111.決断の時
貴方はロールプレイングゲームで遊んだ事はありますでしょうか。
モンスターを倒し、クエストをクリアして、レベルを上げ装備を整える。そうやって多種多様な世界を一人の勇者になりきって楽しむゲームであると、私は認識しています。
もし、セーブポイントから再スタートした時、貴方の認識との相違があったとしたら……貴方は何を感じるでしょうか。
錦糸町にあるホテルの一室で、山寺妃美子はベッドで横になっていました。夕暮れ時の薄暗い部屋で、妃美子は藤守徹の二の腕を枕にして、互いの体温を感じながら、寄り添っています。
妃美子が最近起きた不思議な出来事を徹に話すと、徹は言いました。
「装備が変わっていた?」
「そうなの。聖王シリーズっていうレア装備」
「俺がやってた頃に実装された装備だな。確か、対人最強装備……だったか」
「そうそれ」
「物凄い高値な装備じゃなかったか。普通のプレイヤーは絶対お目に掛かれないレベルの」
「うん。だから、ギルド戦に参加しない私にとっては無縁の装備で、ずっとゲーム内ストレージにしまっていた倉庫番装備。それをなぜか装備していたの。有り得ない」
妃美子がそう言うと、徹はクスッと笑いました。
「なによ」
と、妃美子。
「妃美子さんからラグナレクオンラインの話を聞くのは……なんというか、面白くてな」
「馬鹿にしてる?」
「いや、いつまでも遊び心を忘れない大人は、魅力的さ」
「やめてよ恥ずかしい」
徹はしばらく考えた後、
「装備の件は、ブレイバーの仕業……かもな」
と、言いました。
「ブレイバーってそんな事ができるの?」
「ゲーム内での装備がブレイバーに影響しているのは、前に俺のブレイバーに実演してもらった事がある」
「じゃあ、私のブレイバーは聖王シリーズを使わないといけないくらい、何かに追い詰められたって事?」
「かもな」
妃美子は起き上がり、まるで子供を心配する母の様な顔で言いました。
「かもなって……向こうの世界は今、どうなってるのよ。私達、こんな呑気にしてる場合じゃないんじゃないの。やっぱり明月君に召喚を頼んでみた方が」
「それは無しになった。前にも言ったろ。琢磨はキミを巻き込みたくないと……」
その時、徹のスマートフォンからアラーム音が鳴りました。徹が予め設定したアラームでした。
徹は端末を手にとって、画面を押しそれを止めます。
「悪い。時間だ」
「もう?」
「司が腹を空かしてる」
「弁当で済ませちゃダメだからね」
徹はベッドから立ち上がり、手早く服を着始めます。その後ろで、妃美子も服を手に取りつつ、思い切った事を彼の背中に向かって言いました。
「徹さん……」
「ん?」
「昔、私の部下だった飯村彩乃さんも関係していた事だって言うし……やっぱり、知ってて無視するなんてできないわ。ねえ、もう一度、明月君に掛け合って貰えない?」
「ブレイバー召喚をか? 無茶を言うな」
「だって……」
その後は、ホテルのチェックアウトを済ませ、徹の自家用車で二人は移動を開始しました。
妃美子の自宅マンションに向かい、足立方面へと進行する車の中で、運転中の徹は何かを考えていて、無言の空気が漂っていました。
修復工事中のスカイツリーが見える通りを走行したところで、徹が口を開きました。
「昔、琢磨もブレイバーと交流した事で、結果的に多くの問題を抱え、頭を悩ませていた」
「うん……」
「ブレイバーが生きている世界は、まるで漫画の世界で……人と化け物とブレイバーが戦争をしている戦乱の世。彼らはそうゆう世界で生きてる」
「それは知ってるわ」
「考えて欲しい。戦時中、激動の時代を生きる者と、コミニュケーションを取るとはどうゆう事か。話はできても、助けになってやれる訳でもない。苦しい思いをするだけじゃないか」
「明月君は、偶然にも巻き込まれてしまったから、その苦しみは仕方なかったの?」
「彼は切り離すチャンスもあった。なのに、自ら継続を望んだんだ。結果的に人間を辞めてしまった」
「人間を辞めた?」
「人ならざる力を手に入れてしまったのさ。親でも兄弟でもない、未知の存在、サイカの為に決断したと聞いた。それはとても難しい選択だったんだろう」
長い信号待ち。停車した車の中で、徹は助手席に座る妃美子を見て、聞きます。
「妃美子さん。それでも、ブレイバードエムと会ってみる覚悟はあるか?」
その真剣な表情に、妃美子は思わず息を呑みます。
彼女の頭の中で、何処かファンタジーな世界で、化け物の群れと戦う緑髪の少年の姿が浮かびました。見たことも無いのに、想像なのに、それは本当にあった事の様な、リアルな幻影でした。
信号機の赤信号が青に変わり、車が走り出す頃、妃美子は答えます。
「覚悟はある。とても他人事とは思えないもの」
すると、徹は言いました。
「……実は、ブレイバーとの交流に関して、琢磨とは別に当てがある」
「え? どうゆうこと?」
「異世界からの来訪者で、自称天才科学者。彼女はそう名乗っていた」
「そんな人がいたの?」
「人ではないのかもしれないが……まあ、琢磨には内緒で異世界交流の実験をしたいって言っててな。話を聞いてみるか」
「な、なんか……怖い」
「悪い子じゃないのは俺が保証しよう。その天才は、琢磨の義理の妹だ」
「明月君の妹!?」
そうこう話してる内に、妃美子のマンション前に到着しました。
すっかり日も暮れてしまい、マンションの部屋から溢れる灯りや、街灯の光が輝いています。
「今日はデートしてくれてありがとう」
と、妃美子は降車して窓越しにお礼を告げました。
「最近物騒だから、戸締りはきちんとするんだぞ」
「わかってる」
「さっきの事は、俺からコンタクト取ってみるから、日程決まったら連絡する」
「うん」
「それじゃ」
そう言って、互いに名残惜しそうにしながらも、窓を閉めようとする徹。
妃美子は最後にもう一度声を掛けました。
「今度は司君も誘って、お台場にでも行こうよ」
「ああ、そうだな」
徹の車はゆっくりと発進して、そして夜の街へと去って行きました。
妃美子は車が見えなくなるまで手を振って、そしてホッと一息。幸せの時間を噛み締めて、マンションの中へと足を動かしました。
建物に入り、共用部のエレベーター前まで来ると、その壁に掛けられた電子ポスターが目に入りました。
『安心安全のインターネット。プログラムSAIKA導入済み』
このポスターは半年前にあったインターネットショックが切っ掛けに開発された対策プログラムを、マンションのインターネット設備に導入した知らせです。未知のウイルスによるインターネットショックを経験した今となっては、設備として導入するのが当たり前となってきています。
ポスターのモデルとなっている黒髪短髪の少女、バーチャルアイドルサイカが爽やかな顔でこちらを見ていました。その瞳は、何かを訴えている様な、そんな風に妃美子は感じられます。
妃美子は思い出します。大学病院にて、飯村彩乃が眠る集中治療室の前で、明月琢磨と出会った時の事を思い出します。そして琢磨が会社を退職して、去っていく背中を思い出します。
それと同時に、何かこれから良くない事が起きてしまう……そんな予感が、妃美子の脳裏を過ったのです。
(明月君……あの時から、こんな苦しみを……こんな重みを……背負っていたの?)
エレベーターの中で、妃美子はスマートフォンを取り出し、明月琢磨の連絡先を画面に表示させました。実は前に病院で再会した際に、連絡先を交換していました。
しかしそれ以来、一度も連絡を取った事がありません。その為、この電話番号が今でも繋がってくれるのかも分かりません。
部署は違えど、可愛い後輩だった明月琢磨が、今では何処か別次元の存在になってしまった気がして、彼に連絡する事を躊躇してしまっている妃美子でした。
徹を通してではなく、直接思いを伝える事ができれば、どんなに楽な事か。妃美子はもどかしい気持ちと葛藤しながらも、そっとスマートフォンの画面を消して、ミニバッグの中に端末を戻しました。
※
「あの、ドエムさん」
モンスターの蔓延る洞窟ダンジョンの最深部の安置で、腰を落としている二人がいました。ドエムとミドリンです。
ボスの湧き時間まで待機していた時、急にミドリンが声を掛けてきました。
「ん、なに?」
「ドエムさんは……えっと、どうして女の人なのに、男キャラを使ってるんですか?」
急な質問に、ドエムは先日うっかり自分のリアルの性別を明かしてしまった事を思い出します。
「あー、うん。まあ……この手のゲームってさ、性別を明かしてしまうと、色目を使われるから。どうもそうゆうのが鬱陶しくてね」
「えっ!? ゲームなのに恋愛とかあるんですか?」
「みんな中身は人間だからね。長く遊んでると、その人の事が段々と分かってきて、気になってきて、リアルがどんな人だろうとか……ね。あるんだよ。そうゆうの」
「それが嫌なんですか?」
「変に期待されたくないってだけ。色んな事あったから。経験則。ミドリンも気を付けなよ。男は狼だと思わないと」
「肝に命じて起きます……」
今度はドエムがミドリンに質問します。
「今、中学生だっけ? そろそろ初恋の一つや二つ、してる年頃かな?」
「恋……ですか。憧れはしますけど、全然で。学校の男子は、どうも子供っぽく見えちゃうと言うか、何と言うか……」
「それは恋愛ドラマの見過ぎだね」
「ええ!?」
「冗談」
「でも私、運動音痴で、空気読めない所もあって、学校だと凄い地味なんですよ。ほんとに。誰かに恋するとか、ドラマみたいな青春とか、何一つなくって、今こうやってネットゲームなんか一人でやっちゃってて……」
「部活とかやってないの?」
「えっと、吹奏楽を少々……下手っぴ……ですけど……」
「当たり前になってて気付いて無いだろうけど、部活だって立派な青春だよ」
「そうなんですかね? いまいち実感が……」
ドエムは立ち上がり、
「さて、そろそろ時間だ。ボスが沸くよ」
と、装備を換装しました。
ドエムが装備したのは、聖王シリーズと呼ばれる武器防具。いつもの杖ではなく、大きくて立派な槍を両手に持ちました。
その隣で、まだまだ初心者装備から抜け出せていないミドリンが、弓を持ちます。
「その装備、かっこいいですね」
と、ミドリン。
「ボス戦用じゃないんだけど……ワイバーン相手ならこれでも戦える」
「高い装備なんですか?」
「みんなの努力の結晶。値段じゃないよ。たまには……この装備の使い方、見せてあげないとね」
するとワイバーン出現の知らせが表示されました。
ミドリンの初心者ミッションで『ワイバーンを倒せ』というクエストがあり、それを達成する為にこの洞窟に二人はやって来ていました。
ドエムは事前にそのワイバーンが湧いてくる時間を調査して、狩りに来たところです。
「僕が前で戦うから、ミドリンは遠距離から援護お願い。くれぐれも前に出過ぎない様に。狙われてると思ったらすぐ離れて」
「分かりました!」
「それじゃ行くよ!」
洞窟ダンジョンの最深部。
どうぞボスと戦ってくださいと言わんばかりの広間、周囲は断崖絶壁に囲まれ、誤って落下すれば即死。そんな環境で二足の竜、矢尻の様な尻尾と、大きな翼を持つ赤のワイバーンと対峙します。
本来、複数人のパーティで討伐に挑み、前衛職が突破口を開き壁となり、後衛職が火力と支援をする攻略法が主流です。ですが、今回ワイバーン攻略に挑むのはハイウィザードのドエムと、初心者アーチャーのミドリンの二人のみ。側から見れば圧倒的不利。
しかし、三十年以上の時を経て、インフレにインフレを重ねたこのラグナレクオンラインというMMORPGにおいて、最大レベルを維持し、数々の最高級装備を整えたドエムが猛威を振るいます。
今正にワイバーンによる火炎攻撃が出されようとする刹那、ドエムは聖王の槍を構えるでもなく、石突きで地面を突きました。
槍が地に触れた際、ポーンと小気味好い音が鳴ったあと、その音は減衰して空気に溶けて消えて行きます。緑色の小さな魔法陣が浮かび上がり、それと同時に、無数の風の刃がワイバーンを切り刻みます。
ドエムは何度も槍で地を突き、そしてその度に風の刃が発生しました。ボスのHPゲージは見る見る減少する様を見て、ミドリンは驚きで矢を放つ手が止まっていました。
「凄い……」
ドエムが攻撃を続けながら説明します。
「この槍は、全職業向けの変わった武器なんだ。物理攻撃力も相当高い。でもこの槍の真骨頂は……使用者がカスタマイズできる強力なオートスペル効果。このゲームをやる者であれば、誰もが一度は使ってみたいと夢見る神器の一つ」
「そんな凄い物を……」
「ほら、矢を射って。前は僕が」
ワイバーンが炎を放てば、槍の柄を横にして風による防護シールドを展開。炎を退けます。
次に近接攻撃を仕掛けようと前に出てきたワイバーンを、穂を前に突き出して突風を発生。ワイバーン本体を押し返します。
距離が離れたところで、再びドエムは地面を叩き、風の刃で追撃を繰り返しました。ミドリンはドエムから貰った弓を構え、矢を放ち続けました。
この間、ドエムは一歩もその場を動いていません。ワイバーンの攻撃を防ぎ、押し返し、そして切り刻んでいきます。ドエムは一度も攻撃を受ける事なく、HP・MP共に一ミリも減っていません。
そんなドエムの頼もしい背中は、まるでこのゲームの申し子ではないかと、この時のミドリンが思うに相応しい姿でした。
(これが……このゲームを極めたドエムさんの……本当の強さ……)
ワイバーンの行動パターンが変わっても尚、ドエムはその場から動く事なく、敵のヘイトを受け続けながらこんな事を言ってきました。
「ミドリン」
「は、はい」
「ミドリンは若いから、これからきっと、沢山の事を経験するよ。学業とか、仕事とか、ゲームとか……恋愛とかさ。その中で、この遊びを続けるも良し。きっと後悔する事もあるかもしれない。自分がやってきた事は無駄だったんじゃないかって思う事もあるかもしれない。でも、そうじゃないんだ。全てが糧になる。全てが生きた証になるんだ。今目の前にある僕という努力と浪費の結晶を、どうかずっと、覚えていて欲しい。これが僕の誉れだから」
そう言って、ドエムはそのままワイバーンを翻弄。瀕死にさせました。
「さぁミドリン。後はキミの手で」
ミドリンは持てる最大限のスキルを使い、渾身の矢を放ちます。それはワイバーンの頭部に直撃し、そしてHPを全損させました。
ボスモンスターの消滅と共に、ドエムの頭上に最も活躍したプレイヤーを示すMVP表示が浮かび上がりました。
ワイバーンとのボス戦は、完全にドエムの独擅場でした。それはまだ女子中学生であるミドリンが憧れるには十分な活躍で有り、人生の大先輩に当たる少年キャラクターの背中は、とても大きく見えました。
※
まるで夢主がお手本を見せてくれたかの様に、今まで一度も使った事の無かった聖王の槍をボス戦で使用しました。本来であれば得意のボス特化杖で殴り倒すところを、あえて槍を使ったのです。
ドエムの夢の中で、夢主はこんな事を言いました。
『きっと後悔する事もあるかもしれない。自分がやってきた事は無駄だったんじゃないかって思う事もあるかもしれない。でも、そうじゃないんだ。全てが糧になる。全てが生きた証になるんだ』
と。
その言葉だけが、ドエムの頭の中で何度も再生されて、ブレイバーエンキドを消滅させてしまった罪悪感を撫で回しています。
ミラジスタで起きた悲劇から数日が経ち、シスターアイドル達が中心となって、生き残った人々とブレイバーは再び手を取り合いました。
町の至る所で家屋が崩壊していて、行方不明者が次々と遺体で発見される中でも、人々は必死になって復興作業に入っています。
先日の悲劇が嘘だったかのように、快晴の空と、温かな南風が吹く春陽気。太陽が付近を明るく照らし、木の葉が宙を舞っています。
そんな中、全焼してしまった宿屋エスポワールの前にやって来たドエムは、現場に残された多くの献花を目にして感動を覚えました。数え切れないほどの白いユリに淡いブルーの小花を合わせた優しい花束が、風に揺られていたのです。
ドエムがその場に立ち尽くしていると、この宿屋でお世話になった事のある多くの民衆が、別れを惜しむ様に花束を持ってきて、そっとその場に置いていきます。中には涙を流している人や、ブレイバーの姿もありました。
ブレイバーサダハルの人徳が成した光景なのでしょうか。
気がつくと、ドエムの横にスウェンが立っていました。彼は開口一番にこんな事を言ってきました。
「少年はよくやったよ。あの状況で、お前が立ち向かわなければ、もっと酷い事になっていた」
「無我夢中で……もっと話し合えたかもしれないのに……僕は……」
「話し合い? 馬鹿言うな。復讐の念に取り憑かれた奴に、綺麗な言葉が通用する訳がない」
「…………」
「それで、この国を出る決心は着いたのか?」
「出るって言っても、何処へ?」
「……和の国ヤマト。そこにあると言われている不壊の魔晶石とやらが、必要になる。そしてヤマトには、サイカも保管されているって話だ」
「サイカが!?」
すると、背後から歩み寄ってきたブレイバーエオナが説明しました。
「外部からの進攻を未然に防ぐ閉鎖国家。グンター王が、そこに英雄サイカを預けたというのは確かな情報なんだ。そして、その魔晶石というのも、この世界で最大級のホープストーン。それを利用すれば、閉ざされた未開の地への足掛かりになるかもしれない」
続いてシャルロットとマルガレータも顔を出し、マルガレータが言いました。
「その旅、私達も同行させて欲しい」
それにはスウェンが反対します。
「お前達は十三槍の一味だろ。いつ裏切るかも分からない奴と、これから仲良く旅仲間なんて無理に決まってる」
そう言われ、シャルロットが説明しました。
「ミー達はヴァルキリー様に言われたです。緑の少年ブレイバーを見定め、必要とあれば助けろって。それがミー達の新しい任務なのですよ」
マルガレータが、
「ヴァルキリー様に迷いが生まれたの。英雄ゼノビアを超える存在が、誕生しうる可能性が見えたと」
と、説明を加えました。
しかし納得しないのはスウェンです。
「今まで、うちの歌姫を散々狙っておいて、よく言うぜ。どうするよ、ブレイバーのお二人さん」
スウェンはドエムとエオナに判断を委ねました。
エオナは困ったようにドエムに顔を向けてきて、ドエムはマルガレータとシャルロットの顔を交互に見ます。マルガレータは目隠しをしている為、今いったいどんな表情をしているのか、読み取れません。シャルロットはひどく臆病そうな青い顔つきでドエムを見てきました。
この時、ドエムは先日のヴァルキリーバグの事を思い出します。
杖でヴァルキリーバグを殴った時、ヴァルキリーバグは微動だにもしなかったのです。普通のバグであれば、五番の男を殴った時のように、強い衝撃を与える攻撃のはずです。
昔、赤頭巾の少女を杖で叩いた時も、同じ現象がありました。
ドエムは口を開きます。
「信じよう。サダハルさんがそうしたように、十三槍ではなく人として、信じてあげたいと思う」
その言葉を聞いて、呆れ顔のスウェンを余所に、マルガレータはお辞儀をしてきました。
するとその隣で、シャルロットが何か悩んでいる様子を見せたので、ドエムは声を掛けます。
「どうしたの?」
「あ、いえ……その……ミーはこの町に……」
「この町に?」
「あうぅ……」
いつまでも言い出し難そうにしているシャルロットを見て、代わりにマルガレータが発言しました。
「この子、この町にお姉さんがいるらしいの」
「そのお姉さんと、会えてないの?」
と、ドエムがシャルロットに問います。
「うぅ……まだなのです。でもでも、姉上はきっと、ミーの事は嫌ってるかもです。まさかバグになって人間辞めてしまったミーが、突然現れたらおったまげるのです」
「その人の名前は?」
「シュレンダー・エメリッヒ。この町で科学者をやっていると聞いたです……」
シュレンダーという名前を聞いて、ドエムには思い当たる人物が一人いました。
かつてサイカ達とこの町に来た時に関わり、謎の実験に勤しみ、テロ事件の折に行方不明となった白衣姿の赤毛少女。確かにいわれて見れば、シャルロットはシュレンダーによく似ていて、髪や瞳の色も一緒です。
ドエムは言います。
「シュレンダー博士は、もうこの町にいないよ」
「えぇ!?」
驚きの声を上げるシャルロットの横で、マルガレータが聞きます。
「それは確かな情報なの?」
すると、当事者であるスウェンが答えました。
「少し違う。シュレンダーは、この世界にいない」
「世界にいない?」
スウェンは少し困った様な表情を見せ、
「ここで話すのもなんだ。場所を変えよう」
と、移動を始めました。
ドエム、エオナ、マルガレータ、シャルロットはスウェンに案内されて、再びホープストーン採掘地区にやって来ました。
昼間なら大勢の労働者と、王国兵士の警備が行われる場所ですが、町の復興に駆り出され、人の気配はありません。
そこでスウェンは、空一面に広がる青空を見上げたまま、何か思い耽っていたのでドエムが質問します。
「スウェン。旅立つ前に、シュレンダー博士がいなくなったあのテロ事件の真相を、話して欲しい」
「そう慌てるなって」
そう言って、スウェンは昔の思い出を語り出しました。
――――俺とシュレンダーは、この国でブレイバー研究の第一人者だった。
人間兵器と揶揄されたブレイバーの人体実験から始まり、研究は進められた。そしてブレイバーがいったい何処から来ているのか、その疑問を解き明かす為に行われたのが……異世界への空間移動実験。
俺達はそこで、被験体となったキャシーやワタアメに出会い、そして結晶化末期の英雄ゼノビアと出会った。それが全ての始まりだ。
当時のグンター王は、異世界への通り道とされる『狭間』にご執心でな。もし自由に行き来できれば、無限の資源、無限の兵力が手に入り、ブレイバーのバグ化の謎も解明すると信じられていた。
俺もシュレンダーも、ブレイバーやブレイバーの夢世界の秘密さえ知る事ができれば、この醜い戦いに終わりが来ると、そう信じていた。
だけどそれは間違いだったんだ。俺たち人類はブレイバー召喚の禁忌に触れただけでなく、更に禁忌を重ね、実験の失敗によって、マザーバグとその子供達……最悪となるレクスを生み出してしまった。
ワタアメとキャシーはレクスと共に消え、多くの研究仲間を失い、俺たちは逃げ出した。逃げるしかなかった。何も出来なかった。あの時の光景は、今でも夢に見る。
それから俺とシュレンダーは道を違えた。シュレンダーはここミラジスタでホープストーンの研究員として配属され、俺は国を捨ててレクス達の行方を追った。
長い旅だった。その果てで、俺はレクスと別れたキャシーとワタアメに再会して、ログアウトブレイバーズを結成した。レクスに抗う為の組織だ。
同時にレクスが何をしようとしているのか、その計画の全貌を知るに至った。
俺たちが目指していた異世界は、こことは違う文明を築き上げてきた世界。そこにも人間が存在し、そこでブレイバーが創造されていると知ったんだ。
レクスはその世界への扉を開き、この世界で生み出したバグの軍勢をあちら側に送り込み、二つの世界を同時に侵略しようとしていた。恐ろしい事だよな。俺たちが必死になって研究し、成し得なかった事を、レクスはやってのけようとしていたのだから。
俺はそれを止め……いや、違うな。俺はレクスよりも先に、向こうの世界への扉を開き、出し抜いてやるつもりだったってのが正しいか。俺は良くわからない存在に、異世界の研究において負けたくなかった。
ワタアメには反対された。狭間ではサマエルと呼ばれるバグの根元が膨らんでいて、全ての世界が崩壊しかねない危ない状況であると説明された。ワタアメが望んだのは、異世界への無干渉。
だけど俺とキャシーは、それすらも利用しようとするレクスがいるのだから、異世界に無干渉でいる事など不可能だと悟った。だからそこでワタアメとは道を違えた。思想の食い違いはログアウトブレイバーズの分裂に繋がり、ワタアメ派はレクス討伐を掲げて共和国へ旅立ってしまった。
俺とキャシーは、残された仲間達と異世界干渉の術を模索した。エルドラドのブレイバー精鋭部隊に襲われ壊滅寸前にもなったが、俺達は事情を知ったグンター王に見逃して貰えた事もあった。
そしてこのミラジスタの発掘地区に、異世界転移に十分な巨大ホープストーンが隠されている事を知り、サイカという異世界干渉のキーとなるブレイバーがいる事を知った。
俺はシュレンダー博士にその事を説明して、やるなら今しか無いと、テロ計画を遂行させたんだ。
計画は成功。シュレンダー博士は、巨大ホープストーンを通して、レクスより先にあちら側の世界へ送り込む事ができた。その内、何かしらの手筈で向こうの状況を伝えて貰う事にはなっているが……それは今のところ無い。
向こうで生きているというのはサイカから教えて貰ったんだがな。
まあ、今となっては、当時の仲間は誰一人として残っていない。みんないなくなってしまった――――
そう、このスウェンという男は、レクスにも負けない野望の持ち主でした。私も会話を交わした事はありますが、彼の異世界への探究心は計り知れないものです。
だからこそ、私も彼に賭けたのです。その判断は間違っていなかったと、自負しております。
スウェンの説明が終わり、最初に口を開いたのはシャルロットでした。
「なら、ミーの姉上は、異世界へ行ってしまったですか? もう会えないですか?」
「生きてりゃ会える日も来るだろう。あいつは自分の家族の話は一切した事無かったから、まさか妹がいたなんて知らなかったぜ」
と、スウェン。
「姉上は家族を嫌って家出してしまったですからして……ミーと違って頭も良くて、ミーに出来ない事は何でもできる姉上だったです」
それを聞いたスウェンは鼻で笑って、こう言いました。
「安心しろよシャルロット。そういう事なら、俺たちと一緒に来れば、必ず会わせてやるよ。お前の姉ちゃんに」
スウェンはそう言いますが、連絡も取れない状況で、本当に生きていると言えるのかは考えさせられますね。
それは人間に言い伝えられる『あの世』とほぼ同義と言えるのではないでしょうか。だからこそ、シャルロットの表情は、喜んでいるのか悲しんでいるのか、複雑なものでした。
それでも、シャルロットが旅に同行する理由としては、充分でした。
そんなやり取りがあってから、数日が経ちました。
少しずつミラジスタの復興作業が進む中、ドエム達の旅立ちの日が訪れました。
ドエム、スウェン、エオナ、マルガレータ、シャルロット、そしてロウセン。一人の人間と、三人のブレイバーと、二人のバグ人間が、ミラジスタを発ちます。救世主復活の為、他国にあるホープストーンを目指し、眠りのサイカを探す。きっとこの旅は、長く険しい旅となるでしょう。
町の出入り口まで見送りに来てくれた人達の中には、シスターアイドル達の姿もありました。
しかし、周りの関係者にとって気掛かりな事がありました。
あの惨劇から数日が経った今でも、ドエムとノアは微妙な関係が続いていました。仲が良いのか悪いのか、なぜか二人とも言葉を交わす事が無く、互いに避けてる関係になっていたのです。
旅立てば二度と会えないかもしれないのに、ドエムはエムに何も言わず、そしてノアもまたドエムに声を掛けませんでした。シスターアイドル達と一緒に見送りに来たノアは、寂しそうな表情でドエムを見つめています。
「まさかこんな風に見送ってもらえる日が俺に来るとはね……さあ、行くぞ」
と、スウェンが先に歩き出しました。
他の者も背中を向けて歩き出し、巨大な体を持つロウセンが歩く事で、小さな地響きが発生します。
ドエムは最後の最後までノアに声を掛けず、軽くお辞儀だけして振り返り、皆に続きます。
小さくなっていくドエムの背中を見みてるノアに、横からシスターアイドル達が話し掛けていました。
まずはケナン。
「ねえノア。ノアにとって、エムって何?」
「え?」
「命張って守ってくれた勇者がさ、こうやって旅立つってのに、なんで一言も声掛けてやらないのかなーって」
「それは……」
セトが続けて言います。
「ドエムはそこらのブレイバーとは違うよ。がむしゃらで危なっかしいけど、芯がある。きっとあたし達に会う前は、この前みたいな事をたくさん経験してきたんだろうね」
「うん……」
イエレドが続けて言います。
「ノアと……似てる……かも。お互い不器用」
イエレドの言葉に、シスターアイドル達は皆笑いました。
そしてラルエルが続けて言います。
「まずは海の向こうにある外国に行くそうですよ。そこにこの乱世を終わらせる為の鍵があるそうです。もしかしたら、もうここには還って来ないかもしれませんね」
「そうね……」
最後にメトシェラが言いました。
「この前のファイナルコンサートで、シスターアイドルは解散。もう、ノアを縛るものは何も無いわよ」
「メトシェラ……」
「迷ってるんでしょう。ドエムが旅立つって話を聞いた日から、ずっと様子が変だったもの。何をやるにも上の空で」
「だって、私が近くにいたら、エムに迷惑掛けちゃうかもしれない。嫌われるかもしれない」
「バカね。言葉では確かに来るなって言われるかもしれないけど。きっと彼は、受け入れてくれるわよ。名残惜しそうにノアのこと見ていたわ」
「でも……」
シスターアイドル達は、笑顔でノアの背中を押します。
「あいつを守れるのは、ノアだけさ」
と、ケナン。
「「「「行ってらっしゃい」」」」
ノアは最初こそ躊躇しましたが、振り返るとシスターアイドルの皆が笑いながらゴーサインを出していました。ノアは今までの悩みが解消された気がして、それでいて仲間達の心遣いが嬉しくて、涙がポロポロと零れ落ちます。
「みんな、ありがとう」
と、ノアはお礼を行って、前に走り出しました。
遠くに見える緑髪と白ローブの少年ブレイバーに向かって、ノアは叫びます。
「エムーーーー!!!!」
何度も叫びます。
「エムーーーー!!!!」
すると、ノアの声に気付いたドエムが足を止めて振り返りました。
「ノア……?」
「私も! 私も行く! 私に恩返しをさせて!」
「ノア、僕は――」
と、言い掛けたところで、ドエムは旅仲間達に背中を押されました。
スウェンが言います。
「危険だから来るなはこの際無しだ。あの子のチカラ、あの子の想い、分からないって訳じゃないだろ」
ドエムはこの時、今まで揺らいでいた気持ちが直った気がしました。
新しい仲間達が安らかな表情で見てきたので、ドエムは頷き、そして走り出します。
銀髪の少女と、緑髪の少年が互いに距離を詰めました。
「ノア!」
「エム!」
ノアの気持ちの高ぶり反応して、彼女の身体から光の粒が溢れ出していました。
やがてドエムが両手を広げて立ち止まり、そこにノアが飛び込みます。今まで気持ちを抑えていた分の抱擁が、そこにはありました。
二人を祝福するように、沢山の光の粒が取り巻いて、それはそれは神秘的な空間がそこに現れていました。その中心で抱き合うノアとドエムは、ずっとずっと、見ている人が呆れてしまうくらい長い間、互いの温もりを感じていました。
ドエム、スウェン、エオナ、マルガレータ、シャルロット、ロウセン……そしてノア。二人人の人間と、三人のブレイバーと、二人のバグ人間が、ミラジスタを発ちます。救世主復活の為、他国にあるホープストーンを目指し、眠りのサイカを探す。きっとこの旅は、長く険しい旅となるでしょう。
しかしドエムとノアであれば、きっと何かやって来れる。そんな期待も生まれました。
旅は道連れ世は情け。ドエムとノアの旅物語が、この時始まったのです。
【解説】
◆明月琢磨の義理の妹
天才博士でプリンが大好きな天才少女、明月朱里の事である。
第38話で異世界から現実世界への移動に成功しており、それ以来、日本政府の管理下の置かれながらも、天才的発明で大活躍している。
◆シャルロットの姉
シュレンダー博士の事で、明月朱里と同一人物。
変わった姉妹に育ってしまい、特にシュレンダーの天才児っぷりに嫌気が差した両親がシュレンダーを家庭内で疎外するようになった。
その為、シュレンダーは家出をして、一人でエルドラド王国の有名な研究員に成り上がっていた。
シャルロットはそんな姉のシュレンダーに会うという目的もあり、旅に協力してくれる事となった。
◆スウェンとシュレンダー
二人はブレイバーの人体実験場の研究仲間で、最初期からキャシーやワタアメ、そしてレクスとも知り合っていた。
英雄ゼノビアを使った実験が失敗した事で、その後の道は違えてしまったが、第29話で二人は再会を果たしている。
元々恋仲だった事は、秘密にされている。
◆ヴァルキリーバグの迷い
自らの目的の為、ノアを吸収してゼノビアとして復活を果たそうとしていたが、此度の戦いでその意志に迷いが生まれた。ドエムとノアが見せた可能性と奇跡により、ヴァルキリーバグは十三槍にノアを狙わせる事を一旦止めている。
それどころか十番のマルガレータや十一番のシャルロットに、その動向を見守るように指示を出している。
◆眠りのサイカ
エルドラド王国を窮地から救った英雄サイカは、永遠の眠りに着いたとされる。
グンター王は、そのサイカを閉鎖国家である和の国ヤマトに預けたとされているが、その理由については明かされていない。
◆ドエム達の旅立ち
救世主を求め、ドエム、スウェン、エオナ、マルガレータ、シャルロット、ロウセン、ノアの七名がミラジスタを旅立ちました。
敵同士だった者が手を組み、それぞれの思いを胸に秘めながら、彼らは互いに仲間と認識して進みます。
最初の目的地は……次回のお楽しみ。




