現実
会社に戻ると一気に夢気分が抜けた。
私が戻るなり、担当上司の笹山さんの怒号が飛んだからだ。
「新作のプロット預かってこなかった?
お前何考えてるんだ!」
「…はい、すみません……。」
「すみませんじゃねぇだろ?
五月先生だぞ!
余計なダメ出しでもしたんじゃねーのか?!」
「全然そういうんではなく…」
「そういうってどういうだよ!
ふざけんなよ!」
「……すみません。」
私は頭を下げてひたすら謝るしかなかった。
こんな展開予想外だった。
次の新作会議までまだ余裕はあるはず。
でも五月先生に対しての期待度は大きかったから。
狭い社内、周りの視線が痛かった。
思い出せば、今日は新作についての具体的な話すらしてこなかった。
私がした話といえば、高校の思い出話だ。
これがバレたら……。
うっ…………。
頭の中で北の国からが流れ出す。
それから笹山さんの怒号は1時間続き、どうしても急用という社員が割り込んでくれて幕が引いた。
笹山さんは社内の隅々、いや天井裏のネズミでさえ聞こえるくらいの溜息をついた。
「とりあえず来週また打ち合わせするんなら俺も行くから。それまでに何かあったらすぐ言え。それからこれも。お前の仕事な。」
大量の仕事を押し付け、笹山さんは遠くのデスクへ消えて行った。
はぁ……。
来週の打ち合わせを考えると胃が痛い。
五月暁 【サツキアキラ】はネット小説が話題になり、前任の本田さんがスカウトしてデビューした。
そのネット小説は私は読んではいないが、異世界に転生する話だとか。
デビュー作「ワーキングホリデー」は、その名の通り、海外を舞台にワーキングホリデーの若者4人を軸にした話で笑いあり、涙ありで若者の間で人気となった。
次作は、山村留学の小学生が主人公で、山村の人々を巻き込んだドタバタストーリー。
そしてその次は中年男性が主人公で、自殺しようとした森で殺人事件を目撃してしまい、逃げて彷徨っているうちに殺人犯と遭遇し、お互い気付かずに意気投合して帰路を目指す
というサスペンスのようなギャグのようなヒューマンストーリー。
次々と幅広い層のファンが増え、実写化の要望だって多い。
とくに前作の、水族館を舞台にしたオムニバスラブストーリーは「泣ける!!」と若い女性から圧倒的な支持があった。
テンポ良く読めて、クスリと笑える箇所があり、終盤ではしんみりする。
そして読み終わったら
「あーもう読み終わっちゃった!」
と名残惜しくなる。
そんな作家だ。
今の社内の作家の中で、一番新作を楽しみにしていた。
きっと私なんかとは遠い世界を生きてきた人だと思っていた。
まさか凛ちゃんだなんて。
遠い日、同じ時間、同じ教室で、同じ授業を聞いて、同じことで笑っていた。
9時頃に山ちゃんからの着信履歴があった。
残業で出れなかったけど、きっと福笑いのお誘いだと思う。
最近は忙しい日が続いて、山ちゃんとは全然会えていない。
こうして今まで多くの友達が疎遠になっていった。
でも山ちゃんは、お互い時間が出来たらまたいつものように自然と飲める。
歳も性別も職業も超えて笑いあえる。
山ちゃんに話したいことがいっぱいだよ。
でも話さないほうがいいのかな……。
早く進む現実に、私だって追いついていけない。