33.向こうの世界
ミラジスタでの大事件は、王都シヴァイに事件発生とその対処をアーガス兵士長が行っている旨の報告が有り、その後の報告がまだ到着していない頃。
王都には三つの教会が有り、その一つの最も古く伝統の有る教会は今では取り壊しを待っている廃墟となっていた。町に明かりが灯され始める時間帯に、そこで作業をする者が一人。
白い獣耳と、猫の様に長く柔らかい尻尾、ワタアメである。
ブレイバー召喚儀式用の祭壇にチョークで魔法陣を描いている最中で、横に置いてある林檎を一口かじっては林檎を元の位置に戻し、作業を再開する。そんな事を一人繰り返していた。その大きな魔方陣の真ん中には、大きなホープストーンが一つ。その石もまた、ブレイバー召喚儀式で使われる物と同じ大きさの物である。
王都の中でも外れにあるこの教会の廃墟は、周囲の人気も少なく、外の鈴虫の鳴き声がよく聞こえ、チョークが身を削りながら線を描く音も心地よく響いていた。
「ん~♪ ん~♪」
ワタアメは鼻歌を歌いながら、チョークを持つ手を動かす。
そんなワタアメの耳はこの教会に近づく三人の足音を拾い、ピクピクと小刻みに動き、鼻はそれが誰なのか判断できる程の臭いを吸収していたが、ワタアメは気にせず作業を続けた。
やがて教会の扉が開かれ、三人の人影が入って来る。
青いドレスを着たソフィア王女と、フードを被り身を隠す護衛のブレイバー二人である。
ワタアメは王女に目線を向ける事なく、手を動かしながら口だけを開いた。
「一国の王女様がこんな所に何用じゃ」
「それはこっちの台詞です。アリーヤ共和国の使者である貴女が、こんな所で何をしているのですか」
ソフィアはワタアメが行っている作業に注目する。
半分以上描かれた魔法陣、そしてホープストーン、ソフィアは話を続けた。
「ブレイバーによるブレイバー召喚儀式は違法です。いったい誰の許可を得てそんな事をしているのですか」
するとワタアメはチョークを置き、食べかけの林檎を手に取るとそれを口に運び、そしてソフィアに目を向けた。
「誰って、国王の許可を貰っておる」
「お父様が? そんなはず……」
信じられないと言った態度を見せるソフィアを前に、ワタアメは祭壇の端に腰掛け足を組みながら笑みを浮かべた。
「メスの身体っていうのは色々と便利での。知っておるか? ブレイバーは絶対に身籠る事はありんせん」
「なっ!? お父様を誑かしたのですか!」
「誑かしたとは失礼な。五年前、王妃を無くした寂しさを、わっちが埋めてやったんじゃ」
「なんて事を!」
「でも、大臣は腰抜けじゃった。マグロとはよく言った物よな」
「この国を乗っ取るおつもりですか」
「国を乗っ取る? ニャハッ、そんな小さな事をわっちが目論んでいるとでも?」
「では、何をしようと言うのです!」
「見ての通りじゃ」
ニヤニヤと笑い、そして高い所から足を組んで王女を見下ろすワタアメ。
「ブレイバーを召喚するのであれば、然るべき手続きを踏んでからやりなさい!」
「五月蠅い王女様じゃな」
と、ワタアメは食べ残りである林檎の芯をソフィアに向けて投げる。しかもそれは、普通の人間の目では追いきれない程の早業で、ソフィア自身は投げられたと気づいた時にはすぐ目の前まで芯が飛んできていた。
それに反応したのは護衛のブレイバーの一人、素早くソフィアの前に立つと腰に下げた鞘から剣を抜き、空中の林檎の芯を真っ二つに斬った。
その動きで、そのブレイバーのフードが取れ、尖った耳に紫色のツインテールが露わになった。手にはワールドオブアドベンチャーのレア武器であるエレメンタルソード。
WOAでは七色剣士と言う異名もある、女魔法剣士リリムである。
ワタアメは思わぬ人物の登場に、
「ほう」
と、何処か感心した表情でリリムを見た。
お互いに夢世界では知り合い同士であり、何度か一緒に遊んだ因縁もある為か、強い怒りの籠った瞳でリリムはワタアメを睨め付ける。
そんなリリムに気を取られているワタアメに、もう一人の護衛ブレイバーが夢世界スキル《残影》で瞬時にワタアメの真横まで移動すると、空中から強烈な蹴りがワタアメの顔を襲う。
だが、そんな蹴りをワタアメは座ったまま手で止め、そのまま足首を掴むと反対側へ放り投げた。
「くっ!」
その勢いでフードが取れ、長い茶髪ポニーテールで額に一本の小さな角が生えた女格闘家の顔が見える。
同じくWOA出身の女格闘家、ケークンである。
ケークンは壁に着地すると、ソフィアが叫ぶ。
「やめなさいケークン!」
その言葉を聞き、ケークンは夢世界スキルの《残影》を再度使ってソフィアの横まで瞬時に戻ると、詫びの意味も込めて片膝を付いて頭を下げた。
それを確認したソフィアは今度は目の前で剣を構えるリリムにも指示をする。
「リリムも剣を納めなさい」
リリムは剣を鞘に納めて下がった。
ソフィアはこのワタアメなるブレイバーが、あのシッコクと互角に戦ったと言う事を聞いている為、今この場で護衛の二人を対峙させるのは危険と判断した。現にケークンのあの瞬間移動にも反応して、態勢をほとんど崩す事無く、片腕だけで軽々と投げていた。相当な強さである事はソフィアにも解る。
攻撃を仕掛けられた事など、何も気にしていない様子でワタアメがソフィアに問う。
「それで、まだわっちに用があるのかの?」
「貴女の陰謀は、必ず私が止めて見せます」
「ほう、五年前はケツの青い小娘と思っとったが、なかなかどうして、立派に成長したものじゃな」
そんな事を言うワタアメにソフィアは背中を向け、教会の出入り口に向けて歩き出すと、リリムとケークンも離れず後を追った。
そのまま三人が見えなくなると、ワタアメは少しばかり退屈そうな表情を見せた後、立ち上がりながらチョークを手に持った。その表情は何処か物思いに耽っていた。
教会を後にしたソフィア王女は、リリムとケークンを引き連れてエルドラド城へ向かった。
厳重警備をする王国警備隊兵士達の横を素通りしながら、奥へと進み、いくつかの階段と鍵付きの鉄扉を通った先に、グンター王の寝室がある。ソフィアはそこで足を止めると、二回ノック。
「お父様」
「ソフィアか。入れ」
王の言葉を聞き、ソフィアは扉を開けて中に入ると、静かに扉を閉めた。リリムとケークンは言われずとも外で待機する。
入ってきたソフィアを見るなり、椅子で読書をしていたグンター王は本を閉じる。
「どうした、こんな夜更けに」
「お父様、アリーヤ共和国の使者についてお話があります」
「ワタアメの事か」
「はい。あのブレイバーは、何か良からぬ事を企んでいます」
「ふむ。それで?」
「……ブレイバーによるブレイバーの召喚など、どうしてお許しになられたのですか」
「ソフィアよ。ワタアメは特別なのだ」
「愛人……だからですか?お母様が悲しみます」
「違うのだソフィア。ワタアメの存在はエルドラド王国の傷。贖罪が必要なのだ」
「仰ってる意味がわかりません」
「お前は知らなくて良い事だ」
「あのブレイバーの人体実験が関係する話ですか?」
「たとえお前でもそれに答える事は出来ない」
「お父様がそんなだからシッコクを怒らせたのです」
「ソフィア。もう話すことは無い」
「……わかりました」
グンター王はこれ以上話す気はないと感じ、ソフィアは大人しく部屋を出た。
王の寝室を後にしたソフィアの足取りは早く、護衛ブレイバーの二人は王女の機嫌が悪い事を悟る。
「シッコクもお父様もなんでこうなのかしら! 男って本当に頑固!」
頬を膨らませて可愛らしく怒っているソフィアにリリムが今後の事についてソフィアに質問した。
「どうなさるおつもりですか?」
「そうね。話してくれないのであれば、調べるしかないでしょう」
「調べる?」
「明朝、ブレイバー研究所跡に向かいます」
その言葉に驚いたリリムは、周りに今の発言を聞いた者が誰もいない事を確認した後、耳打ちをする様に再度質問した。
「ブレイバー研究所跡とは、マザーバグがいたとされるバグの巣の事ですか?」
「元バグの巣よ」
「危険です! 討伐されたとは言え、バグや盗賊の類がいない保証もありません」
「だから貴女達がいるんじゃない。それに、マザーバグ討伐時の作戦に参加したロウセンも」
「しかし、そんな外出が認められるとは思えません」
「外出許可など必要ありません。勝手に出ます」
「ソフィア様! それはいけません! ケークンも何とか言ってくれ」
と、リリムがすぐ横を歩くケークンに話を振ると、ケークンはクスッと笑いながら、
「いいんじゃないか? 面白そうだ」
「はぁ……」
リリムは大きなため息を一つ吐いた。ソフィア王女はスイッチが入ると止まらない人である為、これ以上は野暮だろうと感じる。なので、別の質問を投げた。
「ワタアメが教会でしようとしている事、放っておいていいのですか?」
「悔しいけど手出し出来ないわ。でもブレイバーを一人召喚された所で、何が起きると言う訳でもないでしょう。それより、正体を暴く事が大事だと思うの。そしてあの場所で何があったのかも」
「なぜそこまで……」
「私もシッコクも、真実を知る権利があると思うからよ」
「……わかりました。私もケークンも、火の中水の中、お供しましょう」
そんな会話をしながら、三人は城を出て、十分程歩いた位置にある邸宅に到着する。ここがソフィア王女の住宅で、王国警備兵による二十四時間体制の警備が敷かれる中、大きな門を潜った先にある広い庭を通る。
そこには人型巨大ロボットであるロウセンが、片膝を付いて機能停止している状況だったが、ソフィアが通りかかると目の部分が緑色に光り、そして白い装甲が動いたと思えば、ゆっくりと顔をソフィアに向けた。
「留守の間、何も問題はありませんでしたか?」
言葉を発声する事ができないロウセンは、顔を頷かせて応える。
「明朝、出かけます。ロウセン、貴方に道案内を頼みたいのだけれど」
ロウセンは再び頷いた。
「よろしくお願いします」
と、ソフィアはロウセンの脚の装甲を優しく撫でた。
この時代に不釣り合いな巨大な鉄の塊は、この世界に召喚された時からソフィア王女をいたく気に入っている様子で、ブレイバー隊に居た頃も隊長シッコクよりもソフィアの言う事を優先する程であった。
精鋭ブレイバー隊がマザーバグ討伐から帰還してすぐ、王女に従順なロウセンをソフィアにプレゼントするかの様に、ブレイバー隊から除名して王女の護衛ブレイバーの一人としたのは最近の事。
王家の護衛に着くブレイバーは、安全性の高い夢世界出身者、今で言うワールドオブアドベンチャー出身の者に限ると言う仕来たりも押し退け護衛の任に着かせた。
それ以来、その巨体から邸宅に入る事はできない為、こうしてここの広い庭で邸宅の見張りをする日々を送っているロウセンであった。内臓された動体センサーで敷地内の侵入者を察知できる為、頼もしいブレイバーである。
ソフィアがしばしロウセンの装甲を撫でる事で戯れた後、邸宅の中へと入って行く。メイドが数人出迎えてくれる中、さっさと自室へと足を運んだ。
リリムとケークンが部屋の外で待機すると、眠気に襲われたリリムが大きな欠伸をした。メイド長だけが王女の部屋に一緒に入って来ると、ドレスから部屋着への着替えを黙って手伝ってくれる。ある程度着替えが終わった所で、
「もういい」
とメイド長を部屋から追い出すと、そそくさと旅の準備を始めるソフィアであった。
一方その頃、夜のミラジスタの町は戦場と化していた。
採掘地区より発生した無数のバグがミラジスタの町を占拠していき、多くの民間人が成す術無く捕食されていく中、大聖堂や教会、ブレイバーズギルドなどの主要施設がある中央地区とそこから正門へと繋げる商業地区だけは何とかブレイバー達の奮闘により守り切っている状況だ。
女子供や貴族といった人間達は商人達が用意した馬車群に乗り、数人のブレイバーが同乗して護衛しながら、ルーナ村まで避難する事となり、続々とミラジスタの正門から馬車が飛び出していく。
レベル一から二の大量バグと、稀にレベル三のバグまで出現する事も確認され、数百人に及ぶブレイバーが数時間の戦いを繰り広げた。そんな中、王国警備兵達がバリケードを作り、中央地区、商業地区の防衛線を築く事で一時のこう着状態になっていた。
ミラジスタには優秀なブレイバーも多く、これぐらいのバグであれば防衛線の維持は比較的容易だ。だが戦闘が長引くにつれ、ブレイバーにとって不利な状況になってしまう。それは、ほとんどのブレイバーが夜に弱いのだ。
一部例外はいるものの、夜の日付が変わる前後数時間の間に急激な眠気に襲われるからだ。それはブレイバー達にとっては夢を見る前兆であり、重要な事でもあるのだが、この状況においては戦況を不利にする要因でしかない。
多くのブレイバーが眠気と戦い、中には自身の足や手に武器を刺し、その痛みで眠気を覚まそうとする者もいる。それでも眠気に負けて、倒れる様に眠ってしまう者もいれば、物陰や屋根の上で器用に眠りに入る者もいる。
時間が経つにつれ、眠りのタイミングが他と違うブレイバーや、夢の前兆がきていないブレイバーのみが活動する様になってきた。
中央地区の一角を守るサイカ達は、他のブレイバーや兵士達と協力してバリケードの一つを守り抜いていた。
エムは先に近くの民家の中で眠りに入ってしまった中、迫りくるバグの軍勢をサイカが次々と斬り捨てていく。そのサイカを援護する様に、屋根の上から銃弾を放つクロード。
以前よりもサイカの戦い方を理解しているクロードは、サイカの死角をカバーする。
マーベルもクロードの横でサイカに支援魔法を掛けながらも、攻撃魔法の数々を放っては休みを繰り返し援護をしていたが、眠気に襲われ大きな欠伸をした。
「ごめん、私もそろそろ限界。あとは任せたわよ」
そんな事を言い残し、民家の中に入って行く。
敵も無尽蔵に湧いてくる訳では無い様で、勢いは段々と衰え、疎らになってきた所でもあるが、一つのバリケードを一緒に守っていた他のブレイバー達はほとんど眠りに入り、数人だけがその場に残った。
だからこそ、サイカに焦りが見え始める。
サイカに眠気が来ていない。
つまり、琢磨がまだ夢世界にログインしてくれていないと言う事。
あれから一日経つのに、ログインしてくれないと言う事は、やはりアヤノとの一件が大きく関わっているのではないかと、サイカは内心焦っていた。
場合によっては、嫌われ、見捨てられ、琢磨が離れて行ってしまう可能性もある。
そんなのは御免だ!
琢磨と話がしたい!
心がそう叫ぶ中、サイカは一心不乱にバリケードに近づくバグを斬っていく。
そのサイカの焦りはクロードにも見て取れた。明らかに刀を振るう手に無駄な力が入っていて、クロードの援護無しでは危うい場面が増えている。
もう見てはいられないと、考えたクロードは立ち上がると、屋根から飛び降りてサイカに走って駆け寄った。
「サイカ。お前ももう休め」
「ダメなんだ。眠くならないんだ……」
「そんな日もある。夢主だって一日も休まず夢世界で遊んでる訳ではないさ」
「……そんなはずないんだ。こんな大事な時期に、琢磨がログインしないなんて……そんなこと……」
クロードに背中を向けて俯くサイカ。
それを見て、クロードはそっとサイカに近づくと、肩を持って自分の方に向かせる。
パチンッ。
サイカはいったい今何をされたのか判断が追いつかなかった。ただそこには頬が痛いという感覚が有り、サイカは思わず自分の頬を片手で押さえていた。
サイカの頬を叩いたクロードは強めの口調で言い放つ。
「今この瞬間、お前の中で、お前の夢世界とこの町の戦い、どっちが重要なんだ」
「それは……」
「この町を守れなかったら、後悔が残る。お前がここで消滅したら、それこそ一生そのタクマとやらと会えなくなるぞ。それでもいいのか?良くはないよな?」
そんな話をしている中、サイカの後方、少し離れた所に犬型のバグが見えたので、クロードは空かさずハンドガンを片手に持つと銃弾を発射。一発でバグのコアを貫き、消滅させた。
クロードが目線をサイカに戻すと、サイカの瞳から一筋の涙が零れ、頬を伝っているのが見えた。
サイカが今日一日、どれだけ悔やみ悩んだのか、考えただけでもクロードも胸が苦しくなる思いだ。ミラジスタ名物のシスターアイドルを見ようとクロードが提案したのも、エムがカレーパンを食べようと言ったのも、少しでもサイカに安らぎを与えられないかと思ったからだ。それが無駄だったとは思いたくはない。
それでも、今大事なのはサイカの夢世界の事ではない。
落ち込むサイカをクロードは何も言わず抱きしめた。
どれくらいそうしていただろうか、ほんの一瞬だった様にも思える時間が経過した後、サイカがクロードの胸の中で呟く。
「クロードは……眠くならないのか?」
「俺はもう、ほとんど夢を見ていない」
その言葉にハッとなり、クロードの顔を見るサイカ。一ヶ月と少し前、マザーバグ討伐作戦前にクロードは夢世界の続編が出る予定と言っていた。その影響がクロードに出ていると言う事だ。
だが、サイカは何と声を掛けたらいいのか分からなかった。言葉が何も出なかった。
しばらくの沈黙の後、サイカから手を放しながらクロードが口を開いた。
「ここは危険だ。一旦バリケードの内側まで下がろう」
と、クロードがサイカに背中を向けて歩き出すと、サイカが言葉を発したのでクロードは振り向いた。
「もう大丈夫。戦うよ」
顔に覇気が戻ったサイカを見て、クロードは微笑みを返しながら、
「その意気だ。援護は任せろ」
と、再度屋根の上に戻ろうとした時、一人の若い兵士がバリケードに登り、二人に聞こえる様に大声で話しかけてきた。
「サイカさん! クロードさん!」
名前を呼ばれ、そちらを見る二人。
「臨時作戦司令室、アーガス兵士長より伝言です! 明日、大規模作戦を決行、ぜひマザーバグを倒したとされるサイカさん御一行に参加して欲しいとの事です!」
クロードはそれに応える。
「分かった! それで、集合時間はいつだ!」
「明朝、朝八時。大聖堂前の臨時作戦司令室に集合です! よろしくお願いします!」
そう言い残して、兵士はバリケードの向こう側へ飛び降り、そのまま司令室の方角へ走って行ってしまった。伝達役なのであろう。
するとクロードは、
「朝までバグと戯れるとするか」
とアサルトライフルを握り、近くの民家の塀を上手く使って飛躍して、身軽な動きで屋根の上に登った。
それを見ながらサイカが気になる事を聞いた。
「このバグは外から来た訳ではないのだろ?」
「その様だ。警備兵の話では採掘地区から発生しているらしい」
「じゃあ、あのテロリスト事件と関係が?」
「わからん。作戦会議で説明があるだろうよ」
そんな会話をしながら、サイカは刀を構え、クロードはアサルトライフルのスコープを覗き込む。先ほどから大分落ち着き、ここの防衛線がある通路にはもうほとんどバグの姿は無かった。
ミラジスタが戦場となり各所で逃げ遅れた人間がバグに捕食され、ブレイバーが戦う中、北側の町外れにある地区にもバグによる侵攻は進んでいた。
宿屋エスポワールの瓦屋根の上に立つ2人のブレイバーと、座って呑気にお茶を飲んでるお婆ちゃんが1人。
ピンク色の髪と青と白のローブを風に揺らしながら、ブレイバーの一人、サダハルが隣に立つ赤ずきんルビーに話を振る。
「それで、何で貴女がここにいるの?」
「ふん。別に何処にいたって私の勝手でしょ」
「まあお婆ちゃんの思い出が詰まったこの宿屋を守ってくれるってんなら、何でもいいけどさ」
サダハルは杖をかざし、魔法陣を空中に展開すると、夢世界スキルの《ホーミングレーザー》を発動。三十本の光の線が空中を高速に漂い、動くバグを自動追尾する事で、その線は全てバグに命中。障害物もある程度避けてくれる便利なスキルにより、付近のバグが一掃された。
それを見たルビーが問う。
「へえ。そんな技もあるのに、なんで貴女はこんな所で人間みたいに働いてるの?」
すると、サダハルは少しだけ黙った後、口を開いた。
「守れなかったのよ。とある任務でここの主人をバグとの戦いに巻き込んでしまったの。だからせめて、お婆ちゃんは守ってあげたいと思ってね」
「へえ」
「お婆ちゃん、宿のお客さん相手は主人に任せっきりだったから、ほんとに経営が下手でね。どんどんお客さんが減る一方。でもね、この場所だけは、残してあげたいの。きっとここはお婆ちゃんにとって思い出の詰まった場所だから」
そんな話をしていると、サダハルは急激な眠気に襲われ立ち眩みをした。
「少し眠りな」
と、ルビーが気の利いた言葉をサダハルに掛ける。
「ルビーさんは大丈夫なの?」
「私は少し他のブレイバーと違うから。言ってしまえば常に眠いし、いつでも眠れる状態なのよ。だから慣れてる」
再びバグの群れが四方八方から接近。今度はルビーが鎌を構えた。
「ほんと面倒な生き物よね。ブレイバーも、人間も!」
夢世界スキル《デスサイズスロー》を発動して、紫色のオーラに包まれた鎌を投げ飛ばす。
空中で大鎌は回転しながら生き物の様に動き回り、バグの群れを狩る。動く鎌が七体目のバグを消し飛ばした時、バグとは違う生き物に鎌が当たった感覚を感じる。
するとルビーは、
「少しだけ我慢してて」
と瓦屋根から飛び降り、その場へと向かった。
周辺に接近する全てのバグを狩り終えた鎌がルビーの手元に戻ってくる頃、ルビーは運悪くも鎌が当たり絶命した人間の死体が転がる路地裏に舞い降りた。
そこには火縄銃を持った人間が五人。ルビーを見るなり銃口を向けてきたが、その手は震えている。とても強そうには見えない。
「ブレイバーか!」
と、人間の一人が問いかける。
「あんた達、何?」
鎌を片手でくるくると回しながら、銃を持った人間達を威嚇する。
銃を構えながら後退りする五人の後ろから、新たな人影が二つ。いかにもパワー系と言った筋肉の塊の様な男が両手にはナックルを付けて歩いており、その横には対照的に細身で背の高い男がギザギザした長剣を持って不気味な笑みをルビーに向けている。
筋肉の男がルビーを見ながら口を開く。
「こいつか? 姉さんが言っていたブレイバーって」
するととなりの細身の男が、
「いやぁ、黒髪短髪に刀を持ってるって話だから、こいつじゃねぇなぁ」
と話す中、銃を持った人間達が二人の為に道を開け、二人の男は前に出た。
ルビーは雰囲気から堅気では無いと感じた上で、黒髪短髪で刀を持ったブレイバーと言うのにも心当たりがあった。
筋肉の男は戦闘態勢に入り、ナックルを付けた両手を構える。
「それじゃあ殺してもいいんだな」
「やっちまおうぜ」
そんな事を言いながら細身の男も剣を構えた。
ルビーは何だか強い奴が来たので面白くなりそうだと思い、
「私に勝負を挑もうなんて、身の程を弁えなさい」
と口元を緩め、そして左目のハートの眼帯に指を掛けた――
宿屋周辺が安全になった事を確認した後、心配になってルビーの様子を見に来たサダハルは驚く光景を目にする。
銃を持った怪しい人間達と、筋肉の男、細身の男、全員が何か薬物でも投与されたかの様に顔を青くしてその場で倒れていた。ルビーは細身の男の顔を、靴で踏み地面に押し付けていた。
「あああああああああっっ!!」
そんな断末魔の様な叫び声を発したのは筋肉の男で、頭を抱えて口からは止めどなく涎が垂れている。
ルビーは細身の男を踏みながらそれを見て、
「うるさい、汚い」
と鎌で男の心臓部を刺すと、コアが破損して消滅していった。それを見て初めてルビーはこの男二人はブレイバーなのだと言う事に気付く。
そこへサダハルがやって来ると、後ろからルビーに話しかけた。
「な、何をやってるんですか! この人達はいったい!?」
その問いにルビーは顔を向ける事なく応える。
「敵みたい。襲われた」
「襲われたって……でもこの状況……」
戸惑うサダハルを後ろに、ルビーは細身の男の顔を蹴っ飛ばすと、
「言え。誰に言われて、何をしていた」
と拷問を開始する。
「……うぅ……なんなんだこれは……なにが……」
目の焦点が合っていない細身の男は酷く怯えているが、ルビーは構わず追加で腹部を蹴った。
「言え」
「うぐっ……姉さんが……サイカと言うブレイバーを探せって……言うから……」
「サイカを探している?」
「ああ! そうだ! 計画に必要だからと、姉さんが言うから!」
「姉さんとは誰だ?」
「姉さんは俺たちを救ってくれた! 姉さんが言う事は絶対だ! だから姉さんの為なら死んでも構わない! そうだ。姉さん……助けてくれ姉さん……姉さん、姉さん、姉さん……」
そんな事を言いながら取り乱した様子で地面でもがく男を前に、ルビーはその姉さんとやらが今回の首謀者の一人であると考えた。するとサダハルが意見を述べた。
「ねえ、もしかしてその姉さんって、あの時、サイカ達を探しに来た銀髪の女なんじゃ」
「そうかもしれないわね」
ルビーは満足した様で、ハートの眼帯を金色に光る左目を隠す様に取り付けると、夢世界スキル《カマイタチ》を使用して、くるりと大鎌を一回転させる。すると、周囲に無数の風の刃が発生。幻覚を見て苦しむ周囲の人間とブレイバーを刻んだ。
細身の男は消滅して、人間達の血の雨が降る中、赤ずきんを被った少女はサダハルに向きを変えてゆっくりと歩みを進める。
まるで死神の様なルビーの姿を見て、サダハルは恐怖して言葉が出なかった。
そんな出来事がミラジスタで起きた後、採掘地区の最深部、巨大ホープストーンがある空間ではシュレンダー博士が着々と大きな魔方陣をチョークで描き準備が進められている所だった。
その様子を横で見ているスウェンにシュレンダー博士は作業をしながら話しかける。
「昔と随分と印象が変わったな。スウェン」
「はっ。何を今更。そうだな、少なくともお前よりは多くの経験は積んだ」
そんな事を言いながら、小型火縄銃を取り出して手入れを始めた。
「……いったいワタアメと何があったんだ。それに、あの銀髪の女も普通じゃない。あれは何だ」
「俺はお前と別れてからブレイバー研究所に戻った」
「なに? あれほど嫌がっていたお前がか?」
「事情が事情だったんだ。俺はあのワタアメの為に、身を削ってでも向こうの世界へ行く方法を見つけてやりたかった」
「……失敗したのか」
「いや、失敗でもあり、成功でもあった。何かを成し遂げるには、犠牲は付き物って事だな」
「英雄ゼノビアがマザーバグとなっていたというのは、それに関係する事か?」
「……ああ、ゼノビアも協力者の一人だったよ。強くて真っ直ぐで、良い女だった」
そんな会話をする二人の元へ、黒ドレスを着たキャシーが歩いてきた。
「どうした」
と、スウェンが持ち場を離れてここに来たキャシーに問いかける。
「ジャックとゴルドーがやられた」
「なに? あいつらが?」
「ええ、工作隊は例の宿屋近くで全員死亡」
「大丈夫なのか?」
「サイカは私が」
「頼んだぞ」
「はい」
そう言い残し、キャシーは物音立てる事なくその場から去って行った。それを見届けたスウェンは、魔法陣を描いているシュレンダー博士を見て、もう一度話を始める。
「邪魔が入ったな」
「何をそんなに焦ってるんだ」
「サイカという貴重な存在と、ワタアメが王都に来ていると言うのが大きな理由だ。明日は儀式をやるには最高の気象状況、恐らくあいつもあいつで同じ儀式をやろうとしている」
「どう言う事だ? なぜ協力してやらない?」
「方向性の違い……ってやつだ。……そうだな、時間もある。話してやるよ、ブレイバー研究所で何があったのかを」
スウェンは話を始める。
シュレンダー博士と別れホープストーン研究室を出た後、ワタアメと出会い、共に向こうの世界へ行く方法を追い求めた話を……
【解説】
◆ブレイバーの性行為
基本的に人体の構造が同じであるブレイバーは、性行為も可能である。相手に対する愛情や、それによる衝動は人間と同じ。しかし、原状回復能力のせいで、身籠る事は不可能とされている。
◆ブレイバーの眠気
夢世界の活動が蓄積されると、ブレイバーはそれを消化する為に眠気が訪れる。その度合いもブレイバーによって個人差がある。
◆サダハルの訳
ブレイバーのサダハルは、かつて宿屋エスポワールの主人がバグに襲われたのを目前で助ける事が出来なかった。その責任を強く感じているサダハルは、奥さんへの償いの為に宿屋経営を手伝っている。




