115.残された覚悟
頬に六番の数字記号がある少女は、悪夢にうなされ、泥だらけになりながら無我夢中で地を這っていました。
ルビーに見せられた幻覚が脳裏に焼きついて、彼女が恋した男の子の爽やかな笑顔が血に染まり、恨めしそうに見てきます。置いてきた家族が、血だらけで恨めしそうに見てきます。斧で斬殺したはずの大人達が、血だらけになって襲い掛かってきます。
「ごめんなさい……ごめんなさい……悪い子でごめんなさい…… そんな目で見ないで……近寄らないで!」
涙をポロポロと流し苦しむ少女レイシアは、ボヤけた視界の中で助けを求めて必死に手を伸ばします。
「パパ、ママ……助けてぇ……誰か……」
誰かにこの地獄を終わらせてほしい。そんな思いが、先ほどまでの強気なレイシアが嘘だったかのように、弱々しく惨めな表情で、嘆きの震え声をあげています。
レイシアは今、何が現実で何が幻覚なのか、何も分からない錯乱状態。立って歩くことすらままならず、惨めに地を這いつくばって助けを呼び続けるしかありません。
ですが、そんな彼女の視界に、目の前で倒れている少年の姿が入ってきました。胸に矢が刺さっていて、血だらけで気を失っているドエムです。
レイシアはこの時、ドエムの姿がかつての恋人と重なって見えてしまいました。
「うち仇取ったよ……みんな殺したよ……殺したのになんでよぉ……怖いよ……怖い怖い怖い怖い怖い……」
藁にもすがる思いで手を伸ばし、動かないドエムの手を握ります。しかし目の前で横たわるドエムは動きません。
「ごめんなさい。守れなくて……うちが死ねば良かったのに……独りはやだよぉ……」
その時でした。
少女の声でドエムの意識が戻り、うつ伏せで泣きながら手を伸ばしてくる少女に気付き、倒れたままそちらを見ます。
幻覚に苦しみ、必死に助けを乞うレイシアを目にして、ドエムはまだ動かない身体に鞭を打ち、ゆっくりとその手を握り返しました。そして朧げな意識の中で、泣きじゃくる少女に向かってこう声を掛けるのです。
「大丈夫。ここにいるよ。だからもう、泣かないで……」
――――『だからもう、泣かないで』――――
それはかつて、幸せな人間だった頃のレイシアが恋をした瞬間、彼に掛けられた言葉でした。
レイシアは恋人の姿が重なったドエムにそう言葉を掛けられた事で、その手の温もりを感じ、先ほどまでフラッシュバックしていた幻覚が薄れていきました。
不安定だった精神が落ち着くと共に、急激な眠気に襲われたレイシアは、そのまま安心したかのように眠りに入ります。
その様子を近くで見守っていたのは、マルガレータの応急手当を終えたブレイバーナポンでした。
ほとんど無傷で眠っているレイシアを見て、
(女子供の殺生は武士の恥……か)
と、考えながらまずはレイシアを抱き上げ、目立たぬ草陰に移動させました。大事そうに握っていた大斧も、情けで近くに置きます。
その後、意識が回復しても動けずにいるドエムの元へ行き、胸に刺さった矢を抜きつつ声を掛けました。
「動けるかい?」
「ナポンさん……勝てると思って、ノアの力が無くても、なんとかできると思って……」
と、立ち上がろうとしたドエムでしたが、力が入らずまた倒れました。
「そうかい。後はあたい達に任せなよ」
気がつけば、ドエムも両目から涙を流していました。敵に負けたのが悔しいのか、己の弱さを嘆いているのか、ドエムは静かに泣いていました。
ナポンはその涙を指で拭ってあげながら、続けて言います。
「キミは自分の成し遂げたいもののために、魂を賭してそれに向き合い、友を救おうとした。あたいはキミを弱者とは思わないさ」
励ましの言葉を掛けるナポンでしたが、先ほどノアが敵の手に渡ってしまった事を、あえて伝えませんでした。
(今伝えたら、この子はきっと、こんな状態でも行こうとしてしまうのだろうね)
それは、ナポンなりにドエムの身を案じての配慮でした。
その頃、ノアを連れ去ったラスを追跡するルビーでしたが、ラスの姿が森林の中へと見えなくなった所で、上空を見上げて足を止めていました。
何かを見つけたルビーは、薄ら笑みを浮かべて、追跡をやめたのです。
上空にいるソレを別の場所から見つけていたシャルロットも、呟くようにこんな事を口にしました。
「だから言ったのですよ……」
と、悲しそうな表情を浮かべるシャルロット。
ルビーから逃げ切ったラスは、気絶している九番のゴトウィンの元へ駆け寄り、彼を起こします。
「九番起きろ! 九番!」
ラスに叩き起こされたゴトウィン。
「七番……すまない。やられた」
「今は反省してる場合じゃ無い。銀の姫は手に入れた。ヴァルキリー様の元まで逃げるぞ」
「皆はどうした?」
そう聞かれ目を背けるラスを見て、ゴトウィンは察します。
「そうか……」
「俺は能力を使いすぎた」
「ソレは俺が運ぼう」
と、ラスから気絶しているノアを受け取るゴトウィン。
そして二人は戦場から離れる様に、森林の中を駆けました。
当然ながら、普通の人間では絶対に追いつけない凄まじい速さで草木を避けながら駆け抜け、逃げ切りを図ります。
この森林を抜け、その先にある樹海と平野を抜けた先にある新王都まで辿り着けさえすればヴァルキリーバグと合流できる。そこに到れば十三槍の勝ちに等しい功績となります。
ラスは言いました。
「銀の姫さえ手に入れば、ヴァルキリー様が真のお姿になれる」
「俺たちの役目もこれで終わりか」
「いやまだだ。世界の英雄として、歴史に名を刻むまでは、ヴァルキリー様の戦いは終わらない。俺たちが守る」
「ふっ……そうだな」
森林を抜け、開けた場所までやってくると、先には樹海と呼ばれる魔の領域と、その両端に険しい山々が広がっていました。
ラスは勝利を確信した笑みを浮かべて、隣で走るゴトウィンに声を掛けます。
「樹海に入ってしまえばこっちのもの。皆の犠牲は、無駄ではなかった。なぁ九番――――ッ!?」
そうラスが言い掛けた時、空から降ってきた剣がゴトウィンの上半身を貫いていました。ゴトウィンの強靭な肉体が、あたかも果実だったかのように、刃物が貫いて血飛沫をあげました。
その光景にラスは言葉を失い、足を止めました。
「九番!」
九番が担いでいたノアが地面に落ちて転がる中、ラスは咄嗟に弓矢を構え、恐る恐る剣が降ってきた上空を見上げます。
そこには……青髪の女が周囲に大量の武器群を携えて浮いていました。殺気が渦を巻く異様な空間。その真ん中に浮かぶ女性は、ブレイバーケリドウェンです。
ケリドウェンはすぐに戦闘を開始するでもなく、こう言いました。
「これはこれは、足元で大きな鼠が走ってると思えば……十三槍の方々、初めまして。まず、質問をしてもいいかしら?」
ラスは返事をしませんでした。弓を構え、ケリドウェンに向けて矢を放ちます。
ケリドウェンは盾を空中に召喚して矢を弾きつつ、続けて発言します。
「なぜ、ダリスを襲いまして?」
「ダリス?」
「其方らが襲った人間の事ですわ」
「名前なんて知るか。銀の姫の情報を聞き出す為に襲ったまでのこと!」
「そう……」
その刹那、ケリドウェンの周りの空気が変わりました。和やかだった殺意が、急に鋭く尖ったような、空気に静電気が走ってラスの肌を刺激します。
ケリドウェンの周りを取り巻いている武器群が一斉にラスの方へと先端を向け、その地獄にも似た光景にラスは恐怖を感じました。ケリドウェンの存在をラスはよく知りませんでしたが、今まで会った誰よりも、敵にしてはいけない相手だと悟ります。
ケリドウェンは、上からラスを睨み付け、こんな言葉を言い放ちます。
「その行い、万死に値します」
直後、いったい何本あるかも分からない武器群が一斉に突進を始め、ラスに向かってきました。
「俺を……俺を舐めるなッ!」
正確に狙ってくる武器群の攻撃に、ラスは空間移動の連続使用で回避。更に上へ上へと移動して、ケリドウェンと同じ高さまで到ると、更に空間移動で不規則に場所を変えながら、矢を放ちました。
しかしケリドウェンの周りに浮いている盾が、矢を弾いてしまいます。矢で狙われているというのに、ケリドウェンは一切その場から移動していません。
そんな中、ケリドウェンが右手の平を前に突き出してたところ、そこから光線が放たれました。が、ラスはそれを空間移動で回避。
今度はケリドウェンは左手で握ったハンドガンで、パンパンパンと間髪を容れず連続射撃。その一髪がラスの頬を掠めました。
そして再び武器群が羽虫の大群の如く、ラスに襲いかかってきたので、再び空間移動で回避。
ラスはこの時、能力を連続使用しすぎた事で、目眩が起きていました。いくら空間移動という便利な能力があるといえど、これだけ使用すると身体への負担が大きいのです。
宙に浮かぶケリドウェンの多種多様な攻撃と、無数の盾による鉄壁な防御力。ラスは恐怖を超えて、感動にも似た感情を抱きつつ、こう思います。
(実力はヴァルキリー様と同等か、それ以上。これがブレイバー? ふざけるな。有り得ない。だが俺はあいつの攻撃を避けられる。勝機は必ずある! 俺は死んだって構わない。この脅威は今俺がここで叩く!)
遠距離攻撃が効かない為、今度はケリドウェンの背後に移動したラスはナイフで斬り掛かろうとしますが見えない障壁に弾かれてしまいます。更に盾による攻撃で押し返され、ラスは慌てて空間移動で距離を取りました。
距離を取った……はずが、先ほどまでケリドウェンがいた場所に彼女の姿はなく、そしてラスの背後に気配がありました。
「なっ!?」
再び空間移動で逃げるも、ケリドウェンはぴったりと追跡してきました。
そしてケリドウェンはラスの耳元で、こんな事を言うのです。
「あと何回、そうやって移動できるのかしらね」
「俺と似た能力を! 化け物め!」
何度移動しても同じ結果で、ケリドウェンは当たらない無駄な行動はやめて、ラスを追尾することでプレッシャーを与える戦法に切り替えたのです。
次第に立場は逆転し、ラスがいくらナイフを振り回そうが、いくら矢を放とうが、ケリドウェンが幽霊みたいに姿を消して、ラスの背後に現れてきました。
そしてラスの体力に限界が訪れ、浮遊能力は持ち合わせていないラスは重力に引っ張られて落下していきます。
落下するラスの視界には、更なる絶望が待ち受けていました。
ラスを囲うように配置された武器群が、全ての三百六十度、全ての方角に配置されていたのです。空間移動の距離を把握されたのか、距離も取られています。
つまり、あと一回空間移動が使えたとしても、絶対に潜り抜けられない武器群包囲網が完成していたのです。
あまりの絶望に、死を覚悟したラスは笑みを浮かべていました。
――――ラスは、思い出します。
ヴァルキリーバグと出会う前の過去の思い出が、走馬灯のように過ぎて……かつて愛した女性が――――
「走馬灯など、与えません」
と、ケリドウェンの冷酷無慈悲な言葉が遮ります。
ラスの体に武器が一本刺さり、また一本刺さり、更に一本刺さり……空中で一本ずつ刃物を貫通される苦しみがそこにはありました。
余す事無く、身体の全ての部位、隅々まで武器を刺すケリドウェン。
空中に残酷な華が咲きました。
すると、地上でまだ生きていたゴトウィンの意識が戻っており、
「ヤメロオオオオオオオオオオ!」
と、体を最大限まで肥大化させ、その辺の樹木よりも大きい巨人になりました。
黒い肌の巨人。真っ赤に燃え上がる瞳。悲しみと怒りが入り混じった表情。ゴトウィンはこの女こそが、十三槍をここまで追い詰めた張本人だと確信しました。
それが勘違いである事や、ケリドウェンが彼の有名な『空の魔女』である事は考えてもいません。
ケリドウェンを片手で一握りできそうな大きな拳で、ケリドウェンに殴り掛かります。しかし、空中を自在に飛び回るケリドウェンに、そんな攻撃は当たりません。
もはやケリドウェンは何も言葉を発する事なく、憎悪に満ちた冷たい眼差しで見下ろし、そして武器群を飛ばしていきます。それに対し、ゴトウィンは近くにあった樹木を両手で抜いて振り回し、武器群を振り払いました。
この時、地上で目が覚めたノアもいました。
元は誰だったのかも分からない死体と、ケリドウェンから一方的に蹂躙されている巨大なゴトウィンの姿を見て、最初は訳も分からず混乱していたノア。
ですが、次第に自分が拐われ、ケリドウェンが助けに来た事で戦闘になっているのではと理解しました。理解した上で、この惨劇を目の前にして、ノアは思うのです。
(どうして……なんで私なんかの為に、この人たちはそこまでするの……そんなにゼノビアの力が大事なの……ねえ、どうして)
この争いを止める為、大声を出そうと口を開いたノアでしたが、咄嗟に自分で自分の口を塞ぎました。
(今、ここで叫んだら、私の力が……)
結果として、ノアは座り込んで見ている事しかできませんでした。
あんなに優しい言葉を投げ掛けてくれたケリドウェンが、なぜこうまで怒って敵を駆逐しようとしてるのか、この時のノアはまだ知りません。
ドエム、マルガレータ、シャルロット、ルビー、ナポンの五名は先にルーナ村に戻っていました。
負傷したマルガレータを宿のベッドに寝かせていると、スウェンやエオナが騒ぎを聞きつけて起きてきました。
腹部に穴が空き大怪我を負ったマルガレータは、ブレイバーとは違い、その傷はすぐに癒される事はありません。巻かれた包帯は血が滲み、その痛みに唸り声をあげていました。
「その怪我は……なにがあったんだよ」
と、スウェン。
その頃、歩けるくらいに回復したドエムはノアがいない事に気付きました。
ルビーとナポンが、ノアは現場にやって来てしまい、十三槍の一人に連れ去られてしまった事を説明します。それをドエムの顔は青ざめ、まずはスウェンに向けて言い放ちます。
「なんで見ててくれなかったんだ! なんで!」
「俺の知った事か! てめぇらが勝手に始めた事だろうが! お前たちもノアも、勝手な事に勝手を重ねただけだ! 知らなかった俺を巻き込むな!」
そう言うスウェンに何も言い返せなかったドエムは、駆け出して部屋を出ようとしました。しかし、それをルビーが止めます。
「退いてよ! ノアを連れ戻してくる!」
「今更行っても遅いわ」
「そんなの分からないじゃないか!」
「それに、私たちが行かなくても帰ってくるわよ。だって、ケリドウェンがノアを追い掛けて行ったのだから」
そうルビーが説明した時、丁度戻ってきていたケリドウェンがノアと手を繋いで宿に入って来ていました。
「ご免遊ばせ。迷子の行き先はここで宜しかったかしら?」
「ノア!」
と、駆け寄るドエム。
ノアもドエムが無事である事に涙を浮かべ、二人は抱き合いました。
「あらあら。お熱いことで」
ケリドウェンは上品に口を押さえて笑いました。
ルビーやナポンは、ケリドウェンが傷や汚れの一つも付いていない全身を見て、戦いの結果がどうだったのか、察します。シャルロットも悲しそうな表情で俯きました。
そして宿にもう一人、先ほど命からがら逃げ延びた丸メガネの男が来て、
「ケリド」
と、まずはケリドウェンに声を掛けます。
「ダリス!」
先ほどまで上品な立ち振る舞いが嘘みたいに、年頃の乙女のような笑顔になったケリドウィンは、ダリスに飛びつき抱き締め、顔を彼の胸に埋めました。
「無事で良かったですわ。もう一人で何処かに行くなんてやめてくださいませ。とっても、とっても寂しかったのですから」
「ああ、心配かけたなケリド」
と、ケリドウェンの頭を撫でるダリス。
二人の様子を見ていたブレイバーエオナは、この二人の関係が以前会った時よりも強く深まっている事を感じていました。ブレイバーと人間の恋。それが行き着いた頂点に最も近い二人、そんな風にも思えます。
するとダリスは、ケリドウェンとの抱擁を一旦解いて、ドエム達の前に立ち、一礼します。
「キミ達には助けられた。なんとお礼を言ったらいいか」
ダリスがこうやって感謝を述べた事で、その場にいなかったスウェンやエオナも、ダリスを助ける戦闘であったと知りました。
その中で、シャルロットだけは複雑な表情を浮かべて、
「ミー達はそんなつもりじゃなかったです」
と、マルガレータがいる部屋に戻っていきました。
ダリスはそんなシャルロットの頬にあった数字記号を見て、黙ってこそいましたが、彼女達がなぜ仲間と戦ったのか考えるに至ります。
そしてルビーが、
「これにて一件落着ね。帰るわ」
と、ナポンと共に宿を出て行ってしまいました。
続けてケリドウェンも、
「また明日」
と、ダリスの腕を強引に引っ張りながら宿を後にします。
今宵、ルーナ村の近くで起きた戦闘は、十三槍四名の敗北で終わりました。
それを誰よりも深く強く感じ取っていたヴァルキリーバグは、屋根付きの歩廊で胸の痛みを覚え、蹲っていました。自身の子供達が惨殺された感覚が、ヴァルキリーバグの中をうごめいているのです。
心配してヴァルキリーバグを探していた零の始皇帝は、ウァルキリーバグの背後からこう話し掛けます。
「悲しいのですか」
と。
「これが悲しいという感情か」
「こうなる事を薄々感じながら、何故、助けに行かなかったのですか」
「……我は、彼らを試し、我自身を試した。最初に死の危険を感じた際、飛んで駆け付けてやりたいという考えも湧いた。だが……彼らであれば大丈夫だと。きっと困難を乗り越え、我が元へ帰ってきてくれると、そう信じたくなった。分からない。何が正しいのか、どうすれば良かったのか」
「ヴァルキリー。貴女は自分が救世主に成り得ないのではないかと、そう考えてしまっているのでしょうね」
「我はレクスに生み出されたバグ。人と同じ言葉を使い、思考し学習する力がある。だがそれが何だ。部下の統一もできず、道具だと思っていた銀の姫に心打たれてしまった結果がこれだ。これでは、管理者がもう一度現れた時、奴に勝てるかどうかも分からぬ」
そう言って床を殴るヴァルキリーバグ。
零の始皇帝はゆっくりと回り込み、ヴァルキイーバグの正面で腰を低くして、こう語り掛けます。
「貴女はもうバグではありません。人の心を持ち、情に溢れているのです。そんな貴女を信じ、まだ頑張ってくれている部下がいるでしょう。今、貴女が流しているその涙は、とても価値のあるものだと、私は思います」
バグは涙を流しません。しかし、ヴァルキリーバグは自身でも気付かない真っ赤な涙が、両目から溢れ出していました。零の始皇帝はそれを指で拭ってあげながら、続けて言います。
「私は愛したこの世を正す為、屈辱を受け入れ汚れることを誓いました。私が天下統一の暴君となりましょう。なら貴女も、世を救う為、流した涙を武器に変えてください。そうでなければ釣り合いません」
「……それが、人の強さか」
「人の誰しもがそうという訳ではありません。一歩間違えれば終わりです。貴女が今味わっている人の弱さが、今この世界に絶望を振り撒いてしまっているのですから」
そうやって零の始皇帝がヴァルキリーバグを励ます様子を、廊下の隅から聞き耳を立てている者達がおりました。一番から三番の騎士と、クロギツネの者達です。
二人の会話を、彼らがどんな気持ちで聞いているのか、それぞれ仮面によって表情が見えない為、分かりません。
ルーナ村では一夜が明けて、朝からドエム達はまだ動けないマルガレータを除いてケリドウェンの元へ集合していました。ルビーとナポンは来ていません。
ケリドウェンはダリスと共に屋外テーブル席に座り、紅茶を嗜んでいて、席が二つ余っていたのでドエムとスウェンが代表して座り、他は周りで立ち聞きという形になりました。
まず、ドエムがお礼を言います。
「ケリドウェン。昨日は……その、ノアを助けてくれて……ありがとうございました」
「どういたしまして。でもノアを助けたのはついでよ。わらわとしては、個人的な感情で動いたまで。怪我をしたダリスを見た時は、息が止まるかと思いましたわ」
ダリスが言います。
「逆に私からもキミ達に改めてお礼を言いたい。キミ達が来てくれなかったら、正直危なかった。ありがとう。ケリドからある程度の事情は聞いている。和の国ヤマトについて知りたいのだろう?」
「そうだ。俺たちはどうしてもその国に行って、不壊のホープストーンと、眠りのサイカにコンタクトを取らないといけない」
「ふむ。融合群体デュスノミアバグとの大戦で活躍の後、永遠の眠りについてしまったブレイバーサイカ。会ったところで、何か変えられると?」
「希望的観測でしかないが、俺達にはサイカと深い関わりのある少年と、奇跡を起こせるノアがいる。もしかしたら目覚めさせてやる事ができるかもしれない」
そう言われ、ダリスはドエムの顔を見ました。二人は過去にオーアニルで出会った事があり、会話こそしませんでしたが、顔は覚えていました。
ドエムの真剣な眼差しを見て、ダリスは本題を話始めます。
「和の国ヤマトは、特殊な結界に守られている国だ――――
融合群体デュスノミアバグですら追い返したとされる強力な結界で、証を持つ者だけが自由に出入りできる。恐らく、一部の交易商人やヤマトからの使者であるブレイバーナポンがそれを持っている。
なのでキミ達だけで入国する事は不可能だろう。
そしてキミ達が言う不壊のホープストーンとは、『大和の核』と呼ばれる魔晶石。それこそが国全体を守る結界を生成していて、不可侵条約で守られた国宝になる。国を守る大事な石だ。見せてもらう事はできても、触らせて貰うなど許されないはずだ。
もう一つの眠りのサイカについても、少々厄介かもしれない。
ヤマトという国は、世界地図上では一つの国として分類されているが、実際のヤマトは更に細かく国が分かれていて、自国の中で常に領土争いをしている戦国の地となっている。
戦国大名と呼ばれる領主が約二十名。その誰かにグンター王はサイカを預けたはずだが、誰なのかは明かされていない。だからサイカを手探りで探していれば、どれだけ時間が掛かるか分からないな。
希望があるとすれば、ヤマトではブレイバーを武神の子、神聖なる武士として、特別扱いを受けている事だ。大名は戦えるブレイバーを喉から手が出るほど欲しているそうだから、ドエムやエオナを交渉材料とすれば、何かしら情報は得られる可能性もある。
――――そんな国に、キミ達は行こうとしている。正直言って、あまりオススメはできない」
ダリスに説明されて、あまりの文化の違いに一同は驚きを隠せませんでした。
スウェンはしばらく考え込んだ後、
「思った以上に厄介な国なのは分かった。だけどよ、俺たちは止まる訳にはいかない。この国がこんなになっちまって第二のバグの国になろうとしてるのに、いつまでもバグと戦争してる訳にもいかないだろ」
と、言いました。
続けてドエムも口を開きます。
「希望は薄くても、そこに可能性が少しでもあるなら、そこに賭けてみたい。ヤマトに世界で起きてる事を伝えて、サイカを叩いてでも目覚めさせて、もしヤマトも何か問題があるなら解決してあげたい」
「私もそう思います!」
と、ノアも賛同してくれました。
すると、ずっと大人しく話を聞いていたケリドウェンが、急にこんな事を言い出したのです。
「だそうよ。いかがかしら」
ケリドウェンが声を掛けた方向にある長屋の影から、二人の人影が出てきます。ブレイバーナポンとルビーでした。
そう、ケリドウェンの計らいで、今回の会話は最初から二人に聞かれていたのです。
顔を出したものの、なかなか言葉を出さないナポンを、ルビーが軽い肘打ちで催促した事で、ナポンはようやく口を開きました。
「あんた達の考えは分かった。世界を救いたいというその意志、尊重しよう。あたいには当てもある。ただあんた達をヤマトに連れて行くにあたり、条件を出したい」
「条件?」
と、ドエム。
「ヤマトでは、弱いブレイバーが淘汰される。命か忠義かを選べと問われたなら、自分の命など微塵も惜しまない事が望まれる。その覚悟、武を持ってあたいに示してくれないか。つまりは果し合いだ」
それを聞いてドエムが立ち上がろうとすると、
「キミはいい。昨夜の戦いで見定めさせてもらった」
と、ナポンは止めました。
ドエムは拍子抜けとなりましたが、ルビーが近付いてきてドエムの耳元で囁きます。
「良かったじゃない」
この言葉で、ドエムは理解しました。あの夜、ルビーはどうしてドエムだけを連れ出し、あの場で起きる戦いを見せたのかを。こうなる事を予想しての、ルビーなりの気遣いだったのです。
そしてナポンは、エオナへと視線を移しました。
「ブレイバーエオナ。その腰に携えた刀。侍として見られるその風貌は、ヤマトでは最も注目されるブレイバーとなるんだよ。だからこそ、あんたの事はあたい自らの手で確かめさせてもらいたい」
「私か……?」
「できないか?」
エオナは自分の実力に自信がありませんでした。ドエム達一行の中では一番戦闘経験が豊富で、アリーヤ、オーアニル、エルドラド、それぞれの国で生き残った戦場は数あれど、そのほとんどが敗戦。運良く生き残ってきたに過ぎません。ブレイバースキルなど、特別な力を持っている訳でもありません。
エオナは自分の手の平を見つめ、今までの戦いを思い返し、
(ここで逃げたら、ただん弱虫になってしまう。向き合わな)
と、拳を握り締め決意を固めました。
「やるよ。私が皆の役に立てるのなら、今度こそ」
「では、本日の正午に教会前で」
と、ナポンは頭を下げたので、釣られてエオナも頭を下げました。
そしてナポンは続けて別の条件を言いました。
「それと、ブレイバーとあたいが共にいれば、人間はある程度大目に見てもらえる。ただし、あんた達の仲間にいるブレイバーロウセンだけは連れていく事ができない」
「は? なんでだよ」
と、スウェン。
「ヤマトでは機械式ブレイバーが忌み嫌われているからさ。過去に色々あってね。今では即刻処分の対象なんだ。連れて行けば入国拒否は免れない。分かってくれ」
するとケリドウェンが提案しました。
「ミラジスタのブレイバーが合流次第、わらわ達はバグに占拠された王都を攻める予定ですわ。ですので……ロウセンはこちらの戦力として、残してい頂けないかしら?」
「無茶だ!」
と、エオナ。
「あちらから出てくるのを悠長に待つなど、この半壊した国で、できると思いまして?」
「それは……そうだが……」
「其方達は其方達のやるべき事をやりなさい」
ノアが少し寂しそうな表情を浮かべながら、
「分かりました。ロウセンに聞いてみましょう」
と、言いました。
一旦は集まりが解散となり、ドエム達が宿の側で待機していたロウセンに、今回の経緯を説明している最中、シャルロットだけはマルガレータが眠る部屋を訪れていまいた。
あの戦いから今までずっと目覚めなかったマルガレータの意識が戻っており、部屋に入ってきて横に座るシャルロットに声を掛けます。
「無事……だったのね。シャルロット」
しかし、元気無く俯くシャルロットは何も答えてくれません。
「どうしたの?」
と、シャルロットの顔を触るマルガレータ。
シャルロットは、マルガレータの手を両手で握り、堰を切ったように泣き出しました。
「みんな死んじゃったです……みんな死んじゃったですよ……」
マルガレータは熱い涙を指先で感じ取りながら、
「私たちにできる最大限をしたわ。これも十三槍の運命だったのよ」
と、慰めの言葉を掛けます。
「うっ……うぅ……止める事できなかったです。これから……誰が、ヴァルキリー様を守るですか……」
「ディオールが、欠番が補充され、零も選ばれたと、そう言っていたわ。だから完全に折れた訳じゃない。きっと私達がいなくても、ヴァルキリー様は大丈夫よ」
「でも……」
「でもじゃない。私達はヴァルキリー様に任された事を遂行する。それが死んでいった仲間への、せめてもの手向けよ」
シャルロットは泣きながら、頷きました。
そしてマルガレータは、いつまでも赤ん坊のように泣くシャルロットの頭を撫でながら、
「貴女は本当に素直で可愛い子」
と、微笑みを向けました。
こうして、ルーナ村付近で起きた十三槍との戦いは、悲しみと希望を残して幕を閉じました。
【解説】
◆ラスとゴトウィンの最期
十三槍が銀の姫の情報を聞き出す為に強襲した人間は、ケリドウェンの恋人であるダリスであった。
その為、ケリドウェンの怒りを買ってしまった事で、十三槍の生き残りである七番ラスと九番ゴトウィンは、彼女の冷酷無慈悲な攻撃によって蹂躙される事となった。
その際、ラスはケリドウェンの戦闘力をヴァルキリーバグと同等かそれ以上であると判断していた。
◆レイシアの行方
ルビーのブレイバースキルによって苦しんでいたレイシアは、偶然にもドエムが掛けた言葉によって救われた。
深い眠りに入ったレイシアの身柄は、ナポンによって安全な所へ移動された為、彼女はまだ生きているはずである。
◆ヤマトの情報
今も尚、国内で領土争いを続けているとされる国。
ダリスから得た情報は、国を守る結界を生み出している『大和の核』と呼ばれる国宝の存在だった。
そして、約二十名いる戦国大名のうち、誰かがグンター王からサイカを預かったとされているが、誰かは分かっていないとのこと。
◆ナポンが求める事
弱いブレイバーが淘汰される国と説明した上で、ナポンはブレイバーに「覚悟を見せてほしい」と言った。
ドエムは十三槍に立ち向かった勇姿を評価されたが、その場に居合わせなかったエオナは、ナポンと果し合いを行う約束をする。




