119.英雄の意志
和の国ヤマトへ向かう船旅は約七日間に及びました。
ドエム達一行のほとんどが帆船で海上を移動する事が初めての経験で、人間かブレイバーかなど関係なく船酔いを訴える者もいましたが、何とか無事に過ごせています。
思った以上に長い七日間に及ぶ船旅は、ドエム達にとって交流の機会となり、それぞれに休息と考える時間を与えてくれました。
しかし、ドエムにとっては不安しかない期間となってしまっていました。何日経っても訪れない眠気と、目を閉じても見る事ができない夢。最後に夢を見たのはいつだったか忘れてしまい、結晶化の恐怖がゆっくりゆっくりと近づいて来ていました。
夢を失ったブレイバー。
ドエムは召喚されたばかりの頃を何度も思い出していました。
薄暗い洞窟の中で、結晶化末期の女性ブレイバーがバグ化する姿。それをサイカが刀で刺して、消滅させていました。
(僕も、ああやって化物になってしまうのかな……)
甲板で夜の海を見ながら黄昏るドエムは、自身の手の平を眺めました。まだ結晶化は始まっていません。
すると背後から足音が聞こえ、ドエムが振り返るとノアがいました。
「ノア……」
「まだ、夢を見ないの?」
「うん」
ノアはドエムの横に移動して、一緒に海を眺めます。
変わらない景色、何処までも続く海、星々の光が反射するキラキラとした波、遥か遠くに見える地平線。時々、小さな島や、何処かの大陸が見える時もありました。
海の夜風を感じ、しばらく間を置いてから、ノアが話を始めます。
「私ね、こうやって海を見るの初めてで、世界ってこんなに広いんだって、感動してるんだ。私の知らない世界が、海の向こうに沢山あって、色んな国があって、きっと私はその全てを見ないまま大人になっていくのかなって思うと、ちょっと悲しくもなるの。同じように、エムがどんな世界で生きてきて、英雄サイカとどんな関係だったかも、よくわかってないから、それも悲しい」
「誰だって、相手の過去を完璧に理解する事なんてできないよ」
「それでも……それでもさ、私はもっと知りたいし知られたい。私たちにはそれが必要なんじゃないかなって思うの」
「ノア……」
ノアの真剣な眼差しに、ドエムが少し動揺をしていると、二人の背後からもう一人近づいて来ました。その足音に気付いて振り向くと、そこにはブレイバーナポンが立っていました。
ナポンは先ほどまで眠っていた為、欠伸をしながら眠そうな表情です。
「邪魔したかい?」
と、ナポン。
二人は首を横に振ったので、ナポンは構わず話を始めました。
「言うのを忘れていたけど、あたいと助左衛門は眠りのサイカの輸送を行った」
「え!?」
と、驚くドエム。
「あたいはサイカの武勇を軽く聞いた程度で、いったいどんなブレイバーだったのかをよく知らないままさ。ただし、目を覚さないブレイバーである事や、国の取引材料として使われるブレイバーなど聞いた事がない。不思議で理解に及ばなかった。だからこの際、聞いておきたいと思ってね。エルドラドの眠りの英雄が、いったい何をしたのかをね。君は知っているのだろう?」
サイカについて教えて欲しいと、ナポンとノアから問われ、ドエムは話す事を決意しました。
「サイカは僕を導いてくれたブレイバーで……僕の憧れ……」
そう切り出したドエムは、マザーバグとの戦いでサイカが起こした奇跡の事や、夢主との交流手段を持っていた事、ミラジスタでの戦いで一度狭間の世界へと飛び込み帰還した事、融合群体デュスノミアバグとの戦いの際にバグの力をコントロールして勝利に導いた事、そしてその戦いの直後に永遠の眠りについてしまった事まで説明しました。
ドエムが経験した大戦全てが、サイカ無しでは勝てなかったとドエムは断言します。
全てを聞き終えたナポンは、こう言いました。
「バーチャルアイドルとしてのサイカの噂は予々、あたいの夢世界にまで及んでいる。狭間……についても聞いた事はある程度だけど、その話が真であるならば、特別視され重宝するのも納得できるってもんだね」
続いてノアが口を開きます。
「えっと、その最初に戦ったマザーバグがゼノビアだったというのは本当なの?」
ノアが気にしたのは、やはりゼノビアと言われたバグの存在でした。それについてはドエムに確証がある訳でもなかった為、返答に困ってしまいます。
しかし、この三人の会話を更に二人の参加者が現れて口を挟みました。スウェンとエオナです。
ゼノビアのバグ化に深く関わっていたスウェンが、
「そのマザーバグはゼノビアで間違いないだろう。そして恐らく、サイカに特別な力を与えたのもゼノビアの意志によるものだ」
と、説明をしました。
するとドエムが前から気になっていた事をスウェンに問います。
「サイカは、狭間で管理者と会って話したり、狭間には危険な全ての元凶が存在しているとも話してた。それが何なのか、スウェンは知ってるの?」
「狭間にいる存在については……そうだな、キャシーが危険な存在が居ると言っていた。だから俺は、その狭間やその向こう側の多次元世界に繋がりを求めたのさ」
「それならそうと、サイカや僕達にちゃんと説明してくれれば良かったのに」
「真面目に説明したところで、俺たちに協力してくれたか?」
「テロを起こすなんて今でも賛成はできないよ」
「お前達はこの世界を愛し過ぎている。何かを成し遂げる時は、犠牲が必要な場面もあるのさ」
「そんなの、分からないよ」
そんなスウェンとドエムの会話を神妙な面持ちで聞いていたナポンは、前方に見えて来た景色を見て、口を開きました。
「そろそろだ」
一同がナポンの目線の先に目を向けると、そこには驚くべく光景が広がっていました。
それは、夜の海に浮かぶ巨大な果てしなく続く結界でした。
大きな島国をすっぽりと覆う様に、光を湾曲させている透明な障壁が、目の前に広がっているのです。
「マジかよ……」
と、唖然とするスウェン。
これを初めて見る者達も、皆開いた口が塞がらない表情となりました。
ナポンは説明します。
「これがヤマトを護る加護。鎖国の象徴。先の融合群体デュスノミアバグですら寄せ付けなかった結界さ」
「アレに触れたらどうなるんだ?」
と、エオナが質問します。
「触れたら最後、全ての生命体は絶命する。海中生物ですら生きる事叶わぬ、神の結界」
「そんな危ない結界、どうやって通るの?」
と、ドエムが続けて聞きました。
ナポンは薄ら笑みを浮かべ、何かを取り出し手に持ちました。
それは、手のひらサイズの小さな水晶玉で、船が障壁に接近すればするほど紫色の光を放つ神秘的な道具でした。
「石英に宿りし、光の欠片、其れは我ら唯一の命の煌きなり、森羅万象、扉を開く者なり、そこに在るは光にして闇なり」
ナポンが詠唱を行う中、船は透明な壁を今正に触れようとしていた。
その瞬間、水晶玉から眩い緑の光が溢れ出し、それはドエム達を乗せた中型船を包み込みます。やがて透明な壁と船の先端が接触すると、壁はまるで意思があるかの様に、暖かくも緩やかに船を受け入れました。
壁に触れれば絶命する。そんな話は嘘だったのではないかと思えるほど、あっさりと船は結界の内側へと通り過ぎたのでした。
船に乗っている者達の中で、この時の光景に一際目を輝かせていたのはノアでした。ノアは高ぶる気持ちを抑えきれず、久しぶりに歌を口遊みます。それはミラジスタを出てから、初めての彼女の歌でした。
《世界よ―― 美しき神々の御光よ―― 楽園の仲間達よ―― 我等は情熱と陶酔の中―― 天界の汝の聖殿に立ち入らん―― 世界よ―― 我等は此処に居ます―― 闇夜を照らし大地と海を駆けて―― ビンデンヴィーダ――》
船の甲板で歌うノアから、白い光が溢れ出し、水晶から溢れた緑の光と混じり合い、それはそれは美しい光が船から広がります。夜の海が照らされて、まるで昼間になってしまったかの様な光源と暖かさが、ドエム達を包みます。
この時、ノアはミラジスタに置いてきたシスターアイドルの仲間達や、ルーナ村で出会ったケリドウェン、戦いで消えて行ったブレイバー達、そしてシスターアイドルを応援してくれていた大勢の人間達の顔を思い出していました。
長い長い船路の中、ノアが起こす奇跡の歌声で皆の不安が除かれ、心穏やかになる瞬間がそこにありました。
しかし、歌によって貨物室にある木箱の中で眠っていたレイシアが目を覚まし、そして一人だけ人の悪い笑みを浮かべる助左衛門の存在。それに反応するように晴天続きだった雲行きも怪しくなったのは、これから起きる最悪の事態を暗示していたのかもしれません。
ノアの歌が終わり暖かな光が消え去った後、船は進み続け、やがて大陸が地平線の彼方に見えようとしていた時の事でした。
風が強く成り、波が荒れ、船が大きく揺れます。船員達がこれから迫る嵐に備え、帆の管理の為に慌ただしく動く中、船の知識が無いドエム達はただ祈る事しかできませんでした。やがて激しい豪雨に襲われ、場は騒然となります。
そんな中、事態が起きた切っ掛けは、船乗りの中で船長でもある助左衛門が、何もせずに船首で楽しそうに空を見上げている事にナポンが気づいた事から始まります。
ナポンが助左衛門の背後から近寄り、薙刀を手に召喚しながら声を掛けます。
「助左衛門、そこで何をしている」
助左衛門は振り返り、ニヤニヤしながら答えました。
「こうも上手くいくとは、愉快愉快。やはりブレイバーは戦う事しか脳がな――ッ!!」
その瞬間、助左衛門の言葉を遮り、一瞬で詰め寄ったナポンの薙刀が彼の胸を貫いていました。一才の躊躇も見せない鋭い一撃です。
しかし助左衛門の傷口からは血が出ず、彼は体を刃物で貫かれたというのに余裕の笑みをナポンに向けていました。それは人間とは思えない不気味な笑いです。
「貴様、誰だ。助左衛門はどうした」
「ボクは管理者バストラ。間抜けなセイラーマンは殺したよサムライガール」
「そうか、ならば死ねッ!」
ナポンの判断は早く、気持ちいいほど一瞬のうちに助左衛門に擬態したバストラを切り刻み、彼の体をバラバラにしました。
すぐに再生を始めるバストラに、ナポンは追撃の一太刀を浴びせようとしました。が、新たな男の姿へと変貌したバストラは障壁を発生させて、ナポンの薙刀を弾きます。
騒ぎを聞きつけ、ドエム達も集まってきて一斉に武器を構えます。ナポンが武器を向ける相手を見て、一同は驚愕しました。
「ナポン! どうしてこいつがここに!」
と、ドエムが叫びます。
「下がってな! こいつは普通じゃない」
そう言ってこちらに近付いて来ようとするドエム達の足を止めると、ナポンは薙刀を構え直し、傷一つ無くなったバストラを睨み付けました。
雨は激しさを増し、高波で船は右へ左へ大きく傾き、何かに掴まらなければ立っている事などできない状況でも、ナポンは不動の構えで矛先を前方の男へ向けています。
憤っているような凄まじい雨は、耐え難い陰鬱感と圧迫感を高めているかの様でした。
正体が暴かれ、ブレイバーナポンという強者を前にしても、バストラは愉しそうに笑っています。
そんな彼に、ナポンは言い放ちました。
「薄気味悪いね。海に落とせば溺れ死んでくれるかい」
「ここまで来てしまえば、もうボクの手の内さ」
「貴様、何を企んでいる」
「アマセマサミツ。眠りのサイカはそいつが握っているんだろう。ボクが頂く。と言ったら、キミ達はどうするのかなぁ?」
「それを口にした事、あの世で後悔しなッ!」
ナポンは再び斬り掛かったが、またも見えない障壁で刃が弾かれ、更にはバストラは動いていないにも関わらずナポンの体が後方に吹き飛ばされていました。受け身を取って甲板に着地するナポン。
よく見れば、バストラの両足は床から離れ、少し宙に浮いていました。
ナポンが再び武器を構える横で、ドエム、エオナ、マルガレータ、シャルロットも武器を構え、加勢の意思を伝えます。
するとバストラは、
「レイシア!」
と、大声を出しました。
直後、甲板の床が大きく割れ、中から大斧を持ったレイシアが飛び出して来ました。
「レイシア! どうしてここにいるですか!」
と、驚きの声を上げるシャルロット。
レイシアはドエムの姿を見て、喜びに満ちた表情で空中から大斧を振り下ろします。
「来ちゃった♡」
そう言いながら、渾身の一撃を放ったレイシア。
嵐で揺られる船で強い衝撃波が発生して、甲板に大きな穴が空きます。木片が飛び散り、ドエム達は止む無く散開する事となりました。
レイシアは即座に対処に入ったマルガレータとシャルロットを無視し、最初から船を壊すことを目的として動き、彼女は出鱈目に大斧を振り回し暴れ始めました。それを止める為に、ドエム達が一斉にレイシアを止めようとしますが、狭い船の上では思う様に戦闘ができません。
「謀ったな!」
と、ナポンはあくまで冷静に目の前のバストラに攻撃を仕掛けます。
間も無く、レイシアの得意技が炸裂します。
彼女の大斧が真っ赤な瘴気に満ち、そこから放たれる斬撃波が船を割りました。それには多くの船員が巻き添いになり、ドエムも海へと投げ出されてしまったのです。
「エム!」
ドエムとは別の方向に吹き飛ばされ行くノアが、必死にドエムに向かって手を伸ばし名を叫んでいました。
「ノア!」
反射的にドエムもノアの名を叫び手を伸ばしましたが、二人の手が触れる事はありませんでした。
(そうだ! 夢世界スキルで!)
目の前に迫る海水を前に、咄嗟に夢世界スキルで浮遊しようとするドエムでしたが、邪魔が入ります。
それは、船を破壊した張本人であるレイシアがドエムに飛びついて来たのです。
「これで一緒になれるね!」
「なっ!? ちょ、ちょっと待ッ!」
空中でレイシアに抱きつかれ、そのまま海へと着水するドエム。その横では二つに割れた船が沈み、そして沈みつつある船の上でまだ戦っているナポンとバストラの姿がありました。ナポンはバストラこそ必ずここで食い止めるべき脅威だと判断しているのか、海に落ちる者達に見向きもせず、炎のような激しい剣幕で戦っていました。
レイシアと共に海中に落ちたドエムは、初めての海中を体験します。静寂に包まれ、船が泡を出しながら沈む音は重く、同じく海中でもがく人間達の姿も見えました。かなり遅れて、冷たい海水の温度が肌を通して伝わって来ます。
(息が……できない……)
ドエムにとって初めての水中で、当然泳ぎ方も知らないドエム。それが底の見えない海中で、しかもレイシアに抱きつかれた状態です。ドエムの意識が途切れるのも、直ぐの事でした。
嵐で激しくかき回される水流に投げ出されたドエムとレイシアは、崩壊した船の瓦礫と共にぐるりぐるりと凄まじい勢いで流されて行くのみでした。やがて二人は暗い暗い海中の彼方へと、見えなくなりました。
一方その頃、バグの巣と化したエルドラドの新王都で起きた廻り合いがありました。
壁から天井に至るまで全てが黒に染まった玉座の間で、玉座に座る零の始皇帝。その横には一番、二番、三番の騎士。それを見守るように整列しているのはヴァルキリーバグ、マザーバグ、ネクロバグ。バグの軍勢の錚々たるメンバーが集っています。
やがて、玉座の間の扉がゆっくりと開き、中に入ってくる女性がいました。
コツ、コツ、コツとハイヒールの音を高らかに響かせながら前進してくる水色髪の女性。ヴァルキリーバグは彼女の為に道を開けると共に、彼女は零の始皇帝の前で立ち止まりました。
そして零の始皇帝は薄ら笑みを溢しながら言いました。その瞳は妖しい赤色、角膜に星形の模様が浮かび上がっていて、何かの能力を発動している事が分かります。
「ようこそ。ブレイバーケリドウェン」
そう、このバグ側の本拠地に招き入れられたのは、空の魔女ケリドウェンだったのです。
ケリドウェンは猛毒のような殺気立った表情、冷めた口調で口を開きました。
「エルドラドの第一王女、まさかバグを統べる者になろうとは、いったいどんな風の吹き回しなのかしら」
「エルドラドの王家は絶滅致しました」
「それが其方の償いかしら」
しかし、零の始皇帝はそれ以上この話題を続けるつもりはなく、別の話題を出しました。
「まずは、こちらの要求を呑み、降伏頂いた事に感謝致します。これで無駄な犠牲を出さずに済みましょう」
「下衆な事を言う。わらわを誘き出し、ダリスを攫い人質に取った上での降伏勧告。とても誉められた策略ではありません」
「互いに無益な消耗戦を終わらせる為、仕方の無い手段でした」
「ダリスは無事なのでしょうね?」
と、殺気を強めるケリドウェンに、零の始皇帝を護衛する三人の騎士が武器を構えます。
その時、ケリドウェンは一番の騎士の構え方を見て何かに気付いていました。
零の始皇帝は騎士達に武器を納めさせ、ケリドウェンの質問に答えます。
「丁重におもてなしをし、傷一つ付けておりません」
「そう。それで、わらわに何を求めるのかしら。大人しくここで暮らせとでも?」
「まずは、互いに理解を深めましょう。その時間を頂きたいです」
「小娘が偉そうに」
「これは、英雄ゼノビアの意志です。ゼノビアと死闘を行なった貴女だからこそ、会話が必要と感じます」
「ゼノビアの冥魂……か」
と、ケリドウェンは横に立つヴァルキリーバグに目を配りました。
しばしの間を置いて、零の始皇帝は続けて説明しました。
「勇者エルロイドの伝説から始まった人類の呪いは、今この時、最終局面を迎えようとしています。生ある者が未来に進むには、すぐ目前に迫る終末を防がなければなりません」
「その為にブレイバーの根絶と、ゼノビアの復活が必要とでも言うか?」
「ええ、その通りです。ブレイバーゼノビアは実験中の事故により、バグにとっての母なる存在となり、次元を超越しました。バグの王レクスが別世界へ出て行ったように、私たちバグも、ブレイバー根絶の後、狭間への乖離を行います」
「そんなこと――」
「できます。オーアニルで起きた大厄災を経験し、ここまで数々の修羅場を見てきた貴女であれば、ご理解頂けるのではないかと考えました」
「わらわが協力するとでも思っていて?」
「ヴァルキリーには、人間とブレイバーにバグの能力を与える力があります。寿命に怯える事の無い永遠の生命と、永遠の愛を育める事でしょう」
その言葉に、ケリドウェンは想像してしまいました。
ダリスと共にバグの力を得て、この世界から脱却して、何処か遠くの世界で永遠に一緒にいる事を想像してしまいました。それは彼女にとって、この上なく魅力的な提案だったのです。しかし、今まで敵としていたバグ勢力へ加わる事に抵抗があります。
黙ってしまったケリドウェンを前に、零の始皇帝は続けて発言します。
「まだ生き残っている貴女のお仲間のブレイバーにも、バグの力を与えましょう。共に生存の道を歩みたいと考えます」
半信半疑。ケリドウェンは零の始皇帝の提案を疑いました。
こういった交渉の場において、美味しい話には罠がある事はケリドウェンも分かっている事です。鵜呑みにはせず、まずは考える時間が必要であると、冷静に考えた上でケリドウェンは提案をします。
「其方の考えは理解しますわ。バグの力についてはさて置き、まずは同盟を結びましょう」
「同盟?」
「其方達がわらわの知っているバグの集まりではなく、使命を持ち、ただ殺戮を楽しんでいる訳ではないというのであれば、今はいがみ合う時ではないですわ。来たる終末の瞬間まで、その真意を見極める時間をわらわ達に与えてはくれないかしら」
すると、零の始皇帝はふふっと笑いを溢した後に言いました、
「構いません。ダリス様も解放致しましょう。その代わりと言っては難ですが、一つお願いしてよろしいでしょうか?」
「お願い?」
「今、私たちは世界最大の武力国家となったオズロニア帝国と戦争状態にあります。ブレイバーを兵器として多く所有し、ここまで蓄えてきた大帝国。クロギツネと、百万のバグを送り込んでも攻略できずに膠着状態となっています。ブレイバーケリドウェン、貴女はヴァルキリーと共に国落としをやって貰いたいのです」
ケリドウェンは再び横にいるヴァルキリーバグへ目線を向けると、ヴァルキリーバグはケリドウェンへの敬意を表すかのように、片膝を付いた低い姿勢のまま、ケリドウェンへ頭を下げました。
つい先日まで、互いに命を賭けた戦闘を行った二人。ブレイバー最強と謳われるケリドウェンと、英雄ゼノビアの半身とされるヴァルキリーバグ。零の始皇帝はこの二人であれば、戦況を打開できると考えたのです。
ケリドウェンは深い溜息を吐いた後、独り言のように呟きました。
「人間兵器として戦場に赴くこと幾星霜。愛に生きようと、平和を求めても、わらわの廻りは戦、戦、戦と、駆り立てる者ばかり……」
そう言って、ケリドウェンは目を瞑り、しばし思いを巡らせました。
やがて目を見開き、強い目で玉座に座る零の始皇帝を見ると、続けて言いました。
「分かりましたわ。ダリスと、わらわの仲間であるブレイバー達に、これ以上の被害を出さないと約束するのであれば、その願い、叶えて見せましょう」
零の始皇帝は安堵したような笑みを浮かべ、
「ありがとうございます」
と、お礼を言いました。
そんな零の始皇帝に向かって、ケリドウェンは一つ質問を投げます。
「それで、其方は先ほどから何を見ているのかしら?」
この場に来た時から、零の始皇帝の両眼が何かの能力を発動させていると気付いていたケリドウェンは、彼女の能力を確認しようとしたのです。
零の始皇帝は答えます。
「貴女の不安定に揺れる未来を見ていました」
「未来?」
「はい。私が授かった能力は、未来視。万物の定めを見通す力」
「わらわの消滅も見えていて?」
「……少なくとも、貴女が裏切らない事は、見えています」
そこまで聞いて満足したのか、ケリドウェンは零の始皇帝に背中を向けて、歩き出しました。
ケリドウェンは去り際に、次の事を言い残します。
「真の英雄は、わらわではありませんわ。それがゼノビアなのか、それともゼノビアの子供達なのか、それだけ世界は混沌に満ちています。其方がそうであったように、想定外の存在が、一人の少年によってこの世に導かれます」
「想定外の存在?」
と、零の始皇帝は聞きます。
「所詮はその程度の能力、と言う事ですわ」
そう言い残し、ケリドウェンは玉座の間を後にしました。
城の牢屋から解放されたダリスを迎えたケリドウェンは、彼を抱えて空を飛び、バグに支配された王都を出ました。
その際、ダリスは不覚にも敵の奇襲で捕われてしまった事をケリドウェンに何度も詫びてきましたが、ケリドウェンは何も気にしていない様子でこう言い返すのです。
「貴方が無事であるなら、例え地獄でもわらわは出向きますわ」
「バグとの交渉に応じてしまったのか……?」
「司令塔と意思疎通ができました。卑怯な手段だったとは言え、彼らを有象無象のバグとするのは、認識違いがありましたわね」
「やはり従えているのは、元人間なのか」
「一国の姫君と英雄の半身。わらわ達より利口な集団である事は、認めざるを得ないかもしれませんわね」
そんな会話をしながら、ダリスを抱えたケリドウェンは、生き残っていた数百のブレイバー達が待つ自陣の本拠地へと舞い戻りました。そこには、ルビーやロウセンの姿もあります。
ケリドウェンの帰還に喜ぶ彼らでしたが、ケリドウェンの口から何があったかを説明された時、これから反撃しようと意気込む彼らの空気か凍りつきます。
突然の同盟。その事実に、最初に怒りを露わにしたのはルビーでした。
「ふざけないでッ!!」
憤怒に狂気めいたルビーの怒声が響きます。
同時にルビーはケリドウェンとダリスの前で大鎌を振り下ろし、地面に突き刺す事で威嚇し、その表情は激しい怒りに満ちていました。
ケリドウェンは動揺する素振りもなく、怒りとも落胆ともつかない蒼白な表情で立っています。
ルビーはそんな彼女に苛立ちながらも言いました。
「あの空の魔女と恐れられたあんたが、恋人を人質にされたからってそう簡単に寝返っちゃうわけ? 王都を取り戻しこの国を平和にすると誓ったあの約束は忘れたってことよね!」
ケリドウェンは答えます。
「正直、彼らを見くびっていました。ルビー、其方も見たでしょう。マザーバグによって無限に増殖されるバグ。ネクロバグによって傀儡とされた仲間達。英雄ゼノビアと匹敵する戦闘力を持つヴァルキリーバグ。更にダリスを人質にして交渉材料とする知略が彼らにはありましたわ。向こうは半数以上の戦力を他国侵略に回している中、わらわ達は攻め切れなかった。五百いたブレイバーは、今では二百足らずになっていましてよ。このまま戦っていたとしても、負けは見えていましたわ」
戦場の指揮を務めていたダリスも加えて説明しました。
「君たちはよく戦ってくれた。私としても、あらゆる手は尽くしたつもりだ。残念だが、これほどまでに統率され、軍略に秀でたバグに打つ手は無い。その要因は零の始皇帝、彼女の驚異的な能力によるものだろう」
劣勢の最前線で戦っていたルビーは、二人の言葉を聞き入れ、深呼吸で自身の気を落ち着かせた後に言いました。
「だからって、このままって訳にもいかないでしょ。もうこの国にいるブレイバーはこれだけよ。ただ指を咥えて待つなんて、できないわ」
すると、ケリドウェンは優しく微笑みながらこう言いました。
「時間は稼ぎましたわ。わらわが彼らに協力している内は、こちらには手を出してこないでしょう。またと無い機会を窺うのです」
「機会? 機会ってなに? そんなのある訳ないでしょう!」
「もうお忘れでして? つい先日、旅立った少年達が居たでしょう」
ケリドウェンが言っている機会とは、ブレイバードエム達が起こすかもしれない希望でした。
「あの子達がブレイバーサイカを目覚めさせ、私達を救うとでも?」
と、ルビーは鼻で笑います。
「ええ、銀の姫とブレイバードエムの存在は、きっと彼らにとっての誤算ですわ。これはわらわの予測でしかないけれど、きっとこれからもっと大きな事が起きます。それこそオーアニルの大厄災など比ではないほど、大きな出来事が。それを待ち、どうするべきか見極めなさい。それがブレイバーにとって、最後の好機となるでしょう」
「結局はサイカ頼み……気に食わないわね」
「それだけわらわ達がちっぽけな存在に過ぎないという事ですわ」
そう言って、ケリドウェンはダリスを軽く抱擁して接吻を交わした後、名残惜しそうにしながらも宙に浮き空へ飛び出しました。
「ちょっと、何処行くの!」
ルビーに呼び止められましたが、ケリドウェンはこう答えます。
「しばしのお別れですわ。ルビー、ロウセン、ダリスのこと、任せました」
ケリドウェンが向かった遥か上空に、いつの間にかヴァルキリーバグの姿がありました。
そう、ケリドウェンを戦場に連れて行く為、ヴァルキリーバグが自ら迎えに来ていたのです。ケリドウェンはそれに気付き、早過ぎるとも言える彼らの動向に不満の一つも漏らさず、従う事にしたのです。
上空でヴァルキリーバグと合流したケリドウェンは、何やら軽く会話をした後に移動を開始し、空の彼方へと見えなくなりました。
その様子をその場にいたブレイバー全員が見送っている中、ルビーは舌打ちをしてルーナ村の方面にさっさと歩き出します。
ダリスはケリドウェンの姿が見えなくなるまでその場で立ち尽くし、
「どんな戦場だろうと、死に急ぐなよ……ケリド」
と、呟いていました。
【解説】
◆サイカを特別にした存在
第11話『マザーバグ』にて、サイカは元はゼノビアだったマザーバグとの戦いで敗れたが、奇跡的な復活を遂げている。それは、ゼノビアがサイカを救ったのではないかと、そう考える者もいるようだ。
◆狭間にいた存在
次元の狭間で、創作の吹き溜りと管理者が呼んでいた場所には、サマエルと呼ばれる巨大な怪物が存在していた。その怪物が、暗躍を企んだバグの王・レクスを産んだとされている。
サマエルは、現実世界側からの大規模な狭間突入作戦により、消滅しているはずである。
◆和の国ヤマトを絶対守護する結界
ヤマトの島国を丸ごと護る結界は、触れた物を絶命させる。かつて世界中を苦しめた融合群体デュスノミアバグをも退けた最強の結界である。
その出入りが許されるのは、一部の結界破りの水晶を持つ者だけ。
◆バストラの企み
自らを管理者と名乗るバストラは、他の者に擬態する事ができる。
レイシアを利用し、助左衛門に擬態し、まんまとヤマトへの侵入に成功せしめた彼の目的は、ヤマトの何処かに預けられ保管されている眠りのサイカとの事だった。
彼は、何やらサイカに異様な執着を見せている。
◆零の始皇帝
ブレイバーケリドウェンと交渉する為、ケリドウェンの恋人・ダリスを誘拐するよう企てた張本人。
元はエルドラドの第一王女・ソフィア姫で、ヴァルキリーバグに一度殺され、そしてバグの力によって蘇った存在である。
彼女の能力は未来視で、見た物の運命を見通せるとの事だが、詳細はまだ明かされていない。
◆空の魔女とゼノビアの半身
零の始皇帝に従う事にしたブレイバーケリドウェン。
ケリドウェンはオズロニア帝国との戦争に、ヴァルキリーバグと共に参戦するよう指示を受ける。
それは事実上、ブレイバー界最強と謳われる空の魔女と、バグ界最強と謳われるゼノビアの半身による最強コンビ。果たして、世界最大の武力国家・オズロニア帝国の強固な防衛線を崩す事ができるのであろうか。
零の始皇帝には、その結果が見えているのかもしれない。




