最悪な朝
次の日は最悪だった。
二日酔いにはならなかったけど、胃がすごくもたれた。いつまでも若者ではいられないと実感する。
いつもと同じ時間に家を出たのに、なぜか駅に着くのが遅くていつもの電車に駆け込んだ。
駆け込み乗車なんて滅多にしないんだけど。
きっと歩きながら考え過ぎていたのかもしれない。
今日の仕事のこと
洗濯物を干してくればよかったということ
お昼は何を食べようかということ
夜はTSUTAYAに寄って漫画の新巻がそろそろ出てるから買って帰ろうということ
ついでにスーパーでお米を絶対買って帰らなきゃということ
それから今日見た夢のこと
いつも乗る女性専用車両はホームの階段から少し距離がある。だから今日は階段の近くの普通車両に乗った。そんな時に限って人身事故で電車が途中で止まる。
最悪……。
お尻に生々しい温もりが触れる。振り払っても咳払いしても、大袈裟に全身を動かしても一瞬離れてはまた舞い戻ってくる。周りを見渡しても誰も気付いてくれない。ううん、気付いているけど気付いていない振りをしているのかもしれない。
もう最悪過ぎて、いい歳だけど泣きたくなる。
仕事は遅刻確定だし。
周りに聞こえるくらい大きな溜息が出た。
結局、痴漢に我慢できず、次の駅で降りて何本か見送ってから女性専用車両に乗った。
仕事はいつもより1時間も遅刻した。
今までの業務や新しい担当の事、まだ引き継ぎをしていないから今日中に上司から指示がくるはずだ。
私だけじゃなく、担当の異動があった人は結構いて今日は忙しくなる。
朝から上司の顔色を伺ってソワソワしていたが、なかなかお呼びはかかってこない。
遅刻のせいで、自分の仕事もキツキツだった。
「小川!」
「は、はい!」
突然、編集長から呼ばれ、ボールペンを落として慌てて拾う。
「お前、今日弁当?」
「いえ、違います」
「じゃ昼はあそこ行くか、あのタイ料理屋」
「はい。もう行きますか?」
時計を見ると12時までまだ30分もあった。
「あー、そうだな、もう行くかぁ。混んでたらあれだしな」
「分かりました、すぐ用意します」
会社のそばのタイ料理屋はいつ行っても空いている。ゆっくり話がしたいという事だ。
私はジャケットを羽織り、仕事用手帳と鞄を持った。
編集長は何も持たない。
「じゃ、行くか〜」
「お昼行ってきます」
周りの社員に挨拶したが、みな生半可な返事が返ってきた。
みんな今日はいつも以上にバタバタしている。
店までの道では朝の電車の遅延の話をした。
編集長も同じ線を使うが、今日はいつもより早い時間に乗ったため運良く満員電車には巻き込まれなかったそうだ。
「イラッシャイマセ〜」
ドアを開けるとお香の香りがモファっときた。
一人だったら絶対に入らない異国の雰囲気が強いお店だ。
ただ、ここのガパオライスは美味しい。
私達は真ん中の四人掛けのテーブル席に座った。
編集長はメニューを見ずに店員に頼む。
「ガパオライス2つ」
「ガパオライス2つ、カシコマリマシタ〜」
編集長に連れて来てもらうのは3回目だ。
私はガパオライス以外のメニューを知らない。
編集長がコップの水に口をつける。
私もつられて水を飲む。
「バイトの多田くん、今週末までだって。知ってた?」
「え!そうなんですか⁈全然知らなかったです!彼、関さんの紹介で入ったんですよね」
「そうそう。多田くんと言えば忘れられないのがーー」
ガパオライスが来るまで、私達は社内の他愛もない話をした。
ガパオライスが来てからは二人とも無言で食べた。
「ご馳走様でした」
やっぱり一人でも来ようかな、ガパオライス以外も気になるし。
「……でさぁ、五月先生の事なんだけど」
「はい」
待ってました!
「実は五月先生の方からなんだよね、担当替えてくれって言ってきたの」
「えっ……!そうなんですか……。何かトラブルでも……?」
「いや、そういうんじゃないんだけどね。すごい優しい人だから大丈夫」
「でも本田さんが五月先生のネット小説読んでスカウトしてデビューしたんですよね。それで出版作品は全部右肩上がりで……。一体どうしてですか?」
「いやいや、そんな大袈裟なことじゃないから。ほら、お互い若いし……、いろいろあるんだよ」
「いろいろ……。それって男女の仲ですか?」
大真面目に話していたのに編集長は吹き出して大笑いした。
「お前は深読み過ぎ!」
そんなこと言われたって、本田さんが五月先生にどんなに夢中になっていたか私は知っている。
難しい人なのかもしれない。
売れっ子作家さんを担当する楽しみから、一気に不安の谷底に落ちた気分。
不安だ。
「あ、……その事本田さんは?」
「もちろん知らない」
「まぁそうですよね……」
「五月先生も本田には感謝しているし、よく仕事が出来るって褒めていたから心配ないよ」
ますます分からない。
ではなぜ代わるんだろう?
私なんかで務まるのだろうか?