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ログアウトブレイバーズ  作者: 阿古しのぶ
エピソード3
40/128

40.ドエム

 山寺妃美子は部下からの報告書を確認していると、売上が落ちている報告書を1つ発見してしまう。


 顧客名を見れば、前に妃美子が担当していた顧客でお得意様。内容から察するに、2年目の営業である小沼(こぬま)が営業の打ち合わせで、相手の条件を鵜呑みにし過ぎてしまった結果と思われた。

 妃美子が勤める会社は、システムの提案、提供、運営をするIT企業。ネットワークショックが起きて以来、深刻なまでに大打撃を受けており、顧客からの苦情や要望が増える一方である。


 妃美子は小さくため息を1つ吐いた後、

「小沼くん」

 と、席に座ってパソコンで入力作業をしている小沼を呼ぶ。


「はい」


 バツが悪そうな顔をして、席を立ち妃美子の前まで来る小沼。


「この報告書、私が何を言いたいか分かる?」

「あ、いや、その……すみませんでした!」


 すぐに頭を下げてきた。


「謝れば良いって問題じゃないの。これ、ネットワークを利用するからこういう要望が出てるってのは分かるわよね?」

「はい。なので、ローカルエリアネットワークにして、端末毎の個別運用を提案させて頂きました」

「それは誰がやる訳?」

「……システムエンジニアです」

「これじゃ人件費で赤字になるって理解してる? ちゃんと計算してから提案したのよね?」

「自分なりに計算させて頂きました」

「自分なりって……はぁ……誰かに相談しなかったの?」

「すみません。してません」

「貴方ね―――」

 と言いかけた所で、妃美子の頭に飯村彩乃の事が思い浮かんでしまった。


「―――分かった。もういいわ。この件は、私と課長で再提案するから、貴方は降りなさい」

「すみませんでした!」


 もう一度、頭を深々と下げて謝る小沼。


 そんな様子を、周りの社員たちが心配そうに見守っている事に気付き、妃美子は睨みを効かせながら電子タバコを口に運んだ。




 山寺妃美子、47歳、バツイチ。

 昔からこんなに仕事熱心だった訳では無く、10代や20代の頃は遊び惚けていた。若い頃の妃美子は、とにかく良い男を見つけて、結婚して、専業主婦になって、のんびりと暮らしたい。子供も2人位欲しいと思っていた。


 そんな風に思う原因というのは、小学生の頃、両親が下らない喧嘩で呆気なく離婚してしまい、母子家庭で育った影響が大きい。裕福では無く、友人を呼びたくない程のボロアパートが学生時代のマイホームだったし、離婚してからやつれてしまった母親は何か大きな出費がある度に口癖でこんな事を言っていた。


「誰だってミスはあるのよ。間違える事もあるのよ。だって人間だもの。仕方ないじゃない」


 自分に言い聞かせる様にそんな事を言う母親は、優しいを通り過ぎて頼りないと感じていたし、自分は絶対こんな女性にはなりたくないとも思っていた。だからこそとにかく勉強に勤しみ、学生時代は委員長に必ず立候補していたし、生徒会長や吹奏楽部の部長も務める事で、これでもかと言うくらい立派な女を演じて見せた。


 だけど問題は別の所で、母親が大きく間違えたのが何だったのかと考えれば……それは男選びだと思った。それに気付いた時には、一転してお洒落と男遊びに精を出した。見た目も心もイケメンで、ギャンブルもしない、収入の良い男を求めていた。


 でも理想とする男はなかなか見つからない。若い頃から結婚を前提で相手を見てしまっていた為か、恋愛感情は二の次となり、相手の悪い所ばかりに目が行く癖があったと思う。


 そんな中、三十路まであと1つと言う年齢に迫った所で、人生で二桁目にはなるであろう彼氏となった男がいた。2つ年上で、とにかく優しくて、イケメンで周りの女性に人気があるのに独身だった彼は、何度かのデートを重ねる内にこの人しかいないと、運命を感じて、相手からのプロポーズも快く承諾。


 そうして始まった結婚生活は5年続いた。

 愛人が何人もいるなんて知らず、裏では風俗の常連である事も知らず、隠し子がいる事すらも気付けず、5年も相手を信じ続けた自分がいた。


 結果として、子供を授かる事にも至らず、恐らくは母親よりも最悪な形になる34歳と言う年齢で離婚する事となった。妃美子にとって幸いだったのは、母親はその前に病気で亡くなり、そんな恥ずかしい姿を見せる事は無かったと言う所だ。


 人生に絶望している暇も無く、とにかく生きる為に働き口を見つけなければと就職活動をした結果が今に繋がってくる。離婚と言う大きな出来事を経験した事で、危機感が増えたのか、仕事に対する考えも変化して、結局の所、結婚を諦める年齢になり、ただ仕事をする毎日になっている。




 仕事も早く切り上げ、時刻が22時を回る頃、妃美子はマンションの一室に帰宅する。

 玄関扉を開けると、待ってましたと言わんばかりに飼い猫が真っ先に妃美子へ駆け寄ってきた。


「ただいまミーちゃん」

 と、妃美子は猫の頭を撫で、顎を触る。


 妃美子がミーちゃんと名付けたこの猫は、アメリカンリングテイルと言う品種の猫で、シルバーの地に黒のしましま柄をした短毛の猫である。


 猫の出迎えがあり、妃美子にぴったり寄り添って歩いて来るので、そのまま一緒にリビングまで移動する。

 リビングに入ってすぐの所、大きな自動給餌器のスイッチに軽く手を触れ、餌が出て来ない事を確認する。

 この自動給餌器は一定時間操作が行われないと、決められた時刻に餌が自動で出る便利な機械で、出て来ないという事は本日分の配給は終わっているという事だ。これにより、仕事で帰りが遅くなったりしても、ある程度は安心なのだ。


 妃美子はキッチンに移動して、冷蔵庫を開けると、朝作り置きしておいたオムレツを取り出し、電子レンジに入れてスタートボタンを押す。

 温まるのを待っている間に、同じく作り置きのサラダを取り出し、茶碗に少量の御飯を盛り、テーブルに並べて行く。その様子を、ミーちゃんは物欲しそうな顔で見ていたと思えば、テーブルの上にひょいと上がり、じっと置かれたご飯を眺め始めていた。


 ミーちゃんに見つめられながら、妃美子は手早くご飯を済ませ食器を片づけると、化粧落としやシャワーも済ませ、頭にタオルを巻いた状態で同じリビングに置いてあるパソコンデスクへと移動する。

 幸いにも12年前に買ったパソコンを今でも使っている妃美子は、今回世間を騒がせたネットワークショックの影響を全く受けていない。そんな電源を点けたままにしてあるパソコンのディスプレイを点けると、ネットゲームの画面が表示された。




 ラグナレクオンライン。

 3Dマップに可愛い2Dキャラと言う今では珍しいこのネットゲームは、今年で30周年を迎えた。そんなゲームを妃美子が最初に始めたのは、今から28年も前の事になる。

 当時19歳。高校を卒業してすぐ就職した妃美子が、初めて自分の稼いだお金で自分のパソコンを買った時、電気屋に飾られたラグナレクオンラインのポスターが目に入った。


 今までゲームなんて物に興味は無かった妃美子だったが、たまにはこう言った事に挑戦してみるのも悪くないと、ちょっとした気の迷いで始めたのが切っ掛けである。

 正直に言えば、妃美子はこのラグナレクオンライン以外のゲームをやった事が無い。

 特に廃人プレイヤーと言う訳でも無く、気が向いた時に遊んでいた程度であり、結婚を機に一時期はやっていなかった事はあるものの、離婚を機に復帰した。


 勿論、この趣味を他人に話した事は無い。




 映された画面には、商人キャラクターで露店を開いている自分のキャラクターだった。

 名前はドエム5号、キャラクターのレベルは最大レベルの200で、キラキラとした華やかな衣装で、激レアアイテムを高額な値段で並べていた。


 いくつか売れている事を確認しつつも、チャット欄に無茶苦茶な文字列が並んでいる事に気が付く。恐らくミーちゃんがキーボードの上に乗ったのだろう。

 所持金が過去最高自己ベストとなるゲーム内通貨所持金を50Gゼル、つまりは500億ゼルを超えている事に達成感を得ながら、妃美子はマウスを操作して露店を閉じた。


 ミーちゃんが足元に寄ってきたのを感じながら、妃美子は他の露店の状況を見て、アイテム取引の傾向を軽く探ってみると、1つのアイテムが目に入った。


【垂れサイカ人形】


 新しい頭装備アイテムだ。

 そう言えば先日から、ラグナレクオンラインでは世間を騒がしているサイカとのコラボが始まったと聞いた。その関連のアイテムなのだろうと予想しつつ、その効果を見る。

 最大まで精錬すれば、かなり価値が出そうな装備であると確認すると、妃美子は周辺のプレイヤー露店を全て見て回って、垂れサイカ人形を買い漁った。


 計10個ほど買い溜めしたところで、それを倉庫に預け、そのままメニューを出してキャラクター選択画面に戻るを選択する。


 このラグナレクオンラインでは、1つのアカウントで16体のキャラクターが作れる枠が有り、妃美子はその全ての枠にキャラクターが登録されている。当然の様に全てレベルは上限の200に達していた。

 そんな16体いるキャラクターの中でも、メインとしているキャラクターは1人。そのキャラクターを選択して、ログインした。


 名前は、ドエム。

 職業は、ウィザート系のリンカー。


 ✳︎


 ラグナレクオンラインのサービス開始当初は30個あったサーバーも、今では統合を重ねて4つと共通サーバー1つにまで減少。その内の1つ、ケルベロスサーバーと言う場所にドエムはいる。

 全盛期は1つのサーバーに同時接続人数が3千人が当たり前だったが、それも今となっては300人行けば良い方と言う、過疎化が深刻なまでに進んでしまっていた。


 そんなケルベロスサーバーにドエムはログインする。


 緑色の髪と眼、白いローブを着た少年ドエムが不思議な形をした大きな杖を両手に持って舞い降りた。


 そこはフェヨンと言う森林にある村で、目の前にはメイドの姿をした倉庫NPCが1人。

 周りを見渡せば、放置されている数人のプレイヤーキャラがいた。そんな中、まずはメニュー画面を開いてギルドのメンバーを確認する。誰もオンラインにはなっていない。次にフレンドリストを開くと、上限である100人まで登録されているフレンド一覧は30人程がログインしている状況だ。

 当然の様に、全員のレベルは200。

 ドエムはみんなの接続率だけ確認した後、目の前の倉庫NPCに話しかけて倉庫を開くと、先ほど大量に買い漁った垂れサイカ人形を1個取り出して試しに装備して見る。


 小さくデフォルメされたサイカの人形が、ドエムの頭に乗った。


 可愛いので見た目装備として悪くないかもと思いつつ改めてこの頭装備の効果を確認していると、近づいてくる1人のプレイヤーがいた。

 それは短い青髪のドエムと同じ少年キャラクターで、職業はソードマン系のフェンサー。眩い光を放つレア装備のレイピアを腰に備えているこのヒフミと言うプレイヤーは、ドエムにとって古いフレンドである。


「お、ドエムさんじゃないですかー。こんばんはー」

「ヒフミさん、こんばんは」

「早速買ったんですねサイカ人形」

「あーうん、安かったよ」

「安かったって……全員に配布された衣装装備ではなく、本物ですよね?それクジでA級品ですよ……まあ、ドエムさんなら安いと思えるかもしれませんね……」

「1個あげようか?」

「いやいや! 悪いですって! それより、私が1時間前にダークロードナイト倒したんで、そろそろ湧く時間ですよ」

「ダークロードナイトか。いいの?」

「私はこれから仕事で落ちなきゃいけないんで、いいですよ」

「オッケー。ありがと」

「あ、ポタ出しますのでキャラチェンしますね」


 そう言って消えたと思えば、すぐにヒフミの別キャラクターが現れ、そしてスキル《ワープポータル》でボスが出現する最寄りの場所まで飛ばしてくれた。


 深淵の最果てと呼ばれるダンジョンにドエムが1人でやって来ると、名前の通り禍々しい雰囲気に包まれた荒野と言ったマップに、溢れんばかりに蔓延る雑魚モンスターがいた。

 ドエムはスキル《ウインドウィング》、《風の加護》、《ウインドカッター》を始めとする、自己支援スキル数十種類を自分に付与。


 自身の身体を風の力で少し浮かせながら移動を開始した途端、我先にと言った様子で周囲の雑魚モンスターがドエムに襲い掛かってくるが、ドエムを護る風の刃がそれを粉砕していく。

 ゲーム内財産が底知れないドエムにとって、装備は全て超レア装備、持っている杖はこのサーバーで2つと無い究極強化された逸品である。


 だからこそドエムのこの《ウインドカッター》は、本来であれば中級魔法スキルとされる物だが、近づく雑魚モンスターを一瞬で消し飛ばしてしまう程の威力を発揮してくれている。




 ドエムがこのラグナレクオンラインを始めて28年。結婚で一時引退した事を除いても、色々な事があった。

 最初は女の子キャラで楽しんでいたが、言い寄ってくる勘違い男が苦手で男キャラクターに変更したし、ギルドも今では思い出せない所もあるくらい色んなギルドを渡り歩いた。時には自分がギルドマスターとなってギルドの運営をした事も何度かあるし、正直28年と言う恐ろしいほどに長い期間は色々な事を体験させてくれた。


 だからこそ、ドエムはこのゲームが好きだ。


 それでもドエムの気持ちと裏腹に、ワールドオブアドベンチャーを始めとする最新のネットゲームにユーザーを奪われ、接続率は減って行く一方である。10年以上前から、そろそろサービス終了するのではと噂され続けていたが、結局30周年を迎える長寿MMORPGとなった。




 ドエムがダンジョンマップを動き回り、ヒフミに教えて貰ったダークロードナイトがリポップしていないかどうか探索して回っていると、丁度湧いた所に遭遇する。

 大きな黒い馬に乗り、大きな盾と剣を持った黒の騎士が青い炎の様な目を光らせ、無数の骸骨剣士を取り巻きとして歩いている。そんなダークロードナイトのレベルは150。

 ターゲットにされない様に距離を取り、再度自身に自己支援スキルを掛け直すドエム。


「さて、何秒で倒せるかな」

 と独り言を呟きながら、そのままダークロードナイトに向かい進んだ。すぐにダークロードナイトは近づくドエムに反応して、その剣を振るって対抗してきた。


 まず《ウインドカッター》に周囲の取り巻きが一瞬で消され、ダークロードナイトが単体になり、ドエムは手に持った杖で思いっきり殴る。


 999999ダメージ。


 だがそれでも倒れないダークロードナイトは、反撃するも、その攻撃はミスとなりドエムの身体をすり抜けた。

 そのままドエムは、2度、3度と、このゲームでのカンストダメージを叩き出して行く。


 ダークロードナイトが倒れ、消滅するのは僅か10秒後の事である。


【MVPを獲得しました】


 そんなシステムメッセージと共に、ドロップアイテムがいくつか地面に落ちるが、レアアイテムと思われる物は出なかったので、その場を立ち去るドエム。今でこそボスモンスターを1人で倒すと言う事も珍しくは無いが、このダークロードナイトが実装された当初は、多くの仲間達を引き連れて、必死に戦った思い出がある。


 ボスも無事に倒した事だし、町に戻ろうとアイテムメニューを開き、町に一瞬でワープできるアイテムであるエルフの羽根を使用する。


 すぐにローディング画面に入るはずが、画面が切り替わらなかった。


 99個所持していたエルフの羽根が1個減って98個になったので、確かに使用されたはず。もう1度使ってみても、個数だけが減っていく一方だ。


「なんだ?」


 そしてドエムは気づいてしまう。周囲を見渡すと、先ほどまでうじゃうじゃと湧いていた雑魚モンスター達が1匹もいないと言う事に。

 いつの間にか流れていたBGMが止まっている事にも、ドエムは今更になって気付く。


「なにこれ……」


 前にサーバー障害が起きた時、これに似た状況に陥った事がある。

 でも逆にこういった珍しい事が起きた事で、好奇心が湧いて来てしまったドエムは、すぐにログアウトしようとはせず、とりあえず周囲を見て歩く事にした。


 モンスターが1匹もいないダンジョン。BGMも無く、ただ静けさだけが支配する世界。


 このダンジョンに入った時のワープポータルも消えていて、ドエムは完全にこのダンジョンに閉じ込められていた。


 探索する事10分、何も無さ過ぎて飽きてきてしまったドエムは、記念に1枚スクリーンショットを撮影して、そのままログアウトをする為にメニューを開こうとする。


 メニュー画面が開かなかった。


「え?」


 少し焦ったドエムは、ゲームの強制終了を試みるも、ゲームアプリがフリーズしていて閉じる事ができない。


 その時……


 正面からドエムに近づく謎の物体が目に入る。


 何かの形をしている訳でも無く、紫色の粘土状の液体の様な物体が地面のテクスチャを壊し、まるで流れるマグマの様にマップを侵食して広がっていく。


「もしかして、これが噂のコンピュータウイルス!?」


 噂には聞いた事があったし、ラグナレクオンラインでも謎のモンスターが出現したとフレンドが騒いでいたのを聞いてはいたが、まさか実際に自分の前に現れるなんて……

 でもドエムが使っているパソコンは、10年以上前の旧世代端末。例えこいつに飲まれようと世間で騒がれていた様な被害には合わないはず……


 そのドロドロとした液体は、ドエムの前で段々と形を成して行き、そして先ほど倒したはずのダークロードナイトと同じ形となった。そこで初めて、もしかしたら倒せるかもしれないという考えがドエムに芽生える。

 ドエムは再び自己支援スキルを掛け、そして杖を両手に持った。


 まだ完全にダークロードナイトの形に成る前に、先手必勝で殴り掛かる。

 スキル《ウインドカッター》の刃は、このモンスターを敵として認識していない為か発動しなかった。それでもこのボスモンスターに対して絶大な威力を出すレア武器であれば、あるいは……


 果たしてこのモンスターはボスとして扱われるのか、そもそもモンスターという扱いなのかも分からない。そんな思考を巡らせつつも、ドエムの杖がダークロードナイトの様な何かに攻撃する。


 一瞬だった。

 まるでガラスで出来た棒で、鉄の塊でも殴ってしまったかの様に、ドエムが両手に持った立派な杖は粉々に砕けて消えた。


 通常、武器が壊れた場合はその旨のシステムメッセージが表示されるはずだが、それも出ない。

 慌てて距離を取って装備欄を確認しようとするが、やはりメニューが開けなかった。


 ダークロードナイトの形が完成して、その何かはゆっくりとドエムに向かって動き出す。

 ドエムは杖が無い状況ではあるが、スキル《クラフトスペルブック》を使い登録された魔法を瞬時に発動できる様になる本を手元に召喚。それをパラパラと捲り、スキル《ウインドインパルス》を発動。

 風魔法の上級スキルによる風の衝撃波で、目の前のモンスターを吹き飛ばそうとするが、微動だにしなかった。そこでやっと、このゲームでの攻撃が一切通用しない事を悟るドエム。


 とにかくこの場から逃げようと動こうとするが、いつの間にかドエムの脚を地面から飛び出た黒い手に掴まれ、動けなくなっていた。

 今度はメニューが開けないだけでなく、身動きが一切取れない状態になってしまう。


 そんなドエムに、ダークロードナイトの形をした何かは充分な距離まで詰めると、その手に持った剣を大きく振り上げる。


 万事休す。


 そう思った時だった。


 一瞬、人影が現れたと思えば、目の前のダークロードナイトの様なモンスターは消滅した。

 状況理解が追いつかない程の速度で、ドエムはただ呆然と見ている事しか出来なかった。その背中を向けていた人影が、手に持っていた刀を納刀しながら振り返る頃にやっと何が起きたのか分かってくる。


 そう、それはまるでサイボーグ忍者。


 黒いボディの背中にはブースターの様な突起物と機械的な翼。テレビや宣伝ポスター等で見たことがあるそのサイボーグ忍者は、フルフェイスの赤く光る目をドエムに向けていた。

 ラグナレクオンラインの世界観向けに少しデフォルメされていて、CMやポスターで見かけた姿とは違うが、間違い無い。


 サイカだ。


 確かこの姿は、今頭に乗せている垂れサイカ人形のモデルとなったサイカが、ウイルスと戦う時の姿だ。

 今朝仕事に向かう途中、コーヒーを買う為に立ち寄ったコンビニで、コンビニクジの景品としてこの姿のフィギュアが置かれているのを見た。


 そんなサイカは、ドエムの姿を見るなり、

「エムっ!?」

 と驚いた様子を見せたが、すぐに何かを悟ったかの様に気を落ち着かせていた。


 今、エムと言われた様な気がしたが、まさか自分の事を知ってる訳ないよね……と思いながらも、ドエムは何かお礼を言おうとするも、発言が出来ない状況だ。それを見たサイカは、地面から無数に出てきている蠢く小さな手を見る。


「ああ、そうか」


 そんな事を言い、サイカは再び黒い刀のノリムネを手に持ったと思えば、両手で思いっきり地面に突き刺した。すると周辺で地面から気持ち悪い程に生えていた黒い手が、ドエムの脚を掴んでいた手も含め、まるで浄化される様に消滅した。

 すぐにドエムは動ける様になり、発言もできる様になった事を確認しつつ、すぐにお礼の言葉を口にする。


「ありがとうございます! えっと、バーチャルアイドルのサイカさん……ですよね!」


 深く頭を下げてお礼を言うドエムの言葉を無視して、サイカはドエムに向かって歩みを進めながらも何処かに連絡を取る。


「どうにも2Dの夢世界と言うのは動き難いな。こっちは終わった。プレイヤー1名を発見」


 すると女性がサイカに指示を出した。


『サイカさんお疲れ様。そうですね、どうしても3Dと違って動きに制限は出来てしまいます。そのプレイヤーは念の為、避難させましょう。あと、他のエリアでもバグが複数出現していて、プログラムサイカが対応してますが追いつかない状況です。応援に向かってください』

「プレイヤーはログアウトさせたのか?」

『はい、隔離されてしまったプレイヤーを除いて、ほぼ全てのプレイヤーは強制ログアウト済み。緊急メンテナンスに入っています』

「分かった。そっちも対応慣れてきたね」

『お陰様で』


 そんな会話が終わると、サイカはドエムに目線を向ける。


「キミを助ける。行こう」

 と、サイカがドエムに触れたと思えば、ドエムの視界が暗転した。


 ✳︎


 そこでエムは目を覚ます事となる。

 温かい布団の中で眠っていたエムは、上体を起こし、瞼を手で擦りつつ周りを見渡す。そこはミラジスタにある宿屋エスポワールの一室。もう2ヶ月ほどこの宿屋に住ませて貰っているので、見慣れた内装だ。

 寝起きで頭の回転がまだ遅い状態だが、エムは先ほど見た夢を思い返してみる。


 エムの夢世界、ラグナレクオンラインにバグが出た。

 周りのブレイバーから話には聞いていたし、そんな事もラグナレクオンラインであるだろうと考えていたが、まさか本当に出るなんて……


 エムがベッドの横に立てかけていた愛用の杖に目を向けると、昨晩は確かにそこにあった杖が無くなっていた。つまり、あの戦いで消滅してしまったと言う事になる。

 でも重要な事はそこではない。

 バグにやられそうになった時、助けてくれたあのサイボーグ忍者。前にもあの姿を見たことがある。


 そう、ミラジスタであった大事件の時、敵に捕まっていたサイカの姿だった。


 それにエムの夢主もバーチャルアイドルのサイカさんと呼んでいた。


 つまりあれは……サイカ。


 サイカが、エムの夢世界に現れたのだ。


 そう思うと、とにかくサイカにお礼を言いたいと思ったエムは、ベッドから飛び降りて走り出す。部屋を出て、サイカが寝ているはずの4つ隣の部屋に移動して扉をノックする。


「サイカ! サイカ!」


 しかし反応が無い。


「サイカ?」


 まだ寝ているのかと思いつつ、取っ手を触って扉をゆっくりと開けて中を覗き込む。

 エムが寝ていた部屋とほとんど同じ部屋がそこにあったが、サイカの姿は何処にも無かった。


 またルビーに朝の訓練でもしてもらってるのかと思い、宿屋の中庭まで足を運んでみたが、そこには暇そうに壁にもたれ掛かり、サイカを待つルビーの姿があった。


「まだ来てないわ。ほんと、この私を待たせるなんて良い度胸してるわね。貴方のお姉さんは」

 と、言うので今度は宿屋の受付に移動すると、カウンターでお茶を飲んでいるお婆ちゃんと、箒で掃き掃除をしているサダハルがいた。


「あらエムちゃんおはよう。サイカ? 今日はまだ見てないわね」


 サダハルがそう言うと、待合席のソファに座ってお茶を飲んでいたマーベルが、


「クロードの部屋にいるんじゃない?」

 と教えてくれた。


 エムは次にクロードがいる部屋まで足を運んで、扉をノックする。


「クロード!」

「エムか? 入っていいぞ」


 今度は反応があったので、遠慮なく扉を開けて中に入る。


 入ってきたエムに、ベッドの上で変わらぬ笑顔を向けるクロード。

 その姿は、左腕が肩まで結晶化してしまったクロードの姿だった。下半身も結晶化が始まっているが、毛布で見えない。


 その姿にまだ慣れていないエムは、少し気まずそうに目を背けてしまったが、クロードはエムを心配させまいと話を振る。


「なんだエム。こんな朝っぱらから」

「あ、いや、その……サイカを探してて」

「サイカならここだ」

 と、クロードが目線を向けた先はベッドの影。エムが覗き込むと、そこにはキクイチモンジを大事そうに抱えながら、床で眠るサイカの姿があった。服はちゃんと着ている。


 サイカは自分の部屋では無く、クロードの部屋で寝ていたのだ。


「まだ……寝てるんですね」


 エムがサイカの寝顔を見ながらそう言うと、クロードが口を開く。


「そうだな。例のアイドル活動が影響してるんだろ」


 アイドル活動と言う言葉を聞いて、エムはサイカを探してた理由を思い出し、嬉しそうにクロードに話をした。


「たぶんサイカが、僕の夢世界に来たんです! あのロボットみたいな! かっこいい姿で!」

「へぇ。もしかしてサイカが嫌がってたあの姿をエムはまた見たのか」

「そうなんですよ! すっごくかっこよかったです!」

「そうか。サイカもエムを見つけてたら驚いただろうな。目覚めたら話してやるといい」

「はい!」


 そんな会話を2人がしている横で、窓から零れる太陽の日差しを浴びながら気持ち良さそうに眠るサイカだった。

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