59.クロギツネ
バルド将軍にソフィア王女が事情を説明した事で、エルドラド軍は負傷したシッコクや兵を連れて撤退する事となった。
それを見届けた後、ロウセンは王女とエム、そしてミーティアをコクピットに乗せたまま、サイカが向かった方向へ移動を開始する。
その頃、ケリドウェンの屋敷でサイカ達は酷い有様を前にしていた。
人間の死体が複数転がっていて、壁に大きな穴が開き、サイカにとっても目を背けたくなる惨い光景である。
傷を再生しながら眠るケリドウェンを、彼女の寝室に置いて来たダリス。
「死体を回収して一か所に集めておいてくれ」
と、部下のブレイバー達に指示を出しながら丸眼鏡を手に取り汚れたレンズを布切れで拭いた。
汚れと共に怒りの感情を拭ったダリスは、気持ちを切り替え眼鏡を耳に掛け、すぐに次の行動へと移った。
まず始めたのは廊下に落ちているメイド服の回収で、穴が空いたその服を1枚1枚丁寧に拾い上げて、腕に重ね掛けて行く。
屋敷内の探索を続けていたサイカが、そんなダリスを見かけ声を掛けた。
「なにをしているんだ?」
「仲間の遺品だ」
「遺品……人間の?」
「いや、そうではない」
すると集めたメイド服を見て、ダリスは気付いた。
「ナーテの服が無い……生きているのか!」
そう言って北の方角を見るダリス。
「どういう事だ?」
「ケリドウェンが不在時に緊急事態が起きた場合に備え、避難場所を決めている」
「もしかしてアヤノもそこに!?」
「分からない。が、可能性は高い。ここから北にある集落だ」
「北だな。分かった」
サイカは割れた窓から外へと飛び出し、全速力で走り出していた。
「おい! 1人では危険だ!」
と言うダリスの声も聞かず、サイカは吹雪の中に消えていく。
吹雪で数歩先が見えない中でも、サイカは毛皮のコートを羽ばたかせながら全力疾走。
――またか。また私は……いつも、いつもいつも、私は一歩遅い!!
ディランの町がバグに襲われた時も、マザーバグとの戦いの時も、ルーナ村でも、イグディノムバグ戦も、ミラジスタでの戦闘だって、事前に防ぐ事が出来たはず。
そんな思いが、怒りの感情を呼び起こす。それは自身に対する怒り。
進行方向を妨げる様に、途中で度々バグが現れたが、サイカはキクイチモンジを振るいそれらを消滅させて突き進む。
1体だろうが2体だろうが、その刀により瞬殺。サイカは走る速度を緩める事なく、息をする様にバグを斬った。
サイカはもうバグを恐れる事は無い。
だが今回の相手もまたバグでは無く、ブレイバーだ。
あの屋敷の悲惨な光景が、サイカの頭から離れない。
そしてアレをやったのは……クロギツネと呼ばれる謎の組織。
サイカの頭の中で、前にルビーが言った言葉が再生される。
『――貴女は覚悟できてるのかしら』
――大丈夫。誰が相手だろうと、斬れる! 私は斬れる!
今度は大型のバグが突然雪の中から現れ、サイカの行く手を塞ぐ。
「そこをどけえええええええええええええええっ!!」
サイカはそのティラノサウルスにも似た巨大なバグを貫き、そして消滅させた。
先の見えない吹雪の中、飛び出して来てしまったはいいが、いったい何処まで走ればいいのかとサイカにも不安が芽生え始めた時。
風が一瞬だけ穏やかになり、遠くの景色が見えた。
何軒かの建物、そして燃えている家。
燃え盛る橙色の炎。
それを目視で捉えたサイカの走る速度が上がった。
そして見えて来たのは、5人の人影。
十分な距離まで近づいた所で、サイカは誰かを担いでいるリーダーと思しき者に目掛けて飛躍した。
5人の陰がサイカに気付いた時、サイカは刀を振り下ろしながら着地する。
サイカが本能で狙った相手は真っ赤な鬼のお面を付けていて、彼はサイカの刀をギリギリの所で避け、後方へと飛び距離を取った。
1人の狐のお面を付けた黒コートが、リーダーを守る様にサイカの前へと移動して立ちはだかる。
サイカは気付いた。
この黒コートの人物達が顔を隠しているお面、狐と鬼、どちらもサイカにとってよく見覚えのある物だ。
『――名は確か……アマツカミと名乗っていたそうです』
そんなソフィアの言葉をサイカが思い出した時、鬼のお面が言葉を発した。
「サイカ。今更、我らの前に現れた所でもう遅い」
鬼のお面はそう言い、銀髪の少女を肩に担いだままサイカに背中を向けた。
「その子を何処へ連れて行くつもりだ!」
「お前も見てきたのだろう? あの場所を」
「あの場所……狭間のことか」
「……なぜ、お前なんだろうな」
と、鬼のお面が歩き出したので、サイカが叫ぶ。
「待て!」
追おうとするサイカだったが、前にいた狐お面が小太刀を振るい、サイカは咄嗟にそれを避けた。
刀を構え直し、睨むサイカを前に、小柄なその人物は狐のお面をゆっくりと外してサイカに素顔をあえて見せつける。
ピンク色の髪と、風で激しく揺れる黒コートの隙間から見える黄色や橙といった派手な色合いをした忍び装束。
「オリガミ……」
予想はしていた。
アマツカミの名前が出た時点で、お面を見た時点で、サイカは何となく分かっていたが信じたくは無かった。
オリガミは無表情で、とても冷たい目をサイカに向けてくる。
それは夢世界で一度も見た事がない感情を消し去った様な表情だ。
戸惑いを隠せないサイカを余所に、鬼の仮面は背を向けたまま、
「見せてみろサイカ。母や姉さんと対峙し、我らの父である神から媒界まで奪って逃げ果せたその力を。オリガミ、任せたぞ」
と、吹雪の中へと消えていき、他の3人もその場を去って行った。
「承知」
と、サイカに向かって小太刀を構えるオリガミ。
「そこを退いてくれオリガミ!」
「できない。通さない」
「あれはアヤノなんだろう!? アヤノは琢磨の大事な人だ! なぜ危険な目に合わそうとする! そんな事をしていたら琢磨が悲しむ!」
「笑止」
「邪魔をするなら例えお前でも! 私はっ!」
サイカはオリガミに斬り掛かった。
その刀をオリガミが小太刀で受け止めると、その小太刀はぽっきりと折れる。
サイカが持つキクイチモンジは、『防御力無視』という夢世界効果のお陰でもはや斬鉄剣。大抵の物なら全て斬ってしまう最強の矛である。
そんな刀の連続攻撃を、器用に避けるオリガミは両手に苦無を持って反撃。
オリガミの苦無と蹴りの連続技をサイカも避け、サイカの薙ぎ払い。
その剣筋を見切ったオリガミは、それをも避け、後方に飛躍しながら黒く長い尻尾を出し、サイカを攻撃。それによりサイカは吹き飛ばされ、雪を撒き散らしながら着地。
距離が離れた所で、オリガミは得意とする手裏剣を連投した。
全てサイカに命中するコースであった為、態勢を立て直したサイカはそれらを残らず刀で弾く。
続いてオリガミは夢世界スキル《念手裏剣》を放ちながらも、尻尾を自在に伸ばして同時攻撃を仕掛ける。
サイカは宙返りで尻尾を避けたが、相手を追跡し続ける特性を持つ無数の手裏剣が迫った。
青く半透明なその手裏剣の群れを回避に専念して、サイカは雪の上を飛び回る。
オリガミはそこへ容赦無く尻尾による攻撃を加え、サイカは二度、三度と弾き飛ばされる形となった。が、三度目に弾かれた時、サイカも苦無を三本投擲。
それがオリガミに命中したが、それは夢世界スキル《空蝉》による幻影だった。
オリガミ本人は後方に飛び、次なる手裏剣スキルを発動させようとする。
だがサイカの姿が消えていたことで、思わずその手が止まった。
《空蝉》を先読みしていたサイカがオリガミの背後に回っており、オリガミがそれを察知する頃にはサイカの刀が振るわれていた。
その刀身が橙色に輝いているのは、黒い尻尾を出し眼球を黒く染めたオリガミが強大な力を持っている証拠だ。
サイカはそんなオリガミの反応速度を凌駕し、彼女の視界外から首を狙って振るわれたキクイチモンジ。
しかし、確実に首を飛ばすはずだったその刃は、オリガミの顔を前に寸前で止まってしまった。
サイカは……斬れなかった。
まるで時が止まったかの様に、その場で固まる2人。
オリガミは顔をゆっくりと動かし、黒く変色して瞳孔が赤く光るその瞳でサイカを見る。
やはりオリガミは無表情で、冷たい目をしていた。
「貴女も同じ」
と、オリガミが言ったのは、サイカも極限の戦闘状態に入った事で目と腕が黒く変色しているからだ。
そう言われてやっと自分の手がまたも黒くなっている事に気付かされ、サイカは刀を振るわせながら問いを投げる。
「オリガミ。教えてくれ。なんでこんな事をする。他にいた彼らは……シノビセブンのみんななのか?」
しかしオリガミは何も答えず、尻尾を撓らせサイカを攻撃する。
サイカは黒い右手で刀を固定したまま、黒い左手でその尻尾を掴んで止めた。
「何をするつもりなんだ!」
「笑止」
その時、2人を激しく包んでいた吹雪が少し穏やかになった。
背後で燃え盛る家がよく見える様になると、遠くからこちらに向かって走ってくるブレイバーの集団と、空飛ぶロウセンの姿が見えた。
すると、オリガミが言う。
「時間稼ぎは終わり」
と、オリガミは黒い右手を巨大化させて、その拳でサイカを殴り飛ばした。
「くっ! オリガミ!」
サイカが空中に飛ばされた時、オリガミは黒コートを脱ぎ捨て風に飛ばすと、瞬時に全身を変化させる。
それは機械的なサイボーグ、黄色ボディのフルフェイスで背中には可変式の羽根。
オリガミが身に纏ったのは、黄色いプロジェクトサイカスーツである。
夢世界と違うのは、黒い尻尾が生えたままであるということ。
羽根を広げ飛び出したオリガミは、瞬時に空中のサイカに追いつくと、そのままサイカの胸倉を掴んだ。
「目障り。消えて」
冷たい言葉。
緑色に光るフェイスパーツの目。
オリガミは右手でサイカを掴んだまま、左手にノリムネを召喚。サイカですらこっちの世界では扱えないパワードスーツを、彼女はいとも簡単に使いこなしている様に見える。
飛行しながらサイカを引っ張り、雪に押し付けてしばらく引き摺って雪を撒き散らした後に急上昇。上空に高々と昇った末、空中でサイカを放り投げた。
エムの風の加護は無く、オリガミの様にスーツを着る事も叶わず、空中では成す術が無いサイカ。
オリガミは翼を広げ、ノリムネを構えたと思えば、すぐに高速で移動してサイカを斬った。
斬って通り過ぎた後もすぐに折り返し、再び斬る。
そうやってまるで飛ぶ事が出来ないサイカを嘲笑うかの様に、そして弄ぶかの様に、四方八方から飛び掛かっては斬り抜けるオリガミ。
「オリ……ガミ……」
腹部、背部、胸郭、上腕、前腕、大腿、下腿、ふくらはぎ、落下する暇も無く八つ裂きにされてしまうサイカ。
最後は正面から斜めに大きく斬り飛ばされ、サイカは血飛沫を撒き散らしながら落下。
歪む視界の中心には、空中で見下ろしているオリガミの姿があった。
オリガミがどんどん遠くなって行く。
ブレイバーは夢主に似ると言われるが、これでは全く別人に見える。あんなに明るくて元気で、すぐ抱きついて来て、暖かい女の子の姿はそこにない。
視界がどんどん白くなって、伸ばした手は届きそうに無い。
――ルビーの言う通りだった。私にはまだブレイバーを……斬る覚悟が無い。なぜオリガミなんだ。私は……どうしたらいい……琢磨……私は……。
サイカが消滅しないので、コアを斬り損ねたと察したオリガミは、もう一度ノリムネを構えた。今度は確実に仕留めようと、ノリムネのブースターを回転させ、最大威力を出そうとする。
だが、そんな彼女に向かってロウセンのビームライフルによる灼熱光線が飛んできたので、オリガミは咄嗟に向きを変えながらノリムネでそれを斬った。
緑色のビームは2つに裂け、オリガミのボディを少し溶かし、ノリムネを半壊、羽根を損傷させたが、致命傷とまではいかなかった。
その後も次々と放たれ向かってくる光線を目にしたオリガミは、後退しながらそれを避け、
「ちっ」
と、落ちるサイカをチラ見した後、追撃を諦めて飛び去った。
低空飛行で前進しながら、的確に空にいたオリガミをライフルで狙ったロウセン。そのコクピットの中にいる3人は焦りを見せたいた。
操縦席に座るソフィア王女が状況を見て指示を出す。
「逃げられます! 追ってください! ロウセン!」
しかし、ミーティアがそれを止める。
「今の見たでしょう! まずはサイカを!」
続いてエム。
「速度を緩めてここを開けてください!」
サイカを助けたい一心で頼んできた2人を横目に、ソフィア王女は、
「分かりました。ロウセン、ハッチを開けてください。サイカさんを救出します」
と指示を変えた事で、ロウセンは飛行速度を緩め、進行方向を落ちるサイカへ向ける。
コクピットハッチが開かれると共に、エムの《風の加護》を貰ったミーティアが飛び出した。
「サイカ!」
大量出血した無残な姿で、意識無く落ちるサイカが、雪の地面に衝突する寸前でミーティアが受け止めた。
それによって、サイカの意識が戻る。
「ミー……ティ……ア……」
「なんて無茶を! 私より先に消えたら許さないって言ったでしょう!」
「すまない……」
「コアは無事……これは……?」
ミーティアは気づいてしまった。
大きく深く切り裂かれたサイカの上半身は、中のコアが見えてしまっている程だった。
普通であればコアが破損して消滅に至っている致命傷に見えるが、そんな中でサイカのコアは黒い皮膜に囲われ保護されていた。かなり分厚く硬い皮膜だった様だが、それすらも深い傷が付いており、コアを守るのがギリギリだった事が分かる。
そんなコアに唖然としてしまったミーティアに抱えられながら、サイカは再び意識を失ってしまった。
青い妖精パーラーフェアリーがサイカの胸元から出てくると、周囲を飛び回る。そうやってミーティアに抱き抱えられるサイカの容態を心配そうに見つめた後、回復魔法を掛け始めた。
そこへロウセンが追いつき、手を出して来たのでミーティアはゆっくりと着地する。
「サイカ!」
と、エムがコクピットから身を乗り出した。
「大丈夫よ。眠ってるだけ」
ロウセンが彼らを落とさない様に、ゆっくり降下して雪の上に着地。
そこへダリス率いるブレイバー隊たちが集合していた。
吹雪もすっかり静まり、空からは晴れ間が見えた頃、まだ燃え盛っている家の方角からブレイバーに救出されたエオナの姿も見えた。
謀られたエルドラドとの戦争と、クロギツネの襲撃。
この戦いにより、ケリドウェンの部下であったブレイバーの約半数が消滅した。
オリガミは機械の翼を広げ、高速で空中を移動する。
真っ白な森と山を超えた先で、海に面した岬へとやって来ると大きな帆船が停泊していた。
それを発見するなり、オリガミは速度を落とし船へ向かって降下。甲板ではクロギツネの面々が揃っており、他にも黒コートを着込んだブレイバー達の姿もある。
手馴れた様子でゆっくりと着地したオリガミは、黒い尻尾を引っ込めながらプロジェクトスーツを解除。いつもの派手な忍び装束へと姿を変えた。
1人の狐がオリガミに新しい黒コートを手渡しながら、
「どうやった?」
と、訛った口調で尋ねる。
「あれはダメ。弱すぎ」
「手厳しいどすなぁ。相手はサイカやった言うのに」
そう言われてオリガミが睨んできたので、狐は両手を上げた。
「おー怖い怖い。そないに夢世界と決別したいんどすなぁ」
「黙れミケ」
オリガミは黒コートを羽織り、フードを頭に被せ、そして手に狐のお面を召喚して顔に装着した。
そこへ檣楼に立っていた鬼のお面を付けたブレイバーがオリガミの前に飛び降りて来て、
「船を出航させる。錨を上げ帆を下ろせ!」
と、他のブレイバー達に指示を出した後にオリガミへ話しかける。
「無傷か」
「当然」
「……サイカは夢世界スキルを使ったか?」
「関係無い」
意味深な質問をオリガミにした鬼のお面はアマツカミ。
オリガミの答えを聞いてアマツカミは何かを悟った様に微笑した後、今度はその場にいる狐のお面4人に向けて言った。
「全員中に入れ。兄さんが呼んでいる」
そんなやり取りが行われ、クロギツネの集団が乗った船は出航。
下ろされた大きな帆が風に押され、船はゆっくりと前進を始める。
船内へと繋がる甲板室の扉を潜ってクロギツネの一同が中へと移動する中、オリガミは気配に気付いて海岸に向かって手裏剣を1つ投擲していた。
その手裏剣は海岸沿いの岩陰で船を観察していたブレイバーの頬を掠めた為、ブレイバーは咄嗟に岩陰へ身を隠した。
その頃、船内の貨物室では、柱に鎖で吊るされ自由を奪われたアヤノの姿。
アヤノは意識が戻り、周りを見渡して見ると大量の木箱が壁際に積まれているのが目に付いたが、中身は確認できそうになかった。
まだハーフマスクは取り付けられたままの様で、視界は狭い。それでも揺れる感覚と、木が軋む音、何となくここが船内だと言う事は分かる。
すると柱の陰から黒いゆらゆらとした何かが動き、アヤノの横へ回り込み脳に響き渡る様な声を発して来た。
「やあ、お目覚めかい。すまないねぇ、手荒な真似をして。どうにも私の家族は暴力的で手に負えない」
聞いた事がある様な無い様な、それでいて頭の中を抉ってくる様な声。
「貴方は誰? ここは何処?」
「私は……そうだな。バグの王だ」
「王様?」
「ああ。皆からは兄さんなどと呼ばれているがね。誰も呼んではくれないが、私は自分にレクスと言う名を付けている。私は自身がバグである事を誇りに思っているし、この世に産んでくれた父さんや母さんに感謝もしている。だけどキミは……違う様だね。嘆かわしい事だ。アヤノ、向こう側からの来訪者として、この世界はどうだ?」
「どうって……」
バグの王、レクスと名乗る影は、まるで幽霊の様に実体が無く、アヤノの周りをうごめいている。
薄っぺらい黒い紙の様にも見えるし、よく見れば人型の様な形もしている。ただし顔と呼ばれる部分が何処なのか、把握もできない。そんな気味の悪い存在は、話を続けてくる。
「キミたち夢主がいた世界は、ここよりも文明が発達して、長い平和が訪れ、温い世界だろう。どうだい。それに比べ、この狂った世界は」
「怖い。全部怖い。なんで争うの。なんでみんな殺し合ってるの。なんでみんな……戦ってるの……」
「そうだ。その通りだアヤノ。人間は醜い戦争の道具として、踏み入れてはいけない神の領域に踏み入った。その結果が此れだよ。神の寵愛さえも仇とした愚行。其れにも無自覚な人間共には、鉄槌が必要なのさ。だからこそ、一緒に破壊しようじゃないか!」
「……えっ?」
「おや、理解できないのかい? キミたちの世界では、そういった物語も珍しくないのだろう?」
「何を言ってるの……それって、結局は戦おうって事じゃない! 分からない! 分からないよ!」
少ない壁掛けのランタンの灯りだけが頼りの薄暗い部屋で、アヤノと影が会話をしていると、貨物室に5人の人物が入って来た。
全員黒コートにフードを被って身を隠しており、4人が狐のお面、1人が鬼のお面を付けている。
蛇の様に陰を伸ばしアヤノに柱ごと絡みついたレクスが、腕の様な陰を2本出して大きく広げた。
「やっときたか兄弟たちよ」
と、レクスが親しげに彼らを迎え入れたのも束の間、小柄な狐のお面が1人、前に出てきた。
アヤノの前まで出てきたのはお面を付けたオリガミ。
これからオリガミが何をしようとしているのか察したアマツカミが口を開く。
「兄さん、その女から離れてやってくれ」
「ふむ」
レクスはするすると煙の様にアヤノから離れ、アマツカミの横まで移動した。
それと同時、オリガミの強烈な拳が吊るされたアヤノの腹部へと食い込む。
「かはっ!」
痛みを感じる間もなく、次の衝撃が来る。何度も、何度も、何度も、オリガミはアヤノの腹部を殴った。
「サイカは、来ない! サイカは来ない! サイカは来ない!」
そんな事を言いながら殴り続けるオリガミは、次第に拳の対象をアヤノの顔へ移行する。
1発目でハーフマスクが半壊、2発目でマスク自体が取れて何処かに飛んで行ってしまった。
そうやってオッドアイで褐色肌な素顔が現れた事で、オリガミの拳に更に力が入った様にも見える。
アヤノの顔を殴り続けるオリガミ。
「サイカのせいで狂い! 貴女のせいで全てが終わる! くだらない! 何もかもくだらない!」
感情を剥き出しにした叫び。でも狐のお面で隠れて表情は分からない。
――ああ、この人は何を言ってるんだろう。何で私、殴られてるんだろう。
状況が理解できないまま、ただ殴られ続けるしかないアヤノ。
ミラジスタで隕石の爆風に吹き飛ばされた時よりも、ケリドウェンの屋敷で背後から槍で刺された時よりも、銃で足を撃たれた時よりも、その拳は痛かった。
それだけ力の籠った重たい拳である。
周りにいるクロギツネの人たちも、レクスも、傍観しているだけで止めようとする気配は無い。
それどころか、レクスは楽しそうに身を躍らせていた。まるで殴られる鈍い音を、音楽として楽しんでいるかの様に、何かに浸っている様だ。
「いいねぇ。憎しみの感情が伝わってくる。なるほど。普段感情を出さないオリガミも、こんな思いを抱えていたんだね。私は嬉しいよ。ああ、素晴らしい!」
感極まった様子のレクスに、アマツカミが冷静に報告を告げる。
「冥魂を確保する際、サイカが現れ、オリガミがそれと戦った」
「……ほう。母さんや姉さんの邪魔をしたあのブレイバー。オリガミの機嫌が悪いのはそのせい、か」
質問を受け、アマツカミはしばし黙った後、
「やはりサイカには『母さんの気配』があった」
と説明した。
「そうか。あの時、この私が始末しておくべきだったのかもしれないな。あんなに脆弱なブレイバーが、よもやそこまで成り上がろうとは思わなかったよ」
「兄さんがそんな事を言うなんて珍しい。だが懸念していた通り、母さんの意思を受け継いだという様子でも無い。あれは使い物にならないな」
「違うぞアマツカミ。サイカの目覚めの時は近い。いや、いずれは私が目覚めさせてやる事になるだろう。そしてサイカ自身が……崩壊の糧となれば、きっと父さんも母さんも喜んでくれる」
レクスとアマツカミがそんな会話をしている中、オリガミは気が済むまでアヤノに暴行を加えていた。
飛び散るアヤノの体液が、オリガミのコートやお面に付着していくが、構わず殴り続ける。
「うぅ……ごめんなはい……もう、やめへ……いはいの……しにはくない……おねはぃ……」
顔が腫れ、鼻や歯も折れ、無残な顔となったアヤノが弱々しい声で命乞いをした頃、やっとオリガミの拳が止まった。
そしてオリガミはレクスの方に顔を向ける。
「兄さん、種を」
と、手を差し伸べるオリガミ。
「おや、その娘も兄妹にしてしまうのかい?」
「なよなよしい女は嫌い。変に抵抗されても面倒」
「それもそれで一興か。オリガミ、やはりキミは面白い子だ」
「笑止。早く」
「今度は良い兄弟になってくれるといいね」
レクスに口の様な部分が現れ、そこから人間の心臓にも似た紫色の『種』を吐き出し、それを小さく細い手の様な影を伸ばしオリガミに手渡す。
オリガミは種を受け取り、再びアヤノに近づくと、彼女の口をこじ開けて押し込んだ。
アヤノの口の中に押し込まれた種は、まるで生き物の様に動き、吸い込まれる様にアヤノの体内へと入って行く。
「うっ! んくぅ……んあっ……んんんっ!!!」
苦しそうに痙攣するアヤノを前に、種がしっかりと体内へ入り込んだ事を確認したオリガミは、背を向けた。
「大丈夫。すぐに神の声が聞こえて楽になる」
そう言って、オリガミはその場を離れた。
アヤノの顔は紅潮し、目は大きく見開いているが瞳は虚空しか見ておらず、ほぼ白目状態。口から異物が入り苦しむアヤノの目は赤く光り、全身が真っ黒になり、先ほど殴られた傷が一瞬にして回復した。と思えば、すぐに褐色肌へと戻る。そんな姿を目の前にして、黙って見ていたミケが言った。
「これでこの娘も、自ら望んで媒界となる道を選ぶ」
続いてハンゾウ。
「悲願が叶う時は近いな」
次にカゲロウ。
「神に背いたブランも、これで報われるね」
様々な苦難を乗り越え、ようやくここまでやって来たと言わんばかりに感慨に浸る彼らクロギツネを前に、アヤノは鎖で吊るされたまま悶え苦しみ、種がアヤノのコアに寄生した所で彼女は気絶した。
するとレクスが再びアヤノの身体を柱ごと優しく包み込むかの様に巻き付き、そして口や目の様な物を出し、両手を空へ掲げ、高揚した様子で告げる。
「兄弟たちよ! 時は満ちた! 全ての人間にレクイエムを! 全てのブレイバーにアンセムを! 聴こえているかい姉さん! 姉さんも一緒に奏でようじゃないか! ああ……なんと素晴らしいオーメンなんだ!」
クロギツネ達の船が向かう先は、バグに支配されたアリーヤ共和国。
この日を境に、世界は再び『厄災』を迎える事となる。
その頃、エルドラド王国のミラジスタで前兆の1つが動き出していた。
中央地区にある王国兵士基地の地下牢で幽閉され、氷漬けで眠らされていたキャシーが目覚めたのだ。
彼女はあえて氷漬けにされている状況に逆らわず、眠り続ける事で力を温存し、時が来るのを待っていたのである。
丁度、低温を保っていた魔法陣の効力も弱ってきていた頃で、彼女を包む氷に亀裂が入って行く。
段々と氷の亀裂が増え、大きく深くなっていき、合わせてキャシーの両手が黒く変色した。
そして氷が砕け散ると共に、棺桶ごと吹き飛び、周囲に残骸が四散する事となる。
その爆発音は扉の向こうで監視していた王国兵士にも聞こえ、慌てた様子で中に入ってきた。
「な、なんだ! 何の音だ! こ、これは!」
飛び散った氷の破片と棺桶があった場所に立っている黒ドレスの女を前に、王国兵士2人が驚愕したのも束の間、氷の刃が2人の頭に突き刺さった。
「あはぁ。やっと動ける。本当に待ち草臥れたわ。あとで弟には文句言っておかないと……」
悠々と監禁部屋の扉から歩いて出るキャシーは、駆けつけてきたブレイバーやアーガス兵士長と出くわす事となる。
「なっ!? なぜ動ける!」
と、アーガスは剣を構える。
「分からない? 私はねぇ、氷を操るのが得意なのよ。よく眠らせて貰ったわ。夢は見れないけど」
そう言って、手に氷の剣を召喚するキャシー。
アーガスと一緒にやってきたレイピアを持った女ブレイバーは、キャシーと戦った経験が無い為、恐れを知らず勇敢にも攻撃を仕掛けた。
だが、キャシーに攻撃を軽くあしらわれた後、レイピアを持つ手が切断され、次に首を跳ね飛ばされ、無防備になったところで背後からコアを貫かれた。
呆気無くブレイバーを消滅させられ、この場は危険だと察したアーガスはその場から逃走する。
「あら。せっかく私が目覚めたって言うのに、連れない殿方ね。ま、いいけど」
キャシーが牢屋を出ると、銃火器を持ったブレイバー数人に包囲された。
アーガスの冷静な判断と準備が活かされ、緊急事態に備え待機していたブレイバー達だ。
「う、動くな! 動くと撃つぞ!」
脅された事で一応足を止めるキャシー。
そこへ数で抑えようと、他のブレイバー達も続々と集結。あっと言う間に数十人のブレイバーに囲まれ、更にその外側は王国兵士によって固められた為、逃げ場は無くなった。
不利な状況に立たされたにもかかわらず、キャシーは余裕の笑みを浮かべ、
「1つ聞きたいのだけれど、スウェンは何処かしら?」
と質問するも、誰も答えてくれる気配は無い。
「……そう。まあ、準備運動に丁度いいわ。手始めに虐殺も悪くない」
不気味に笑うキャシーを見て、後方で指揮を取るアーガスはホープストーン採掘場であった出来事を思い出し、冷や汗を流しながらも大声を出す事となる。
「多くのブレイバーがこいつにやられている! 捕らえようなどと思うな! 殺しても構わん! 総員掛かれ!」
「「「うおおおおおおおっ!!!!」」」
黒ドレスの女が氷と共に舞い踊り、そしてミラジスタでは危険を知らせる警鐘塔の鐘の音と無数の銃声が鳴り響いた。




