60.アヤnθΛ
サイカが目覚めた時、そこはネットワークステーションの中だった。
ドーム型のガラスの向こうは無限に広がる宇宙。雪景色から一気に近未来へと飛ばされて来てしまった感覚。こればかりはサイカもすぐに気持ちを切り替えるとまではいかない。
雪の中を引き摺られ、空中で切り刻まれ、最後は駆けつけてきたミーティアの心配そうに見つめてきた顔。
それがサイカにとっての最後の記憶である。
身体に傷など何処にも無いのだが、激しく斬られた胸が痛んだ気がして、思わず自身のコア辺りを手で抑えてしまうサイカ。
(サイカ? どうしたの?)
琢磨の顔が映ったウィンドウが視界に入り、サイカは頭が真っ白になってしまった。
アヤノを見つけたと同時、悪い組織に連れ去られてしまったなど、何と説明すべきか分からないからだ。何よりも押し潰されそうなほどの罪悪感が、サイカの心を支配する。
言葉が出ない。
何か言わなければいけないが、サイカは口を開けたまましばらく固まってしまった。
胸が苦しい。
ハッキリと言ってしまったら、琢磨に失望されてしまうかもしれない。
嫌われてしまうかもしれない。
しかも相手にあのオリガミがいたなんて言っていいものなのだろうか。
様々な思いを頭に巡らせてしまっているサイカだったが、運命の悪戯か、前方に見えるエレベーターの扉が開き、オリガミとアマツカミがゲームマスター19号と共に入ってきた。
サイカは思わず身構えてしまう。
「おっ! サイカ―ーーーー!」
サイカがいる事に気付いたオリガミが、明るい笑顔で手を振り、そして抱き着こうと無重力空間を飛んで来る。
いつも通りのオリガミがそこにいた。が、サイカが感じたのは恐怖と戸惑いであった。
「来るな!」
気持ちの整理が出来ないサイカは、そう叫んで距離を取る。
オリガミもサイカに思わぬ行動を取られてしまい、きょとんとしながら止まった。
「えっ?」
「今は……来ないでくれ」
と言うサイカは、オリガミの顔を直視できず、目を反らしてしまう。
「ど、どうしたの? 何かあった?」
苛つきにも似た暗い表情を見せるサイカに、オリガミは心配してくれ、琢磨もまた只ならぬ様子である事を察するに至っていた。
(サイカどうしたんだ。向こうで何かあったのか?)
そこでようやくサイカは、1つの案が思い浮かび、迷わずそれを提案する。
「琢磨。アヤノも入れて3人で話がしたい」
(まさか飯村……じゃなくて、彩乃さんに会えたの?)
「その事で……少し面倒な事になってる。だから、アヤノをここに呼べないか」
(分かった。別のパソコンでログインしてみるよ)
「頼む」
いつになく真剣な眼差しでそんな会話を進めるサイカを見て、オリガミは何て声を掛けるべきか悩んでいると、状況を察したアマツカミが言った。
「オリガミ。俺たちはお邪魔の様だ。一旦WOAに戻ろう」
「え? でも……」
「オリガミ」
「う、うん。分かった」
アマツカミとオリガミがエレベーターに戻り、その場を後にする。
ただゲームマスター19号だけは残って、
「私は同席しても構いませんか?」
と質問したので、サイカは頷いた。
やがて琢磨の操作により、サイカと19号の前にアヤノの姿が現れる。
特に見た目に変化は無く、オッドアイである事を除けば褐色肌で長い銀髪のワールドオブアドベンチャーのキャラクターデザイン。
「アヤノ!」
しばらく心ここにあらずと言った様子のアヤノであったが、サイカに名を呼ばれてふと我に返った。
「サイ……カ?」
続けて琢磨も話しかける。
(飯村さん!)
「先輩……ここは……」
(ネットステーションだよ。数日前に話した場所。分かる?)
「ネット……」
アヤノは周りを見渡し、その広がる宇宙の景色や近未来の内装を見て、やっとバーチャル世界にやってきている事を理解する。
そこへこの場の誰よりも状況を理解しているサイカがアヤノの両肩を持ち、叫ぶ様に言った。
「大丈夫か! 何もされていないか! そっちは今何処にいる!」
「え、えっと……黒い人たちに……船の中で……」
「船? まさか、海を渡ろうとしてるのか?」
「分かんない……でも、私を守ろうとした人がみんな殺されて……それで、気付いたら船で縛られてて……私、口の中に――ッ! うっ! おええええっ」
異物を口に押し込まれた事を思い出したアヤノは、吐き気を催し、口を押えて地べたに座り込んだ。
何かを吐こうとするが、吐しゃ物が出る訳でもなかった。それでもアヤノを襲う吐き気と頭痛が相当激しい事は、彼女の震えが物語っている。
だが、サイカが気になっているのは、先ほどからアヤノの身体に起きているノイズ。
更にはバグ化の兆候である肌が黒くなる現象も確認できる。
「アヤノ! 口になんだ? 奴らに何をされた!」
(説明してくれサイカ。これはいったいどう言う状況なんだ?)
「琢磨……アヤノが連れ去られた。怪しげな集団に……」
と、申し訳なさそうに目を伏せながらもやっと状況説明を口にしたサイカ。
(連れ去られたって……サイカ! なんで止めてくれなかったんだ!)
「止めようとした! でも……出来なかったんだ」
(向こうのジーエイチセブンさんや、エオナさんと一緒にいるって言ってたけど、いったい何があったの? その怪しい集団って何なんだ?)
「分からない! 私にも分からないんだ! 私が駆け付けた時にはもう戦いが終わってて……」
(サイカ! いったいキミは、向こうで何をやってたんだ!)
「琢磨……」
サイカも初めて聞いた琢磨の怒りの声。
恐れていた事が現実となり、ショックのあまりサイカの思考はしばし停止する事となる。
咄嗟にゲームマスター19号がフォローに入った。
「明月さん落ち着いて下さい。私の理解が置いてけぼりですが、これだけは分かります。サイカさんだって必死に戦ってくれてます。彼女の気持ちをそうやって貶してはなりません」
(でも飯村さんが危険な目に合ってるんですよ!)
「私達は部外者です! ブレイバーをただ見守っている事しかできない私達に、サイカを責める道理はありません!」
(……すみません)
19号に言われて冷静になった琢磨が、謝罪の言葉を口にした時、アヤノのノイズや肌の変化も治まっていた。
苦しそうに嘔吐いていた彼女も、すっかりと落ち着きを取り戻した。
「サイカさん。先輩。私は大丈夫です」
そう言って何事も無かったかの様に立ち上がるアヤノに、サイカは気を取り直してアヤノにもう一度話掛ける。
「アヤノ。本当に大丈夫なのか? さっき船……と言っていたが、何処に向かってるか分かるか?」
「心配しないで。私なら大丈夫。みんな良い人たちだよ」
「良い人……だって?」
「うん。だから何も心配しないで。私なら何とかやっていけるから」
「そうなのか……とてもそんな風には見えなかったが……」
さっきまでの雰囲気とは一変して、急に明るい表情になったアヤノ。
逆に少し違和感も感じ取れた。
(飯村さん。いったい何があったの?)
「大した事じゃないんで、心配しないでください。私、ちゃんと媒界になって、世界を壊します!」
と、アヤノは笑顔を見せる。
(は?)
「「え?」」
アヤノがとんでもない事を言い出した事で、その場の3人は唖然となってしまった。
「アヤノ。キミはいったい何を……言ってるんだ?」
と、サイカ。
「え? だって私が媒界にならないと、お兄ちゃんの願いが叶わないから……」
「お兄……ちゃん?」
すると19号が、
「飯村さんの家族構成にお兄さんはいるのでしょうか?」
と、疑問を言葉にした。
(聞いた事無いな。弟さんがいるのは知ってるけど……飯村さん、そのお兄さんって誰なの?)
「え? レクスお兄ちゃんだけど?」
日本人であるアヤノに、レクスなどという名前の家族など有り得ない。
それは拓磨もすぐ分かる事だった。
(飯村さん、ちょっと整理させて。そのレクスさんって人は、日本人なの?)
「そんな訳ないじゃないですか。バグを統べる王様ですよ」
(バグって、あの未知の化け物のこと?)
「化け物なんかじゃないです。バグは人間よりも高い地位で、神様の子供達です。お兄ちゃんはその中でも、特別な存在なんです」
(神様の子供? 待って。じゃあ日本にいる弟さんや両親との関係は?)
「それはそっちでの家族です。今の家族は違います」
(……頭が痛くなってきた。ちょっと朱里を呼んでくる)
嘘なんて微塵も吐いていない。そんな純粋な瞳で、ハッキリとそれらの台詞を口にするアヤノに、拓磨は頭を抱える事になった。
その横で今度はサイカが血相を変えて、口を開く。
「アヤノ! キミはいったい何を言ってるんだ! しっかりしろ!」
「え? サイカもお母さんの子供でしょ。なら私と一緒だよね?」
「いったい何を言ってるんだ! お母さんとは誰だ!」
「……ああ、なるほど。お父さんが言ってたのは、此れの事だったんだ」
明るい表情から、急に暗い表情に様変わりするアヤノ。
「アヤノ?」
ゴミでも見るかの様なその目は、向こうでサイカと戦ったオリガミにそっくりであった。
やはり様子が変である事は明確で、サイカは心配そうにアヤノへ近づこうとしたが、
「近寄らないで! 裏切り者!」
と、サイカを両手で跳ね飛ばす。
その力は思っていたよりも強く、かなり後方へ飛ばされたサイカは、無重力空間もあいまって壁で受け身を取る事になった。
空かさずゲームマスター19号がアヤノの前に立ち、少し言い方を考慮して詳しい事情を聞こうとする。それとほぼ同時、拓磨が朱里を連れてきてカメラの映像に映り込んだ。
「アヤノさん。落ち着いて聞いてください。えっと、良い人たちと一緒にいて、そこにそのレクスさんってバグがいるんですね?」
「はい」
「世界を壊す……と言っていましたが、具体的に何を?」
「私は冥魂だから、お父さんの糧になります!」
「お父さんとは?」
「えっと、神様です」
まるで面接でもしてるかの様なやり取りになってしまっているが、19号はこの質問の仕方が有効的だと判断。
琢磨と朱里が映る映像に目線を向けると、琢磨が真剣な表情で頷いたので、19号は質問を続ける事にした。
「そうですか。糧となるという事が、どういう事か、理解していますね?」
「はい。私の魂……命を捧げるんです」
「……命を……ですか?」
「はい」
「それをしないといけない事に、何か疑問は感じませんか? アヤノさんは、こっちに帰りたいと言っていましたよね?」
「そりゃあそっちには帰りたいですよ。みんなにも、先輩にも会いたいですし。でも、神様の言う事って絶対じゃないですか。だから、私がやらないといけないんです」
「……そうですか。えっと、では質問を変えます。アヤノさんが糧になる事で、いったい何があると言うのです?」
「混沌の始まり。バグによる支配が始まるんです。人間が誰もいなくなれば、戦いも無くなってみんな幸せですよね。えっと、この質問いつまで続きます?」
ハキハキとしていて本当に自然とおかしな事を口走るアヤノだが、やはり脅されて無理矢理言わされている雰囲気は感じられない。
「えっと……」
と、言葉に詰まってしまった19号。
代わって再びサイカが話しかけた。
「バグによる支配だなんて! 自分が何を言ってるか分かってるのかアヤノ!」
「うるさい! 何も分かってないのは貴女じゃない! そうやってやるべき事を放棄して、正義のヒロイン気取りで! いつも先輩の視界でちょろちょろと!」
「やるべき事だと?」
「本当に何も知らないのね! 哀れな女!」
「言わせておけばっ!」
口論で怒りが頂点となったサイカは、腰に下げた鞘から刀を抜く。
「なに? 私を斬るの?」
アヤノも腰の短剣を手に持って構えた。
「くっ……正気に戻れ。何を吹き込まれたのか知らんが、お前は騙されてるだけだ」
「サイカだってあの世界はおかしいって気付くべきよ。私の! これが私の本当につまらない人生に舞い降りた希望! 使命なの!」
そう言って先に飛び掛かったのはアヤノだった。
本来、このネットステーションではあらゆる戦闘行為ができないはずの場所。そういう設定が成されたエリアだが、ブレイバーである2人には通用していない。
だからこそ、アヤノの剣はサイカへと襲い掛かり。
サイカも咄嗟にそれを避けながら、刀を振るう。
(やめるんだ2人共!)
琢磨の声など聞こえておらず、無重力空間で斬り合う2人。
アヤノは身体能力が格段と向上していて、サイカの殺意の無い刀を巧妙な動きで避けた。対するサイカも未熟なアヤノの剣を見切っていた。
そんな2人の喧嘩を看過できない19号が動く。
管理者コマンドで、光の輪っかを1つ召喚して、
「まさか、こんな形で使う事になるなんて」
と言いながらそれを放った。
光の輪は大きく広がり、アヤノを追尾したと思えば、そのままアヤノに被さって濃縮。
それによりアヤノは上半身の自由を奪われた。
(これって……)
「最近開発された対ウイルス用……改め、バグ用の拘束具です。サイカさん、貴女も剣を引いてください。アヤノさん相手に熱くなってどうするのですか」
目の前で拘束され動けなくなったアヤノを見て、冷静さを取り戻したサイカも刀を鞘に納め、安堵の息を吐いた。
「なにこれ! 離してください! 離して!」
「ダメです。アヤノさん、正直に言いましょう。今の貴女は普通じゃありません。よって、『ブレイバーの暴走に備えたマニュアル』に従って、貴女をこのまま隔離させて頂きます」
そんな備えがある事など知らなかったサイカは自身の耳を疑った。
しかし、確かに目の前のアヤノは拘束されており、身動きが取れていない。
「これって……」
つまりゲームマスターは、ブレイバーであるサイカやアヤノを拘束する事を想定していたという事になる。
――いったい何の為に……
サイカがそんな疑いの眼差しを19号に向けた時、19号は追加で輪っかを放り、今度はアヤノの両足首を拘束。
完全に自由を奪われたアヤノは転倒して床へ衝突して、宙に浮いた。
「離して! 離して! なんでこんな事するの!」
宙でもがくアヤノを見ながら、19号が一部始終を見ていた琢磨と朱里に言った。
「これはいったい、どうなってるのでしょう。あれだけ現実世界に帰りたがっていた彼女が、なぜこんな……」
するとずっと黙っていた朱里がようやく口を開く。
(洗脳か催眠術の類だろうな。いや、バグとの混合体なら、バグによる思考介入か……)
「そんな馬鹿なこと」
(それ以外にどう説明ができる?)
「……それは……とにかく、私は高枝課長に報告をしますので、この場をお願いします」
そう言い残し、19号の動きが止まった。
「先輩! 助けて! 先輩!」
必死に琢磨へ助けを乞うアヤノだったが、琢磨の表情は冷たかった。
心配を通り越して、軽蔑となったそんな視線がアヤノに突き刺さる。
「せん……ぱい?」
(飯村さん。いったいどうしちゃったの?)
「先輩……私、痛かったんです。よく分からない世界に投げ出されて、刺されたり撃たれたり殴られたり、本当に痛かったんです」
(うん)
「……誰も助けてくれなくて、おかしいじゃないですか。だから神様の言う通りにして、自分で何とかしようと思ってるんです。私、変な事言ってます?」
(言ってるよ)
「先輩まで……そんな事言うんですか……だって神様って絶対なんですよ。それ以外にやらなきゃいけない事なんて……無いじゃないですか」
(神様って何? 飯村さん、そんな事を言う人じゃないよね?)
「そんな事……言われて……も、もモモモモ――」
突然だった。
AIロボットが何か処理不可能な事柄に直面した際に起こすエラーの様に、アヤノの身体と声に激しいノイズが入る。
(飯村さん?)
「――カカミサマ――マ――タタタタ――」
(飯村さん!)
「――セセセンパ、イ、イ――イ、イƎǝ――」
激しくなるノイズ。
アヤノの顔が左右に激しく揺れ、肌と眼球が真っ黒に染まって行く。
「琢磨! いったい何が起きてる! 何をしたんだ!」
と、サイカ。
(分からない! 急に!)
そこへ丁度報告が終わって戻ってきた19号が動き出し、事態が急変しているのを見て慌てる事となった。
「なっ! なんですかこれは!」
19号は管理者コマンドを開いて、アヤノのプログラム解析を始める。が、それと同時に朱里の大声が聞こえた。
(琢磨! パソコンが!)
ボンッと鈍い爆発音。
琢磨の顔が映る映像に一瞬光りが走り、そして白い煙が映り込んだ。
そして……アヤノはプツンとテレビの電源を落としたかの様に、その姿が消えた。
アヤノを拘束していた2つの輪だけがその場に残り、宙を漂っている。
その場にいたサイカと19号は、呆然と立ち尽くしているのみだったが、しばらくして19号がすぐに琢磨へ指示をした。
「明月さん! すぐにアヤノさんのアカウントで再ログインを!」
(で、でもパソコンが爆発して!)
「他にもあるでしょう! 今すぐ! 早く!」
(は、はいっ!)
しかし、琢磨がパソコンルームにある別のパソコンで再ログインしたアヤノは、ワタアメと同じただの動かぬキャラクターになってしまっていた。
(飯村さん! 飯村さん!)
琢磨の必死な呼びかけに反応する事もなく、それはコントローラーとキーボードによる操作で動かせる人形。
そこに飯村彩乃の意識は無い。
「リンクが切れた……と言う事でしょうか」
と、19号。
サイカにとって、夢世界で自由に動けるという自身と似た境遇であるブレイバーのリンク切れが起きたという光景は、とても衝撃的であった。
そしてそれ以上に、こんな事態を招いてしまったという強い罪悪感が再びサイカを襲う。
サイカは立っていられなかった。
足の力が抜け、その場に座り込み、そして涙を流す。
「琢磨……すまない……私の……せいだ……」
(いったい何があったの。彩乃さんをあんな風にしてしまったのは、さっき言ってた怪しい集団って言うのは何?)
「私は……アヤノを連れ去る瞬間に居合わせた……でも……」
(でも?)
「オリガミ……だったんだ」
(え?)
「オリガミだけじゃない。恐らく相手はシノビセブンのみんなだ……」
(そんな……)
シノビセブンと聞いた19号が、床に座り込むサイカにそっと近づく。
「その話、詳しく説明してくれますか?」
サイカは頷いた。
クロギツネと呼ばれる集団の陰謀によって起きた戦争。
その裏でアヤノ達はクロギツネの奇襲を受け、サイカが辿り着いた時には一歩遅かった。
そして、サイカの行く手を阻んだのはオリガミ。しかもバグの力や、プロジェクトサイカスーツまで使いこなしていた。
説明を聞いた19号が、
「そんな事があったんですね。よりにもよってオリガミさんですか。だからさっき拒絶していたんですね」
と、宙に浮きながら丸くなって落ち込んでいるサイカの背中をそっと撫でる。
「琢磨の言う通りだ。私は結局、何も出来ていない。もっと上手く立ち回れるはずなのに」
「そんな事ありませんよ。貴女は充分過ぎるくらい働いてます。ですよね、明月さん」
19号が突然琢磨に話を振ったが、琢磨はすぐ返事とまではいかなかった。
しばらく言葉に迷い沈黙した後、
(ごめん)
と、席を立ちカメラの視野角外へと消えて行ってしまう。
サイカにとって、やはりそれはとてもショックな事であった。
琢磨にとっても、アヤノが狂人へと変わってしまった上にリンクが切れてしまった事象に対して気持ちの整理が出来ていないのである。
そして琢磨が座っていた椅子を陣取る様に、朱里の顔が映し出される。
(二人ともヘタレってやつだな)
「ちょっと朱里さん!」
追い討ちをかける様な事を口走ったので、19号が注意した。
そんな事はお構い無しに、朱里が質問を投げかける。
(それで、どうする気なんだ。シノビセブンは向こうで敵対勢力なんだろ? だったらキャラクターデリートなり装備没収なりするべきじゃないのか?)
「え、ええ。でも私にはそれを決める権限がありません。今回のプロジェクトサイカ計画は日本政府が管轄していて、シノビセブンは今現在、正式メンバーとなってます。サイカが表舞台に出にくくなって、各種イベントなど、今後の活動予定は半年先まで埋まっているので、高枝課長でも早急な対処と言うのは無理でしょうね」
(あくまでこちら側の都合で動くと言う訳だな?)
「……先ほど明月さんにも言いましたが、私たちはあくまで部外者です。向こうの世界……異世界の話は主にサイカさんを通さなければ把握できない状況。直接干渉する事ができない遠い異世界物語と日本。どちらを優先すべきかなんて明白です」
(なるほど)
「ただ優先順位があるとは言え、サイカさんもアヤノさんも、救わなければなりません。近々、緊急対策会議が開かれる事になると思います。それまで、あちらの世界が無事なら良いのですが……」
(クロギツネというのはわしもどんな存在か知らん。だが、アヤノをあんな風にしてしまう程の奴らだからな。ヤバイ連中なんだろう)
そんな会話を進め、19号は丸まって涙を流し落ち込んでいるサイカの背中を優しく摩る。
「朱里さん。明月くんのフォローを頼みます」
(はぁ? なんでわしが?)
「仮にも妹でしょう。いつも甘えてばかりいないで、たまには支えになってあげなさい」
(なっ!?)
「頼みましたよ」
と、19号は一方的に映像が映る窓を閉じ、通話を切断した。
そして、先ほどから何も言わないサイカの手を握り、優しく提案する。
「サイカさん。ちょっと息抜きにワールドオブアドベンチャーで遊びましょう。ああ、勿論、私はプライベートアカウントでログインしますので。ね?」
19号が遊ぼうなんて誘いをする事は初めてだった。
それほど気を使ってくれているのだと分かったサイカは、
「うん」
と、短く返事をする。
サイカが応え、2人は改めて振り向くと、そこにはただ立ち尽くしている人形となったアヤノの姿があった。
✳︎
アヤノが目覚めると、船はアリーヤ共和国の港町オトランテッレの港に停泊していた。
眠っている間に貨物室の柱に吊るされていたアヤノは解放され、船の甲板にある木箱の上で横にされている。
日差しが熱く、気持ちが良い海風を浴びながら、アヤノは上半身を起こした。
すると横でピンク色の長髪を風に揺らし、海を眺めて黄昏ていたオリガミの姿がある。
「遅い」
「え? あっ、おはよう」
見れば、オリガミは黒コートも狐のお面も付けていない。
素顔のオリガミがそこにいた。周りを見ると、それぞれコートを脱いだ忍び装束のブレイバー達が甲板で眠っているのが見える。
「気分はどう?」
と、オリガミに聞かれ、アヤノは自身の身体を触りながら、何処にも異常がない事を確認。
そして木箱から飛び降り、軽く屈伸をした。
あれほど痛めつけられたのに、清々しいほど快調だ。何度も殴って暴行を加えて来たオリガミを前にしても、不思議と嫌な気分とはならなかった。
「うん。大丈夫。何処も痛く無い」
「そう」
「ここは……何処?」
アヤノは停泊している町の方角に目をやると、そこは石造りの四角い建物が立ち並び、熱帯地帯特有の町並みがあった。遠くに黒くどんよりとした雲が見えるが、この町の空は晴れていて、強い日差しが照りつけている。
しかし破壊された建物が多く見え、人の気配も無く、廃墟の町だ。
強い日差し、カラッと乾いた熱さは、日本の夏と比べると不快さは無い。
そんな町並みや気候よりも、目に入るのは至る所で蔓延っている多種多様な無数のバグの姿。その数は見えるだけでも100体はいるだろうか。
オリガミはアヤノの横に立ち、状況を淡々とした口調で説明した。
「ここはアリーヤ共和国。バグに支配された国」
「バグの……国……」
「ここが拠点になる」
「へぇ……そうだ。レクスお兄ちゃんは?」
「そろそろ帰ってくる」
そう言った矢先、廃墟の港町オトランテッレに蔓延っていたバグ達が皆、動きを止めて空を見上げた。
晴れ渡った空の向こう、怪しい黒い雲が見える方角から、影の様なレクスが軽快に飛んで来る。
あっと言う間に船の所まで到着したレクスは、
「待たせたね。しばらく留守にしていたら、調子乗ってる奴が多くて困る」
と、踊っているが、相変わらず何処が手で何処が足なのかよく分からない容姿だ。
「レクスお兄ちゃん!」
「おー、アヤノじゃないか。元気そうだね」
「はい。お陰様で! 絶好調です!」
「そうかそうか。それは良かった」
レクスは細い腕を伸ばし、アヤノの頭をそっと撫で、そして今度はオリガミに話しかけた。
「早速始めよう。私は今からアヤノをレッドホープに連れて行く。お前たちは全員目覚めてから合流しろ」
「承知」
「どうした。昨日の感情溢れるオリガミは何処に行ったんだ?」
「笑止」
「はは。そうかい。ではアヤノ、行こうか」
と、アヤノの周りをくるくると回り、影で包むレクス。
「行くって何処へ?」
「父さんに食べて貰うんだ。私達にはキミが必要だ」
「お父さんに会えるの? 行く! 行きます!」
「よぉし、その意気だ。今から空を飛ぶけど、怖がらなくていいよ」
アヤノは黒い影に優しく包まれ、そしてレクスと共に上空へと浮かび上がる。
景色が見える様に顔だけは覆わない様にしてくれており、アヤノの視界にはどんどん遠くなり小さくなっていく船と港町が見えた。
乾いた大地を見渡す限り、大量のバグがあちらこちらに見え、空飛ぶレクスとアヤノを見上げている。
本当ならとても怖い存在であるバグだが、この時アヤノには、全てのバグが頼もしい味方の様に感じ取れた。
レクスは身なりこそまるで幽霊の様で実体の無い姿をしているが、バグを統べる存在としてこの国に舞い戻り、そしてアヤノを使って計画を遂行しようとしている大きな存在。
不思議な事に、そうなんだという絶対的な理解がアヤノの思考へと入り込んできていて、不快な気持ちは微塵も生まれてこない。
――待っててね先輩。私、レクスお兄ちゃんと一緒に、この世界を壊して見せるよ。大丈夫、オリガミさん達もいるし、バグのみんなだって協力してくれるから。だから待っててね。先輩。
✳︎
時刻は22時を回った頃、明月朱里がパソコン部屋から出てリビングまで探しに行ったが、そこに琢磨の姿は無かった。
何処に行ったのかと思えば、リビングからベランダに出るガラス戸が少し開いていて、夜風がカーテンを揺らしているのが見える。
朱里はガラス戸を開けてベランダを確認すると、そこにはマンションの9階から見える東京の夜景を見て黄昏ている琢磨の姿があった。
「何してるんだ」
「……あんな飯村さんは見たくなかった」
と、朱里に顔を向ける事なく話す琢磨の声のトーンは低かった。
「だからサイカを責めるのか」
「そう言う訳じゃないけど……だって飯村さんだよ? まさかこんな事になるなんて」
「起きてしまった事はしょうがないだろう。クヨクヨできる立場かお前は」
「……それを言われると耳が痛い」
「サイカだってアヤノを救う為に剣を抜いたんだろうさ。でも相手はゲームでの知り合いだったんだろう? サイカの気持ちも分かってやれ」
琢磨は大きなため息を吐く。
「サイカがいる向こうの世界はどうなってるんだ。そりゃ大変な事になってるってのは分かるんだけど、どうしてこんな……そんなにヤバイ世界なの? 朱里がいた世界は」
「少なくとも、こっちより遥かに治安は悪い。気になるならファンタジージャンルの小説でも読んでおけ」
「これが小説なら、何だかんだ言って、結局最後にはどうにかなるんだよな?」
「さあな。わしにも分からん」
「だよなあ……」
すると、急に朱里が背後から琢磨に飛び乗って抱き着いて来た。
「おわっ!」
と、態勢を崩しそうになりながら、ベランダの手すりに捕まってなんとか立て直す琢磨。
朱里は琢磨の頬に自身の頬を擦り、少し匂いを嗅いだ後、耳元でささやく様に言った。
「琢磨よ。見方を変えれば、これはチャンスかもしれないぞ」
「は? 何言ってるんだ?」
「アヤノが父と言っていた神様とやら。恐らく狭間にいるバグの親玉だろう」
「尚更危ないじゃないか」
「世界を跨ぐには、その狭間は通らないといけない道だ。登竜門ってやつだな」
「登竜門? ちょっとそれ意味違くないか?」
「良いから聞け。つまりアヤノはそこに行って親玉に会うと言ってるんだ。その瞬間が狙い時ではないか」
「危険すぎる」
「危険は百も承知。でもアヤノを救う為にはそれしかないのもまた事実だ。だからこそサイカにはもっと頑張ってもらわないとな」
「まだ戦わせないといけないのか」
「それも仕方ないことだ」
「分かったから離れろ。暑苦しい」
と、琢磨は背中にくっついて離れない小柄で軽い少女を降ろそうとするが、朱里は離れようとしない。
「いいではないか。人肌は癒し効果があるのだろう? たっぷりわしの温もりを味わうがいい」
「ふざけるなっ」
「わしはこのままベッドインでもいいぞ」
「またそうやって! いいから離れろっ!」
琢磨があまりにももがくので、朱里は琢磨の背中から飛び降り、軽い足取りでリビングの空いたガラス戸まで戻って振り返った。
「わしは腹が減った。すき家に行こう」
「は? 冷蔵庫にまだ余り物がまだあるだろ」
「琢磨が作った料理は不味い。すき家の方が美味しい。余り物を食わせたいなら、もっと料理の腕を上げるんだな」
「うっ……」
「ほれ、行くぞ」
そう言って、もう行く事が決まったかの様に室内へと入っていく朱里。
琢磨はもう一度溜め息を吐き、星の見えない夜空を見上げた後、リビングへと戻った。
✳︎
ワールドオブアドベンチャー、首都ゼネティアにある交流広場でサイカは待ち合わせをしていた。
交流広場は緑豊かな広い公園で、名の通りプレイヤー同士が会話をしたり、パーティーやギルド勧誘等で盛り上がる場所である。
時刻は22時を過ぎており、ゲーム内のゼネティアも現実に合わせて夜となっていた。
そしてプレイヤーが最も多い時間帯でもある為、サイカは普段とは違う服装に着替え、狐のお面を顔に装着して素顔を隠す。名前表示も、ゲームマスター19号の計らいで他のプレイヤーからは別の名前に見える様に調整されていた。
周囲で楽しげに会話をしているプレイヤーグループや、通行人を観察してゆったりとした時間を堪能するサイカ。
琢磨は……まだいない。
――どうしよう。琢磨に何て言おう。
サイカは大きな溜め息を吐く。
すると、すぐ横まで来ていたプレイヤーがサイカに話しかけてきた。
「まだ気にしてるんですか」
その声にサイカが振り向くと、そこには地面に届きそうなほど長い茶髪が特徴的な女騎士が立っていた。
騎士からの派生職業である聖騎士と呼ばれるジョブだ。
名前はポリン。
煌びやかな純白の鎧の凛々しい装備とは裏腹に、可愛らしい童顔と名前である。
「えっと……19号さん?」
「ここではポリンです。お待たせしました」
と、パーティー加入申請が送られてくる。
サイカは承認を選択して、ポリンの名前とHPバー、そしてレベル122と言う数値が浮かび上がった。
「レベル122……聖騎士か」
「仕事が休みの日は、ずっと遊んでますからね。これでも社内ではやり込んでる方なんですよ? 聖騎士になったのはちょっと特権使ってしまってますけどね」
「じゃああの偉そうな9号も?」
「課長は全然です。プライベートアカウントは確かまだレベル90くらいだったかと」
「そういうものなのか」
「そういうものです。さ、行きましょうか」
「何処へ?」
「さあここでサイカさんに選択肢です。ゼネティアの町を探索するか、手ごろなダンジョンを冒険しに行くか、どちらがいいですか?」
楽しそうに顔の両脇で右手と左手の人差し指を立てながらそう聞いてくるポリンに対して、サイカはしばらく悩んだ末に答えを口にする。
「ダンジョンがいい」
「決まりですね。私とダンジョンデートしましょう。ちょっと待って下さいね。今マッピング情報見てみますので」
と、ポリンはメニューを開いて、持っている情報を参照し始めた。
「えっと、ポリン……さん。なんでそこまで」
「一緒に娯楽を楽しむ事に、理由が要りますか?」
「でも……」
「サイカさん。周りを見てください」
「え?」
ポリンに言われて、改めて周りで楽しげに過ごしているプレイヤー達に目をやるサイカ。
ダンジョンの攻略法について話している者達や、ギルド勧誘で何やら一生懸命説明している者、アイテムトレードをしている者、放置していて動かない者、十人十色なプレイヤー達の姿がそこにあった。
「貴女が守ってきた場所ですよここは。貴女がこれまで一生懸命戦って、アイドル活動をしてくれたからこそ、皆さんの幸せがこのゼネティアに詰まってるんです。この交流広場はその一部に過ぎませんよ」
「そんな事言われても、私はただ言われて――」
「誰かに言われたからとか、そんな事は関係ありません。それに……プロジェクトサイカ計画だって、本当に沢山の企業や人間を救ってるんです。サイカさんのフィギュアがどれだけ売れてるか、知ってますか? サイカコラボがどれだけ経済に影響を与えているか、知ってますか?」
「そんな難しい事、私にはよく分からない」
「貴女の想像以上に凄くて、人々の救いになってるって事です。異世界での事は、正直言って私たちが手伝える事がほとんどありません。だからこそ、自分の事の様に思っているからこそ、苛ついてしまうんです。彼は……貴女の琢磨さんは、2つの大切な事の内1つが溢れてしまって焦っている部分もあるかもしれません。なのでサイカさん。貴女だけは溢れない様に必死にしがみついてあげて下さい。何を言われようとも」
「迷惑じゃないのか?」
「ふふ。愚問ですね」
「そういうもの……なのか」
「サイカさん。貴女、琢磨さんのこと、好きなんですよね?」
「すっ!? す、す好きとか、いや、好き、なのかもしれないが、でもこれはアレがソレで、なんというか……琢磨が、私たちには、そういう感情は……危険だって……」
狐のお面の裏で顔が真っ赤になり、俯いてしまうサイカ。
ポリンはそんな姿を見て、
「ふふ。私は良いと思いますよ。人魚姫みたいでロマンチックじゃないですか」
と優しい微笑みをサイカに向けた。
「うぅ…」
「何はともあれ、後悔と反省ばかりするのはやめましょう。たらればをこれからの未来に移すんです。アヤノさんのリンクが切れてしまった以上、あとはサイカ、貴女の今後に懸かってますよ。行動あるのみです」
「19号さん……」
「だからここではポリンですって! さ、行きましょう。ちょうど良いダンジョンがありました」
そう言って、ポリンがマップを見ながらゼネティアの正門に向かって歩き出したので、サイカも後に続いて歩き出した。
2人が向かったのはゼネティアから30分程の距離に出現していた『沼地の洞窟』と呼ばれる中級者向けダンジョン。
他にプレイヤーも沢山いたが、その中でもレベル122のポリンと、レベル127のサイカにとっては、とても緩い場所だった。
逆にそれがサイカにとって心を落ち着かせるには丁度良い休息をもたらし、レベル97のアウズフムラと言う巨大な牛みたいなボスモンスターを軽く屠る頃。
サイカの気も晴れ、再びアヤノを救うために行動を起こさなければと言う気にさせてくれる。
沼地の洞窟を堪能して、満足げにゼネティアまで戻った頃、やっと琢磨も顔を見せてくれた。
お互いにまずは謝って、そして改めて琢磨から、
(アヤノを救ってほしい)
と、頼まれる事となる。
もはや狂人と化したアヤノを元に戻せるかどうか、サイカに算段など何も無い状況ではある。が、琢磨に少しでも安心してもらう為に、サイカは根拠の無い自信に頼る事とした。
「任せろ」
悩んでいた事が馬鹿らしくなる程、あっさりと解決してしまったので、サイカはつい笑顔が零れる。
そしてこれまで以上に頑張らなければいけないと、そんな決意がサイカの背中を押した。




