第一話 世界は終末を迎えたようです。
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第一章 世界が終末を迎えた日
僕は今、心底驚いている。
窓から射し込む鬱々しい陽射しから、いつだって守ってくれるくたびれた布切れが、今度は世界の滅亡から僕を守ってくれたようなのだ。
小さな町の小さな一軒家の2階、そこに僕の部屋がある。僕の部屋は絶対不可侵の場所で、未だかつて誰も入れたことがない。そんな聖地からけだるそうにしているカーテンを開けると、そこはもはや別世界だった。
高校三年も半分を過ぎた今まで、変化というものを拒むようにいつまでもそこにあるとばかり思っていた光景はそこに無かった。
見渡す限りの瓦礫の山と廃墟が目に飛び込んでくる。
僕の町は一体どうしてしまったのだろうか?
頭の中が真っ白になって、自分の部屋を見回すと、いつもとは違う光景が目に入ってくる。吸い込まれてしまうような黒髪に真っ白のワンピースを着た白い肌の小さな女の子が、すみっこでじっと丸くなっていた。
もし、例えるなら少しおっちょこちょいな座敷わらしが、ワンピースを間違えて着てしまったような感じの子がそこにいる。
――つい先ほど世界が変わり果てる前に、転んで泣いているのをこの部屋から見つけ、家で手当てをしてあげていた小学校高学年くらいの女の子だった。名前はまだ知らない。
僕は必死に平静を保つよう、じっとその子と見つめあった。
「どうしたの? 優しいお兄ちゃん」
小さな女の子は、そんな僕の様子がおかしいことに気づいたのか、不安そうにこちらを見上げてくる。すぐに振り返って、鉄壁の布切れを急いで閉めると、また小さな女の子になるべく笑顔で向き直った。
「な、なんでもないよ。ちょっと、ここで静かにして待っててね」
何とか平静を装って部屋を出る。途端に胸の動悸が激しくなり、僕は軋む階段を音を鳴らしながら乱暴に下りていった。こんなことをすれば、普段なら親父にどやされるだろう。しかし、今はそんなことを気にしている場合では無い。
外に出たら、いつもと変わらない風景がそこに待っているはずだった。さっきのは何かの間違いなのだと言い聞かせて、玄関の戸を開けた。
そこに待っていたのは、小さな町の慎ましい住宅街などではなく、変わり果てたボロ屋かその残骸ばかりだった。隣の田中さんの家は、竜巻にでもあったのだろうか? 原型すら留めておらず、跡形もない。
――――一体、何があった?
思い切って外に飛び出し、ぐるりと見渡したが、やはり瓦礫と廃墟しか見えない、車の音もしないし、道路だって、人の手が入らなくなって、長い間忘れ去られた田舎道のようになっている。
まだ夕方前だと言うのに、辺りは静まり返っていた。いつもなら、耳をすませば近くの中学校から野球の練習をする声や、小学生達の騒がしい声が聞こえてくる時間だ。しかし、今はそんな田舎の心地よい合唱も聞こえてこない。
途端にその静寂が怖くなり家に戻ると、すぐに電話をかけてみる、なんでもいい、誰でもいい、頼む出てくれと受話器をあげ、ボタンを押しても反応すら無い。
携帯を思い出したように取り出したが、圏外になっている。
小さく悪態をついて電話を諦め、テレビや掃除機など家電製品のスイッチを手当たり次第に押していく、しかし、どれも機能を停止しているようだ。
ブレーカーを確認したのだけれど、どうやら、電気の供給自体が止まっているらしい。蛇口をひねると一瞬だけ反応したと思ったら、すぐに止まってしまった。水もダメか……。
いったい何があったというのか、つい30分前にはごく普通のごく平凡な、なんの面白みも無い退屈な高校生活を送っていた僕が、この状況にとてつもない恐怖と絶望を覚えるには十分すぎるほどだ。まるで人生の終わりを宣告されたかのような衝撃を受け、うなだれていると、階段をゆっくりと下りてくる音がする。
小さな女の子が、階段からひょこっと顔を出して僕をじっと見つめる。
「お外、どうしちゃったの?」
――どうやら、女の子も異変に気づいたようだった。
僕は必死に頭を巡らせて、泣きたくなるのを我慢し、その言葉を口に出した。
「僕にもわからないんだ、気がついたら町が、全てが壊れてた」
認めてしまうのが怖くて、言いたくなかったが、事実をありのまま伝えるくらいしか出来そうになかった。こんな時、勇気づけてあげられるほど僕は人間が出来ていない。
「わからないよ、どういうこと? ねえ、教えてよ。ママは? パパは? お姉ちゃんは?」
女の子が今にも泣きそうになりながら階段を下りてきて、服のすそを掴み、下から見上げてくる。
そんな健気な姿を見た臆病者の僕は、なけなしの勇気を振り絞ると優しく頭を三回叩いてから、小さな頭を撫でてみる。女の子は少し安心したのか、涙をぐっとこらえたようだった。
「大丈夫、お兄ちゃんに任せろ、必ずお父さんとお母さんに会わせてあげるから」
それを聞いた女の子は、黒髪の中にある綺麗な顔をぱあっと明るくして、流れかかった涙をぬぐってから、少し笑ってうなづいた。
その笑顔を見ると少し胸が痛む、この現状なら、ここ以外の場所にいた人はどうなってるかわかったものじゃない、何故、僕の家だけが平気だったのかは、さっぱりわからないけど考えても仕方がない、それに今は少しでも女の子を安心させたかったから、その疑問は考えないことにした。
女の子になるべく柔らかい表現で現状を説明し、理解を求めると、聞き分けのいい子でじっと我慢しながら、小さいなりに理解しようと泣かずに聞いてくれた。
「こういう時はじっと待っていれば自衛隊が助けに来てくれるはずさ、幸いご飯ならいっぱいあるからね、床下のここに……ほら!」
何かあった時のためにと母親が、床下の収納スペースに缶詰や水を入れていたのを思い出し、開けてみると大量の食料と水が保管されてあり、少しは希望が湧いてくる。それを見た女の子は、にっこり頬を緩ませ、大丈夫と腕をぐっと突き出した。そして拳の上に親指の塔を立てて見せる。こんな状況で……気丈な子のようだ。
名前をまだ聞いていなかったのを思い出し、女の子に名前を聞いた。
「天道天狐です。字は天使の天に道路の道、名前は天使さんの使を狐に変えて下さい」
しっかりと答える天狐を見ると少しだけ勇気が湧いてくる。僕がしっかりしないでどうするのだと奮い立たされるようだ。
「いい名前だね、僕の名前は五月日二六って言うんだ。変な名前だろ?」
天狐は少し首をかしげたが、すぐににっこり笑う。
「変わっていますけど、私は面白い名前は好きです!」
屈託のない純粋な笑みが眩しい。心に少しだけゆとりが生まれるようだ。この子の笑顔は人を幸せにする力があると思った。
「家はどの辺かな?」
「しらかば区のえと……公園の近くです」
しらかば区の天道さん、それを聞いて僕は思い出した。今年の年末年始に郵便局のアルバイトで丁度そこを歩いて配達していたこともあり、かすかに家の場所を覚えていたのだ。
「わかった、角の家だね、あー……大きな赤いポストのある」
「そうです! どうしてわかったんですか?」
女の子はくりくりの目を見開いて驚いた様子を見せ、それから少し不思議そうに聞いてきた。僕は郵便局で働いていたことを告げる。
「すごいです! ろくお兄ちゃんは物知りですね!」
「物知りじゃないさ、少し長生きなだけだ」
あまり褒められなれて無い僕は、少し照れくさくなってそう言った。すると目の前の天狐はじっとこちらを見上げてから口を開いた。
「連れてってくれるんですか?」
その言葉は、不安が半分、期待が半分といったところだろうか、声がかすかに震えているのがわかる。頭のいい子だ。
「いや、外は何があるかわからないし、危ないかもしれないから、ここで待ってて欲しい、お父さんかお母さんがいたら連れてくる。約束だ」
天狐は素直にうなづいて、その提案を聞き入れたようだ。
「今はきっとお仕事中だからお父さんもお母さんもいないの、でもお姉ちゃんならいると思う」
「よし、わかった……っと、そんな心配そうな顔をしちゃだめだ、きっと大丈夫さ」
天狐は不安そうにこちらを見ていたが、僕の言葉を聞くとまたにこっと笑う。
自宅に天狐を残し、まっすぐ天狐の家の方へ向かった。距離でいうとここから500mほどだろうか、すぐに行って帰って来れるはずだ。
朽ち果てた道路を少し駆け足で走る。歩いていると臆病という病気にかかって、僕の情けない両足が動けなくなってしまいそうだったからだ。
あっという間についた天狐の家……の残骸。
家は崩れ落ちすっかり朽ち果てていた。大きな赤かったポストは、虫に食われたように穴だらけになって倒れている。
「――すみませーん!!」
予想通り、何も返ってはこない。
「――――すみません、誰かいませんかー?」
一縷の希望は持っていたが、やはり返事は返って来なかった。
しばらくの不気味な静寂の後、僕は不意に訪れた悪寒から、身震いをしてその場を立ち去ろうとした。
その時、目の端に何かを捉えた。
最初は道路に転がっている大きな石かと思ったが、そうでは無いような気がして、少し歩いて確認しにいった。
徐々に鮮明に映し出されるそれは、どうやら石などでは無いようだった。
黒ずんだ手首からの先の姿がはっきりと見えるところまで来ると、僕は背中いっぱいに汗をかき始める。
ついに僕の目線の真下にそれが来ると、思わず叫び声を上げたくなった。
これは人間の手なんかじゃない。
……だって、ありえないんだ。
その手は、僕の手の3倍ほどの大きさなのだから!
黒ずんだ異形の手を僕は錯乱し、何度も転びながら家まで駆け出した。がたがたになった道路が走る速度を遅らせる。後ろから何かついてくるような気がして、僕は後ろを振り返ることが出来なかった。
早く、早く! もっと早く……!
呼吸をするのも忘れて全速力で駆け抜ける。僕が知る限りでは、閑静な住宅街だった残骸の中、そこだけ変わらない僕の家が見えてくる。
しかし、足の回転を緩めることをしない、そうでもしないと何かに捕まってしまうような気がした。ただひたすら何も考えずに足を一歩、一歩と確実に前にと突き動かす。
ようやくたどり着いた玄関フードを乱暴に開け、素早くその内鍵を閉め、家に飛び込んだ。
すぐに玄関の窓から外を覗き込む。
……大丈夫のようだ。
恐怖に取り憑かれていた僕が我に返って、安堵の息吹を一つついた先には、天狐がぽっかりと口を開けてこちらを見ていた。
「ど、どうしたの?」
凄く不安そうにしている。無理もない、僕がこんな風に帰ってきたんだから。
僕は息も絶え絶えになった呼吸を整えてから、それに答えた。
「天狐の家は他の家と同じように……何度か大声で呼んで見たけど誰もいなかった。行っても意味がない」
取り繕っても無駄だと思った。それにあんな得体の知れない物が落ちているところに天狐を連れて行くことは出来ない。
天狐はそれを聞くと崩れ落ちて、我慢していたのか涙がどっと流れ出した。そして呼吸もままならないくらいに泣きじゃくっている。
しばらくしても泣き止まないので、僕は天狐を抱き寄せて頭を撫でてあげた。僕だって泣きたいのをぐっと我慢し、お姉ちゃん、お姉ちゃんとむせび泣く天狐の小さな背中をなるべく刺激しないようにさすってやる。
「ありがと……」
ひとしきり泣いた後で、天狐のお腹がすいたと主張する。
「あ……」
「ずいぶん元気なお腹だな」
少しふざけてそう言うと天狐がわざとらしくほっぺを膨らませて、子犬のような唸り声をあげる、なんだこの可愛い生物。
僕はアレを見たせいか、食欲がまるでない。それでもお腹をすかせた黒髪幼女のため、冷蔵庫に入った生鮮食品を使って、何か料理を作ってやろうと思った。野菜と細切れになった豚肉を出して、簡単なチャーハンでも……と、思ったがライフラインが全て止まっていることを忘れていた。
仕方なくカセットコンロを出して、一口大に切った肉を炒め始める。横で天狐が獲物を狩る獣のようにヨダレを垂らしているのは気のせいだろう。
今日の献立は塩と胡椒、醤油で簡単に炒めた野菜炒めに炊飯器の中に残っていた少し冷たくなったご飯、それとペットボトルのお茶が冷蔵庫に入っていたのでそれをコップに注いだ。
「ろくお兄ちゃん料理じょうずー!」
出来上がった料理を見た天狐からお褒めの言葉をいただく、僕の愛称はろくお兄ちゃんに決まったようだ、なかなか悪くない。料理は母と交代制でそれなりの知識はあるつもりだ。ただし、味に保証はしないというのは伏せておく。
「大したものじゃない、さ、冷めないうちに食べるぞ」
「はーい、いただきます!」
天狐は手のひらから小気味いい音を鳴らし、少しお辞儀してから箸を握った。僕もそれに習って箸を取る。
火力が弱くて、少し時間がかかったがちゃんと料理になっている、味もまぁ悪くはないだろう。人に振る舞うなんて初めての経験なので、少し不安だった。
「美味しい!」
そんな僕の心中を幼いながらに察してくれたのか、天狐が満面の笑みで僕の料理を褒めてくれた。天狐はきっと学校では人気者なのだろう、元気があってしっかりしていて、顔は整っている。そして笑顔はもっと可愛い、これだけで小学生のころは大体人気者だ。万年ぼっちが板についてきた僕とは大違いだ。
窓から射し込む陽射しが徐々に弱くなり、太陽が一日の仕事を終え、月の就業時間が迫ってきているようだ。あいつらは大体一日12時間労働なのだろうか、沈みかけた太陽とうっすらと見える月を見ながらそんなことを思う。アルバイトの経験はあるけれど、12時間も働いたことはまだ無い、大変な職業についたなと高校三年になって、就職活動を始めていた僕が太陽と月を労う。
そんな、この状況に全く関係の無いことを考えて、必死に頭の隅から悪いイメージを振り払うため、健気な努力をしている僕を天狐が覗き込んできた。
「ろくお兄ちゃん元気無い?」
「そんなことない、僕はいつだって元気だ」
不安を与えてはいけないと思い、そう取り繕った。すると天狐が僕の顔を疑うようにじっと覗き込んでくる。綺麗な瞳と整った顔が目の前で、わざとらしくしかめっ面になった。
「ほんとですか?」
「ああ、本当だ。さ、食べたなら片付けるぞ」
少し苦しくなった僕が、役目を完全に終えた皿を片付け始めると、天狐も一緒に手伝ってくれた。水洗いはできないので、仕方なく食器はシンクの中に放置しておく。
片付けた後に現状の把握と整理のため、ノートと鉛筆を取った。
書き込む内容は、現在の食料事情と謎の大きな手について、そしてこの状況だ。天狐には2階にある漫画や本などを置く部屋で漫画読ませておいて、静かにしておいてもらう。
食料は冷蔵庫の中にある野菜や、まだ少しだけ残っている肉類、それと床下に備蓄されていた缶詰と大量の水。これがなければ今頃はパニックになっていたと思う。母親の災害対策に感謝しながらそれを書き留めていく。母と父は無事なのだろうか? 確かめるすべもなく、無事を祈ることくらいしか出来なかった。
明日はこのまま助けが来なければ、じっと籠城しよう。明らかに外はおかしいことになっている、それに気がかりなのはあの大きな手だ。一体なんだったのか? 現実では無かったのかもしれないなどとも思った。緊張と恐怖で、脳が作り出した幻とか……。
しかし、あれは現実だった。紛れもない現実、この目でたしかに見た。
しばらく物思いにふけっていると、いよいよ日が沈み、文字が読めなくなるまで暗くなった。と、そこで気づく。しまった、天狐を忘れていた。慌てて先ほど見つけた電気式のランタンを灯して、おーいと2階に向かって叫んでみる。
返事が無い、少し焦ってドタドタと音を鳴らしながら階段を一気に駆け上がり、天狐が漫画を読んでいるであろう部屋のドアを開ける。
そこに天狐の姿は無かった。部屋の中央に散らばった漫画の数々、たしかにここにいたのは間違いないようだ。どこへいった?
そこで一瞬頭によぎったのはあの大きな手だった。まさか……!
と、悪いイメージがちらつく中、口から心臓が飛び出るような思いをさせられるはめになった。
「ワッ!」
「うおっ!」
突然の大声に動揺し、ランタンを激しく揺らしながら後ろを振り返るとそこには、したり顔で嬉しそうな顔をしている天狐がいた。
「おい」
「あ! 怒っちゃダメなんだ!」
完全に勝ち誇った天狐は、堂々とそう言い放つ。まるで騙される方が悪いと言わんばかりだ。
「ふぅ……もういい、ほら寝るぞ」
付き合うのも疲れると判断し、かまわずに自分の聖域へと案内する。天狐は不満そうにぶつぶつと言っていたが無視して、天狐を僕のベッドに寝かせる、僕はその横で布団を敷いた。
電池節約のためランタンを消して、真っ暗闇の中で横になっていると天狐が何か口を開いたようだ。聞き取れなかったので、聞き返す。
「ろくお兄ちゃんは怖くない?」
その声は震えている。今にも消え入りそうな声で、そう問いかけてきた。
「怖いさ、怖いに決まってる、だけどどうすることもできないんだ。出来る範囲で頑張るしかない」
そう自分に言い聞かせるように言った。
「そっか、そうだよね。私も頑張る」
「ああ、明日は一日助けを待ってみよう、まだご飯や水はたっぷりあるんだ。一日くらい様子を見ても問題はないからね」
「わかった、天狐いい子にしてる!」
少しだけ声に力が戻っているのがわかる。小さな子が真剣に正面から恐怖に向き合っている、僕はそのことで勇気づけられるような気がしてきた。
「よし、いい子だ。もう寝なさい、おやすみ」
「おやすみなさい、ろくお兄ちゃん」
疲れていたのか、天狐はすやすやと寝息を立てて眠り始めた。まだ7時くらいだろうか、よく眠れるものだと感心していると自分にもすぐに睡魔が襲ってくる。どうやら、今日のことは平々凡々の日常を送ってきた僕には刺激が強すぎたようだ。
天狐の安らかな寝息を聞きながら徐々に意識が遠くなり、やがて深い眠りに落ちた。