1.サイカ
「はじめまして……だな。私の夢主」
男は自身の創作したキャラクターに初めて話し掛けられた。
これは、決して交わる事の無かった二人が邂逅する物語。オンラインゲームのキャラクターだった一人の少女が、確かにそこで生きていたと言う最初の記録になる。
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月明かりが溢れる森林にて、樹木が生い茂る道無き道を颯爽と走る少女がいた。
右手には一本の刀を持ち、短い黒髮と長い鉢巻をなびかせ、赤い瞳を光らせる彼女の眼差しは逃げる敵を捉えている。
小さな川を飛び越え、岩を蹴り、太い枝を切り落とし、速度を落とす事なく敵を追い詰める。
やがて見晴らしの良い開けた場所に辿り着くと、敵はそこで足を止めて彼女を迎え撃とうと振り返ってきた。それを確認した彼女は、走る速度を上げつつも、刀を構えて姿勢を低くする。
敵は人間の形に模しているものの、黒紫色の巨体で、腕がニ本、宝石のような赤い目が頭と思しき箇所にニつ。この世界ではバグと呼ばれる異形の存在だ。
怪物であるバグは、彼女の次なる攻撃に備えて臨戦態勢に入った。
彼女の五人分にも相当するその大きな塊に、神速とも言える一刀が放たれる。それはバグの反応を凌駕しており、バグの脇腹が大きく斬り裂かれる事となった。
しかし、バグは痛みを感じていないかの様に、苦しむ事なく動き出す。そして両腕を動かし彼女を掴もうと襲い掛かるも、バグの手が彼女のいた所に到達する頃にはそこに姿はない。
彼女は宙を舞い、そしてバグの頭上から真っ直ぐ刀を突き立てる。その長い刀身が頭を貫いた事で、奇妙な呻き声をあげよろめくバグは、今度は苦しみを感じている様であった。
しかしバグはすぐに態勢を立て直し、頭上にいる彼女を捕まえようと二本の腕を頭上へと持っていく。それを察知した彼女は刀を抜き再び飛躍すると、バグの後方の地面へと降り立った。
バグは脇腹を斬られても、頭を刀が貫通してもその動きを止めはしないが、もともと俊敏さに欠けるその巨体が更に鈍くなった様には見える。
彼女は少し不満そうな表情を見せるも、再び次の攻撃に移ろうと刀を構えた。
その瞬間、バグの赤い目が怪しく光る。
何かが来ると感じた彼女が回避の為に動き出すと同時、バグの口から細い光線が放出され一瞬で彼女の右肩を貫いた。光の速さで彼女の肩に小さな風穴を開け、そこから血が吹き出す事となる。その激痛に彼女はよろめき、思わず傷口を手で抑えていた。
血が止まらず、刀を持つ右手が動かせない事に気付いた彼女はバグから距離を取る。その様子を窺うや否や、バグは再度光線を放ち追撃をしてきた。
それを予測した彼女は横に飛躍して回避したが、その追撃の光線は彼女の頬を掠める。
今の光線は、判断が一秒でも遅れていれば頭に直撃していた。彼女は生と死の瀬戸際を目の当たりにした事で、冷や汗と身震いをする。
バグは光線が有効と気付いたのか、続け様に二度三度と光線を放つ。放たれる瞬間を見てから避けていては間に合わないと悟った彼女は、左右へ小刻みにステップしてそれを回避。
五度目の光線を放とうとするバグに対し、彼女は太腿に隠し持っていた短剣を一本、バグの口に目掛けて素早く投擲。そして刀を左手に持ち替えて、姿勢は低くしながらバグに向かい前進した。
投げられた短剣は、今まさに光線が放たれようとしているバグの口に突き刺さる。その影響があってか、バグの上半身が内部から派手に破裂した。
腕も吹き飛び、残った二本の脚だけで何とか立っているバグは、それでも脚はしっかりと仁王立ちしている。
バグには脳と呼ばれる部分は無く、当然内臓や血液といった臓器も持っていない。無機質で出来ているその紫色の塊は、本体から切り離されるとすぐに消滅してしまう特性と原状回復能力も備わっている事が厄介だ。
そんな謎に包まれた物体は、弱点がある。それは、破裂した上半身の中から露わになっているコアと呼ばれる石。脈打つ様に光っているそれを破壊できれば、バグは消滅する。
彼女はコアの位置を目視で確認すると、再び大きく飛躍してバグの上半身に着地する。そのまま左手に持った刀を逆さにして、バグの体から剥き出しになっているコアにその矛先を向けた。
ほんの一瞬、そのコアがいったい何なのか解っている彼女の心に迷いが生じたように見えたが、すぐに彼女の左手は大きく刀を上げ、そして真っ直ぐコアを貫く。
刀が刺さった事でコアは光りを失い、バグの残っていた下半身も煙の様に消滅を始めた。彼女はそのまま地面に着地。
刀身に串刺しとなったコアはガラス玉の様に亀裂が入っているが、彼女はそれをそっと刀から抜いて懐に入れる。
そんな様子を見計らった様に後ろに人影が現れ、彼女に声を掛けてきた。
「おうおう、派手にやられたねぇ」
その声でもう一人の存在に気付いた彼女は、刀を腰の鞘に納刀しつつ、声がした方向に振り返る。そこには砂色のアサルトライフルを両手で持った迷彩服姿の男がいた。
長い金髪が特徴的なその男は、彼女の負傷した右肩を見て言った。
「手当てしてやろうか?」
「いい。このぐらいすぐに治る」
彼女はそう返事をすると、左手で肩の傷口を触って状態を確認する。すでに流血は止まり、光線が貫通して空いた傷口は塞がりつつあった。
男はその傷の様子を見るや、うっすらと笑みを浮かべながら続けて問いを投げる。
「お前も、ブレイバーか?」
「そう」
「ま、今時バグを倒そうなんて奴はブレイバーぐらいか。愚問だったな」
「見てたのか?」
「あー見てたよ。お前がヤバくなったら助けに入ろうと思ってたさ。決して漁夫の利しようとしてた訳じゃねーからな」
男の答えを聞きつつも、彼女は何も言わず男の横を通り過ぎて帰ろうとした。
「おい待てよ。俺はクロード。お前、名前は?」
その質問に彼女は足を止め、クロードに背中を向けたまま、
「サイカ」
と答えると、彼女は再び歩みを進め、その場を去って行った。