128.救命機会
「さて、ブレイバードエム、少し俺と話をしよう」
そう言って、逢坂吾妻は横柄な態度で椅子に座り、前方にあるスタンドにセットされたSDD端末へ話し掛けていました。
画面には映っているドエムが怒りを顔に出している理由として、吾妻のすぐ横に縄で縛られ口も塞がれながら身動きが取れない山寺妃美子の姿があるからです。
「んーっ! んんーーっ!」
と、妃美子が汗だくになりながら何かを伝えようと必死にもがいていますが、口が塞がれた状態では無理でした。
ドエムも状況を見て理解しつつも、まずは初対面となる吾妻との会話に望みます。
「何をしてるんだ貴方は!」
「落ち着けよブレイバー。俺に従ってくれるなら、キミの夢主は悪いようにはしないさ」
「従う?」
「ああ、こっち側にいるサイカにだって会わせてやるぞ。俺にはそのチカラがある。興味あるだろう?」
「……僕の夢主をそんな風に扱っている貴方を信用できない」
「信用? 勘違いしちゃいけないね。俺は信用を得たい訳じゃない。キミは俺の下僕になるって言うなら、キミの夢主に気概は加えない。大人しく俺の言う事を聞いてくれればそれでいい。誓ってくれれば、俺がキミをこちら側に召喚してあげよう」
妃美子は首を横に振って、承諾してはダメだというサインをドエムに送ります。
「僕が……断ったら、どうするの?」
と、ドエムは恐る恐る質問を投げます。
「キミの夢主は死ぬ事になる。俺は知っているよ。キミ達ブレイバーにとって、夢主の存在が如何に大事なのかをさ。キミだって生きたいだろう? それが生命を得たものの性ってものだろうさ」
ドエムはそんな事を言ってくる吾妻に、先ほど戦ったばかりの管理者バストラにも似た陰を感じていました。
(この人はきっとサイカの敵だ。僕を利用して、サイカを困らせようとしている。でも、ここで断ったら僕の夢主は……)
ドエムはそう考えながら、妃美子を見ました。
妃美子はドエムと視線が合うと、もう一度ゆっくりと首を横に振った後、次に強い眼差しで覚悟を決めている事を伝えます。
それを感じ取ったドエムは、長い沈黙の後にゆっくりと口を開きます。
「断る。僕は卑怯な貴方には従えない」
吾妻は座りながら手に刀を召喚して、その刃を妃美子の首元に接触させます。
「お前の夢主が、どうなってもいいって事だな?」
と、脅しを加えました。
「貴方は敵だ。サイカならきっとこうする。ううん、僕も絶対にそうする。僕の夢主なら……きっとそうすると思うから、敵に協力はしない」
そのドエムの言葉に、妃美子の瞳は潤み、やがて大粒の涙が溢れ出していました。その涙は死への恐怖から流れたものではありません。ドエムの英断とその勇気に、感動していたのです。
妃美子は泣きながら、何度も何度も首を縦に振っていました。よくやったと、そう言わんばかりの仕草です。
一方で、交渉を持ち掛けた吾妻は怒りを覚え、こんな事を言い出しました。
「サイカ。サイカ。サイカサイカサイカサイカ! レクスと同じ! どいつもこいつも、阿呆が!」
と、端末のスタンドを蹴り飛ばしました。
宙を舞うSDD端末を実は近くに立っていた高枝左之助が手に取り、そして静かに端末の電源を落としドエムとの通信を切断します。
「これを壊されるのは困る」
と、左之助。
怒り狂った吾妻は周囲の物を蹴る事で当たり散らかし、ついには隣で椅子に縛り付けていた妃美子をも蹴り倒しました。
大きな物音が響き、落ち着きを取り戻した吾妻を見計らって左之助は話し掛けます。
「やれやれ、レクスの目を盗んで自分だけの兵隊を持つのなら、もう少し考えるべきだろう」
「うるさい! 俺に指図するな!」
「……キミには人を従える才が無い。到底、レクスを欺くどころか、明月琢磨を超えるなど無理だろう」
「ちっ」
舌打ちをした吾妻は、近くのテーブルの上に腰掛け、頭を掻きむしり、その手に絡まった抜け毛を見つめました。
そんな様子を見た左之助は、こんな事を言い出します。
「逢坂君。レクスが今、最も怖れている事は何だと思う?」
「なに? BCU……正義の管理者、明月琢磨だろう」
「であれば、レクスはもっと徹底抗戦を仕掛ける。あれほどの力があれば、こんなに遠回りはしない」
「遊んでるだけじゃないのか」
「違う。レクスは怯えていた」
「何にだ?」
「……詳しくは語らなかったが、レクスがこの世界に留まり、下準備をせざるを得ない存在がいる。レクスはこの世界で、それに対抗しうる戦力を作ろうとしているに過ぎない」
「はっ、壮大だねえ。じゃあ何か、ここで俺たちがやっている小競り合いは、その何かに抗う為の計画に過ぎないって事かよ?」
左之助は一呼吸置いて、真剣な表情だけで答えがイエスであると吾妻に伝えました。
「だったら邪魔者は始末しないとな。とりあえず今は、レクスに従ってやる」
そう言いながら、吾妻が急に日本刀を手に召喚して、左之助の首元に突き付け、
「お前、その薄気味悪い笑いやめろ」
と、威嚇します。
左之助は知らず知らずのうちに口元が緩み、歪んだ笑顔となっていました。それに吾妻は気付き、威嚇したのです。
そんな二人の会話を嫌でも聞かされた妃美子は、縛られた椅子ごと床に倒れている状況ながら、大変な事態に巻き込まれてしまった自分に焦りの色を見せていました。冷や汗と震えが止まらずにいます。
(なんなのこの二人……なんで……でも、きっと徹さんやケークンが気付いてくれる……きっと……)
僅かな希望を抱く妃美子。すると新たに三人、部屋の中へと踏み入れて来ました。
一人は海藤武則、一人はブレイバーシャーク、一人はブレイバータケル。どうやら彼らが来るのを待っていた吾妻は、立ち上がって彼らの前に移動してこう言うのです。
「さぁ、始めようか。今日を日本の祝日にしよう」
と。
その頃、藤守徹は妃美子の自宅を訪れていました。
インターホンで反応が無かった為、事前に貰っていた合鍵を使い中に入り、留守である事を再確認していたところでした。妃美子の愛猫用に置いてある自動餌やり機の餌も切れそうになっていた為、徹は手慣れた手付きでそれを補充しました。
(これで三日目……電話も応答無し……)
徹の頭に嫌な予感が過る中、猫のミーちゃんが徹の足元に寄り添って来たので、そっとその頭を撫でる徹。
しばらく猫と戯れた後、徹は部屋の照明を点け、改めて部屋の様子を観察しました。特に荒らされた様子は無く、お出かけ用の鞄や靴が無くなっている事からも、何処かに外出した事は推測できます。
そこで徹はある物が無い事に気付きました。
(SDD端末が無い!? まさか……)
徹はスマートフォンを取り出し、明月朱里に電話を掛けます。朱里はすぐに出ました。
『もしもし』
「藤守だ。三日前から妃美子さんの姿が見えない。何か知らないか?」
『ふむ……知らないな。三日……警察に相談したらどうだ?』
「妙に落ち着いているんだな」
『慌てたところで何になる。わしは何も知らんし、何故わしに報告する』
「SDD端末が無いんだ。妃美子さんはあの端末を貰ってから、ずっと自宅のリビングにそれを置いていた。持ち出す事は無かったんだよ」
『待て待て。あれは失敗作だ。狭間とのリンクには成功したが、その後御無沙汰無し。状況的にもうガラクタに等しい物。そんな失敗作に価値があるとは思えん』
「そのガラクタを利用しようとする奴がいるとすれば、その目的は何になる?」
『ふむ……ブレイバードエムとの交流、通信手段としての可能性しか無いはずだ。こちら側にブレイバーを呼び出したりは出来んし、利益など何も無いだろう』
「そうか。とにかく俺は警察に捜索願いを出す。そっちも何かあれば連絡してくれ」
『わかった』
通話が切れた後、明月朱里は早速行動に出ます。
一同が『北海道に巨大バグ出現』の報道に注目している中、ケークンを廊下に呼び出し、まずは関わりのあった彼女に状況の共有をします。
「こんな時になんだよ。今、大変な事が起きてるってのに……」
と、ケークン。
「山寺妃美子が行方不明になったそうだ」
「は? いつからだよ?」
「三日前だそうだ」
「なんであの人が狙われる」
「わからない。SDD端末も一緒に無くなってるそうだ。きな臭いとは感じる」
「あたしにそれを教えて、何をしろって?」
「今すぐで無くても良い。隙を見て、フラミナティ化学研究所を見に行ってはくれんか」
「そこにいるのか?」
「わしの勘だ。頼んだぞ」
「わーったよ」
そんな会話を済ませ、リビングに戻る二人。
すると今度は、明月琢磨が血相変えて園田真琴と通話している現場に居合わせる事となったのです。
「未確認じゃない! あれはサイカだ!」
『情報が足りないので、まだ断言はできません』
「何処に向かってるか分かる?」
『……いえ、まだ経路は予測できる状況ではありません。ですが、気になる事象の報告がSNS上にあります』
「気になる?」
『東京都北区で、光の柱を見たと言う目撃者が多数。写真もアップロードされています』
「送ってくれ」
『今、送ります』
俺はスマートグラスに映し出された映像を見ながら、会話を続けます。
「これが目撃されたのはいつ?」
『画像の投稿時間からして、四時間ほど前の様です』
「ちょうど札幌にバグが出現した頃か……よし、俺が見てくる」
『分かりました。何があるか分かりません、ブレイバーと一緒に向かってください。地下駐車場にあるバイクを使ってください』
北海道で巨大バグが暴れ、そしてサイカが現れ、東京の北区で光の柱が目撃されたという新たな情報が次々と入ってきます。
ケークンはこの騒動に妃美子が巻き込まれているのではないかと思い、朱里に顔を向け表情で訴えてきたので、朱里は小声で答えます。
「可能性は無しではないな。まずは琢磨と一緒に光の柱の現場へ向かってくれ」
「わかった」
やがて、琢磨、ミーティア、ケークンの三人が家を飛び出し、東京都北区へと移動を開始するのでした。
三人が外出した後、部屋に残っていた笹野英子が、何処か落ち着きが無い様子である事に気付いた朱里。
「ま、あいつらなら大丈夫だろ」
とわざとらしく言い残した朱里は、朱里は自室に入った振りをしました。
すると笹野英子はスマートフォンを片手にリビングへと移動し、リビングに誰もいない事を確認した後、ベランダに出て、誰かと通話を始めます。
朱里は音を立てずにリビングへと移動し、姿勢を低くしながらソファの陰に隠れ、完全に閉まっていないベランダの窓ガラスの隙間から、微かに聞こえる笹野英子の声に聴き耳を立てます。
「明月さんが今出ました……はい……はい……そうですね……分かりました」
(なるほどね……)
と、何かに確信を得る朱里。
笹野英子の電話は非常に短く、すぐに終わりそうな雰囲気だったので、朱里は速やかに自室へと戻るのでした。
自室に戻った朱里は、散らかった部屋の隅に置いてあったタブレットを手に持って確認すると、スウェンからメッセージが届いていました。
【敵が動き出した】
と。
すぐさま朱里は返信します。
【そっちの状況を教えて欲しい。緊急事態だ】
四時間前、海藤武則を尾行していたスウェンは、フラミナティ化学研究所で逢坂吾妻とブレイバーシャークが合流したのを目撃した後、東京都北区にある赤羽公園に訪れていました。
時刻は深夜。彼らはその公園で誰かを待っているようで、複数のバグで公園を取り囲み、罠を張っているようでした。
「何かやろうとしてるな。こんなに自由に敵を動かして、シュレンダーがいるBCUはいったい何をしてるんだ」
と、スウェンは呟いたので私が答えます。
『BCUは彼らを見失っています。サイカも同様でしょう』
スウェンが隣接するマンションの屋上から見張っていると、しばらくして人間の男が公園に入っていくのが見えました。
「あれは誰だ?」
『彼は増田雄也。地球世界の人間です』
「奴らが待っていたのはあの人間か。何故?」
『異世界で彼のブレイバーはレクスの手先です』
「レクスの? じゃあ……」
『仲間を増やすつもりでしょう』
「止めに入るか?」
『いえ、その為にはこちらの戦力が足りません。まずは逢坂吾妻の能力を把握しましょう』
「歯痒いな」
スウェンはコンソール画面を操作して、集音機能を使い彼らの会話を盗み聞きします。
『————それよりもだ。アマツカミくん、何も分からないままでは悔しいと思うから、心優しい俺から少し状況を教えておいてあげよう。俺たちはこの世界に残存してる死に損ないのブレイバーを駆逐しなくちゃならない。駆逐……という意味は分かるよね』
『ブレイバーを?』
『テレビやネットでも散々騒がれているからね。今更、知らないなんて言わせないよ。邪魔なんだよねぇ。BCUも、琢磨とかいう男も』
そんな会話をした彼らでしたが、増田雄也が吾妻に殴り掛かりましたが、吾妻の反撃で一方的に殴られてしまう雄也の姿がありました。
やがて吾妻は倒れようとする雄也の髪の毛を左手で掴み、無理矢理持ち上げながら言い放ちます。
『引きこもりゲーマーが、俺に勝てる訳ないだろ』
『な、に……を……』
『まあ見てなよ。今から面白いモノを見せてやるからさ』
空から降り注ぐ光の柱と共に、吾妻は儀式めいた言葉を口にします。
『我は支配者……ブレイバー接続……ログイン……』
雄也の胸から冥魂が引き抜かれ、そしてそれはやがて人の形へと変わっていきます。
「これが地球世界でのブレイバー召喚か」
と、驚愕するスウェン。
『なるほど。あの逢坂吾妻という人間。レクスから管理者としての能力……いえ、明月琢磨の疑似能力を与えられています』
「敵には琢磨以外にもブレイバーを召喚する術を持っている奴がいるのか。それに、あの海藤武則はバグを生み出す能力もある。厄介だな」
『ええ、きっと彼らはBCUと戦争を始めるつもりです』
「だったら、この事を知らせてやらねぇとな」
そう言って、スウェンがコンソール画面でシュレンダーへメッセージを入力し始めた時の事でした。
突然現れた背後からの気配と殺気。
『後ろです!』
と、私がスウェンに伝えると同時、スウェンは横に飛んで背後の敵の攻撃を回避しました。
コンクリートの床を抉る強烈な一撃は槍によるもので、その攻撃はブレイバータケルによるものでした。
「いつの間に!?」
驚きながらも、スウェンは咄嗟にハンドガンを召喚して発砲。
しかしタケルはそれを顔を反らして回避した後、槍を構えなおして真っ直ぐスウェンに詰め寄って来ました。
咄嗟にマンションの屋上から飛び降りて攻撃を回避したスウェンでしたが、タケルも飛び降りて追撃を仕掛けてきます。が、スウェンは落下しながらも笑みを見せ、コンソール画面の操作をして空間移動の能力を使います。
タケルの槍があと目と鼻の先まで迫ってきたところで、スウェンの転送が完了し、姿が消えました。
地面に着地するタケル。
いつの間にか、近くで見物していたブレイバーシャークが笑顔で待っていて、タケルに声を掛けます。
「逃がしちまったな新米ブレイバー。後で吾妻に怒られるぞ」
「次は上手くやる」
「まあいいけどよ。今のが、武則が言ってた管理者の使いか。BCUとは別に動いてるようだが……楽しくなりそうじゃねぇか」
この時、シャークはこれから起きる戦争に期待を膨らませ、高揚した表情を浮かべていました。
管理者能力を使ってまんまと逃げ果せたスウェンは、数キロ離れた場所で身を隠しながらシュレンダー博士に敵が動き出した旨の情報を送信している所で、私が語り掛けます。
『どうやらサイカも異変を察知して動き出したようです』
「サイカが? 俺はどうしたらいい。そろそろBCUに直接協力するか?」
『いえ、まだ真の敵が分かりません。もう少し事態を観察しましょう。それよりも……』
「どうした?」
『ブレイバードエムの夢主に死期が迫っています』
「……は?」
『歪んだ正線上の正しい線。これは彼女と彼が選んだ道。介入するべき事柄では無いでしょう』
「じゃあ何でそれを俺に教えた。何か迷いがあるのか」
スウェンにそう言われ、私はしばらく考えてしまいました。
何故、私は逆らうべきではない運命を、彼に話してしまったのか。
何も答えない私に向かって、スウェンが独り言のように話し始めました。
「善人が死ぬのに正しいなんてあるのか。俺が自分の正義の為に殺めた善人が、殺されて当然だったなんて思っちゃいない。短い間だったが、サイカを見て、ドエムを見て、そしてキャシーやお前を見て、俺は世界の変え方を改めたぜ」
『貴方はいったい何を言ってるのですか?』
「御託はいい。教えろよ。ドエムの夢主の場所を」
スウェンは私に指示されるでもなく、歩き出しました。
本当にこの男は、時々こうやって身勝手な行動を取ります。その身勝手な行動の先がいったいどうなるのか、私にも分かりません。
その頃、フラミナティ化学研究所地下にある研究室では、椅子に縛られ口も塞がれた妃美子の前にパイプ椅子を立て、座る左之助がいました。
左之助は眼鏡越しに恐怖に怯える妃美子の顔をじっと見つめ、その手には懐から取り出した折り畳みのナイフを遊ばせています。
「残念だけど、助けは来ない。ここで研究をしていたBCUの明月朱里は、何も知らない。この研究所自体が、レクスの管理下にある施設である事も何も知らないのさ。騙されたんだよ君たちは。そして今、外では大騒ぎが起きていて警察もBCUもそれどころではないだろう」
そんな事を口にする左之助は、レクスが乗り移ったかのような悪魔的な笑みを浮かべ、言葉を発する事ができない妃美子に向かい一方的に話を続けます。
「山寺妃美子さん。ブレイバーの夢主。貴女と私の失敗は、何だったと思う?」
と、おもむろナイフの刃で自分の指の皮膚を切る左之助。
「フィクションの世界で主役となるのは若者ばかりなのは、何故だと思う。私たちは彼らスーパーヒーローとは違って、四十も超える良い大人。それが良くないのだろう。目の前で非現実が起きているのに、大人であり続けようとしてしまう。感情的に行動せず、ルールの輪から外れないように、適切なコミュニケーションを取って、誠実さを重んじてしまう。だからいちいち行動が遅くなってしまう。明月琢磨くんもそうだ。我々はもっと酷い。歳相応に変化への適応力が下がってしまっていたんだ。そんな姿を見せられても、傍観者はさぞつまらない事だろう」
左之助に言われ、妃美子も今回のプロジェクトに参加する為、勤めていた会社の退職に向けて奮闘していた自身の事を思い出していました。
「二年前。東京に巨大なバグが現れた悪夢の日。私の妻と娘は、スカイツリーの近くにいた。その後、音信不通。今も行方不明のままなんだよ。きっと灼熱の光線で蒸発してしまったんだろうね。死体も私物も見つかっていない。だけどね。そんな事があったなんて言ってられなかった。私に悲しむ時間も無かった。私にとっての最愛の二人がいなくなっても、世界は何事も無かったかのように回り続ける。ブレイバーもバグも、こちら側の世界へ平気で侵略してくる。馬鹿げた戦争を始めようとしている」
妃美子は左之助の話を創造し、涙を流していました。恐怖と同情が入り混じった暖かい涙を、片目から零していたのです。
一方で左之助の目に光りはありませんでした。死んだ魚のような冷たい眼差しで、自身の境遇と意見を語り続けます。
「私の心の闇に付け込もうと近づいて来たレクスに、この世界の真実を教えられ、私は気付いてしまったんだ。バグもブレイバーも、私たちの世界における異次元物は全て悪なのだと。そんな事態を招いてしまった人類も愚の骨頂。この狂った世界にもはや正義は無いのだと」
左之助は立ち上がり、妃美子に近づいて、手に持つナイフを切先を彼女の胸元に少しずつ押し当て、続けて語ります。
「琢磨くんと同じようにブレイバーと関わろうとした貴女は私の敵だ。だからここで退場してもらう。私にとって初めての殺人は、私の覚悟となる」
妃美子は恐怖で鼻息が荒くはなりつつも、不思議と抵抗は見せませんでした。
私に事前に忠告されていたからか、先ほどのドエムとの言葉の無い意思疎通があったからか、彼女も既に覚悟を決めていたのです。もう逃げる事も、助けが来ない事も、悟っていたのです。
「これから死ぬ人間が相手でも、心の内を話すと随分と気が楽になったよ。ありがとう。さようなら」
と、左之助はゆっくりとナイフを持つ腕に力を入れ、その刃を妃美子の胸に沈めていきました。
溢れる赤い血が、妃美子の服を染め、苦痛の悲鳴は口を塞いでいる縄が妨げます。
この時、左之助は狂気染みた笑みを浮かべながらも、僅かながらにナイフを持つ手を震わせていました。彼にとっても、この行為は壁を超える為の一手だったのです。
縛られた椅子ごと倒れた妃美子から椅子を引き剝がし、その身体に馬乗りになった左之助は、一度抜いたナイフを両手に持ち、何度も刺します。何度も、何度も、妃美子が動かなくなるまで繰り返しました。
返り血で染まっていく左之助。
「は、はは、ははははははははっ!!!」
極度の緊張による反動なのか、ここで冷静な判断力を失った左之助は、最初の目標に対して執拗に殺傷を続けていました。
そんな左之助の手が止まったのは、研究室入口の自動ドアが開く音が聞こえてきた事です。
血だらけの女性に跨ったまま、振り返る左之助。
そこには日本の警察官に変装したスウェンの姿がありました。拳銃を構えたスウェンは、状況を見るや間髪を容れずに発砲。左之助の頭部に銃弾を命中させ、左之助は額に穴を空けて後ろに倒れます。
しかし、彼女の死の運命を覆すには一歩遅かった。そう私が考えている中で、スウェンは諦めませんでした。
駆け寄り、絶命している左之助の身体をどかすと、妃美子の容態を確認します。
十数箇所の刺し傷、出血多量で動いておらず、でもまだ微かに脈がある状態。スウェンはコンソール画面を手早く操作して妃美子の傷口を塞ぎながら彼女に声を掛けます。
「死ぬなドエムの夢主。ここであんたが死んだら、俺がドエムに顔向けできねぇ。死ぬな。聞こえてるだろ。意識を保て」
顔が真っ青で瞳孔も開いてしまっている妃美子の反応はありません。
スウェンは研究室の管理者コマンドで応急手当をしながら、研究室を見渡します。何か役に立つものがないかと探していましたが、そんな彼の目に見覚えのあるマークが印された機械が見えたのです。
それは、シュレンダー博士が自身の発明品に必ず印すシュレンダーの印でした。
その中でも、カプセル装置に目を付けたスウェンは、まずは駆け寄ってその装置がどのような物かを簡単に調べた後、電源を起動させてカプセルを開けると、意識の無い妃美子を優しく抱きかかえてその中に入れます。
カプセルを閉めながら、管理者能力を使い明月朱里に通話を掛けます。
『こんな時にいったい何だ!』
と、状況を理解していない朱里が苛立たしく応答します。
「説明は後でする。今お前のカプセル装置が目の前にある。これはどうゆう装置だ」
『は? フラミナティ研究所か? そこは閉鎖され——』
「緊急事態だ! いいから教えろ!』
『ブレイバーリンク装置のプロトタイプだ』
「ブレイバーリンク?」
『ホープストーンを用いた狭間世界への干渉装置。ブレイバーと意識を同調を目的とした装置になる』
「意識だけを移動させられるのか?」
『正確には誰しもが持つ冥魂を引き出し、ブレイバーの冥魂と同期させようとした物で——』
「使い方を教えてくれ! 早く! 管理端末はどれだ!」
切羽詰まった焦りの窺える声に只事ではないと察した朱里は、何も理由を聞く事なく、冷静に操作方法の説明を始めます。
この時、外ではサイカとアマツカミが激闘を繰り広げており、そこにカゲロウが参戦した事でサイカが危機に陥ると、颯爽と駆け付けたブレイバーケークンが手助けに入るという展開が起きていました。
日本で初めてともいえる大規模なブレイバー同士の戦いは、逢坂吾妻側のアマツカミとケークンが撤退した事で終わり、これから後始末が始まります。
戦いを終えたケークンは、現場に居合わせた明月琢磨に、
「ちょっと寄りたい所が出来た」
と言い残し、フラミナティ研究所に向け移動を開始。
その頃、フラミナティ研究所の悲惨な現場となった研究室では、スウェンが装置の起動に成功していました。
カプセルの中で血だらけで意識の無い妃美子が光に包まれるのをガラス越しに見つめながら、こう言い残します。
「付き合ってくれ俺の女神様よ。今目の前にあるのはどうせ創られた命一つだ。救ったところで罰が当たる訳じゃねえだろ。手段が選べなかったあの頃とは違う。今の俺は、神の使いってやつなんだからな! やってみせるさ!」
自分に言い聞かせるようにそんな台詞を言い放つスウェンは、朱里が開発したその装置を使い、今一度、妃美子を狭間へ強制的にリンクさせようとしていました。
時同じくして、何か胸のざわつきを覚えた藤守徹とケークンもまたその現場に向かっており、今日本で大きな戦いが幕を開けている最中、その裏ではスウェン達のもう一つの戦いがあったのです。
【解説】
◆舞台裏
今回の話しは、『78.累卵の危うき』と『79.戦を見て矢を矧ぐ』の裏で起きていた物語。
ついに動き出した逢坂吾妻と、その対応に追われる明月琢磨とサイカ。その裏では監視役として現実世界にやって来ていたスウェンが、ドエムの夢主である山寺妃美子の危機を救おうとしていた。
◆逢坂吾妻の思惑
アマツカミやカゲロウといったシノビセブン(異世界ではクロギツネ)のブレイバー達は、レクスが用意した駒であった。
自分だけの駒が欲しがっていた彼は、ブレイバードエムを脅迫することで仲間に引き入れようとしたが、失敗していた。
◆高枝左之助の思惑
かつて『67.無間』にて起きたキャシーバグの襲撃に巻き込まれ、最愛の妻と娘が行方不明になっていた。
そういった経緯も有り、レクスにより教えられた世界の在り方に絶望した彼は、逢坂吾妻とは別に何かを企てており、その先駆けとして邪魔者となる山寺妃美子を殺害しようとする。
矢先、スウェンによって頭を銃弾で撃ち抜かれたが……
◆明月朱里の失態
計画が中止、フラミナティ研究所での研究は破棄されたと伝えられていた朱里は、高枝左之助の暗躍に気付いていなかった。
結果として自身が招いた被験者の山寺妃美子が絶体絶命の危機に陥ってしまった事は、彼女にとって大きな後悔となる。
◆スウェンの秘策
悲劇の現場となったその研究室にはブレイバードエムと山寺妃美子をリンクさせ、ドエム延命の切っ掛けを成した装置が残されていた。
異世界で元恋人であった明月朱里(異世界ではシュレンダー博士)が開発した機械であると気付いたスウェンは、それを利用して山寺妃美子の命を救おうと模索する。




