45.クロードⅡ
黒川和人にとって、その日はいつもと変わらない日常だった。
学校に登校して授業を受け、休み時間には隣の席で寝ている小沼直光を起こしてはゲームの話で盛り上がる。
数学、世界史、経済、英語という退屈な授業が続いていたが、遊ぶ時は遊ぶ、勉強する時はしっかり勉強すると区別が出来る和人は、欠伸1つする事なく授業を受けていた。
4限目の英語の授業では、このクラスの担任教師でもある土屋先生が今日はやたらと腕時計を気にしている。
すると授業の終わりを告げるチャイムまであと30分と言った所で、突然校内放送が流れ始めた。
『2年A組、黒川和人くん。2年A組、黒川和人くん。至急、職員室まで来てください。そして、2年A組の生徒の皆さんは、コンピューター準備室まで速やかに移動をお願いします』
その放送に生徒達の誰もが驚き、教室内が騒がしくなったと思えば、隣の席で寝ていた直光までもが起きて和人に目線を向ける事態となった。
土屋先生は事前にその事を知らされていたのか、落ち着いた様子で授業を中断して、
「お前ら、静かにしろー。聞いての通り、パソコン教室に移動だ」
と言ったが、それでも生徒達のざわつきは収まる気配は無い。
そこでクラス委員長でもある女子生徒が挙手しながらたちあがり、土屋先生に質問を投げる。
「先生! どう言う事ですか? なんで全員移動なんでしょうか」
「ちょっとしたイベント事でな。説明は移動してから。俺も行くから安心する様に」
土屋先生の答えを聞いて、生徒達は渋々と席を立って移動を開始してくれた。
まるで避難訓練でも開始されたかの様に、生徒達がぞろぞろと教室を出て行く中、和人は真っ先に土屋先生の元へ駆け寄り事情を聞く。
「先生、なんで俺だけ職員室なんだよ」
「混み入った事情だ。詳しい話は職員室で教えてくれる」
「なんだよそれ……」
困惑した表情を浮かべる和人に、後ろから直光が声をかけた。
「クロ、なんかやったの?」
「なんもやってねぇよ。訳わからん」
その二人のやりとりを見た土屋先生は、
「そう言えば、黒川と小沼はゲーム仲間だったよな?」
と聞いてきたので、直光が答える。
「そうですけど……」
「不安なら二人で職員室行っていいと思うぞ」
急に二人で行く許可が土屋先生から出てしまったので、クラスメイト達とは別行動で3階の別校舎にあるコンピューター準備室ではなく、1階の職員室へ向かう。
その途中に廊下の窓から、校門のところに引っ越しトラックを思わせる大型トラックと、数十人の作業着を着た人達が見えた。なぜかパトカー1台と制服を着た警察官3名の姿と、警察官と話す副校長先生も確認できる。
それだけでも、何か只事では無い事が起きているのではと二人は考えさせられると同時、職員室へと向かうその足取りは次第と早くなっていた。
そして2人が1階にある職員室まで辿り着くと、そこには見知らぬ大人たちの姿があった。
いかにもエリートサラリーマン風なスーツ姿をした左之助が、和人と直光を見るなり、笑顔で話しかけてくる。
「どうも、初めまして。私はスペースゲームズ社の高枝左之助。お見知りおきを」
と、2人に名刺を渡す左之助。
「ども」
「あ、はい」
ビジネス的な会話にやり取りを知らない2人は、それぞれ片手で名刺を受取りながら、初めて貰った名刺という紙を珍しそうに眺めた。そんな姿を見ながら左之助は話を続ける。
「黒川和人くんはどちらかな?」
その質問に、和人が応える。
「俺ですけど」
すると今度は左之助の隣に立っていた警察の制服を着た真琴が警察手帳を見せながら、2人に経緯の説明を始めた。
「初めまして。私は千葉県警察本部サイバー犯罪予防課の園田真琴と申します。この度、黒川和人さんが遊ばれていたゲームの事で1つ、協力して頂きたい事が有り、誠に失礼な事ではありますが、貴方の情報をテクノイージズ社に開示して頂き、ここまでやって参りました」
「テクノイージス社?」
会社名を言われてもピンと来ない和人に、直光がフォローを入れる。
「ほら、バトルグラウンドの運営会社だよ」
「はっ? えっ? バトルグラウンドの? まじで?」
バトルグラウンドの運営会社から情報を開示して貰ってまで、わざわざ警察が来たという事になる。不正行為には全く身に覚えもないし、他に何かやってしまったのかと和人は頭の中で考え、1つ思い当たる事を聞いてみた。
「あの、もしかして、この前、サイカを俺が運良く倒しちゃった事が何かの手違いだったとかですか? それならあの記念品装備は返しますよ」
「いえいえ、そうではないですよ。その事とは別件……と言いたい所ですが、近いですね」
真琴がそう言うと、再び左之助が口を開いた。
「とにかくあまり長話をしている程の時間は無い状況でね。手短に事の経緯を説明しよう―――」
こうして和人と直光は、まるで小説や漫画の世界の様な話を聞かされる事になる。
一方、和人のクラス2年A組の生徒達はコンピューター準備室に集まっていた。
パソコン40台が置かれている筈のその部屋は、普段は当然ながら情報分野の授業で生徒たちがパソコンの使い方を学ぶ場所で、放課後はコンピューター部の活動場所である。
まず生徒たちが驚くのは、数人の作業員によりパソコン本体やキーボードが全て廊下に並べられていて、パソコン本体が設置されていた場所は代わりに最新の家庭用ゲーム機が置かれていた。そこはコンピュータールームではなく、ゲームルームと化していたのだ。
「うおー! なんだこれー!」「え、これGS6じゃん」「すげー!」等と主に男子生徒達が騒ぎ出す。
一緒に部屋へとやってきた土屋先生が、
「静かに。まずは好きな席に座れー。くれぐれもゲーム機壊すんじゃないぞ」
と同じくゲーム機とモニターが置かれた教卓の前に立ちながら生徒に指示をする中、周りには生徒達がゲーム機を壊さないように肝を冷やして見守るエンジニアや作業員の姿もあった。
その場にいる28名の生徒達は、会話をしながらも仲の良いグループ同士で集まりつつ、思い思いの席に着き始めた。ゲーム機のコードが繋がったパソコンモニターとゲーム機は既に電源が入っており、画面にはバトルグラウンドのタイトル画面が表示されていた。
全員が席に座った事を確認すると、土屋先生が少し頬を緩ませながら全員に向けて言葉を発した。
「今日は皆さんに、ちょっと殺し合いをしてもらいます」
突然、殺し合い等という教員あるまじき言葉が出たので、生徒たちは思わず無言になってしまい、急な静寂が教室に訪れた。その光景に清々しさを感じながらも土屋先生は話を続ける。
「っと言うのはテレビゲームでの話だ。これからみんなには訳あって、バトルグラウンドというゲームをして貰う事になった。良いか、俺が他の先生たちの反対も押し切って特別に許可を貰った時間だ。思う存分遊んでくれよ」
訂正はされたものの、テレビゲームで遊ぶというとんでもない特別授業を言い渡された生徒達は、安堵の声と共に再び騒ぎ出した。
「ゲームって、これFPSゲームじゃん」「えー、メンドクサー」「興味なーい」「面白そうじゃん」等と賛否両論の声が上がり、女子は嫌がり、男子は喜ぶと言った反応を見せる。
「はい静かに。みんな驚け。なんとこのイベントは、みんなが大好きなバーチャルアイドルサイカと戦えるイベントとなっている。参加するだけで、特別に用意してくれたサイカキーホルダーがみんなにプレゼントして貰えるぞ」
その言葉と共に教室の前面に降ろされていたプロジェクタースクリーンに、映像が映し出されたと思えば、そこにはバーチャルアイドルのサイカの姿があった。サイカは笑顔で手を振り、
「サイカだ。みんなよろしく頼む」
と挨拶をしたので、生徒たちの興奮は最高潮になる。
やる気の無い生徒の大半がやる気を出してくれた様子を見せてくれ、そして委員長の女子生徒が再び挙手して土屋先生に質問をした。
「土屋先生、私たちはまず何をすればいいんですか?」
「良い質問だ。今から5分間で、まずキャラクターを作って、軽くチュートリアルをプレイする様に。そして20分と言う短い時間ではあるが、みんなで協力して、このゲームでサイカと戦う。もちろん、先生も参加するからな。サボるんじゃないぞ。はい始めー」
席にキーボード代わりに置かれたコントローラーを生徒達は手に取り、スタートボタンを押した。
丁度そこへ和人と直光も大人3人に連れられて、教室の中へと入ってきた。
突然のビッグイベントを前にしている事で、なぜ和人だけが職員室に呼ばれていたかなど気にしている者は誰もいない状況だ。2人はそっと入口から一番近くの空いた席に座ってコントローラーを持つ。
そんな2人に琢磨が近づいてきて、
「突然の事で混乱してるだろうけど、どうかサイカと……クロードの為に協力して欲しい」
と言葉を掛けた。
突然、コンピューターウイルスの事や、それと戦うブレイバーの事、サイカがそのブレイバーである事、そしてサイカの仲間にクロードという男が存在していて、クロードが今危険な状態である事などが説明された2人。
クロードを救う為には、和人がクロードを操り、ゲームをプレイする必要があると言う、もはや2人の理解を置いてけぼりにされた状況である。
とにかくバトルグラウンド2ではなく、バトルグラウンド1を以前使っていたアカウントとキャラクターでプレイすれば良い。
まずはそこに集中する事にする和人と直光であった。
✳︎
幸いにも前のアカウントがそのまま使えたクロードとシロは、学校からFPSゲームにログインするという夢の様な事をやってしまった。
今回のイベントの為に用意されたのは、2人が一番得意としていた市街地マップ。
何処か外国の都市を思わせるビルが立ち並んだマップだが、どちらかと言えば戦場となった跡といった廃墟の光景が広がっていた。
そんな中、先生も含めた31人のキャラクターが銃を持ち集合する。
先生はなぜかクロヒゲと言う名前で、髭面のふくよかな体格をした大男。キャプテンハットを被り、RPG7というロケットランチャーを両手に持っている為よく目立つ。
他の生徒達は、その大半が本名でゲームキャラクターを作っており、ごく一部だけがハンドルネーム。そしてふざけた容姿のキャラクターもいれば、ほとんど何も変えていない様な下着同然の容姿をしている者もいる。
「先生なにそれ、超かっちょいいじゃん!」
と1人の男子に褒められるクロヒゲ。
「これはな、俺が昔好きだった漫画のキャラクターを思い出して作ってみたんだ」
自信満々に語るクロヒゲの周りには多くの生徒達が集まり、その外側では早速手に持った銃で無駄撃ちをして遊んでいる者も見受けられる。どうやらフレンドリーファイアはオフにされている様で、互いに撃ち合っても傷付く事は無い。
【60秒後にサイカが出撃します。皆さんで協力して、サイカを倒してください】
そんなシステムメッセージが流れると、クロヒゲが騒がしい生徒達に声を掛けた。
「さぁ始まるぞー。準備しろー。不安な奴は俺の近くにいればいいからなー」
クロヒゲの言葉が合図となり、まるで鬼ごっこがスタートしたかの様に、生徒達は散開して適当な場所に隠れはじめた。ただ、女子生徒の多くは、怖がってクロヒゲの周りから離れようとしない者が多い様だ。
1つのビルの入口付近に会ったベンチに腰掛け、みんなの様子を窺っていたクロードとシロは至って冷静で、シロがクロードに雑談を振る。
「これって教育的にどうなんだろうね」
「ま、いいんじゃねーの。戦争について教える世界史の授業みたいなもんだろ」
「なにその例え。でもやっぱりこうして前作プレイしてみると、バトルグラウンド2はかなりグラフィック良くなってたんだね」
「そりゃそうだろ」
会話をしながらシロはマップ情報と戦闘エリアの確認をしていた。
「バトルグラウンドの小規模戦ルールだね。市街地。マップもそんなに広くない。決着はすぐ着きそう」
そう言われて、クロードは先日のサイカ乱入戦を思い出す。
「もしサイカが本気で来るなら、こんな初心者の集まりじゃまず相手にならねぇだろうな」
「そうだね……あの強さはもうチート級だよ」
「だけど俺たちは違う。だろ?」
「うん。二度目……だもんね」
「このステージの狙撃ポイント覚えてるよな」
「勿論」
「んじゃ、リベンジ戦、やってやろうぜ!」
「やろう!」
そして2人は互いに拳と拳を軽く合わせ、別々の方向へと走り出した。
この小規模戦用の市街地マップは、廃墟ビルに囲まれた広い大通りが主な戦場となる。入れる建物も限られているが、シロはスナイパーライフルのPSG1を両手に、絶好の狙撃ポイントへ向かう。一方のクロードもまた、バトルグラウンド2でも愛用しているSCARを両手に、シロの狙撃範囲から出ない所、死角の少ない壊れた路線バスの陰に隠れた。
【サイカが出撃しました】
そのシステムメッセージが流れた事で、生徒達に緊張感が走る。
例えゲームの中とは言え、生徒達にとっては暗殺者が解き放たれ、自分たちを襲いに来るという状況。そして一度切りの勝負の場である事から、倒されたくはないという気持ちは共通だ。
シロはビルの中に入ると、階段を駆け上がり、4階の高さから大通りが一望できる窓際でスナイパーライフルを構えスコープを覗いた。真っ先にバスに隠れているクロードの姿が確認できる。
まだ大通りにサイカの姿は現れず、多くの生徒が各所に身を潜めているのも見えた。クロヒゲが率いる女子生徒達も何処かの建物内へと入って行く。
【サイカがマキを倒しました】
【サイカがマサノブを倒しました】
【サイカがクロチャンを倒しました】
そこへ一気に3人分のキルログが流れたが、銃声は聞こえなかった。つまり銃を発砲する事も許さない程に、素早く3人が倒されたと言う事になる。
クロードが空かさずシロに通信を入れた。
「シロ、何か見えるか?」
「いや、大通りには何も」
今倒された3人は何処にいたのかが分からない状況で、シロは大通りに面した建物の窓を1つ1つスコープで見て行く。
すると、1人の生徒が窓の向こうで横に銃を構え、発砲する所が見えた。
アサルトライフルの連射音が聞こえたと思えば、その生徒は狐のお面を顔に装着した赤い忍び装束の少女に接近され刀で斬られる。
【サイカがアオヤマを倒しました】
「いた。クロードの位置から10時の方向、ハンバーガーショップがある建物の2階」
「了解だ」
だがクロードがバスの陰から顔を出し、アサルトライフルでその位置を狙う頃にはサイカは移動していなくなっていた。
「移動して見えなくなった。あの建物は確か他の建物と繋がりは無いから、1階から出てくるかも」
シロがそう言うと、本当に1階のハンバーガーショップからサイカが大通りへ飛び出して来たので、クロードはSCARの引き金を引く。
クロードが放つ銃弾は高速で移動するサイカを捉える事が出来ないが、その発砲を見て、近くで隠れていた生徒達が一斉に銃を撃ち始めるのが見えた。
四方八方から銃弾が飛び交う中、サイカは身軽な動きで予測不能に飛び回り、FPS初心者が撃つ銃弾が当たる気配すら感じさせない。
そしてクロードの目の前で、大通りにいた生徒達が次々と斬られて行く。
【サイカがマッチャンを倒しました】
【サイカがカネコヒロミを倒しました】
【サイカがマッツンを倒しました】
【サイカがフジミネを倒しました】
クロードはSCARが弾切れしたので、リロードしながらすぐにその場から走り出す。サイカから距離を取る様に、真っ直ぐシロがいるビルに向かって移動を開始した。
サイカはそんなクロードの背中を少し見たところで、シロが発射した弾がサイカを襲う。サイカの上半身を狙い放たれたその弾は、まるで予期していたかの様に身体を反らして避けて見せた。
そして近くの建物の3階から顔を覗かせる2人の生徒をサイカは見つけ、素早く1階から中に入って行った。
すぐに建物の中から銃声が響き渡る。
【サイカがモリモリを倒しました】
【サイカがヒカルを倒しました】
やはりサイカは素人が相手だからと言って、手加減する気は無い様だ。だからこそ、経験者であるクロードとシロの心に火を点ける。
先ほど聞かされた異世界がどうとか、クロードの命が危ないとか、ウイルスが何だという事はもはや関係無い。目の前で次々と仲間達を斬り倒していくクノイチを倒す。
するとシロがいるビルのすぐ目の前にある大きなダストボックスに隠れているクロードがシロに提案をした。
「シロ」
「なに?」
クロードは撤退してくる途中にあった車を指差し、やんちゃな笑顔をシロに向けてきた。それを見たシロは、
「そういうこと。了解」
と親指を立てて、クロードが言わんとする事を理解した意図をハンドサインで伝える。
【サイカがミコトを倒しました】
また1人、生徒が倒されたところで、サイカが再び大通りに姿を見せたので、クロードがダストボックスから飛び出し、走りながらサイカを撃つ。
サイカはそれを側転して避けている間に、クロードが車の陰に隠れ、適当にサイカの方向に向けて銃弾をばら撒いていく。するとサイカはその弾を避けながら真っ直ぐクロードに向かって走り出したので、シロがスナイパーライフルの照準をクロードが隠れている車に合わせた。
サイカがクロードに向かって十分な距離まで近付いた所を確認すると、クロードが叫んだ。
「ファイア!」
そしてシロがPSG1の引き金を引く。
その銃弾はサイカでは無く、車に向かって飛び、クロードは車から離れる様に走り出していた。
すぐに弾が車に着弾して穴を開けたと思えば、車が爆発。
突然の出来事に、サイカはその爆風で吹き飛ばされた。空中で態勢を立て直し、地面に着地した地点を狙ってクロードは事前に準備していた手榴弾を高々と投げる。そしてすぐにアサルトライフルを構え、サイカに目掛けて弾を連射。
空からは手榴弾、前からはクロードの弾、着地を狙われたサイカはそれらを避ける術が無くなった。
サイカに弾が命中、手榴弾も丁度良い所で爆発してサイカを巻き込んだ。
そこでサイカのスキル≪空蝉≫による幻影がダメージを無効とする能力が発動して、サイカ本人は後方へと宙返りしていた。
「今だシロ!」
空蝉を使ったサイカが着地する所を狙って、今度はシロが再び引き金を引く。
シロが放った弾はサイカの左胸辺りに見事命中した。
その衝撃でサイカ本人は吹き飛ばされ、地面に倒れそうになるが、右手を上手く使って何とか倒れずに態勢を戻しているのが見える。クロードは再び弾切れになったアサルトライフルからハンドガンに持ち替えて銃口を向ける中、シロも次弾を発射しようと今度はサイカの顔に照準を絞る。
その瞬間、サイカの姿がフッと幽霊の様に消えた。
サイカはスキル≪ハイディング≫を発動して自身の身体を透明化させ見えなくなったのだ。
シロは思わずスコープから目を外し、肉眼で見てみるが、そこにサイカの姿は見えなかった。
「サイカが消えたぞ」
と、クロードがハンドガンを構えながら周囲を見渡しサイカを探しているので、シロが説明する。
「ワールドオブアドベンチャーのスキルで逃げられた。クロはすぐにその場から離れて」
「そんなのありかよ!」
クロードは再びSCARに持ち替え、新しいマガジンを装填しながら走り出したところで、今起きた事をシロが解説した。
「空蝉もハイディングも、連発はできないスキルのはずだから、次は多分無いと思う」
「次は無いって言ってもなぁ! 今の勝負では有るんだろ?」
「まあまあ。それにしても先生達は大丈夫だろうか。姿見えないけど」
「素人だからとは言え、結構な人数だったからな。迂闊に手は出せないだろ」
「それは―――」
そこまで会話していた所で、シロは自身が決定的な間違いを犯してしまったことに気が付いてしまった。それは何度か狙撃をして発砲したこのポイントはサイカに認識されているはずで、普段であれば撃ったらすぐに移動を開始しなければならなかった。
相手が1人だからと、人数で圧倒しているからと、何処か安心してしまっていたシロは気が緩んでいた。
「どうした、シロ」
と急に会話が途切れたシロを、別の建造物に隠れているクロードが心配して声を掛ける。それとほぼ同時、シロは嫌な予感がしてスナイパーライフルからハンドガンに持ち替え、移動を開始する為に振り返った。
だがそこには狐のお面を着け、刀を片手に持った少女の姿。
「クロ、ごめん!」
シロが引き金を引くよりも先、サイカの刀がシロを襲う。
【サイカがシロを倒しました】
流れたキルログを見たクロードは、
「あらま」
と苦笑いした。
【サイカがマルヤマを倒しました】
【サイカがタクヤを倒しました】
まるで息をする様に、次々と流れて行くキルログ。ここまで既に14名が倒され、残っているのは17名。
クロードは自身が持つアサルトライフルの残弾数を確認して見れば、260発はあった弾を半分ほどの120発使ってしまっていた。
これからどうするか……と、そんな事をクロードが窓越しに大通りの様子を窺っていると、クロヒゲの声が聞こえた。
「あーあー、これで聞こえてるのか? こほん。大通り沿いにあるホテルと書かれた建物が見えるか? 今、先生と10人くらいの生徒はそこに立て籠もっている。どうやらここは入り口が限られてるみたいだからな」
「先生、正直サイカはめちゃくちゃ強いぞ。素人集団じゃ勝てっこない」
「そうか? 俺はそうは思わないけどな。えっと、クロードは……黒川か?」
「そうだけど」
「俺に良い考えがある。見た所、黒川はこのゲームに慣れてる様だし、どうだ? クロクロコンビでサイカを倒そうじゃないか」
「ははっ。なんだよそれウケんだけど。それで、先生はどんな妙案があるの?」
「それはな―――」
一方でサイカは左胸に空いた風穴を手で押さえ、激痛に耐えながら路地裏の壁にもたれ掛かっていた。
サイカは夢世界で痛覚がある。
活動の源となっているコアだけは、損傷しない様に上手くプログラムが組まれていて守られているが、痛覚を無くす事はプログラムの力では出来なかった。
ワールドオブアドベンチャーであればここまで酷くは無く、ゲーム上のモンスターやプレイヤーが相手であればHPゲージが無くなって力が入らなくなる方が先だった。
ただこうやって様々なゲームを渡り歩く様になって知った事は、ゲームによって痛覚に違いがあるという点だ。特にこのFPSゲームと言うジャンルにおいては、それがとにかく強烈で、実際に銃で撃たれたのと同等の痛みがある。サイカにとっては、ヘッドショット等できっちり決めてくれた方が楽で、こう言った中途半端に被弾した時が一番やり難いのだ。
でもそんな弱音は誰にも言った事は無い。痛いから辞めたいだとか、無敵にしてほしいだとか、そんな事は琢磨にすら吐いた事は一度も無かった。
今回は生徒達への影響を考慮して血は出ない様にされている為、シロに撃たれ、銃弾が貫通した穴と痛みだけがサイカの身体に残っている。
この試合が終わればすぐに回復するので、少しの辛抱だと、心の中で言い聞かせながらサイカは行動を再開した。
左腕を動かすと傷が痛むので、右手でキクイチモンジを握り締め、建物の陰から大通りを覗き込む。
何人かの生徒達が走って移動しているのが見えたので、サイカは迷わず飛び出し走った。車や瓦礫を飛び越え、背中を向けて走る生徒を後ろから斬る。
【サイカがリナを倒しました】
それを近くで目撃したもう1人の生徒が慌てて手に持ったショットガンをサイカに向けて発砲するが、照準が完全に明後日の方向へ向いており、サイカは避けるまでも無かった。そのまま詰め寄り、斬る。
【サイカがセキウチショータを倒しました】
今度は建物の窓から手榴弾を投げる生徒が見え、サイカはまだ安全ピンが抜かれたばかりである事を即座に判断すると、刀をその場に落としながら右手でキャッチ。投げられた窓に向かって投げ返した。
【サイカがレンレンを倒しました】
刀を拾いながら周りを見渡すと、やはり生徒達が何処かに向かって移動をしているのが目立つ。
再び走る生徒達を追いかけようとしたその時、大通りの中央にあるバスの上に立つ1人の男がいた。金髪に迷彩柄の服装、黒いマフラー。
クロードだ。
「今回も勝たせて貰うぜ」
とSCARを構え、サイカを狙い撃つ。
距離が離れている為、高速で動くサイカに弾が当たる事は無いが、サイカは狙う対象をクロードへと変えて、不規則に且つ迅速に前進した。クロードが装弾数30発の弾を撃ち切る頃には、サイカはバスのすぐ近くまで接近しており、そのまま地面を蹴って斬り掛かる。
それをクロードは横に飛んで回避してバスの上から落ち、地面でくるりと受け身を取り着地したと思えば、サイカに背中を向けて走り出した。
サイカはそれを追いかけようとするが、前方に隠れていた数人の生徒がクロードを助けるべく援護射撃して来たので追いかけるのを中断して、近くにあった建物の中に隠れた。
そのままクロードや他の生徒達は次々と、ホテルと言う看板が掲げられたビルの中へと入って行くのが見える。
サイカがクロード達を追いかけホテルの1階へと足を踏み入れると、そこは広いロビーとなっていた。受付カウンターと、左右にある2つの階段が最初に目に入る。吹き抜けになっていて、2階の廊下からも見下ろせる場所となっていた。そんな場所で、なぜか受付カウンターの所に腰掛けて余裕そうに待っているクロードの姿。
他の生徒達の姿は見えない。
「よう。バトルグラウンド2では世話になったな」
と、クロードがサイカに話しかけるのと同時、サイカは動く人の気配を周囲に感じていた。
「罠か?」
「まあ、そんなところだ。今日は苦無投げないんだな」
「私なりの手加減のつもり」
「俺を……じゃなくて、クロードを助けたいって話、少しだけ聞かせて貰った。異世界の事とか……本当の事なのか?」
「うん」
「超燃えるなソレ。話してみたいな、クロードと」
「聞いてみたい事があれば、私が伝える」
「いいね。何か考えておくよ」
「夢主に似るって話は聞くけど、お前はクロードに似てる。そんな感じがする」
「そりゃどうも」
クロードは両手に持ったアサルトライフルを構えようとしていないが、サイカは刀を右腕一本で構え、矛先をクロードへと向ける。罠と分かっていても、先ほどから周囲に感じる人の気配からして、残った生徒達はここに集結しているはず。サイカはここで勝負を決めようと心に決めていた。
「今度、またゆっくり話がしたい。お前と」
「俺もだよ」
そしてクロードが左手を上げて合図を出し、周辺に設置されていたソファや、受付カウンター、見える2階の廊下にある柱、至る所に隠れていた10人の生徒達が一斉に身を出してそれぞれ銃を構えた。
サイカを倒すという1つの目的で、クロードのクラスメイト達が一致団結した瞬間である。
囲まれた状況で、すぐに動ける様に身構えたサイカの背後でもう1人の気配を感じる。咄嗟に振り向くと、サイカが入ってきたホテルの出入り口に立つクロヒゲの姿があった。
「生徒達の夢は終わらせねぇよ!」
そんな事を言いながら、クロヒゲは両手に持ったRPG7の内、右手に持っている方をサイカに向け発射。
放たれたロケット弾は銃弾より遅いと感じ、サイカはそれを真っ二つに斬る。その弾は左右に割れ、サイカの後方で爆発すると、それを合図に生徒達が一斉に射撃を開始。
サイカはスキル≪分身の術≫を使い、4人に分身してみせると、そのまま散開して行動を開始した。
そこからは4人のサイカを相手に、生徒達との大乱戦が繰り広げられる。それぞれがサイカと同等の強さを持っている分身達は、それでもシロに撃たれた傷を負っているという条件も変わらず、右腕一本でサイカ達は奮闘して見せた。
分身の術の効果時間である30秒いっぱいで、ほとんどの生徒が倒され、2人のサイカが銃で撃たれて倒れる事となる。
そして分身の術が終わり1人に戻ったサイカ本体は、切り札を使った事による強い疲労感で、ロビーにある大きなコンクリートの柱にもたれ掛かっていた。両手は指先から肩まで黒く変色しているが、その異変に本人は気付いていない。
どさくさに紛れてカウンターに隠れていたクロードは、それを見るや否や姿を出し、サイカにゆっくり歩いて近づく。
シロに撃たれた傷口を押さえて苦痛の表情を浮かべているサイカを見て、何となく事情を察してしまうクロード。息を荒くして、苦しそうにしている少女を前に、クロードはとても銃口を向ける気にはなれなかった。
そこへクロヒゲもやって来て、もう戦う力が残っていないサイカの姿を見る。
「勝負有りだな。どうだった先生の作戦は」
「作戦って、ただ誘い込んでみんなで撃つってだけじゃねーか。んで、どうすんだよこの状況」
「時間ぴったしだ」
「え?」
キーンコーンカーンコーン。
リアル側で4時限目の終わり、昼休みを告げるチャイム音が鳴り響いた。
勝負は引き分け。
勝っても負けても、特に何かがあるという訳でもなく、この後生徒達全員に特注品のサイカキーホルダーが配られる事となる。
今日の昼休みの話題は、学校中がサイカ一色となり、そんな昼休みの間に待機していた業者が撤収作業をする。
琢磨、左之助、真琴は改めて土屋先生と校長先生にお礼の挨拶をした後、学校を後にした。
✳︎
サイカは琢磨とゲームマスター9号にも、何度も何度も頭を下げてお礼を言った。
また次回は2ヶ月後くらいに、別の形でログインする方法を考えようと提案もしてくれ、クロードを救う為に本気で協力してくれているというのがサイカにも伝わった。
今日の所は活動も一旦休みにもしてくれ、
「そっちのクロードにもよろしく伝えておいて」
と早めにログアウトしてくれた。
そしてサイカはベッドで目が覚める。
今回は気合を入れ、緊張感を持って眠りに入った為、忍び装束を着た状態だ。
しかも清々しいまでに、良い戦いが出来たと自負しているし、サイカに傷を負わせた狙撃手のシロも良い腕だったとサイカは先ほどの戦闘を頭で振り返っていた。
しばらくそうした後、クロードに会いに行かなければと、クロードの元気な顔を頭に思い浮かべながらベッドを降りるサイカ。
廊下に出て、真っ先にクロードの部屋へと向かう。
クロードの部屋の前に到着すると、なぜかそこにマーベルとエムの姿があった。
「おはよう」
と、2人に挨拶するサイカ。
なぜか2人の顔は暗く、エムは今にも泣き出しそうな顔で俯いている事にサイカはすぐに違和感を感じる。
「サイカ……落ち着いてよく聞いて……」
マーベルがそんな前置きをして話し出した事に、サイカの思考が一瞬停止する事となった。
クロードは既にその全身のほとんどが結晶化して、口元、右目、右腕だけが辛うじて残っている状態に陥っていた。バグ化の末期症状である。
隣にはこの宿屋を取り仕切っているサダハル、そして大鎌を持って待機しているルビー。優秀なブレイバーの最期を見届けに来たアーガス兵士長やミーティアの姿もあった。
部屋の扉が音を立て勢い良く開かれると、サイカが血相変えて中へと飛び込んでくる。
「クロード!」
「……サイカか?」
首を動かす事ができないクロードは、サイカの方を向く事が出来なかった。サイカは駆け寄ると、サダハルが気を使って場所を空けてくれる。
クロードの視界に入るように身体を寄せるサイカ。
「なんで……どうして……夢主がログインしたはずだ! 私はクロードの夢主と話したんだ!」
「サイカ、ごめんな」
「なんで謝る! なんで……眠らなかったのか? 夢を……見なかったのか?」
「そんなところだ」
サイカの目から涙が流れ、クロードのほとんど結晶化した顔に雫が落ちて行く。
「どうして……私はクロードが助かると思って……だから……」
「……俺の為に、泣いてくれるのか?」
「当たり前だ……こんな……」
「ぼんやりとしか見えてねぇけどよ……最期にお前の顔が見れて、声が聞けて、良かったぜ……なあサイカ……頼む。お前の手で、消して欲しい」
「そんな! そんな事できない! まだ諦めるな!」
「もういい。もういいんだサイカ」
今まで聞いた事も無い、弱々しくかすれた声でそう言いながら、クロードは何とか右腕を動かしサイカの手を握る。
「クロード……ダメだ……私には……」
「頼む」
すると横に立っていたサダハルが口を開いた。
「もう持たないわ。バグ化がそろそろ始まる」
続いてルビーが、
「その時は私がやるわ」
と無慈悲な事を言う。
「待ってくれ! たぶん方法がダメだったんだ! 別の形でゲームにログインすればいい! 琢磨に相談する! だから!」
必死にそう言うサイカに対して、サダハルはそれはもう出来ないと言いたげに首を横に振り、手に持っていた長い針をサイカに手渡す。それはブレイバー処分場で執行役が使う物で、ブレイバーを消滅させる時に使われる道具だった。
「クロードの最期の望みよ。サイカ。貴女の手で、楽にしてあげて」
「ダメだ……そんなのダメだ……」
「やりなさい」
そんなやり取りをしている最中にも、クロードの結晶化が更に浸食を始める。
「ぐっ……」
その苦痛を必死に耐える様に声を押し殺すクロード。
サイカはそれに気付き、再びクロードに寄り添った。
「クロード! 私が何とかする! 何でもするから! 頑張ってくれ!」
「……今、何でもするって、言ったな……」
涙目で頷くサイカ。
「……うっ……やっぱ、冗談も言える元気もねぇや……マーベルとエムを、頼んだぞ」
と、クロードは再び右腕を動かし、針を持つサイカの右手を握ると、自分の胸元まで持っていく。
サイカは首を横に振る。何度も何度も横に振る。
「サイカ、俺はお前が……好きだ。愛してる。俺にとって、最初で最後の……」
「こんな時に……卑怯だ……やめてくれ……」
高ぶる感情に反応する様に、サイカの手が指先から段々と黒く染まって行く。
サイカの瞳孔が赤く光り始めたと思えば、眼球も黒く染まり、目尻に黒い血管の様な物が浮かび上がる。その姿を見たクロードは右手をサイカの頬に持っていくと、サイカの涙を親指で拭った。
「そんな顔するな……でも、綺麗な瞳だ……強くなったんだな本当に……いつまでも、お前は……お前のままで、いてくれよ」
「分かった! 分かったから!」
そしてクロードの結晶化が急激に進行を始め、サイカの頬を触っていたクロードの右手が結晶化して行くと、クロードはそっとその右手をサイカから離し元の位置に戻す。
「やってくれサイカ……夢でまた会おう。さよならは、言わないぜ……」
覚悟を決めた様に、そっと目を閉じるクロード。
マーベルとエムも見届ける為に部屋の中に入ってきた。
「やりなさいサイカ」
とサダハルが強い口調で言う。
サイカは真っ黒に染まった両手で、針をしっかりと握り。
クロードの胸、コアがある場所に針を向ける。
しばらく針は動かなかった。
長い沈黙が続く。
目を閉じて、クロードとの思い出に浸ってしまうサイカ。
それでもサイカが決意を固めるまで、その場にいる者全員が黙ってそれを見届けた。
やがてサイカが瞼を開けると、針を持つ手に力が入り、ゆっくりと、本当にゆっくりと、針が静かに結晶を突き破りクロードの身体の中に入って行く。
その針がクロードのコアに到達すると、クロードは満足そうに微笑んだ様に見えた。
蒸発するかの様に、横に置かれた愛用のアサルトライフルSCARと共に、クロードの身体は音も無く消滅を始める。
そして、そこには誰もいなかったかの様にベッドのシーツだけが残った。
言葉は何も無く、サイカは先ほどまでクロードが寝ていたベッドに伏せ、手に持った針を圧し折る勢いで力強く握りしめる。
「あああああああああああああ」
サイカの悲痛を訴える泣き声が続き、マーベルがサイカを慰める為にそっと寄り添った。




