36.ログアウト
飯村彩乃は自身が平凡である事に強いコンプレックスがある。
魔法少女に憧れた幼少期は魔法のスティックを持ってよく遊んでいた。将来の夢は魔法少女だと公言していたし、自分自身もなれるものだと思っていた。
やがて小学校に上がる頃には現実を覚え、中学や高校での成績は中の上、たまに頑張って上位になる事はあっても持続は出来なかった。
部活動はテニス部で、集中出来ている時は評価される程の腕前だった。でも集中力の切れが早く、いつも逆転負け。高校生活最後の公式試合では、全国大会常連のプレイヤーと三回戦で当たり、またも逆転負け。全国大会なんて夢のまた夢だった。
都内でそこそこ有名な女子大学に進学する頃には、テレビゲームが趣味となり、ゲームを買う為にアルバイトもした。でも仕事での人間付き合いに慣れる事が出来ず、愛想笑いに疲れ果て、ファミリーレストランも回転寿司屋も牛丼屋も半年持たずに辞めてしまった。
そんな学生生活の中でも恋愛は不得意分野であり、高校は部活一筋で大学は女子大だった事も相まって、出会いが無かった。たまに飲み会等でいいなと思う人もいたが、どうせ自分なんかとすぐに諦めてしまうのは、何よりも趣味の合う女友達とワイワイ騒いでた方が面白かったし気楽だったからだ。
そんなつまらない人生である。
ただ、一点だけ良かったと思える思い出は、父親に言われてアメリカへの留学を行った事だ。大学の留学制度を利用して、一年間、ペンシルバニア州フィラデルフィアという町でホームステイをして、向こうの大学に通うという貴重な体験をした。
アメリカでの友人も出来て、今でもたまに連絡を取り合う事がある。この経験は彩乃にとって世間に対する価値観を変える事にも繋がり、いかに自分が今まで狭い世界で生きてきたという事に気付かされた。なので良い経験だと思っているし、その頃から前より増してよく喋れる様になり、周りからお喋りとかマシンガントークとか言われるようになったのもこの頃からだ。
西暦二〇三二年、この年の日本は数十年ぶりの就職氷河期と言われ、多くの若者が内定を貰うのに必死であった。彩乃もその一人で、大学卒業を控え就職活動で面接を受けた会社は十社以上。元気によく喋る所が評価ポイントであるが、逆に言ってはいけない事を言ってしまったり、将来の目標の話となるとテンで駄目であった。
就職を諦めようかと考えた頃、改装され新しくなった東京ビッグサイトで行われた新卒向け合同会社説明会にて説明を受けた会社に内定を貰う事が出来た。その会社はIT関係、主に企業向けシステムの開発を行う会社で、彩乃は営業として配属が決まる。
四月。
都内のホテルで入社式があるとの事で、彩乃は満員電車に揺られ駅のホームで人混みに流された。やっとの思いでホテル近くの駅まで辿り着くも、緊張により昨晩はあまり寝れなかった事も相まってか、気分が悪くなってしまい、ベンチに座って真っ青な顔で口元を抑え俯く事となった。
気持ち悪い。
でも集合時間までそんなに時間が無いので、そんなに長く休んでいる場合でも無い。
ホテルの場所を確認する為に、鞄からスマートフォンを取り出した時、ピンク色のスマホをうっかり地面に落としてしまった。床石の上を滑り、ベンチを立たなければ手が届かない場所まで行ってしまったと思えば、男性の革靴に当たり止まる。
スマホが足に当たった男性は立ち止まり、屈んでそれを手に持つと、彩乃の所まで歩いてきた。
「落ちましたよ」
スーツ姿の男性からスマホを受け取り、相手の顔を見た彩乃。その男性は、徹夜でもしたのか目の下に隈が出来た酷い顔で微笑んでいた。顔色が悪い二人の目が合い、しばらく言葉が出なかった彩乃は、急に恥ずかしくなって顔を赤く染める。
「あ、ありがとうございます」
お礼だけ言って、サッと立ち上がった彩乃は、気分が悪かった事も忘れて速足でその場を去った。
その男性が同じ会社の社員である事を知るのは、その日からしばらく後、新人歓迎会で再会した時の事である。
それが、彩乃が今も忘れない明月琢磨との出会いだ。
✳︎
会社では上司に目を付けられ、ゲームではサイカから衝撃的な話を聞かされ、気が滅入ってしまった彩乃は仮病で会社を休み、親には風邪を引いたと嘘を付き、自室に閉じこもっていた。
部屋のカーテンを閉め、照明も点けず、薄暗い部屋でパーカーのフードを被り、ワールドオブアドベンチャーを起動したパソコン前でスマートフォンを眺めていた。
【色々ごめん。ちゃんと話がしたい】
【話がしたいから、落ち着いたら連絡ください】
【ほんとごめん】
そんな二日前に届いた琢磨のメッセージと、二回の着信履歴を、ただボーっと眺めている。
サイカが琢磨では無くて、異世界から来たサイカで、そんな訳の分からない事を聞かされた事よりも、それを再び琢磨の口から聞く事になるかもしれない事が怖い。
そんな事になったら、琢磨はもっと遠い存在になる気がして、もう関わる事が出来ないかもしれない気がして、そして何よりも、大事な事を今まで黙っていたという事実が酷く胸に突き刺さる。
だからと言って会社も仮病で休んでしまった事に後ろめたさも感じるし、正直いけない事をしていると思っている彩乃はボソッと呟く。
「何やってんだろ私……」
勝手に傷ついて、勝手に腹が立って、勝手に落ち込んでいる自分がどうしようも無くもどかしい。
✳︎
アヤノはワタアメがマスターを務めるギルド、ログアウトブレイバーズに加入してから三日が経った。
今日も会社を休んでしまったアヤノは、夏期講習が終わったと言う小人族のシロと共にゼネティアの居住エリアにやって来ていた。
そこにログアウトブレイバーズの拠点となる家があり、室内に滝があるなど、かなり高級な邸宅とも言える建物だ。広い庭も有り、とても十数人のギルドが所有している建物とは思えない。
そんな所に、アヤノはシロをログアウトブレイバーズに紹介する為、やって来ていた。
その場にいたのはジーエイチセブンとワタアメ。ワタアメは部屋に置かれた大きな銅像の上に座っており、ジーエイチセブンはその下で壁にもたれ掛かり、腕を組んでいる。
シロもギルドに入れてあげたいと頼むアヤノを前に、腕を組んで聞いていたジーエイチセブンがギルドマスターであるワタアメに話を振った。
「だとよギルマス。俺は別にいいと思うが、どうする?」
するとワタアメも、尻尾をうねうねと動かしながら、ニッコリと笑った。
「前、一緒にゴーレム退治した子だよね? アヤノの友達なら大歓迎だよー」
そう言われてアヤノは、
「良かった! シロ! 一緒のギルドで頑張ろうね!」
と喜び、同じ初心者仲間であるシロに笑顔を向けた。
言われるがままに付いて来てしまい、ギルドに入る流れになってしまったシロだったが、ワタアメやジーエイチセブンが相当なベテランプレイヤーである事を知っているので、恩恵をあずかろうと思った。
「ふ、不束者ですが! よろしくお願いします!」
ワタアメから送られてきたギルド加入申請を承認しながらも、律儀にお辞儀をするシロを前に、ワタアメが提案する。
「んじゃ、とりあえずここにいる四人で何処かダンジョン攻略でも行ってみよっか。黄昏の神殿ってダンジョンのマッピング情報あるよー」
その提案にジーエイチセブンが反応した。
「黄昏の神殿か。確かに丁度良いダンジョンかもしれないな」
黄昏の神殿。
雑魚モンスターの出現率は少なく、ほとんどレベル七十前後のボスモンスターが多くいるダンジョンで、ボス戦を手軽に楽しめる場所だ。
アヤノは新しいダンジョンに挑戦すると言う事を聞いて、
「いいですねいいですね! 行きましょう!」
と元気そうにはしゃいでいる。そんな様子をジーエイチセブンは、観察する様に眺めていた。
そこへワタアメの隣に、レベル八十八の弓使いエルフ族、アスタルテがログインして突然現れたと思えば、笑顔で挨拶をして来た。
「こんちゃー」
するとワタアメがアスタルテに話しかける。
「お、アスタン丁度いいところに来たね。今からみんなで黄昏の神殿に行く所だよ」
「黄昏の神殿が出たんですか? いいですね」
アスタルテが現れた事で、新メンバーのシロが空かさずアスタルテへ挨拶をした。
「あの、今日から新しくギルドに入りましたシロです。よろしくです」
「あ、どうも。アスタルテです。よろしく」
ペコペコとお辞儀をし合う二人を横に、ワタアメが立ち上がり、銅像から飛び降りた。
「じゃあ今から三十分後に正門前に集合で、出発準備よろしくー!」
そう言って、ワタアメはさっさと建物を出て行ってしまうと、それに続く様にアスタルテも準備をする為に建物を出て行った。
アヤノもその後を追おうとした所で、ジーエイチセブンが呼び止める。
「アヤノ」
「は、はい!」
急に名前を呼ばれて驚き振り返るアヤノに、ジーエイチセブンは微笑みかけながら近づき話を振った。
「最近、サイカと遊んでないのか?」
サイカという名前が出た事に少し動揺した表情を見せるアヤノ。
「えっと……」
「いや、前は色々とサイカが面倒見てたから、急にウチのギルドに入ってこっちばっかりってのも、サイカが寂しがるんじゃないかと思ってな」
「あの人は……寂しがらないと思います」
「……喧嘩でもしたのか?」
「でも……それについては……あまり触れないでください」
目を逸らすアヤノに、ジーエイチセブンは何と言おうか言葉を選んでいると、アヤノの横で話を聞いていたシロが話に入った。
「サイカさんと何かあったの?」
シロが心配そうな顔をするので、アヤノは慌てて話を終わらせる事にする。
「ううん! なんでもないの! よしっ、出発準備に行こー! それじゃジーエイチセブンさん、またあとで!」
と、逃げる様にアヤノはシロを連れて出て行ってしまった。
それを見送り一人となったジーエイチセブンは、無理矢理でも二人を会わせて仲介してやった方が手っ取り早いのではと、フレンドリストを開き確認したが、サイカはオフラインとなっていた。
「さて……どうしたものか……」
サイカの為に何かできる事はないかと、ジーエイチセブンは悩む。
三十分後、それぞれ冒険の準備を済ませ、ゼネティアの正門前に集合したメンバーは五人。
ワタアメ、ジーエイチセブン、アスタルテ、アヤノ、シロ。
驚くことにアスタルテがレンタルで馬車を用意しており、そのままアスタルテが馬を操り、四人は後ろに乗り込んで暇をする事となった。ゼネティアから約十五キロメートル程離れた場所、プラーリー大草原と言うジパネールの有名スポットを抜けた先に黄昏の神殿はある。
流れる景色と野生のモンスター達を横目に、様々な話題で盛り上がる中、シロがとある話題を切り出した。
「そう言えば、ガルム地方、まだ封鎖されたままですよね。大丈夫なのかな」
見れば、遠くにガルム地方が立ち入り禁止である事の象徴とも言える赤い壁が遠くに見える。
それを見ながら、ワタアメが言葉を発した。
「ジパネールは平常運転だし、大丈夫じゃないかなー。きっと、何処かのお偉いさんが必死になって働いてるよ」
すると今度はアスタルテが馬を操りながら口を開いた。
「新種のコンピュータウイルスにやられてサーバーのデータが吹っ飛んだんじゃないかって噂がありますよね」
シロがその噂に食いつく。
「そんな事ってあるんですか?」
「あくまで噂ですよ。ほら、ジパネールでも謎のモンスター出現や、それと戦うサイボーグ忍者の目撃なんかも、ハッキングだのウイルスだの色々言われてますから」
黙って聞いていたジーエイチセブンが口を開く。
「どれもこれも、ソースが不明な情報ばかりだから、それに対して語り広めるのは良くない事だ。俺たちはただ、プレイヤーとして、遊んでりゃいいんだよ」
そんな話を聞いたワタアメが、
「そう。私たちは遊んでればいいのよ。ただ遊んでいれば……ね」
と、遠い眼差しで呟く様に言った。
「それもそうですね。とにかく今、俺たちがやる事はダンジョン攻略ですね!」
アスタルテはそう言いながら、馬車の自動移動モードから手動モードに切り替えて、馬の走る速度を上げた。
黄昏の神殿に辿り着く頃、丁度良く黄昏時となったワールドオブアドベンチャーのジパネール地方。石で造られた列柱に囲まれた大きな神殿が橙色の光に照らされ、幻想的な雰囲気が支配していた。
神殿の入口付近には馬が何頭か停めてあり、先客がいる事がすぐ分かった。
「あちゃー、先客がいるね」
ワタアメが残念そうに肩を竦めると、シーエイチセブンがフォローした。
「黄昏の神殿は人気ダンジョンだから仕方ない。他のプレイヤーなど気にせず、俺たちは最深部を目指すだけだ」
するとアヤノが、
「黄昏の神殿の最深部も、やっぱり強いボスがいるんですよね?」
とジーエイチセブンに問う。
「デビルドラゴンってやつが最深部のボスだ。レベルは百十。今の俺たちなら相手にとって不足無しだ」
「デビルドラゴン! なんかかっこいいですね!」
好奇心旺盛なアヤノを見て満足そうな笑みを浮かべるワタアメ。
「さ、行こっかアヤノちゃん」
ワタアメとアヤノを先頭に、五人は神殿の中に足を踏み入れた。
中はまるで大きな城の中に入ったかの様な白い壁と天井に囲まれた通路と、鏡の様に反射する石床。すぐに地下へ降りる階段があり、一階はモンスターが湧かないセーフゾーンとなっている為、階段周辺には数人のプレイヤーが座って放置している。
放置プレイヤーの横を通り過ぎ、階段を下りると、いよいよダンジョンスタート。五人はそれぞれの武器を手に持ち、奥へと進んだ。
この黄昏の神殿は、ボス部屋が三十箇所用意されており、それぞれの中ボスを倒す事で通路の仕掛けが動くという仕組みだ。その仕掛けは宝箱の出現が主だが、三十個の仕掛けを同時に発動する事で、最深部への通路が出現する。
だが中ボスは数十分で復活する上に、中ボスがリポップすると仕掛けが元に戻ってしまう事から、複数のプレイヤーが協力して同時に倒して行くか、高レベルのプレイヤーが三十分以内に三十体倒すという攻略法をしなければいけないのだ。
しかし大体のプレイヤーの目的は、中ボスを倒した事により出現する宝箱である為、最深部を目指そうという者はほとんどいない。
早速、ワタアメ率いるパーティーが、色んなボス部屋に足を運ぶが、行くところ行くところボスは倒された後で開いた宝箱だけが残っていた。
モンスターを求めて通路を歩いていると、八人パーティーのプレイヤーとすれ違う。HPが削られている者が何人かいた為、恐らくボスと戦った後のプレイヤー達だ。つまりこの先の部屋も、ボスは倒されてしまっている。
そんな状況を前にシロが苦笑い。
「混んでますね……」
方向を変え、別の部屋を探す。
今度は中から戦闘する音が聞こえる部屋の扉を前に来たので、一同は大きな鉄扉の前で足を止めた。
「戦闘中みたいですね」
とアヤノが言うと、ワタアメが中の様子を見る為に扉を開けた。
そこにいたボスは、リビングアーマーと言うレベル八十の中ボス。
身体が無く、鎧だけが動いている亡霊騎士で、大きな剣と盾で目の前にいる二人のプレイヤーと対峙していた。
対するプレイヤーを見て、ワタアメ、ジーエイチセブン、アスタルテは驚く事となる。
リビングアーマーの攻撃を黒色のツインテールを揺らしながら、魔法剣士のリリムが剣で受けると、後ろから長いポニーテールを揺らした一本角の亜人格闘家、ケークンが飛び出てリビングアーマーの顔面に飛び膝蹴りを食らわす。
怯んだリビングアーマーの後ろにリリムは回り込み、七色に輝く高速剣技で連続斬り。ついでと言わんばかりに空中からケークンが回転踵落としでリビングアーマーの脳天を叩いた。
そんな連続攻撃を前に、リビングアーマーは呆気なく倒れ、消滅した。
すぐに宝箱が一個出現して、ケークンは真っ先に宝箱に駆け寄る横で、リリムが剣を鞘に納めながら部屋に入ってきたパーティーに目線を向ける。
「げっ」
リリムはそこにいるワタアメやジーエイチセブンを見るなり、少し気まずそうな表情を浮かべ驚いた。
すると、ケークンが宝箱のアイテムを回収しながら、
「知り合いですか?」
と相手のメンバーに目を配る。
そこにいるジーエイチセブンの顔を見て、前にゼネティアのコロシアムで見た試合を思い出し納得する。
「あーなるほど」
リリムとケークン。
コロシアムでバグが発生した一件があった数日後、ゼネティアの市場通りで二人は出会っていた。首都対抗戦で相討ちとなった因縁も有り、二人はお互いの顔を覚えていた事から、そのまま意気投合。もっとも、ケークンはリリムに会いにゼネティアまで来ていたので、偶然という訳でもない。
レベルも同じという事から、最近は二人で行動している事が多く、今日もペアで黄昏の神殿まで遊びに来ていたのだ。
そんな二人を前にして、ジーエイチセブンが最初に話しかける。
「なんだ、お前もここ来てたのか」
同じ屋根の下、それぞれの部屋でWOAを遊んでいる二人が出会うという偶然に少し動揺したリリム。
「ども」
と口籠るリリムを横にケークンが元気に発言する。
「こんにちは。どれくらい倒しました?」
どれくらい倒したかと言うのは、目安を付ける為にここの中ボスを何体倒したか確認する質問だが、ワタアメが残念そうに答えた。
「ぜーんぜん。来たばっかりなんだけど、何処の部屋も倒された後でさー」
「でしょうね。誰かがここのマッピング情報を格安で売ったみたいですよ」
「あー、なるほど。そりゃ混むわ」
「さっき、最深部の攻略パーティーも見かけたので、たぶん最深部入口で待機してるんじゃないですかね」
その情報を聞いたアスタルテがリーダーであるワタアメに問う。
「どうします? 今日は諦めて撤退しましょうか」
「うーん。攻略パーティー来てるとなると、横取りする訳にもいかないよね……」
そんな会話をしていると……
「ゴオオオオオオオオオオオッッ」
ダンジョンの奥から、ドラゴンの雄叫びが聞こえた。
これは最深部でのボス戦が開始された合図となる音で、つまり三十体全ての中ボスが倒され、最深部に誰かが踏み入れたという事になる。
つまり中ボスは全て倒され、本命のデビルドラゴン攻略も始まってしまったという事だ。
大規模多人数同時参加型オンラインRPG、MMORPGにおいてこういった事は起こり得る。特に黄昏の神殿の様な人気ダンジョンでは日常茶飯事だ。
そこでジーエイチセブンが代案を出す。
「来る途中で通ったプラーリー大草原のフィールドモンスターでも狩ればいいんじゃないか」
「しょうがないね」
とワタアメが言った事で、神殿の外へ向けて移動を開始した。何となくの流れで、自然にリリムとケークンも行動を共にする事となったので、ワタアメはパーティーの合併申請を出すと、リリムがそれを承諾した。
七人となったメンバーは神殿を出ると、日もすっかり暮れ、星空が広がるフィールドマップへと出る。
そして五人は馬車で移動、リリムとケークンはそれぞれの馬で移動を開始して、すぐにプラーリー大草原へと到着する。
プラーリー大草原はその名の通り見渡す限り草原が広がる場所で、綺麗な景色という観点から、ジパネール地方の名所とも言われている場所。カーネヴォホーンとハービヴォホーンと言う巨大なサイの様なモンスターが群れを成して多く生息していて、レベルは六十前後。
他にも多くのプレイヤー達が、ここでモンスター狩りを楽しんでいる中、ワタアメ率いるパーティーも早速狩りを始める。
カーネヴォホーンはアクティブモンスターと言われ、プレイヤーが近づくと攻撃を仕掛けてくるのに対し、ハービヴォホーンは非アクティブモンスターで攻撃をしなければ攻撃をしてこない温厚タイプ。ただし、攻撃力や体力はハービヴォホーンの方が上である事がポイントだ。
前衛である、ジーエイチセブン、リリム、ケークン、アヤノが敵の注意を引き付け、ワタアメとアスタルテが弓矢で遠距離攻撃。レベル百十以上の上級プレイヤーが四人もいる為、瞬きしたら一体倒されている程の勢いで倒して行く為、落ちた大量のドロップアイテムを、商人のシロが一生懸命回収するという役割分担になった。
アスタルテが矢を放ちながら、
「こんな事なら、討伐依頼受けておくべきでした」
と苦笑いを浮かべていた。
この二種類のホーンは、経験値が美味しいという訳でも無いが、ドロップアイテムの期待値が高く、特にハービヴォホーンが低確率で落とすナイトホーンと言う武器は高値で取引される程だ。
星々の明かりに照らされた草原で、スキルによる光やリリムの七色に輝く剣が舞う事一時間。ナイトホーンが一本ドロップした所で、一旦休憩となった。
周りにモンスターがいない適当な所に腰を下ろし、シロが経験値時給の計算を始める。
「えっ……時給十M!? 美味しいですねここ」
確かにシロのレベルも、四十二から四十五に上がっており、アヤノもレベルこそ上がらなかったがかなり経験値が入ったという事は分かる。
だが驚くシロの横でレベル百十九のワタアメが、
「十Mかぁ……って事は、私らは百Mくらい……まだまだだね」
と笑顔で言うので、シロが絶望の表情を浮かべる。
「まじっすか……」
そんな会話が行われる中、一人黙々とクリスタルダガーの手入れ作業を行っているアヤノの横にジーエイチセブンが座り話しかける。
「おつかれさん」
「おつかれさまですー」
アヤノはジーエイチセブンをチラっと見てから、目線をクリスタルダガーに戻した。
サイカとの事は触れて欲しくないと言われたばかりではあるが、ジーエイチセブンは話の切り口を変えてもう一度話す事にする。
「実はな、サイカ……お前の先輩から俺の所に連絡が来た」
「えっ? 先輩が?」
「お前も少しは事情知ってるとは思うが、あの不思議なサイカの関係で、アヤノの先輩とはリアルで知り合いになってな」
「そう……ですか……」
ジーエイチセブンもサイカの裏事情を知っている口ぶりである事には突っ込みはいれないアヤノ。
「お前の先輩はな、お前が想う以上にサイカの事で苦労してる。運営会社に呼ばれ、日本政府に事情を聞かれ、会社も強制的に休むはめになったりな。正直、お前さんの事を気に掛けてる場合じゃないんだよ」
「ですよね……」
「それでもだ。お前の先輩は俺に連絡をくれた。お前を気に掛け、どうしているかと心配してくれてる。人生の先輩でもあるおじさんから言わせて貰えば、それでも話したくないのなら距離を置きたい事を一言言ってやるのが礼儀ってもんだ。それだけの関わりはあったんだろ?」
いつの間にか武器を手入れする手が止まっていたアヤノは、しばらく黙って考え込んだ。ジーエイチセブンは話を聞いてくれてると見て、追い打ちを掛ける。
「アヤノの中ではサイカと先輩はもう別物になったんだろ? だったらもうそれでいいんじゃないかと、俺は思うけどな。俺が言いたいのはそれだけだ」
ジーエイチセブンは立ち上がり、その場を離れようと歩き出す。するとアヤノが何かを決心した様に、立ち上がってジーエイチセブンの背中に話しかけた。
「あ、あのっ! その……ちょっと離席……します」
その言葉に、ジーエイチセブンは顔をほころばせ、
「行ってらっしゃい」
とアヤノにエールを送ると、アヤノは固まって動かなくなった。
✳︎
そうだ、何を迷っていたんだろう。
先輩が遠くに行くのが怖くて、話をするのを躊躇っていたけど、自分から離れようとしてしまっていた。
話さなくちゃいけない。
彩乃はパソコンの前から立ち上がり、ベッドに腰掛けると、スマートフォンを手に持つ。そして着信履歴を開くと、会社から不在着信が一通入っていたが、それを無視して先日電話があった明月先輩の名前をタップする。
すぐに呼び出し画面に切り替わり、呼び出し音が鳴った。
プルルルルル。
すぐに出てくれるという訳でもなく、三秒、十秒、もっと経っただろうか。長い事呼び出し音を片耳で聞いている気がする。
プルルルルル。
彩乃は高鳴る鼓動を感じながら、固唾を呑む。
そして呼び出し音が止まり、聞き覚えのある声がスマホの受話口から発せられた。
『もしもし、明月です。飯村さん?』
「は、はい! もしもし! 飯村です!」
緊張で声が上擦った。
『電話ありがとう。なんかごめんね、色々と』
「いえ……こちらこそ……その……」
『待って、僕から言わせて。サイカの事、黙っててごめん。あまりに現実味も無い事だし、危険な事でもあるから、ワールドオブアドベンチャーを純粋に楽しんでる飯村さんに心配を掛けたくなかったんだ』
琢磨の声を聞いていたら、彩乃の目から涙がポロポロと落ち、黒縁眼鏡のレンズが濡れたので思わず眼鏡を外した。
『でも……結果として飯村さんを傷つけてしまった。いらぬ気遣いだったよね。本当にごめん。そして安心して欲しい。こっちはこっちで何とかやってるし、一緒に遊んだから分かると思うけど、サイカもサイカで悪い奴じゃなくて、僕の分身みたいな人間だから……もし、それでもサイカを信じたくないのなら、僕が別アカウント作ってでも、一緒に遊ぼうか?』
「ぐすっ……大丈夫……です。先輩なら……先輩が見ててくれるなら……どんな形でも……」
『あれ、飯村さん泣いてる?』
「泣いてないです……先輩、覚えてますか? 私と先輩が出会った時のこと」
『えっ……覚えてるよ。駅のホームで、飯村さんがスマホ落として、僕が拾った』
それを聞いて、彩乃の流れる涙の量が増える。足元の絨毯が涙の雨でポツリポツリと濡れた。覚えていてくれた事が嬉しくて、言葉が出ない。泣いてる事が琢磨にバレ無い様に、必死に嗚咽を堪える。
『……あれ、飯村さん?』
気持ちが抑えられない。
「先輩……私……先輩の事が―――」
プツッ。
プープープー。
突然、電話が切れ、虚しく電子音が鳴る。
「え?」
彩乃は慌ててスマートフォンの画面を見ると、電波表示が圏外となっていた。
普段、この部屋でスマホの電波が三本以下になる事など無いのに、急に圏外になったのである。通話が切れてしまって拍子抜けした彩乃は、そのままベッドに倒れた。
まだ涙が……止まらない。
✳︎
アヤノが突然離席して動かなくなってから十分程経ち、周囲でモンスターが湧き始めたのでとりあえず狩りながらアヤノの帰りを待つ一同。
シロがドロップアイテムを拾い、
「アヤノさん、帰ってきませんね」
と心配しているので、ジーエイチセブンがフォローする。
「今、リアルで一大イベントやってるとこだから、待ってやろうや」
ワタアメが話に入る。
「なに?もしかしてサイカちゃんの事?」
「ああ、そうだ。正確にはサイカの中の人だがな」
「ふ~ん」
動かないアヤノの周りに次々と湧くカーネヴォホーンとハービヴォホーンを協力して倒し尽くし、皆武器を収めはじめた。
その時……
ゴゴゴゴゴゴゴゴ。
突然地響きの様な音と揺れがジパネール地方全域を包み、フィールドマップ表面のテクスチャが至る所で崩壊が始まった。
「んっ、なんだ!?」
と驚くジーエイチセブン。
尋常じゃ無い揺れの強さを前に、何かボス戦が起きるのではと、皆武器を手に持ち構えた。
そんな中、ワタアメは上空の異変にいち早く気付き、空を見上げているので、他のメンバーも遅れて空を見上げる。
空に大きな亀裂が入り、巨大な穴が空いている。そこから何か、黒色のガーゴイルの様なモンスターが次々と飛び出し、更に眼球は黒く、瞳孔は赤い、奇妙な眼が覗き込んでいて、ゆらゆらとした細い手の様な物がかなりの数伸びてきているのが確認できた。それらは上空で散開して、ジパネール地方各地に向けて降下を始める。
その光景を前にケークンが、
「新種のボス戦イベントでしょうか」
と困惑した表情で拳を構えている。
この異常な状況は、恐らく新種コンピュータウイルス、バグによる物と悟ったジーエイチセブンはすぐに指示を出した。
「ログアウトだ!全員今すぐログアウトしろ!」
「え? え?」
とシロがあたふたと戸惑っているので、ジーエイチセブンは重ねて説明を入れる。
「あれは最近噂になっている新種コンピュータウイルス。下手したらパソコンを端末ごと壊されるぞ! 早くしろ! 今から三十秒なら間に合うはずだ!」
冗談を言っている訳ではない真剣な表情をするジーエイチセブンを前に、皆は一斉にメニューを操作してログアウトを選択して、三十秒のカウントダウンが始まる。
そんな中、シロが固まっているアヤノを見て、
「でもアヤノさんがまだ戻って来てません!」
ジーエイチセブンはアヤノを見ると、離席していてまだ固まったままだ。
「こんな時に!」
どうするべきか、ジーエイチセブンは思考を巡らせる。
それを邪魔するかの様に運営からの全体メッセージが流れ始めた。
【八月十一日 二十一時二十三分から終了時刻未定で緊急メンテナンスを実施させていただきます。皆様には大変ご迷惑をおかけいたしますことをお詫び申し上げます。】
時間を見ると、緊急メンテナンスに入るのは3分後。
空から迫りくる、大量のバグを前にワタアメは、
「また……またか……また邪魔をするのか! 壊すのか! わっちの平穏を!」
と怒りに満ちた表情で、眼球の色を黒く染め、目尻から黒い血管を浮かばせた。
ワタアメが弓を構える両腕も肌が黒くなっていて、見た目が禍々しい姿に豹変しているのが分かる。
「ギルマス……お前……」
そんな姿を見て、ジーエイチセブンは唖然とした。
ジーエイチセブンとワタアメ以外のメンバーが、ログアウトのカウントが終わり消えていく頃、ワタアメは自身が持つ固有スキル《サテライトアロー》を発動していた。
長めのチャージが行われ、月の光を充分に吸収した爆発矢がワタアメの手により放たれる。
流星の如く輝く矢が空中にいるバグを貫き、空いた穴まで届こうかという所で何か見えない力により打ち消されてしまった。
それを見たワタアメは、本来クールタイムが十分あるはずの《サテライトアロー》を、予備動作無しで連射。
上空のバグを的確に貫いていく。
そんな攻撃を見たのか、別の場所にいる遠距離攻撃型のプレイヤー達も次々と空へ向かって攻撃を始めた。
だが、軽く千はいるだろう大量のバグの処理は追いつく事なく、着実に群れが近づいてくる。
ジーエイチセブンは隣で固まっているアヤノに呼びかけた。
「アヤノ! 動いてくれ! アヤノ!」
いっその事、プレイヤーキルをすれば……いや、それでもキャラクターの死体はこの場に残る。
きっとウイルスの未知の攻撃に対して、有効ではない。
ダメ元で、守って見せるかと、ジーエイチセブンは迫るガーゴイル型バグに向かって大剣を構えた。
✳︎
気分も落ち着いてきた彩乃は、涙も止まった。
スマホの画面を改めて確認すると、やはり圏外のままだ。
原因は分からないけど、電波が戻ったらもう一度琢磨に電話を掛けようと考えつつ、彩乃はベッドから立ち上がりパソコンの前に戻る。
すると、ディスプレイには驚くべき状況が映っていた。
✳︎
「アヤノ! 逃げろぉぉぉぉ!」
そう叫んだジーエイチセブンは、黒色のモンスターの爪に切り裂かれガラスが割れた様に消滅した。
「え?」
見れば、周りは空飛ぶ黒色のモンスターだらけ。宝石の様な赤い目を輝かせ、完全に包囲されていた。
隣には必死に矢を連射し続けているワタアメの姿。
「え? え? 何がいったいどうなってるんですか!?」
するとワタアメが応える。
「今の私はキミの端末までどうこうする力が無い。とにかく逃げるよ」
「もしかしてこれがサイカが言ってた……」
サイカが言っていた。異世界の狂暴な生物が、ゲーム世界に紛れ込んできていると……
ワタアメはすぐ隣に次元の裂け目の様なワープホールを出現させる。
これは以前、盗賊のアジトでワタアメが使用した物で、中に入るとログアウトブレイバーズギルドの拠点まで瞬時に移動できた。
つまりこれに入れば、この場から逃げられるという事だ。
「入って!」
とワタアメが矢を放ちながら、アヤノに指示する。
「はい! ワタアメさんも!」
アヤノがそう言いながら裂け目に先に入ろうとしたその時。
アヤノの身体が動かなくなった。
「あれ?」
操作が効かない。
見ると、アヤノの腕を空から伸びてきている無数の手の一つが掴んでいた。すぐにもう一本の手がアヤノの足を掴む。
そしてアヤノの身体を縛る様に伸びる手が巻き付いてきた。
ワタアメがすぐに気づき、
「やめろ!!」
と短剣に持ち替え、アヤノを掴む手を1本斬るが、もう1本の手がアヤノを引っ張り空中に持ち上げられてしまう。
ワタアメの短剣が届かない所まで持ち上げられると、餌に群がる鯉の様に数十本にも及ぶ手がアヤノに絡み付いた。
アヤノは動けない。
「アヤノ! すぐに端末の電源を切って!」
「わかりました!」
✳︎
システムメニューも開けない。
それだけじゃない、パソコンがフリーズした様に全く動かないのだ。
ワタアメに言われた通り、彩乃はすぐにパソコン本体の電源ボタンを押したが、電源も落ちない。
「そうだ! 電源ケーブル!」
コンセントに刺さっているパソコンの電源ケーブルに手を伸ばし、力強くそれを引っこ抜く。
だがそれでもパソコンの電源は落ちなかった。
「どうして!?」
見れば端末本体の内部からモーターか何かが暴走している様な唸りを上げ、カタカタと揺れている。
異常な事態が彩乃の前で起きていた。
✳︎
アヤノは勢いよく空へと引っ張られ、上空の大穴へと引き込まれていく。そんな中、ワタアメが叫んでいるのが聞こえた。
「魔石フォビドンは持ってる!?」
魔石フォビドン、先日盗賊アジトで手に入れたアイテムだ。
確か所持品に入れたままのはず。
持ってます。
そう返そうとしたが、もうアヤノは発言もできない状況になっていた。
「必ず助ける! 必ず!」
そんな事をワタアメが血相変えて叫ぶ中、あっと言う間にアヤノは上空の穴に引き込まれてしまった。
丁度、ジパネール地方はそのまま緊急メンテナンスに入り、ジパネールにいたプレイヤーは全員強制ログアウトとなった。
✳︎
自分のキャラクターが無数の手に引っ張られ、大きな穴に飲み込まれるとディスプレイが真っ暗になった。でも相変わらず電源ケーブルを抜いているはずのパソコン本体が、唸り揺れている。
「なんなの……」
パソコンが爆発でもするんじゃないかと、急に恐ろしくなってパソコンから離れようとする彩乃。
すると、真っ暗だったディスプレイ画面に、先ほど穴から除いていたのと同じ、ギョロっとした奇妙な眼が映され周りを確認する様に瞳が動いた。
そしてその眼が彩乃を発見して、ピタリと止まると、真っ暗な部屋である事も相まって、それはとても気味が悪く恐怖で彩乃の脚が動かなくなった。怪奇現象を前に声も出せない。
ガタガタガタガタガタ!
パソコン本体の揺れが激しさを増し……
そしてピタッと止まる。
ボンッ!
中から何かが爆発したかの様な音が聞こえたと思えば、黒色の大きな手が1本、突然パソコン本体の側面から飛び出し腰を抜かす彩乃に向かって伸びた。それは彩乃の頭を鷲掴みにする様に掴む。
「えっ……」
そして彩乃の視界が真っ暗になった―――
この日、突如として新種コンピュータウイルスのサマエル、又はバグと呼ばれる存在が活発化。急激に増殖した事により、インターネットの世界やそれに繋がる多くのシステムが麻痺する事となった。
後にインターネットショックと言われる世界規模の災害は、人類のインターネットワーク環境を著しく衰退させる事となる。




