スランプ
微妙…………。
これでは売れない。
いや、売れるかもしれないが、売りにくい。
そして次作以降も売りにくくなってしまう。
作品によって色味が変わることは当たり前だが、ここまで変えてしまえば、せっかくのファンが離れてしまいかねない。
なにしろ読者の大半が若者だ。
五月暁の読者はこれを読みたいと思うか?
私自身が新作を楽しみにしていた一読者として、きっと読み終わった後に残念な気がすると思う。
私が、新作を楽しみにしている読者に読んでもらいたいのはこれじゃない。
何度も読み返した。
笹山さんもずっと用紙を見つめている。
凛ちゃんは笹山さんと私をじっと見ている。
その視線が痛くて、私は凛ちゃんの顔を見れない。
凛ちゃんと笹山さんのアイスコーヒーは、一口も飲まないままグラスの下に水滴が溜まっている。
私の頼んだ紅茶もぬるくなってしまっているだろう。
どれくらい時間が経ったのか…。
5分かもしれないし、10分、いや30分くらいは経っているのかもしれない。
ふと笹山さんの横顔を見た。
笹山さんは用紙をジッと見つめ、 額から汗が流れ落ちている。
エアコンの冷房が効いていて、私には寒いくらいだった。
笹山さんはなんて評価するだろう。
笹山さんが重い口を開いた。
「小川。」
「は、はい!」
「お前、どう思った?」
「えっ…と、そうですね、とても…いいんですけど…なんていうか…、五月先生の作風としてはもっとエンターテイメント性が強い方が読者の方は望まれていると思うんです。
もちろん、これはこれで読んでみたいと思う気持ちもあるんですが…ただ書店で五月先生の今までの作品と並べて販売されると、どうしても浮いてしまうというか…。」
「……あぁ、まぁそうだよな。」
笹山さんはふーっと息を吐いた。
凛ちゃんは右手を口元に当て、自分の手元の紙を見ている。
「僕も同意見です。今まで五月先生の作品を読んできた読者は、きっとこれを手にしたら戸惑ってしまう。もちろんレジには行くと思いますよ。ただ……読み終わった後、彼らは納得できるでしょうか。五月先生の作品には救いがあった。あまりうまく説明出来ないのですが…。」
「いえ…、仰ってることは分かります。そうですね……。」
「……。」
「もちろん我々としても、先生が書きたいのであれば応援させて頂きたい。しかし、今は今秋に発売の新刊のお話です。……先生がよろしければ、こちらは文芸誌「文楽」に連載という形をとるほうが宜しいかと思います。あくまでも編集長と相談が必要ですが。」
「そうですか……。」
「……。」
凛ちゃんがアイスコーヒーに口をつけた。
笹山さんもそれに真似てアイスコーヒーを飲んだ。
私もそっと紅茶を飲んだ。
「そうですね…。あまり時間もなくなってきましたし、この話にユーモアを取り入れるとかどうです?」
「いえ、それは……。」
「……。」
「例えば、これですが……。」
笹山さんはそれからありとあらゆる案を提案したが、どれも凛ちゃんは首を縦に振ることはなかった。
「ではまた来週に打ち合わせを設けましょう。ご予定はいかがでしょうか。」
「大丈夫です。」
「ではまたこの場所に2時で宜しいですね。」
「…はい。」
凛ちゃんの表情は硬い。
ふと時計を見るともう4時を過ぎていた。
私はほとんど何も発言できなかった。
「では会計は我々が済ませておきますので。」
「ええ、では……。」
凛ちゃんが荷物をまとめ、席を立った。
……凛ちゃんが行っちゃう。
「それでは失礼します。」
「ええ、ご足労いただきありがとうございました。」
笹山さんは深くお辞儀した。
凛ちゃんも軽く一礼すると、出口に向け歩き出した。
私はその瞬間、足が、手が動き出していた。
私の手が凛ちゃんの手首を掴んだ。
凛ちゃんは驚いて振り返る。
「あの……、えっと……。」
何も言葉にできない。
凛ちゃんは私の耳元に顔を近づけ、そっと囁いた。
「連絡する。」