約束
事の発端は俺が中学2年生のとき、今から2年前の話だった。当時不登校気味だった俺は、オンラインゲームにどっぷりとはまって抜け出せなくなっていた。オンラインゲームと言ってもMMO型のものではなく、格闘ゲームにネット対戦の要素が付いたなんちゃってオンラインだ。
とにかく、暇な時間が有り余っていた俺はそれにどっぷりと浸かっていた。しかしそのおかげと言うべきか、俺はそのゲーム内においては凄腕プレイヤーとして名を馳せていた。
中学2年生の頃は、家族の中で唯一気兼ねなく会話ができた姉にこんな風に話したことがある。姉は俺より3つ年上で、当時は高校2年生であった。姉だけは、当時学校に行かなくなってしまった俺にも、以前と同じように明るく接してくれていた。
「あんた、何でそんなにそのゲームが好きなの?」
「そりゃ、勝てるからだよ」
姉は俺の部屋の床に腰を下ろしたままもったいぶって腕組みをして見せた。
「じゃあ、負けたら嫌になるわけ?」
「そりゃ嫌だよ」
「でも、ちょっとぐらい負けることだってあるでしょ?」
「ないね。負けが込んだら絶対嫌になるもん。で、俺は強いから負けないの」
「負けるようになったら辞めて学校行く?」
「おお、辞めるね。そんなの有り得ない」
この『有り得ない』は、負けるのがとてつもなく嫌だと言う意味と、しかし実際に俺が負ける事態は起こりえないと言う意味が込められていた。
格闘ゲームにおいては、相手の挙動を読む機敏さが必要になる。だから、ただ徒に時間だけかけて練習すればいいと言うものでもなく、俺は天性の勘の良さからかそのゲーム内で古参プレイヤーを押しのけて頭角を現したのであった。
対戦はランダムマッチした相手をリストに登録することができ、相互登録した場合のみ相手がオンラインに潜った時に互いに通達が行くようにできている。更に、相互リスト登録は直接対戦申請もできるようになる。だから、気に入った相手とはそうやって何回も戦うことができるのだが、俺のリストは未だに空白だった。連戦したいと思える相手がいないのだ。
両親は、部屋に籠り切りな俺の元へたびたび姉を遣わして説得を頼んだらしいが、当の姉がのんびりとした調子で説得などとは程遠い行動をしていたので、俺は姉と仲違いせずに済んでいた。
「ねえ、あんたいつ学校行くの?お父さんもお母さんも心配してるよ?」
「もう今更行けないし行きたくもない」
俺がそういうと、姉はふーんとどうでも良さそうな相槌を打った。
「ま、いいんじゃない。あんたがそういうなら」
「え?」
ここでてっきり食い下がられるかと思っていた俺は、拍子抜けしたのを覚えている。
「義務教育つっても、あんたにも色々あるだろうし。でも、勉強はしといた方が便利だよ。あんた、学校が嫌なだけで勉強は嫌いじゃないんでしょ?」
「う、まあ」
主に人間関係の方面で学校に嫌気が差していた俺にとって、勉強することはさほどの苦行でもなかったが。
「でも、ゲームの方が楽しい」
結局これに行きつく。すると、姉は俺の方をじっと見つめてきた。何を言うでもなく突然見つめられ、俺は何やら居心地が悪くなった。
「な、なんだよ……」
堪え切れずそう漏らすと、姉は小さく首を振った。
「ううん。なんでもない」
それからしばらくすると、俺のゲーム内天下に影が差し始めた。なんとかつての俺と同じように、ばりばりに上手い初心者が現れ、どんどん上達していっているそうだ。ネット上での評価はかつての俺を越える勢いであった。一度ランダムマッチで件の初心者と当たったが、ニュービーとは思えぬ読みスキルに大苦戦を強いられた。もちろん、最終的には俺の勝利で終わったが。
俺が、本来なら中学3年生になっている時の話であった。
「お姉ちゃんさ、なんと大学の推薦をゲットしたんだぜ?」
あるとき、例によって姉と会話してるときに唐突かつ自慢げに彼女は切りだした。姉は高校3年生になっていて、季節は秋に差し掛かっていた。
「へえ、すごいね。おめでとう!」
素直に褒め称えると姉は嬉しそうに言った。
「これでみんなが受験勉強してる間、私だけ勉強せず気ままに過ごせるってわけ。いやー。流石わたし!」
調子に乗っている姉だが、姉が大好きであった俺も勢いで「流石姉ちゃん!」とでも言ってしまいそうな空気であった。
「でさ、」
と、姉は不意に数段トーンを下げて言った。
「私にも暇ができたし、あんたの勉強見てあげるよ。今からなら間に合うし、高校に行ければいくらでもやり直せるからさ」
現実的な話に、俺の機嫌は急激に悪くなっていった。
「別に。大丈夫だよ」
何が大丈夫なのか分からないが、とにかくこの話は切り上げたかった。
例の初心者は、もう初心者なんて呼べるものではなく、今では俺とタメを張る実力者として認識されていた。ネット上での評価は俺と五分五分だったが、将来性はあいつの方が上だと言う結論が出ていて気に入らなかった。
再びマッチングした時、俺は4戦2勝で久々に勝ち越せない相手と出会い複雑な気持ちになっていた。怖さと嬉しさを半々に含んだ気持ちを胸に、俺はそいつをリスト登録した。その時になって気が付いたが、相手はもう既に俺をリスト登録しており、従ってこれで相互登録されいつでも対戦ができるようになった。
「久々にゲームしようか」
姉の一言で、俺は古いゲームで遊ぶことになった。ここ2、3年はオンラインで例の格ゲーばっかやっていたので、オフでしかも全然やり込んでいないゲームをやると言うのは新鮮な話だった。昔は姉弟一緒にゲームをやったものだった。
格ゲーは例えゲームが違うとしてもスキルの面で俺が有利過ぎるので避け、レース・2Dアクション・RPGを一緒にプレイした。レースゲームでは俺が圧倒的勝利をした試合が多かったが、何故か接戦になると必ず姉に勝利を奪われた。
曰く、「あんたは僅差になると焦りが出るね。逆境に弱いタイプだ」らしい。それも当然の話だ。逆境に強かったなら、俺はきっと不登校になどなっていなかっただろう。
本職の格ゲーの方では、フレンド登録した例の輩が凄まじく腕を挙げており、俺は次第に勝てなくなっていった。あいつは他の格ゲーマーとの戦いにおいては俺より格下の弱い人に負けたりしていたものの、俺との対戦においては無類の強さを発揮し、オンラインの全一を決める闘いにおいて俺を破り一位に輝いた。遂に、俺の天下は終わったのだった。
しかし、ゲームにおいてはそれからが本番と言った所だろう。俺は、奴に勝つために今まで以上にやり込むようになり、徹底的にスキルを磨いた。画面の向こうにいるであろう相手に絶対に負けないよう、本気を出した。それでも、俺がやり込めばやり込むほど奴との差は開いていくように感じられた。奴もまた凄まじい腕で、もはや俺に一戦たりとも勝利を与えてはくれなかった。
姉が大学入学を目前に控えた春、久しぶりに俺の部屋へやってきた。ここ最近姉はめっきり部屋に訪ねて来なくなっていた。別れが惜しい友達と遊び呆けてでもいたのだろうか。どちらにせよ部屋から出ない俺には例え姉が家に居ようと出かけていようとそれさえ知る由がなかった。
「あんた、まだゲームやってるの」
久方ぶりに顔を合わす姉は、思いのほか厳しい目をしていた。
「うん」
「辞めようとか思わないの? もう3月だよ」
3月か。春だとは思っていたが3月になっていたとは。
「どうするの? もう高校に入る機会失っちゃうよ? 定時制ならまだどこか面接を受けて間に合う所があるかもしれないし……」
姉の現実的な言葉の羅列に、俺は堪らなくなって叫んだ。
「つよいやつが!!」
「な、なに……?」
「俺より強い奴が、現れたんだ。そいつに勝つまでは辞められない」
すると、姉はみるみる顔色を失って、口元を震わせた。
「なにそれ……」
少し予想外の反応に俺は言葉を失った。姉はまるで寒中にいるみたいに、真っ青になったまま震え声で言葉を紡いだ。
「あんた……負けたら嫌になって辞めるって言ったよね……なに約束破ってるの」
「は? 約束?」
そういえばそんな風なことを言ったような気がする。しかし約束した覚えはない。
「このゲームで俺より強い奴が現れた。こんなに悔しいことはない! 俺はそいつに完勝するまで辞められなくなった! 絶対に!!」
勢いに任せてそう宣言してしまうと、姉は何故か膝から崩れ落ち、しまいには泣き出してしまった。両親の他に、遂に大好きな姉までもを泣かせてしまったわけだが、一体俺が彼女に何をしでかしたのかは皆目見当が付かなかった。
それからしばらくたったある日、俺は例の全一ゲーマーと再戦した。奴は俺の挙動や癖を悉く、そう、まるで幼い頃から俺のゲームプレイを見て来たかのように見抜いてきて厄介極まりなかった。しかし、今日に限っては挙動がとてつもなくぬるく、俺はあっさりと勝利してしまった。あれほど渇望した久々の勝利がこんなに容易く手に入ってしまったのだ。舐めプ、つまり手加減プレイをされていることは明らかだったので、俺はその後何度も奴と再戦したが、奴の挙動は緩慢で、ゲームは全部俺の勝利に終わった。
まるで、俺に勝利を譲ろうとしているかのように……