福笑い
ビールが美味しいと思うようになったのは最近だ。
「それでね、もう本当にすごかったんだから彼女!
私まるで加害者みたいで居づらいったらなんの!」
もう回り回って本田愛子の今日の話を3回もしている。
あれ?4回目か?
「でもさ、そんだけいい男ってことでしょ?
あんたその五月先生とどうにかなっちゃいなさいよ」
枝豆を頬張りながら他人の不幸を楽しんでいる彼は唯一の飲み仲間だ。
「もうさ〜
完っ全に山ちゃん楽しんでるよね〜
あ〜〜! 明日から会社行きたくなーい!」
「あら! やだ!
こんな楽しい事そうそうないわよ〜♡」
一つ訂正します。
彼ではなく、彼女。
山本義一(42歳)
戸籍は正真正銘の男。
あれ? じゃ彼でいーのか。
あ〜もうなんなんだよ今日は!
「やっぱ事実は小説より奇なりって言うものね〜♡
私が恋愛小説家だったらこのままあんたと五月先生くっつけちゃう♡
そんで〜、本田ちゃんとあんたのドロドロ書くの♡」
「山ちゃん……、それ絶対ないから」
ジョッキのビールを飲み干す。
これ何杯目だっけ?
おかわり何にしよう……。
もう考えるのが疲れた。
机にうなだれる私に山ちゃんが乗り出して聞く。
「だってあんたもうずっと彼氏いないじゃない! 恋だってしてないんでしょ?
あたしだって心配してやってんのよ」
うぅ……。
「ありがとう山ちゃん……」
もう何が何だか泣けてくる。
山ちゃんとはこの居酒屋「福笑い」で出会って2年くらい経つ。
「福笑い」は駅のそばにあり、昔ながらの赤提灯が店前に飾ってある。
仕事帰りに一人で寄っていて、ある日女将さんに話しかけられた。
「お姉さん、一人でいろいろ抱えてないで、全部吐き出しちゃいなさい。
話なら全部あそこのオカマが聞くから」
クルリと振り返った先に一人でカルアミルクを飲む山ちゃんがいた。
後で聞いた話だけど、話好きの山ちゃんにしょっちゅう話をせがまれて女将さんは手を焼いていたらしい。
あぁ、そういえばあの日も私はこんなふうに机にうなだれていたんだっけ。
「それよりあんた私の新作ちゃんと読んだ?どうだった? あんたでも読めた?」
……読めてない。
「読んだよ〜面白かったよ〜」
「あら本当⁈ なーんだ、連絡くれないし忙しそうにしてるし、どうせいつもみたいに読んでくれてないのかと思っちゃったわ!
あ〜、よかったぁ〜。今回のちょっとマニアックだったかなーって不安だったのよ、でもほら編集さんは大丈夫って言うし、でも私」
余程不安だったのか途端に饒舌になる山ちゃん。
山ちゃんはオネエだけど立派なミステリー作家だ。
すごく有名でサスペンス劇場にもなったことがある。
でもごめん山ちゃん、私ミステリー苦手なんだ。
それより山ちゃん、私の会社の話は……?
あ、もう3回も同じ話してるか……ははは……。
「ねぇ山ちゃん……、山ちゃんには忘れられない人っている?」