28.奇妙なオフ会(後編)
八月にしては少し涼しくお祭り日和となった本日、飯村彩乃は自宅の和室で浴衣を試着していた。
紺色で金魚柄の浴衣を羽織り、襟先を揃え裾の高さを合わせた後、裾の高さに気を付けながら下前を先に入れ、上前を重ねると、腰紐を結んで行く。最後に赤色の伊達締めをその上から巻いていく。
するとそれを後ろから見ていた母親が話しかけてきた。
「彩乃、ベルト忘れてる」
それを言われてコーリンベルトの存在を思い出した彩乃は、慌てて伊達締めを取り外した。
「へぇ、やっと彩乃にも一緒に夏祭りデートできる殿方ができたんですねぇ」
ニヤニヤとふざけた言い方でそう言う母親に、彩乃はコーリンベルトを装着しながら顔を真っ赤にする。
「ち、違うから!そんなんじゃないから!」
「ふ〜ん。でもほどほどにしなさいよ。夏祭りの後に朝帰りなんてしたら、お父さん気が気じゃなくなっちゃうだろうから」
「お父さんは関係ないから。ねえ、変じゃない?どう?」
ベルトも付け、伊達締めを巻き終えた彩乃は、くるりと一回転して母親に見せた。
「うんいいんじゃない。あとは、下駄履いて歩きにくいアピールして、相手にリードしてもらう事がポイントよ!」
「そう言うのいいから」
「でも約束の時間まで後五時間もあるのに、ちょっと気合入れすぎじゃない?」
「あう………」
予行練習と称して、髪もメイクも浴衣もバッチリ本番同様にしてしまった彩乃であった。
スペースゲームズ本社ビルの五階、会議フロアで行われた少し変わったオフ会。
その主役である明月琢磨は、人生に三回はあると言われるモテ期を実は経験した事がない。決してイケメンと言う訳でもなく、性格も大人しく極普通で、とにかく目立たない事から、一定の男友達はいても、異性から言い寄られたりだとか、デートをした事もない。好きな人は何度か出来た事はあるものの、告白をした事もされた事も無く、恋愛においては何も成熟しておらず、その努力もしてこなかった。
だから女の子からデートの誘いの様な事をされたのも彩乃が初めての出来事で、それだけでも琢磨にとっては大きなイベントだ。
なのに神様の悪戯か、今日初めて会った女性に琢磨は告白された。
アマツカミの妹のオリガミ。千枝と呼ばれていたその小さな女の子は、確かゲーム内での会話から二十代前半の年齢のはずだが、高校生と言われても納得できてしまえそうな若さに見える。そんな彼女に琢磨は会って早々に告白された。
告白と言うか、なぜかそれを越えていきなりプロポーズされた。
「わ、私と結婚して下さい!」
そんな彼女の叫びは、この会場にいる全員にハッキリと聞こえる様な大声だったので、琢磨とオリガミへ周囲の視線が集まる。
琢磨が返答に困っていると、アマツカミが後ろからオリガミの後ろ襟を掴むと、そのまま子猫を場外に連れていく様に引っ張り始めた。
「それはダメだ千枝」
「えっ、えっ!? なんで、えっ!?」
そのまま部屋の奥へと連れて行くと、すぐにアマツカミだけが戻ってきた。
「すまんサイカ。オリガミはちょっと人付き合いが解ってなくてな。悪気は無いんだ。許してやってくれ」
「いや、うん。大丈夫。ちょっとビックリしましたけど……」
「サイカとオリガミが交際するのは兄としても許せる所だが……」
「いやいや、僕があんな可愛い子と付き合うなんて不釣合いですよ」
「……オリガミにとって今の心の支えはサイカだ。だから、もう少し今のままでいてやってほしい」
「わかりました」
「とにかく俺もオリガミも、シノビセブンの仲間として、サイカに協力していくつもりだ。これからもよろしくな」
そして差し出されるアマツカミの右手を、琢磨も右手でしっかり握り、握手をした。
そんなこんなで、琢磨にとって人生初のプロポーズに対する答えを出す前に、有耶無耶になってしまった。
でもアマツカミはこれで良いのだと言う。
アマツカミが琢磨の元を離れ、琢磨はしばし一人の時間になったので、オリガミが持ってきた料理の盛り合わせを食す。
料理を口に運びながら、周りの様子を伺うが、いつの間にか周囲も溶け込んできていて、それぞれが雑談で盛り上がっている様だった。
スクリーンに映されるサイカも、
「それは本当か!? なんと言う食べ物なんだ!」
と何やら興奮気味に代わり番こにキーボードを叩く金髪カップルと会話をしている。
ジーエイチセブンこと藤守徹は、高枝左之助とビールを片手にサイカが映るスクリーンを見ながら立ち話をしているし、その横でリリムは寿司を食べている。
ガテン系の男は、椅子に座ってスマホをいじっているお姉さんに何やら一方的に話しかけている。
琢磨は空になった皿とコップを持って立ち上がると、近くにあったテーブルにそれを置き、ガテン系とスマホのお姉さんの所へ向かう。予想が正しければ、この二人がシノビセブンのハンゾウとミケになるはずだ。
「あの、初めまして。もしかして、ハンゾウさんとミケさんですか?」
するとまずはスマホのお姉さんが、
「リア充は爆発しろ」
と悪態を吐いて目を逸らした。
なんか知らぬ間に凄い嫌われたなと思い、琢磨が反応に困っているとガテン系の男がフォローしてくれた。
「俺はハンゾウだ。よろしくなサイカ。さっきお前にプロポーズしてたのオリガミだろ? 相変わらずリアルでもサイカ大好きなのな」
「あはは。なんか恥ずかしいですね。ハンゾウさん。こう随分とイメージと違っててビックリしましたよ」
「まぁ、見ての通り、ドカタ系の仕事してるから、ゲームやってそうに見えねえってよく言われるよ。今日たまたま休みで良かったぜほんと」
ハンゾウはそう言うと、席から立ち上がり琢磨を軽くハグした。アメリカ人が挨拶でハグする様な、とても軽いハグをしながら話を続ける。
「俺には難しい事はよくわかんねーけど、なんか出来る事あったら協力するぜ」
「あ、ありがとうございます」
すると席に座ったままのミケと思われる女性は、そんな二人をチラ見して、
「バカバカしい」
と、再びスマホを注視した。
ハンゾウから離れた琢磨は、機嫌が悪そうな彼女に顔を向け話し掛ける事にする。
「えっと、ミケさんですよね?」
「そうよ。急にオフ会とか言い出したと思えば、なんなのこれ。一昔前に流行った異世界転生物ってやつ? 今時はもっとマシな設定考えなきゃ流行らないでしょ」
「その……なんか、すみません」
いくら説明しようにも、こう言う意見も出てくるとは思っていた。ミケだけは我関せずと言った態度で、スマホを見ている。どうやら何かのゲームで遊んでいる様だ。
それが何のゲームか気付いたハンゾウが馴れ馴れしくもミケに話し掛ける。
「お、それ、ハンターストーリーだろ? 俺もやってるんだ。良かったらフレンド登録しようぜ? な?」
そんな事を言いながらスマホを取り出し同じゲームを起動するハンゾウ。ミケも少し興味を示し、質問を口にした。
「ランクいくつ?」
「二百二十」
「低い。ランク四百以上になってから出直してきて」
「おいおい、そりゃねぇぜ」
この二人が話題としているハンターストーリーとは、数年前から流行っているスマートフォンのソーシャルゲームだ。二〇二〇年頃と比べると、最近はソーシャルゲームの流行は落ち着いてしまったが、そんな中でも新しい風を巻き起こしたゲームだ。
会話からして、ミケはそれを相当やり込んでいると見える。
琢磨が口を開く。
「ミケさん。その、あまり気が進まないなら、無理しなくて大丈夫ですからね」
「協力しないとは言ってない」
そう言いながら琢磨を睨むミケ。
リアルのミケは面倒臭い性格をしているなと、苦笑いしてしまう琢磨であった。
あと、話しをしていないのは金髪カップル。一番ゲーム内での関わりが薄いエンキドとサダハルだ。
琢磨はハンゾウに渡されたビールを飲み、意を決して正面のパソコンでサイカとコミュニケーションを取ってる金髪カップルの元へ向かおうとするが、突然開かれた扉の音にその足は止まった。
笹野栄子が血相変えてオフ会で盛り上がる会場に入ってきたのだ。
「課長! バグが出現しました」
それを聞いた左之助は、プロデューサーとの立ち話を中断して対応に当たる。
「琢磨くん、サイカの準備を」
「はい!」
琢磨がワールドオブアドベンチャーにログインしているデスクトップパソコンに駆け寄ると、金髪カップルも空気を読んですぐに席を外して譲ってくれた。
そして金髪の男が、
「またあのモンスターが出たのか?」
と琢磨に質問する。
「そうみたい」
そう言いながらキーボードを叩き、サイカにバグ出現の知らせを入れる、
(サイカ、バグが出た)
その言葉に、リラックスムードだったサイカに緊張が走り、表情が変わった。それを確認した琢磨は、手早くプロジェクトサイカスーツとノリムネをサイカに装備させる。
見た目が一気に世界観を無視したサイボーグ忍者に変わっていく姿は、巨大スクリーンに堂々と映されており、周囲から歓声に近い騒めきが巻き起こる。
そんな中、左之助は栄子に状況確認をしていた。
「出現ポイントは何処だ? すぐに緊急メンテナンスの準備を……」
「それが、今回バグが出現したのは……ジパネール地方ではありません」
「なにっ!?」
左之助が恐れていた事が起きた。過去三回のワールドオブアドベンチャーに出現したバグは全てジパネール地方のみ。つまりスペースゲームズ社が管理運営するサーバーのみで起きている事件だった。
「ジパネールの隣、ガルム地方の首都マリエラが今回の出現ポイントです」
「現場のモニターはできるか?」
「やってみます」
栄子が正面のスクリーン前にあるデスクトップパソコン、琢磨のサイカがログインしている端末ではなく、解析用に用意していたパソコンに駆け寄ると、エンジニアの一人と共に操作を始めた。
すると巨大スクリーンに首都マリエラの空撮によるライブ映像に切り替わった。
そこにはゼネティアと同じくらい広い規模の街のど真ん中に、今まで見た事も無いほど巨大なバグが映されており、阿修羅像にも似た八本の手の様な物が生えた、紫色で人型の巨体があった。既に緊急メンテナンスに入っている為か、一般プレイヤーの姿は見えない。
そしてそのバグを取り囲む様に、十人のゲームマスターが宙に浮いていて、それぞれ管理者コマンドを実行したり、攻撃を仕掛けたりしているのが見える。
それを見た左之助は憤りを隠せずにいた。
「中部のGMW社は報告書を読んでいないのか! なぜバグに攻撃を仕掛けている! 笹野くん! すぐにGMW社へ連絡、バグへの攻撃をやめる様に指示を出してくれ。それと、バグを倒せる存在を転送したい旨も伝えてくれ」
「わかりました」
栄子がスマートフォンを取り出し、GMW社の担当へ電話を掛け始める。そんな中、事件発生に会場にいる全員が正面巨大スクリーン前に集まって来ており、食い入る様に画面に注目していた。
琢磨がそんな皆の様子を見た後、眉間にしわを寄せる左之助を見て言葉を発する。
「高枝さん。サイカを早く転送してください」
「ダメだ。ガルム地方は運営会社が別。つまり我々の管轄外。予想されていた事だが、こんなに早いとは……笹野! まだか!」
左之助が電話で必死に話している栄子を急かす。
「――ですから、そうではなくて。あのモンスターは普通じゃないんです。いえ、そうではないんです……話を聞いてください!」
栄子は電話で交渉をしながらも、相手の理解が足りず上手くいっていない事を左之助に首を横に振って知らせる。
それとほぼ同時、巨大スクリーンに映された首都マリエラのライブ映像で、巨大バグの攻撃により複数のゲームマスターが粉々に消滅する瞬間が映され、周囲から動揺の声が上がる。それを見て、苛立ちを隠せなくなった左之助は近くの壁を殴った。
「くそっ!」
世界一のユーザー人口と管理体制を誇るワールドオブアドベンチャーは、地方や大陸毎にサーバーと運営会社が細かく分かれている事が裏目に出ている。
琢磨はそれを察し、一つの案が思い浮かぶ。
「高枝さん。ガルム地方は管轄外だから、転送ができないんですよね?」
「ああ。ゲームマスターも事前の申請無しに出入りする事はできない」
「サイカはサーバー間の移動はできるんですよね?」
「可能だと思うが……まさか」
「そのまさかです。一プレイヤーとして、首都マリエラに向かいます」
するとプロジェクトサイカスーツの開発に携わったエンジニアの男が、興奮した様子で話に入ってきた。
「高枝課長。プロジェクトサイカスーツの機動力は伊達じゃありませんよ!」
「パッチはどうなんだ?」
「問題無く。本家大元ネットワークワルプルギス社の力で、プロジェクトサイカスーツ及びノリムネは全世界五十個のサーバーに反映済みです」
それを聞いた左之助と琢磨は顔を合わせ、頷いた。
「明月くん。今から私が九号でログインして、境界線ギリギリまでサイカを転送する。笹野くんはそのままGMW社の交渉をしてくれ」
栄子は電話をしながら頷いた。
そして左之助はマイクを持ち、騒ついたその場にいる全員に向けて声を掛ける。
「この場にいる皆は、今起きている事を目に焼き付けてほしい。世間を騒がせている新種コンピューターウイルス、サマエルであるバグと、それに唯一対抗できる手段とされるサイカと言う自我を持ったキャラクター。信じられない者もいるだろう。だがこれだけは言っておく。日本政府と我々スペースゲームズ社、そして明月琢磨くんにとっても、この事態はもはやゲームでは無い。未知の生物との戦争だ」
左之助はそう言い残しマイクを置くと、そのまま急ぎ足で会議室を出て行ってしまった。どうやらこことは別の端末からゲームマスター九号としてログインするつもりらしい。
琢磨は自分に気合を入れる為、頬を両手でパシンと音を立てて叩くと、席に座りサイカに向けてチャットでこれからの作戦を入力を始めた。
すると琢磨の背後から金髪の男が話し掛けて来た。
「マリエラには行った事あるのか?」
「いや、無いです」
「俺は首都マリエラ出身で、ゼネティアまで何度も行き来した事がある。近道を教えよう」
「マリエラって……やっぱり、エンキドさんなんですね」
「そうだ。マップは開けるか? 俺がルートをマーキングしよう」
「わかった」
琢磨がメニュー画面を操作してワールドマップを表示すると、首都ゼネティアから首都マリエラまでの最短ルートを描いていく。そんな作業をしながら、エンキドは琢磨に語る。
「首都対抗戦のあの時、俺はお前と決着を付けたかった」
「あれはほとんどエンキドさんの勝ちだったじゃないですか。あの場面でキクイチモンジまで持ち出して、舐めプって言うんですよアレ」
「ふっ。逃げられたら負けた様なものさ。今のお前じゃ無いサイカと、俺の操作するエンキドで戦ってみたいと言うのが、今の願望だ」
「ほんと、戦闘狂ですね」
「元々、俺とサダハルはネバーレジェンドってゲームで対人ゲームやってたくらいだからな。終わったぞ」
会話しながらも、器用にマップにルートを描いたエンキド。色を使い分けて、まるでカーナビの様に複数の候補ルートがそこにはあった。
琢磨はネバーレジェンドと言うゲームの名前が最近サイカと話題になった事を思い出したが、今はその事については話す場合では無い。
「えっと、どのルートがいいんですか?」
「赤は天候設定が晴れや曇りの場合、青は雨や嵐の場合、そしてもし空を飛んだりできる場合の最短ルートが三パターン。琵琶湖みたいな大きな湖があるから、そこを真っ直ぐに飛び越えられれば近道になる」
この時、琢磨はワールドオブアドベンチャーの広さを実感する。四年プレイしていても、ジパネール地方から足を踏み出した事の無い琢磨にとって、ガルム地方は未開の土地。
それでも目の前にいるこのエンキドと言うプレイヤーは、もう何度も通った道として語っている。この違いは、琢磨の今までのプレイスタイルが狭い世界だけの話であったと思い知らされるに至った。
呆けてる琢磨にエンキドは言う。
「マリエラは俺とサダハルの故郷。絶対に勝てとサイカに伝えてくれ」
「はい……そう言えば、サイカと何か話してたみたいですけど、何話してたんですか?」
「ん? それは――」
✳︎
昼間という事もあり、ジパネール地方は雲一つない快晴の気象設定で、見渡す限り青空が広がっていた。
プロジェクトサイカスーツに身を包みサイボーグ忍者と化したサイカは、ゲームマスター九号によりジパネール地方とガルム地方の境界線まで転送されてやってきていた。
境界線とされる場所は何か魔法障壁にも似た、赤透明な壁が形成されており、この先がサーバーメンテナンス中である旨のメッセージが流れている。
首都マリエラにバグが出現した事により、ガルム地方は丸ごと緊急メンテナンスに入っているのだ。
普通のプレイヤーだけでなくスペースゲームズ社のゲームマスターすらも、この先に足を踏み入れる事は出来ないが、それについて九号が説明する。
「プロジェクトサイカスーツはネットワークワルプルギス社のお墨付きの特別仕様。今後のプロジェクトに先駆け、サーバー間の移動は自由に行える仕様になっている筈だ」
「よくわからないが、とにかくマップのルート通りに行けば、バグがいるんだな?」
「そうだ。自由に空を飛ぶ事はまだ出来ないが、ブースターを使えば、山を飛び越える事も、低空飛行で湖ですら超える事も可能と聞いている。上手く使ってくれ」
「わかった」
「今回出現したバグはかなり巨大だ。気を付けるんだぞ」
「巨大バグとは戦った事がある」
そう言いながら、サイカは歩みを進め、ゆっくりと境界線の壁を越える。この時、サイカは今まで感じた事がない程の視界と感覚の歪みを体験する。サーバー移動による負荷があったのだ。
壁を超えた先で、酷い立ち眩みと吐き気を覚え、片膝を地面に着けるサイカ。
(大丈夫?)
「っ……少し立ち眩みした。大丈夫。動ける」
(これから向かう首都マリエラ出身のエンキドからの伝言。絶対に勝てだってさ)
「……言われなくても、そのつもり」
その場で倒れたい気持ちをグッと堪え、立ち上がるサイカ。そして深呼吸を三回ほど繰り返し気持ちを落ち着かせると、姿勢を低く構え、次の瞬間、飛んだ。
スーツのブースターが火を吹き、高々と飛躍したサイカは、一つの山を軽々と飛び越える程の飛距離を出した。
山の斜面に着地すると軽く滑った後、再び飛躍。山の麓の森林も二回ほどの飛躍で軽々と抜け、見晴らしの良い平原へと出ると、今度は走り出した。
馬の十倍は速いのでは無いかと思える程の猛スピードで平原を駆ける。途中に村や町を見かけたが、それも飛び越え、足を止める事は一切無い。緊急メンテナンス中の為か、プレイヤーやモンスターの姿は何処にも見当たらない。
川を飛び越え、崖を飛び越え、山を更に六つほど越えた所で、サイカが見た事も無いような湖に当たる。
海では無いかと思うほどに、先が見えない大きな湖を前に走るサイカの脳裏に回り道をした方が良いのではと思い浮かんだが、それを搔き消す言葉を琢磨が言った。
(そこを真っ直ぐ超えて)
琢磨が言うように、マップに記されたルートでもこの湖を真っ直ぐ抜ける様になっている。
勿論、この湖を泳いで渡れと言う指示でも無いのだろうと察したサイカは、物は試しと、背中のブースターを思いっきり吹かして強く地面を蹴った。
低空飛行の様な形で水の上に飛び出ると、最初は制御が出来ず、空中で不安定にクルクルと回転してうっかり湖に落ちそうになるが、手と足が水に触れた所で何とか持ち直した。
リアルに再現された水を風圧で左右に切り分けながら、サイカは水面ギリギリを猛スピードで飛ぶ。
そしてサイカが、空に雲が増え雲行きが段々と怪しくなって来ている事に気が付いた頃、湖を渡り切った。
だがそこで民家が何軒か立ち並んでおり、それを避けようとした所で、進行方向の制御が思うように出来ない事に気付くサイカ。
何とか回避行動を取るが、建物の横に生えた一本の木に激突。完全に制御を失って空中で荒れ狂い、地面を転がり、民家オブジェクトの壁に衝突してサイカの身体は止まった。
その衝撃と激痛で、一瞬意識が飛んでしまったサイカはしばらく動かなくなった。
(……サイカ! サイカ!)
脳内に流れる琢磨からのメッセージに、ボンヤリと意識を回復させたサイカはすくまに立ち上がった。
「すまない。やはりまだこのスーツを使いこなせていない様だ」
そう言いながら自身の姿を確認するサイカだが、あれだけ派手に転げて起きながらプロジェクトサイカスーツには傷一つ無かった。
(まだ実験段階の装備みたいだから、今後の改良に期待しよう)
「そうだな」
少し気を失っている間に、いつの間にか空が灰色の雲に覆われていて、ポツ、ポツ、ポツと雨粒が疎らに落ちて来たと思えば、ドサーッと音を立てて雨が降り始めた。
ガルム地方の気象設定が晴れから曇りへ変わり、そして雨になったのだ。
(首都マリエラまであと少しだ。急ごう)
琢磨に言われ、サイカは再び走り出した。さっきの様な飛行は制御ができない為、己の脚が一番信用できると、ダッシュとジャンプで進行ルートを辿る。
山岳地帯を突っ切り、大きな川も飛び越え、丘の高台までやって来ると、城壁に囲まれた大きな町が見えてきた。
首都マリエラだ。
サイカが出発した地点から、ガルムのマリエラまでの距離は三百キロメートル。ゲーム内で馬を使っても約八時間は掛かる道のりを、サイカは五十分で到着して見せた。途中の気絶が無ければもう少し早かったかもしれない。
だが、その時間は八本腕の巨大バグが首都マリエラを守るGMW社のゲームマスター十人を壊滅させるには充分過ぎる時間であった。
緊急メンテナンスによりプレイヤーを強制ログアウトさせた上で、仕様外のモンスターの削除、システムの修復、バックアップデータからの復元など、ありとあらゆる事を試しても消える事のないバグ。雨が降り続ける中、NPCだけが虚しく残る首都マリエラで、ゲームマスターが対応を余儀無くされていたが、それも解決には繋がらなかった。
緑を中心とした首都マリエラは、ゼネティアとは街並みこそ違いはあるが、主要な施設はほとんど同じ。ただしゼネティアにあるコロシアムやカジノは存在せず、その代わりに釣りや農園が楽しめる施設がある。首都全体の広さは、ゼネティアに大きく勝る。
そんなマリエラの中心で、雨が降り続ける中、本来であれば多くのプレイヤーで賑わう交流広場に八本腕の巨大バグがゲームマスターの一人を握り締めていた。
ここまで八人のゲームマスターが消滅して、残ったゲームマスターは二人。とはいえ一人はバグに捕まってしまっており、もう一人は完全に怖気付いてしまっていた。巨大バグの目線と同じくらいまで浮遊したはいいものの、仲間が捕まっている様子を見ていることしかできないのだ。
「な、なんなんだよ! こんなバグがあっていいのか!」
管理者コマンドは通用しない。かと言って攻撃を仕掛けても歯が立たない。何をしてもそこに居続ける未知の存在に掴まれてしまった女性型ゲームマスターは助けを求めていた。
「ちょっと見てないで何とかしてよ!」
「何とかって言ったって、お前も見ただろ! こいつには何も通用しないんだ!」
「無敵モードとすり抜けもオンになってるのに、なんで動けないの……」
まるで新しい玩具の人形を手で掴んだ子供の様に、巨大バグは掴んだゲームマスターを顔と思われる部分の赤い宝石の様な二つの目でまじまじと見つめていた。それはこのゲームマスターと言う存在を観察するかの様にも見える。
それでも所詮はゲームの中であり、命の危険がある訳でも無い為、緊張感の様な物は二人にはあまり無かった。掴まれているゲームマスターが再び話し出す。
「ねえこれって、噂にあったジパネールの仕様外モンスターなんじゃないの? プロデューサーには伝わって――」
そこまで言いかけた所で、急に巨大バグが動き出し、目の下にあった口の様な部分を大きく開くと、ガブッとゲームマスターの上半身を口に含んだ。その事が原因で、女性型ゲームマスターの言葉は途切れる。
そしてもう一本の腕を動かし、二本の腕を使って、何か美味いお菓子でも食べるかの様にゲームマスターの身体をムシャムシャと食べ始めた。
身の危険を感じたもう一人のゲームマスターは、距離を取るためにバグに背中を向けて撤退。
猛スピードで離れようとするが、それに気付いたバグは腕の一本をゴムの様に伸ばしてゲームマスターを掴もうとしてくる。それを察知したゲームマスターは背中を向けたまま、空中でくるりと軌道を変えそれを避ける。
そして食事が終わった巨大バグは、今度は八本の腕を同時に伸ばして、逃げるゲームマスターを掴もうとする。空中で器用に避けていたゲームマスターも、変幻自在に伸縮する腕を見極める事が出来ずに掴まれた。
その瞬間、ゲームマスターの視界に赤色の閃光が通り過ぎる。
それは彼にとっては見た事の無いサイボーグ忍者の一閃で、ゲームマスターの身体を握った腕を空中で斬り落としたのだ。
見事に腕を斬ったサイボーグ忍者は、そのまま落下して地面に着地すると、地を滑り、やがて止まった。
その手にも初めて見る武器、ゲームマスターが扱う剣にも似た、近未来デザインの刀を持っている。
身体を掴んでいた腕は斬られた為、蒸発する様に消滅して行くと、ゲームマスターはサイボーグ忍者に話し掛ける。
「な、なんなんだあんた。メンテナンス中になぜログインでき――」
サイボーグ忍者に気を取られたゲームマスターの横から、別の腕が伸びてきて、再度ゲームマスターを捕まえるとそのまま腕を縮めて素早く口の中に放り込んでしまった。
最後の一人を救う事が出来なかったサイカは、悔しさと自身の不甲斐無さに苛立つ。
「ばかっ!」
(大丈夫。ここではあいつにやられようが、死ぬ訳じゃない)
最後のゲームマスターを丸呑みにした巨大バグが、斬られた腕を瞬時に再生しながらサイカを見る。
サイカが前にディランの町で対峙した巨大バグよりも更に大きく、そして凄まじく強いと言う気迫が感じ取れる。
先に動いたのはバグで、八本全ての腕でサイカを掴もうと絶え間なく迫って来た為、サイカは器用に斬って避けてを繰り返しつつ、建物オブジェクトの壁に両足を着けると、背中のブースターを吹かし飛んだ。
目指すはバグの胸元。大抵の場合は、人間で言う心臓部分にコアが存在するはず。
何本かの腕を潜り抜け、一気にバグの胸元にやってきたサイカは刀を振り上げる。その刀、ノリムネに搭載されたブースターも起動して光を放った。
だがその瞬間、バグは四本の右腕を一瞬で一本の太い腕に形成、変化させ、今正に刀を振り下ろそうとするサイカを横から殴った。
不意打ちを喰らってしまったサイカは、脳まで震わせる強い衝撃と共に吹き飛ばされ、首都マリエラのオブジェクトをいくつか破壊した後、大通りの坂道を転げ落ち、職業紹介所である建物の壁に叩き付けられる様に止まる。その一撃でプロジェクトサイカスーツが半壊したサイカは、そのまま崩れる様に地面に倒れた。
距離で言えば五百メートルほど飛ばされたサイカを見て、
「グオオオオオオオッッ!!」
とバグは勝ち誇ったかの様に雄叫びを上げると、一本にした右腕を再び四本腕に戻しながら、サイカの方に向け歩き出す。
(サイカ! 起きろサイカ!)
琢磨からのメッセージが頭に響き、サイカはハッと我に返ると、すぐに立ち上がり、ノリムネを構える。
このゲームのモンスターに攻撃された時はHPバーが減るが、このバグに攻撃された時はHPバーが一切減らない。今の強烈な一撃も、サイカに痛みを感じさせ、特殊装備も破壊しているが、HPバーには何の影響も起きていないのだ。
バグはその巨大さから、あっと言う間にサイカの目の前までその歩みを進めて来ると、今度は掴もうとするのではなく、マシンガンの様に八つの拳をサイカに放った。
サイカは横に走ってそれを回避すると、サイカの背にあった職業紹介所の建物が粉々に砕け散ったのが見える。
サイカは他の建物の壁を走り、次の建物の屋根に飛び移り、煙突を超え、バグの背後に回ろうと動いた。サイカを追う様にバグの腕が建物やオブジェクトを次々と破壊していく。
思ったよりも動きが素早く、背後に回り込むのが難しい。再び建物の壁を蹴り、背中のブースターを吹かせ、今度は大胆にも巨大バグの足元へ。ノリムネで左足首を斬りつつ、そのまま通り過ぎて背後へ。
前の巨大バグであればこれで体勢を崩していたが、今回のバグはあっと言う間に傷を再生してしまい、崩れる事は無かった。
サイカはそれに驚きつつも、橋の手摺を踏み台に飛躍して、バグの頭のすぐ後ろへ。
しかしそれに反応して、バグの目と口が突然背後側の頭に現れ、前後が逆になったと思えば、数本の腕が何の問題も無いかの様にサイカを襲う。
空中でその腕を避けるも、三本目の腕が避けきれず、その拳をノリムネで受け止める。
サイカはそのまま後方に飛ばされたが、直撃では無かった為、受け身を取って通りに着地。
空かさずバグが次に行ってきたのは、周りにある樹木、樽、壺、木箱などのオブジェクトを手に持ち、サイカに向かって次々と放り投げて来るというものだった。八本の腕で器用に絶え間なく投げてくるが、サイカはそれを全て斬り落とす。
だが十五個目となるサイカに向け投げられたオブジェクトが、女性のNPCだった為、斬る事が出来ず、サイカは身体で受け止めてしまった。
その影響でサイカの視界と動きが遮られ、その後に投げられたオブジェクトが大量に降り注ぐ。
オブジェクトで生き埋め状態にした所で、バグは再び雄叫びをあげた。
「グオオオオオオオッッ!!」
するとバグは八本腕を伸ばし、手の平を広げるとそこから光線を放った。多くのバグが口から放つ光線を、このバグは手の平から放ってのけたのだ。
オブジェクトが積まれた所を八本の光線が襲うと同時、サイカは女性NPCを両手で抱き抱えながら、背中のブースターを吹かし何とかオブジェクトの山から抜け出す。サイカのすぐ後ろに積まれたオブジェクトは、ガラスの塊が爆発したかの様に割れた。
しばらく距離を取った所で、サイカは着地すると、抱えていたNPCを物陰に下ろす。
そしてNPCは言葉を放った。
「このマリエラの町を含む、ガルム地方は自然を楽しむ事が出来ます。もしこのガルムに初めて訪れた方なら、美しい自然に触れてみて下さい。ガルムの川や湖、海や森にたくさん触れ合ってみてください」
雨の中、こんなに恐ろしい怪物に襲われながらも、全く危機感の無いNPCを前にしてもサイカは助けた事に後悔はしていない。その空気の読めない発言にも答えて見せた。
「湖や森なら、さっき飛び越えて来たよ」
サイカはそう言い残して、再びノリムネを構えると、こちらに向かってゆっくりと歩いて来ている巨大バグに向かって走り出した。
バグはサイカを視界に捉えると、足を止めて、再び八つの手から光線を時間差で放って来たので、サイカはそれを避けながら前に進んだ。
ある程度距離を詰めた所で、バグは攻撃を光線から拳に切り替える。マシンガンの如く八つの拳がサイカを襲い、やはり回避する事叶わずサイカは吹き飛ばされる形となった。
今度は教会の屋根に叩き付けられ、プロジェクトサイカスーツはほとんど原型を留めていない程に破壊され、中身のサイカの肌面が増えてきた。背中のブースターも壊れ、ほとんどスーツの意味を成していない。
刀のノリムネは何とか無傷である事を確認して、バグに目線を向けるサイカ。
「このバグ、もしかしたらレベル五級なのかもしれない」
(レベル五って……確かサイカがいる世界で最も強いバグのレベルだっけ)
「そう。正直、かなり厳しいかも」
そんな話をしていると、バグの口が大きく開かれるのが見えた。この動きは、バグが口から光線を放つ時の動作に似ているが、このバグの口から出てきた物に、サイカを含むモニターの向こう側で見ている人間の誰もが目を疑った。
世界観に合わないアンドロイドの様な人工的な見た目、先程食べられたゲームマスターの形をした紫色の物体である。
「なっ!?」
しかも一体だけでなく、次から次へと同じ形のゲームマスターの様な何かを口から吐き出し始めた。
吐き出されたその物体達は、バグを守る様に空中を浮遊しながら周囲に展開。その数は七体にのぼった。
厄介な八本腕に加え、更に取り巻きを七体も召喚され、サイカは絶望感に包まれる。
レベル四までのバグは強靭に、巨大になっていく――つまりは単純に強力になっていくのみだ。のみ、と言ってもそれが十分以上に脅威なのだが。だがしかし、レベル五のバグはそれまでの進化の筋道から外れている。言うなれば異質なのだ。そしてこの「飲み込んだモノの再現」などという芸当は、このバグがレベル五であるという絶望的な事実を、端的に示している。
バグの周囲に展開しているゲームマスターバグは、一斉にゲームマスター専用装備のレーザーガトリングガンを模した紫の物体を手元に召喚すると、二百メートルは離れた先の教会の屋根で片膝を突いているサイカに向け、一斉にレーザー弾を発射した。
そのとんでも無い量のレーザー弾を見て、思わずサイカは教会の裏に飛び降り建物を盾にする。
雨と共に降り注ぐ大量のレーザー弾は、教会の建物をオブジェクトごと破壊をする威力で、蝕む様に少しずつ建物の表面が削られていく。
そして追い討ちを掛ける様にバグが八本腕から再び光線を放つ構えをするのが見えた。
「やばいやばいやばい!」
と、サイカは慌てて走る。すぐにバグが放った八本の光線が教会の建物を木っ端微塵に吹き飛ばしてしまった。
それどころか、その後ろにあった建物やNPCに至るまで、まるで地面に積もった砂埃が風で吹かれたかの様に舞い、そして空中分解されていく。
サイカは難を逃れ、そのままバグがいる方向とは逆方向に全速力で走っていた。スーツが壊れているので、ここに来た時の様な速度は出せない。
バグは逃げるサイカを見て、
「グオオオオオオオッッ!!」
と雄叫びをあげると、周囲のゲームマスターバグの内三体が空中で前進。サイカの追撃を開始する。
(サイカ、撤退しよう)
「言われなくても解ってる!」
そんな会話をしながら走るサイカは、空を高速で移動するゲームマスターバグに追いつかれてしまった。
ゲームマスターはまるで連携を取る様に、散開してサイカを取り囲むと、手に持ったガトリングガンの銃口をサイカに向ける。
「ちっ!」
と、サイカは雨で濡れた地面で足を滑らせながら止まると、ノリムネを構え、ブースターを発動させながら一振り。
空気の刃が一体のゲームマスターバグの身体を一刀両断にして、真っ二つになったゲームマスターバグは蒸発する様に消滅していった。
二体となってゲームマスターバグは構わずレーザー弾を発射するが、サイカは連続バク転でそれを回避してそのまま近くのレストランの様な建物の中に窓を壊しながら飛び込んだ。
それでも構わず建物の中に向けて、大量のレーザー弾を発射するゲームマスターバグ。建物が崩壊して消滅するまでその弾は撃たれたが、そこにサイカの姿は無い。
サイカの姿を探す二体のゲームマスターバグの横で、宙に浮く彼らと丁度同じくらいの高さである建物の屋根にハイディングで透明になったサイカが降り立つ。
ステルス状態はバグには通用しない様で、すぐにサイカは発見されてしまったが、既に鞘に納めたノリムネで抜刀の構えしていた。ブースターが回転して輝くノリムネを抜刀、先ほどよりも鋭く巨大な風の刃が弧を描き、ゲームマスターバグの一体を斬り消滅させた。
その後ろにいたゲームマスターバグは回避行動を取り、右足が切断されるだけに留まる。
右足を失ったゲームマスターバグは、すぐにガトリングガンを構えるが、サイカは屋根から飛び目と鼻の先まで距離を詰めていた。
「終わりだ」
ゲームマスターバグの旨をノリムネで斬り裂き消滅させると、そのまま地面に落下して着地。休む事無くすぐに走り出した。
(追っ手は?)
琢磨に聞かれ、走りながら後方を確認するサイカ。
「来てない」
(あんな事が出来るなんて……首都マリエラから出よう。今後の作戦会議はそこで)
「わかった。このスーツが無かったら危なかった……直せるのか?」
(……直せるって言ってる。とりあえずいつもの装備に戻すよ)
琢磨がそう言うと、サイカの身に付ける装備一式が、いつもの着慣れた忍び装束に変わり、武器もノリムネからキクイチモンジとなった。
サイカは構わず走り続ける。
✴︎
その後、笹野栄子の交渉が功を奏し、この戦闘には参加していなかったGMW社のゲームマスターの転送によって、サイカはジパネール地方まで撤退。
今回の戦いは、その一部始終がまるで映画の様に、巨大スクリーンに映し出され、このオフ会会場にいた誰もが息を呑み、唖然としていた。
メモ帳に何かを記入しているジーエイチセブは、
「これがバグなのか……」
と呟いた後、丁度部屋に戻ってきた高枝左之助に向けて声を掛ける。
「なああんた、仮にもこのゲームの運営会社なんだろ? 管理者側にも対処できない様な、こんなエラーを起こしておいて、なぜゲームの運営を続けている。こんな事が世間に広まれば信用は地に落ちるぞ」
すると眼鏡を吹いて掛け直した左之助が応える。
「説明したはずだ。まるで生物の様にネットワークを徘徊する化け物。そして時を同じくして現れた知的生命体のサイカ。国から実験と監視を続ける様に言われている。これはこのゲームだけの問題では無い」
「じゃあガルム地方のサーバーで遊んでいるプレイヤーはどうするんだ。奴を倒すまでログインできないのか!」
「それについては、向こうの管理会社GMW社次第だ。その方針に私達は関与できない」
ゲーム情報誌の記者と、運営会社課長のそんな緊迫した会話を周りは固唾を飲んで聞いていた。
掛ける言葉が見つからない明月琢磨に、横に立っていたエンキドが話しかけた。
「俺の故郷をこのままにしないでくれ。頼んだぞ」
と、一枚の紙切れを手渡され、琢磨がそれを見るとそこには電話番号と坂本煜と手書きで書かれていた。
「それじゃ、俺達は予定あるから、これで。行こう弥奈子」
そんな事を言い残し、煜と弥奈子、金髪カップルはさっさと会議室を出て行ってしまった。
その後、ガルム地方はサーバーごと物理的隔離をされたとの事。左之助と栄子は今後の作戦について話し合う為、愛知県名古屋市にあるGMW本社に急ぎ足を運ぶ事になった様で、一先ず今回のオフ会はお開きとなった。
結局、今回参加してくれたメンバーは揃って琢磨とサイカに協力する事を決めてくれ、皆が左之助が用意した同意書や誓約書の類に署名をしてくれ、それぞれ連絡先を交換するに至る。
連絡先交換の為にオリガミとスマートフォンを交わしていると、オリガミは緊張した面持ちで言葉を発した。
「あの、その、さっきはいきなりごめんなさい」
「ああ、うん、大丈夫。オリガミさんだよね? いや、なんかゲームと全然印象違うからビックリしたよ。すぐ分かったけど」
そう言われて、恥ずかしさから耳まで真っ赤に染める。
「あわわわ。えっと、えっと、これからはメッセージ送ったりしてもいいですか?」
あわわわなんて言う人を現実世界で言う人がいたと言う珍事に、琢磨はクスリと笑う。
「いいよ。僕は結構返信とか遅いけど、いつでもどうぞ」
「あ、ありがとうございます! やった!」
大袈裟に喜ぶオリガミの頭を撫でながら、横に立つアマツカミが琢磨に視線を送る。
「俺たちもサイカに協力する決意が固まった。何か出来る事があればいつでも言ってくれ」
「ゲーム内でのサイカは僕では無くなってしまったけど、今まで通り、仲良くしてくれると助かるよ」
「わかった。皆にもその様に伝えよう」
と、アマツカミが振り返ると、そこにはガテン系のハンゾウと、スマートフォン片手にひたすらソシャゲで作業をしながらも目線はこちらに向けているミケの姿があった。
二人はアマツカミと目が合うと、黙って頷く。
スペースゲームズ社本社ビル一階にあるWOAグッズショップの前で解散となり、参加者達がそれぞれ帰路に着く。アマツカミとオリガミは、せっかく来たのだからとグッズショップの中に入って行った。
琢磨は扉を開いて停車しているタクシーの横で、中に座る左之助と栄子に話し掛けた。
「僕は行かなくていいんですか?」
すると左之助が言った。
「さすがに名古屋まで連れ回す訳には行かないさ。GMW社との会議で、何か決まった事があれば君に連絡する。それまでは自由にしていてくれ」
「わかりました」
栄子が運転手に声を掛け、後部座席の扉が閉まると、東京駅に向け発車した。
タクシーを見送った後、琢磨は腕時計を見ると、時刻は十六時半。彩乃と待ち合わせの時間まであと一時間半と言った所だ。
琢磨はこのまま最寄り駅から地下鉄に乗り、彩乃との待ち合わせの駅に向かう事にする。
結局、待ち合わせ時間の三十分前に到着してしまった琢磨は、駅前のロータリー横にあるベンチに座って待つ事にした。この駅は前に彩乃のパソコン購入に同行した際も訪れた場所だ。
近くで夏祭りがあるからか、人通りは多く、浴衣姿の女の子も多い。カランカランと言う、独特な下駄がコンクリートの上を歩く音が何処か心地良い。
彩乃から何か連絡は来て無いかと、スマートフォンを取り出して画面を確認する琢磨。特にメッセージは来ていないが、ワールドオブアドベンチャーのアプリアイコンが目に入った。
そこで琢磨はサイカと出会ってから、このアプリを一度も起動していない事を思い出す。スペースゲームズ社のパソコンでもサイカはサイカだった事を考えると、連動しているこのスマートフォンアプリも何かしらの影響があるのではないかと考えた。
琢磨の指がアイコンをタップする。
短い読み込みの後、各種メニュー画面とサイカが画面に表示され、勝手に動くかどうか琢磨はまじまじと画面を注視した。
するとサイカは周りを見渡しながらの口が動き、
「ん? なんだ? この真っ暗で狭い空間は」
と、普通に喋り出したので琢磨は「うわっ!」と驚いてスマートフォンを地面に落としてしまった。
「琢磨か? いるのか琢磨?」
慌てて琢磨はスマートフォンを拾い上げ、本体の角に傷が付いてしまった事にショックを受けながらも、画面を顔の前に持ってくる。
「ん? おお、なんだ、琢磨はそんな顔をしているのか」
サイカもサイカで、画面越しにこちらを、覗き込む様にしており、しかも琢磨の顔が見えている。まるでテレビ電話の様な状況だ。
「驚いた。まさかスマホでもなるなんて」
「声も聞こえるんだな……スマホ? 何だそれは。パソコンと違うのか?」
「手帳サイズくらいの、パソコンの超小型版って感じだよ」
恐らくスマートフォンの内側カメラと、マイクがこの様な会話を可能にしているのかと、琢磨は試しにカメラを指で塞いで見た。
「琢磨、真っ暗だ。何も見えない」
やはり琢磨の考えが正しい様だ。サイカは今、このアプリの背景と同じ、真っ暗な部屋にいて、スマートフォンの内側カメラの映像が映る画面の前に立っている様な状況なのだろう。
「えっと、初めまして。明月琢磨です」
改めて自己紹介をする琢磨。
「私はサイカだ。二回目の初めまして……だな。変な感じだ」
と、クスリと笑うサイカ。
「この原理で言えば、もしかしたらパソコンにカメラとマイクを付けたら、直接話しが出来るのかもしれない」
「そうなのか?でもこんな真っ暗な部屋は少し息苦しさがあるぞ」
「とりあえず帰ったら試して見るよ」
そんな会話をしていると、琢磨の背後から声を掛ける浴衣姿の彩乃が現れた。
「せ〜んぱいっ!」
「うわっ!」
と、琢磨は驚いてまたスマートフォンを地面に落としてしまう。
「あ、ごめんなさい。そんなに驚かすつもりじゃなくて……」
紺色で金魚柄の浴衣を身に纏い、いつもと違う三つ編みの髪型で気合いの入った彩乃を見て、琢磨は一瞬見惚れてしまう。
「いや、うん、大丈夫。僕のスマホは丈夫だから」
突然の事で頭が真っ白になっている琢磨の足元で、スマートフォンに映ったサイカが喋り出す。
「琢磨? どうした? 客人か?」
慌てて琢磨はスマートフォンを拾い上げ、背面ガラスに亀裂が入った事に気付く暇も無いままWOAアプリを閉じた。
声は聞こえたが、画面をよく確認できなかった彩乃はきょとんとした顔を琢磨に向ける。
「誰かと通話中でした?」
「あー、うん、そう。友達」
「あっ! ヒビ入っちゃってるじゃないですか!」
「いや、これは元からだよ。うん、元から。とりあえず行こうか」
「あ、はい!」
二人は絶妙な距離感を保ったまま、人混みに合わせて歩き出し、屋台の並ぶ夏祭り会場へ向かった。
焼きそば、じゃがバター、鮎の塩焼き、りんご飴、定番の食べ物を食べながら祭りの雰囲気を満喫する。
幸せな時間と言うのは、とても早く通り過ぎてしまい、学生時代の思い出話など他愛も無い会話で盛り上がりながらも、最後の花火が打ち上げイベントに合わせて、彩乃に案内され人気の少ない絶景スポットにやって来た。
花火が打ち上がる直前、横に立つ彩乃が琢磨の洋服の裾を軽く掴みながら琢磨に話し掛ける
「あの、先輩」
「なに?」
「私は鈍感だし、先輩が今どんな状況なのかもよく分かって無いですけど……その、また一緒に遊んでくれませんか。WOAでも、何でもいいので……」
その悲しそうな表情を前に、琢磨もやはりこの場でサイカの事を話すべきなのではと思った矢先、打ち上げ花火が高々と放たれ、上空に綺麗な花を咲かせた。
ドンと言う重低音と爆発による空気の波が、琢磨の思いを揺らし、そして琢磨は次々と破裂する花火を見ながら、
「そうだね。なんか僕からWOAに誘っておいて、放置しちゃってごめん。とりあえず今は、目の前の祭りを楽しもう」
と、琢磨の右手がそっと彩乃の左手を握った。彩乃は突然の事で少し驚きはしたが、すぐに幸福感に包まれ、穏やかな笑顔が溢れてしまう。
「そう……ですね」
二人は夏の夜空を彩る七色に光りに照らされながら、真っ直ぐその先に咲く大小様々な形をした花を眺めた。
【解説】
◆浴衣
履き慣れない靴に着慣れない浴衣は本当に歩きにくい。男性も浴衣を着ている浴衣デートの場合、同じ境遇なのでこの心配は少ないが、男性が私服のときは歩く速度に注意しよう。
見た目の可愛さとは裏腹に大変な服装で、着慣れていない女性がほとんど。移動もお手洗いも何もかも一苦労。だからこそ、男性の諸君は最高の思い出をプロデュースする第一歩として、必ず褒めてあげよう。
◆ヨリック大陸ガルム地方(首都マリエラ)
WOAで日本の中部地方に在住のプレイヤーがスタートする地域で、運営管理会社はGMW社となっている。首都マリエラは盆地となっていて、ジパネール地方と比べ森や山が中心の緑豊かな場所となっている。
大人の事情で、別地方の運営管理会社は管轄外の地方に手を出す事ができない。その為、サイカは無断で侵入したチートプレイヤーキャラとしてガルム地方へ足を踏み入れた。
◆WOAの気象設定
ワールドオブアドベンチャー内の時間は、現実とリンクしていて、早朝、朝、昼、夕、夜、深夜と時間が変わって行く。しかし、天候に関しては独自に動いていて、曇りだったり雨だったりと、様々な景色を見せてくれる。時間帯や天候によって、出現するモンスターの種類や強さ、出現するダンジョンも変化するなど、様々な楽しみがある。
公式ホームページにはゲーム内の天気予報が掲載されているが、予報が外れる場合も有るので、妙にリアルだ。
◆琵琶湖みたいな湖
エンキドが言っていた琵琶湖とは、滋賀県にある湖の事。日本で最大の面積と貯水量を持つとされている。首都マリエラには同じくらいの規模を誇る湖が有り、プロジェクトサイカスーツを着たサイカはそこを飛び越えた。




