12.プレイヤーキラー
世界をパ二ックにさせた様々なシステムトラブル騒ぎは、翌日には解決して、すっかりといつもと同じ日常が戻っていた。
原因が最近話題の新種コンピュータウィルスのサマエルであったと、多くの二ュースが報道していた。
このウイルスは何なのかと、連日連夜テレビや二ュースで議論や説明が行われている。
飯村彩乃は仕事帰りの電車の中で、イヤホンを付けスマートフォンでゲーム実況動画【WOA実況プレイ ゼネティアからローアルを目指す旅】を視聴していた。
彩乃がワールドオブアドベンチャーを始めて、今正にお世話になっているゼネティアと言う大きな首都。この実況者はそんなゼネティアを飛び出し、まだ見ぬローアルと言う首都を目指す旅をしている。初心者の彩乃にとっても楽しみの一つであった。
最新パートは現在行われているイベント、首都対抗戦の為に用意されたレッドエリアを通過しようとしたら、見事に戦争中の他プレイヤー集団に見つかり逃げ回ると言うハラハラドキドキの展開であった。
彩乃はそれを見て、ワールドオブアドベンチャーにもまだまだ知らない世界があると言う事を再認識すると同時に、自分の先輩である明月琢磨もこれに参加している事を思い出した。
彩乃は家に帰り、玄関を開けると、
「ただいま〜」
と家族に聞こえる様に声を出す。返事は無かったが、リビングに入ると彩乃の母親がキッチンで皿洗いをしていた。
「あら、今日は早いのね。ご飯出来てるわよ」
テーブルを見ると、家族四人分の料理が並べられており、弟の飯村武流はスマホを片手にご飯を食べている所であった。
「武流、行儀悪い」
彩乃は注意しながら自分の席に座る。
「うっせ」
と武流が返してきたが、彩乃はそれを無視して母親に話しかける。
「お父さんは?」
「残業で帰り遅くなるって」
「そっか」
彩乃はそう言うと、置かれていた自分の箸を手に取り両手を合わせる。
「いただきます」
今晩は豚の生姜焼きである。
ご飯を黙々と食べていると、リビングで付けっ放しのテレビでワールドオブアドベンチャーのCMが流れ、ついそちらに目が言ってしまった彩乃。
『無限の可能性を探すMMORPG。さぁ、貴方の奇跡がここに始まる』
それを一緒に見入っていた武流が、思い出したかの様に口を開いた。
「そう言えば姉ちゃん。ワールドオブアドベンチャー始めたんだっけ」
「うん、始めたよ」
と彩乃は再び目線を料理に戻し箸を動かす。
「種族と職業は?」
「えーっと、亜人の盗賊」
「はぁ? 亜人? しかも盗賊ぅ?」
「なによ」
「姉ちゃん、亜人はやめとけって。しかも盗賊なんてパーティーに入れて貰えなくなるよ。せめて、盗賊なら獣人とかにした方がさぁ」
「別に何だっていいでしょ。可愛かったんだから」
呆れ顔になった武流は、何かを言い掛けたがそれを止め、別の質問を投げる。
「まぁいいや、んで、ゼネティアにまだいるの?」
「うん。ゼネティア周辺でスライム倒したり、コボルト倒したり……あっ!もしかしてゲームで武流に会えたりするの?」
「無理無理。俺、今はアジェスって首都にいるから。全然無理」
「どこそれ?」
「分かりやすく言えば、ゼネティアが東京だとすると、アジェスは九州の熊本だな」
「はぁ!? 確か地形とかは全然違うけど、広さは現実世界相当なんだよね。なんでそんな遠くに」
「五年もやってりゃね。次はもっと遠く、海外勢の方まで旅しようかって話を仲間としてるところだからさ。ちなみに一つの首都に長く留まってるプレイヤーを固着勢、旅をしてる奴を放浪勢とも言うんだぜ。その中でもガチ勢とエンジョイ勢がーー」
「あーそう言うのいいから。純粋にゲームを楽しむ心を汚さないで」
「ふん」
武流は不満そうな顔をしてスマホの画面を見て、指で操作する。
弟との会話が終わったので、ご飯を食べる事に集中する彩乃。そこにキッチンの片付けを終わらせた母親がやって来る。
「なに、彩乃までゲームゲームって。そんな事より仕事の方はどうなの? 学生時代、ああだこうだって、ろくにアルバイト続かなかったあんたが、新卒で正社員の厳しい世界で長続きできるとは思えないけどね」
「母さん、大丈夫だよー。たぶん」
そう言いながら彩乃は、今日仕事の事務処理でミスをして同じ部署の先輩に怒られ、平謝りした事を思い出し苦笑いとなってしまったが、母に心配はかけまいと黙っておく事にした。
彩乃は晩御飯を食べ終わり、自分の部屋に戻ると、ベットの上に放り投げていたビジネスバッグからスマートフォンを取り出す。
琢磨にメッセージを送ろうと途中まで入力をしたが、思い留まりメッセージを消す。
そして時計を見て二十一時である事を確認すると、
「三時間ってところかな」
と買ったばかりであるパソコンの電源を入れ、ワールドオブアドベンチャーを起動する。
IDとパスワードを入力して、ログインすると彩乃が作ったアヤノと言うキャラクターが表示されローディング画面となった。
✳︎
アヤノはログインすると、首都ゼネティアの噴水前に立っていた。現実と同じく夜で、町の灯りが幻想的に辺りの建物を照らしている。
サイカと一緒に遊び、ワタアメさんと言う獣人に会ってから3日経つが、あれから一度もサイカとは会ってすらいない。
ただアヤノには友達が出来た。町からはそう離れず、初心者向けの手頃なモンスターを狩っていた時に、同じ初心者プレイヤーのシロと知り合ったのだ。
早速、アヤノはまだ二人しか登録されていないフレンドリストを開き、確認するとサイカもシロもログイン状態であった。
シロとの待ち合わせは首都ゼネティアの交流広場のゴブリン像前。アヤノは先に到着したので、周りのプレイヤー達を観察する。
普段はモンスターやダンジョンについての話題で盛り上がっているこの場所も、やはり首都対抗戦の期間中である為か、皆慌しく東西南北の砦周辺、レッドエリア内の情報が活発に交換されている。
そこに駆け寄ってくきたのは、小人族のシロだった。
「ごめん待った?」
「こんばんは。大丈夫だよ」
そう言うシロは、金髪で非常に背が小さい少年キャラ。職業は商人。
合流したアヤノとシロは交流広場を後にすると、市場通りで売られているアイテムを見て回り必要な物を買い揃える。
そしてクエスト案内所で、モンスター討伐系の依頼を探す事にした。
アヤノはNPCに話し掛け表示された依頼リストを閲覧していると、初めて見るクエストに目が止まる。
「砦への物資調達?」
「ほら、今行われてる首都対抗戦の拠点である砦に消耗アイテムを運ぶんだよ」
「えっ!? それってレッドエリアに入るって事だよね」
「今回の首都対抗戦って言うイベントは、結果と貢献度で全員が報酬が貰えるんだけどさ。僕たちみたいな低レベル帯はこれくらいしか、貢献度稼ぐ方法がないみたい。だから僕も興味本位で受けたけど、砦に辿り着く前にプレイヤーに襲われて散々だったよ」
「私よりレベル低いのにそんな事やったの?」
アヤノはレベル十九、シロはレベル十五である。
「アイテム運ぶだけなら何とかなるかなって」
「まあでも、いい事だよね。挑戦してみるって大事だと思う」
と言いながらも、一つの依頼を見つけ、
「とりあえず今回はゴブリン退治にしよっか」
と依頼を受けた。
「えっと、ゴブリン退治……これか」
シロも合わせて同じ依頼を受ける。
二人はクエスト案内所を後にすると、アヤノが早速地図を開き、ゴブリンの生息地を確認した。
「えっと、さっき買ったマッピング情報だと、今ゴブリン村が東門から出て十キロくらいの山岳地帯にあるってなってるね」
「うわ。結構遠いな」
「馬借りよう!」
アヤノは先日のサイカの案内も有り、このゼネティアの町の事は大体理解できていた。
シロを連れて東門まで歩き、門の近くにある馬宿に立ち寄るも、アヤノはその料金を見て驚愕した。
「百万ゴールド!? 嘘でしょ何これ」
無事に馬を返すと五十万ゴールド返却となっているものの、アヤノの現在の手持ちは二十万ゴールド。とても払える金額ではなかった。
「僕はギリギリだな」
「えっ!? そんな持ってるの!?」
意外なシロの発言に更に驚くアヤノであった。
「だってほら、これでも商人だから」
「それでも私よりもレベル低いのにさぁ。なんか納得いかないなぁ」
「へへ。ほらあそこ!」
とシロが馬宿の反対側を指差す。
見るとそこには、四頭の馬とそれに繋がれた馬車が停まっており、その横にNPCの男性と時刻表が記載された看板が見える。
早速二人は駆け寄りNPCに話しかけた。
『いらっしゃい。シュリンダ村までの定期便だよ。次は二十一時三十分の出発だ。料金は五千ゴールド。乗ってくかい?』
アヤノは再び地図を開くと、シュリンダ村を確認する。ゼネティアの東門から街道沿いに進み、約三十キロ程の所に村はあった。途中でゴブリン村があるとされる所も通る。
「ねえシロ。確か馬車って好きなタイミングで降りられるんだよね」
「確かそのはずだよ」
「三分後に出発かぁ。丁度いい、これに乗ろうシロ!」
二人はそれぞれNPCにゴールドを払い同じ馬車に乗った。
やがて馬車は出発する。
アヤノとシロ以外にも一人プレイヤーが乗っており、右目に眼帯を付け全身黒い軽装装備に身を包んだ人間の男性キャラクター。名前はシャーク、レベルは九十と言う事が確認できる。
「こんにちはー」
揺れる馬車の中で礼儀正しく挨拶するアヤノ。
「こん」
と返して来たが、そのまま何か話が続く訳でもなく、気まずい雰囲気となってしまった。
よく見ると、シャークの頭上にある名前表示が通常は白いはずなのに、橙色である事にアヤノは気付く。
だが、その名前の色が何を意味しているのかをアヤノやシロは知らない。
シロがアヤノに話を振る。
「えっと、ゴブリンって確かレベル十五前後位のモンスターだよね」
「ちょっと待ってね。今スマホで調べて見る」
アヤノはしばらく固まったあと、
「そうみたい。キングゴブリンってボスはレベル五十だから初心者は気を付けろだって」
と動き出した。
「ボスいるのかぁ。なんかワクワクしてきた!」
「あ、ごめんちょっと親フラ。離席するね」
と、唐突に今度はシロが固まった。
そんな二人の会話を聞いていたシャークが問いかけてきた。
「お前たち、ゴブリン村に行くのか」
「あ、はい。そうなんです」
そうアヤノが答えると、シャークは舐める様にアヤノの装備を見て初心者でもある事を悟る。
「ゴブリンリーダーって奴を筆頭に四〜六匹群れで行動してる事が多い。お前たちはそれではなく、単独で逸れているゴブリンを狙うといいぞ」
「へぇーなるほど。他にも何かあります?」
「ゴブリンはゴブリンでも剣持ってる奴とか弓持ってる奴とか、色々いるから、それぞれの攻撃パターンをよく見て覚えろ。何と戦うにしても、そうやってここでは強くなっていく」
「か、かっこいい!」
目をキラキラと輝かせて教えを聞くアヤノに、気持ち良くなったシャークはゴブリンの事について語る事となった。
結局、目的地であるゴブリン村に到着するギリギリまでシロは離席から戻って来なかったが、
「ただいま〜」
と何事もなかったかの様に動き出す。
「えっと、シャークさん。色々と教えてくれてありがとうございました!」
アヤノはそう言うと、シロと一緒に馬車を降りる。
「気を付けろよ。可愛い初心者さん」
不敵な笑みを浮かべるシャークを乗せたまま、馬車は止まることなく先に進んでいった。
馬車を見送りながら、一切シャークと絡む事は無かったシロはサイカに問いかける。
「あの人と何話してたの?」
「ゴブリンについて色々と教えてくれたよ。良い人だね。さ、行こっ」
「ふ〜ん」
シロは先程のシャークと言う眼帯男に対して何か嫌な予感を感じていたが、アヤノには何も言わなかった。
二人がゴブリン村と呼ばれる山岳地帯にやってくると、そこは廃墟の町といった雰囲気で廃れた家が多く、それでいてゴブリン達が手に持つ松明や至る所にある焚き火で夜空の下で赤く照らされている。
だがゴブリン達は既に何かと戦っており、廃墟の町に作られたゴブリン村は騒ぎとなっていた。
よく見ると、既に複数のプレイヤーがゴブリンを狩っているのが見える。
「先客がいるのかー。見たところ、二パーティーいるね」
シロが言う通り、レベル四十台の四人パーティーが一つ、レベル三十台の六人パーティーが一つ、それぞれ離れた場所でゴブリン達を一網打尽にしている光景がそこにあった。
とは言えゴブリンはレベル十五前後、彼らがレベル上げ目的で倒す様なモンスターでは無い。
「もしかしてボス狙いかな」
とアヤノ。
「だろうね。僕たちは邪魔にならない様に隅の方で狩りしようか」
シロはそう言うと、ゴブリン村へと足を踏み入れる。アヤノも後に続いた。
シャークの話によれば、一定以上のゴブリンが倒されると、ボスモンスターであるキングゴブリンが三十分だけ姿を現し、村の中にいるプレイヤーに容赦無く襲い掛かってくるらしい。
このワールドオブアドベンチャーには、モンスターにも視界と言う概念があり、ゴブリンの視界に入らなければ攻撃はしてこない。
建物も多く、遮蔽物が豊富な為、アヤノとシロは隠れながら独立しているゴブリンを探す。
それはすぐに見つかり、廃墟の建物の中で短剣を持ったゴブリンが一匹。アヤノは足音を立てないスキル《ス二ーク》を発動して素早く背後を取ると、短剣で一突き。盗賊のパッシブスキル《バックスタブ》の効果でクリティカルヒットとなり、ゴブリンは倒れ消滅する。
そのままアヤノは近くにあった階段を駆け上がって行く。
商人のシロは消滅したゴブリンからドロップしたアイテムを掻き集め、アヤノの後を追った。
建物が面した通路でゴブリンが二匹、何やら話をしている。
そこに、二階の窓から飛び出たアヤノが落ちながら一匹のゴブリンの頭に短剣を刺し、あっと言う間に倒す。それに気付き、驚きながらも剣を構えたもう一匹のゴブリンとアヤノが対峙した。
アヤノはゴブリンの攻撃を避け、反撃で蹴りをお見舞いすると、ゴブリンが怯む。そしてスキル《スティール》を使用して、ちゃっかりアイテムを盗みつつも短剣で斬る。
だがゴブリンは倒れない。
立て直したゴブリンが剣を振り再度攻撃をしてきた為、アヤノは短剣でそれをガードする。
そこに横から石が飛んできて、ゴブリンの頭に当たる。再び怯んだゴブリンにアヤノが短剣で斬る。ゴブリンは倒れた。
石が飛んできた方を見ると、建物の二階、アヤノが飛び出てきた窓に石を持ったシロがいた。シロはスキル《石投げ》を使ったのだ。
そんな調子でゴブリン狩りを続けるアヤノとシロ。
盗賊のアヤノが率先してゴブリンを倒し、アヤノよりも五倍アイテムを所持する事ができる商人のシロはドロップアイテムを拾いつつ、ポーションを使用してアヤノを回復する役割だ。
二人はすぐにゴブリンとの戦い方を身に付け、同時に三体相手にしても勝てる程になった。クエスト案内所で受けたゴブリン討伐の数は三十体、二十分程度でそれを達成してしまう。
それから約一時間程、ゴブリン狩りを続けた所でアヤノは周囲にゴブリンがいなくなった事を確認する。
「今日はこの辺にして引き上げようか」
そう言いながら満足気な表情で、短剣を収め座るアヤノ。
「そうだね。丁度収集品もいっぱいになったし」
「レベルも一上がった!シロも三くらい上がってたよね」
「うん。時給三百Kって所かな」
「時給? なにそれ」
「あー、うん。経験値を一時間あたりどれくらい稼げたかって計算だよ。そう言うのやらない?」
「やらないやらない。なんかバイトみたいだね。それで、三百Kって?」
「えっと、三十万って事。ちなみに百万は一Mだよ」
「へー。そんなの全然知らなかった。やっぱりシロってこう言うゲーム慣れてるんだ」
「ワールドオブアドベンチャー始める前は、ラグナレクオンラインってゲームを長い事やってたからね。でもその時とは規模が全然違うから驚いてる」
「確かにねぇ。テレポートの類は無くて、移動手段が現実的って言うのも……あっ、嫌な事思い出しちゃった」
「なに?」
「来る時は馬車で来ちゃったから、帰りは歩きじゃん」
「あ……」
二人がそんな会話をしていると、
「ウオオオオン!!」
と言う雄叫びがゴブリン村に響き渡り、アヤノは慌てて立ち上がる。
「なにっ!?」
「ボスが出たんだ。きっとキングゴブリンだよ!」
「ボス戦!さっきのパーティーかな?見にいこうよ!」
「え、でも危ないんじゃ……」
「少し離れた建物の上からこっそり見れば大丈夫でしょ!」
そんなアヤノの提案により、二人はキングゴブリンとのボス戦が行われる村の中央までやって来た。
先ほどの雄叫びは集合の合図の様なものだったらしく、付近のゴブリンも中央に向かって走っているのを見かける。
二人は三階建ての廃墟に入り、崩れかけた階段を登り、屋上まで出ると縁石の陰に隠れる。
見ると、二つのパーティーが一つのパーティーとなり、総勢十名のプレイヤーが既にキングゴブリンと壮絶な戦いを繰り広げていた。
特徴的なのは、キングゴブリンの周りにはゴブリンが取り巻きの様に沢山いるせいで、近付くことに苦労してるようだ。
魔法や矢でその取り巻きを削りつつ、タンカーと呼ばれる重装備の者がキングゴブリンに攻撃を仕掛ける。
タンカーは挑発スキルなどを駆使して、より多くのゴブリンを引き受け、そしてアタッカーが攻撃を仕掛ける。その後ろで、ヒーラーが忙しなく魔法を唱えている。
そんなボスとの激しい戦いを、このゲームで初めて目の当たりにしたアヤノとシロ。
アヤノは目を輝かせていた。
「これがボス戦……」
アヤノは幼い頃、毎週日曜日の朝にやっていた魔法少女のア二メが大好きで、自分もいつかはあんな風に仲間と協力して、悪を倒す様な事を出来ると本気で思っていた。大人になるにつれ失われ忘れ去られた夢だ。
そんなアヤノの横で、シロが解説をする。
「基本的なボスとの戦い方ってやっぱりこのゲームでも一緒なんだ。それに、さすがボスなだけあって、あれだけ攻撃されてもHPが全然減ってない」
シロの声はアヤノには届いておらず、アヤノは目の前で繰り広げられるドラマの様なボス戦に夢中になっていた。
キングゴブリンは数で圧倒するタイプのボスで、次々とゴブリンを呼んでは、ゴブリンに攻撃力増加の効果を付与してプレイヤーを襲わせる。HPが減れば減るほどその頻度は増していく為、十人のプレイヤーはそれに苦戦を強いられていた。キングゴブリンはほとんどその場所を動いていない。
「ねえシロ、私たちで何かできないかな」
「無理だよ! レベル四十代の人達が苦戦してるのに! それに、下手に手を出すと横取りか何かだと間違われる可能性がある」
「でも……」
「これはゲームであって、あの戦いは生死を賭けた戦いって訳じゃないんだ。だから無理に人助けしようとか、そう言うのは却って迷惑になる事がある」
そのシロの説明にアヤノは納得するが、これはゲームであると言う現実を前に、魔法少女にはなれないと悟った時の幼き自分と似た感覚を味わっていた。
平凡な家庭で、不自由無く平凡に育った現実の彩乃は、何処かこのワールドオブアドベンチャーのアヤノと言う自分に刺激を求めていた。
自分じゃない自分を目指していた。
悔しそうにボス戦の行く末をしばし黙って見つめるアヤノ。
すると再びシロが口を開く。
「キングゴブリンを守る取り巻きゴブリンは三十体、どうやら十体以下になると短い詠唱の後に三十体まで強制召喚してるね。それでいてこのゴブリン村のリポップしたゴブリンが、この場に呼び寄せられているから囲まれてしまう。それに、あのキングゴブリンが付近のゴブリンに掛ける攻撃力増加魔法も5倍くらい上がってるみたいだから、相当厄介だ」
「シロって参謀タイプ?」
クスッと笑うアヤノ。
「攻略サイトとか見るよりも、自分の目で見て学んで行くのが好きなんだ。それに、いつか僕たちのレベル上がったら戦う事になるかもしれないから」
「そうだね。うん。いつか一緒にキングゴブリンと……ううん、ボスと、戦ってみたいね」
そんな会話をしているとボス戦もいよいよ大詰めになり、キングゴブリンのHPは九割が削られている。
プレイヤー側は十人いたパーティーだが、八人になっていた。アタッカーが二人ほど倒されてしまった様だ。
後方でアタッカーの一人である魔法使いが、長い詠唱を始める。
それに合わせる様にタンカーの一人が後退。魔法使いを護衛を始め、魔法使い周辺のゴブリンを引き受ける。
詠唱に反応して遠くから矢を放とうとするゴブリンを、同じく弓を使うアタッカーが狙撃して阻止する。
そこで身の危険を察知したキングゴブリンは、自分の取り巻きである数十体のゴブリンを、詠唱中の魔法使いに向け一斉突撃させた。
たが前衛職の面々がその間に入り、その突撃を阻止する。
そして魔法使いの詠唱が完了すると、他のプレイヤー達は一斉にその射線上から退避していく。
大魔法スキル、《ヘルフレア》が発動された。
地獄の業火、真っ赤な炎の波が放たれ、その波はゴブリン諸共キングゴブリンを喰らう。
残り僅かだったキングゴブリンのHPバーは無くなり、キングゴブリンは倒れ消滅した。
静けさが通り過ぎ、そして一気に歓喜の声が上がる。そんな中、周囲に集まっていた無数のゴブリンは撤退して行った。
「凄い。これがこのゲームのボス戦なんだ」
とアヤノ。
「良いもの見れたね。さぁ僕たちはゼネティアに帰ろう」
「うん」
勇敢なプレイヤー達が、キングゴブリンに勝利した事を遠くから見届けたアヤノとシロは、満足感に浸りながらその場を離れようとした。
パチパチパチと、夜空に響く一つの拍手。
思わずアヤノとシロは振り返った。
見ると、キングゴブリンを倒した八人のプレイヤー達も、その拍手の音がした方向を見上げていた。アヤノやシロがいる建物とは反対側、八人のプレイヤー挟んだ向こう側の建物の屋上に人影があった。どうやらそれが拍手の主だ。
アヤノはその人物を見て驚く。馬車の中で話した、眼帯が特徴的なシャークと言う男キャラクターがそこに立っていたからだ。
シャークは楽しそうな笑みを見せ、しばらく拍手を続け注目を集めた所で口を開く。
「おめでとう。ついにキングゴブリンを倒したか。本当におめでとう」
そう言いながら、背中に背負った大剣を手に取り、片手で軽々と持つと、縁石に片足を乗せ、そして八人のプレイヤーを見下し、話を続けた。
シャークの名前が橙色になっている事から察したプレイヤーもおり、八人はどよめいた。
「いいねぇ、その動揺。初々しくて涙が出そうだ。解った奴もいるみたいだが、今のキングゴブリンは前哨戦。所謂中ボスだ。そして、この俺様が真のボス。オーケー?」
ふざけた口調で話すシャークに怒りを覚えたプレイヤーの一人が声を上げる。
「ふざけるな! 何がボスだ! お前プレイヤーキラーだろ!」
「首都対抗戦イベントをやってる間は、ほとんどの上級プレイヤーは砦に付きっきりににってくれるおかげで、俺みたいな奴も活動しやすくなっててな。どうせお前たちは対人戦には興味ない対人装備も無い、甘ったれた狩り専なんだろ?」
先ほど大魔法でキングゴブリンに止めを刺した魔法使いが、
「だからなに? この人数差で私たちに勝てるの?」
と強がって見せた。
「威勢が良いねキミ。まあお喋りはこの辺にしといて、さっさと始めるか。真のボス戦って奴を。お前らの内、誰かが動いたら戦闘開始だ。逃げてもいいぜ」
シャークはふてぶてしい笑い顔になる。
そんなやり取りを見ていたアヤノとシロ。
「ねぇ、プレイヤーキラーって悪者なの?」
とアヤノがシロに問う。
「僕が前にやってたゲームでは、そんなシステム自体無かったから何とも言えないけど、あの様子じゃ嫌われ者である事は間違いないよ。今調べて見たんだけど、このWOAでは首都の周辺ははセーフゾーンと言って他プレイヤーを攻撃できないけど、それよりも外は出来るみたい。プレイヤーをキルすると倒したプレイヤーのデスペナルティ分の経験値が貰えて、僅かな確率で装備を奪えるみたい。その代わり一週間は名前が赤くなって、首都への出入りが出来なくなる。一週間が過ぎると制限は解除されるけど、汚名として名前はオレンジ色になるみたいだね」
「町でもたまに見かけたな名前がオレンジ色の人……」
「でも戦うのは無茶だ。さっきあのシャークって人が言ってた様に、たぶん彼らは対人装備じゃ無い」
「対人装備って?」
「プレイヤーと戦う事に特化した効果を持つ装備の事だよ。たぶんあの人はバリバリの対人装備を付けてるはず。それにいくら人数差があるとは言え、レベル差が圧倒的だ。どう見ても勝ち目は無い」
シロも察している様に、キングゴブリンを倒した彼らもそれはよく解っていた。周りには聞こえないパーティー会話で話し合いをすると、どうやらこの場から逃げる事に決めた様で、八人は一斉にログアウトの動作を始める。
だが市街地以外、フィールドやダンジョン等のログアウトには三十秒と言う長い時間が掛かる。
「んだよ。戦うでもなく、走って逃げるでもなく、ログアウトだ? 俺を舐めてんじゃねぇぞ」
と、シャークは建物の屋上から飛び降り、地面に着地すると大剣を軽々と持った腕で肩を回し準備運動の様なモーションをする。
次の瞬間、シャークが消えた。
正確には消えた様に見えただけで、凄まじい速度で走り、一番近くにいたタンカーの剣士を斬った。
ログアウト待機で無防備だったその剣士は、一撃でHPが無くなり倒れる。
プレイヤーをキルした事により、シャークの頭上にある名前表示がオレンジ色から赤色に変わった。
「さぁ中級プレイヤーの諸君、今から一時間の休憩タイムだ!」
シャークはそう言いながらも次のプレイヤーを斬り殺す。
ログアウトが間に合わないと悟った他の六人は、ログアウトを中断する。
そこからの彼らにはキングゴブリンと戦った時の様な連携は無く、ある者はシャークに攻撃を仕掛け、ある者は逃げ出し、ある者は、
「死ねよクソガキ!」
と暴言を吐くばかりだ。
その後は正にシャークの虐殺であった。
身の丈程ある大きな大剣を持っているのにその動きは素早く、逃げる者にも軽々と追い付き斬り殺す。一人、また一人とシャークの餌食となっていった。
「アヤノ、僕たちも逃げよう。ここは危ない」
シロはすっかり目が離せなくなっているアヤノの手を引っ張る。
「う、うん。そうだね」
二人は走った。
シャークからは見えない様に、廃墟の建物の裏から外に出て、狭い通路をゴブリン村の外に向けて足を進める。
途中で見かけたゴブリンは全て無視して走り続けた。
「あのシャークって人、もの凄い強さだったね」
そう喋るアヤノは何処か楽しげである。
「そりゃそうだよ。経験値テーブルの厳しいこのゲームで、レベル九十って相当やり込んでる人だ」
「そうなの?」
「たぶん僕達があのレベルになるには、パワーレベリングでもしない限り、一年は掛かるかもね」
そんな厳しい世界であるとは知らなかったアヤノは、三日前に一緒に遊んだサイカのレベルを思い出す。
「ちなみにレベル百二十五になるにはどれくらい掛かる?」
「確かレベル百二十以上は世界的にも超上級、百三十以上は伝説級って話だよ」
「そんなに!?」
サイカが相当なプレイヤーである事をアヤノは知る事となった。
そんな会話をしていると、ゴブリン村の領域外まであと少しの所でスタミナが無くなり、アヤノもシロも走る事ができなくなる。
立ち止まって自然回復を待ち、シロが口を開いた。
「ここまで来れば、とりあえず大丈夫かな」
「そうだ……ね……?」
その時、アヤノは背後に気配を感じる。
「レベルは上がったか?」
そんなシャークの声がアヤノのすぐ後ろから聞こえたのだ。
アヤノはその恐怖からすぐに振り向く事はできないが、シロが真っ青な顔でアヤノの後ろを見ていた。
アヤノもシロもこんなに近付かれ、声を掛けられるまで全く気付かなかった。
しばらくの静けさの後、意を決してアヤノも体ごと振り返り、短剣を手に取る。
「待て待て、お前たちと戦うつもりはねーよ」
そう言うシャークは、大剣も背中に戻しており、両手は空いている状態だ。
「なんで、あの人達を殺したんですか!」
「なんでって、そりゃあプレイヤーを殺す事が俺の遊び方だからな。別にリアルと違って違法でも規約違反でもねーぞ」
「だからって!」
「なんだゲームでも偽善者か? イベントで戦争ごっこやってる奴らもいる。ボスを倒してワイワイやってる奴らもいる。そして初々しい初心者のお前ら。俺だって同じゲームを楽しむプレイヤーだ。何の違いがある」
「それは……」
「感情移入するのも良いことだが、区別はつけろ」
偉そうに説教じみた事を言うシャークに、ムッとするアヤノ。
その横でシロが口を開く。
「あの、僕たちの事は見逃してくれるんですか」
「それなんだが……なぁお前ら、俺のパシリになってくれねぇか?」
思いもよらぬシャークの提案に二人は唖然としてしまった。
「はあ?」
とアヤノ。
「プレイヤーをキルすると一週間は首都に立ち入りができない。別にフィールドにある町や村でも事足りるが、それでも首都じゃなきゃ手に入らない物もあってな。だからお前らに買い物を手伝って欲しい。特にそこの小人は商人だろ?スキルで買い物はいくらか安くなる。手数料はきちんと払うぜ」
「断ったらどうなるの?」
「勿論殺す」
と口元は笑いながら鋭い眼差しを向けてくるシャーク。
一転して場の空気が凍った。
しばしの沈黙の中、アヤノは次の言葉を考えていた。回答によってはこの場で斬られ、デスペナルティと共に首都に戻る事になる。それにシロも巻き込まれる。
するとシロが言った。
「ダメだ」
それを聞いたアヤノはシロの顔を確認して、そしてすぐにシャークへ顔を向ける。
「断ります。やっぱり貴方の様な人と連むつもりはありません」
アヤノもシロも武器を構える。
「なんだよつまんねーな。後悔させてやるよ。一回殺すだけじゃつまらねぇ。ゼネティア周辺のセーフゾーン外でお前らを見かけたら毎回殺してやる。バックスタブでも何でも来いよ」
シャークは大剣を手に取った。
例え無駄でも、立ち向かう。
アヤノはスキルを使うわけでも無く、前進するとそのまま短剣をシャークの胴体へ突き刺した。だが、シャークのHPバーはほんの一ミリ程度しか減らない。
勝ち誇った様な笑みで、微動だにしないシャーク。
そして今度はシロと協力して何度も何度も攻撃するが、全く歯が立たず、シャークは欠伸を漏らす。
あまりにも連続で攻撃をした為、アヤノもシロもスタミナ切れを起こし、攻撃ができなくなった。
「なんだ。もう終わりか?」
そう言うシャークのHPは一割すら削れていなかった。
レベルと装備の差を実感するアヤノは、悔しさで胸がはち切れそうであった。それと同時にサイカであれば、この眼帯男に勝てるのだろうかと考えてしまっているアヤノ。
「それじゃ、まずは小人のお前だな!」
その言葉と同時に二人の視界からシャークが消える。
「シロ!」
アヤノは叫びながらシロを見るが時既に遅く、シロは背中から大剣で斬られHPバーが瞬く間に無くなり倒れた。
「オーバーキルだなこりゃ」
そう言いながら、シャークは大剣を既に死亡してうつ伏せに倒れているシロに突き刺した。
強すぎる。
レベル制のRPGゲームはこう言ったレベルによる力の格差はある。
まるで鼠と虎。アヤノはちっぽけな自分自身に腹が立ち、そしてこんな世界でレベル百二十五まで育ったサイカを改めて尊敬した。
またいつ攻撃を仕掛けてくるか解らない緊張感にアヤノの足が後ろに下がる。
ダメだ。ここで引き下がってはいけない。
そんな思いがアヤノの後ろに下がる足を止める。
このWOAはアクション制の高いゲーム。必ず当たる攻撃でも無い限り、動き方次第で一矢報いる事はできるかもしれない。全神経を研ぎ澄まし、そして抗う。
アヤノは短剣を構えた。
「ほう。この状況で逃げないその姿勢は褒めてやるよ亜人の子猫ちゃん!」
真っ直ぐシャークが突っ込んできた。
そして襲い来る大剣を間一髪で回避に成功したアヤノは、空かさずシャークの横に回り覚えたばかりのスキル《ダブルアタック》で二連撃を与える。
すぐに次の攻撃が来るが、それを短剣で去なしながら回避。軌道を逸らされたシャークの大剣が石畳の地面を抉る。
動き自体は速いが攻撃そのものはアクションが大きく、よく見れば躱す事が出来る。
それにアヤノがコボルトで散々練習した、ジャストガードと回避の組み合わせが通用する。
余裕の表情を浮かべていたシャークは、アヤノの華麗な回避を目の当たりにして、少し不満気な表情に変わる。
シャークは大振りをやめて、今度は細かく連続で斬り掛かってくるが、それもアヤノは避ける避ける。時折、隙を見付けては短剣で軽い攻撃をシャークに当てる。
シャークの攻撃は思ったよりも単純で読み易く、更にアドレナリン全開となっているアヤノはその攻撃一つ一つが遅く見える。
「ちょこまかとうぜぇーんだよ!!」
と、痺れを切らしたシャークは、プライドによって使用したくなかったスキル《カーシングエッジ》を発動する。
シャークの持つ大剣が青白く光り、そのまま残像を残しながらも、横から広範囲に斬撃する。
アヤノは見るのは初めてだが、こればかりはジャストガードや簡単な回避で避けられる様な攻撃では無い事が一目で解った。
そこでアヤノの取った行動は、ジャンプしながら空中で身体を後方に一回転。アヤノの背中擦れ擦れで大剣が空を切る。そのスキルの衝撃で、後方にあった建物の石壁が激しく破壊され砂埃が舞う。
渾身の一撃をも避けられたシャークは、信じられない光景を目の当たりにしたかの様に目を丸くしていた。
アヤノはシャークのスキル発動による硬直を見逃さず、背後に素早く回り込むと短剣で突く。《バックスタブ》の効果でクリティカルヒットとなった。
「くそっ!!」
シャークが振り向きながら大剣で薙ぎ払うが、アヤノは既に範囲外まで下がっていた。
「なんなんだてめぇ! その動き、さては初心者じゃないな! サブアカか!」
シャークはそう問いかけるがアヤノは答えない。アヤノは完全にスイッチが入っており、聞こえていない。何度も攻撃を当てたにも関わらず、シャークのHPはやっと一割減った程度である事や、アヤノのスタミナゲージがもう無い事をアヤノ本人は気付いていない。
幸いHPやMPは相手に筒抜けだが、スタミナゲージはそうではない。だからこそ、あと一撃でも二撃でも攻撃すれば当てる事ができる状況でも、シャークは狼狽えアヤノに話し掛けると言う時間を作ってしまった。
アヤノは小さく深呼吸を一つ。シャークの動きに集中する。
「答える気は無いってか。じゃあプレイヤースキルではどうにもできない格の違いって奴を見せてやるよ!」
シャークはスキル《インペリアルソード》を発動して片手で持っていた大剣を両手で持ち構える。周辺の霊魂の様な光がシャークの身体を纏い、凄まじい威圧感を放った。
《インペリアルソード》はしばらくの間、大剣の攻撃範囲を更に伸ばし、更には防御不可能とさせる技であり、更には周囲のモンスター及びプレイヤーの動きを鈍らせると言う効果もある大技。
片手で持っていた事による威力半減のデメリットも、両手に持ち替えた事で無くなる。
シャークは次の一手でアヤノを確実に仕留めるつもりだ。
対してアヤノはそんな大技である事も知る由もなく、ただ次の攻撃を何としても避けるつもりで眉一つ動かさず構えていた。
「終わりだ!」
と、シャークの手が動いたその刹那。
ザザッ。
ノイズが走った。
そして《インペリアルソード》の効果が瞬時に切れ、異変に気付いたシャークが構えた大剣を降ろす。
それだけでは済まず、シャークの身体のグラフィック、表面テクスチャがボロボロと透け、激しくノイズを起こし始める。
「なんだよこれ……回線か? 何かのバグか?」
シャークですら初めて経験する現象の様で、戸惑いを隠せていない。アヤノも様子がおかしい事に気付き、我に返った。
「なんだよ。ちっ。リログするか」
シャークは大剣を背中に戻すが、
「おいおい、冗談だろ。ログアウトが押せねーぞ」
と焦りを見せた。
アヤノは何と声を掛ければいいのかわからず、それでいて構えは解かずその様子を眺める。
更にシャークの身体に異変が起きる。指先とつま先辺りから結晶化を始めたのだ。
「こんなイベント聞いてねぇぞ! くそっ! そうだ、GMコール!」
慌てふためくシャーク。やはり尋常ではない事が起きている様子である事にアヤノもやっと気付く。
見る見るうちに身体が結晶化は進み、やがて首まで結晶になった。
「な、なあ、なんか変なんだけど!そっちではどう見える?なあ!」
とアヤノに助けを求めるシャーク。
「えっと……その、なんか石化してる様に……見えますけど……」
「変なんだよ。キャラが動かねぇんだ。メ二ューも操作できない」
「えっと、とりあえずゲームを強制終了してみては?」
「そ、そうだな。その手がーー」
言い掛けた所で頭まで結晶化が進み、全身が結晶となってしまったシャーク。
固まって完全に動かなくなってしまった。
アヤノは何となく、先ほど使おうとしていた技が失敗すると石化してしまう効果があったのではないかと推測して理解しようとしていたが、それにしても只ならぬ様子であった事に違和感があった。
更なる異変が起きたのはすぐであった。シャークであった結晶の塊から、紫色のドロドロとした液体が染み出す様に出てきた。
「なにこれ……」
とアヤノ。
液体は結晶の塊を包み込み、まるで粘土を誰かが捏ねているかの様に段々と形を変化させていく。
次第に鰐の様な頭、蛇のような尻尾、そして大きな翼の様な形を模したその物体はまるでドラゴンの様な外見になっていく。そしてアヤノの五倍はあろう巨体が形成された。
「新手のモンスター!? 名前……それにレベルは……」
アヤノは再び短剣を構え、目の前に突如現れたモンスターの名前やレベルを確認するが、文字化けしており確認ができない。
未知のモンスターを前にアヤノは逃亡を考え、付近に目を配る。すぐ近くに狭い通路がある事を確認した。
だが次にアヤノがそのモンスターに目を向けると、既に形状が完成しており、宝石の様な赤い二つの目がアヤノを見ていた。
アヤノとモンスターの目が合い、まるで時が止まったかのようや緊張が走る。
その不気味で奇妙なプレッシャーを前に、アヤノは動けなかった。
そしてプツンとアヤノの視界が真っ暗になる。
✳︎
何が起こったのか、彩乃は理解するのに時間が掛かった。急に視界が真っ暗になり、何も見えない。だが、その手にはしっかりとゲームコントローラーは握られており、手汗で湿っている。
「ごめーん! ブレーカー落ちちゃったー!」
と一階から母親の声が聞こえた事で、ようやく何が起きたのかを理解する。
電気が断たれ、パソコンの電源が落ち、部屋も真っ暗になったのだ。
彩乃は暗闇と物音一つしないの中、コントローラーを机の上に置くと、椅子の背もたれに寄りかかり装着していたヘッドホンを外して上を向く。そして緊張感が解ける様に、黒縁眼鏡を外して机の上に置きながら、大きく息を吐いた。
凄い経験をしたと彩乃は思う。
本格的なボス戦を目撃、そしてプレイヤーキラーとの対峙、未知のモンスター。
後半はまるで学生時代にテ二ス部で公式試合に出場した時の様な、研ぎ澄まされた感覚になっていた事が夢の様で、今の彩乃はその夢から覚めた感覚に近い。
シャークと言う男が言った言葉を思い出す。
『なんだゲームでも偽善者か? イベントで戦争ごっこやってる奴らもいる。ボスを倒してワイワイやってる奴らもいる。そして初々しい初心者のお前ら。同じゲームを楽しむプレイヤーだ。何の違いがある』
そう、これはゲーム。ゲームなんだ。
彩乃はMMORPGとは何たるか、暗闇の中で改めて考えていた。
やがてブレーカーを上げた様で、部屋に電気が戻り、明かりが点いた。
しばらくぼんやりと無心で天井照明を見ていた彩乃は我に返ると、今起きた事を誰かに話した方が良いのではないかと思い立ち、スマートフォンを手に取った。
【解説】
◆WOAの亜人族
褐色肌に角が特徴的な種族。ステータスの上がり方はかなり極端で、STRとVITがとにかく高くなる。HPが減ると防御力が下がり攻撃力が上がって行く狂気モードが発動してしまう事や、その他のステータスがほとんど上がらない事から、難易度の高い種族とされている。初心者向けでは無い。
ゲームをやる時、そう言う不遇なキャラを使ってプレイする事が好きって人もいる。
◆WOAの小人族
文字通り、身体が小さい事が特徴。AGIとDEXが上がりやすく、STRが上がりにくい。可愛らしい外見と、小さな身体と素早い動きで攻撃を避けやすい。噂では小人族しかなれない職業があるらしい。
◆ゴールド
ワールドオブアドベンチャーの正式な通貨単位。
◆親フラ
自分のところに親がやってきそうな状態を指す用語。実家暮らしをしていて親と同居している息子・娘が、不意に近づいてくる足音や雰囲気で親が間もなくこの場所に来ると察した時に使われる事が多い。又は来てしまった場合でも使われる。
◆対人装備
プレイヤーを倒す事に特化した効果を持つ武器や防具の事。
◆WOAの経験値テーブル
レベルアップに必要な経験値=前のレベルでレベルアップに必要だった経験値×1.5倍と、他のMMORPGと比べるとかなり厳しい。毎日休まず三時間モンスターを狩り続けて、一年でレベル九十に行けるくらいの感覚。デスペナルティの経験値マイナス五十パーセントも相まって、レベル百を超えてからは更に厳しい世界が待っている。
上限は判明されておらず、無限にあるのではと一部で噂されている。現状、レベル百以上で上級者、レベル百二十以上で超上級者、レベル百三十以上で伝説級(リリース開始から十年間の全てをWOAに費やした廃人)とされる。百四十に到達した者は現時点で存在していない。
◆オーバーキル
相手の残存HP以上のダメージを与えて倒す事。
◆ジャストガード
ワールドオブアドベンチャーでは、防御行為をする際に、相手の攻撃と合わせる事で攻撃を少し弾き返せる。プレイヤー対プレイヤーの場合、それにより僅かに隙を作る事が可能。ただし、ジャストガードができない攻撃スキルも多く存在する為、主に通常攻撃に有効である。
◆サブアカ
メインのアカウントとは別に、二つ目となるアカウントの事。ネットゲームの上級者プレイヤーが、これをやる事で効率化を図ったり、初心を体験する楽しみを得たりする。
◆GMコール
ゲームマスターにメッセージを送る機能。
◆文字化け
コンピュータで、何かの誤りなどにより、文字が別の文字として表示されてしまうこと。




