「おっと、いかんいかん」
と、パンツの生地に触れたところで我に返る朱里。
朱里はホープストーンから指を抜いて、耐久度を確認する為に魔法陣はそのまま放置。そして席から飛び降り、研究室を出てリビングへと移動した。
「琢磨ー! 腹が減った!」
しかし広いリビングに琢磨の姿は無かった。
「今日は会社か……」
窓の外はすっかり暗く夜になっていて、満月の明かりがベランダを照らしている。相変わらず綺麗に掃除されたリビングは、ゴミひとつ無い状況であり、琢磨の掃除好き具合が窺えた。
電源の点いている薄型インテグラルテレビでは、恋愛ドラマの動画が再生されていて、その目の前のソファに黄色いフード付きパーカーの少女がちょこんと座っている。
増田千枝である。
千枝は琢磨とデートをしてから数日後には家に遊びに来る様になった。それからはまるで通い妻にでもなったかの様に、週の半分は家にやって来ては琢磨と共に過ごしている。こうやって琢磨がいない日でも帰りを待ち、琢磨がいれば何かと理由を付けて傍を離れない。
そんな千枝はチョコレートのお菓子を食べながらテレビに集中している様で、すぐ隣まで朱里が移動してきても無反応だった。ガラステーブルには炭酸ジュースやお菓子の山があり、これをいつも片付けるのが琢磨の日課になりつつある。
「なんでお前がここにいるんだ」
と、呆れた顔で千枝に話しかける朱里。
「琢磨さんの帰宅待ちです。臭いのでシャワー浴びてきてください」
「お前、琢磨とわしとで、随分と態度が違うじゃないかチビッ子」
「そんなことないですよ。それに、朱里さんのほうが身長低いです」
「ぐぬぬ」
悔しさで歯を食いしばった朱里は、テレビに映された映像に目をやる。
顔立ちの良い男が雨の中でヒロインを抱きしめているシーンが、インテグラルテレビの技術によって立体的に見えている。それはまるで手を伸ばせば触れる事ができるのではないかと思えてしまうほどである。
そんな映像に全く興味無い朱里は台所へと移動して、カウンターに置かれているコンビニのサンドイッチを発見した。これを食べろという事なんだろうと判断できる。
まずは飲み物を飲もうと、冷蔵庫を開けて牛乳パックを取り出し、それをお気に入りのマグカップに注ぐ。
そしてサンドイッチとマグカップを両手に持ってテレビの前へと移動して、千枝の横に座った。
すると千枝は明らかに嫌そうな顔をして、
「だから、まずはシャワー浴びて来てください」
と、横に動いて距離を取った。
「エネルギーの方が優先だ」
テレビドラマは主人公とヒロインが抱き合っているところに、別の女性が居合わせ、修羅場へと発展していた。
朱里はそれを見ながらサンドイッチをテーブルに置き、牛乳を口へと運び、それを味わって考察を口にする。
「相変わらずこの世界の牛乳は美味いな。自然なコクと後味に感じる新鮮さと、濃厚かつすっきりとした飲み口。向こうの牛乳とは全然違う。科学が発展するとこうも違うのか……牛の体調管理……エサ……それとも適切な殺菌温度が成せる技か……成分分析の必要があるな」
「うるさい」
ドラマと同じ様に、こちらも修羅場の様な雰囲気であり、嫌悪を見せる千枝に対して朱里も不愉快な気分になった。
現代の生産技術に感心しながら牛乳を飲んだ朱里は、「ふぅ」と満足気にほとんど空になったマグカップをテーブルに置く。そしてふと横にある壁に目をやれば、躍動感あるサイカが映る巨大電子ポスターが目に入った。
「サイカは今戦っているんかね」
そんな朱里の独り言にも思える発言に、千枝が横目で反応する。
「気になるなら、ゲームにログインして聞いてみたらいいんじゃないですか?」
「他人事みたいに言うな。オリガミも向こうでは当事者なんだろ」
「……それをあたしに言う?」
「オリガミの中の人はお前だろ」
「違う! 全然違う! あたしはサイカを傷つけたりなんてしないから!」
「琢磨とサイカがそうであるように、ブレイバーのオリガミだってお前自身の分身でありお前の子供みたいなものだぞ」
「こっちからは……文句言う事も、叱る事もできないんですよ。あとあたしはお前じゃなくて千枝です」
「別に、何か言いたいなら、ゲームにログインして一方的に話せばいいだろ。反応は無くとも、繋がっているぞ。ちゃんとな」
「そんな事……反応が無ければ人形に向かって話す痛い子ちゃんと同じです」
話しながらサンドイッチを袋から取り出して食べる朱里の横で、千枝はやきもきした様子でポテトチップスを貪る。そんな二人の前で、いつの間にかテレビドラマも終わってCMが流れ始めていた。
朱里はサンドイッチを食べ終わり、ガラステーブルの上のお菓子の山に目を向ける。
「チョコくれ」
「嫌です」
しばし会話が途切れたが、もう一度朱里が口を開く。
「出前でも頼むか」
「シャワー浴びてください」
「……そんなに臭うか?」
「臭いです」
「そうか。なるほどな」
ソファに座る二人の小さな女の子は、絶妙な距離感を保ったまま沈黙していて、静かな時間が通り過ぎて行く。
――ブレイバーであれば、原状回復能力で汚れや臭いといったものとは無縁のはず。わしの場合、衣服の再現も無い。一見普通の人間の様だが……怪我の治りは異常に早い。ブレイバーになったと思っていたが、彼らとは少し違う存在になってしまったという事なのか。それとも、この世界でのブレイバーはこうなのか。
先ほどカッターで切った親指の傷がもう完治してしまっている皮膚を見ながら考え込む朱里を置いて、千枝がソファから立ち上がりリビングの出口に向かって歩き出した。
「おい、何処に行くんだ」
「トイレ。お菓子食べないでくださいね」
そう言い残して、千枝は廊下へと出て行ってしまった。
高級な高層マンションであるこの部屋は、外の騒音は一切聞こえず、テレビの音だけが部屋を支配している。
朱里はリラックスした後、思いついた様に千枝が帰ってくる気配があるかどうか確認しつつ、お菓子の山にあるポッキーの箱へと手を伸ばし……
ドクン。
朱里の胸に激しい動悸がした。
それはすぐに尋常では無い痛みへと変わり、
「あっ……ぐっ……」
と、胸を抑えて床に倒れる朱里。
倒れた拍子にテーブルへ衝突した為、マグカップが倒れ、サンドイッチが床に落ちた。
――なん……だ……これは……。
死を悟るほど我慢のできない痛みに、床で悶え苦しむ朱里。
異変に気付いた千枝が慌てて駆け寄って来て、血潮が逆流しているような思いで朱里に声を掛けていた。
「ど、どうしたんですか!? 朱里さん! 朱里さん! そうだ、救急車呼ばないと、でも琢磨さんにも連絡しないと、え、どうすればいいの」
千枝は半泣きで手が震え、テーブルから取ろうとしたスマートフォンを床に落としてしまう。いきなりの出来事に、激しい動揺が隠せておらず、その後も画面操作が上手くできない様子だ。
――息が……できない……たすけ……てっ!
朱里の視界が段々と狭まり、脳裏にスウェンの顔が浮かびあがる。
「ぐっ……ぁぁぁ……」
「朱里さん! しっかりしてください! 朱里さん!」
スピーカーを手で塞いで、少しずつ音量を下げてミュートにしていくかの様に千枝の声が篭って聞こえ、そしてどんどん遠くなっていく。
そして、朱里は気を失った。
※ ✳︎ ✳︎
✳︎ ※
ウ、チ、鬢ホタ、ウヲ、ヌ、筍「サ?エヨ、ャサ゜、゛、テ、ニ、キ、゛、テ、ソ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――………ジッ、ジジッ、ジジジジジジ……ピ――――――――――――――――――――――――――――再……――――――――――――――――――――――――渦―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
✳︎ ✳︎
※
朱里が瞼を開けると、左側にカーペットと床。テーブルやソファの脚も見える。
慌てて起き上がり自身の胸を触って確認したが、先ほどまでの痛みが嘘だったかの様に収まっていた。
「生きてる……?」
と、安堵の息を漏らす朱里。
――今の痛み、そして激しいノイズ。あれはなんだったんだ?
冷静にそんな事を考えながら安心したのも束の間、朱里は異変に気付いてしまった。
まず、先ほどまでリビングに響いていたテレビの音が聞こえない。そして、朱里が倒れた事で慌てふためいていた千枝は……スマートフォンを耳に当てて電話している姿で停止していた。
「は?」
朱里は千枝に近づいて彼女に触れてみると、その表面にノイズが発生。物に触ったという感触や温もりが朱里の皮膚に伝わっては来なかった。
そして、千枝は瞬きおろか息ひとつせず、微動だにしない。
完全に停止しているのである。
テーブルの上で倒れているマグカップも、お菓子の山も、触るとノイズが走る。テレビに映っている映像も当然ながら止まっていて、壁のポスターに映されたサイカも動いていない。
突然訪れた孤独と、音の無い世界を前に、朱里は海の真ん中に放り出されたような呆然とした気持ちになっていた。
――これは……まさかスウェンが言っていた『狭間で起きる改変』が始まったのか!
朱里はテーブルのマグカップを持ち上げようとするが、ピクリとも動かなかったので、嫌な予感が頭を過ぎる事となる。
リビングの扉は幸いにも開けたままだったので廊下に出る事ができたが、肝心の玄関扉は開かなかった。ドアノブを動かす事ができず、朱里が全体重を使って押したり引いたりを試みたが、開ける事は叶わない。なので体当たりをしてみたが、それも無駄に終わってしまった。
――わし以外のありとあらゆる物理法則が止まっている……くそっ、完全に閉じ込められた。
サイカと連絡が取れる可能性のあるパソコン室は扉が閉まっていて開かない。
先ほどまで朱里がいた研究室は僅かに扉を開けたままで、中でホープストーンが輝いているのが見えるが、絶妙な隙間で中に入れそうにない。
結局、この時が止まってしまった世界で朱里に許された行動範囲は廊下とリビングだけである。
なので、朱里は再びリビングに戻り、固まっている千枝の身体を隈なく触って動かないことを確認した後、ベランダに出る大きな窓に向かって体当たり。
しかし何度やっても窓ガラスが割れるなんて事は起きず、ただノイズが衝突に反応して発生するだけであった。
――これが、世界の真実だとでも言うのかスウェン。こんな事が、あっていいのか!
窓越しに見える満月の輝きを見ながら、今起きていることの理由を考え、哀しさが心の底からしみじみ湧き出る朱里。
この世界で生きる人々の事を考えると、やるせない気持ちにさせられる。
――キャシー。サイカ。わしは信じるぞ。このままにはしないと。お前たちが何とかしてくれると。わしは信じるぞ!
物思いに窓の外の景色を見つめる朱里の目に、動きがあった。
外で思わず瞼を閉じてしまうほどの眩い閃光と、雷でも落ちたかの様な轟音。そしてマンションの九階からでも見える、とてつもなく巨大な黒い物体が出現した。
化け猫のような何かが、東京のど真ん中に姿を見せた。
――あれは!?
「アアアアアァァァァァ!」
巨大な化け物は空を見上げ、月に向かって獣の遠吠えにも似た雄叫びを上げた。
その音は空気を震わせ、周囲のあらゆる物にノイズを発生させる。それは段々と激しくなり、停止した東京全体の建物や人物がそのまま消え去ってしまうのではないかと思えるほどだった。
これは東京に限った事ではない。
この東京を中心として、強烈な超音波が海を渡り世界を包み込んでいる。怪物の叫び声に覆われた地球は、星ごとノイズに包まれ、不安定さを出している。
そこまで規模が大きいとは、この時の朱里は思いもしていない。
やがて、まるで停止していた動画の再生ボタンでも押されたかの様に、朱里の周りの物が動き出した。
「もしもし! もしもし!」
と、必死にスマートフォンを片耳に当てて大声を出す千枝の声が聞こえた。
朱里が振り返ると、今正に緊急通報用の電話を掛けて話を始めようとしている千枝の姿があった。
「もしもし! って、あれ? 電話切れてる……しかも圏外っ!? うそ、さっきまで電波立ってたのに……えっと、こういうときどうすれば……うう、助けてお兄ちゃん……」
「おい」
「なんでこんな時に電波立ってないの? そ、そうだ! 隣の部屋の人に助けを呼びにいけば!」
「おい!」
「うるさい! 今それどころじゃ……って、ええええええええっ!?」
何事も無かったかの様に立っている白衣姿の朱里にやっと気付いて、千枝は驚きのあまりスマートフォンを床に落としてしまった。
「え? え? 大丈夫なの?」
「なんとかな。それより、大変な事になっとるぞ」
と、朱里がベランダの方へ目を配る。
千枝が窓の外を見ると、そこには巨大な化け物。
「うそ……なにこれ……」
月明かりの下で、東京というコンクリートの巨大都市に出現した化け猫は、時間が動き出しても尚、その場所にいた。いつの間にか叫ぶ事はやめており、ただ周りを見渡して様子を窺っている。
千枝はなんとなくその風貌や雰囲気に見覚えがあった。
「バグ……?」
「だろうな。わしも向こうの世界で実物を何度か見たことがあるが……これほどまで巨大なやつは見たことがない……」
「これは夢? だって、バグって、仮想世界やネットの新種のウイルスで……ここは現実世界なんだよ。ホログラフィか何か……だよね?」
「それは、どうかな」
その二十階建てのビルに相当する巨大バグは、多くの人間が目撃するに至っていた。
ある者は唖然として見上げ、ある者は警察に電話を掛け、ある者はカメラで写真撮影をして、ある者は腰を抜かしている。
バグが見える者達は、世界的には再びネットワークショックが再来している事に気付く事なく、まるでUFOや隕石が空に見えたかの如くその化け物に注目していた。
千枝にとっても怪獣映画の中に入り込んでしまったのかと錯覚してしまう程の光景だが、ホログラフィの技術が発達した現代であればこの様な映像を見せるのも可能なのかもしれないと思えてしまう。
非現実過ぎて誰もが受け入れられず、そこに恐怖は無かった。
しかし次の瞬間、巨大バグは短く雄叫びをした後、すぐに口から真っ白な光線が放たれる。
その光線は一直線にビルなどの建物を粉々に破壊して、遠くに見える東京スカイツリーに直撃。スカイツリーが半壊して折れると共に、光線が通った場所はガス漏れや火気器具の破損などの影響で爆発が起き、遅れて火災が発生した。
訳も分からず瓦礫の下敷きになってしまった人々は数知れない。
そして東京のシンボルであるタワーを崩壊させたその破壊攻撃は、それを見た人々を凍りつかせ、そして恐怖を一瞬で植えつける事となる。
「なにこれ、なにこれなにこれなにこれ!」
と、取り乱す千枝を見て、朱里は冷静な指示を出す。
「まずは琢磨に連絡を」
「う、うん!」
巨大バグが次々と光線を放ち東京の破壊を進める中、千枝が急いで先ほど床に落としたスマートフォンを拾い画面を見る。が、アンテナマークには圏外表示。
「ダメ! 繋がってない! と、とにかくさ、ここから避難しようよ! あんなのこのビルに撃ち込まれたらやばいって!」
そう言いながら鞄を肩に掛けて避難準備を始める千枝を余所に、朱里は窓を開けてベランダに出ていた。
朱里はこの東京に突如現れた巨大バグに、自身の胸の中にあるコアが共鳴している感覚を感じていて、それが知り合いである気配を感じ取っていた。ベランダに出て外の空気に触れた事で、その感覚が更に強まっている。
「まさか……キャシーなのか?」
「ちょっと! 何やってるの! 逃げなきゃ!」
千枝もベランダに出てきて、朱里の腕を引っ張り連れて行こうとする。
しかし、巨大バグは朱里の存在に気付いたのか、その猫の様な頭を二人に向けて来た。
「ひっ!!」
と、死の予感に凍りつく千枝。
バグの口から二人がいる高層マンションに向けて光線が放たれようとしたその時……
一筋の光が、遥か遠くから放たれ、バグの胸を貫いた。
それは一瞬の出来事で、高速の流れ星の様な何かが巨大バグを攻撃したのだ。
見事にコアが撃ち抜かれ、バグは蒸発する様に消滅していく。
「矢!?」
朱里はその流れ星の正体が、強烈なレーザービームの様な威力を誇る矢である事に気付いた時には、巨大バグは完全に消滅してしまっていた。
目まぐるしく展開された一連の出来事に、驚きで目を白黒させる千枝を横に、朱里はベランダから身を乗り出し今の矢が放たれたと思われる方向を見る。千葉方面、江戸川区の方角ではあるが、かなり遠くからの狙撃だった様で、誰が放ったのか確認する事は出来そうに無い。
そして地上では消防や警察のサイレンの音が鳴り響き、ネットワークトラブルを含むあらゆるトラブルにより大パニックに陥っているのが見える。
一旦はバグによる脅威が去った事を確信した朱里は、
「まずはパソコンだ! サイカを呼ぶぞ! 何かが起きてる!」
と、リビングに戻り、そのままパソコン室に向かう。
「えっ!? ちょ、えっ!? 待ってよ!」
千枝も朱里を追いかけて中へ入る。
この時、東京で起きた巨大バグによる災害は、出現から消滅までの僅か15分ほどで約800人が死亡し、千人以上の負傷者が出る大惨事となった。
更に東京でそんな事が起きた事も知らない人たちが多くいるネットワークの世界でも、第二次ネットワークショックが発生。新種のウイルスが蔓延り、大混乱を招いていた。
対策がまだ出来ていない機械は挙ってシステムダウン。プログラムサイカが導入されている機器は辛うじて損害を受けていない。朱里や千枝がパソコンで調べる限りでは、明らかに前回よりは被害が少ない状況ではある。
しかし、ネットゲームの世界においては、至るところで化け猫の様な大型バグが出現。楽しく遊んでいるプレイヤー達を襲い始めたので、すぐに緊急メンテナンスとしてサーバーを閉鎖するゲームが多くある。
そして満を持して用意されていたプログラムサイカ達が大量導入され、ネット世界では『大戦争』が開幕していた。
閉鎖されたワールドオブアドベンチャーの世界でも各地で猫型巨大バグが複数出現していて、大量生産されたプログラムサイカの大群が取り囲み一斉攻撃を開始。ゲームマスターも次々と出動していた。
朱里がパソコンを起動した事で、すぐにスペースゲームズ社の高枝左之助から通信が入る。
『そっちは無事か?』
朱里が答える。
「見ての通りだ。東京にバグが現れたぞ。大パニックが起きてる」
『ああ、ニュースで見た。しかし今はアレに驚いている暇は無い。ウイルスが……いや、バグが再び大量に現れた』
「分かってる。わしらは何をしたらいい? 琢磨はいまどこだ?」
『明月君ならちょうど会社にいる。別室でサイカのログインを試みているところだ。そこに増田千枝さんはいるか?』
「は、はいいい!」
急に名前を呼ばれて、あたふたする千枝。
『今回の巨大バグは、プログラムサイカでの対処が精一杯で、猫の手も借りたい。シノビセブンにも出動要請を出している。オリガミもそこから行けるな?』
「はい! いけます! たぶん!」
『ネットステーションでゲームマスター19号が待機している。詳しくは彼女から指示を貰ってくれ』
「わかりました! あの、お兄ちゃんとは連絡取れました?」
『安心してくれ。増田雄也君なら先ほど連絡が取れて、先にネットステーションに入っている。ほかのシノビセブンのメンバーも無事だ』
「良かった……すぐログインします!」
千枝はすぐに別のパソコンの電源を点けて席に座った。
そして、朱里は今考えている事を左之助に向かって言う。
「今回の件、今までのウイルストラブルとは少し訳が違うと見ている。落ち着いたらでいい。サイカに向こうで何があったのか、詳しく聞いておけと琢磨に伝えてくれ」
『……承知した。とにかくあんな怪獣映画みたいな出来事があったからには、そっちも用心してくれ。何かあればすぐに避難する様に』
「言われなくたってそうするさ」
朱里と左之助がそんな会話をしている横で、千枝はワールドオブアドベンチャーを起動。IDとパスワードの入力が終わり、ログインボタンを押していた。画面にはネットステーションが映され、周りにはサイカやブランを除くシノビセブンの仲間達が集結している光景があった。
✳︎
エルドラド王国、グランドール平野。
シッコク達が気付いた時には、そこにサイカの姿は無かった。彼らにとっては、目の前にいたはずのサイカが突然消滅した様に見えており、その場にいるブレイバー達は驚かされる事となった。
「あれ? サイカ?」
と、周りを見渡して探すエム。
あまりにも唐突な出来事に、シッコクも目を見開いてしまった。
「消えた……?」
騒然とするブレイバー大隊の生き残り達だが、消えてしまったサイカよりも気になる大事が彼らの視界に入る。
それは、猫型大型バグが王都に出現している姿が見えたからだ。
エルドラド城よりも大きいバグが、何の前触れもなく突然現れ、口から光線を放ち王都シヴァイで破壊の限りを尽くしている光景が遠くからでも見て取れる。
「いつの間にあんな巨大なバグが王都に!?」
と、リリム。
シッコクは片腕が無い状態で、残った手に魔剣バルムンクを持ち走り出しながら指示を出す。
「とにかく王都へ戻るぞ! あのデカブツを倒す!」
隊長が一目散に空を飛んで行ったので、遅れてリリムやエオナを含む20名ほどのブレイバーが走り出していた。エムはそんな彼らの背中に夢世界スキル《風の加護》を付与した。が、残った10名のブレイバーは深手を負っている為、気を失っているマーベルと共にエムはその場に残った。
一方で、巨大バグの破壊光線が炸裂する王都は悲惨な状況となっていた。
建物が砕け散り、外壁は破壊され、バグの残党も暴れまわっていることも相まってブレイバー達は劣勢状態に陥っている。
最も脅威となっている巨大バグの容姿を見たミーティアは、それがあまりにもキャシーバグに酷似している事に気付いていた。バグを斬りながらハッと、先ほどまでキャシーバグが倒れていた場所に目をやると、そこにキャシーバグの姿は無い。
「まさか!?」
ミーティアが突然巨大化したキャシーバグに肝を冷やすも、キャシーバグが放った光線がすぐ横を通り抜け、隣の民家をバグの残党諸共崩壊させた。ので、本能的に危機を察知したミーティアは剣を背中の鞘に納め、倒れているルビーを抱き上げ、そして走り出す。
何度も放たれる光線が全てを破壊していく中、ミーティアは赤頭巾の少女を抱きかかえて、足を引きずりながら必死に走った。
だが、ミーティアは瓦礫に躓いて転倒してしまい、ルビーが地面を転がってしまう。
「こんな時に! ……動いて! 私の脚! ちゃんと動いてよ!」
立ち上がろうとするミーティアは、すぐ近くにもう一人のブレイバーが転がっている事に気付いてしまう。馴染み深い赤い忍び装束で、腰に白い刀を携えたクノイチ。
サイカである。
「サイカ!? どうしてこんな所に!」
サイカは地面に倒れていて、動く気配が無い。なので、ミーティアは再びルビーを抱き上げた後、倒れているサイカに歩み寄り、ルビーを横に降ろしつつ、サイカの状態を確認する。
特に傷などは無く、息もしている。ただ眠っているだけの様だ。
「サイカ起きて! ねえサイカってば!」
と、起こそうとするも、サイカは深い眠りに落ちていて目覚めそうに無い。
――さすがに、二人担いで逃げるなんて出来ない。
そう思い、ミーティアは助けてくれそうな人がいないか辺りを見渡すが、兵士の死体や、他にも負傷して倒れているブレイバーが数人いるだけで、満足に動けている者はいなかった。
そして彼女は考えてしまう。
――ここでルビーを見捨てれば、サイカを助けられる……でも……そんな事、出来るわけ無いじゃない!
ミーティアは再び鞘から剣を抜き、倒れる二人の前で構える。
飛んでくる瓦礫を斬り、迫り来るバグの残党を返り討ちにして、彼女はその身を削ってその場を死守する。
そうやってミーティアが戦っていると、やがてキャシーバグの光線が直撃コースで放たれて来てしまう。
「私が守って見せる!!!!」
ミーティアは夢世界スキル《ソードウェーブ》を発動させ、正面から飛んでくるキャシーバグの光線と、剣による衝撃派を衝突させた。
眩い光り、肌が焦げてしまっているのではないかと思うほどの熱、そして視界は真っ白になっていく。
「はあああああああああああああああああ!!!!」
何もかもを破壊する光線はミーティアの剣により真っ二つに裂ける。凄まじい衝撃を必死に耐えるミーティアは、光に包まれた――――――
――ねえサイカ、覚えてる?
夢世界で私たちが出会った時の事。
一緒にレベル上げして、一緒にギルドに入って。
私がふざけてたら、サイカが怒って喧嘩っぽくなったりしてさ。
でもすぐ仲直りしたよね。
ねえサイカ。
私にとって、貴女が傍にいることは、当たり前だったんだよ。
だからこれは、一度でも貴女を恨んでしまった事への報い。
罪滅ぼしってやつなのかな。
貴女ならきっと、この呪われた連鎖を止められる。
沢山の生命を救う事ができる。
そう信じてる。
ううん、なんて言えばいいのかな……
どうやったら私の気持ち、伝わるかな……
ねえサイカ、――――――――――――――……
キャシーバグが放つ光線は王都の壁の護りなど通用せず、避難民が多くいる建物を次々と崩壊させた。その光線はエルドラド城までも届き、城も半壊。数え切れないほど、多くの人や兵士が犠牲になっていた。
ミーティア達を襲った光線が終わる頃、空飛ぶシッコクがキャシーバグに攻撃を仕掛けている。生き残っていたブレイバー達も着々と集まってきていて、キャシーバグに一斉攻撃を開始。
傷だらけのブレイバー達が、必死になってあの巨大バグを倒そうと戦っている。その様子はエルドラド城からもよく見えた。
地下牢にいたスウェンも、鉄格子や手錠が破壊されていた事を切っ掛けにまんまと脱獄に成功しており、城から抜け出したところでキャシーバグの暴れっぷりを眺めていた。
「キャシー……」
と、哀れみの表情で小さく名を呟くスウェン。
キャシーバグはその大きな腕と、尻尾を自在に操り、取り巻くブレイバー達を蹴散らしていく。
奮闘しているシッコクもその刃物の様なキャシーバグの腕に弾き飛ばされ、ブレイバーズギルドの屋根に叩き付けられた。屋根に大穴を空けて床に落下したシッコクは、そこにまだ少数の避難民が隠れているところに出くわす。
「お前たち……」
酷く怯えた女子供が多く、逃げ遅れて仕方なくここに隠れているといった様子だ。
そんな彼女たちを見てシッコクは、何としてもあのバグを止めなければという使命感を強くすると共に、再び空を飛んで屋根の穴から外へと出る。
シッコクが高い所から周りを見渡せば、そこには無残にも荒れ果てた王都シヴァイの光景。そしてまだ地上でもバグの残党が暴れていて、各所でブレイバー達が必死に戦っている。そこにもはや指揮系統なんてものは無く、バルド将軍やリリム、エオナも加勢して大乱戦状態だ。
しかし、どう見てもブレイバーの数が少なく、キャシーバグと長期戦をしていたら全滅しそうな勢いである。
「くっ。このままでは……」
と、歯軋りを噛むシッコク。
キャシーバグによって放たれた光線が、エルドラド城に直撃するコースで飛んできた。
しかし、盾を構えた巨大機械ロボットのロウセンが間に入ってそれを防ぐ。
そんな光景をエルドラド城の露台でソフィア王女と共に目の当たりにしたグンター王は隣にいる兵士と大臣に向かって言い放った。
「王家と地位のある者を優先して、あの巨大バグと反対側に民衆の避難誘導を開始せよ」
「はっ!」
と、兵士が駆け出していく横で、大臣が口を開く。
「グンター王もどうぞこちらへ」
「私はここに残る」
「王! 何を言っておられるのですか!」
「くどい。ソフィアを頼む」
そんな事を言い出したので、ソフィア王女は顔がこわばるほどの驚きを見せ、
「お父様! 私もここに残ります!」
と、意思表示した。
「たまには、父親の言う事を聞けソフィアよ。今回ばかりはその我侭を聞いてやるつもりはない」
「お父様! 嫌です!」
大臣は再度グンター王とアイコンタクトを取った後、
「王女殿下、こちらへ」
と、ソフィア王女の腕を引っ張る。
「離しなさい!」
王女が抵抗を見せるも、兵士も加わり、男の力に勝てず連行されてしまう。
その時だった。
伝令役の兵士3人が大慌てで駆け寄ってきた。
「も、申し上げます!」
このタイミングで伝令役が来た事に対して、何を言い出すのかとその場の誰もが表情を石膏の仮面みたいに強ばらせる。連行されようとしているソフィア王女や、大臣と兵士も動きが止まった。
「……申してみよ」
と、グンター王。
駆け込んできた3人の兵士は事前に打ち合わせでもしてきたのか、顔を見合わせて頷いた後、順番に報告を口にした。
「南東の樹海方面よりミラジスタからの援軍が到着! アーガス兵士長率いる五百のブレイバー軍団です!」
「北東のオーアニル方面より空の魔女ケリドウェンが数名のブレイバーを連れて到着!」
「更に東より、謎の飛行物体がこちらに向かって飛んできています! 所属は不明!」
樹海を抜けてきたミラジスタからの援軍は、先頭をアーガス兵士長が馬に跨り先導していた。
「既に王都の中で戦闘が行われている! 兵は民間人と負傷者の救助を最優先! ブレイバーは見えるバグを全て倒せ!」
壊れた外壁から次々と突入。ブレイバー達が戦闘を開始した。
その中にピンク色の長髪に、青と白のローブを身に纏った女性ブレイバーのサダハルの姿もあり、得意とする夢世界スキル《ホーミングレーザー》を発動。30本の光の線が空中を高速に漂い、動くバグを自動追尾する事で、その線は全て残党バグに命中。付近のバグが瞬く間に一掃された。
一方で、アーガスも新たな戦い方を実践。
「アーガス・モルダン、推して参る!」
近くに剣を持つ数名のブレイバーを引き連れ、ブレイバーから剣を受け取って馬から飛び降り、バグを斬る。10秒ほどでその剣は消滅してしまうが、次々とブレイバーから武器を受け取っては斬るという、受け取り方式でバグを斬っていく。その姿は、武神の如く暴れっぷりである。
北東のオーアニル方面より悠々と空を飛んでくるドレス姿の女性ブレイバー、空の魔女ケリドウェン。
無数の武器を召還して飛ばしていき、地上に蔓延るバグの残党に突き刺しながら移動。ケリドウェン自身も手には拳銃デザートイーグルと、聖剣エクスカリバーを持っていて、近づいてくるバグを葬っていく。
ケリドウェンの後を追いかけてくるダリスとブレイバー達が到着する時には、既にバグの影は無く、敵と思えるのは遠くに見えるキャシーバグのみという状況。それだけケリドウェンは的確に敵を殲滅してしまっている。
二つの強力な援軍により、一気にバグの残党が片付き、地上はあっと言う間に形勢逆転する事となった。
それでもキャシーバグがまだ光線を放ちながら暴れていて、その前にいるシッコクの横にケリドウェンが楽しそうに薄笑いを浮かべながら到着した。
「あらあら、わらわをあそこまで追い詰めた貴様が、随分と苦戦している様ですわね」
「笑いたければ笑え」
と、シッコク。
「手伝ってあげましょうか?」
「…………」
かつての敵に対し、悔しくてたまらないという顔つきになるシッコクはすぐに答えなかった。
「いらないの? だったら帰りますわ」
「………頼む」
そのシッコクの言葉に、ケリドウェンはかつてない程の高揚感を感じた。顔が熱くなり、嬉しさのあまり思わず高笑いしたい気持ちを抑える。
「その言葉が聞きたかったの。さあ、ショーを始めますわよ!」
ケリドウェンはそう言ってキャシーバグの前まで移動すると、両手を広げて武器の召還を開始。今までに見たこともないほど、万種の武器を宙に浮かせ、武器による壁を形成していく。
キャシーバグは危険を察知したのか、ケリドウェンの方を向いて光線を発射。
しかし、シッコクがケリドウェンの前に立ちはだかり、光線の軌道を逸らした。
そして放たれる数千の武器郡が、キャシーバグの大きな図体に豪雨の様に降り注ぐ。
分厚い皮膜を持つキャシーバグはそれによりかなりのダメージを受けて怯んでいるが、コアに到達するほどの致命傷にまでは至らない。
それでもケリドウェンは手を緩めず武器群を突き刺していくことで、キャシーバグはまるで花留めの剣山を思わせる痛々しい姿へと変わっていった。
その光景を間近で見たシッコクは、顔に怯えのような影が走る。それは、あのオーアニルの地で、こんな奴と剣を交えていたのだという危機感が今更になってやってきたからだ。
その時、今度は東の空より急速に飛んでくる影が二つ。
一つは翼の生えた機械仕掛けの飛行機ブレイバー。
もう一つは黄金ボデイを光らせ、流れ星の如く輝きを空に描く人型ブレイバー。
まず、F35と呼ばれる機械型飛行機ブレイバーが高出力のエンジンから轟音を響かせ、高速移動しながらもミサイルを二発発射。ミサイルは空中に煙で綺麗な線を描きながら、キャシーバグに着弾。
続いて、F35と共に飛んできた黄金のブレイバーが、機械仕掛けの翼と背中のブースターを自在に操り、手に持った大剣でキャシーバグの猫の様な頭を斬り落とし、厄介な光線を無力化。
その金色のブレイバーは、プロジェクトサイカスーツを着たエンキドである。
ミサイルを命中させたF35は上空を通り過ぎて旋回。速度を緩めて、今度は貫通爆弾をキャシーバグに向かって投下したことで、重々しい響きとともに大爆発が発生。その爆風は近くのブレイバーを吹き飛ばすほどの威力だった。
F35は再び旋回。更に速度を落として、今度はコクピットハッチを開けた。
中に一人のブレイバーが搭乗していて、そのブレイバーが颯爽とコクピットから飛び降りる。
青の甲冑鎧に身を包み、長いポニーテールを激しく靡かせた女性ブレイバーが、薙刀を両手に持ち、キャシーバグに向かって落下。
彼女が爆発による煙を抜けると、そこには爆発で身体の一部が吹き飛んだキャシーバグと、剥き出しになった小さなコアが見えた。彼女は目視でそれを捉え、落下の勢いをそのままにキャシーバグのコアに薙刀を突き立てる。
コアが割れ、巨大なキャシーバグはうめき声を上げながら消滅を始めた。
そのまま薙刀の女は身軽な動きで地面へと着地すると、その横にエンキドもゆっくりと着地。
すぐさま、薙刀の女は上空で旋回して様子を窺っているF35に向かって手を振って、
「ライトニング、後は任せろ!」
と大声で礼を言うと、F35ライトニングはそのまま東の方角へと飛び去って行った。
F35を見送った後、薙刀の女は隣のエンキドに話しかける。
「あんた、やるね。バグスレイヤーってあんたの事?」
「俺はエンキドだ」
そうやって二人が会話をしていると、周囲にいたブレイバー達が続々とその場に集まってきていた。
風の如く現れ、一瞬にしてキャシーバグを仕留めてしまった謎のブレイバーを前に、皆興味津々といった様子である。
そんな謎のブレイバーの前に、空から降りてきたシッコクとケリドウェンが着地。
「お前たち、何者だ」
と、シッコクが問う。
すると薙刀の女が答えた。
「あたいはナポン。天瀬の使者、和の国ヤマトの武士として逆立ちに参った」
「武士? まあいい、どちらにせよ、味方という事だな」
「その上から目線は気に入らないね」
不満を漏らすナポンを無視して、シッコクは隣のエンキドに目をやる。
「お前は、黄金鎧のブレイバーだな?」
「そんな名を名乗った覚えはない。俺はエンキド。元アリーヤ共和国所属のブレイバーで、今はバグスレイヤーとして世界を旅している。この国にもデュスノミアバグに襲われていると聞いていたが、もう倒したのか。それに今の巨大バグはいったい何だ」
「デュスノミアバグは何とか倒した。だが……あの巨大バグは私にも分からない。前触れもなく忽然と現れた」
「ふむ……俺も見た事がない新種バグだった。興味深い」
そう言って考え込むエンキドの容姿を、シッコクが舐める様に見る。先ほどまで持っていた巨大な大剣が既に無く、手ぶらになっているエンキド。彼が身に纏う黄金色のプロジェクトサイカスーツは、まるでサイボーグを思わせる見た目であり、背中には翼やブースターまで装着されているのだからかなり目立つ。
「二人はなぜ一緒に?」
すると、ナポンが説明をする。
「ここに来る最中に出会ってね。偶然さ」
それを聞いたシッコクは、他国から援軍に来た三人が見える位置まで移動して頭を下げる。
「ケリドウェン、ナポン、エンキド。此度の援護、まずはエルドラドを代表して私から礼を言わせて欲しい」
ケリドウェンは少し照れてしまった顔を隠しながら言った。
「勘違いしないでくださいませ。ダリルが行こうと言うから来ただけで、わらわは別にそういうつもりじゃありませんのよ」
続いてナポン。
「困った時はお互い様。あたいの師匠も、今回の世界危機を鎖国解除の足がかりにしたいって言っていてね。ああでも、エルドラドに来たからにはちょっとお願いしたいことがある」
「なんだ?」
「ルビーっていうブレイバーがこの国にいるって聞いてる。あたいをその子に会わせて欲しい」
「ルビー? なるほど」
そしてエンキドも続いて要望を出す。
「俺もこの国にいるサダハルとサイカに会いたい」
「……承知した。すぐに手配しよう」
シッコクはそう言って、次にケリドウェンを見る。
「お前は何かあるのか?」
「そうね……まずはわらわの部下達に休める場所を。あとダリスと一緒の時間を過ごせる場所を設けてくれれば、それでいいですわ」
「善処しよう」
「ふんっ」
要望を口にしたケリドウェンは、シッコクに背中を向けて飛び上がり、まだ隠れているかもしれない残党バグの索敵を始めた。
シッコクは彼らの意外な要望の数々に驚かされつつ、周囲に集まっていたブレイバー達に目を向け、静まり返った場の真ん中で魔剣バルムンクを高々と天に掲げて叫ぶ。
「我々の勝利だ!」
「「「おおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!」」」」
と、静まり返っていた場の空気が一気に震え、生き残りのブレイバーや王国兵士がそれぞれの武器を天に掲げて勝利の雄叫びをする。
こうして、エルドラドは多くの犠牲を出しながらも、何とかバグの軍勢を退く事に成功した。
しばらくして目覚めたルビーは、目の前で新しいナポンが笑顔で迎えてくれた事に涙を流して喜んだ。
エンキドとサダハルも出会って早々、周りが見てて恥ずかしくなるくらいいつまでも抱きしめあった。
ミラジスタから軍隊を引き連れて駆けつけたアーガス兵士長も、師匠であるバルド将軍と再会を果たす。
しかし、
救助されたサイカは、エムやマーベルがいくら待っても眠ったまま目覚める事は無かった。
そしてサイカやルビーを人知れず救ったミーティアの姿は、何処にも見当たらなかった。
この戦いでエルドラドに所属していた約千人のブレイバーが消滅。万を超える兵士が死亡。民間人の被害も計り知れなかった。
王都ですぐに始まった復興作業の最中、勇敢なる戦死ブレイバーを讃える為に巨大な石碑が作られる。そこには1378名の名前が刻まれる事となり、その中にケークン、ゼット、レオパルトツー、ミーティアの名前もあった。
エルドラド王国は、オズロニア帝国に続き融合群体デュスノミアバグに勝利した国として世界に名を轟かせる。そんなエルドラドの歴史には、国を救った英雄として『サイカ』の名前が記された。
この戦いを切っ掛けに、世界に恐怖と死を撒き散らしていた残りのデュスノミアバグも次々と撃退に成功していき、その後は世界に残存する国のほとんどがエルドラド王国を中心とした連合軍に加入。世界は初めて共通の敵を前に団結して反撃の狼煙を上げ、バグの国を相手とする世界戦争が幕を開けた。
この世界大戦はすぐに決着がつくと思われていたが、当初の予想を覆す年単位の長期戦となる。
そんな中、エルドラドを救った英雄サイカは……眠ったまま『目覚めぬ英雄』となってしまった。




