第十一話 黒い杖
「誰のせいでっ!」
叫んだニールティアーの姿は、天女というには禍々しい姿をしていた。
逆立つ髪は波立ち、瞳が血走り、切り落とされた手首は未だに血を流し続けている。ヒロちゃんが言うとおり正に、
魔女。
それは、もはや狂ってしまった女の姿だった。
でも、僕はその直後に、彼女が叫んだ言葉に違和感を覚える。
「どうして、どうして来たのっ!?今頃になって、知りたくなかったのに!!!」
彼女が何を言っているのか、僕には分らなかった。
その叫びが何を示しているのか、僕が知るのは全てが終わった後になる。
第十一話 黒い杖
僕らを睨みつけたままニールティアーが残っている手をかざすと、その中に一つの杖が現れた。
見る限り大した装飾もない、何の変哲もない棒状の杖。
彼女はそれに滴り落ちる自分の血をつけると、言葉を言い放つ。
「我を守れ、ディルヴァ・トゥ・マジス。」
言葉に呼応するように、ディルヴァ・トゥ・マジスは付着した血痕から黒く浸食されていくように染まっていく。
それは、まるで僕が何度か見たヒロちゃんの黒の剣と同じような光景。
「・・・まじかよ。」
それを見て茫然としている僕の耳に、面倒くさそうなヒロちゃんの声が聞こえた。
「ヒロちゃん、あれって・・・。」
「言いたいことは分かるが、今はそれを確かめている余裕はない。エヴァは、カイと後ろに下がっていろ。」
僕とカイの方なんて全く見ようともしないで、ヒロちゃんは張りつめた表情のままニールティアーだけを見ている。
ヒロちゃんのこんな切羽詰まった顔は、短い付き合いじゃない僕でも初めて見る。
ただ漠然とした恐怖しか感じない僕とは違って、ヒロちゃんは目の前のニールティアーに別のものを感じているのかもしれない。
同じものを感じられない自分が悔しかった。
僕がそんなことを考えている間にも、ヒロちゃんは黒の剣を黒く変えると、僕らを置いて前に出るとニールティアーに向き合った。
それに反応して、ニールティアーが敵意をむき出しにする。
「ディルヴァ・トゥ・マジスは渡さないわっ!兄さんが私を迎えに来るまでっ!!!何がご先祖さまよ!あんたなんかにっ!!!」
そして、黒い杖を、ディルヴァ・トゥ・マジスを振り上げる。
「出でよ、我が守護を司りしものっ!!」
ニールティアの言葉に呼応するように、揺れる花畑。
そして、地響きの後、紫の花の下からズズ・・・ズと音をたてて現われたのは、見たこともないほど大きな怪物・・・・の骨。
「な・・・何、あれ・・・・?」
全長は20メートル以上あるんじゃないかな?
花を踏みつぶすように地面を踏みしめる四本の足には、僕らを軽く串刺しにでもしてしまいそうな長く、鋭い爪が付いている。
そして、長い尻尾は太く、背中の翼からは強風が吹き荒れ、頭には一本大きな角があり、口には僕らを噛み砕かんと鋭い牙が待ち受けている。
骨じゃなきゃ、どんな怪物なのか想像もつかないけど、ともかく恐ろしいに違いないその姿に、ヒロちゃんに言われたとおり離れた場所で隠れているしかない僕は震えあがった。
それこそ、このまま失神できたらどんなに幸せだろうと、僕は本気で思った。
ギャギャギャァっ
上がる鳴き声は、離れている僕らの耳が痛くなるくらい大きく、眼の前にいるヒロちゃんを威嚇するようだ。
不浄の大地でも見たことがない怪物。
そんな怪物を前にして唖然として声も出ない、動けもしない僕を尻目に、怪物は前足を上げてそのまま踏み潰してしまおうとヒロちゃんに向かって前足を振り下ろす。
立っていられないくらいの揺れとともに、その衝撃で紫の花びらがそこらじゅうに飛び散った。
「ヒロちゃんっ!!」
叫んだ僕の目には、辛うじてその攻撃を避けたらしいヒロちゃんが花の中に倒れこんでいるのが見えた。
あんな攻撃をまともにくらったら、いくらヒロちゃんだって一たまりもないに決まっている。あれで生きていたら、それこそ人間じゃないよ。
骨人間と戦った時と同様に、急に怖くなった。
そう思った瞬間、僕はヒロちゃんに向かって駈け出す。
ヒロちゃんが死んでしまうのではないかという恐怖が、眼の前の怪物に対する恐怖より勝ったんだ。
「来るなっ!」
だけど、ヒロちゃんはそんな僕の行動をその目で見ていないのに、見ているかのように僕に向かって叫んだ。
「でもっ!」
それでも、僕は食い下がる。
ヒロちゃんを失うなんて、僕には我慢できない。
どうして、こんな風に思うか理屈じゃ説明できないけど、そんなことになるくらいなら、僕は自分がどうなったっていい。
それで、ヒロちゃんの命が助かるなら・・・って、それくらいに、僕は真剣だった。
なのにヒロちゃんは、僕の言葉を聞いてくれない。
「邪魔だっ!お前を庇いながら戦うのは無理だ!!下がっていろっ。」
違う!僕は守ってほしいんじゃないんだ。
ヒロちゃんと一緒に戦いたい。一緒にいたいだけなんだよっ。
そう心の中で強く言い返すけど、ヒロちゃんの強い拒否に僕は体が竦み、言葉が出てこない。
言っている間にもヒロちゃんは怪物の攻撃を避けながら、それでも自分も黒の剣を使い、黒い刃を放って攻撃をしている。
でも、骨人間を一掃するほどの威力を持つ攻撃のはずなのに、頑丈な怪物の骨には通用しないのか、怪物には傷一つついていない。
それに、さっきの骨人間たちとの戦いで、ヒロちゃんは負傷していたはずだ。
僕の目にも、ヒロちゃんの動きにいつものキレがないのは明らかだった。
このままじゃ、本当に・・・。
僕は何もできない無力感に苛まれながら、力なく紫の花の中に膝をつく。
どうしたら、どうしたらいいんだろう?
僕に何かできることは、本当に何もないの???
ヒロちゃんが、このまま、考えたくないけど、このまま万一のことでもあったりしたら、僕は自分を保っていられる自信がない。
悲しみと、苦しみに押しつぶされて、きっと僕は生きながらに死んでしまうに違いない。
だったら、ヒロちゃんにどんなに怒られてもいい。僕は・・・
「エヴァ。」
僕が一人ウジウジとしているいと、カイが僕のすぐ傍まで来ていた。
「大丈夫?」
「うん。僕は駄目だね。ヒロちゃんを助けたいと思っているのに、何もできないでいる。」
「・・・エヴァは、ヒロちゃんと赤の他人のはずなのに、どうしてそんなにヒロちゃんのことを?」
似たようなことを、そういえばカイに聞かれたことを思い出した。
あの時は混乱していて、自分とヒロちゃんの関係が自分でもよく見えてなくて答えられなかった。
でも、今なら答えられる気がした。
「他人とか、理由とか関係ない。僕にとってヒロちゃんといることには理由はいらないんだ。そのためなら、僕は何だって・・・するよ。ううん。そうしなきゃ、いけないんだ。」
今まで考えたことなかったけど、本当はずっとそう思っていたのかも知れない。
本当は、守られるだけじゃない。僕だってヒロちゃんを守りたいと思っていたということ。
一緒にいるためなら、何を失っても構わないと思うこの気持ち。
カイに言ったように、この感情に理由はないし、いらないと思った。
こんなことは、理性で制御できるものじゃないに決まっているはずだから。
でも、ヒロちゃんに心地よく守られて、僕はそれに気がつくことがなかった。
カイと出会い、そして、この都で絶対絶命のピンチに陥って、やっと初めてそれに気がつくことができたんだ。
・・・でも、それはあまりに遅かった。
だから、僕は無力なまま、ヒロちゃんの戦いを見ているしかない。そんな自分が、本当に嫌だった。
「・・・そうだね。じゃあ、僕らにできることをしよう。ヒロちゃんを助けるために。」
でも、そんな僕に一筋の光がさす。
ぼんやりと見上げたのは、いつも僕やヒロちゃんの後ろで震えているカイじゃなかった。
いつか見た、月光に光る緑がかった黒い瞳には、強い光が宿っていた。
それは、ヒロちゃんと一緒。戦うことを知っている者の瞳だと僕には分かった。
どうして、カイがこんな目をするのだろう?
「僕らにできること?」
でも、それより今はカイの言った言葉だ。
「うん。あんな化け物を相手に僕たちが出て行っても、確かにヒロちゃんが言うように足手まといにしかならないよ。でも、ほら見て。」
カイが声を顰める視線の先には、杖を振り上げて何事か呟き続けているニールティアーの姿が目に入った。
「あの化け物を呼び出してからも、ニールティアーはずっとああやって多分、呪文を唱えているんだ。多分、あの怪物を操るには、それが必要なんだと思う。」
そこまで聞いて、カイが何を言いたいか僕は気がついた。
「そうかっ!じゃあ、ニールティアーの呪文さえ止めることができたら。」
「うん。きっとあの化け物を止めることができるはずだよ。それで、作戦があるんだけど・・・・」
そう言ってカイが僕の耳元に顔を寄せて耳打ちをする。
それに、うんうんと頷くしかできない僕。
情けないかもしれないけど、今はカイの作戦に縋りつくことしか僕には何もできなかった。
という訳で、骨の恐怖がまだ続いておりました。その被害者はひたすらにヒロです。実はうちのヒロは、いつも苦労ばかりしているキャラです(笑)でも、今回は主人公のくせに、常に後ろに隠れているエヴァが活躍の兆し、結果ではなく兆しですが見せています。次はきっと活躍します。きっと。
追記ですが、『東方の天使 西方の旅人』を読んでいる方は、「あれ?」と思った方もいらっしゃるかもですね。ふふふ、さあ、あれはあれなんでしょうか?(『あれ』じゃ、分かんないですかね?)それは、また最後にでも少し説明できたらと思っています。




