第七十三話 ラルキア的休日・後編
無事に前後編で終わった。
ちなみに来週は一身上の都合で更新ちょっと難しいかもです。勉強なんて大嫌いだ。
履き慣れないヒール、くわえてそう得意でもない『かけっこ』のせいで足が痛い。四捨五入をしても三十、麻雀には詳しくないが頑張って五捨六入をしても三十となってしまう立派な大人の女性的には『ヒールを履き慣れない』という単語に若干ながらもそれはどうかと思いながら、綾乃はヒールを――根元からポッキリと折れ、無残な姿を晒すソレを見つめる。
「……怒られちゃう」
「誰に?」
独り言のつもりで呟いた声にかかる声。視線をそちらに上げると、そこには木で出来たコップを持った浩太の姿があった。
「はい、綾乃の分」
「さんきゅ。なに? お酒?」
「そこの露店で買って来た。多分ジュース……かな? 林檎の果汁入り」
「ええ~。こんだけ運動したんだから、こう、冷えたビール的な何かをきゅーっと!」
「ビールはないよ、オルケナには」
苦笑しながら渡されたカップを『ありがと』と言って受け取り、一口。浩太は『林檎の果汁入り』と言ったが、どちらかと言えば林檎のすりおろしが入ったかのような、少しだけ『どろっ』とした液体に思わず眉を顰める。買って来て貰って文句を言うのもアレだと思い、ちらりと窺った先で、綾乃同様微妙な表情を浮かべる浩太が居た。
「不味い?」
「いや、不味くは無いんだけど……何だろう、こう、思いっきり走った後に飲む様なものじゃないなって」
「奇遇ね。私もそう思うわ」
苦笑を浮べながら、それでももう一口。甘みの中にも酸味があり、決して不味くはないのだが浩太の言う通り、運動後に飲むモノではなさそうだ。
「残しても良いぞ?」
「ん……ううん。勿体ないしさ」
ただ、ゆっくり飲まして貰うからと声をかけ、腰掛けたベンチに木のカップを置きゆるゆると背もたれに体を預ける。知らず知らずの内に長い息が綾乃の口から漏れた。
「疲れたか?」
「そこそこ。でも、まあちょっとぐらいは予想もついてたし。アンタと二人でデート、なーんて言ったら皆血相変えて飛び出してくるな~とは思ってたのよね」
綾乃の言葉に、浩太が渋面を作って見せる。その姿を見て、思わず可笑しくなった綾乃はクスリと笑みを零し、その姿に浩太の渋面がますます深くなった。
「……笑うなよな」
「ごめん、ごめん。やっぱり浩太だな~って思ったのよ」
「どういう意味だよ?」
「まあ、私もそう詳しいわけじゃないけどさ。こう漫画やアニメの主人公って『鈍感』じゃん? 『血相変えて飛び出して来る』なんて言ったら素で『なんで?』とか返してくるけど、アンタはそうじゃないんだな~って思って」
「……まあな。つうか、まあ……その、なんだ? こう、好意? 的なモノは持って貰えてるな~って思ってる相手に尾行までされてて『え? 気付いてませんでした』なんて言う奴いるか?」
「ふーん。好意的なモノを持って貰えてるって思いながら、それでも別の女とデートするんだ。なに? 『本命』は私って認識でイイの?」
この質問は意地が悪いな~と思いながら、綾乃は言葉を放る。放られた言葉を巧く掴む事が出来ない浩太は、まるでフライを取り損なった外野手の様な途方に暮れた顔を綾乃に返す事でそれに応えた。
「情けない顔ね。何よ?」
「あー……その、なんだ? こう、別に自慢する訳じゃないんだけど」
「私の経験上、『自慢じゃないけど』っていう話は確率十割で自慢だけど?」
「茶化すなって。まあ、その……俺もさ。まあソコソコ女性とお付き合いさせて貰ってる訳でして」
「ああ、自慢ね。リア充シね」
「リア充じゃっ――まあ、いい。ともかく、こう、付き合って来た訳だけど……このパターンは初めて何だよ」
「このパターン?」
「同時に複数の人に『恋愛感情』的なモノを向けられるってやつ」
一瞬、この男は何を言っているんだろう、と本気で綾乃は悩む。同期として同じ支店に入行し、どれだけ浩太に彼女が出来ようとめげずに『好き好きアピール』を続けていた綾乃だからこそ持っていい感情ではある。まあ綾乃自身、『はっきり』言ったのは異世界召喚されてから、しかも勘違いとは言え一遍は『ソデ』にしているので綾乃にも非はあるのだが。
「色々納得いかないけど……まあ、いいわ。それで?」
「だから、こう……誰が本命とか誰がキープとか、そういうのがあんまり理解できない」
「あー……まあ、そう言えばそうね。アンタ、彼女の変遷こそびっくりするぐらい多いケド、同時に二人と付き合う、なんて器用な芸当は出来ないもんね」
「しかも全部『告白されて』だからな。自分から行った事が無いから、どうしていいのかも分かんない」
「はい、さりげない自慢が入りました~。良いわね、アンタ。なに? 告白された事無い私の事ディスってんの?」
「……なあ、それマジで言ってんのか?」
「何がよ?」
「俺、結構一世一代の告白だったんだけど。つうか、初告白だぞ、俺の」
浩太にそう言われ、綾乃の顔にさっと朱が走る。
「~っ! い、今言う事じゃないでしょ、ソレ!」
「むしろ、今じゃ無くて何時言えと?」
「と、とにかく! それで?」
「それで……って、まあそう言う事だよ。良く分かんないだよ、俺も。なーんも成長して無いんだよ」
そう言って、溜息一つ。
「小学生の頃ってさ? 大学生とかスゲー大人に見えなかったか?」
「従姉のお姉ちゃんに『おばちゃん』って言って怒られた事あるわね」
「大学生になったら『何でも出来る』気になってたんだよな。でも実際、大学生になっても何にも出来ない。時間はあるけど金はそんなにないし、失敗ばっかりしてた。それで、大学生の頃は社会人になったらもっと何でも出来るって思ってたんだよ。仕事も、プライベートも充実してて、休みの日は友達と遊びに行って、年少の子から頼られたら先達として導いて上げれて……もっと、スマートに恋愛もしてる、そんな大人になると思ってたんだけど……何の事は無い、自分より年下の子に好意を向けられて『あわあわ』してるんだよな、俺」
すげー格好悪いと笑って見せて。
「……まあ、そんな訳で出来れば『保留』にして貰えると有難い」
「まだ選べないって事? みんなちがって、みんないいの?」
「どっかで聞いた事あるな、それ」
そう言って、情けない顔を見せる浩太。その姿に、綾乃はもう一度ゆるゆると長い息を吐き、空を見上げる。頭上に輝く月は残念ながらあの日見た様な綺麗な満月では無く、しかしてその欠けた姿こそが今の綾乃の心を現しているかのように思いそれが何だか少しだけ可笑しくなって、笑う。
「……何だよ?」
「ちょっと考えてみたのよね。もし、浩太に逢うのがもう一か月早かったらどうだったのかなって。もう二か月早かったら、どうだっただろうかって。召喚されてすぐ、貴方に再び出逢えていたら……今とは違った答えが返って来たのかな~ってね」
「……」
「大事なモノが出来る前の貴方に……ああ、違うか。さっさと私が貴方の『大事なモノ』になっていれば、また違った展開があったのかな、ってさ。皆じゃなくて『私』が良いって言って貰えたかな~って」
「それは……」
「あんまり理系は得意じゃないけど、召喚なんてする機械があるのなら、タイムマシンを作って欲しいわよ」
そしたら、『あの日』の自分をぶん殴ってやりたいわ、と笑い。
「……まあ、実はこういう話をアンタとしたかったのよね」
そのまま、言葉を継ぐ。
「こういう話?」
「普通にデートしたいっていう欲求もあるにはあったんだけど……まあ、エリカとかエミリの前ではちょっと話せない内容って事」
「……意味が分かんないんだけど?」
「さっき、怒られちゃうって言ったでしょ?」
そう言って、ベンチに置かれた見るも無残のヒールを持ち上げて見せる。
「これね? アリアちゃんに借りたの。ああ、アリアちゃんって言うのは――」
「シオンさんの妹だろ? 『アレイアの遺産』を直してくれてる」
「――シオンの妹……って、え?」
「『え?』って何だよ、えって。知ってるよ、俺も。逢った事あるし……まあ、こっちに来てからご挨拶して無かったし、一度お礼かたがた逢いに――って、何だよ、その顔」
「いや……凄いわね、浩太。良く覚えてたわね」
「凄いわねって……そりゃ、覚えてるだろ?」
「シオン、すっかり忘れてたわよ?」
「……は?」
「アリアちゃんに逢うなり、『誰だ、お前は!』って。『実の妹の顔を忘れるって酷すぎです、お姉さま!』ってアリアちゃんが凄い怒って」
「冗談だろ?」
「うん、そう思うんだけど……こう、物凄く目を逸らして『冗談に決まってるじゃないか、アリア』なんて言ってる姿を見ると……」
「あの人、『大事な妹だ』みたいな事言ってたんだぞ?」
「……まあ、シオンだし」
気まずそうにそういう綾乃に浩太も視線をそっと逸らす。ダメだ、この話題は、と少々無理やりな会話の方向転換を試みる。
「そ、それで? その靴、アリアさんに借りたのか?」
「え、ええ。そうよ! 靴だけじゃなくて、服もアリアちゃんに借りたの」
「へえ、服も――って、ちょっと待て」
上から下まで、浩太は先程同様綾乃の体を見渡す。決して綾乃は大柄では無いが、それでもびっくりするほど小柄では無い、言ってみれば『普通』のサイズであり、つまり。
「……アリアさん、それ着るの?」
浩太の想像する『アリア像』からしたら……正直、ちっとも似合わない。
「多分、アリアちゃんが着たら『お母さんの服を借りた子供』みたいになると思う。その……アリアちゃん、『何時か成長した暁にはきっと! きっとこの服が似合う立派な『レディ』になっている筈です! これはその日の為の先行投資です!』って……」
「……なんて不憫な」
「すっごく失礼な話だけど……『ああ、シオンの妹だ』って思ったわよ」
「どっちに失礼?」
「どっちにも、かな? まあ、それはともかく。この服を貸してくれる時にちょっと話をしたのよ、アリアちゃんと。まあ……大体分かると思うけど」
『召喚』の話ね、と。
「……ああ。それじゃ思わなかったか? 『この人、本当にシオンさんの妹か?』って」
「申し訳なくなるぐらい謝ってたわよ。『何でもします!』って。でも、私は浩太とは違うかな?」
「違う?」
「『やっぱり、シオンの妹だ』って思ったわよ」
アンタだってそれぐらい分かってるでしょ? と悪戯っ子の笑みを見せる綾乃に、浩太は肩を竦めて見せる。
「……我儘だし、残念だし、結構ポカが多いし、無茶苦茶な人だけど、無責任な人では無いとは思ってるよ、俺も」
「ああ見えて結構気にしてる……と思うわよ? 我儘なだけで」
「その辺は本人から聞いてみないと何とも言えないと思うけど」
仰る通りと笑い、綾乃は言葉を続ける。
「それで、アリアちゃん曰く……『アレイアの遺産』、直りそうらしいわよ。もうちょっと……多分、半年ぐらいあれば直るんじゃないかって」
「……そっか」
「幾度か実験は必要だから、大凡一年。一年あれば、貴方も私も『帰る』事が出来るわ。元の世界に、私達が居たあの『世界』に」
そこまで喋り、綾乃はじっと浩太の目を見る。黒曜石を思わせる、綺麗な、無垢なその瞳のまま、じっと。
「ねえ……どうする?」
◇◆◇◆◇◆
息が詰まりそうな、沈黙。世界の時間が止まった様な感覚を覚えながら、それでもバラバラになりそうな意識を繋ぎ止めて、浩太は自嘲気味に笑いながら口を開く。
「……今更帰っても、な」
「何が?」
「何がって……今から更に一年後だろ? 銀行だってクビになってるだろうし――」
「いいじゃん、別に。『銀行』だけが仕事じゃないのよ?」
「いや、でも……そんなに簡単に次の仕事だって見つかる訳じゃないし」
「あんまりこういう言い方は好きじゃないけど……私、一応東大卒なわけ。お父さんは外交官僚だし、お母さんは旧家の出よ」
「……それが?」
「『仕事』なんてコネで見つけてあげるわ。ひょっとしたら、銀行時代よりも給料の良い仕事だって見つけて来てあげるけど?」
「……」
「アンタはバカみたいに真面目だし、きっとどの職場に行っても巧くやるわよ。ちなみに、貴方は別に死んでる訳じゃないから戸籍もある。『異世界に行ってました~』って言うのは内緒にしておかなくちゃいけないけど、その辺りは巧く口裏を合わせてやっていきましょう」
「で、でも……ほら、今更帰ったらきっと凄い噂になるだろ? 暮らしにくいのは――」
「日本が嫌だ! って言うのなら別の国でも良いんじゃない? 私、英語もソコソコ喋れるし、アンタも全然ダメな訳じゃないでしょ? そうね……南の島あたり、いいんじゃない? 私、寒いの嫌いだし」
外堀を埋められていく様な感覚。『帰れない理由』は無くなり、『帰りたくない理由』は徐々に減らされて行く。
「『向こうの世界』の方が良いわよ。こっちの常識を一々考えなくても良いし、何と言っても私達が生まれた世界だもん。向こうには貴方のお父さんも、お母さんも、妹ちゃんもいるのよ? 縁も所縁も無いこの世界に執着する理由なんてないんじゃない?」
そうして『帰る理由』だけ、ドンドンと積み重ねられて行く。息苦しさに喘ぐよう、浩太は大きく息を吸い、それでも収まらない息苦しさに顔を顰める。
「……一年もあるんだろう?」
一年しかないのよ、という答えが返って来ると思って、そうしてその答えを期待して問いかける浩太に綾乃は浩太の意と逆、首を縦に振る事で応えた。
「ええ、そうよ。一年『も』あるの」
「だったら、答えは一年後でも――」
「一年あれば貴方が『帰りたくない理由』がドンドン増えると思うのよ」
「――っ」
「そして、私にはそのどちらが貴方に取って幸せか分からない。分からないから、考えるのは今をオススメする。一年後に帰るのであれば、エリカやエミリ、ソニアちゃんと必要以上に関わって……それで、離れがたくなるのはどうかってね。辛い思いをするのは貴方だし」
溜息、一つ。
「……本当に、一年『も』あるのよ。今なら引き返せるんじゃない? 一年あれば忘れる事も出来るんじゃない? 何も無かった事にして、『帰る事』だって出来るんじゃない?」
「……」
「まあ……だから、それも含めてのさっきの質問ね」
ねえ、浩太? と。
「貴方の『本命』は――隣に居て欲しい人は、『誰』なの?」
『世界の時間が止まった』なんて、なんてバカな事を考えていたんだろうと自嘲気味に浩太は胸中で笑う。さっきのなんて全然大した事のない、そんな感覚にもう一度盛大に溜息を一つ。
「……厳しいよな、お前は」
「私は貴方の味方であり続けようと思うけど、貴方を甘やかし続けようとは思ってないから。まあ……これだって随分甘やかしてるとは思うけど」
「そうか?」
「一年後、アップアップするアンタを見たくないからね。だから今の内に『逃げ道』を作って置いて上げる」
「……何と言うか……綾乃らしいよな」
「そう? じゃあ、『綾乃らしい』事じゃない事も言おうか?」
「そんなパターンもあるの?」
訝しむ浩太に、ええ、と笑って見せて。
「私は、今すぐ貴方に『答え』を出して欲しくない」
「……」
「きっと、今の貴方は『こっちの世界』に戻るって言うから。色々と言い訳して、色々と理由をつけて、それで『こっち』に残るって結論を出す気がするから……だから、今すぐ結論は出して欲しくない、かな?」
「矛盾してないか、それ? 今すぐ考えろって言っておいて、今すぐ答えを出すなって」
「綾乃らしくないでしょ?」
「全くだ」
「私もいい年して全然大人に成りきれてないのよ、多分」
「……そっか」
とても優しい笑みを浮かべる浩太にうんと頷き、その後『うーん』と背筋を伸ばして見せる。伸ばしきった両手を手の前でパンと叩き、浩太に負けない程の綺麗な笑みを綾乃は見せた。
「……まあ、私はこんな自分もそんなに悪くないと思ってるけどね。恋愛はデジタルじゃないし、人の感情はロジカルだけでは語りきれないから」
「そうだよな」
そう言って、浩太は少しだけ視線を上にあげる。
「何よ、その顔?」
浩太の顔に浮かぶ表情。悩んでいる訳でも、答えを出している訳でも……諦め、が近い様な、それでもそんな後ろ向きの言葉で括るにはちょっとだけ残念な浩太のその表情に、綾乃は胸中に浮かぶ疑念のまま、言葉を投げた。
「変な顔か?」
「何とも言えない顔をしてるから」
「実際、何とも言えないしな」
ああ、とそこで綾乃は気付く。出来の悪い生徒を苦笑で見守る様な、『もう、仕方ないな~』と言わんばかりの表情なのだ、今の浩太は。
「……やっぱりまだ一年『も』あるんだからさ。その時に足掻くよ」
「そう?」
「綾乃の言ってる事も分かるんだよ。離れ離れになるんだったら、仲良くしない方が良いって言うのも……凄く、良く分かる」
「情が移っちゃうからね」
「そんな捨て猫拾ったみたいな言い方って……まあ、とにかく。その考え方だってきっと間違ってないんだけど」
ただ、あんまり好みじゃないんだ、と。
「具体的に」
「あんまり巧く言えないんだけど……そうだな。それって結局、今を一生懸命生きて無い気がするんだよ」
「……ふーん」
「『どうせ、一年後には別れるんだから、仲良くしない』って、そうやって誤魔化し誤魔化し生きていくってのも、まあ間違いでは無いんだろうなって分かるんだけど……ほら」
そう言って茶目っ気たっぷり。
「……松代浩太は『努力』の人ですから」
一度失敗もしてるしな、と笑う浩太に、自然と綾乃の口角も上がる。
「ま、アンタならそう言うかなってちょっと思った」
「そんな単純?」
「浩太らしいって事」
そう言って、笑顔のままで――その笑顔を、少しだけ悪戯っ子の笑みに変えて。
「……それで? アンタの本命は誰よ?」
「っぶ! ゲホ……あ、綾乃!」
「帰る、帰らないの判断はその時で良いけど、『本命』が誰かぐらいはしっかり聞いておきたい所だからね」
「だから……その、さっきも言ったけど」
「え? マジで皆違って皆いいとか言い出すつもり? 誰も選べないって? うわ、やだな~、その考え。女の子キープなんて、アンタ何様よ?」
「ぐぅ! ま、まあ……そう言われると否定しようが無いんだけど……」
じとーっとした目を向ける綾乃に言葉に詰まりながら、浩太は視線を逸らす。そんな浩太をしばし生暖かい瞳で見つめていた綾乃が、不意に口の端を綻ばせた。
「……何だよ?」
「冗談よ」
「じょ、冗談?」
「ん。まあ、浩太が選べないんだったらそれでも良いかなって」
「良いって……良いか? 自分で言うのは何だけど、マジで結構最低な事言ってるぞ、俺」
「エリカだって側室の娘なんでしょ? 土壌として『お妾さん』を囲う風土があるんだったらいいんじゃない、別に?」
「いいんじゃないって……その、倫理的には?」
「私、外交官の娘」
「それが?」
「世界には一夫多妻の国なんて沢山あるわよ。郷に入っては郷に従え、じゃないけど、ココがそうなんだったら別に目くじら立てて怒る事も無いわ」
「……」
「ま、個人的には結構『納得が行かない』ってのは、勿論あるけどね。その辺りの折り合いを付けるのは私達の方だし。納得が行かなきゃ離れて行けばいいだけの話だから」
「そうなの?」
「アンタの『女癖』の悪さに耐え続けた実績と経験があるからね、私には。残念ながら『私だけを見て! 見てよ!』って泣いて言える程に乙女でも子供でも、エゴを押し付けられる人間でもないのよ。あ、他の子は知らないわよ? 私はそうってだけで」
そう言って、木のカップに入る林檎ジュースを一息で飲み干して立ち上がる。
「建帝記、見たじゃん?」
「ああ」
「あれって、フレイアは幸せだけど……きっと、アレイアとかユメリアはすっごい不幸な話だと思うのよね。本当に大好きで、大好きで、大好きで堪らないアレックスが、ずっとフレイアに操を立て続けるってどんだけ報われない話よ、って思うのよ」
「……」
「別に一番じゃなくても良いから、それでもアレックスに『想われたかった』って思っても可笑しくないでしょ?」
「まあな」
「私はフレイアには成れないタイプだしね。でも、アレイアとかユメリアみたいに物分かりの良い女の子でも無いのよ。だから、貴方が『それ』を望むのであれば、私はまあ、吝かでもないかなって」
そう言って、にっこりと浩太に笑みかけて。
「ね? 私ってアンタに『優しい』でしょ?」
「……全くだ」
「別に『都合の良い女』にはなってあげないけど、貴方がそういう風に考えるんだったら、肯定はしてあげる。その上で、私を一番にしてくれたらすっごく嬉しい。まあ、こんな感じかな?」
「覚えておきます、ハイ」
「よろしい。大体、商人連盟だか商人同盟だかのでっかい組織相手に立ち向かおうってアンタが、恋愛ごとに頭悩ませてる時間は無いって。苦手でしょ、アンタ? 一遍に二つの事考えるの」
「仰る通りです」
そう言って二人で笑い合う。笑い合って、そんな笑みの中で浩太の口は『ありがとう』と形作る。
耳触りの良い言葉を貰った事では無く――何時かは選ばなければいけない問題を、教えてくれた感謝を込めて。そんな浩太の口の動きを目の端に留め、綾乃の笑みは一層深くなった。
「それじゃ、帰りましょうか」
「ん……そうだな。もう結構遅いし」
さあ、行こうかと自らも綾乃同様立ち上がり、歩き出した浩太は二、三歩進んだところでその歩みを止める。何時までもついて来ない綾乃を訝しんで振り返り、『ん!』と言わんばかりに両腕を前に伸ばす綾乃に首を傾げて見せた。
「何してんの?」
「ヒールが折れてるのよ? 私に裸足で帰れっての?」
「……ああ、そうだったな。御免。えっと……俺の靴で良ければ」
「ん!」
「……綾乃さん?」
「ん! んん!」
「御免、意味の分かる言葉で頼む」
「だ、だから! 歩けないんだから……」
だっこ、と。
「…………は?」
浩太、眼が点。
「お、お姫様だっことか……い、いいな~って」
彼我の身長差からか、少しだけ上目遣いにちらちらと浩太の顔色を伺う綾乃。その頬は真っ赤に染まり、それでも期待を含ませた潤んだ瞳を向ける綾乃に、思わず浩太の喉がごくりと鳴って。
「……あら、エミリ? アヤノ、ヒールが折れて困ってるらしいわよ?」
「それは大変ですね、エリカ様」
後方から、夜叉の声を聴いた。
「……」
「ようやく見つけ――」
「違います、エリカ様。『偶然』に御座います」
「――と、そうね。偶然、たっまたまアヤノとコータを見かけたと思ったら……何なのかしらね、コレ? アヤノがコータに抱っこを迫っているって、ねえ? これ、どんな夢かしら?」
「きっと悪夢の類に御座いましょう」
「そうよね~。で、エミリ?」
「はい。勿論、替えのヒールは持ってきております」
「さっすが、エミリ!」
「勿体ないお言葉です」
冷や汗が、止まらない。ギギギっと音が鳴りそうな緩慢な動作でゆっくり浩太は振り返り。
「……何で頭に葉っぱがついてるんですか、エリカさん?」
綺麗な金色の髪の毛に緑の葉っぱ。顔の元々の造詣が良いエリカであるのなら、『こういうファッション』と言っても……ちょっと無理があるが、それでもまだ何とか言い訳もできる。出来るが。
「それに……鼻の頭の所、泥が付いていますし、えっと……その、服も」
どこぞの戦闘地域から抜け出して来たかのようなボロボロの服装を見ればそうも言っていられない。なまじ、隣に佇むエミリが平常通りにメイド服を着こなしている為、より一層そう見える。
「し、仕方ないでしょ! 何処行ったか分かんなかったからあっちこっち探して……じゃなくて! え、えっと……と、とにかくアヤノ! 貴方、何してるのよ!」
「何って……抱っこせがんでんだけど? なに? 見て分かんない?」
「だっ……せ……そ、そう言う事を言ってるんじゃないの! な・ん・で、だっこをせがんでんのか聞いてんのよ!」
「だから、ヒールが折れたんだってば。仕方ないでしょ? 不可抗力よ、不可抗力」
「へえ~! それじゃエミリが偶然替えのヒールを持ってきてるみたいだからそれで解決よね! はい、それじゃ帰りましょうか!」
「………………ちぇ」
「『ちぇ』? 今貴方、ちぇって舌打ちしたわよね!」
「してないもーん。ああ、もう良いわよ。それじゃエミリ、ヒール貸して……うん、ありがとう。それじゃコータ、帰ろう?」
「そうそ――ってアヤノ! 何コータと手を組んで帰ろうとしてんのよ!」
わいわいぎゃーぎゃー騒ぎ立てるエリカに肩を竦めて溜息を吐き、上目遣いで浩太を見上げ。
「あんな五月蠅いのじゃなくて……やっぱ、私にしとく?」
少しだけ期待を込めた綾乃の言葉に、綾乃同様浩太は肩を竦める事で応えた。
◇◆◇◆◇◆
「そ、ソニア姫……ちょ、きゅ、休憩を……」
「もう! 何で貴方はそんなに体力が無いんですか! エリカ様もエミリさんも見えなくなったじゃないですか!」
「し、仕方なかろう……! わ、私は研究職で……こう、こういう運動は……ゲフ! ああ……何だか咳に血の味がする」
「ちょ! え、ええ! ち、血って、だ、大丈夫ですか!」
「ああ……なんだかんだ言ってもソニア姫は優しいな……ふう……あ、ああ……何だか……景色が……う……す……れて……」
「あ、ああ! 目! 目を閉じないで下さいまし! だ、誰か! 誰か――」
「……すぴー……すぴー……」
「――……」
「……ううん……もう食べれない」
「……え~い」
「ふぐぅ! い、いたた……そ、ソニア姫! 人の頭を石畳に落すとはどういう了見だ! 頭が可哀想な事になったらどうしてくれる!」
「一瞬で眠るって、どんな芸当ですかぁ! そして貴方は既に言動が十分可哀想ですわ!」
「ふっ……最近、そんな言葉すら『心地よい』とおもいだした私に死角はない!」
「もうイヤですわーーーーー! コータさまーーーー!」
エミリによって無事に『回収』されるまで、王都ラルキアでは即興コントが繰り広げられていたそうな。




