122.異色の襲撃者
(――――しくじった!)
反撃の機会は無く、衣類を剥がされ、全裸同然の姿にされた男・スウェンは牢屋に放り込まれました。
「もっと丁寧に扱ってくれよ」
と、スウェンが小言を吐くも、野盗の男達は鼻で笑って扉を閉めます。
「くそがっ!」
スウェンは鉄格子を裸足で蹴り飛ばし、自分の不甲斐なさに対する怒りをぶつけます――――
ドエム達と同じく、近くの海岸に漂着したスウェンはすぐに意識を取り戻し、近くに打ち上げられていた銀髪の少女・ノアを発見しました。
ノアは顔が真っ青で意識が無く、息もしていない状況だった為、スウェンが直ちに心肺蘇生を試みます。心臓マッサージと人工呼吸、それをしばらく続けたところ、ノアが海水を吐き出し息を取り戻しました。
すぐにスウェンはノアを担いで近くの洞穴へと移動し、手頃な枯れ葉や薪を集め、石で火を起こし、焚き火を作り暖を取ります。
自分とノアの衣服を脱がし、枝で簡易的に作った干し竿に衣服を置き、裸のノアを落ち葉で包みます。
眠るノアを横目に、スウェンは懐に入れていた小型火縄銃を取り出し状態を確認しましたが、海水によって水没しており、湿気った火薬が使用不能を示していました。スウェンは先行きの不安を感じ、大きな溜め息を吐きます。
それからしばらくしてノアが目覚め、自身が裸にされている事に慌てふためくノアをスウェンが宥め、事情を説明して落ち着かせました。
「俺たちは運が良かった。他のブレイバー達なら何とかなるだろうが、俺たち人間が海に流され、生き残る確率は低い」
「ここは何処なの?」
「恐らく目指していた島国・ヤマトなんだろう。服が乾いたらすぐに出発して、ドエム達を探すぞ」
「そ、そうね……」
一晩を洞穴で過ごしたスウェンとノアは、乾いた衣服を身に纏い、周辺の探索へと出発しました。
大きな道に出て、現地の人間に何度か遭遇しましたが、武士様と勘違いされてお祈りされるばかり。他に見慣れない武士を見なかったかと聞くも、有力な情報は手に入りませんでした。
やがて、山道へと迷い込んだ二人は、そこで野盗の集団に囲まれてしまいます。
如何にも落武者といった汚らしい風貌の彼らの狙いはノアでした。それを悟ったスウェンは、ノアを守る為に立ち向かいましたが、得意の火縄銃が使用できず、多勢に無勢で完膚なきまでに叩きのめされてしまいます。
ノアも必死の抵抗を見せましたが、あっという間に縛られてしまい、野盗達は美しい少女を手に入れた事で大喜び。今夜は祭りだと言わんばかりに、ふざけて踊ったりする者もいました。
「能力に目覚めていないはぐれ武士なら何も怖くない」
と、野盗の一人が笑っていました。
スウェンは頭を殴られ、朦朧とする意識の中、ノアと一緒に縄で縛られそして乱暴に担がれて運ばれてしまいました――――
(しくじった! もう少し慎重に行動すべきだった! 何をやってるんだ俺は!)
悔やんでも悔やみきれないスウェンは、しばらく辺りの壁を蹴飛ばして怒りを発散します。
足の痛みと共に段々と冷静になってきたスウェンは、その場に座り、この後の事を考え始めます。
(他の奴らが俺たちを助けに来てくれる可能性はどの程度だ……ドエムなら間違いなくノアを探すはず。道中で原住民に顔を見られているし……あるいは……いや、当てにはならない。なんとかしてここから抜け出す必要がある)
スウェンは牢屋の中をよく観察します。
ここは縦穴の洞窟地帯に作られた集落のような場所。入れられた牢屋は何も無く、突貫工事で造られたような牢屋。鉄格子は少しグラ付きも見られ、前にスウェンが幽閉されたエルドラド城の牢屋と比べて明らかに造りが甘い事が分かります。
(こいつは……いけるか)
スウェンが見つけたのは鉄格子の一本がグラ付いていて、横に動かせる事でした。
看守が居眠りをしている隙を窺い、大きな音を立てないようにゆっくりとその一本を動かすと、痩せた人間であればなんとか通れる隙間が完成します。
スウェンはそこからゆっくりと抜け出し、そして机で居眠りをしている看守を襲撃。最小限の物音で艦首を気絶させる事に成功します。
そして看守が着ていた薄汚い服と武器を奪い、自身に身につけて変装をすると、慎重にその場から逃げ出しました。
連れて行かれたノアを探す為、見張りに悟られないように移動するスウェン。吹き抜けとなっている大きな広間に出ると、スウェンの視界に飛び込んできたのは大きなホープストーンでした。
(あれはなんだ……召喚儀式か?)
まるでこれからブレイバーの召喚儀式が行う準備を進めている現場に遭遇し、スウェンは思わず足を止めてその様子を見てしまいました、
そこではスウェンが知っているブレイバー召喚儀式とはまた少し違う五芒星の陣が地面に描かれ、札や蝋燭で囲まれているホープストーン。準備は最終段階で、ホープストーンが宙に浮いて輝いています。
(でかいホープストーンだ。あれだけの大きさなら、狭間との接続も可能なはず。だけどこれはいったい何だ。見慣れない魔法陣。これがこの国でのブレイバー召喚儀式だとでも……?)
そんな事を考えながら周囲を確認するスウェンは、ここが山中にある縦穴の洞窟に作られた人間達の基地である事を再認識します。各所に配置された松明の灯りと、中央広間の吹き抜けは天井が無く、夜空が見えます。
ここにいる人間は儀式の準備を進める者、見回りをしている者、酒を飲んで大騒ぎしている者、統率が取れている様子はありません。しかし人数が多く、全員が武装した男達。スウェンは身動きが取れそうにない上に、至る所に横穴がある為、肝心のノアの居場所が分かりません。
スウェンが判断に迷っている時、唐突に事が置きました――――
吹き抜けの上、縦穴の入り口から暗闇に紛れて飛び降りて来た三つの影。
ナポン、エオナ、マルガレータ、シャルロットの四名が先陣を切り中に突入。中央のホープストーン周辺に着地したと思えば、周りの男達に襲い掛かり、戦闘が開始されました。遅れて、縦穴上部の通路で源次、ドエム、レイシアの三名も戦闘を開始。
この場に到着したドエム達が強襲を仕掛けたのです。
「敵襲ー!」
と、誰かが叫び、半鐘の音が鳴り響きます。
この時、シャルロットが格好良く登場した割には全く攻撃が命中せず戦力になってない横で、ナポンが薙刀で周りの男達を薙ぎ倒し、そして召喚儀式の現場を見て叫びました。
「帝を通さぬ武士の召喚は御法度! ましてや召喚師の立ち会いも無しとは見過ごせん。謀反者はこの鐵姫が成敗致す!」
ナポンの姿を確認するや否や、腰を抜かした男が一人。
「天瀬の鐵姫がどうしてここにぃ!?」
一方、木の板で作られた通路の上を移動するドエムは、源次の強さを目の当たりにしていました。
源次はその細い身体で、腰の刀を鞘から抜く事なく、凶器を持って迫る敵を全て蹴りだけで撃退。その動きは周りにある物を全て利用し、時には敵を飛び越えて、猿のように右へ左へと相手を翻弄していました。
そして武器を持たぬレイシアはドエムの側を離れようとはせず、ドエムは源次が撃ち漏らした敵を夢世界スキルで風の刃を発生させて撃退していきます。
しかし、敵の数が多く、死角から飛び出して来た男にドエムは遅れを取ります。
「もらったぁー!」
と、野盗の男がドエムに手斧を振り下ろそうとした瞬間――――
レイシアがバグ化させた右腕で男の腹部を殴り、
「人間風情が、私のダーリンに近づくなッ!」
と殴り飛ばし、岩壁に叩き付けました。
男が手放した手斧を奪い取ったレイシアは、ドエムに近づいてくる男共をバッサバッサと斬り捨てて行きます。
「レイシア……」
必死にドエムを守り暴れ回るバグ人間の少女に、つい見惚れてしまったドエムの背後からもう一人の野盗が現れ襲い掛かりますが、それを察知したレイシアが手斧を投げてその男の頭部に直撃させます。
「ボサッとしないでダーリン! 敵は何処から来るか分からない!」
「ご、ごめん」
そんな中、得意の心眼を使い片手で曲刀を振り回すマルガレータは、騒動に紛れて移動していたスウェンを間違えて斬ろうとしましたが、寸前でその刃を止めるに至っていました。
「待ってくれ! 俺だマルガレータ!」
「その声は、スウェンなの?」
「ああ、ノアが奴らの親玉に連れてかれた。探さないと手遅れになる」
「場所は分かる?」
「さっぱりだ。お前の耳でノアの声は聞き取れないか?」
「今は雑音が多すぎるわ」
そう言いながら次々と敵を斬り捨てるマルガレータは、まるで踊り子のようでした。
さらにその横でシャルロットの幸運に翻弄される男達が、横からエオナに斬られていました。
わらわらと集まってくる野盗達は、ざっと確認するだけでも五十人以上。ドエム達にとって予想外の敵勢力の大きさに、若干の戸惑いを見せましたが、ナポンやエオナが積極的に前に出る事で士気を上げました。
一方で、ブレイバーに負けない勇猛さを見せる源次は、彼にとって見覚えのある男が目の前に現れ、その足を止めていました。
全身に刺青のあるスキンヘッドの男は、武器を何も持たずに高台で座って大乱戦を高みの見物をしており、源次が目の前に現れた事で笑みを浮かべて源次に話し掛けました。
「何処ぞで野垂れ死んだかと思っていたが、元気そうだな源次」
「お前もこんなならず者共と同行しているのなら、落ちぶれたものだ雷蔵」
「戦から逃げた臆病者がよく吠える」
二人がそんな会話をしていると、後ろからドエムとレイシアが合流。
「知り合いなの?」
と、ドエムが源次に聞きます。
「腐れ縁の武士だ」
「武士? じゃあブレイバーって事だよね」
その様子を見た雷蔵は、
「鐡姫と共にいるからてっきり天瀬家に加わったのかと思ったが……なんだその童子は? ふざけているのか?」
と、声を出して笑いました。
その瞬間、雷蔵は前に出ながら手に剣を召喚し、そのまま素早く斬り掛かって来たのです。
ドエムが咄嗟に夢世界スキルで無数の風の刃を発生させ迎撃すると、雷蔵はさっと後方に飛んで避けます。
すると今度は源次が詰め寄り、雷蔵の頭を狙い蹴りを入れますが手で防御されてしまいます。
雷蔵の反撃を避けた源次は、腰の刀に手を掛け抜刀。鋭い刃が雷蔵の頬を掠め、傷を付けました。
(ブレイバーを斬った!?)
と、源次の強さに驚くドエム。
源次が抜いた刀は透き通った青色の刀身をしており、普通の武器では無い事が見て分かります。
対戦相手の雷蔵は、その刀が何なのか知っている様で、源次と斬り合いながらも嬉しそうに語り始めました。
「名刀・青月刀、鬼狩りの刀をこの俺に向けるか源次!」
「お前にこれほど相応しい刀は無い!」
「それほどの実力がありながら、なぜ逃げた!」
「答えぬ!」
ドエムから見ても、源次と雷蔵はほぼ互角な戦い。雷蔵が時折夢世界スキルを使っても源次はそれを避け、怯む事なく前に出ていました。
するとレイシアが、
「あの程度のブレイバー、うちなら一捻りだけど助けた方がいいの?」
と、野盗から奪った斧を肩に乗せながらドエムに聞いてきます。
「ここは源次に任せよう。とにかく今は、ノアを探す事が先決だ。下のナポン達は身動きが取れなそうだし、僕達で探すしかない」
「そう。ダーリンに従うわ」
ドエムとレイシアは走り出します。何処かに居るであろうノアを探して、騒ぎに紛れて一つ一つの部屋を確認して回りました。
途中で遭遇した野党は、ドエムが手を出すまでもなく、レイシアがばっさばっさと斬り殺してしまいます。
敵襲により外が騒がしくなって来ている事に構う事なく、男は目の前の少女の裸体に興奮を覚えていました。
手足を縛られた少女の白く透き通った肌、輝く銀髪、恐怖に歪んだ表情。その全てが男に性欲を昂らせ、周りが見えなくなっていました。
「さっきから大人しいじゃねぇか。さぁ泣き叫んで俺を楽しませろ!」
男は少女の胸の膨らみに手を伸ばします。
部下が慌てた様子で入って来て、外の状況を伝えようとしますが、
「たかが武士の数人、雷蔵に任せておけば平気だろうが、黙ってろ」
と、聞く耳を持ちませんでした。
この時、汚らしい男に成す術なく身体を弄ばれる少女ノアは、初めての恥辱に涙を零していました。
それどころか今から自信が何をされようとしているのか理解が追いつかず、ノアにとってまるで現実味の無い夢世界にも見えています。秘部に触れられる度に身体に電撃が走ったかのように反応して、仰け反ってしまいます。
男の手が下の方に伸びて来た時、ノアにとって死よりも恐ろしいと思える恐怖が頭を過ぎります。
「いや……」
弱々しく言葉を発するノア。
「へへへ」
「やめて……お願い……」
「嫌がられると唆るのよ。楽しませてくれや」
目の前の男は、もはや性欲を解消する事しか頭にありません。
ノアは初めて人間の男が放つドス黒い感情を目の当たりにして、そこにある行き場の無い恐怖。胸に立ちのぼってくる煙のようなおそろしさは、次第に膨れ上がり、ノアの心を支配していきました。
この時、ノアに起きた異変を真っ先に感じたのは、少女の潤った裸体に我慢できず服を脱ぎ捨て始めた男でした。
まずノアの目が紫色の妖しい光を放ち、何とも言い難いオーラが少女の全身から沸き立っていたのです。
男の手が止まり、そしてノアは叫びます。
「いやあああああああああああ!!!!!!!」
彼女の一生で、これほど叫んだ事が無かったでしょう。
あまりの声量に男は思わず耳を塞ぎ、そしてノアの悲痛の叫びに乗って、負のオーラが拡散していきます。それは部屋の外へ外へ、戦闘が発生している野盗達の集落全土に響き渡ります。
戦闘をしていた誰もが思わず手を止め、この普通じゃない少女の叫び声に耳を傾けてしまうほどでした。
ドエムがノアの悲鳴が聞こえた方向に走り出します。
音に敏感なマルガレータは、この世の物とは思えない音に思わず耳を塞いで蹲っていました。それほどこの声は、良く無いものである事を物語っています。動けなくなったマルガレータを補助する為に、シャルロットとエオナが駆け寄ります。
しかしこの時、別の異変にいち早く気付いたのはナポンでした。
――――中央の吹き抜けにある広場、ここで準備されていた召喚儀式の為のホープストーンが、ノアの悲鳴に共鳴する様に光を放っていたのです。
(なんだ……?)
ナポンは再度確認しますが、まだ儀式を行う為の条件は揃っていません。しかし、召喚の前兆がそこにありました。
それどころか何か禍々しい澱んだ空気が、ホープストーンから溢れ出しています。空気が震え、何か良く無いものがそこから現れるかのような、嫌な予感がナポンの思考を支配します。
(壊さなければ!)
と、咄嗟にホープストーンに薙刀を振りかざすナポン――――
次の瞬間、ナポンは衝撃波によって吹き飛ばされ、壁に叩きつけられていました。
邪気を放つホープストーンが割れ、中からブレイバーが降臨してしまいます。
現れたのは、全身黒ずくめの装備で固められ、素顔を狐面で隠す白髪の女。そう、狭間領域で私を襲った狐面の彼女が、ノアの悲鳴に引き寄せられて現界してしまったのです。
その光景はノアの声が聞こえた方向に走るドエムやレイシアからも見えており、夢の世界で見た彼女の姿を見てドエムは思わず足を止めてしまいました。
もう一人、見覚えのある彼女の後ろ姿を見て、歓喜の感情を抱いていたスウェンがいます。
狐面の彼女の細く大人びた体格、そして何処か懐かしい後ろ姿を見て、スウェンは歩み寄りながら話し掛けていました。恐る恐る、希望を確かめるように、彼女の名を確かめました。
「キャシー? キャシーなのか?」
最初に話し掛けて来た男の声に、狐面の彼女は振り向き、スウェンを見ました。
「…………」
狐面の彼女は何も答えません。それどころか、スウェンの事は無視して、周囲の状況をじっくりと見回して確認していました。
スウェンはもう一度声を掛けます。
「キャシーなんだろ? 俺の事、覚えていないか?」
狐面の彼女はスウェンをもう一度見て、物言わずに近付き、彼の肩にポンと手を乗せたと思えば、上の方で驚きの表情で見ているドエムの姿を見つけて飛びました。
(夢で白いバグと戦ってた黒いブレイバー、なんでここに!?)
と、驚くドエムを他所に、空中浮遊した狐面の女は、ドエムの前で止まりました。
なぜか彼女は、ゆっくり、じっくりと、噛み締めるようにドエムのつま先から頭まで姿を凝視してきたと思えば、なぜか彼女の狐面の下から雫がポタポタと零れ落ちます。
ドエムの姿を見て、彼女は何か思う事があるのか、何も語らずにゆっくりと手を伸ばしてきます。
驚きと恐怖で動けないドエムの頬にゆっくりと触れる狐面の女。
それを黙って見ていられなかったレイシアが、
「ダーリンに触れるな!」
と、攻撃を仕掛けようとします。
しかし、狐面の彼女の背後を浮遊していた八本の刀が盾となり、レイシアを弾き返しました。
ドエムはこの時、恐ろしいはずの正体不明な彼女に、何処か懐かしい雰囲気を感じ取っていました。
(誰かわからない。でも、なんだろう……この懐かしい感じ……もしかしたら……)
やはり何も言わない狐面の彼女は、周りの邪魔者の攻撃を全て浮遊する刀で弾き返しており、ただただドエムに触れる時間を味わっているようでした。
自分に害が無く、禍々しさの中に残された優しさのような感覚を彼女に感じたドエムは、彼女に言います。
「僕は今、救いたい子がいるんだ。手伝ってほしい」
このドエムの発言によって、狐面の彼女は頷き、動き始めます。まるで空の魔女の様に空中浮遊したままゆっくりと移動を開始して、戦場の状況をじっくりと見定めていきます。
思わぬ味方が現れたと思い安堵の息を漏らしたドエムは、
「レイシア、行こう」
と、再び走り出しました。
異様な空気を放つ狐面の彼女、これから彼女が何をしようとしているのか、最初に察したのはナポンでした。
「全力で逃げろ! 巻き込まれるぞ!」
雷蔵と戦闘中だった源次にもナポンの声は届き、源次は咄嗟に逃走します。
ナポン、マルガレータ、シャルロット、エオナも逃走を開始。野盗共の追撃を振り切って戦線を離脱しました。
スウェンだけはその場から動かず、これから起きる彼女の蹂躙をその目に焼き付かせる事となりました。
狐面の彼女に寄り添うように浮遊していた赤模様の黒い刀が八本、その一本一本がまるで意思を持つかのように動き、周囲の敵対勢力を斬ります。その動きは鉄砲玉の如く俊敏で、そして的確でした。
地面に足をつける事なくゆっくり移動する彼女本人も、片手には同じ赤模様の身の丈より長い刀を持っていますが、それが軽く一太刀振るわれるだけで、斬撃波が発生し、人間が豆腐のように切断されました。
始まったのは戦闘ではなく殺戮。その場にいる全ての野盗共を皆殺しにする黒い刃。敵である彼らのほとんどは、自分達が何をされているのか理解が及ぶ前に体を細切れにされていきました。
血の雨が降り注ぎ、血の川が流れ、先ほどまで召喚儀式が行われていた吹き抜けの広間に真っ赤な血の海が広がります。
先ほどまで源次と死闘を行っていた雷蔵は、一目で格上の相手である事を見抜き、武者震いします。
そんな圧倒的な存在を対し、雷蔵は背後から攻撃を仕掛けるも、次の瞬間には肉片と化して地面に転がっていました。この国で歴戦の猛者であったブレイバー雷蔵に夢世界スキルを出す隙すら与えず、それどころか彼女に対戦相手として認識されるより前に決着してしまいました。
一旦その場から離れたナポンでしたが、状況把握の為に身を隠しながら現場を覗き込み、その光景に驚愕しました。
(アレが召喚された武士? 人の形をした邪神の間違いじゃないのか)
狐面の彼女が蹂躙する姿は、まるで黒い空の魔女。乱戦極めた戦場をたった一人で血の海にする事で鎮め、数十人は集まっていたであろく野盗の男共のほとんどが狩り尽くされていました。
狐面がゆっくりとナポンを見て来た為、思わずナポンは震え、冷や汗が湧き出します。が、狐面の彼女は誰が敵で誰が味方なのか判別はできているようで、特に攻撃を仕掛けてくる事はありませんでした。
血の海で血の雨を浴びていたスウェンは、その神にも等しい存在を見上げ、歓喜の声を上げます、
「凄いじゃないかキャシー! 戻って来てくれたんだな!」
キャシーと呼ばれた狐面の彼女は、粗方の敵勢力を排除し終え、ゆっくりとスウェンの元へと降下。手に氷の剣を召喚して、スウェンにそれを見せました。
そう、キャシーは氷を自在に操る者でした。つまり、言葉を発さずに自信がキャシーである事の証明として、氷の剣をスウェンに見せたのです。
すると生き残っていた野盗の男が一人、広間の隅で腰を抜かして怯えているのが見えたので、狐面の彼女は氷の剣を飛ばして男の顔面に突き刺しました。
そんな残酷無比な彼女へ、スウェンは嬉しそうに話し掛けます。
「お前はいつだって俺のピンチに駆け付けてくれるな」
そう言われてもキャシーはやはり何も言葉は発する事なく、浮遊する黒い刀を頭上でくるくると回転させて戦いで付着した血糊を振り払いました。
一方で、外の騒ぎが急に静まり返った頃、ドエムとレイシアはノアが今正に大男に犯されそうになっている現場へと到着していました。
ドエムは躊躇する事なく、男の背後から杖で頭に強打を与えます。凄まじい衝撃が発生し、恐らく野盗のリーダーであろう男は素っ裸のまま壁に叩き付けられます。この時、ドエムの特殊な杖で殴られた時点で、人間である彼は首の骨は折れ、脳に致命的な損傷を与えた事で即死したと思われます。
全裸の大男は、そのまま人形のように動く事はありませんでした。
「ノア! 助けに来たよ!」
と、ドエムが語り掛けるも、ノアの目は光を失い放心状態で反応がありません。
その横でレイシアは服を剥がれ霰も無い姿にされている少女ノアを見て、じんじんと音を立てて湧き上がる怒りを募らせていました。彼女は自身が経験した境遇と現在のノアの状態を重ね、人間の男に対する憎悪を沸き立たせたのです。
そんなレイシアが次に取った行動は、ノアを助けるのではなく、壁際で死亡している大男の裸体を切り刻む行為でした。手に持っていた斧で、何度も、何度も、何度も、男を斬って虐げられた少女の無念を晴らしたのでした。
普段ならそんな行き過ぎた彼女を止めるドエムでしたが、今回ばかりはそうしませんでした。
ドエムはノアの手足を縛る縄を切り、自身のローブを脱いでノアを包み持ち上げます。
「もう大丈夫だよノア。ここから逃げよう」
と、ドエムは放心状態の彼女に優しく語り掛けながら移動を開始します。
「レイシア!」
ドエムに呼ばれ、返り血で汚れたレイシアは死体斬りを中断して、ドエムの後を追いました。
精神的に弱っているノアを抱えたドエムと、返り血で血だらけになったレイシアの二人は部屋から出て吹き抜けの広間が見下ろせる場所で足を止めました。
先ほどまであんなに騒がしかった場所が妙に濃く煮つまった静けさとなっており、至る所に死体が転がっている現場がありました。広間の中央が血で真っ赤に染まっていて、その中央で狐面で顔を隠した黒の女キャシーが佇んでいました。
(これを……あのブレイバーがやったの?)
ドエムは自身がやってしまった事の重大さに気付き、彼女に手伝ってほしいと言葉を掛けた自分の選択が間違っていたかもしれないと後悔の念が押し寄せます。同時に、恐怖で手が震えていました。
隣にいる殺人狂のレイシアですら、この光景には言葉を失っています。
一時は戦線を離脱したナポン、マルガレータ、シャルロット、エオナ、そして源次もその場に恐る恐る戻って来ているのも見えました。
全員が彼女に恐怖を感じ警戒している中、それを感じ取ったキャシーは再びドエムの方に面を向けてきましたが、すぐにキャシーはその場を去るという決断を取ります。
キャシーは再び浮遊して、浮遊する八本の刀と共に上昇を開始。
去り行こうとするキャシーに対し誰も声を掛ける事が出来ない中、スウェンだけが呼び止めていました。
「キャシー! 俺も連れてってくれ!」
と、スウェンはキャシーを呼び止めます。
キャシーは振り返り、スウェンを見てしばらく静止した後、ゆっくりと手を伸ばして降下。
スウェンはキャシーの差し伸べられた手を握りしめ、キャシーはそのまま上昇を開始したので、ドエムが叫びます。
「スウェン! 何処に行くんだ!」
「悪いがここからは別行動をさせてもらう。サイカ探しはお前たちに任せた!」
そう言い残し、スウェンはキャシーと共に空の彼方へと見えなくなってしまいました。
スウェンの本来の目的は消えたキャシーの復活と再会にありました。彼にとってのサイカ探しは物のついでだったのです。つまりキャシーと思しきブレイバーに再会した今、スウェンは次の計画に向けて動く為にドエム達とは別行動するという決断をしたのです。
状況を黙って見届けたナポンは、一旦全員を一箇所に集め、ノアの様子を窺いながら言います。
「天瀬様の元に急ごう。管理者と名乗った怪しい男、そしてあの狐面の女……これはあたいの勘だけど、何か良くない事がこの国で起きようとしている。この事を早く報告しなければ」
すると源次が、
「俺も天瀬様に会わせてくれないか」
と、ナポンに聞いていました。
「源次と言ったか。人間でありながら武士とまともに戦える腕は良し。しかし貴殿は何者だ? あたい達に同行するのであれば、まずは信用足り得る情報を教えてはくれないか」
「それは……」
「今はいい。まずはここから出よう。ここは血生臭い。行けるな?」
と、ナポンは武器を納め歩き出したので、皆もそれに続きました。
一方その頃、遠く離れたヤマトの忍びの里でも戦闘が発生していました。
その要因となったのはバストラと名乗る男が、また別の人間の姿に変わって襲撃していたのです。
ヤマトの忍びと呼ばれる彼らは、各地の大名に召し抱えられ敵勢力への侵入、放火、破壊、夜討、待ち伏せ、情報収集などを得意とする集団。
闇夜に紛れる装束を着て、優れた戦闘能力と連携力がある人間ですが、常人離れした能力を有するバストラを止める事はできませんでした。
多くの忍びが敗れ、忍びの頭領が構える屋敷へとバストラは足を踏み入れます。
この里の年長者でもある頭領の男は、何者かに襲撃を受けているというのに至って冷静であり、座に座ったままバストラを迎え入れました。
まだ生き残っている忍び達に包囲されながらも悠々と歩み寄ってくるバストラに対し、頭領は言葉を掛けます。
「我らの里に何用かな」
「ジャパニーズニンジャはきっとキミ達みたいな存在だったのかもね」
「何の事だ」
「別に遊びで皆殺しに来たって訳じゃないんだ。ちょっとボクに協力して欲しいと思ってね」
「協力だと? 我らが、貴様にか? 笑わせてくれる」
「……天瀬が抱えるサイカの秘密をボクは知っている。サイカという言葉に聞き覚えがあるだろう?」
サイカという言葉に、頭領の眉が動きました。
「サイカの何を知っている」
「それを知るには何をすべきか……頭の良いキミなら分かるよね?」
「ふむ……話を聞こうではないか」
そう言い、頭領が合図をすると、包囲していた忍び達は音も無く影に消えました。
ここヤマトという戦国で諜報員として活躍する彼ら忍びが、バストラが発した『サイカ』という名称に興味を示し、彼らにとって異色の襲撃者の話に耳を傾ける切っ掛けとなったのでした。
【解説】
◆ヤマトにおける武士召喚
ホープストーン(ヤマトでは魔晶石と呼ばれる)を使った儀式は、五芒星の陣を描き行われている。ヤマトの召喚儀式は、どうやら海外のブレイバー召喚儀式とは似て非なるもののようだ。
この国では大名家による武士召喚は盛んに行われているが、国を治める帝の許可無しでは行ってはいけない行為とされている。
武士召喚を専門とする召喚師と呼ばれる職人がおり、儀式には彼らの立ち会いが必要不可欠である。
しかし、此度の野盗達はそれを無視し、独自に召喚儀式を行おうとしていた。
◆天瀬の鐡姫・ナポン
天瀬家の武士として名が知られているナポンは、家臣としての忠誠心が厚く、国の秩序を重んじる。
数々の戦場で活躍した武士として、鐡姫の名を知らぬ者がいないほどの実力者。しばらく国外にいた事もあり、野盗達は鐡姫の登場に仰天していた。
◆武士・雷蔵
野盗化した落武者集団の中で、雷蔵と呼ばれる武士がいた。
源次と因縁のある相手で、源次の事を「戦から逃げた臆病者」と批難する。
そんな源次と死闘を繰り広げていたが、乱入した狐面の彼女・キャシーによって瞬殺されてしまう。
◆野盗の親分
図体が大きい大男で、雷蔵と部下達を従えて新たな武士を召喚する計画を進行中であった。
その最中、部下が攫って来た銀の姫・ノアを前に、溜まった性欲を発散するため強姦しようとしていた。
彼は性欲で周りが見えておらず、結果としてドエムの不意打ちによる一撃で即死。さらに激怒したレイシアによって過剰な死体斬りをされ、無惨な死に様となった。
◆狐面の彼女・キャシー
大人びた体格に短い白髪、宙を舞う八本の赤模様黒刀を自在に操り、自らも長い赤模様黒刀を手にしている。
ノアから発せられた負の波動に共鳴するように限界した彼女は、ドエムの願いを聞き入れ、その場にいた野盗を瞬く間に殲滅した。
周囲を圧倒する空の魔女にも似た戦闘力は、ナポンが「人の形をした邪神」と警戒するほどの威圧感があった。
又、一言も言葉を発さず顔を狐面で隠している謎めいた女だが、スウェンは彼女が行方不明となっていたキャシーであると信じ、去り行く彼女に同行する決断に至った。




