50.エオナ
ミラジスタの町にある王国兵士基地は、中央地区に位置する場所に構えている。
テロ事件で町にバグが蔓延った事件の際は、民間人の避難所となった複数の建物が連なり、その規模は大きい。
そんな兵士基地の中にあるミラジスタ所属の王国兵士が警備する牢獄。その地下にある独房にはテロリストの一味であったキャシーが幽閉されている。
バグの力を有している危険な存在である事から、棺桶の中に冷凍保存されていた。
キャシーが棺桶で眠る独房がある地下では、食物の冷蔵保存で使用される魔法陣により低温を保たれている。だがこの魔法陣を使用する条件は限られている事から、外での使用は難しく、王都への輸送が計画される事は無かった。
そんな棺桶の中で氷漬けにされ眠るキャシーを見に来ていたミーティアは、白い息を吐きながらその顔を棺桶の小窓越しにただ見つめていた。
ミーティアの居場所を聞きつけ、階段を下りて来たサイカは部屋の寒さに身震いしながら鉄扉を開ける。
扉が開いた音を聞いて、ミーティアは入ってきたサイカに目線を向けた。
「サイカ……」
「こんな所にいたのか……寒いな」
忍び装束で薄着のサイカは、露出している腕を手で摩りながらミーティアに近づき、眠るキャシーを見る。
そしてミーティアは言った。
「この女はバグを操り、サイカと似た能力を自在に使いこなしていた。何か話が聞ければいいのだけど……」
「ありがとうミーティア。でも下手な事は考えないで。そんな事はしなくて良い」
「しかし……」
「それよりも、私達は今日にでもミラジスタを発とうと思う。行先は王都シヴァイだ」
「王都へ?」
「だからミーティアに道案内を頼みたい」
「……承知した。だけど、良いのか?」
サイカはすぐにクロードとの事を気にしてくれているのだと察した。
「もう大丈夫。ありがとう」
「……ここは寒い。行こう」
と、ミーティアは言い残して独房を出ようと先に歩き出した。
「待ってくれミーティア」
サイカが引き留めた事で、ミーティアは足を止めた。
「……いや、なんでもない」
何か言い掛け途中で止めたサイカであったが、ミーティアは、
「行こう」
と、そのまま出て行ってしまったのでサイカも後を追った。
そして出入り口で待機していた王国兵士は、2人のブレイバーがその場を後にしたのを見て、すぐに牢の鉄扉を閉め厳重に施錠するのが見えた。
2人が牢屋を出ると、基地内部を忙しなく動く王国兵士達が、サイカとミーティアを見つけ皆足を止めて王国式の敬礼をしてくる。
そんな中、歩みを進めていると、新米兵士達の指導をしているアーガス兵士長の姿が見えた。
すぐにアーガスはサイカとミーティアを見つけ、他のベテラン兵士にその場を任せ近付いて来る。
「これはこれは、サイカ殿にミーティア殿」
「アーガス兵士長」
と、ミーティアはアーガスには敬礼をしたので、アーガスも軽く敬礼で返した。
そうやってミーティアが足を止めたので、サイカも止まりアーガスへお辞儀した。
アーガスが問いを投げる。
「今日はどうしてこんな所に?」
ミーティアが答えた。
「あの女の顔を見に来ました」
「キャシーか。なるほど。つい先ほど、スウェンが王都に到着したという知らせが入った」
「今頃? 随分と遅いですね」
「道中でバグの襲撃と揉め事が多数。同行した私の部下も何人か犠牲になった」
「……そうですか」
「あのテロ事件以来、バグの数は増す一方。いったい何処から湧いてくるのか。サイカ殿が言っていた狭間とやらに立ち入った事が原因かもしれんな」
「それは……」
するとアーガスはサイカに目線を向ける。
「サイカ殿はどう思う」
「……わからない。でも、もう一度あの場所に行ければ……」
「もう一度……となると、大きなホープストーンが必要になるな。ただ町を守る為にブレイバー召喚が急がれる中、ミラジスタにはそれに使うホープストーンは残っちゃいない」
「そうか……」
残念そうに目を伏せるサイカを見て、ミーティアが言った。
「でもサイカ、王都に行って王に謁見ができれば、特別に用意して貰えるかもしれない」
「そうなのか?」
「ああ。もっとも、王都に入れて貰えればの話だけど」
「王都に行くのか?」
と、アーガス。
「はい。サイカが……今日にもミラジスタを発つと言っていまして」
「今王都では避難民の受け入れを拒否、厳しい入場規制が行われている」
「はい。それは私も見て来ました」
「元王国ブレイバー隊のミーティア殿でもダメとなると……相当だな」
「だからこそなのかもしれませんが……」
「どれ、私からの推薦状を出そう」
「え?」
「せめてもの恩返しだ。待ってろ」
そう言って背を向け歩き出したアーガスに、サイカとミーティアは揃ってお辞儀をする。
そこへサイカを呼ぶ声がした。
「サイカ―!」
サイカとミーティアは声がした方に顔を向けると、そこには迎えに来たエムとマーベルの姿。大きく奇妙な形をした杖を取り戻したエムが、手を振っていた。後ろにはルビーの姿も見える。
そんな中、アーガスはふと何かを思い出したかの様に、振り返りながら質問してきた。
「お前たち、アリーヤ共和国の件、知っているか?」
それに再びミーティアが答える。
「バグにより壊滅したという話ですか?」
「そうだ。港町モンタで受け入れた避難民から聞いた話では、レベル5バグの複数同時出現により、あの国はもはやバグの国と化したと聞いている。幸いあの国とは陸続きになっていないから、我が国に危険があるとは思えんが……1つ興味深い話があってな」
「興味深い話?」
「避難する民とブレイバーを救う為に、黄金の鎧を身に纏った男が率いるブレイバー隊が戦い続けてるそうだ」
黄金の鎧の男と聞いて、サイカはすぐに1人の人物を思い浮かべた。
首都対抗戦で対峙した事があり、一度は夢世界でバグを相手に共闘した事もある彼。サイカは思わずそのブレイバーの名前を聞いた。
「そのブレイバーの名前は?」
「ああ。アリーヤ共和国の危機に突如として現れ、史上最強ではないかと噂されるブレイバー。名はエンキドと言うらしい。ブレイバーズギルドには登録が無い非正規ブレイバーらしいが……状況を聞く限り、もう生きてはいないだろうな」
そう言い残し、歩いて行ってしまうアーガス。
意外な人物の名前を聞き、目を丸くして驚くサイカであった。
そしてサイカは、この話はエスポワール宿屋のサダハルに真っ先に知らせるべきだと、そう思った。
アリーヤ共和国は戦乱の時代から、中立の立場と平和主義を貫いていた。
人間とブレイバーを区分けして、法律により接触を徹底的に無くした上で、国内でのあらゆる武力行為が禁止とされていた。
問題となる夢を失ったブレイバーのバグ化についても、夢の厳重な報告義務により管理が行われ、世界的に一番安全な国とされていた。そんなバグの出現を許さない国は、その噂を聞きつけた多くの移住者がいたほどだ。
エルドラド王国でマザーバグが討伐されたという一報が入ってしばらく経った後、事態は一変した。
国内で同時多発したレベル5バグの複数出現から始まり、そのバグに率いられたバグの群れが首都に侵攻。大統領や元老院議員は真っ先に国外へ逃亡した為、指揮系統は失われ瞬く間に国民は大混乱となった。
燃え盛る首都、バグに捕食される人間、消滅するブレイバー。
それでも、絶望的な状況を前にしても必死に抵抗するブレイバーもいた。
その内の一人であったエオナも又、避難民を逃がす為に防衛線で一役買っていた。
だが共に戦っていたブレイバーは皆倒され、レベル4のバグに数十体に包囲されたエオナも重傷を負っていた。
刀は折れ、もう動く力も残っておらず、立ち上がる事すらままならない状況。
そんな時に現れたのが、仲間のジーエイチセブンと見知らぬ黄金鎧の剣士だった。
ジーエイチセブンに腕を引っ張られ救出される中、エオナは見た。
燃え盛る炎の中、彼はレベル4バグの群れを瞬殺。
それどころかイグディノムバグと思われる巨大なレベル5バグですら、武器を自在に持ち替え、たった一人で倒してしまう。
その背中は、まるで戦神の様だった。
彼の名は……エンキド。
そんな事を思い出していたエオナは、刀の刀身に映る自分の瞳を眺めていた。
すると横に座っていたジーエイチセブンが話しかけてくる。
「また、思い出してるのか。アリーヤでの事」
「……あの人は、まだ戦っているのだろうか」
「あの人? ああ、エンキドの事か。どうだろうな……普通のブレイバーなら、とっくに消滅してるだろうけど、あいつは規格外だからな」
そこまで言ったジーエイチセブンは、夜の雪景色を窓越しに見ているアヤノに話しかける。
「アヤノ、室内では外したらどうだ」
ケリドウェンの屋敷に招き入れて貰い、暖炉で温まった部屋だというのに、コートを脱ごうとせずハーフマスクも外さないアヤノを注意した。
だがアヤノは何も言わず、ただ外を眺めているだけ。
全く愛想も無い態度を見たエオナが、ジーエイチセブンに問う。
「なあジーさん。こんな女に、なんで私達が命を懸ける必要があるんだ?」
「夢世界でウチのギルドメンバーだ。知らなかったのか?」
「知らん。第一、私は最近ほとんど夢を見ない」
「それでよくブレイバーとして召喚されたな」
「昔からという訳じゃない」
「そうかい」
「それで、何なんだ。グンター王はワタアメからの贈り物だと言っていたが」
そう言いながら、エオナは刀を鎖が巻かれた鞘に納め、横に置いた。
そしてジーエイチセブンがエオナに答える。
「……俺も分からん。ただ夢世界での俺が大事にしていたし、サイカ繋がりだ。夢世界でバグに拉致され、そしてなぜかここにいる。普通のブレイバーじゃねえのは確かだよ。めんどくせぇ事を押し付けてきやがって、ワタアメの奴」
「本当にワタアメは……狭間に行ったんだな……」
「エルドラドで何をしてんのかと思えば、ホントあいつは、いつまでも勝手な奴だよ」
エオナはジーエイチセブンの言葉に、ワタアメの事を思い出しクスッと笑った後に一言。
「違いない」
2人がそんな会話をしていると、部屋の扉がゆっくりと開かれたので、エオナとジーエイチセブンはその方向を見た。
そこには槍を片手に持ったメイド服姿の女性が立っていた。
ジーエイチセブンは言った。
「メイド……いや、ブレイバーか」
メイド姿をしているブレイバーなど、かなり珍しい姿だ。
間も無く、メイドのブレイバーは要件を伝える。
「ケリドウェン様がお呼びです」
名も知らぬメイドに案内され、3人は広い食堂へとやって来た。
白のクロスが敷かれたテーブルには、並べられた豪華な料理の数々を食している6人の老若男女。壁際で食事の様子を眺めるメイドは4人。
そして上座に腰掛けグラスに注がれたワインを上品に口にしているのは、出会った時とは違う貴族ドレスに着替えたケリドウェンだ。
警戒心の強いジーエイチセブンは、部屋に入るなりまず周囲に立つ4人のメイドに目をやった。
ここまで案内してくれた黒髪おかっぱ頭のメイドは槍、金髪ロングがアサルトライフル、茶髪ポニーテールは背中にスナイパーライフル、ピンク色サイドテールは何も持っていない。
それぞれがメイド服を揃って着ているのを見て、ジーエイチセブンはケリドウェンに言った。
「特殊な趣味をお持ちな様で」
するとケリドウェンはワイングラスを揺らしながら、
「ブレイバーもお洒落したって良いじゃない。皆、案外気に入ってますことよ」
とメイド達に目配りすると、メイドは無表情のままお辞儀した。
ジーエイチセブンは次にテーブルで食事をする人間に目を向ける。
若い女性や、丸眼鏡を掛けた中年男性、老人の男性と女性、そして子供の男女。食事をしている所を見るとブレイバーでは無く人間だ。
ジーエイチセブンの目線に気付いたケリドウェンが先に説明した。
「人間ですわ」
「人間? かくまっているのか?」
「勘違いしないで頂戴。みんな学者ですのよ」
「学者?」
「ここにいるのは皆、読書と勉学に優れ、世界史に通じ、博学な者達ばかりですわ」
「何の為に?」
「知識は武器。戦闘技術、運動能力、反射神経、夢世界スキル。必要無いとは言わないけれど、そんな物より大事な事……それが知識ですのよ」
「まぁ言いたい事は分かるけどよ。それで、ここにいるのは全員か?」
「そうね……場所、変えましょうか」
そう言ってケリドウェンはグラスを置き席を立つと、おかっぱ頭の槍持ちメイドに声を掛けた。
「ナーテ、貴女だけ付いて来なさい」
「はい」
3人が食堂を出てケリドウェンとナーテの後に続くと、雪が降り注ぐ森の景色が窓の向こうに見える廊下を歩く。
歩きながら、ケリドウェンが勝手に語り始めた。
「昔、こんな実験があったそうですわ。職業も年齢もバラバラの人間たちを集めて、1回目は覆面マスクを着けて、2回目は素顔で、それぞれ初対面の人と会話して違いを見比べるというものだったのですけれど……それが面白くて。皆、覆面マスクを着けていると愚痴を溢したり相手のことを小馬鹿にしたりと、攻撃的な一面が多く見えたそうですわ。でも、素顔になると一変して多くの人間が大人しく礼儀正しくなったそうですの」
それを言われ、ジーエイチセブンはハーフマスクで目を隠すアヤノをチラ見したあと、
「何が言いたい」
と、ケリドウェンに問いを投げた。
「つまり顔を隠すという事は、そういう事……ですのよ」
そんな会話をしながら、やって来た部屋は何も無い部屋だった。
広くこの部屋だけ壁や床の材質が違う様で、床には正方形に白い線が描かれている。壁に掛けられた木刀を見る限り、稽古場と言った雰囲気だ。
部屋に全員が入ると、ナーテが両開きドアをそっと閉じた。
静かな部屋にやって来た事で、ジーエイチセブンが改めてケリドウェンへ聞いた。
「ここはなんだ?」
ケリドウェンは木刀を一本手に取り、それを軽く振り回した後に矛先をジーエイチセブンに向けた。反応してジーエイチセブンとエオナが咄嗟に部屋に置いてきた武器を手元に召喚して構えたが、ケリドウェンは気にせず話し出した。
「そなたら、この世界で最初にブレイバー召喚を成功させた国は何処かご存知でして?」
「興味ないね」
「今から30年前、ここオーアニルが最初のブレイバーをこの世に召喚した事が全ての始まりですわ」
「そうなのか?」
と、ジーエイチセブンがエオナを見るが、エオナは首を横に振った。
その様子を見て、ケリドウェンは嘲笑う。
「でもね、オーアニルがブレイバー召喚を行えたのは、ただの偶然なんかではありませんわ。オーアニルに古くからある伝承がブレイバー召喚儀式の基となりましたのよ」
「それと俺達をかくまう事に何が関係しているんだ」
「急かすのは紳士ではなくってよ。その伝承はホントか嘘かも分からない程、何百年も前から存在する昔話。かつて世界が魔王に支配され、人間から魔法という文明がほとんど失われてしまう切っ掛けとなった時代」
するとエオナが口を開いた。
「聞いた事がある。エルロイドの伝説……でもあれは……」
「空想上のお話しではありませんわ。それは物語に出てくる場所を巡れば分かりますことよ。このお話しに出てくる勇者エルロイドは……世界最古のブレイバー。おかしな話ですわよね。そんな大昔に、なぜブレイバーが存在していたのかしら」
「世迷言を。歪曲され美化された冒険記だからだ。魔王なんて存在しなかったし、いなかった。ただの悪党を何処かの騎士が倒したくらいの、そんな話だったんだろう」
「果たして本当にそうと言い切れるかしら。わらわは多くの人間が有り得ないと揶揄するこの話こそが真理と思っていますわ」
ケリドウェンの目線が後方にいるアヤノに向いている事に気付いたジーエイチセブンが、
「まさか……」
と、何かを察した。
「勇者エルロイドは、極限の戦いにおいて肌が黒くなり、尋常では無い力を発揮していたそうよ。対する魔王も似た能力を有し、そして自在に化け物を操っていた」
「その化け物がバグとでも言うか」
「化け物の色は紫。そして強い奴であればあるほど強大で再生能力に優れ、色が黒かったとのこと。それでも違うと言えるのかしら。この世界の魔力を全て使い果たす程の魔王を倒し、世界に平和をもたらしたエルロイドは、愛した姫君に別れを告げ、魔石の向こうへと姿を消したとされていますわ。この魔石が何かだなんて言わなくてもわかりますわよね」
「ホープストーンか」
「そしてエルロイドはもう1つ、大きな特徴があったと言われていますわ」
その瞬間、アヤノの後ろに立っていたメイドのナーテが動き、その槍がアヤノの腹部を貫き持ち上げた。
アヤノは吐血、貫かれた腹部からはおびただしい流血。
ジーエイチセブンとエオナがそれに気付いた時には、ケリドウェンも動いた。
華奢な身体からは想像できない程の速さで、一瞬で2人の間合いまで来たケリドウェンは木刀を振るう。
ジーエイチセブンが即座に反応して、木刀を片腕で受け止め、すぐに大剣で反撃。
ケリドウェンはその剣を避け、時には素手でいなし、そして空中で一回転しながらジーエイチセブンを蹴った。
それでも怯まないジーエイチセブンは、夢世界スキル《インペリアルソード》を発動。全身から眩いオーラを放ち、木の床を陥没させながらケリドウェンを重力による圧力で動きを封じる。
その隙にエオナが、
「抜刀」
と、夢世界スキル《弧刀影斬り》を発動。
光の速度も凌駕するエオナの必殺の居合いが、9本の刃となり、余裕の笑みを浮かべるケリドウェンを襲う。
見事に斬り刻んだと思いきや、ケリドウェンは無傷。
空かさず木刀による反撃が来たので、咄嗟にエオナはその木刀を刀で斬る事で防いだ。
「エオナどけっ!」
ジーエイチセブンの声を聞きエオナは飛躍。
今度はジーエイチセブンの光り輝く大剣が横から斬り掛かるも、ケリドウェンは重力による行動封じが効いていないかの様にひらりと身を反らして剣を避けた。
それでも攻撃の手を緩めないジーエイチセブンの振り降ろしを前にして、ケリドウェンは手元に刀を召喚。
「抜刀」
と、エオナの口振りを真似したと思えば、ケリドウェンは刀で大剣を弾いた。
「なにっ!」
完全に魔法職系のブレイバーだと思い込んでいた2人は、ケリドウェンが刀を召喚した事に驚く。
そしてそれ以上に、そのケリドウェンが手に持っている鞘と刀が、エオナの武器と瓜二つである事に衝撃を受けた。
それだけでは終わらなかった。
ケリドウェンがエオナと同じ刀を片手で振り上げたと思えば、夢世界スキル《インペリアルソード》を発動。床の陥没と共に2人は重力に押し付けられ、エオナは倒れたが、必死に耐えるジーエイチに向かって夢世界スキル《弧刀影斬り》を発動。
9本の刃でジーエイチセブンを斬り刻んだ。
ケリドウェンは手加減しており、何事も無かったかの様に夢世界スキル《インペリアルソード》の重力を解くと、刀を投げ捨て、優雅に槍で背後から串刺しにされているアヤノへと歩みを進めた。
投げ捨てられた刀は空中分解され、光の粒となり消えていく。
圧倒的な力量差、そして同じ武器と技を使うという信じ難い光景を見させられ、倒れるジーエイチセブンとエオナはそれ以上動く事が出来なかった。
ケリドウェンは微笑み、もがき苦しむアヤノのハーフマスクに手を伸ばす。
「勇者エルロイドは……右目が赤、左目が青」
そう言いながら、ゆっくりと目を隠しているマスクを取り上げる。
露わとなるアヤノの顔、銀色の髪、二本の角、そして……右目は真っ赤、左目は美しい緑みの青で輝いていた。
更には槍で刺され窮地に追いやられているせいか、必死に槍を掴みもがく手は段々と黒く染まり、そしてオッドアイの目尻には黒い血管の様な物が浮き出、右目の眼球も黒く染まりつつある。
「やはり冥魂。わらわの予想通りでしたわね」
エオナが立ち上がり、アヤノを助けようと背後から斬り掛かる。
しかしケリドウェンは振り返り、左手はアヤノから取ったマスクを持ったまま、右手の指でその刀をつまんで受け止めてしまった。
指で止められるのはこれで二度目。
エオナにとって剣士として最大の屈辱であり、刀を持つ手に力が入るが、やはりピクリとも動かす事が出来なかった。
そしてケリドウェンは、エオナから目を離す事なくメイドのナーテに指示をする。
「もう済みましたわ。その子を降ろしてあげなさい」
「はい」
ナーテは言われるがままに、アヤノを床に降ろすと、容赦なく槍を引き抜いた。
アヤノは流血と吐血をしながら、そのまま床へ崩れる様に倒れる。
「3人ともワールドオブアドベンチャーですわね」
と、ケリドウェンは刀から指を離したので、エオナは距離を取る。
傷だらけのジーエイチセブンも血だらけになりながら立ち上がり、ケリドウェンに聞いた。
「俺たちと……同じ技を……ならばお前も―――」
「勘違いしないで頂戴。わらわはそんな下賤の夢世界ではありませんわ」
それを聞き、エオナが声を荒げる。
「有り得ない!」
「可能性を自ら封じ込めるのは夢を捨てると同義でしてよ。己の無知を呪いなさい」
ジーエイチセブンとエオナに戦意がまだ残っているにもかかわらず、ケリドウェンは振り返り、血だまりの中でもがき苦しむアヤノに寄って腰を落とす。
見れば、大量出血により顔面蒼白になっていた。
「残念。まだ使いこなせて無い様ですわね」
そう言ってアヤノの傷口にそっと手を当てたと思えば、その手から緑色の暖かな光を発し、瞬く間に傷を癒していく。
傷口が塞がって来た所で、アヤノは眠りに落ちた。それを見届けたケリドウェンは、アヤノの顔にハーフマスクを戻す。
「自ら戦火に飛び込んで来てしまった可愛い子鬼。やはり何とも面白い厄介事をこの地に持ち込んでくれたみたいですわね。そなたら」
ケリドウェンは立ち上がり、両手を挙げた。
「そう怖い顔で睨まないでくださいませ。もう戦うつもりはありませんわ。力量も計れましたし。それとも……ここでわらわに蹂躙されたいのかしら?」
その言葉に、ジーエイチセブンとエオナの戦意は……完全に失われた。
✳︎
高校3年生の久々原彩花が通学で二両編成の電車に揺られていると、スマートフォンのWOAアプリに通知が来ているのに気付いた。
それはゲーム内で所属しているギルドのメンバー、アスタルテからメッセージだった。
引っ張り役でムードメーカーだったギルマスがログインしなくなって、呆気無くギルドの士気は低下。
結局はギルマス1人の力に頼っていたに過ぎず、こんな物かと拍子抜けした。
ギルマスの屈託の無い笑顔に、もしかしたらと期待していたのが馬鹿だった。
彩花はそんな事を抱きつつワールドオブアドベンチャーに飽きを覚え、もともとギルドの中でもログイン率は良くなかったし、このままネットゲームから卒業するのも悪くは無いと思っていた。
そこに届いたアスタルテからのメッセージだ。
無視するのも悪いと思い、今日はせっかく仲良くなったクラスメイトとの遊びも早めに切り上げ、最寄駅の古賀茶屋駅から歩いて20分の位置にある自宅へと帰宅した。
しばらくゲーム機を使っていなかったので、姉にリビングへ持って行かれたと思い、いざ使おうと探して見れば何処にも見当たらない。犯人は母親じゃないかと彩花は予想した。
なのでリビングで煎餅を食べながら恋愛ドラマを見ている母親に問いかける。
「母ちゃん、ゲーム機何処にしまったん?」
「ゲーム機? 邪魔やけん寝室んクローゼットばい」
「はぁ? なしてクローゼット?」
「何処だってよかろう。なんね、もうゲームはやめたんじゃなかったと?」
「しゃあしぃ」
母親が言う通り、両親の寝室のクローゼットの中にある段ボールにゲーム機は入れられていた。VRゴーグルも一緒だ。
彩花は面倒なので段ボールごと両手で持ち、自室へと持って行ってゲーム機本体を机の上に設置する。
部屋にあるテレビには繋げず、VRゴーグルをゲーム機本体に接続して、そのまま頭に装着する。
久しぶりに頭を包むゴーグルは少し窮屈で、そして重たいと感じた。
ワールドオブアドベンチャー。
住んでいる地域によってゲーム開始地点が変わる特殊なシステムにより、彩花が初めてログインした時は日本の九州在住プレイヤーが多く集まるブラッドミア大陸の首都アジェスだった。
そしてVRによる臨場感に感動を覚え、程なくしてもっと広い世界を見てみたいと思い、憧れである東京プレイヤーが集まる首都ゼネティアを目指し旅に出た。
約2年という月日を掛け、関西のローアル、中部のマリエラを越え、出会いと別れを繰り返し、道中で隠し職業への転職も経てゼネティアに辿り着いた。
名前は、エオナ。
職業は、サムライ。
✳︎
1ヶ月ぶりとなるログインだった。
左手に鎖が巻かれた刀を握り締め、甲冑鎧を身に纏った白茶ロングのエオナがログアウトブレイバーズのギルドアジトへと降り立つと、そこにはアスタルテとジーエイチセブンの姿があった。
「こんちゃ」
と、アスタルテが挨拶してきて、ジーエイチセブンも続いた。
「よっ」
「こんちは」
「エオが一番乗りか。意外だな」
「そうと?」
そしてエオナをメッセージで呼び出したアスタルテが言った。
「急にごめんなさいエオさん」
「珍しかね。一緒に遊ぼうなんて」
「待ってるだけはやめようってジーさんと話したんですよ。だから久しぶりに遊びませんか?」
「別によかよ。じゃあ準備してくるけん」
エオナが早速、所持アイテム整理をする為にアジトを出ようとすると、先に扉が開き人が入ってきた。
入ってきた人物は、狐のお面を付け黒のストールで上半身を隠した赤と黒の忍び装束の少女。エオナは驚き、思わず足が止まった。
「あんた……」
少女の頭上に浮かぶHPバーの上に表示されている名前は……サイカ。
エオナのリアルネームと同じで、今では有名人となっているサイカが目の前に現れたのだ。
サイカは仮面を取ると、エオナにお辞儀して挨拶した。
「こんにちは。初めまして」
「初めましてやなかばい。前に会っとーと」
「え?」
「蜃気楼ん塔ったい。一緒に戦うたやろ」
「あっ……」
「しょうがなかね。ろくに挨拶もせんかったけんね。はじめまして。エオナばい」
「あ、うん。よろしく」
エオナがサイカと初めて出会ったのは蜃気楼の塔というイベントダンジョンに挑戦した時の事。
ワタアメが企画したパーティープレイで、急きょ参加する事になったクノイチはレア武器のキクイチモンジを腰に携え、レベル125という驚異的な数字が只者では無い事を物語っていた。
そして共に戦い100階を目指して登った塔は、このゲームをやっていて初めて最高に充実した瞬間だったとエオナは記憶している。
ギルドに加入していなかったし、そのうちワタアメがギルドに連れ込むかと思っていたが、それがまさかバーチャルアイドルなんて大それた偉人になり、こんなに手の届かない存在になってしまうとはエオナも思ってはいなかった。
悪戯に同じ名前という事もあって、学校ではよく友達にネタにされる原因ともなってしまった。
そんな彼女、サイカ本人が突然目の前に現れたのだ。
しかもちゃっかりレベルは1つ上がって126になっている。
エオナはクスッと笑みを零した後、
「今日はよろしゅうね」
と、サイカの肩をポンと叩き出て行った。
でも実はこの時、エオナはVRで間近に見る生サイカに感動していた。
前はただ凄い人という認識でしかなかったが、今回の再会は憧れの芸能人と会話をする事ができた様な高ぶる感情があった。
なので冷静を装ってはいたものの、ギルドアジトを出た後、喜びに悶えていたエオナの事は誰も見ていない。
そしてエオナはボソッと呟いた。
「VRで良かったばい」
出て行くエオナの背中を見送った後、ジーエイチセブンはサイカに話しかけた。
「アイドル活動、再開したって聞いたけど大丈夫なのか?」
「うん。今は大丈夫。さっきの……エオナって人もギルドの人?」
「そうだ。エオは隠し職業のサムライでな。首都アジェスから遥々ゼネティアまで来た面白い奴だ」
「アジェス……そんな遠くから……」
「ここゼネティアが目的地だったらしくてな。目標失ったところを、ワタアメのやつが上手く拾ってウチのメンバーになった」
「なるほど」
するとジーエイチセブンがメニューを操作して何かメッセージを入力したと思えば、サイカにそれが届いた。
【アヤノの様子はどうだ? 何か琢磨から聞いてるか?】
サイカはそれを読んで、残念そうに首を横に振って見せた。
2人がそんなやりとりをしているとアスタルテが場を仕切り直す。
「今日はとりあえずジーさんとエオさん、そしてサイカさんと俺の4人ですね。早速出発しましょうか」
エオナが持ち物整理から戻ると、早速4人はゼネティアの外に向かう為に移動を開始する。
ネットワークショックが起きてしばらくは、何処か不穏な雰囲気がこのゼネティアに漂っていたが、今ではすっかり活気を取り戻している。
バーチャルアイドル効果で逆にプレイヤーが増えたのではないかと思える程だ。
正門を目指し大通りを歩いていると、再び狐のお面を装着してストールで上半身を隠しているサイカにエオナが質問した。
「あんた有名人なんやろ。大丈夫と? こげん堂々と歩きよって」
「大丈夫」
それを聞いていたアスタルテが後ろから説明をした。
「最近はサイカさんの格好を真似る人も増えましたし、似た様な名前の人も多いですからね」
「灯台下暗しってやつやなあ」
と、周りを歩くプレイヤーに目を配るエオナ。
サイカはそんなエオナが左手でしっかり握っている、刀に注目していた。
職業は違えど同じ刀使いとして、その見た事も無い鎖が巻かれた鞘に興味津々である。
「その刀……」
「ん? これ? オオデンタミツヨばい」
「聞いた事無い」
そこへ今度は前を歩くジーエイチセブンが解説した。
「ブラッドミア大陸にある首都アジェスでしか手に入らない代物だ。ゼネティアまで回ってくる事はほとんど無いから、知らないのも無理は無い」
「うちが初心者ん頃に面倒見てくれた人から貰ったんよ。剣士では装備ができんかったけん、ずっと大事に持っとった。やけんサムライになれたんは運命やったんかもしれん。サイカしゃんが持っとるのはキクイチモンジやろ?」
「うん、私も貰い物」
と、キクイチモンジの柄を優しく撫でるサイカ。
「もしかして能力解放してあると?」
「うん」
「おー! 凄かねー! 頼もしか!」
それ以上何も言おうとしないサイカだったので、ジーエイチセブンが違う話題をエオナに振った。
「それはそうとエオ。見ての通り、ギルドマスターが不在になってウチのギルドはゴールデンタイムでもみんなのイン率が悪くなってる」
「……そうやなあ」
「エオは放浪勢だったから、この状況は息苦しく思ってるんじゃないか? もしそうなら、俺は止めはしない」
「ちょっとジーさん! 何言ってるんですか!」
と、アスタルテが慌てて口を挟んできたが、エオナは構わず口を開いた。
「よう事情は知らんけど、息苦しかなんて思うとらんばい。何だってよかろーもん」
そんなやり取りを聞いていたサイカは、もし琢磨がワタアメからの誘いを受け、このギルドに加入していたらどんな立場になっていただろうかと考えていた。
琢磨だったら、ジーエイチセブンやアスタルテと一緒にギルドを盛り上げようと頑張るのだろうか。そんな未来もあったのだろうか。
狐のお面の裏で、そんな事を妄想するサイカだった。
やがて4人はゼネティアの正門を出て、フィールドマップへと出る。
サイカがふと目に付いたのは、かつて初心者だったアヤノがスライムやコボルトといった初心者向けモンスターと戦い、それを琢磨が操るサイカが見守っていた岩場。
あの時の初々しくも充実した光景は、もうかなり昔の事の様に思える。
そんなフィールドマップへ足を踏み入れた所で、エオナは1つの問題点を口にした。
「それで……何処に行くん?」




